女の世紀を旅する
DiaryINDEXpastwill


2004年05月30日(日) 国連平和主義という名の幻想

《 国連平和主義という名の幻想 》
                2004/05/30





今なお,多くの日本人は国連中心の「平和主義」を金科玉条のように語っているが,実のところ,戦後の国連の軌跡を知らないで,そう語っているのである。

伊勢雅臣氏は平和ボケ国家・日本が国連に抱くイメージは幻想にすぎないと指摘している。以下は同氏の「国連平和主義の危険」を説いた文である。国連の実態をもっと直視すれば,内実はとても平和主義どころではない,国家エゴのぶつかり合いの場という真実が透けてくるのである。





● 1.「国連中心主義で世界の平和を守ります」

国連とは恒久的な世界平和を目指す崇高な機関と考えている人がわが国には多い。たとえば1980年に出版した「非武装中立論」の中で日本社会党書記長・石橋政嗣氏は、こう主張した。

「(日本など)各国の安全保障はあげて国連の手にゆだねることがもっとも望ましい。公正な国際紛争処理機関として国連に強力な警察機能を持たせるべきだ。国連は自ら非武装たることを宣言した日本国憲法にとっては、不可分の前提であるべきだ。」

最近でも、民主党は2003年の総選挙で「国連中心主義で世界の平和を守ります」との政権公約を掲げた。

しかし国連とはそれほど頼りになる存在なのだろうか。たとえば、こんな事実がある。

2003年4月10日、国連人権委員会において、欧州連合(EU)が北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を提案した。決議案では、服役囚への拷問や強制労働、言論、結社、女性の基本的自由の侵害に関して、北朝鮮を非難し、同時に日本人拉致事件の全面解決も要求した。

このまっとうな決議案に反対するのは北朝鮮ぐらいなものだというのが、日本人の常識だろう。ところが、たしかに決議案は採択されたものの、賛成したのは委員会加盟の53カ国の半分ほどの28カ国に過ぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど10カ国が反対票を投じた。インド、パキスタン、タイなど14カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さずに欠席と見なされた。中国の代表などは、「北朝鮮がすでに多数の諸国と対話を始めた」とか「決議の採択は朝鮮半島の緊迫を高める」などと、とうとうと反対演説をぶった。



●2.なぜこんなに反対国、棄権国が多かったのか?

産経新聞はこの件をこう論じた。

「そもそも、なぜこんなに反対国、棄権国が多かったのか。外務省は「人権委の大半の国が国内に人権問題を抱えており、他国を非難すると自国に累が及ぶ。また、今回の決議は欧州連合(EU)提出だが、途上国は旧宗主国である欧米の価値観による決議には自動的に『ノー』となる」(幹部)と説明する。中国は天安門事件やチベット問題、ロシアはチェチェン問題を抱えているというわけだ。」

ただ、外務省も手をこまねいてみていたわけではないという。外務省やEUの見立てでは今回の決議の賛否は当初拮抗(きつこう)しており、採決に持ち込むため「国別に細かい作戦を立てた」(外務省幹部)。

具体的な外交努力としてはジュネーブや相手国首都で賛成を働きかけ、「七、八カ国が賛成に回った。普段は反対票を投じる国が棄権に回った」(外交筋)との見方もある。説得の際、ODA見直しに具体的に言及したケースもある
という。

ODAを餌に「賛成を働きかけ」なかったら、「賛否は当初拮抗して」いたので、否決された恐れもあったのである。こうしてようやく成立した非難決議も、通常、会期中に百件前後、提出される決議案の一つに過ぎない。

その後、人権委員会の作業部会では横田めぐみさんの母、早紀江さんが証言したり、曽我ひとみさんの手紙が代読された。それでも本年4月17日に2回目の北朝鮮非難決議が採択された時も賛成29、反対8、棄権16で、賛成が1票増え、反対が2票減ったに過ぎない。北朝鮮の人権問題を調査する特別報告者の任命も初めて盛りこまれたが、北朝鮮は従来からそうした特別報告者の受け入れを拒んでいるので、実現は期待薄である。



●3.人権委員会は人権問題に貢献できるのか?

以上の経過から浮かび上がってくる人権委員会の実像とは:

★中国やロシアなど多くの参加国は、自国内の人権問題に波及しかねない決議には反対する。
★そのためには、北朝鮮国民の悲惨な人権状況にも、日本人拉致という明確な人権侵害にも、非難の声をあげない。
★たとえ非難決議が採択されたとしても、ほとんど実効を持たない。

こんな人権委員会が、はたして拉致問題の解決、いや広くは世界の人権問題の解決にいささかでも貢献できるのだろうか?53カ国もの国々から多くの代表が集まってこの有様では、壮大な費用と時間のムダとしか言えないのではないか?

しかし、これは人権委員会だけの問題ではない。そもそも国連の中心的機関たる安全保障理事会ですら、その実態は同様なのである。



●4.北朝鮮ミサイルへの非難決議案

1998年8月、北朝鮮がテポドン・ミサイルを日本列島越しに発射した。衝撃を受けた日本はすぐに国連安全保障理事会に北朝鮮非難の決議を出そうとした。この時、日本は安保理の非常任理事国を務めていた。

だが中国が強い抵抗を示し、安保理での非難採択はおろか、提出すらもできずに終わった。北朝鮮に対しては安保理議長の報道陣向け声明というほとんど意味のない意思表示となった。


中国自身も、96年の台湾での民主選挙の際にミサイル発射による威嚇を行った前科があり、北朝鮮への非難決議を許すことは自分の首を絞めることになるので賛成するはずもない。中国は安保理の常任理事国である。常任理事国の一カ国でも拒否したら、いかなる決議も成り立たない。したがって、常任理事国が関与する行為に対しては、国連はまったく無力なのだ。



●5.国連は戦争を防いできたか

その最大例は1956年のソ連軍のハンガリー侵攻(ハンガリー動乱)だといえる。

非スターリン化、自由化を進めたハンガリーの国民は親ソ連当局への反乱を起こし、共産圏離脱までを求めた。だが介入してきたソ連の大軍に鎮圧された。この間、ハンガリー国民代表は国連への訴えをつづけたが、国連はソ連の拒否権で動けなかった。

1978年12月にベトナム社会主義共和国の大部隊がカンボジアに侵攻し、共産主義ポル・ポト派の「民主カンボジア」政権を首都プノンペンから撃退し、親ベトナムのヘン・サムリン政権を樹立する。「民主カンプチア」は国連安保理にベトナム軍撤退の提訴をするが、ソ連の拒否権にあう。79年2月、中国がベトナムへの「懲罰」と称して、大軍をベトナム領内に侵攻させる(中越戦争)。このときも国連はなにも行動をとることができなかった。

※(註) ポル・ポトは毛沢東主義者として知られ,文化大革命のマネをして子供たちを使ってカンボジア市民200万以上を虐殺。中国はポル・ポト派を支援していたため,1979年2月,ベトナム軍のカンボジア侵攻を牽制するため,中越戦争をおこした。当時,ソ連はベトナムを支援していた。


こうして見ると、国連は戦後の大規模な戦争にはまったく無力であったことが分かる。唯一の例外は朝鮮戦争で、この時、米軍を主体とする16カ国が「国連軍」を編成して、北朝鮮と戦った。これは中国が台湾に替わって常任理事国になる前であり、またソ連がこの問題に絡んで安保理をボイコットしていた、という偶然の賜(たまもの)であった。

仮に、北朝鮮が中国の秘密の了解を得た上で、日本に対して、ゲリラ戦でも仕掛けてきたら、日本がいくら国連に訴えても、国連安保理は中国の拒否権で何も動きがとれない。そういう仕組みになっているのである。



●6.カモにされ、コケにされ続ける日本

2002年までの4年間、日本政府を代表する国連大使を務めた佐藤行雄氏はこう語る。

「 国連の現場を経験した人間として日本で抱かれている国連のイメージが国連の現実からあまりにかけ離れていることを強調したい。日本で唱えられている国連中心主義というのは一体、なんなのだろうと考えさせられる。」

佐藤氏は「国連の現場」について次のような実体験を紹介している。

「2001年12月、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンに国際治安部隊を送ることについての安保理決議案を突然、みせられた。翌朝に採択されるというその決議案は、治安部隊の経費を国連加盟国が分担する通常予算からではなく、治安部隊に兵力を送らない国からの自発的拠出にする、としていた。当然、日本が最大の対象だった。」

「部隊を出さない国にとくに多額の経費を分担させるという方式は国連でも前例がない。安保理の常任理事国イギリスとフランスの勝手な提案だった。佐藤大使は衝撃を受け、八方に手を打って、なんとか阻止をしたという。

日本があやうくカモにされそうになったという話だが、コケにされたというケースもある。

1999年9月、独立が確実となった東ティモールの指導者グスマン氏を招いての安保理公開討議でも日本代表の演説が決まっていた。だが会議が長引き、肝心のグスマン氏はアナン国連事務総長との昼食のために議場を離れてしまった。その結果、東ティモールの復興に最大の貢献をする日本代表の佐藤国連大使は、空席に向かって演説をする羽目になった。佐藤氏は怒り心頭に発して、議長に抗議したという。


こういう中で十数年も国連に勤務したある日本人職員は、自分の仕事についてこう語った。

「同じ海外にいても日本製の電気製品を日本企業のために売っていた方がいまの仕事より充実感を得られるのではないかと最近、思うようになった。国家、民族あっての個人、日本あっての自分ということを長い国連生活の末に初めて痛感するようになった。当初は国連の理想に共鳴し、真の国際人になろう、日本だけが国ではないと決意したのだが」



●7.国連を舞台にした不正

「国連の現場」での最悪のケースをご紹介しよう。イラクの「石油食料交換プログラム」にまつわる不正である。

イラクは国連決議が求めた大量破壊兵器の破棄を履行しなかったため、国連から石油の輸出禁止などの経済制裁を受けた。石油収入を失ったイラク経済は悪化し、国民の飢餓や病気がひどくなったため、国連はフセイン政権に石油を売った代金を食料や医薬品に用途を限って使わせるという「石油食料交換プログラム」を1996年に始めた。

このプログラムによって、フセイン政権はその崩壊までの7年間で総額640億ドルの代金を得た。そのうちクウェート侵攻での被害者への補償に260億ドル、食料輸入などに245億ドルが使われたが、残りの140億ドル近くの資金がどこかへ消えてしまっていた。

消えた資金はフセイン政権や国連関係者だけでなくフランス、ロシア、中国の関連企業にも流れたことが、米国上院への会計検査院の報告などで明らかにされた。

ルーガー(上院外交委員会)委員長はこうした証言を受ける形で、「この大規模な腐敗はフセイン政権当局者だけでなく国連の関係職員や国連安全保障理事会で同プログラムの設置と運営に関与したロシア、フランス、中国などの不正直、不注意、我欲から生じた」と指摘するとともに、とくに深刻なのはもしフセイン政権が打倒された場合に同プログラムの不正が暴露されるのを恐れたことが中国、フランス、ロシアの各国が米英両国のイラク攻撃に反対した理由の一部になったことだ」と強調した。



●8.国連中心主義の危険

冒頭の石橋氏が主張したような国連中心主義は、国連の実態を無視した空想であるだけでなく、政治思想としても問題がある。大著「歴史の終わり」を著した米国の国際政治・歴史学者フランシス=フクヤマは、国連の開発途上国支援活動などは評価しつつも、その政治的正当性について、こう述べている。

「 アメリカ国民の大多数は保守もリベラルも、人間集団に対し権力、権限を行使できる唯一の存在は民主的手段で選ばれた政府だけだと固く信じている。民主的選挙で生まれた政府に代表される主権国家こそが正当なパワーを有する機関であり、世界秩序も国際パワー政治もそうした主権国家に従属するという考え方だ。国連が主権国家の正当なパワーを奪うという印象があれば、アメリカ人は激しく反発することになる。」

フクヤマが述べたように、民主的選挙に基づく主権国家こそ正当な政治権力を持つ、という民主主義の前提から見れば、国連は民主的選挙という基盤を欠いている事に気がつく。

現に、半世紀以上前の戦争に勝ったという理由で常任理事国になった国が、いまだに自らの気に入らない決議案はことごとく拒否できるという絶対的なパワーを持つことは、およそ非民主主義的である。

前述の佐藤氏も「国連中心主義」の危険をこう指摘する。

「 国連中心主義というのが、日本の国益にかかわる問題についての判断を国連にゆだねるということならば、危険きわまりない。日本には自国の国益のために国連を使用するという視点が欠けている。国連を神聖視したような議論には心から危惧の念を覚える。」

日本は国連の通常予算総額の20%近くを分担している。英仏露中の常任理事国4カ国合計でも14%にしかすぎない。特に1.2%のロシア、1.5%の中国とは10倍以上の開きがある。

国連が各国のエゴがぶつかりあうドロドロした場である、という実態を知らずに、日本国民はこれだけの血税をつぎ込んでいる。国連をもっと国際社会で役に立つ存在にするためにも、我々自身が国連幻想から目覚めて、その実態を見つめる所から始める必要がある。


2004年05月28日(金) 石油高騰の背景にサウジの戦略あり


1バレル42ドル.石油高騰とサウジの戦略

                  2004/05/28




 今回の石油高騰の背景にサウジの石油戦略があると田中宇氏は推察

している。9・11事件以後,アメリカ政府によってテロ支援の濡れ衣

を着せられたサウジの反米ナショナリズムに着眼している点が興味深い。

以下は,田中宇氏の今回の石油高騰の真相に関するコメントである。







●石油高騰の背景

 原油価格が史上最高値を更新した。原油価格はこの1年間で35%上昇し、
1バレル42ドル近くまで上がった。この水準は、過去の高騰時に比べると、
まだそれほどの脅威ではないとされる。現在のドルの価値に置き換えると、
1991年の湾岸戦争時には1バレル60ドルまで上がったし、1970年代の石油危機の時には80ドルにまでなった。とはいえ、今回の原油高は長引きそうで、今後もっと高騰する可能性もある。


 一般に、今回の原油高の理由として挙げられている理由は数点ある。その一つは中東などの産油国をめぐる情勢が悪化していることからくる懸念だ。これは「リスク・プレミアム」と呼ばれているが、最大の産油国であるサウジアラビアをはじめ、ベネズエラ、ナイジェリアの情勢不安定化が、それぞれ1ドルから5ドルの上昇要因になっているとみられている。イラクの石油生産が開戦前の予測をかなり下回っていることも、相場上昇要因になっている。


 5月初めには、サウジアラビア西部の工業都市ヤンブで、エクソン・モービル系列の石油化学工場がテロ攻撃にあい、アメリカ人やイギリス人数人が死亡した。サウジアラビアの石油関連施設を狙ったテロはこれが初めてで、これはサウジの石油生産に対する懸念を強めることになった。もしサウジでイスラム主義勢力によって政権が転覆されるようなことがあれば、原油相場は一気に高騰することになる。


 中国をはじめとする東アジア諸国で石油需要が増えていることも、高騰の一因だ。中国は世界で最も石油の消費が急拡大している国で、2003年の中国の原油輸入量は前年比で31%も伸び、アメリカに次いで世界第2位の石油消費国・輸入国となっている。以前は日本が世界第2位の消費国だったが、中国は2003年に日本を抜き去った。中国は経済成長が激しく、2003年には電力需要も前年より11%も伸びた。

 中国では都市部で電力不足による停電が問題に悩まされるようになり、中国政府は各地で急いで発電所の建設を進めているが、この影響で石油需要が急増している。中国では以前は主に国産の石炭を燃料に使っていたが、石炭は大気汚染の原因となるため石油への切り替えが進んでおり、この点も石油消費増につながっている。


 アジア諸国は石油の輸入先の中東依存度が高いが、イラク戦争によって中東が不安定化したため、中国や韓国、インド、台湾などが不安に駆られて石油の戦略備蓄量を増やしている。そのことも原油の需要増の一因である。


 原油高の一因は、2003年4月に世界の産油国で構成するOPECが、総産油量の4%に当たる日産100万バレルを減産したことにあるが、この減産幅はさほど大きくない。それなのに原油価格が高騰したのは、最大の消費国であるアメリカの石油会社がコスト削減のため、ここ20年ほど原油の備蓄施設を減らし続けており、その分需給バランスの短期的な変化に適応できなくなっていることが理由だった。





●9・11事件でテロ支援の濡れ衣を着せられたサウジの反発

 これらの理由は、マスコミに出ている分析記事にあるものだが、これらのほかに私(田中氏)が原油高の原因と感じているのは、サウジアラビアとアメリカの関係の変化である。サウジアラビア政府は「原油価格がこれ以上高騰するのはサウジにとってもマイナスだ」「他のOPEC諸国を説得して増産を実現しようとしている」と発言しているが、これは欧米からの非難をかわすための口だけの弁明で、実はサウジはもう原油価格を下げるつもりはないのではないか、と私は疑っている。


