女の世紀を旅する
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2007年07月30日(月) 自民、歴史的大敗 民主躍進、初の参院第1党

自民、歴史的大敗 民主躍進、初の参院第1党
                       2007年07月30日02時30分






 安倍政権の信任が問われた第21回参院議員選挙は29日投開票された。自民党は改選の64議席から30議席台に激減し、89年に宇野首相が退陣した過去最低の36議席に匹敵する歴史的大敗となり、非改選を含む与党の議席は過半数を割り込んだ。一方、民主党は改選議席の32から大幅に上積みし、自民党が55年に結党してから参院で保ってきた第1党の座を初めて占めた。


参院選に大敗し、厳しい表情を見せる安倍首相=29日午後11時42分、自民党本部で
     ◇

 30日午前2時20分現在で、当選、あるいは当選確実な候補者と非改選議席を合わせた新勢力は、野党側が134議席、与党側は104議席。

 政党別で当選、あるいは当選が確実なのは、選挙区、比例区を合わせて、自民は改選64議席を大きく下回る37議席。公明も改選12議席のところ8議席にとどまっている。

 一方、民主は改選32議席に対し60議席と躍進。他は共産3、社民2、国民2、日本1などとなっている。

 岡山選挙区では、自民前職の片山虎之助氏が民主新顔の姫井由美子氏に競り負け、落選した。島根選挙区では、国民新顔の亀井亜紀子氏が自民前職を破って初当選した。他の注目選挙区では、沖縄選挙区で野党が推す無所属元職の糸数慶子氏が、自民前職を破り当選した。

 比例区では、自民前職の舛添要一氏、自民新顔の中山恭子氏、民主新顔の横峯良郎氏の当選も確実だ。元長野県知事で日本新顔の田中康夫氏の初当選も確実。

 今回の改選数は選挙区73、比例区48の計121。年金や政治とカネにまつわる問題に関心が集まる中、前回(04年)に比べて57人多い377人が立候補し、支持を訴えてきた。




●民主、政権奪取へ攻勢 年金問題を追い風に
                   2007年07月30日02時46分

 年金問題を争点として際立たせた民主党の戦略の勝利だった。小沢代表は政界引退もにおわせて退路を断ってみせ、安倍首相との「党首力」勝負でも優位に立った。民主党は今後、国会を主舞台に安倍政権を攻め、早期の解散・総選挙に追い込むことをめざす。一方で、政権運営が極めて不安定になることは確実とみて、自民党内の政権に批判的な勢力の動きもにらみながら、総選挙の態勢づくりを急ぐ。政権交代の足がかりを得た民主党も、正念場を迎えることになる。


次々と入る当選確実の報を受け、候補者名に赤い花をつける菅直人代表代行(左)と鳩山由紀夫幹事長=29日午後10時7分、民主党本部で
 「最終的には総選挙で政権が決まる。安倍首相は続投を表明したようだが、国民の声に反する行動を取って、どこまでやっていけるのか」。菅直人代表代行は29日夜、安倍政権を早期の衆院解散・総選挙に追い込み、一気に政権交代を実現したい考えを示した。

 ただ、民主党には、首相が続投するなら政局運営、そして総選挙も優位に戦えるとの読みもある。「あまり喜んではいけないな」。同党幹部は29日深夜、安倍首相続投の報にこう漏らした。別の複数の党幹部も29日夜、「安倍首相は、むしろ辞めない方が戦いやすい。願ったりだ」「安倍首相で総選挙の流れという方が政権交代が近づく」と述べた。党幹部の一人はこう解説する。「安倍政権が続けば反安倍のマグマがたまり、その頂点で総選挙に追い込めば政権奪取の道が開ける」

 小沢代表、菅代表代行、鳩山由紀夫幹事長の3人はトロイカ体制を維持する。小沢代表は29日、党本部に姿を見せず、菅氏は「小沢代表は遊説の疲れで医者から静養した方が良いということで、1日、2日静養するとの連絡を受けた」と語った。

