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「槞梛俚庵(るなりあむ)


時折綴

2001年11月19日(月) しし座流星群☆彡

33年周期で訪れる、テンペル・タットル彗星が撒き散らした塵たちの帯に
地球が接触することで、流星群となって夜空に降り注ぐ。
科学的、天文学的の理屈はわかってはいても、
それはそれは、本当に素晴らしい「夜空の祭典」でした。

am2時半〜4時まで、冷え込みの中、しっかり夜空を見上げていました。
3年前の1998年の時も綺麗でしたが、今回はそれを越えるほど
大きな火球が多かったと思います。
それだけでなく、一際明るく赤く燃えたあと、きらきらと流星痕が
はっきり残るのも見られて、とても感激してしまいました。

(流星が長く尾を引いて燃え尽きたあとが、綺麗に残ることを
「流星痕」といいます。)

1時間に5000個の流星が降ったそうですが、そうなると「流星群」ではなく
『流星雨』になるそうです。
「雨のように降り注ぐ流れ星」は、わたしも初めてです。
素敵でした。
街の灯りが届かない山奥に行かれたら、もっと綺麗だったのでしょうね…。

'98年の時も、娘と一緒に見ていたのですが、
今年もしっかり家族で眺めました。
しん…と静まり返った中、音もなく流れ消えてゆく星たちを見ていると
宇宙の営みは、太古の昔から変わらないんだな… と思えて来ます。

また、そんな星たちの姿を見ていると、
わたしの想いも、存在も、本当に小さなものなんだな…
そう感じて来ます。

心の容量が、広がってゆきます。

わたしが月や星たちが好きなのは、そんなキモチになれるから…
なのかも知れません。

昨夜曇っていて見られなかった人も、寝ちゃった人も、
また12月に、こんなにたくさんの流星は降らないけれど
「こぐま座流星群」がありますので、その日を狙ってみてはいかがでしょう。



2001年11月09日(金) 熱を出して・・・

重い風邪でした。
熱も下がらなくて、声もかすかす…。
(あ゛ぁ゛… 美声が…) ←殴!
それでもやっと、何とか回復してきてラクになりました。

熱が38℃を超えてるのに、娘のお弁当を作りました。
中学の3年間、何とか手づくりのお弁当を持たせてやりたい… と
自分でたてた目標ですしね…。
(半分「意地」。(^_^;))
やっぱり…お昼にコンビニお弁当は、ちょっとせつないなぁ… そう思って。

そんなふうに意地張って、また熱が上がって
夜ご飯をコンビニお弁当に頼っちゃ、意味ないか…。

てへへ… (^^ゞ



2001年11月08日(木) 重い風邪

娘から風邪を贈呈されてしまいました。
喉が痛くて、リンパ腺が腫れて、熱が出て…。
ひさびさに重い風邪をひいちゃいました。
風邪はうつしたら治るっていうけれど、
うつした本人の娘は、まだ咳もとまらなくて辛そうです。

この風邪をひく前日、11月7日に合唱コンクールがありました。
今年は市民会館のホールを借り切っての、本格的な舞台。
普段の子供たちの表情とはまるで別人のような、
緊張した顔が微笑ましかったです。

こういう舞台の緊張を、クラス全員で体感させてあげるのも、
なかなかいいなぁ… と思ってしまいました。
普段は学校の体育館ですしね。

昨年は学年最優秀賞に輝いたけれど、クラス替えで
ベストメンバーたちは、ばらばらに。
ハーモニーではなかなかのバランスだったな〜 と感じたのだけど
結果は…。
4クラス中の3位で。
本人は偉く不満そうでした。

でも歌は結果ではなく、どれだけ心を合わせられたか
それが大切。
みんなで一緒に歌を歌うなんて、3年生までのこと。

クラス紹介の時、「わたしたちの歌は≪ハート≫です!」って
言ってたじゃないの。(会場中、大爆笑でした。)
そう言葉をかけておきました。

風邪をひく前に「芸術の秋」を楽しみました。
(*^_^*)



2001年11月07日(水) 文化祭は「文化発表会」

わたしが中学生の時は、「文化祭」といって、
各クラスでお芝居をやったり、お化け屋敷をやったり…
ステージでは、バンドを組んでる先輩が有志で参加したり、
同級生が「ゆず」のように、フォークギター掻き鳴らして歌ったり…
それは楽しいお祭りでした。