 2001年の9・11事件以来、サウジアラビアはアメリカ政府からテロの濡れ衣を着せられている。FBIは事件発生の直後、19人のイスラム教徒青年を犯人として発表し、そのうち15人はサウジアラビア人であると発表されたが、実はこれはかなり怪しい話である。15人のサウジ人のうち6人は、名前、顔写真、生年月日が一致する人が、9月11日当日にアメリカ以外の場所におり、テロ事件とは全く関係なく生きていることがFBIの発表から数日以内に判明している。


 ワリド・アルシェリはモロッコ航空に勤務するパイロット、サレム・アルハズミはサウジアラビア・ヤンブ市の石油化学工場の従業員、アハメド・アルナミはサウジアラビア航空の管理部門の社員、サヒード・アルガムディはチュニジア在住のパイロット、アブドルアジズ・アルオマリはリヤドに住むエンジニアだった。ハリド・アルミドハも、詳細は不明だがサウジアラビアに在住する事件とは無関係な人であると報じられた。


 FBIはこれらの6人が人違いであることを認め、それは広く報じられているが、今日に至るまで、FBIは人違いの6人分を削除せず、最初に発表した名簿をそのまま公式の場で「犯人リスト」として使い続けている。リストの15人のサウジ人のうち、残る9人については名前と生年月日、顔写真以上の情報は分かっておらず、マスコミもほとんど報じていない。サウジ人以外の4人については足跡が分かっているのに比べ、サウジ人の「犯人」たちはなぞに包まれている。これは、事件の捜査としてまるで異常である。


 その後も米当局は、サウジアラビアをことさらにテロ支援国家として描きたがる姿勢をとり続けた。2002年7月には、国防総省の親イスラエル派ネオコンの拠点である「国防政策委員会」で「サウド家をアラビアから追い出せ」(Taking SaudiOut of Arabia)と題する報告書が発表された。報告書は「イスラム原理主義のテロ組織に資金援助しているサウジアラビアこそ、テロ組織の中枢であり、アメリカにとって最も危険な敵である。米政府は、サウジにテロ支援を止めるよう最後通牒を突きつけ、サウジが従わない場合、資金源を絶つために、サウジの油田や在米資産を没収するべきだ」と主張していた。


 昨年7月、ホワイトハウスは9・11の発生前後の諜報活動や捜査についてまとめた報告書を議会に提出したが、その中のサウジアラビアに関する28ページ分が機密指定され、公開されなかった。その後の新聞報道によると、機密にされた部分にはサウジ政府の高官が911の実行犯を直接支援していたと書かれていたが、断定的に書いているわりには、その証拠を何も示していなかった。
機密にしたのは、マスコミに断片的な情報だけが流れ、根拠がなくても「サウジ政府がテロに関与していた」という報道だけが一人歩きする状態を作り出そうとしたのだと思われる。




●ナショナリズムとしてのサウジの原油高騰作戦

 サウジアラビアは、世界の産油国の中で唯一、膨大な石油の余剰生産力を持った国である。他の産油国の多くは生産能力いっぱいまで採油・輸出しているのに対し、サウジは大きな余力があるので、生産量を上下することで原油価格を操作できる。サウジは長らく中東きっての親米国だったので、原油価格が上がってくるとアメリカのために増産し、下がりすぎて他の産油国が困ると減産して原油相場を押し上げる、といった価格調整の役割を果たしててきた。サウジ王室は、アメリカや他の産油国から重視され、OPECの盟主としてふるまってきた。

 だが911以降、アメリカではサウジに対する中傷的な非難が続き、ネオコン系の言論人は「サウジと縁を切るべきだ」と主張し続けた。その一方で、サウジ国内では反米気運が高まり、アメリカに追従する王室に対する反発もくすぶるようになった。

 このような中、イラク侵攻後、原油価格が上昇し続けた。サウジ政府は今年2月、OPECを動かし、日産100万バレルを減産するという方向性を打ち出した。原油価格が上昇する中での減産は価格の高騰を招きかねず、アメリカからは減産するなという圧力がかかった。だが、サウジ政府は考えを曲げず、サウジの地元紙には「アメリカは産油国が必要としている減産を無理やりやめさせようとしている」とする反米の記事を掲載した。OPECは4月に減産に踏み切り、相場は史上最高値を更新した。


 国民の反米感情と、アメリカからの非難と圧力の板ばさみになったサウジ王室は、これまでの親米的なスタンスを変更し、アメリカが困っても石油価格を下げない方針に転換したのではないかと思われる(サウジ政府は情報公開をしていないので真相は分からない)。こうすることにより、原油価格の高騰分が政府収入の増加につながり、それを国民の生活を向上させる用途に回すことで、国民の反政府感情をなだめることができる。「サウジ王家は、アメリカの圧力に負けずに原油高を維持し、サウジ国民のために金を稼いだ」と主張することもできる。





●イラクみたいになるよりは・・・

 アメリカによるイラク占領の泥沼化は、中東の人々の自国政権に対する感情に変化を与えている。それまで中東諸国の人々の多くは、自国の政府が民主主義を広めず、腐敗している上に、政府批判者を弾圧するのでうんざりしていた。
イラクがアメリカによって民主主義国になるのなら、自分の国でも政権転覆が起きた方がいいかもしれないと思う傾向が人々の中にあった。アメリカのイラク占領があっさり成功したら、サウジやシリア、イラン、エジプトなどで民主化運動が起こり、政権が転覆していたかもしれなかった。

 ところが、アメリカが数々の失策(または故意)によってイラク占領を泥沼化させたため、近隣諸国の人々は逆に、自国の政権が倒れたら米軍に無茶苦茶にされると思うようになった。たとえばシリアでは「自由の侵害はあるけど、今の政権の方が、イラクみたいになるよりましだ」と考え「反政府」ではなく「体制内改革」を求める声が強まっている。


 シリアと同じ傾向はサウジでもあるのではないかと思われ、そのような傾向の中でサウジ政府が「反米的」な原油価格の高騰を演出している可能性がある。
この見方が正しいとすれば、6月3日に予定されているレバノンのベイルートでのOPEC会議で増産が決まったとしても、石油相場の下落は一時的なものにとどまり、いずれまた上昇に転じると予測される。サウジの石油相は1バレル50ドルぐらいまで上昇する懸念があると述べている。


 逆に、もしサウジの人々が反政府感情をくすぶらせ、広く予測されているようにサウジ王室がいずれ転覆させられるのであれば、その後の混乱によって石油生産が止まるか、もしくは原理主義政権ができて「アメリカとその同盟国には石油を売らない」という宣言が出され、もっとひどい原油価格の高騰につながる。


●数々の故意の失策で,アメリカ経済の未来に暗雲が垂れこめる

 アメリカ政府が9・11の濡れ衣をサウジ王室に着せず、以前のようにサウジを石油価格の調整役として大事にしていれば、こんなことにはならなかった。
アメリカは自ら墓穴を掘っていることになるが、わざわざ9・11の「真犯人」を隠蔽してまでサウジ王室を攻撃したかったことから考えると、これはアメリカの「失策」ではなく「戦略」であると感じられる。


 アメリカはベネズエラのチャベス政権に対して、似たような自作自演的な攻撃を行った経緯がある。ベネズエラはアメリカの石油輸入量の2割前後を生産する国で、アメリカの政治工作によってベネズエラの政権が転覆されて混乱に陥ったら、石油の輸出が急減し、アメリカ自身にとって大打撃となる。


 移民の学者や技術者による研究開発によって発展してきたアメリカが、9・11以降、外国人に対するビザ制限によって人材不足に陥り、IT関係の大企業が研究所をインドなどに移転させているが、これも自滅的な動きである。

 アメリカの1〜3月期の経済成長が予想を上回る4・4%と発表されるなど、目先のアメリカ経済は上向いている感じがあるが、長期的にみると、原油価格の高騰、研究開発力の低下、財政赤字の拡大など、いずれも米政府が故意に行った失策によって経済が悪化しそうな要因がいくつもある。将来はかなり暗いと思わざるを得ない。


2004年05月22日(土) 日朝首脳会談,拉致家族5人帰国

日朝首脳会談.拉致被害者家族5人帰国

                2004/05/22





ニュース速報 asahi.com





●家族5人,今夕帰国で合意。曽我さん家族は帰国せず

 小泉純一郎首相は22日午前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問し、平壌市内の大同江(テ・ドンガン)迎賓館で金正日(キム・ジョンイル)総書記と約1時間半会談した。両首脳は02年9月に交わした日朝平壌宣言に基づき、拉致・核などの諸問題を包括的に解決し、国交正常化をめざすことを再確認した模様だ。首相は、最優先課題として拉致被害者5人の家族8人の帰国・来日を求め、関係筋は「前向きな展開があった」と語った。同行筋によると、首相か同行する山崎正昭官房副長官が8人と面会して直接、意思を確かめる見通し。首相はまた、北朝鮮側が「死亡」などと説明した安否不明者10人に関する情報公開を総書記に強く求めた模様だ。

 会談の冒頭、両首脳は片手で握手した。金総書記は「小泉総理が再訪朝されたことはいいことと思うし、歓迎します。02年9月は拉致という問題が生じたが、総理が国交正常化に対する関心を払われ、その正常化を成功させる意思と抱負を持って改めて訪朝されたことを私たちはうれしく思います。お体はいかがですか」と述べ、拉致問題に言及した。小泉首相は「おかげさまで」と応じた。

 \ 北朝鮮側は姜錫柱(カン・ソクジュ)第1外務次官が同席した。複数の関係筋によると、被害者家族は首脳会談が行われた大同江迎賓館に来ているという。両首脳の会談は02年9月以来、2度目。首相は政府専用機で午前6時48分に羽田空港を出発、同9時14分に平壌郊外の順安(スナン)空港に到着。空港では03年8月の第1回6者協議の北朝鮮首席代表を務めた金永日(キム・ヨンイル)外務次官らが出迎えた。会談は午前11時2分から始まり、午後0時35分終了した。首相は平壌で記者会見し、会談結果を発表する。

 首相は出発に先立って羽田空港で記者団の質問に答え、「主眼は、現在の日本と北朝鮮の敵対関係を友好関係にしていくということ、対立関係を協力関係にする。その大きな契機にしたい」と語った。被害者家族の帰国・来日については「8人のご家族が日本に帰国できるように全力を尽くします。長い間、大変つらい思いをなさってきたご家族のことを思うと本当に悲痛な気持ちで待っておられると思います。そうしたご家族の気持ちを胸に首脳会談に臨みたい」と語った。

 首相は核、拉致、ミサイル問題などの諸懸案を包括的に解決して国交正常化をめざす、とした平壌宣言の原点に立ち返るべきだとの考えを総書記に強調。拉致問題では、8人の帰国・来日とともに、北朝鮮が「死亡した」「入国の事実がない」としている10人の安否について具体的な情報提供を求める。核問題では核開発計画の完全な放棄を求め、6者協議のプロセスを通じて平和的に解決することを促した模様。

 首相か山崎副長官が被害者家族8人と面会する方向となったのは、脱走米兵とされる曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさん(64)が来日に難色を示していると伝えられることから、その意思を直接確かめ、来日を説得することが目的とみられる。

 被害者家族の帰国・来日が決まった場合、首相が搭乗する政府専用機の予備機で22日中に連れ帰ることをめざし、準備をしている。実現すれば、02年10月に被害者5人が帰国して以来の再会となる。

 拉致問題で具体的な進展があれば、両首脳は国交正常化交渉の再開で合意し、首相が食糧25万トンをはじめ人道支援の再開を伝える方針。また、北朝鮮が事態を悪化させない限り、改正外為法などに基づく経済制裁の発動も見合わせる意向を伝える見通しだ。

 02年9月の前回会談では、金総書記が拉致問題を認め謝罪した。同年10月には国交正常化交渉を再開したが、被害者家族の帰国や安否不明10人の再調査を巡り双方の主張が対立。核問題でも、北朝鮮の高濃縮ウラン生産計画が表面化したことに端を発し、北朝鮮が核不拡散条約(NPT)脱退を表明して、国際的に緊張が高まった。

 首相は、膠着(こうちゃく)状態に陥った日朝関係を打開するためには、自らが再度訪朝して総書記と首脳レベルの意見交換を行う必要があると判断、政府・与党内の慎重論を押し切って決断した。

(05/22 13:33)



小泉首相は22日午前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪れ、平壌市内の大同江(テドンガン)迎賓館で金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談した。両首脳は拉致被害者5人の家族8人のうち、曽我ひとみさんの夫で脱走米兵とされるチャールズ・ジェンキンスさん(64)と娘2人を除く5人の帰国で合意した。

 5人は同日夜に政府専用機で首相とともに帰国し、1年7カ月ぶりの家族再会が実現する。ジェンキンスさんら3人の帰国・来日については近く北京など第三国で家族が再会することで合意した。両首脳は、北朝鮮側が「死亡」などと説明した安否不明者10人について再調査することでも合意した。 (05/22 16:07)



●「北京で会ったら」と総書記 来日見送りの曽我さん家族


 帰国が決まったのは、蓮池薫さん・祐木子さんの長女(22)と長男(19)、地村保志さん、富貴恵さんの長女(22)と長男(20)と次男(16)の5人。曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさん(64)と長女・美花さん(20)と次女ブリンダさん(18)親子については、引き続き協議することになった。

 また、横田めぐみさんら、北朝鮮が「死亡」「入国の事実がない」などとしている10人については、北朝鮮側が再調査することになった。

 小泉首相は金総書記との首脳会談で、被害者家族8人全員の帰国・来日を強く求めた。しかし、金総書記はジェンキンスさんらは難しいとして、「それほど言うなら、北京で会ったらどうか」と述べた。

 政府によると、両首脳は日本側が食糧25万トンと1000万ドル相当の医薬品など人道支援を提供することで合意したという。

 ジェンキンスさんは脱走兵として米軍に訴追される可能性があるため、本人が北朝鮮から出ることに難色を示していた。娘2人も父親とともに帰国を見合わせる意向だという。日本政府は米政府に対し、恩赦などの「人道的配慮」を求めてきたが、米政府が来日すれば逃亡罪などで引き渡しを求める姿勢を崩さなかったことが、来日の支障になったとみられる。

 安否不明の10人についても、小泉首相は金総書記に日本側が納得できる形での安否確認を強く求めた。金総書記は「再調査しましょう」と応じたという。北朝鮮が02年に提出した「死亡確認書」やその他の説明には、死亡時期や死因などで不自然な点が多かった。

 帰国する5人は、小泉首相が搭乗する政府専用機の予備機に乗って、22日午後9時ごろ羽田空港に到着する予定だ。出迎えのために上京している蓮池さんら拉致被害者との再会を果たす。首相も帰国後、ただちに蓮池さんらが待つ東京都内のホテルに向かい、5人に会って首脳会談の結果について直接説明する。

 拉致被害者は02年10月15日に帰国して以来、北朝鮮に残した子供や夫ら8人と離ればなれの生活を強いられていた。北朝鮮側が日本政府の対応について「『5人は一時帰国で、北朝鮮に戻す』という約束を日本が破った」と反発し、再会のめどが立たなかった。

 今回、事前の政府間交渉で、家族再会を「人道上の問題」と位置づけることで両国政府が一致。小泉首相が自ら平壌を訪問したことを受けて、北朝鮮側も家族を拉致被害者のもとに返すことに同意した。

(05/22 16:19)





2004年05月06日(木) 芸能人名鑑(女性)7 最終回

最終回






●山咲 千里(やまざき・せんり)
▼本名 杵村千里
▼1962年(昭37)4月24日、京都市生まれ。血液型A
▼慶応義塾大学中退
▼高校2年の79年、NHK連続テレビ小説「鮎のうた」のオーディションで、ヒロインに選ばれる。以後「いのち」「スチュワーデス物語」「誰にも言えない」などテレビドラマで活躍。92年ボンデージをテーマとする写真集「アナザー・スキン」のセクシーショットが評判に。またテレビ朝日のバラエティー「OH!エルくらぶ」で司会も務める。
▼96年アルバム「envy」をリリース。著書に小説「いつかジェラシー」、エッセー「きれいの魔術」などがある。
▼00年1月1日にグラフィックデザイナーの杵村史朗氏と入籍。



●山瀬 まみ(やませ・まみ)
▼本名 中上真巳子
▼1969年(昭44)10月2日、神奈川県平塚市生まれ。血液型O
▼堀越学園高卒
▼85年第10回ホリプロ・タレント・スカウト・キャラバンに応募し優勝。同年「メロンのためいき」で歌手デビュー。以降“バラドル”として「笑っていいとも!」「ためしてガッテン」など多くのバラエティー番組で活躍。TBS「ブロードキャスター」で担当する“お父さんのためのワイドショー講座”が好評。
▼96年舞台「DORA」でミュージカル初挑戦。97年テレビ朝日の「新婚さんいらっしゃい」で司会の桂三枝のパートナーに起用される。私生活では99年俳優の中上雅巳と結婚。