 民主党執行部は国会攻防に向けて参院の体制を近く固める方向で、奪取することが確実な参院議長には江田五月・前党参院議員会長を候補に推し、輿石東参院議員会長は留任する見通しだ。

 秋の臨時国会では「安倍政権は国民の信任を得ていない」として、厳しく対峙(たいじ)する構え。小沢氏は選挙中、「参院で法案を修正できるし、法案を出すこともできる」と強調。この選挙で最大の争点になった年金問題では、年金保険料を年金給付以外に流用することを禁じる法案を参院に提出し、可決させる方針だ。

 ほかに、領収書の添付義務について現行の5万円超から1万円以上に引き下げる政治資金規正法改正案、イラクから自衛隊を撤退させる法案のほか、マニフェスト(政権公約)に掲げた子ども手当創設法案、農業の戸別所得補償制度の創設法案などを独自で提出することを検討している。

 さらに、閣僚の問責決議案を提出することも視野に入れている。首相の問責決議案が通れば、政府・与党は立ち往生することは避けられない。別の党幹部は「法案が滞る。政権運営にとっては最悪の状態で、解散して民意を問わざるを得ない」と、早ければ秋の臨時国会、遅くても来年の通常国会には政権は行き詰まるとの見方を示す。

 ただ、政権交代への道筋が定まったわけではない。

 05年総選挙で惨敗した後、前執行部が進めた衆院小選挙区の公認作業は、昨年4月に小沢代表が就任してから滞っている。衆院300小選挙区のうち、100近い選挙区でまだ公認内定者を決めていない。同党の渡部恒三最高顧問は29日夜、「ヒットは長妻昭議員の『消えた年金』ぐらいで、後はあっちのエラーだ」と述べた。05年総選挙の揺り戻しが今回あったように、敵失待ちだけでは、次の総選挙では民主党に逆風が吹く可能性もある。

 党内には、自民党の一部との連携を模索すべきだという声もある。国政が滞れば自民党内でも首相退陣論が生じ、民主党との協力をめざす動きが出てくるとの期待感からだ。中堅の参院議員は「小沢氏はそれを考えて公認空白区を100近く残している」と解説。菅氏も29日深夜の会見で、こう語った。「今のような与党ではやっていけないと思われるような人が出て来るかもしれない。郵政選挙で党を離れた方が国民新党をつくったりして一緒に選挙を戦っている。いろいろな可能性があるのは当然のことだ」



●元アナウンサーの丸川珠代氏、当選確実 東京選挙区
                   2007年07月30日01時42分

 元テレビ朝日アナウンサーで自民新顔の丸川珠代氏(36)が、東京選挙区で当選確実となった。


当選を決め、支持者にあいさつをする丸川珠代氏=港区で
 丸川氏は30日午前1時20分すぎ、日本テレビの報道番組で、自民前職の保坂三蔵氏と議席を争う展開になったことについて「正直言って、こういう状況になるとは、まったく想定外。(当選したが)まったく喜べない」と語った。

「がく然としながら、開票速報を見ていた。じっと見ていられない状況だった」とも述べた。

 「日本人で良かった」をキャッチフレーズに、福祉や教育の充実を掲げて選挙戦を展開してきた。テレ朝当時の転勤の際に転入届けを出し忘れ、自らの選挙区に選挙権がないまま戦うなどトラブルもあったが、元アナウンサーという知名度を生かした。年金問題などで自民への逆風が吹く中、同じ自民公認の保坂三蔵氏との票の取り合いも話題になったが、激戦を勝ち抜いた。