それに楽しいだけじゃなくて、クラスがひとつにまとまって、
何かを作り上げて行く…その喜びをみんなで知ったものでした。

11/6に、娘の学校で「文化発表会」が開かれました。
昨年までは演劇をやるクラスがあったり、有志のバンド演奏なども
あったりして、子供の輝く顔を見られて、親もとても楽しめたのですが…
今年はそういうものが一切削られていました。
毎年2日あった「文化発表会」も、1日だけになっていたし…。

毎年、秋に行われる合唱コンクールを、今年は文化発表会の中に組み込んで
それで2日間にしちゃったみたいなのだけど…。
ウィークデーでは、仕事を休めない親御さんは、見に来ることは
できないなぁ…と思っていたら、案の定、保護者の数は
ぱらぱら…でした。

クラスの参加は、みんな同じ内容の展示だけになっていて、
何だか型にはめられ、窮屈に押し込められたように感じてしまいました。
名前の通り「文化発表会」。

同じ中学に通っていたわたしは、文化祭の思い出が山のように残っています。
懐かしい校舎に一歩入ると、あちこちからその思い出が顔を出します。
秋は夕焼けが綺麗で、友達みんなと窓から暮れてゆく空を眺め感傷に浸ったり…
遅くまで学校に残って劇の練習をしたり、大道具を作る手伝いをしたり…
わたしは吹奏楽部だったので、そちらでも参加することになっていて、
練習の合間にクラスのことをやったり。
大変なこともいっぱいあったけれど、とても楽しかった思い出。
青春の1ページです。

娘は装飾の仕事をしていて、毎日遅かったのだけれど、
その装飾もたった1日ではぎとられ、捨てられる。
キャンプファイアーで飾りつけを燃やして、
過ぎ去る文化祭を友達と一緒になごり惜しむ…
そんな思い出も作れない。
何だか子供たちが、かわいそうに思えました。

大切な多感な思春期…
それはもう2度と戻っては来ない青春の日々…
たくさんの思い出を残させてやりたいのに…。

何だか型で押されたような、情緒のかけらもない、
同じ「顔」の大人ができあがっていく…
それは気のせいなのでしょうか。

「勉強」だけが、教育なのでしょうか。



2001年11月04日(日) 綺麗に歳を重ねて

≪心配しているのです≫では、「口ウルサイあの日のオバチャンに・・・」って
書いたけれど…

わたし、心身共には「オバチャン」になりたくないって思ってます。

子供が生まれると、「ちももちゃんのオバチャン」って言われちゃう。
それが最初は「(-_-;)」だったのだけど、そのうち慣れちゃうのね。
それなら「みんなのことあったかく心配する、あの日のオバチャン」
そうなりたいなって思ったの。

歳はとってゆくけれど、心までは「オバチャン」になりたくないな…
心まで老け込みたくないですものね。
綺麗に歳を重ねたいですよね。

そういえば・・・
この前、街で、大学生の男の子に「ナンパ」されたのだけど…
それと「綺麗に歳を重ねる」っていうのとは
ちょっとばかり意味が違いますね。

あははは(^_^;)



2001年11月02日(金) 心配しているのです。

昔、何処にでもいたよね…。
いろいろウルサイこと言うオバチャン。

向こうの曲がり角の駄菓子屋のオバチャン。
通学路の曲がり角にあるおウチのオバチャン。
友達のおかぁちゃん。

姿を見かけると、
「気をつけて帰るんだよー。」
「こら。そんなことしてちゃいけないよ。」

「もぉ。あのオバチャンうるさいんだからぁ」
って隠れながら通学路と違う道、通ったり。

けれど地域の子供たちのこと、とっても気にかけていてくれて、
とっても心配していてくれた、あったかい心のオバチャン。
最近、そういう「オバチャン」いないよね。

娘と一緒にヴァイオリンのレッスンに通ってるお友達、
最近ちょっと気になっている。
ネットで知り合った男の子に逢いにいっちゃったり、
携帯の使用料金も1万円を軽く越えてる。
レッスンもいろいろ理由をつけて休んじゃう。
危なっかしくてとっても心配。
思春期真っ只中だものね。

それでちょっとキビシイこと、言ってみた。
だけどちゃんとわたしの気持ちも付け加えた。

「貴女をとても心配しているの。
 だからこんなこと言うのよ。」

口ウルサイあの日のオバチャンになってみた…。
わたしの「心」は、あったかく伝わるだろうか…。


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冰月まひな [MAIL] [HOMEPAGE]