●山田 邦子(やまだ・くにこ)
▼本名 後藤邦子
▼1960年(昭35)年6月13日、東京都荒川区生まれ。血液型B
▼川村学園短大卒
▼短大在学中からテレビの素人コーナーに参加。フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」出演時のモノマネが認められ芸能界入り。シングル「邦子のかわい子ぶりっ子」がヒットし、一躍人気者に。「オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」などで活躍。8年連続でNHKの好きなタレント調査トップ。
▼女優としてもNHK大河「八代将軍吉宗」などに出演。映画「君は僕をスキになる」では主演。「あっかンベーゼ」「結婚式」など小説も発表しマルチに活躍。番組制作会社社長の後藤史郎さんと00年の元日午前0時ジャストに婚姻届を提出、ゴールインした。



●山本 陽子(やまもと・ようこ)
▼本名同じ
▼1942年(昭17)3月17日、東京都中野区生まれ。血液型A
▼国学院高卒
▼60年に高校を卒業して野村証券に勤務。63年、知人が日活ニューフェースに応募書類を送ったところ合格し、芸能界入り。64年高橋英樹主演の映画「拳銃の歌」のヒロインに抜てきされてデビュー。
▼65年以後、テレビ出演が相次ぎ「七人の孫」「白い滑走路」などで好演。特に、姑にいびられ耐える嫁を演じたNHKドラマ「となりの芝生」により、高視聴率女優の地位を確立した。ほかに「京、ふたり」「付き馬屋おえん事件帳」など。
▼80年名鉄ホール「花埋み」で舞台初主演。以来「明治一代女」などで座長を務めて成功。清そな女性から悪女、庶民的な母親まで幅広い役柄をこなす。



●由紀さおり(ゆき・さおり)
▼本名 安田章子
▼1948年(昭23)11月13日、群馬県生まれ。血液型A
▼幼い頃から童謡歌手として活躍。69年「夜明けのスキャット」でデビュー、大ヒットとなる。73年には「恋文」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。女優としても活動し、83年に映画「家族ゲーム」で毎日映画コンクール助演女優賞。NHK「コメディーお江戸でござる」ではレギュラーで活躍。
▼86年、姉・安田祥子とリリースした童謡「あの時、この歌」で日本レコード大賞企画賞を受賞し、童謡ブームの火つけ役となる。各地で精力的にコンサートを行い、NHK紅白歌合戦の常連に。95年にニューヨークのカーネギーホールで公演、ドーヨーを世界へ届け「気持ちいい」と大興奮。



●余 貴美子(よ きみこ)
▼本名同じ
▼1956年(昭31)5月12日、神奈川県横浜市生まれ。血液型B
▼高校卒業後の76年に劇団「自由劇場」入り。すぐに看板女優に上りつめ「もっと泣いてよフラッパー」「エレクトラ」などに主演する。84年に退団し、翌年「東京壱組」を旗揚げする。新劇から商業演劇まで、何でもこなせる女優として活躍する。
▼80年代後半からは「ちょうちん」「噛む女」など映画出演が目立ち始める。話題になったのは93年の石井隆監督「ヌードの夜」で、竹中直人とのラブシーンが高い評価を得た。99年は「学校III」「あ、春」の演技で毎日映画コンクール、ブルーリボン賞と助演女優賞を独占。貴重なバイプレーヤーとして光っている。


●吉田 日出子(よしだ・ひでこ)
▼本名 平松日出子
▼1944年(昭19)年1月7日、石川県金沢市生まれ。血液型AB
▼都立北園高校卒
▼高校時代には演劇部所属、江守徹は同期部員。62年に卒業後、俳優座養成所14期生に。その3年後、文学座研究生となり、翌年「山襞」で初舞台。退団後、劇団自由劇場を旗揚げ。
▼「上海バンスキング」などで舞台女優として活動する一方、数々のテレビドラマにも出演。映画にも積極的に出演し、91年の映画「男はつらいよ・寅次郎の告白」では寅さんの元恋人役を演じた。89年「社葬」は数々の助演女優賞を受賞。子供のような舌足らずの口調で独特の存在感を示している。
▼20歳年下の俳優・高橋克典との熱愛がささやかれ、世間をあっと驚かせたことも。




●吉行 和子(よしゆき・かずこ)
▼本名同じ
▼1935年(昭10)8月9日、東京市麹町区(当時)生まれ。血液型B
▼女子学院高卒
▼母はNHK朝のテレビ小説「あぐり」のモデルになった最高齢美容師・吉行あぐりさん。兄は作家の故吉行淳之介氏。54年、高校卒業と同時に劇団民芸の付属演劇研究所に入所。翌年「ものいわぬ女達」で初舞台を踏む。69年に唐十郎の早稲田小劇場「少女仮面」に客演したのを機にフリーに。
▼「蜜の味」「小間使いの日記」などの舞台と並行し、映画にも積極的に出演。59年「にあんちゃん」で毎日映画コンクール女優助演賞、78年には「愛の亡霊」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。テレビではTBS「3年B組金八先生」での、主人公の同僚教師役が有名。




●吉永小百合(よしなが・さゆり)
▼本名 岡田小百合
▼1945年(昭20)3月13日、東京都渋谷区生まれ。血液型O
▼早稲田大学第二文学部卒
▼児童合唱団に入り、58年ラジオ東京「赤銅鈴之助」でデビュー。翌59年「朝を呼ぶ口笛」で映画初出演。62年「キューポラのある街」に主演、純情で明朗な娘役が大当たりし“サユリスト”と呼ばれるファンが生まれた。以後、日活時代に浜田光夫らと青春映画路線の黄金期を築き、88年には100本目の映画「つる<鶴>」を完成。
▼62年橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒットし日本レコード大賞受賞。01年、実在の芸者を演じた「長崎ぶらぶら節」でブルーリボン賞、日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞。
▼夫は共同テレビ社長の岡田太郎氏。ちなみに早大の卒論は「アイスキュロス“縛られたプロメテウス”とアテナイ民主政についての一考察」。原爆詩の朗読はライフワーク。



●米倉 涼子(よねくら・りょうこ)
▼本名同じ
▼1975年(昭50)8月1日、神奈川県生まれ。血液型B
▼92年第6回全日本国民的美少女コンテストで審査員特別賞を受賞。翌年からキャンペーンガール、CM、ファッション誌「CanCam」専属など、トップモデルとして活躍。00年TBS「恋の神様」で女優デビュー。以降「ラブレボリューション」「プリティガール」などを経て02年「整形美人。」で連ドラ初主演。
▼若い女性のファッションリーダーとして「ベストドレッサー」「ベストジーニスト」などを受賞。03年NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」ではヒロイン・お通役を務める。
▼映画「ダンボール・ハウスガール」「GUN CRAZY」にも主演。



●リサ・ステッグマイヤー
▼1971年(昭46)9月25日、米国インディアナ州生まれ。血液型B
▼上智大学比較文学部卒
▼米国人の父と日本人の母の間に生まれ、親の転勤で13歳の時に来日。以後、日本で教育を受ける。
▼高校時代にモデルを始める。得意の英語を生かし、93年にNHK教育「英会話」にレギュラー出演。以後「笑っていいとも!」「特稿!特ホウ天国」「世界・ふしぎ発見!」などバラエティー番組を中心に活躍する。99年にはTBS「エクスプレス」でキャスターに挑戦。またコーセー化粧品などCMにも出演。
▼著書に「リサ・ステッグマイヤーの心に残る英語」など。03年に米国人の会社員と結婚。



●和久井 映見(わくい・えみ)
▼1970年(昭45)12月8日、神奈川県横浜市生まれ。血液型A
▼高校2年の時にスカウトされ芸能界入り。88年ドラマ「時には母のない子のように」でデビュー。92年からサントリーモルツのCMキャラクターに起用され“うまいんだな、これが”のセリフとコミカルな演技が話題となる。
▼「ピュア」「妹よ」などのドラマを中心に活躍する一方、映画にも出演。91年の「息子」で日本アカデミー賞新人賞・助演女優賞など各映画賞を総ナメに。以後「虹の橋」「バースデイプレゼント」に主演。
▼私生活では95年にドラマ「夏子の酒」で共演した俳優・萩原聖人と結婚。99年10月に長男・琉太(りゅうた)君を出産するも、03年に離婚。



●鷲尾 いさ子(わしお・いさこ)
▼本名 中村いさ子
▼1967年(昭42)4月1日、新潟県新潟市生まれ。血液型AB
▼清心女子高卒
▼82年から雑誌「so-en」の専属モデルを務める。85年にANA沖縄キャンペーンガールに選ばれ、87年にはパリコレでモデルも。
▼女優デビューは86年の映画「野ゆき山ゆき海べゆき」。ヌードも披露する体当たり演技で、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞する。その後「僕が病気になった理由」「わが愛の譜 滝廉太郎物語」などに出演。90年サントリー「鉄骨飲料」CMでお茶の間の知名度もアップ。94年スタートの2時間ドラマ「新・女検事霞夕子」シリーズは現在まで続く人気。95年に俳優の仲村トオルと結婚、98年11月に長女、04年2月に二女を出産。



●和田アキ子(わだ・あきこ)
▼本名 飯塚現子(あきこ)
▼1950年(昭25)4月10日、大阪府大阪市生まれ。血液型O
▼67年に高校を中退。大阪のジャズ喫茶で歌っているところを、ホリプロにスカウトされる。68年に「星空の孤独」でデビュー。男勝りの迫力ある声で翌69年に出した「どしゃぶりの雨の中で」が大ヒット。72年、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞する。
▼70年には「女番長・野良猫ロック」で銀幕にも進出。日本テレビ「うわさのチャンネル」でも人気を呼んだ。面倒見の良さから“芸能界のゴッドねえちゃん”として君臨、慕われている。NHK紅白歌合戦の司会も3度務める。76年にプロモーション会社社長と結婚するも8カ月で破局。81年、カメラマンの飯塚浩司氏と再婚。


●渡辺 えり子(わたなべ・えりこ)
▼本名 土屋えり子
▼1955年(昭30)1月5日、山形県山形市生まれ。血液型O
▼山形西高―舞台芸術学院卒
▼青俳演出部を経て役者に転向。78年に「劇団2○○(にじゅうまる)」を結成。翌年「劇団3○○(さんじゅうまる)」と改名する。主宰、劇作、演出、女優を兼ねて活躍。舞台を中心に活躍していたが、96年の大ヒット映画「Shall we ダンス?」で太めの社交ダンサーを演じ、大好評。日本アカデミー賞助演女優賞を受賞する。
▼95年に12歳年下の劇団員・土屋良太と結婚。98年に劇団解散、01年には企画集団“宇宙堂”を旗揚げ。最近ではテレビ出演が目立つが、99年歌手に挑戦し「風が吹いてきたら」をリリース、コンサートも行った。



●鰐淵 晴子(わにぶち・はるこ)
▼本名同じ
▼1945年(昭20)4月22日、東京都生まれ。
▼大西学園高卒
▼3歳からバイオリンを習い、8歳で全国を演奏旅行して天才少女バイオリニストと騒がれる。55年映画「ノンちゃん雲に乗る」で主人公のノンちゃん役で本格的デビュー。以降「乙女の祈り」「わかれ」などに主演。60年には冬季オリンピックでアルペン3冠王になったオーストリアのトニー・ザイラーを主演にした「銀嶺の王者」でザイラーの相手役に選ばれた。95年「遙かな時代の階段を」「東京デラックス」「眠れる美女」で個性的な役柄を演じ分け、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。
▼68年服部時計店の御曹司・服部敲氏と結婚するが、翌年、離婚し渡米。そこでカメラマンのタッド若松氏と知り合い、72年再婚。86年に離婚。









2004年05月05日(水) 芸能人名鑑(女性)6






●松田 聖子(まつだ・せいこ)
▼本名 神田法子
▼1962年(昭37)3月10日、福岡県久留米市生まれ。血液型A
▼堀越学園高卒
▼80年、「ミス・セブンティーン」九州代表となったのをきっかけに芸能界入り。同年「裸足の季節」で歌手デビュー。続く「青い珊瑚礁」の大ヒットで一躍トップアイドルに。以降、オリコンチャートで24曲連続1位など数々の記録を作る。映画にも出演し、共演した神田正輝と85年結婚、翌年長女を出産。88年ブランド“フローレスセイコ”を発表。90年米国進出のためアルバム「Seiko」を製作。
▼97年、神田と離婚、翌年には歯科医と再婚するが、00年離婚。同年、かつて恋人関係にあった郷ひろみとデュエット曲「True Love」を発表し、話題に。01年、長女・SAYAKAがデビュー、CMで母子共演も果たす。



●松任谷 由実(まつとうや・ゆみ)
▼本名同じ
▼1954年(昭29)1月19日、東京生まれ。血液型O
▼多摩美術大絵画科卒
▼15歳の時に作曲した「愛は突然に」が加橋かつみの歌で発表され、歌謡界入り。72年に荒井由実の本名でシングル「返事はいらない」でデビュー。75年「あの日に帰りたい」でヒットを飛ばし、爆発的人気を得る。76年11月に編曲家の松任谷正隆氏と結婚し改姓。ヒットチャートでのアルバム17作品連続1位という金字塔を打ち立てる。代表曲は「守ってあげたい」「ダンデライオン」など。
▼毎年「紅白歌合戦」への出演が取りざたされたが、94年「紅白に出ることは絶対ありません」と宣言。夏の逗子マリーナ、冬の苗場プリンスコンサートは恒例。



● 松本 伊代(まつもと・いよ)
▼本名 小園伊代
▼1965年(昭40)6月21日、東京都大田区生まれ。血液型B
▼戸板女子短期大学卒
▼中学時代にスカウトされ、81年TBSのバラエティー番組「たのきん全力投球!」で田原俊彦の妹役としてデビュー。同年「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビュー。一躍アイドルの仲間入りを果たす。83年には「アンネの日記」でミュージカルにも挑戦。映画「薄化粧」で、狂気の殺人犯に犯される娘・弘子を熱演し、女優としても注目を浴びる。
▼フジテレビ「オールナイト・フジ」の司会、エッセイストなど、様々な分野で活躍。90年代からはバラエティー番組を中心に活動。
▼93年、タレントのヒロミと結婚。



●真野 あずさ(まの・あずさ)
▼本名 林あづさ
▼1957年(昭32)7月4日、東京都生まれ。血液型A
▼聖心女子大学英文科卒
▼大学在学中から「JALキャンペーンガール」などCMモデルとして脚光を浴びる。卒業後はTBSラジオ局長の秘書を81年まで務め、その後芸能界入り。テレビ「世界のこれがNo.1」のホステス役を経て、TBS「風の鳴る国境」でヒロインを演じ、女優の道へ。85年NHK「心はいつもラムネ色」で好演、和服美人No.1と呼ばれる。同年「食卓のない家」で映画初主演。
▼95年「銭形平次」のお静役で初舞台。このほか、ドラマ「はぐれ刑事純情派」「火曜サスペンス劇場/女弁護士高林鮎子」シリーズなどでも活躍。



●萬田 久子(まんだ・ひさこ)
▼本名同じ
▼1958年(昭33)4月13日、大阪府生まれ。血液型B
▼帝塚山学園短大卒
▼短大2年の78年にミス・ユニバース日本代表に選ばれる。化粧品のCMモデルなどを経て、80年にNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビュー。81年「帰ってきた若大将」で映画初出演。クールな美ぼうとユニークな個性でドラマ出演は多数。
▼87年に米ニューヨークで長男を出産、未婚の母として話題となった。女手ひとつで育ててきたが、内縁の夫でアパレル関連の社長が89年に長男を認知。94年に同社長の離婚が成立したことで、親子3人の同居がスタート。



●水野 真紀(みずの・まき)
▼本名 後藤田由紀
▼1970年(昭45)3月28日、東京都生まれ。血液型A
▼東洋英和女学院短期大学卒
▼87年「第2回東宝シンデレラコンテスト」で審査員特別賞を受賞し芸能界入り。89年映画「冬物語」で主演デビュー。その後ドラマ「凛凛と」「都会の森」「隣人は秘かに笑う」「お見合い放浪記」などのドラマやバラエティーで活躍。92年「きれいなお姉さんは好きですか?」のCMで人気沸騰。
▼料理好きで有名で、レシピ本を出版するほか料理番組の司会も担当。98年10月から3カ月間お菓子作りの勉強のため英国へ留学。01年春、料理の腕に磨きをかけるため都内の調理師学校に入学し、調理師免許を取得した。
▼04年、自民党の後藤田正純衆院議員と結婚。