●首相は続投表明 中川自民党幹事長は辞表を提出
                   2007年07月30日02時59分

 安倍首相は29日夜、「私の国造りはスタートしたばかりで、総理としての責任を果たしていかなければならない」と述べ、続投する考えを示した。一方、民主党は改選議席の32から大幅に上積みし、自民党が55年に結党してから参院で保ってきた第1党の座を初めて占めた。同日夜、民主党幹部は安倍首相の退陣と衆院の早期解散を要求した。同日に朝日新聞社が全国で実施した投票者への出口調査では、全体の56%が安倍首相に「代わってほしい」と答えている。安倍政権は国会運営が極めて厳しくなり、憲法改正を軸とした「戦後レジームからの脱却」を進めることも難しくなる。党内での求心力は弱まり、進退論がくすぶり続けることは必至だ。


質問に答える安倍首相(中央)。左は丹羽雄哉総務会長、右は中川秀直幹事長=29日午後11時2分、自民党本部で 自民党惨敗の厳しい結果にもかかわらず、首相は29日夜のテレビ番組で「反省すべき点は反省していかないといけないが、私の国造りはまだスタートしたばかりだ。改革を進め新しい国をつくっていくために、これからも総理として責任を果たしていかなければいけない」と語り、続投する意向を表明した。公明党の太田代表も首相続投を支持した。

 一方、自民党の中川秀直幹事長は選挙結果を受けて「幹事長の責任であるのは間違いない」として首相に辞表を提出した。青木幹雄参院議員会長も「責任の重さを痛感している」として、辞意を表明した。

 また首相は「早期に(衆院を)解散する考えはない」と述べたうえで、内閣改造・党役員人事について「この結果を受け止め、よく考えていきたい」と語った。

 与党は今後、国会運営という最大の難問を抱えることになった。野党が主導権を握り、法案審議は政府・与党の思うようには進まないからだ。民主党が参院で第1党となり、議長のポストを獲得する見通しだ。

 法案が参院で否決されても衆院で再議決するのは可能だが、異例の手法だ。自民党内には「野党が反対する法案は出さなければよい」(森元首相)との声もあるが、「政権はいずれ行き詰まる」との見方が強い。首相は今後の国会運営について「今回第1党となった民主党とも、参院で協議すべきは協議し、協力しながら国造りを進めなければならない」と語り、民主党の協力を求めていく考えも示した。

 今回の参院選は安倍政権の信任が問われる選挙だった。選挙結果については党内からも「歴史的敗北」(選対幹部)として、「内閣は辞めざるを得ない」(中堅)と厳しい声も出ている。首相が「選挙の顔」としての役割を果たせなかったことから、今後、党内で総選挙をにらんで「ポスト安倍」をめぐる動きが加速する可能性もある。

 一方、大勝した民主党は選挙結果を「首相への不信任」として、安倍政権の正統性を問うとともに首相退陣を要求する構えだ。参院で議長など主要ポストを獲得することで国会運営の主導権確保を狙う。小沢代表は与党への攻勢を強めて衆院解散・総選挙に追い込み、一気に政権交代を実現する戦略を描いている。

 首相も国会運営が行き詰まれば国政が滞る責任は野党にあるとして、国民に信を問うため衆院を解散する選択肢もある。ただ、次の総選挙で圧倒的多数を占める衆院の現有議席を維持できる保証はなく、厳しい政権運営を迫られるのは確実だ。


2007年07月08日(日) 哲学の原点: 人生とは自分探しの旅

哲学の原点: 人生とは自分探しの旅
                               


●森本哲郎 『はるか,自分への旅』(新潮文庫)




♪ 希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また汽車に乗る・・・
だけど、私が大人になった日に 黙って何処かへ 立ち去った あなた 
いつかあなたにまた会うまでは 私の旅は 終わりのない旅 ―― 


昔,「希望という名の,あなたを尋ねて...」という文句で始まる歌(岸洋子「希望」)があったが,人間の一生もとどのつまりはこの歌詞のような世界と同じではないか,と考えるのである。この歌には人間存在の哀愁が光っており,まさしく実存的なのだ。