●水野 美紀(みずの・みき)
▼本名同じ
▼1974年(昭49)6月28日、福岡県福岡市生まれ。血液型B
▼中学1年の時に受けたオーディションがきっかけでスカウトされて芸能界入り。87年化粧品のCMでデビュー。コーセー「ルシェリ」のCMで唐沢寿明に“チューして”と迫る役で注目を浴びる。以後「ビューティフルライフ」「踊る大捜査線」「彼女たちの時代」などに出演。01年フジテレビ「女子アナ。」でドラマ初主演。以後「初体験」「しあわせのシッポ」に相次ぎ主演。
▼99年台湾映画「現実の続き夢の終わり」で初主演。00年、映画「千里眼」に主演。ほか、「大失恋」「踊る大捜査線 THE MOVIE」に出演。また「素敵な身勝手」で歌手デビューも果たす。



●三田 佳子(みた・よしこ)
▼本名 高橋嘉子
▼1941年(昭16)10月8日、大阪府天王寺区出身。血液型O
▼女子美大付属高卒
▼56年劇団ちどりに入団、のち東映入り。60年「殺られてたまるか」で映画デビュー。67年フリーに。映画「Wの悲劇」で多くの女優賞を獲得。テレビでもNHK大河ドラマ「いのち」「花の乱」などに主演。所得番付では俳優・タレント部門で91年から94年まで4年間連続トップ。
▼96年3月手術を受け、1年間の長期療養に入る。同年7月ビデオによる近況報告を行い「子宮がん」だったことを告白。その後も最愛の母の死去、二男の二度にわたる覚せい剤取締法違反で逮捕と波乱が続く。
▼02年「暗くなるまで待って」で2年ぶりの舞台復帰。



●観月 ありさ(みずき・ありさ)
▼本名同じ
▼1976年(昭51)12月5日、東京都生まれ。血液型A
▼4歳の頃からモデルとしてCMに多数出演。中学時代はトップ少女モデルとして雑誌「Olive」「セブンティーン」などで活躍。90年レナウンのCM“口笛を吹く少女”で脚光を浴びる。以降「もう誰も愛さない」「じゃじゃ馬ならし」「ボーイハント」「いつも心に太陽を」などに出演。フジテレビ「ナースのお仕事」シリーズのドジで明るい看護婦・朝倉いずみ役が人気となり、02年には映画化もされた。また映画「超少女REIKO」「7月7日、晴れ」に主演。
▼91年「伝説の少女」で歌手デビュー。以降コンスタントにCDをリリース。エッセー集「リップクリーム」も発売。



●美保 純(みほ・じゅん)
▼本名 曽根ちよ美
▼1961年(昭36)12月1日、静岡市生まれ。血液型A
▼静岡精華学園高中退
▼静岡市のデパート勤務を経て、80年ディスコ・クィーン・コンテストへ出場して優勝。上京して広告代理店でアルバイト中スカウトされ、81年にっかつ「制服処女のいたみ」で主演デビュー。以降「OH!タカラズカ」などに出演。82年「ピンクのカーテン」のヒロイン役が評価され、ブルーリボン新人賞を獲得。以降、“タコ社長”の娘・あけみ役を演じた「男はつらいよ」シリーズのほか、「俺っちのウエディング」「それから」などに出演。
▼「はね駒」「白鳥麗子でございます!」「ただいま満室」などテレビドラマでも活躍。



●南田 洋子(みなみだ・ようこ)
▼本名 加藤洋子
▼1933年(昭8)3月1日、東京都港区三田生まれ。血液型A
▼文化学院卒
▼49年、知人の紹介で初代水谷八重子さん(故人)に弟子入り。51年、大映の第5期ニューフェイスに。翌年、映画「美女と盗賊」でデビュー。当時は本名の「北田」(旧姓)を名乗っていたが、「北は寒そうなので」と南田に改名。
▼53年、映画「十代の性典」が注目され、続編がシリーズ化。55年大映を退社、日活へ移籍。石原慎太郎東京都知事の芥川賞作品「太陽の季節」でヒロイン役を演じ、「太陽族」の流行語を生む。この作品で共演した長門裕之と日活の看板コンビとなり、61年3月結婚。おしどり夫婦として知られる。



●南野 陽子(みなみの・ようこ)
▼本名同じ
▼1967年(昭42)6月23日、兵庫県伊丹市生まれ。血液型B
▼堀越学園高校卒
▼神戸松蔭女子学院高等部1年の時にスカウトされ、東京の堀越学園高に編入。84年日本テレビ「名門私立女子高校」でデビュー。翌85年雑誌のグラビアやCMに登場し、シングル「恥ずかしすぎて」で歌手デビューも果たす。
▼フジ「スケバン刑事II」で2代目ヒロインに抜てきされ、主題歌「さよならのめまい」も大ヒット。87年には劇場版「スケバン刑事」でも主演し“ナンノ”の愛称とともにNo.1アイドルとなった。
▼90年代からは本格女優として活躍。映画「寒椿」「私を抱いてそしてキスして」の好演で各映画賞を受賞。「祇園の姉妹」「細雪」など舞台でも活躍。



●宮崎 美子(みやざき・よしこ)
▼本名同じ
▼1958年(昭33)12月11日、熊本市生まれ。血液型A
▼熊本大学法文学部卒
▼80年に週刊誌の表紙に登場したのがきっかけでミノルタカメラのCMに出演、木陰でTシャツとGパンを脱ぐ健康的な色気が話題を呼び、一躍人気者に。同年TBS「元気です!」で女優デビュー。翌年TBS「2年B組仙八先生」にレギュラー出演。83年「俺っちのウエディング」で映画初出演。85年「乱」では根津甚八扮する次郎の正室・末の方で出演。ほかに映画「雨あがる」や「ウィンザーの陽気な女房たち」など舞台でも活躍。
▼98年「生きもの地球紀行」などでの正しく美しい日本語の語りが評価され、巌谷小波文芸賞を受賞。



●宮沢 りえ(みやざわ・りえ)
▼本名同じ
▼1973年(昭48)4月6日、東京都生まれ。血液型B
▼88年、三井のリハウスCMの白鳥麗子役でブレーク。同年、角川映画「ぼくらの七日間戦争」で銀幕に進出。以後「豪姫」「天守物語」などに出演。90年はカレンダーでふんどし姿を、翌年はヘアヌード写真集「Santa Fe」を発売して世間は騒然。90年、フジのドラマ「いつも誰かに恋してるッ」でのセリフ「ブッ飛び〜」はりえの代名詞に。92年に大関・貴ノ花(当時)と電撃婚約するが、スピード解消。
▼94年の激やせ騒動などもあったが、95年にフジテレビドラマ「北の国から95秘密」で存在感を示す。母親は「りえママ」の愛称で知られる。
▼01年、香港映画「華の愛 遊園驚夢」でモスクワ国際映画祭・最優秀女優賞を受賞。02年は時代劇映画「たそがれ清兵衛」ヒロインを好演し、ブルーリボン賞助演女優賞など主要映画賞8冠を達成。


●宮本 信子(みやもと・のぶこ)
▼本名 池内信子
▼1945年(昭20)3月27日、北海道小樽市生まれ。血液型O
▼愛知淑徳高卒
▼64年劇団青芸に入団。「三日月の影」で初舞台を踏む。以降、劇団青俳の「地の群れ」に出演したのちフリーに。77年渋谷ジャンジャン「人形姉妹」が評判となる。67年伊丹一三氏と共演した「日本春歌考」で映画初出演。69年に伊丹十三氏と結婚し、10年間休養。81年NHK「本日は晴天なり」で本格的に復帰。映画「四季・奈津子」などに出演。
▼84年伊丹氏の初監督「お葬式」に主演し大ヒット。以降「タンポポ」「マルサの女」に連続主演。国税局捜査官・板倉亮子を熱演した「マルサの女」では、その年の映画賞主演女優賞を総ナメにした。



●室井 滋(むろい・しげる)
▼本名同じ
▼1960年(昭35)10月22日、富山県滑川市生まれ。血液型O
▼早稲田大学社会科学部在学中から8ミリ映画作りに傾倒、「自主映画の女王」と呼ばれ7年で中退。
▼86年、映画「風の歌を聴け」で本格的に女優デビュー。94年「居酒屋ゆうれい」で毎日映画コンクール女優助演賞など各映画賞を総ナメに。また、フジテレビ「やっぱり猫が好き」の二女役でお茶の間の人気も獲得。
▼酒豪ぶりが認められ92年日本酒大賞奨励賞受賞。釣り趣味が高じて小型船舶一級免許取得。主演映画「のど自慢」で演じた「赤城麗子」の名で99年1月にCDも発売。「すっぴん魂」「むかつくぜ!」などエッセイストとしても活動。女性ながら「滋」とは「楽しいこともつらいことも人生の滋養に」と父が名づけた。



●桃井 かおり(ももい・かおり)
▼本名同じ
▼1952年(昭27)4月8日、東京都世田谷区生まれ。血液型O
▼女子美術大学付属高校デザイン科卒業
▼3歳からバレエを始め、小学校卒業後に英ロイヤル・バレエに単身留学。文学座養成所に入所し、71年、映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」で本格デビューする。
▼73年「赤い鳥逃げた?」で注目を浴び、77年「幸福の黄色いハンカチ」で多くの助演女優賞を受賞。79年「もう頬づえはつかない」「神様のくれた赤ん坊」で各映画賞の主演女優賞を独占。アンニュイで現代的な雰囲気と奔放な言動が人気を集める。その傍ら、91年にオムニバス映画「ご挨拶」で監督に挑戦したほか、ベストセラーとなった「しあわせづくり」などの著書も発表。



●森 公美子(もり・くみこ)
▼本名同じ
▼1959年(昭34)7月22日、宮城県仙台市生まれ。血液型A
▼昭和音楽短期大学卒、東京芸術大学音楽学部声楽科別科修了
▼短大卒業後、二期会研究生(最年少)としてオペラスタジオに入ると同時に、東京芸術大学声楽科別科で歌を勉強。この間2回イタリア・ミラノに留学。帰国後、81年「修道女アンジェリカ」でオペラデビュー。その後ミュージカル「ナイン」「ラ・マンチャの男」「レ・ミゼラブル」「イカれた主婦」などに出演するほか、ドラマ「貯まる女」「フレーフレー人生!」やバラエティー、CMなどで幅広く活躍。。
▼01年5月に都内に住む会社員と挙式、11月に入籍した。



●森 光子(もり・みつこ)
▼本名 村上美津
▼1920年(大9)5月9日、京都市生まれ。血液型B
▼第一高女中退
▼伯父が俳優の嵐寛寿郎だったことが縁で、小学6年の時に映画「春霞八百八町」に出演。寛寿郎プロに所属し、何本か映画に出る。41年に歌手を目指して上京。戦時中は東海林太郎らと前線を慰問する。
▼女優として開花したのは、劇作家・菊田一夫氏が森のために書き下ろした舞台「放浪記」。作家・林芙美子役はライフワークになり、61年の初演から38年、99年12月17日には上演1500回を記録した。70年代以降はテレビにも進出し、TBS「時間ですよ」で“日本のお母さん”のイメージを定着させる。59年にテレビディレクターと結婚したが、4年後に協議離婚。



●森尾 由美(もりお・ゆみ)
▼本名 河合由美
▼1966年(昭41)6月8日、埼玉県生まれ。血液型A
▼82年、週刊誌「少年マガジン」の表紙を飾り、本格的に芸能活動を開始。八重歯とセーラー服姿で正統派アイドルとして人気に。フジテレビドラマ「ねらわれた学園」で女優デビュー。翌年「お・ね・が・い」で歌手デビュー。
▼85年、映画「それから」に出演後は女優業に本腰を入れる。その一方、日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」のレギュラーをきっかけにバラエティー番組にも積極進出。
▼92年、海外コーディネーターの河合直行さんと極秘入籍して話題に。2児を出産後もママさん女優として活躍。昼ドラ「大好き!五つ子」は人気シリーズ。レシピ本「大好き家族!クッキング」も出版。



●森口 博子(もりぐち・ひろこ)
▼本名 花村博美
▼1968年(昭43)6月13日、福岡県福岡市生まれ。血液型A
▼堀越学園高校卒
▼85年3月、NHK「勝ち抜き歌謡天国」全国名人大会で準優勝。同8月アニメ「機動戦士Zガンダム」の主題歌「水の星へ愛をこめて」でデビュー。しばらくは低迷の時期が続いたが、89年からは工藤静香や松田聖子のものまねで“バラドル”のスターに。「笑っていいとも!」やドラマ「FOR YOU」「さしすせそ!?」「ホテルスペシャル」などに出演。91年には「ETERNAL WIND」でNHK紅白歌合戦に出場。チャリティーコンサート「じゃがいもの会」にも参加。
▼大のダイエーファンで、02年の開幕戦では国歌独唱と始球式を務めた。



●森山 良子(もりやま・りょうこ)
▼本名 相良良子
▼1948年(昭23)1月18日、東京都生まれ。血液型B
▼成城学園高卒
▼高校時代、ジョーン・バエズに触発されて歌い始め、60年代後半の学園フォークの中心的存在として活躍。67年「この広い野原いっぱい」でデビュー。その後「禁じられた恋」がミリオンセラーに。結婚後、活動を休止していたが72年に復帰。中尾ミエとのコンビで人気を呼んだ長寿番組「ミエと良子のおしゃべり泥棒」や、ドラマ「金曜日の妻たちへ」など、司会や女優として活躍。
▼01年、33年前から歌っていた「さとうきび畑」をシングル化。じわじわとヒットしチャートベスト30入り。翌年には日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
▼父はジャズトランペッターの森山久氏、いとこはムッシュかまやつ。



2004年05月04日(火) 芸能人名鑑(女性)5






●羽田 美智子(はだ・みちこ)
▼本名同じ
▼1968年(昭43)9月24日、茨城県水海道市生まれ
▼帝京女子短期大学卒
▼88年日本旅行のキャンペーンガールに選ばれる。モデル、テレビ番組のアシスタントを経て、同年松竹映画「会社物語」に植木等の若妻役で出演し女優デビュー。その後資生堂のCMガールに選ばれ、その同じキャラクターで映画「君は僕をスキになる」にゲスト出演。「ボクが病気になった理由」「就職戦線異状なし」などに出演。94年「RANPO」のヒロイン役に抜擢され、一躍注目を浴びる。
▼また「サラリーマン金太郎」「小市民ケーン」「青い鳥症候群」などのドラマにも出演。




●葉月 里緒奈(はづき・りおな)
▼1975年(昭50)7月11日、東京都生まれ。血液型B
▼小6の時、父親の転勤で渡米。高校2年までシカゴで過ごす。92年、現地でスカウトされ芸能界入りを決意。単身帰国後93年、TBSのドラマ「丘の上の向日葵」でデビュー。その後、CMの女王に。94年、篠田正浩監督の映画「写楽」で花魁役を好演。主演の真田広之と不倫問題で騒がれ「魔性の女」と呼ばれる。98年10月の写真集「RIONA」でヘアヌードを初披露。
▼00年8月に芸能活動休業を宣言。01年10月にホノルル在住の寿司職人と電撃入籍したが、わずか3カ月で離婚。03年には映画「スパイ・ゾルゲ」で女優復帰したほか、芸名を里緒菜から里緒奈に改名。04年、不動産会社勤務の会社員と再婚




●早見 優(はやみ・ゆう)
▼本名 福田一美
▼1966年(昭41)9月2日、静岡県熱海市生まれ。血液型B
▼上智大学外国語学部卒
▼7歳からハワイで育ち、同地でスカウトされ歌手に。82年「急いで!初恋」でデビュー。一躍アイドルとなり「渚のライオン」「夏色のナンシー」「PASSION」などがヒット。84年「零戦燃ゆ」で映画初挑戦。英語が堪能で“元祖バイリンギャル”として海外取材のリポーターや司会、文化放送「百万人の英語」の講師など幅広く活躍。
▼89年ミュージカル「オズの魔法使い」の主役ドロシーを演じ、当たり役に。96年、銀行員の福田富雄さんと結婚。二女の母。




●原田 美枝子(はらだ・みえこ)
▼本名 石橋美枝子
▼1958年(昭33)12月26日、東京都荒川区生まれ。血液型A
▼代々木高卒
▼児童映画「ともだち」のあと、74年「恋は緑の風の中」の主役で正式デビュー。76年「大地の子守唄」「青春の殺人者」の演技で9つの賞を受賞。80年「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」で製作、脚本、主演の3役を務める。一時、映画から遠ざかっていたが、85年「乱」で復帰。98年「愛を乞うひと」では母と娘の2役を好演、国内の主演女優賞を総ナメにした。以後も、「はつ恋」で主人公・田中麗奈の母親役を演じるなどコンスタントに出演。01年、毎日映画コンクールで田中絹代賞を受賞。02年は「折り梅」「OUT」に出演。
▼87年、俳優の石橋凌と結婚。




●原 日出子(はら・ひでこ)
▼本名 渡辺法子
▼1959年(昭34)11月10日、東京都生まれ。血液型O
▼都立久留米西高卒。日本工学院専門学校芸術学科中退
▼専門学校で演劇を学び、途中から劇団四季の研究生に。映画監督の岡崎明氏に見いだされ、79年「夕焼けマイウェイ」で銀幕デビュー。81年、NHK朝の連続テレビ小説「本日も晴天なり」のヒロイン役に抜てき。TBS「おばあちゃんの帰郷」日本テレビ「火曜サスペンス劇場」で次々と主演し、一時は単発ドラマの女王に。
▼高校の同窓生と83年結婚、87年離婚。長女を連れ、ドラマ「追いつめる」で共演した渡辺裕之と94年に再婚。同年、二女を出産。おしどり夫婦として有名で01年には「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。



●樋口 可南子(ひぐち・かなこ)
▼本名 糸井可南子
▼1958年(昭33)12月13日、新潟県加茂市生まれ。血液型B
▼女子美術大学芸術学部中退
▼大学在学中の78年にドラマ「こおろぎの橋」のヒロインでデビュー。80年に「戒厳令の夜」で映画初出演。大胆なヌードシーンもこなすなど体当たり演技が高く評価される。またファッションセンスが女性誌にに取り上げられ、都会派女性のイメージが定着。
▼「陽炎」など話題映画の出演を重ねる一方、テレビ、舞台でも活躍。91年篠山紀信氏が撮り下ろしたヘアヌード写真集「ウォーター・フルーツ」を発表、ワイセツ論議を起こす。93年にコピーライターの糸井重里氏と結婚。
▼02年、「阿弥陀堂だより」で9年ぶりに映画出演。




●左 時枝(ひだり・ときえ)
▼本名 市田多美子
▼1947年(昭22)3月27日、富山県下新川郡生まれ。血液型O
▼東京女子体育大学卒
▼62年左民子の芸名で映画「荷車の歌」に映画初出演。荷車ひき夫婦の長女(実姉・左幸子)の幼女時代に扮して巧みな演技を披露。同年、本名で映画「のこされた子とのこした母と」に幸子と母娘の役で共演。高校3年の64年、再び幸子と母娘役でNHK「ふたたび五月が」ほかに出演した。その後、時枝と改名し映画「かあちゃんと11人の子ども」「二十四の瞳」「億万長者になった男」などに出演。脇役ではあるが堅実に庶民的な役どころを好演した。以降テレビ、舞台でも活躍。
▼73年画家・仁木貴夫氏と結婚するが、92年に離婚。




●ヒロコ・グレース
▼本名同じ
▼1969年(昭44)7月4日、東京都杉並区生まれ。血液型A
▼上智大学外国語学部卒
▼1歳からモデルとして活動を始める。77年清涼飲料水のCMでの美少女ぶりが有名に。82年「ウィーン物語・ジェミニYとS」で、主人公の相手役を務めて映画デビュー。その後モデルと並行して、NHK「山河燃ゆ」TBS「HOTEL」フジテレビ「教師びんびん物語」などに出演。
▼84年「うぬぼれて誘惑」で歌手デビュー。また得意の英語を生かしNHK教育の「英会話」にも出演。ラジオのDJとしても活躍。98年9月、上智大の先輩とハワイで挙式。




●広末 涼子(ひろすえ・りょうこ)
▼本名 岡沢涼子
▼1980年(昭55)7月18日、高知県高知市生まれ。血液型O
▼品川女子学院高等部卒、早稲田大学中退
▼95年クレアラシルのCMに出演。以来、NTTドコモ・ポケットベルのCMやフジテレビ「木曜の怪談・魔法のキモチ」の主演で一気にトップアイドルとなる。97年「20世紀ノスタルジア」で映画初主演。同年「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー。「大スキ!」も大ヒットし、NHK「紅白歌合戦」初出場。この他フジテレビ「ビーチボーイズ」「リップスティック」「できちゃった結婚」TBS「聖者の行進」「オヤジぃ。」などに出演。
▼99年映画「鉄道員(ぽっぽや)」「秘密」に主演し、日刊スポーツ映画大賞新人賞を受賞。02年、日仏合作映画「WASABI」でジャン・レノと共演。
▼03年12月、モデル兼デザイナーの岡沢高宏と入籍。04年4月長男を出産。




●藤 真利子(ふじ・まりこ)
▼本名 藤原真理
▼1955年(昭30)6月18日、東京都生まれ。血液型A
▼聖心女子大学歴史社会学科卒
▼大学在学中の77年、ドラマ「文子とはつ」でデビュー。同年「北村透谷・わが冬の歌」で映画デビュー。85年には映画「薄化粧」で緒形拳を相手に濡れ場を演じ、スリムなボディーを披露。毎日映画コンクール女優助演賞、日本アカデミー賞助演女優賞を獲得した。舞台でも「道成寺」「ロミオとジュリエット」「アマデウス」などに出演。
▼父親は作家の藤原審爾(故人)。自身も微美杏里(びび・あんり)のペンネームで作詞・作曲も手掛け、84年にはシングル「アブダカタブラー 天使と魔法」を発売している。




●藤田 弓子(ふじた・ゆみこ)
▼本名 川崎弓子
▼1945年(昭20)9月12日、東京都目黒区生まれ。血液型A
▼城南高卒
▼小学5年の時、ラジオ東京「赤胴鈴之助」の出演者に応募して合格、3年にわたって出演。高校卒業後、文学座付属演劇研究所に入る。67年に「カンガルー」で初舞台。68年にはNHKの連続テレビ小説「あしたこそ」のヒロインに抜てきされ、注目を集める。銀幕にも進出し「喧嘩屋一代 どでかい奴」「泥の河」など多数出演。
▼85年に映画「さびしんぼう」で、尾美としのりの母親役を好演、キネマ旬報最優秀助演女優賞を受賞。テレビではドラマのほか、NHK「連想ゲーム」で解答者を務める。84年に放送作家の川崎洋氏と結婚。




●藤谷 美和子(ふじたに・みわこ)
▼本名同じ
▼1963年(昭38)3月10日、東京都生まれ。血液型A
▼13歳の時に「カルビーポテトチップス」のCMで芸能界入り。78年日本テレビの学園ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」に出演して人気を集め、80年「刑事珍道中」で映画デビュー。84年NHK連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」でヒロインを務め、92年には五社英雄監督の遺作「女殺油地獄」に出演。翌93年「寝盗られ宗介」で日本アカデミー賞など各映画賞を総ナメ。
▼94年に歌手デビュー作となった大内義昭とのデュエット曲「愛が生まれた日」が160万枚の大ヒット。紅白歌合戦にも出演。近年はバラエティー番組にも出演、天然キャラを発揮し活躍。




●藤山 直美(ふじやま・なおみ)
▼本名 稲垣直子
▼1958年(昭33)12月28日、大阪市生まれ。血液型O
▼喜劇俳優の故・藤山寛美の三女として生まれる。3歳の時にNHK「桂春団治」に父親と一緒に出演しデビュー。その後、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の子役オーディションに合格し、初舞台を踏む。以降「案山子の大将」「心はいつもラムネ色」などに出演。92年NHK「おんなは度胸」でのいびり役で人気を集める。父の死後は松竹新喜劇で座長格として公演を行う。00年映画「顔」に初主演。主人公・吉村正子を好演し、毎日映画コンクールなど各映画賞の主演女優賞を総なめに。
▼01年、16年ぶりに民放のドラマ「私だってキレるわよ!」に出演。




●藤原 紀香(ふじわら・のりか)
▼本名同じ
▼1971年(昭46)6月28日、兵庫県生まれ。血液型A
▼親和女子大学卒
▼92年第24代ミス日本グランプリに選ばれる。93年東レキャンペーンモデル、94年アサヒビールイメージガールとして活躍。95年映画「BAD GUY BEACH」で女優デビュー。98年フジテレビ「ニュースの女」「ラブ ジェネレーション」「WITH LOVE」「ハッピーマニア」などに続けて出演し、大人気となる。その後、フジテレビ「ナオミ」「スタアの恋」TBS「金曜日の恋人たちへ」「昔の男」で主演。
▼02年「2002年日韓国民交流年」の親善大使に任命され、金大中韓国大統領を表敬訪問、サッカーW杯でも応援に大活躍。




●風吹 ジュン(ふぶき・じゅん)
▼本名 川添麗子
▼1952年(昭27)5月12日、富山県高岡市生まれ。血液型B
▼日吉丘高中退
▼71年モデルとしてスカウトされ、ユニチカのCMガールとしてデービッド・ハミルトン撮影によるポスター写真で一躍スターモデルに。74年「愛がはじまる時」でアイドル歌手としてデビュー。77年映画「白熱」でヒッピー風に流浪する女子学生役を好演。「蘇える金狼」では主役の松田優作との濃厚なラブシーンが話題に。91年「無能の人」では売れない漫画家の妻を演じ、日本アカデミー賞助演女優賞ほか多数の賞を受賞。近年は「はみだし刑事情熱系」「ほんまもん」などのドラマで活躍。
▼81年音楽プロデューサーの川添象郎氏と結婚し、1男1女をもうけたが、92年に離婚。




●辺見 えみり(へんみ・えみり)
▼本名 逸見絵実理
▼1976年(昭51)12月16日、東京都生まれ。血液型B
▼辺見マリ、西郷輝彦の愛娘。93年テレビ朝日のドラマ「いちご白書」で女優デビュー。翌94年にシングル「TEARS FOR TOMORROW」で歌手デビューも果たす。同年発売のアルバム「DEBUTANTE」では作詞も手掛ける。
▼母譲りのナイスボディーと安らぎ系の顔立ちが魅力で「アデランス」の白衣姿のCMで人気爆発。98年には自らプロデュース・撮影した写真集「EMIRI GRAPH」を発表したほか、母の新曲CDジャケット写真も手掛けるなど、多才ぶりを発揮。写真集「Big Size」では自ら企画・プロデュースを担当。
▼03年、スポーツ評論家の中西哲生氏との熱愛が発覚。




●星 由里子(ほし・ゆりこ)
▼本名 清水由里子
▼1943年(昭18)12月6日、東京都神田区(現千代田区)鍛冶町生まれ。血液型A
▼精華学園高卒
▼58年東宝宝塚劇場が公募した“シンデレラ娘”に当選、59年「すずかけの散歩道」でデビュー。加山雄三の“若大将シリーズ”の恋人役としてレギュラー出演したほか主演作も多く、東宝の看板女優となった。67年の「千曲川絶唱」の熱演が転機となりお嬢さん女優から脱皮。以後、東映の任侠物にも出演するなど、幅を広げる。近年は「油屋おこん」など舞台での活動が中心に。
▼70年横井邦彦氏と結婚、71年に離婚。75年劇作家の花登筐氏と結婚したが83年に死別。90年に京都の会社役員と再々婚した。




●星野 知子(ほしの・ともこ)
▼本名 星野路子
▼1957年(昭32)10月3日、新潟県長岡市生まれ。血液型O
▼法政大学社会学部卒
▼大学1年時にファッション誌の表紙モデルでデビュー。航空会社のCM出演を経て、79年「もう一つの旅」のリポーターに抜てき。翌80年にNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のヒロインで、女優デビューを飾る。銀幕デビューは82年「幻の湖」。
▼ドラマ「サザエさん」シリーズなどで活躍する一方、知的な雰囲気を買われ「ミュージックフェア」の司会や「ニュースシャトル」のキャスターとしても活躍。自然紀行番組のリポーターにも精力的に挑み、自らの体験をつづった著書「濁流にのって」「トイレの旅」などがある。




●増田 恵子(ますだ・けいこ)
▼本名 桑木啓子
▼1957年(昭32)9月2日、静岡県静岡市生まれ。血液型O
▼常葉学園高卒
▼高校の親友・根本美鶴代(現・未唯)と「スター誕生!」に挑戦。76年3月に決勝大会で合格し、同年、2人で「ピンク・レディー」として「ペッパー警部」でデビュー。歌って踊るスタイルが人気を呼び「ウォンテッド」などメガヒットを連発。日本中に旋風を巻き起こす。78年には「UFO」で日本レコード大賞受賞。
▼81年4月にグループ解散。同年11月に中島みゆき作「すずめ」でソロデビュー。83年には女優業にも進出。大林宣彦監督の映画「ふたり」「あした」などに出演している。02年、音響関係会社社長と入籍。03年にはピンク・レディーを再結成。




●松 たか子(まつ・たかこ)
▼本名 藤間隆子
▼1977年(昭52)6月10日、東京都生まれ。血液型A
▼93年歌舞伎座「人情噺文七元結」で初舞台。続いて「ラ・マンチャの男」アントニア役で父・松本幸四郎と共演、「ハムレット」にも出演。98年蜷川幸雄氏演出「ハムレット」のロンドン公演を成功させる。99年「天涯の花」で初座長を務め、以後「夏ホテル」「セツアンの善人」「嵐が丘」「モーツァルト!」など精力的に舞台で活躍。
▼94年NHK「花の乱」でドラマ初出演。以後、NHK「秀吉」フジ「ロングバケーション」「ラブ ジェネレーション」「HERO」など出演ドラマは軒並み高視聴率を記録。
▼96年NHK「紅白歌合戦」で史上最年少の19歳で司会を務める。97年「明日、春が来たら」で歌手デビュー。同年NHK「紅白歌合戦」に歌手として初出場。98年「四月物語」で映画初主演。




●松坂 慶子(まつざか・けいこ)
▼本名 高内慶子
▼1952年(昭27)7月20日、東京都大田区生まれ。血液型A
▼日大二高卒
▼70年大映入り。72年に松竹に移り、清純派女優として活躍。78年NHK大河ドラマ「草燃える」に出演し注目を集め、TBS「水中花」では毎回網タイツ姿での登場が話題に。自ら歌った主題歌「愛の水中花」が大ヒット。また映画「事件」「蒲田行進曲」「上海バンスキング」などで日本を代表する女優に成長。90年映画「死の棘」では主演女優賞を総なめにした。一方、日清「ラーメン屋さん」「東京電話」のCMではコミカルな演技も見せる。02年は写真集「さくら伝説」を発表、“50歳のヘアヌード”が話題に。
▼91年ミュージシャンの高内春彦氏とNYで挙式。二女の母。




●松嶋 菜々子(まつしま・ななこ)
▼本名 野口奈奈子
▼1973年(昭48)10月13日、神奈川県座間市生まれ。血液型A
▼91年旭化成水着マスコットガールに選ばれる。雑誌「ViVi」のモデルや、日産、松下電工のCM、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげです」などに出演。95年NHK朝ドラ「ひまわり」のヒロインに選ばれ一躍注目される。その後女優に専念。99年のTBS「魔女の条件」では生徒と愛しあう高校教師のヒロインを熱演。玉の輿を目指すスチュワーデスを演じたフジ「やまとなでしこ」は高視聴率を記録。このほか映画「恋と花火と観覧車」「リング」「ホワイトアウト」などに出演。
▼私生活では01年2月に反町隆史と結婚。02年NHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」では主役の前田利家の妻・まつ役を演じ、織田信長役の反町と夫婦共演を果たす。
▼04年6月に第1子出産予定。




2004年05月03日(月) 芸能人名鑑(女性)4






●高岡 早紀(たかおか・さき)
▼本名 保阪佐紀子
▼1972年(昭47)12月3日、神奈川県藤沢市生まれ。血液型A
▼88年マドラスのCMで岡田真澄と共演し鮮烈デビューを飾る。同年「真夜中のサブリナ」で歌手デビュー。「モロトフカクテル」で初舞台。90年映画「バタアシ金魚」でヒロイン・ソノコ役を好演。94年映画「忠臣蔵外伝・四谷怪談」ではお岩の役に大抜てき。体当たりの熱演で、ブルーリボン賞主演女優賞などその年の映画賞を総ナメにした。一方、東幹久と共演したCM「アパガード」の“芸能人は歯が命”が話題に。95年ヌード写真集「one,two,three」を発表。
▼96年、ドラマでの共演がきっかけで俳優の保坂尚輝と結婚、2男の母。花王やサンヨー食品などのCMでおしどり夫婦ぶりを発揮している。