 哲学は古来より現代まで首尾一貫して「人間は人生をどう生きたらよいのか」という課題を探求し続ける学問である。しかし,よく考えてみると,哲学というものは,素朴で単純な真理を難しい形而上学的な思弁的な言葉で飾っているだけで,本当に大事なのは人それぞれの生きた世界に対する真摯な心であり,自分という存在の本質を推察することではなかろうか,と思うのである。つまるところ,自分探しの旅。その謎に視点をすえれば,哲学ほどおもしろい学問はないといっても過言ではない。それにしても,自分という人間ほど不思議な存在はない。まさに,私の旅は「終わりのない旅」なのである。

 ある時は陽気で朗らかな愛想のよい自分が,またある時はとげとげしい,陰気くさい自分がいる。またある時は気前のいい寛大な自分が,またある時にはケチの固まりのようなストイックな自分がいる。。日々,変化する自分の心模様を察知するため,若い時分から自分の本質を探るべく努めてきたのだが,いまだに,自分の本性がわかっているつもりで,正直よくわからない。自分にとって,一番わかっているつもりの自分が,いまだに謎だらけなのである。でも,それが人間なのかもしれない。かつてアテネの市場で青年に「真・善・美 」を問い続けたソクラテスは「汝,自身を知れ」という有名な言葉を残した。生きる意味を知ろうとするには,まず自分自身を知ることだと彼は考えたのである。

 もっとも身近にありながら,もっとも遠いところにいる自分を探して,人は人生という旅を続けるのかもしれない。そういう「自分探し」に哲学的省察をめぐらしている作家の森本哲郎氏の言葉を以下に紹介しておきたい。哲学探求の本質を「 自分への存在」としている点に彼の実存のユニークさがある。

 ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■

《 この世の中で,いちばん不思議に思えるのは「自分」ではないでしょうか。なぜなら,自分にとって自分が何よりも理解しがたいからである。私はいつのまにか六十年以上の歳月を歩んできてしまいましたが,それでもまだ「自分」の正体がつかめません。もしかすると,私はついに「自分」をつかめないまま生涯を終えるのではないかと,そんな気さえします。

 私は逆説をもてあそぼうというのではありません。自分にとって自分ははっきりわかっている,とだれでもそう思っています。ところが,あらためて自分とは何なのだろうと考えはじめると,手にとるようにわかっているはずの自分が,とたんにするりと自分の中から抜け出てしまう。そこで,あわててつかまえようとすると,「自分」はさらに自分から離れてゆく。こうして,自分はなかなかつかまえられないのです。自分にとって最も身近な「自分」が,自分から最も遠い存在であるとは! これこそが,じつは人間そのものの逆説なのです。

 考えてみますと,「自分」とは影法師のようなものです。あるときは自分のうしろに「自分」が従っています。あるときは自分の前に「自分」が歩いている。そのように,影法師はいつも自分に寄り添いながら,しかし,けっして自分と一体になることはありません。自分で自分をつかまえようとすることは,自分の影法師を踏もうとするようなものです。踏もうとする影法師はさっと逃げてしまい,いくらすきをうかがって抜き打ちに踏もうとしても,絶対に自分の影は踏むことができません。

 人間はすぐれた知能によって,思いのままに世界をつくってきました。自然を征服し,自然を利用し,そしてついに宇宙にまで手を伸ばしはじめました。にもかかわらず,人間が今後どれほど努力を重ねても,けっしてなし得ないことがあります。自分で自分を見るということです。こればっかりは,どんな顕微鏡をつくりだしても,どのような望遠鏡を考えだしても,絶対に不可能です。なぜなら,目は自分を見るようにつくられていないからです。

 カミュは,『シーシュポスの神話』の中で,こういっています。
「いつまでも,私は私自身に対して異邦人なのだ」と。

 それはどういうことなのでしょう。ひとたび「自分」というものを考え始めると,自分にとって「自分 」が,まるで異邦人のように思えてくるということです。どうして? 自分で自分を考えるとき,考えられた自分はすでに考えている自分とは別人になってしまうからです。いま,こうして考えている私は,考えられた「私」とは明らかにちがっています。たとえば,私は眠っている自分を考えることができます。しかし,そのようにして考えられた「眠っている自分」は,じっさいに眠っているときの自分とは,まったく別の自分ではありませんか。