●高木 美保(たかぎ・みほ)
▼本名同じ
▼1962年(昭37)7月29日、東京都葛飾区生まれ。血液型A
▼和洋女子大学中退
▼83年フジテレビ「午後のサスペンス」でイメージガールを務め、翌年、映画「Wの悲劇」で女優デビュー。以降、NHK大河や多数のドラマに出演。88年フジの昼ドラマ「華の嵐」「夏の嵐」の主役に抜てきされ人気を得る。一方、バラエティー番組「平成教育委員会」「メレンゲの気持ち」などでも活躍。
▼98年女優業を休業し、那須高原で有機無農薬野菜の栽培を始め、田舎暮らしのノウハウなどをつづったエッセー「木立のなかに引っ越しました」を発売するなど執筆活動も行うほか、「THE・サンデー」ではコメンテーターを務める。


●高島 礼子(たかしま・れいこ)
▼本名 大崎礼子
▼1964年(昭39)7月25日、横浜市生まれ。血液型B
▼高校卒業後、OL、レースクィーン、モデルを経て88年芸能界入り。モデルとして出演したCMが俳優の松平健の目に留まり、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」で女優デビュー。93年映画「さまよえる脳髄」に代役で抜てきされ、96年「陽炎2」で初主演。97年に出演した日本酒のCMで“大人のいい女”として人気に。その後「極道の妻たち」4代目姐として活躍するほか、ドラマ「恋のバカンス」「傷だらけの女」などに出演。
▼趣味は車で、21歳でA級ライセンスを取得。レース出場の経験もあり、最高成績は富士フレッシュマンレースの21位。俳優の高知東生と1年半の交際の末、98年2月に入籍し米ハワイの教会で挙式した。


●高橋 惠子(たかはし・けいこ)
▼本名同じ
▼1955年(昭30)1月22日、北海道釧路市生まれ。血液型AB
▼大野南中卒
▼70年大映のスチールカメラマンにスカウトされ、中学卒業後大映に入社。同年「高校生ブルース」に主演デビュー。以後「おさな妻」「神田川」「青春の門」日本テレビ「傷だらけの天使」「太陽にほえろ!」TBS「青銅の花びら」に出演、トップスターに。77年芸能界を引退、恋人との失跡事件などで話題になるが、80年復帰。82年映画「TATTOO・刺青あり」で組んだ高橋伴明監督と結婚、“関根恵子”から本名へ芸名を変える。
▼97年、18年ぶりに舞台「近松心中物語」に出演。


●高見 恭子(たかみ・きょうこ)
▼本名 馳恭子
▼1959年(昭34)1月5日、東京都渋谷区生まれ。血液型AB
▼和光大学中退
▼父は作家の高見順。16歳でモデルとしてデビュー。その後、タレントに転身し、テレビ「ウィークエンダー」「トゥナイト」などに出演。明るいキャラクターが受け、一躍お茶の間の人気者に。一方、エッセイストとしても活躍しており、週刊、月刊誌に多数連載を持つ。著書に「私と結婚しなかった男性」「上品講座」「マザーズ・ライフスタイル」などがある。最近は、TBS「ジャスト」フジ「こたえてちょうだい」でレギュラーのコメンテーターを務める。
▼94年にプロレスラーで現在衆院議員の馳浩氏と結婚。1女の母。


●竹下 景子(たけした・けいこ)
▼本名 関口景子
▼1953年(昭28)9月15日、愛知県名古屋市生まれ。血液型A
▼東京女子大学卒
▼NHK「中学生群像」を経て、73年NHK「波の塔」で本格的デビュー。74年「ふりむくな鶴吉」のヒロインで茶の間の人気も高まり、75年東映「日本任侠道・激突篇」で映画デビュー。77年エランドール賞を受賞。78年「結婚してもいいですか」で歌手としてもデビュー。日本テレビの人気タレント調査では1位に。映画「男はつらいよ」ではマドンナ役を3度務める。
▼出演ドラマはフジテレビ「北の国から」TBS「モモ子シリーズ」などが有名。
▼私生活では84年カメラマンの関口照生氏と結婚。


●檀 ふみ(だん・ふみ)
▼本名同じ
▼6月5日、東京都生まれ。血液型A
▼慶応大学経済学部卒
▼父の弟が東映京都撮影所所長だった関係で72年ごろから芸能活動を開始。72年「昭和残侠伝・破れ傘」で銀幕デビュー73年、NHK「連想ゲーム」のレギュラーとなり人気を獲得。78年、NHK「優しい時代」「兄とその妹」の演技で芸術選奨新人賞受賞。エッセイストとしても活躍し、自著「ほろよいかげん」の一部が93〜94年度高校の国語の教科書にも登場。99年、阿川佐和子との往復エッセイ「ああ言えばこう食う」が第15回講談社エッセイ賞を受賞。
▼父は作家の檀一雄さん。一雄さん作の自伝的小説「火宅の人」にも出演し話題に。


●手塚 理美(てづか・さとみ)
▼本名同じ
▼1961年(昭36)6月7日、東京都大田区池上生まれ。血液型AB
▼都立赤坂高校卒業
▼中学1年の時に2代目ユニチカマスコットガールに選ばれ芸能界入り。モデル、CMで活躍、82年NHK朝の連続テレビ小説「ハイカラさん」のヒロインに抜てきされ、一躍注目を浴びる。
▼83年「ふぞろいの林檎たち」が大ヒット。演技面でも高い評価を受け、その後ドラマを中心に順調にキャリアを重ねる。映画は「サード」(78年)を皮切りに「ア・ホーマンス」(86年)などに出演。
▼90年に俳優・真田広之と結婚し2児をもうけるが97年離婚。最近はNHK「ふたりっ子」、初主演映画「オサムの朝」(99年)など母親役での好演が光る。


●十朱 幸代(とあけ・ゆきよ)
▼本名 小倉幸子
▼1942年(昭17)11月23日、東京・日本橋生まれ。血液型O
▼文化学院英語科卒
▼父親は俳優の故十朱久雄さん。父に連れられテレビ局に出入りしていた56年に芸能界入り。58年、NHKドラマ「バス通り裏」に出演。翌年、映画「惜春鳥」で銀幕デビューと同時に松竹入社。63年退社。
▼映画では80年「震える舌」85年「花いちもんめ」でブルーリボン主演女優賞受賞。ほかに「魚影の群れ」「櫂」などに出演。ドラマも82年のテレビ朝日「悪女の招待状」フジテレビ「花祭」などで視聴率No.1女優とも呼ばれた。
▼俳優・小坂一也さん(97年死去)と15年間入籍なき結婚生活を送るが、74年12月に破局。


●遠野 凪子(とおの・なぎこ)
▼本名 青木秋美
▼1979年(昭54)11月22日、東京都生まれ。血液型O
▼子役としてドラマ、CMに出演。92年映画「おこげ」「お引越し」で注目される。94年作曲家の故武満徹氏に指名され音楽映像ファンタジー「Family Tree」に出演。以後「八代将軍吉宗」「未成年」などのドラマに出演。2年間活動を休止していたが、高校卒業後の99年、NHK朝ドラ「すずらん」のヒロインに合格。みずみずしい演技で一躍注目を浴びる。「とうきょう未来派宣言」「あかさたな」などの舞台でも活躍。
▼02年「海は見ていた」の主役に抜てき。客を本気で愛してしまう純情な女郎・お新を演じ、高い評価を受ける。


●常盤 貴子(ときわ・たかこ)
▼本名同じ
▼1972年(昭47)4月30日、神奈川県生まれ。血液型A
▼関東学院女子短期大学卒
▼高校卒業と同時に芸能界入り。短大在学中にドラマ「イブは初恋のように」などに出演し、卒業後に女優活動を本格化。93年に連続ドラマ「悪魔のKISS」で風俗嬢を体当たりで演じ、一躍注目を集める。
▼以後「愛していると言ってくれ」「真昼の月」など多くのドラマに出演。いずれも高視聴率を稼ぎ“連ドラの女王”と呼ばれる。99年に香港映画「もういちど逢いたくて〜星月童話」で映画デビュー。01年はアンディ・ラウと共演した香港映画「ファイターズ・ブルース」が公開。
▼00年ドラマ「ビューティフルライフ」で木村拓哉と共演し初回から30%を越える視聴率を記録。95年にダウンタウン・松本人志との熱愛が発覚。


●戸田 恵子(とだ・けいこ)
▼本名 井上恵子
▼1957年(昭32)9月12日、名古屋市生まれ。血液型O
▼駒沢学園女子高卒
▼NHK放送児童劇団に所属し「中学生日記」などに出演。77年薔薇座に入り、ミュージカル「セレブレーション」で初舞台。以後ミュージカル「アップル・ツリー」「ローマで起った奇妙な出来事」などで好演する。89年薔薇座を退団。のちに岸野幸正と劇団岸野組を結成。演出家としても活躍。映画「ラヂオの時間」やフジテレビ「世界で一番パパが好き」「お水の花道」「ショムニ」などで硬軟こなせる女優として人気に。
▼また声優としては「新ゲゲゲの鬼太郎」「アンパンマン」などの声が有名。
▼私生活では俳優の井上純一と結婚。


●富田 靖子(とみた・やすこ)
▼本名同じ
▼1969年(昭44)2月27日、福岡県生まれ。血液型AB
▼83年、12万7000人の中から映画「アイコ16歳」のヒロインに選ばれデビュー。翌年の映画「ときめき海岸物語」で、日本アカデミー賞新人賞を受賞。以降「さびしんぼう」「BU・SU」などに主演。
▼女優としての転機になったのが、95年の日中合作映画「南京の基督」の主演。中国人娼婦役という難しい役で初ヌードも披露し、東京国際映画祭最優秀女優賞にも輝いた。97年には日本・香港合作の「Kitchen キッチン」にも主演。「南京…」に続く広東語のせりふだったが「もうどこの国の言葉でも怖くない」など頼もしい発言。NHK大河「毛利元就」などテレビでも活躍。


●中嶋 朋子(なかじま・ともこ)
▼本名 西村朋子
▼1971年(昭46)6月5日、東京都生まれ。血液型O
▼75年に劇団ひまわりに入団。翌年に子役デビュー。81年からフジテレビ「北の国から」シリーズに蛍役で出演。天才子役として注目を集めた。80年から5年がかりで成長をとらえた映画「時計−アデュー・リベール」が話題に。88年には舞台「ロミオとジュリエット」のジュリエット役に抜てき。90年の映画「つぐみ」でブルーリボン賞など各助演賞を受賞。ほかにドラマ「あしたがあるから」「ロケットボーイ」に出演。
▼98年に10年間の交際を実らせ、6歳年上のヘアメークアーティストの西村俊範さんと入籍。入籍時には妊娠7カ月で、同年6月に男児を出産。


●中島みゆき(なかじま・みゆき)
▼本名 中島美雪
▼1952年(昭27)2月23日、北海道札幌市生まれ
▼藤女子大国文科卒
▼75年「時代」が、ヤマハポピュラーソングコンテストと世界歌謡祭でグランプリを獲得。同年「アザミ嬢のララバイ」でデビューする。ヒット曲「わかれうた」「悪女」など暗い調子の歌が多かったが、DJではひょうきんな面を披露、落差が話題に。
▼89年から98年まで年1回、東京・渋谷のシアターコクーンで音楽劇「夜会」を開催。歌手としてほとんどテレビに出演することがなかったが、92年に主題歌を提供したフジテレビのドラマ「親愛なる者へ」にゲスト出演しファンを驚かせた。99年秋には2年ぶりに「夜会」も復活。
▼02年、デビュー27年目でNHK紅白歌合戦初出場。03年にはNHK「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」が、オリコンシングルチャートTOP100で148週チャートインの日本記録を達成。


●長野 智子(ながの・ともこ)
▼本名 伊藤智子
▼1962年(昭37)12月24日、米国・ニュージャージー州生まれ。血液型O
▼上智大学外国語学部卒
▼川島なお美、千倉真理と同期でラジオの「ミスDJリクエストパレード」パーソナリティーとなる。85年、アナウンサーとしてフジテレビ入社。「スーパータイム」などを経て「FNNモーニングコール」キャスターに抜てきされる。また「オレたちひょうきん族」の3代目ひょうきんアナとしても活躍。
▼90年、商社マンと結婚しフジを退社、フリーに。99年ニューヨーク大学大学院修士課程修了。00年のテレビ朝日「スクープ21」でキャスター初挑戦。03年4月からのテレビ朝日「報道ステーション」では特別リポーターを務める。



●夏木 マリ(なつき・まり)
▼本名 中島淳子
▼1952年(昭27)5月2日、東京都豊島区生まれ。血液型O
▼豊島岡女子学園高卒
▼テレビ番組のコーラスを歌っているところをスカウトされ芸能界入り。71年歌手として本名でデビューするが売れず、改名して73年「絹の靴下」で再デビュー、大ヒットとなった。80年日劇のミュージックホールに出演し女優へ。以後ミュージカル「ナイン」「アニー」映画「鬼龍院花子の生涯」「里見八犬伝」「ピンポン」舞台「マクベス」「デュオニソス」などに出演。
▼93年に開始した独り舞台「印象派」は6作を数え、海外公演も実施。95年、小西康陽プロデュースで10年ぶりに発表した新曲「九月のマリー」が話題に。その後も「Gorilla」「La Parole」をリリース。


●名取 裕子(なとり・ゆうこ)
▼本名同じ
▼1957年(昭32)8月18日、神奈川県横須賀市生まれ。血液型AB
▼青山学院大学文学部日本文学科卒
▼大学生時代の76年、カネボウのミス・サラダガールを決めるオーディションで次点、芸能界入り。79年TBS「3年B組金八先生」でマドンナ先生役を演じて注目される。
▼84年の初主演映画「序の舞」で濡れ場にも挑み、大きく成長。「彩り河」「櫂」「吉原炎上」「肉体の門」などで出演を重ね、映画女優としての地位を確立。2時間ドラマ「法医学教室の事件ファイル」「早乙女千春の添乗報告書」シリーズも人気。


●西田 ひかる(にしだ・ひかる)
▼1972年(昭47)8月16日、神奈川県生まれ。血液型O
▼上智大比較文化学部卒
▼父親の仕事の関係で、13歳まで米ロサンゼルスで過ごす。88年に東亜国内航空(現日本エアシステム)のキャンペーンガールに選ばれたのがきっかけで芸能界入り。同年、ミュージカル「小公子セディ」でデビューする。「上を向いて歩こう!」「北条時宗」などのドラマや、CMに多数出演し、91年にはNHK「紅白歌合戦」にも出場した。本場仕込みの語学力を生かし、海外スターのインタビュアーとしても活躍。
▼98年長野五輪では世界に平和を訴えるアンバサダーの大役。誕生日プレゼントに「巨人の優勝」をねだるほどのG党。
▼02年5月、「ハリソン・フォード似」という3歳年上の貿易関係の会社員とゴールイン。


●根岸 季衣(ねぎし としえ)
▼本名 大津俊恵
▼1954年(昭29)2月3日、東京都生まれ。血液型A
▼桐朋学園短大演劇科中退
▼大学在学中につかこうへい氏と出会い、75年に同氏演出の舞台「ストリッパー物語」で根岸とし江の芸名でデビュー。当たり役となり続演を重ねた。また「蒲田行進曲」などにも出演し劇団の看板女優に。個性派として舞台で活躍する一方、76年には映画「新女囚さそり・701号」でスクリーン参入。「復讐するは我にあり」(79年)など話題作に出演。
▼80年に「季衣」に改名。81年に作詞家・大津あきら氏と結婚、2児をもうけるが、97年に大津氏ががんで死去。悲しみに耐え女優業再開。


●野川 由美子(のがわ・ゆみこ)
▼本名 山像由美子
▼1944年(昭19)8月30日、京都市生まれ。血液型A
▼府立朱雀高校卒
▼高校在学中の61年、ミス着物コンクールに出場して「準ミス」に選ばれたことからモデルを経て芸能界入り。女優としての本格デビューは63年NET(現テレビ朝日)の「孤独の賭け」で、野心的な少女を好演。翌64年には鈴木清順監督「肉体の門」で主役に抜てきされ、以降日活の「牝猫」シリーズなど年間10本以上の映画に出演。
▼71年、関西テレビディレクターの山像信夫氏と結婚してから映画出演をセーブ。76年から高橋英樹とコンビを組んだ日本テレビ「桃太郎侍」の女軽業師つばめ役は当たり役に。以降「甘辛しゃん」「怒れ!求馬」などに出演。


●野際 陽子(のぎわ・ようこ)
▼本名同じ
▼1936年(昭11)1月24日、富山県生まれ。血液型A
▼立教大文学部卒
▼58年、大学卒業と同時にNHKにアナウンサーとして入局。62年に退社しフリーに。TBS「女性専科」の司会を5年間務めた後、女優に転身。68年TBS「キイハンター」で人気者になる。92年TBS「ずっとあなたが好きだった」での冬彦(佐野史郎)の母親役で、姑役といえば野際というイメージを定着させた。
▼私生活では66年に仏ソルボンヌ大に留学。「キイハンター」での共演が縁で72年に千葉真一と結婚。おしどり夫婦と言われたが、94年突然離婚、周囲を驚かせた。長女の真瀬樹里も女優。




2004年05月02日(日) 芸能人名鑑(女性)3





● 工藤 静香(くどう・しずか)
▼本名同じ
▼1970年(昭45)4月14日、東京都福生市生まれ。血液型B
▼中学2年の時女の子3人組「セブンティーン・クラブ」でデビューするが不発。86年フジ「夕やけニャンニャン」におニャン子クラブの一員として参加。87年に「うしろ髪ひかれ隊」で人気を得る。クラブ解散後はソロとして「FU−JI−TU」「慟哭」などをヒットさせる。88年にNHK紅白歌合戦に初出場。
▼女優としても、フジ「君の瞳をタイホする!」映画「新・極道の妻たち9」などで活躍。趣味の油絵は二科展の常連の腕前。アクセサリーデザインも手掛ける。
▼SMAPの木村拓哉と00年12月に入籍、01年5月1日に2300グラムの女児を出産。「美しい心を持つように」と心美ちゃんと命名。03年2月には二女・光希ちゃんを出産。


● 工藤 夕貴(くどう・ゆうき)
▼本名同じ
▼1971年(昭46)1月17日、東京都八王子市生まれ。血液型B
▼83年にスカウトされ芸能界入り。84年「逆噴射家族」で映画デビュー。カップラーメンのCMで“お湯をかける少女”のコピーとともに人気となる。85年映画「台風クラブ」に主演。ジム・ジャームッシュ監督の目にとまり、89年に米映画「ミステリー・トレイン」に抜てきされる。その後米映画「ピクチャーブライド」に主演。「ヘブンズ・バーニング」ではラッセル・クロウと共演。
▼97年に日本人として初めてハリウッド大手映画会社「ユニバーサル」と主演3作品同時契約。00年、その第1弾でイーサン・ホークと共演した「ヒマラヤ杉に降る雪」が日本公開。私生活では95年にハワイ在住の会社員と結婚したが98年に離婚。実父は歌手・井沢八郎。


● 熊谷 真実(くまがい・まみ)
▼本名同じ
▼1960年(昭35)3月10日、東京都杉並区生まれ。血液型AB
▼日本女子体育短期大学舞踊科中退
▼78年つかこうへい氏演出の「サロメ」のオーディションに応募。つか氏の劇団に入団。79年NHK「マー姉ちゃん」のヒロインに選ばれ、お茶の間の人気を得て、エランドール賞を受賞。同年松竹「俺たちの交響楽」で映画デビュー。以降、映画「思えば遠くへ来たもんだ」舞台「アントニーとクレオパトラ」「細雪」ほかTBS「三男三女婿一匹」フジテレビ「男なんてこんなもの」などに出演。
▼98年初の一人芝居「熊谷突撃商店」で母・清子を演じる。80年につかこうへい氏と結婚するが、82年に離婚。


● 栗原 小巻(くりはら・こまき)
▼本名同じ
▼1945年(昭20)3月14日、東京都世田谷区生まれ。血液型O
▼桐朋学園高卒
▼東京バレエ学校卒業後、63年俳優座養成所入り。64年テレビに初出演。67年NHK「三姉妹」で脚光を浴び、翌年チェーホフ「三人姉妹」の舞台に抜てき。この舞台で人気急上昇、“コマキスト”と呼ばれる熱烈なファンが出現する。以後「オセロー」「アンナ・カレーニナ」などに出演、名実ともに俳優座を背負う女優に成長。また、72年の映画「忍ぶ川」では毎日映画コンクール女優演技賞を受賞。日ソ合作映画「白夜の調べ」に主演のほか、85年「NINAGAWA・マクベス」で英国・エディンバラ芸術祭に参加するなど、国際的にも活躍。
▼女優生活20周年の86年には俳優座劇場で「恋愛論」を初プロデュース。


● 黒木 瞳(くろき・ひとみ)
▼本名 伊知地昭子
▼1960年(昭35)10月5日、福岡県生まれ。血液型A
▼宝塚音楽学校卒
▼高校時代は演劇部に所属。福岡で宝塚の「ベルサイユのばら」公演を見て感激し、宝塚音楽学校に入学。81年4月に同歌劇団に入団。1年目に男役スターだった大地真央の相手役に抜てきされ、後に月組娘役のトップに上りつめる。85年8月に退団し、女優に転向。97年、映画「失楽園」で、役所広司とみせた不倫愛が鮮烈。同作品で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを受賞し、売れっ子女優の地位を確立した。その後「破線のマリス」「すずらん」などに出演。
▼私生活では、91年に大手広告代理店勤務の伊知地俊夫さんと結婚、98年に長女を出産。


● 黒柳 徹子(くろやなぎ・てつこ)
▼本名同じ
▼1933年(昭8)8月9日、東京市赤坂区(当時)生まれ。血液型A
▼東京音楽大声楽科卒
▼父・守綱さんはバイオリニスト、母・朝さんはエッセイスト。大学卒業後にNHK放送劇団に入り、同局専属テレビ女優第1号になる。62年、フリーとなり民放のドラマ出演。76年からはNET(現テレビ朝日)のトーク番組「徹子の部屋」を担当。
▼TBSの歌番組「ザ・ベストテン」の司会でも有名。当時局アナだった久米宏氏とのコンビが人気だった。「マレーネ」「マスタ−・クラス」など舞台でも精力的に活動。作家としても、81年に自叙伝「窓ぎわのトットちゃん」を発表。約700万部の大ベストセラーになった。ユニセフ親善大使としても活躍中。


● 研 ナオコ(けん・なおこ)
▼本名 野口なを子
▼1953年(昭28)7月7日、静岡県伊豆湯ケ島生まれ。血液型A
▼県立三島南高中退
▼高校を1年で中退し単身上京。71年「大都会のやさぐれ女」で歌手デビュー。73年、愛川欽也と共演したミノルタカメラのCM「美人しか撮らない」でブレーク。ドラマ「時間ですよ」「ありがとう」バラエティー「カックラキン大放送!!」などで活躍。本業の歌では「愚図」「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などがヒット。
▼85年に前夫と離婚し、87年にテレビ制作会社勤務の野口典夫さんと再婚。二児をもうける。バラドルの元祖的存在で、人脈の広さはトップクラス。01年、「24時間テレビ」のチャリティーマラソンで85キロを完走。


● 見城 美枝子(けんじょう・みえこ)
▼本名同じ
▼1946年(昭21)1月26日、群馬県館林市生まれ
▼早稲田大学大学院理工学研究科修士終了
▼68年にTBSにアナウンサーとして入社。73年に退社してフリーに。海外取材を含め50ヶ国以上を訪問、司会やリポーターのほか、エッセイスト、ジャーナリストとして多方面で活躍。また、青森大社会学部で教授を務め、メディア文化論、建築社会学などを担当。
▼愛称のケンケンはアナウンサー養成中に名前の「美」を「見」と間違えられて「見見(ケンケン)」と言われたのがきっかけ。「それ行け歌謡曲」で先輩の山本文郎アナがケンケンと口にしたところ、コンビの愛川欽也(キンキン)が「こりゃ、いい!」。以来、お茶の間のファンに浸透。



●古手川 祐子(こてがわ・ゆうこ)
▼本名同じ
▼1959年(昭34)7月16日、大分市生まれ。血液型B
▼鶴崎工高卒
▼76年ミス・サラダガール・コンテストに応募。1位入選し、カネボウのCMに出演。同年東宝芸能へ入社。三浦友和と共演した「星と嵐」で映画デビュー。高校卒業後、上京。同年NHK「おていちゃん」に出演し人気者に。以後、映画「春の鐘」「連合艦隊」「ひめゆりの塔」「細雪」ミュージカル「ロミオとジュリエット」ドラマ「峠の群像」「想い出づくり」「細うで繁盛記」など映画、テレビ、舞台に数多く出演。88〜95年にはフジテレビ「ミュージック・フェア」で司会も務める。
▼86年俳優の田中健と結婚、長女をもうけるが99年離婚。



●小林 綾子(こばやし・あやこ)
▼本名同じ
▼1972年(昭47)8月11日、東京都練馬区生まれ。血液型A
▼立命館大学文学部卒
▼6歳から東映演技研修所児童部に所属し、フジテレビ「ロボット8ちゃん」などの番組で子役として活躍。83年NHK「おしん」でヒロインの子供時代を演じる。逆境に耐えるけなげな演技で人気を得て“おしんブーム”の火つけ役となる。翌年「序の舞」で映画デビュー。92年芸術座「流水橋」で初舞台を踏む。このほか、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」「遠山の金さん」「剣客商売」などに出演。93年オクラホマ大学に留学。95年立命館大を卒業後は女優に専念。
▼99年建築デザイナーと結婚。


●紺野 美沙子(こんの・みさこ)
▼本名 篠田美沙子
▼1960年(昭35)9月8日、東京都生まれ。血液型A
▼慶應義塾大学文学部国文科卒
▼78年ユニチカのマスコットガールに選ばれ、翌79年東宝映画「黄金のパートナー」で女優デビュー。80年NHK朝のテレビ小説「虹を織る」に主演。テレビ朝日「紺野美沙子の科学館」や報道番組などでキャスター、司会としても活躍。
▼92年TBSディレクターの篠田伸二氏と結婚。95年に男児をもうけ、出産・育児をつづった「『怪獣』の育て方」を出版。科学エッセー「空飛ぶホタテ」で第15回日本文芸大賞女流文学賞受賞するなど文才を発揮。98年国連開発計画(UNDP)の親善大使に。


●斉藤 慶子(さいとう・けいこ)
▼本名 木本慶子
▼1961年(昭36)7月14日、宮崎県小林市生まれ。血液型A
▼熊本大学中退
▼大学在学中に篠山紀信氏撮影の「週刊朝日」の表紙に選ばれたのをきっかけに芸能界デビュー。82年JALの沖縄キャンペーンガールに起用され、一躍アイドルタレントに。「もの想いシーズン」で歌手デビュー。83年「いとしのラハイナ」で映画初出演。90年「さわこの恋」で初主演、体当たり演技が話題を呼ぶ。ほかに「ウホッホ探検隊」「東雲楼 女の乱」など。
▼97年実業家の木本裕仁氏と結婚。00年に女児を出産、その体験をつづった著書「産みたい」を出版。


●佐伯 日菜子(さえき・ひなこ)
▼1977年(昭52)2月16日、奈良県生まれ。血液型O
▼94年映画「毎日が夏休み」のヒロインで登校拒否の中学生・スギナ役でデビュー。映画初出演とは思えない落ち着いた演技を見せ、94年度ヨコハマ映画祭などの新人賞を受賞。翌年映画「静かな生活」に出演。障害者の兄をもつ、この上なく誠実な妹・マーちゃん役で主演。その後「らせん」「蛇女」「うずまき」など次々とホラー映画に出演し、“ホラーの女王”と呼ばれる。ほかに「ギプス」「人間の屑」など。
▼テレビは「ガラスの仮面」「天晴れ夜十郎」などに出演。02年、サッカー横浜F・マリノスの奥大介と入籍、長女を出産。


●沢口 靖子(さわぐち・やすこ)
▼本名同じ
▼1965年(昭40)6月11日、大阪府生まれ。血液型A
▼泉陽高卒
▼84年1月「第1回東宝シンデレラ」に応募し、3万1653人の中からグランプリに選ばれる。同年夏、映画「刑事物語3・潮騒の詩」で準主役でデビュー。一方、NHK朝のテレビ小説「澪つくし」に主演。一挙に名前が広まった。
▼正統派美人女優として映画、テレビでキャリアを積む。代表作は「科捜研の女」NHK大河ドラマ「太平記」「秀吉」など。舞台では95年から主役を務める「蔵」を始め「細雪」「仁淀川」など精力的に出演。CMでは顔に似合わぬ?コミカルな演技も見せている。


●篠 ひろ子(しの・ひろこ)
▼本名 西山博子
▼1948年(昭23)3月8日、宮城県仙台市生まれ。血液型O
▼東北学院大法学部中退
▼大学在学中に地元でスカウトされ、東北放送の「ホリデイ・イン・仙台」のアシスタントとしてテレビに出演。作曲家いずみたく氏に見いだされ、68年に上京。新宿コマ劇場の「恋は抜群」の主役を演じると同時に「水色の風」で歌手デビューも果たす。73年にはTBSのホームドラマ「時間ですよ」に出演。小料理店の女将役で、中年のアイドルに。
▼代表作は83年から始まったTBS「金曜日の妻たちへ」シリーズ。日本中に不倫ブームを巻き起こす大ヒットで、トップ女優の仲間入り。92年に作家・伊集院静氏と結婚。


●清水 美砂(しみず・みさ)
▼本名 清水美砂・バークレー
▼1970年(昭45)9月25日、東京都田無市生まれ。血液型A
▼明大中野高卒
▼87年に映画「湘南爆走族」のヒロインオーディションに合格してデビュー。89年NHK朝の連続テレビ小説「青春家族」のヒロインに選ばれて一躍有名に。90年「稲村ジェーン」に主演し人気を不動に。「シコふんじゃった。」「おこげ」で各映画賞を受賞。牧瀬里穂らと4姉妹を演じたグリコポッキーのCMも話題となった。
▼「うなぎ」「赤い橋の下のぬるい水」「海は見ていた」で映画女優としての地位を確立。98年には在日米軍人のチャールズ・A・バークレーさんと2年間の交際を経て結婚。01年ロスで長女。丹那ちゃんを出産。03年春に第2子誕生予定。


●菅井 きん(すがい・きん)
▼本名 佐藤キミ子
▼1926年(大15)2月28日、東京都生まれ
▼頌栄高女卒
▼女学校卒業後、文部省に就職。終戦後、東京芸術劇場研究所に入所。47年「林檎園日記」で初舞台。「三ちゃんと梨枝」などに出演。50年「風にそよぐ葦」で映画デビュー。以降、芸術映画から娯楽映画まで、幅広い作品に重要な脇役で出演。テレビ出演も多数あるが「必殺仕事人」など“必殺”シリーズでの娘婿・中村主水をいびる姑役はハマリ役。また、84年映画「お葬式」での演技が高く評価され、助演女優賞などの映画賞を受賞。その後も「恍惚の人」「夢千代日記」などに出演。
▼91年紫綬褒章受章。


●鈴木 京香(すずき・きょうか)
▼本名同じ
▼1968年(昭43)5月31日、宮城県生まれ。血液型A
▼東北学院大学経済学部商学科卒
▼高校2年のときスカウトされ、3年の時からモデルとして活動。89年カネボウ水着キャンペーンガールに選ばれる。90年TBS系「ホットドッグ」でテレビデビュー。91年4月NHK朝のテレビ小説「君の名は」で真知子役を演じる。以降ドラマ「彼女たちの結婚」「恋人よ」「きらきらひかる」「非婚家族」や映画「ラヂオの時間」「ベル・エポック」「サトラレ」などで活躍。
▼99年公開の映画「39 刑法第三十九条」で共演した俳優・堤真一との交際が注目されていたが、02年、雑誌誌上で破局を告白。


●千堂 あきほ(せんどう・あきほ)
▼本名 先名晃穂
▼1969年(昭44)4月5日、兵庫県尼崎市生まれ。血液型A
▼宝塚北高卒
▼高校では演劇学科。3年の時に「ロッテCMアイドルは君だ!」オーディションで準グランプリに輝き、芸能界入り。90年にシングル「イッツ・ア・メロディー」で歌手デビュー。フジテレビの深夜番組「オールナイト・フジ」で司会。明るい性格で人気が出て、各地の大学際に引っ張りだこ。「学園祭の女王」の称号を得る。
▼日本テレビ「愛さずにいられない」などのドラマとともに、テレビ朝日「クイズ・ヒントでピント」などバラエティーでも活躍。00年、所属事務所社長とマネジャーが逮捕される騒動もあったが、同年12月31日にサイパン在住のダイビングインストラクターと入籍、01年4月にサイパンで船上挙式。


●園 まり(その・まり)
▼本名 薗部毬子
▼1944年(昭19)4月12日、神奈川県生まれ。血液型A
▼東洋音楽学校高等部中退
▼62年に「かじやのルンバ」で歌手デビュー。伊東ゆかり、中尾ミエとともに「スパーク三人娘」などのショー番組で活躍し一世を風靡。64年の映画「続若い季節」にも3人そろって共演し、人気を呼ぶ。
▼スター歌手として「何も言わないで」「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などのヒット曲を連発したが、81年の「さかだち」を最後に芸能活動を一時休止。93年に“匿名”で歌ったハウス食品の飲料水「六甲のおいしい水」のCMソングが話題となり、CD化され12年ぶりに復帰。その後はステージを中心に活動。