 だから,「自分」とは,自分にとって「異邦人」なのです。カミュは「自分」を「異邦人」として追い求めた作家でした。自分という「城」の中には,つねに「異邦人」が住んでいるのです。

 そう考えると,自分というものは,かならずしも一人だとはいえないことになります。そう,自分とは何人もいるのです。何人も,何人も。

 私自身,自分を考えて,つくづくそう思います。私はいま,六十年にわたる自分のこれまでの人生を振り返って,少年時代の自分,青年期の自分が,まるで別人のように思えてなりません。いや,そんなむかしの自分どころか,ついきのうの自分でさえもが,まるで異邦人のように思われるのです。

 過去と同時に,未来の自分を思い描くとき,やがて死を迎えるであろう自分が,同じようにいまの自分とは別人のような気がします。それだから,人間は確実にやってくる死の恐怖に耐えられるのでしょう。もし,そうでなかったら,人間は過去の重みに押しつぶされ,未来の恐怖に打ちひしがれて,一日たりと生きてゆけないのではないでしょうか。自分が何人もいるからこそ,人間は何人もの「自分」を身代わりにして,自分に耐えることができるのだ,といっていいと思います。


 時間を停止するなどということがありえない以上,自分は刻々と変化しつづけます。時間の中に生きる人間は,つねに,彼ハ昨日ノ彼ナラズという宿命背負って人生という旅を続けねばなりません。そして,時間とともに自分からすり脱けてゆく「異邦人」としての「自分」を追いかけながら生きてゆくのです。この意味で,人生とは「自分への旅」なのです。

 テネシー・ウィリアムズは『やけたトタン屋根の上の猫』という戯曲の序文のなかで,人間はひとり残らず「自分」という独房に監禁されており,だから創作とは「生涯を独房に監禁された囚人が,同じ境遇の囚人に向かって,自己の監房から呼びかける悲鳴だ」といっています。

 デカルト(フランスの合理論哲学者)も,「自分」をさがしに旅に出ました。彼は何とかして納得できる「自分」を見つけたかったです。彼にとっては,何もかも疑わしく思われました。自分が存在しているということさえも。そのために彼は夢中で書物を読みあさったのですが,どんな本を読んでも,いや,読めば読むほど疑いはつのるばかりでした。

 そこで,青年デカルトは文字で書かれた書物のかわりに,「世間という大きな書物」を読もうと旅に出たのです。彼は自分で考え,自分で納得できるもの以外は何ひとつ認めまいと心に決めました。こうして彼の哲学の歩みが始まります。彼は自分にこういいきかせます。

――もし旅人が森の中で迷ったら,どうすべきか。途方に暮れて立ちすくでいては,永久に道は見つからないだろう。さればといって,やたらにあちこちをさまよい歩いても,いよいよ道に迷うばかりだ。迷ったときに必要なことは,とにかく一定の方角に向かってまっすぐに歩くこと以外にない。(『方法序説』)
 こうして,彼は一直線に「自分」へ向かってつき進んでゆきました。そして,「我思う,ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」というあの有名な原点へと達するのです。

 ハイデッカーは,人間を「死への存在」といいました。だれひとりとして死を免れることができないという人間の条件が実存哲学の原点なのです。しかし,私はそれよりも,人間を「自分への存在」と呼びたいような気がします。人間は生きているかぎり自分と向かい合い,自分と格闘しなければならないからです。

 人間はみな「私」として生まれ,「私」として世を去る。そして,そのあいだじゅうを「私」として生き続ける。影法師のように「自分」を引きずり,「自分」を追いかけながら,しかも,だれひとりとして「自分」の正体をこの目で見た者はいない。人間の不思議さはそこにあり,それだからこそ,「自分への旅」である人生は,それぞれの人にとって無限の意味を持ち得るのだと思うのです。》


カルメンチャキ |MAIL

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