2004年05月01日(土) 芸能人名鑑(女性)2



● 奥山 佳恵(おくやま・よしえ)
▼本名 稲葉佳恵
▼1974年(昭49)3月11日、東京都生まれ。血液型O
▼92年映画「喜多郎の十五少女漂流記」のオーディションで、約3万人の中から選ばれた15人の中の1人、主役の千夏役に抜てきされ映画主演デビュー。同年日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。以後フジテレビ「笑っていいとも!」「平成教育委員会」などバラエティー番組のレギュラーなどで活躍。また、TBS「東京エレベーターガール」フジテレビ「悪魔のKiss」「グッドモーニング」「愛の流星」などに出演。95年「フォーティンブラス」で初舞台。
▼01年、ヘアメークアーティストの稲葉功次郎さんと結婚、02年に男児出産。育児のため芸能活動を休止していたがNHK教育「すくすく子育て」司会で復帰




● 加賀 まりこ(かが・まりこ)
▼本名 加賀雅子
▼1943年(昭18)12月11日、東京都生まれ。血液型O
▼明星学園高中退
▼60年フジテレビ「東京タワーは知っている」に初出演。62年「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビュー。同年TBS「四十八歳の抵抗」のヒロインに。自由奔放な言動から“小悪魔”の異名をつけられた。その後も映画「月曜日のユカ」「乾いた花」などに出演。65年四季公演「オンディーヌ」で主役を演じ、好評を博す。71年未婚の母を宣言し、マスコミをにぎわせた。81年映画「泥の河」でキネマ旬報賞受賞。近年はドラマ「私の青空」「利家とまつ」などで活躍する一方、歯に衣着せぬコメントでバラエティーでも人気に。
▼私生活では74年ディレクター高田明侑氏と結婚、80年離婚。




● 賀来 千香子(かく・ちかこ)
▼本名 託摩千香子
▼1961年(昭36)10月17日、大阪府牧方市生まれ。血液型A
▼女子美術短大造形科卒
▼女子大生時代から雑誌「JJ」などでモデルとして活躍。住友銀行、丸善石油のポスターやファッション誌の表紙に登場。
▼82年、TBSドラマ「白き牡丹に」で女優デビュー。以後「少女に何が起こったか」「男女7人夏物語」など同局の話題ドラマに出演。気位の高い女性に見られがちだったが、コミカルなCMにも次々と登場。92年、TBS「ずっとあなたが好きだった」では“冬彦さん”の妻役で話題に。ほかにNHK「八代将軍 吉宗」「オードリー」など。
▼夫は俳優・宅麻伸。




● かたせ 梨乃(かたせ・りの)
▼本名 杉田典子
▼1957年(昭32)5月8日、東京都生まれ。血液型B
▼独協大中退
▼高校時代からモデルとして活動、大学を3年で中退し、本格的にモデルの道へ。日本テレビの人気バラエティー「11PM」のカバーガールに起用され、豊満な肉体で人気が出る。これをきっかけに、テレビ東京の時代劇「大江戸捜査網」のレギュラーになり、女優業にも進出。同ドラマの映画版でスクリーンデビューも果たす。
▼86年の映画「極道の妻たち」で、セクシー系から演技派への路線変更に成功。翌年の同作パート2では、日本アカデミー賞助演女優賞を獲得する。97年にはオリジナル水着ブランドを発表。




● 片平 なぎさ(かたひら・なぎさ)
▼本名同じ
▼1959年(昭34)7月12日、東京都品川区生まれ。血液型O
▼堀越学園高卒
▼74年日本テレビ「スター誕生!」に出演してスカウトされ「純愛」で歌手デビュー、アイドルスターに。翌年「青い山脈」で映画初出演、主人公・寺沢新子を演じる。78年ごろから女優へ転身を図り、TBS「スチュワーデス物語」で強烈な印象を残す。以降、火曜サスペンス劇場小京都シリーズに主演し“2時間ドラマの女王”と呼ばれる。また、バラエティー番組「新婚さんいらっしゃい」で桂三枝のアシスタントも務める。00年オリジナル眼鏡ブランド“Nagie”を発表。
▼「晶子曼陀羅」「ワーニャおじさん」など舞台でも活躍。




● 加藤 登紀子(かとう・ときこ)
▼本名 藤本登紀子
▼1943年(昭18)12月27日、旧満州ハルビン生まれ。血液型O
▼東京大文学部卒
▼現役で東大に入学。在学中の65年に日本アマチュア・シャンソン・コンクールで優勝し、翌年プロ歌手としてデビューする。66年の「赤い風船」がヒットし、同年の日本レコード大賞新人賞。71年には「知床旅情」で同歌唱賞に輝いた。「灰色の瞳」「百万本のバラ」などヒット曲多数。
▼女優としては、主題歌も担当した83年の「居酒屋兆治」で高倉健と共演。米カーネギーホールなど世界各国でコンサートも行う。00年、国連環境計画親善大使に就任。72年、元反帝全学連委員長の藤本敏夫氏と獄中結婚。3女をもうけたが02年死別。




● 加藤 紀子(かとう・のりこ)
▼本名同じ
▼1973年(昭48)1月30日、三重県鈴鹿市生まれ。血液型B
▼代々木高卒
▼91年テレビ朝日「桜っ子クラブ」桜組のメンバーとしてデビュー。翌年、森高千里のカバー曲「今度私どこか連れていって下さいよ」で歌手デビューを果たす。以降「電車のひと」「冷たくして下さい」などをリリース。また女優として日本テレビ「ガラスの靴」TBS「独身生活」テレビ朝日「最高の恋人」などに出演。ほかフジ「笑っていいとも!」日テレ「THE 夜もヒッパレ」「マジカル頭脳パワー」などのバラエティー番組でも活躍。
▼97年初のエッセイ「ほんわかで行こう!」を刊行。00年春からフランスに語学留学していたが、02年4月、フジ「ハローランド」で復帰。




● 菅野 美穂(かんの・みほ)
▼本名同じ
▼1977年(昭52)8月22日、埼玉県生まれ。血液型AB
▼桜っ子クラブ出身。93年テレビ朝日「ツインズ教師」でドラマデビュー。95年NHKテレビ小説「走らんか!」でヒロインを演じた。その他に「イグアナの娘」「いいひと。」「愛をください」「2001年のおとこ運」など多くのドラマに出演。
▼97年8月ヘアヌード写真集「NUDITY」を出版。その後は、文字通り一皮むけたのかドラマや映画に大活躍。映画「催眠」では多重人格者の難役を熱演したほか、「落下する夕方」「守ってあげたい!」などに出演。02年は北野武監督「Dolls(ドールズ)」の主役に抜てきされ、実力派ぶりを見せた。




● 樹木 希林(きき・きりん)
▼本名 内田啓子
▼1943年(昭18)1月15日、東京都神田生まれ。血液型A
▼千代田女学園高校卒
▼61年、文学座付属演劇研究所の1期生となり、同期生の岸田森と64年結婚、68年離婚。当時、芸名は「悠木千帆」だったが、テレビ番組で「売るものがないから」とオークションにかけてしまい改名。70年代、演出家・久世光彦氏による「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」「ムー一族」などのテレビドラマで脚光。郷ひろみとデュエットした「お化けのロック」「林檎殺人事件」も大ヒット。
▼父は薩摩琵琶奏者。現夫の歌手内田裕也とは73年再婚。その愛娘・也哉子さんも俳優・本木雅弘と95年結婚、芸能一家に。




● 菊川 怜(きくかわ・れい)
▼本名同じ
▼1978年(昭53)2月28日、埼玉県生まれ。血液型AB
▼東京大学工学部卒
▼98年約2000人の中から「オスカーグラビアグランプリ」に選ばれデビュー。同年「東レ水着キャンペーンガール」にも選ばれる。99年フジテレビ「危険な関係」に看護婦役でドラマデビュー。ファッション誌の専属モデルも務め、写真集「REI’S DAYS」なども発売。
▼00年からドラマ「編集王」「白い影」「マリア」「私の青空2002」などに立て続けに出演。01年にはハリウッド映画「DOUBLE DECEPTION」で主演デビュー。ほかに「GUN CRAZY 裏切りの挽歌」にも主演。03年はTBS「刑事★イチロー」で連ドラ初主演を務める。
▼テレビの司会やラジオのパーソナリティーも担当するほか、日本テレビ「バンキシャ」でキャスターにも挑戦しマルチタレントとしての地位を確立。契約CMは21本にのぼり“新CM女王”に君臨。03年にはCDデビューも予定されている。




● 岸田 今日子(きしだ・きょうこ)
▼本名同じ
▼1930年(昭5)4月29日、東京都杉並区生まれ。血液型A
▼自由学園高校卒
▼父は文学座の創立者の1人である劇作家の岸田国士。立教高等女学校時に長野県に疎開し、46年に東京へ帰って自由学園に入学。舞台美術に興味を抱き、卒業と同時に文学座付属演劇研究所入り。50年に初舞台。60年三島由紀夫演出の「サロメ」で主役に抜てきされて以降、多くの大役、難役をこなす。映画では62年「破戒」などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、64年「砂の女」でブルーリボン助演女優賞を受賞。
▼75年に演劇集団「円」を創立。アニメ「ムーミン」の声優をはじめ、朗読家としても人気。54年に父も認めた仲だった同じ文学座の仲谷昇と結婚したが、78年に離婚。多才で「子供にしてあげたお話 してあげなかったお話」など著書は多い。




● 岸本 加世子(きしもと・かよこ)
▼本名同じ
▼1960年(昭35)12月29日、静岡県島田市生まれ。血液型B
▼明治大学付属中野高校中退
▼76年テレビの公開放送を見に行った時にスカウトされ、翌77年5月にTBS「ムー」のお手伝いさん役でデビュー。その後「ムー一族」などに出演し、79年久世光彦氏の映画監督第1作「夢一族/ザ・らいばる」で映画デビュー。
▼80年フジフイルムのCMで樹木希林との漫才タッチのかけ合いが話題に。演技力の評価も高く、初舞台の芸術座「雪まろげ」でゴールデンアロー賞演劇部門新人賞を受賞。
▼「水の音」「ハチの顛末」などの小説も執筆。近年は「HANA−BI」「菊次郎の夏」など北野武監督の映画にも多く出演。




● 城戸 真亜子(きど・まあこ)
▼本名 吉田真亜子
▼1961年(昭36)8月28日、名古屋市生まれ。血液型A
▼武蔵野美術大学油絵学科卒
▼81年カネボウ・キャンペーンガールに選ばれて一躍人気を集め、映画「アモーレの鐘」で主演しデビューを飾る。以降、映画「青春の門・自立篇」「オルゴール」などに出演。女優以外にもテレビ番組の司会やリポーター、クイズ番組の解答者、さらに作詞やエッセーなどの文筆活動と多方面で才能を発揮。
▼81年女流画家協会展へ出品して入選。以降、個展を開催するほか、東京湾横断道路「海ほたる」内の壁画の制作も手がける。
▼90年所属事務所社長・吉田裕史氏と結婚。




● 木の実 ナナ(きのみ・なな)
▼本名 池田鞠子
▼1946年(昭21)9月11日、東京都生まれ。血液型B
▼城西高中退
▼61年プロダクション主催の新人コンテストで1位になって芸能界入り。翌年「東京キカンボ娘」で歌手デビューしたもののヒット曲に恵まれず、69年本場のショー・ビジネスを学ぶためアメリカへ渡る。72年、劇団四季のミュージカル「アプローズ」で注目を集め、本格的なミュージカルスターに。74年に始まった細川俊之との二人芝居「ショーガール」は高い評価を受け14年間続いた。
▼以降は「阿国」「ロス・タラントス」などの舞台のほか、ドラマ「オレゴンから愛」「たけしくん、ハイ!」「あぶない刑事」でも活躍。




● 木村 佳乃(きむら・よしの)
▼本名同じ
▼1976年(昭51)4月10日、英ロンドン生まれ。血液型A
▼父親の仕事の都合で、中学の2年間を米ニューヨークで生活。高校時代は全日本高校馬術選手権女子ジュニアで4位入賞。高2の時にアルバイトで雑誌のモデルになり、JALのCMに出演。96年にNHKドラマ新銀河「元気をあげる」で、いきなり主演デビュー。TBSドラマ「協奏曲」では木村拓哉の恋人役。このほかフジ「パーフェクト・ラブ」「ラブ コンプレックス」NHK大河「北条時宗」など。
▼気分転換は旅。これまでエジプト、ベトナム、タイなどに出掛けている。チェンマイでは象に乗ったが、歩くスピードが意外に早くて「落ちそうになった」というエピソードも。
▼00年「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」で初舞台。 03年は「ミー&マイガール」でミュージカル初挑戦。




● 桐島 かれん(きりしま・かれん)
▼本名 上田かれん
▼1964年(昭39)8月20日、神奈川県生まれ。血液型A
▼上智大学国際学部中退
▼86年資生堂・春のキャンペーンガールに選ばれ、モデル活動を開始。89年には14年ぶりに再結成されたロックグループ“サディスティック・ミカ・バンド”のボーカルとして歌手デビュー。90年にはソロデビューも果たし、アルバム「ディスコ桐島」などを発表。また、TBS「愛し方がわからない」に主演。映画「妖怪天国・ゴーストヒーロー」「鉄拳」「鏡花狂恋」日本テレビ「西遊記」「白く長い廊下」などに出演。
▼91年荒木経惟とのコラボレーション写真集「恋愛」が話題に。93年写真家の上田義彦氏と結婚。3児の母。




● 桐島ノエル(きりしま・のえる)
▼本名同じ
▼1965年(昭40)12月25日、神奈川県横浜市生まれ。血液型O
▼横浜サンモールインターナショナル卒
▼作家・桐島洋子さんの二女として生まれ、12歳までアメリカと日本で過ごす。86年米国ミルズカレッジ留学。90年帰国し、不動産会社で通訳、翻訳に従事していたが、92年から「OH!エルくらぶ」のメーン司会としてテレビにデビュー。97年結婚し、カナダ・バンクーバーへ移住。長女出産後は、雑誌「ひよこクラブ」に育児日記を連載するほか、子育て情報番組「すくすくネットワーク」などに出演。
▼「もっと素敵なキスのために」「猫のおまじない」などの翻訳を手掛ける。姉・桐島かれんと共同で絵本製作にも取り組む。




● 久我 美子(くが・よしこ)
▼本名 小野田美子(はるこ)
▼1931年(昭6)1月21日、東京都生まれ。血液型A
▼46年東宝入り。翌年、映画「四つの恋の物語」の主役に抜てき。池部良扮する高校生に淡い恋心を抱く女学生役でデビュー。48年映画「また逢う日まで」に主演、岡田英次とのガラス越しのラブシーンが話題となる。54年岸恵子、有馬稲子と3人で文芸プロダクション「にんじんくらぶ」を設立。「夕やけ雲」「太陽とバラ」「女囚と共に」の3作で56年度ブルーリボン女優助演賞を受賞。
▼94年映画「119」ではヒロイン鈴木京香の伯母役を好演し、毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。
▼62年俳優の故平田昭彦さんと結婚。



● 草笛 光子 (くさぶえ・みつこ)
▼本名 栗田光子
▼1933年(昭8)10月22日、横浜市生まれ。血液型B
▼49年、高校を中退して松竹少女歌劇学校に入学。翌年、5期生として松竹歌劇団入り。52年、深草笙子、淡路恵子とのスリー・パールズ結成。小学生から習ったバレエの才能を伸ばしてプリマドンナとしても活躍。
▼53年「赤い恋の花」で歌手デビュー。翌年、松竹歌劇団を退団し、女優としてメロドラマや喜劇に進出。58年、日本テレビ「光子の窓」で進行役を担当。バラエティー番組の先駆けとなり、60年まで138回放送。近年は「葵 徳川三代」「利家とまつ」などのNHK大河ドラマや数多くの舞台で活躍。
▼60年、作曲家の芥川也寸志氏(故人)と結婚。62年、離婚。妹も女優の富田恵子。


● 楠田 枝里子(くすだ・えりこ)
▼本名同じ
▼1952年(昭27)1月12日、三重県伊勢市生まれ。血液型A
▼東京理科大学理学部卒
▼74年日本テレビアナウンサー部に入社。「ズームイン朝」の司会などを担当。81年フリーに。以後、フジテレビ「なるほど!ザ・ワールド」日テレ「世界まる見え!テレビ特捜部」の司会で人気に。一方、絵本の創作、翻訳、科学エッセーの執筆で大活躍。ベストセラーとなった「ロマンチック・サイエンス」「不思議の国のエリコ」ほか、絵本「ネコネコ大サーカス」などがある。
▼95年南米ペルーの“ナスカの地上絵”研究の第一人者マリア・ライヘ女史の活動を助けるため“マリア・ライヘ基金”を設立。




カルメンチャキ |MAIL

My追加