たぁちゃん日記。
さな



 お誕生日ベア+移植7

お迎えに行ったら寝てました。
抱き上げても起きなくて
風もあって寒いのに外に出ても寝てました。


洗濯物はきょうもいっぱい…。
昨日もいっぱいだったんだよっ。
私2〜3日に1回しか洗濯しない人なのに。


連絡帳に
「歌を歌ってトントンしてあげたら
寝てしまいました。
保育園では初めてのことです」
と書いてあった。

最近また寝る時に歌ってあげるようになったのでそのせいかな?

でも寝る時の歌なんて良くわかんない。
ねんねんころり〜とか歌詞わからんので
ななつのこ・シャボン玉ほぼエンドレス。
ちなみに今日は30分ほど歌って聞かせてました。
寝てくれなかったけど…。


たぁはスナック菓子が好きみたい。
子供ってみんなそうなのかな?
たぁはまだ赤ちゃんだけど。

キューピーのおやつシリーズを買ってあるのだけど
それの『おやさいぽん』を良く食べる。
一緒に買った『ゴマクッキー』よりずっといいみたい。

母はゴマクッキーの方が美味しいと思うんですが…。


あとね、お誕生日のベアを貰いました。
Meijiのチョコのおまけの2002バージョン(?)。

妹1が初期のものをコレクションしていたのよね。
今はクマコレクターになりつつあって
うちのくまのぬいぐるみを見て「もらっていいの?」
とか聞いてくるのよっ。
それはたぁちゃんのクマちゃんです!


で、妹1が自分のとしゅうとたぁのをゲットしてきてくれまして。

妹1のはパッチワークっぽい普通のクマ。

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私の誕生日のベアはなんだろうな〜。
レアものだと嬉しい気がする。笑
ちょっと探してみたくなっちゃった。


* 移植 〜星になる〜 *

ごめんなさい。もう一つだけ。
この話も別の日記で書いたものでもあるんですけど。


2001年、夏。
妹と仲良くなった子Sちゃんが手術しました。

うちと同じ血液型違いの移植です。
提供者はやはり彼女の母上でした。


妹の手術って1999年だったんですねぇ。
今更ながらしみじみと思ってしまった。
もう3年も経つんだなーと。
2000年には妹が出来ちゃった結婚。
2001年には私が産んじゃった未婚。(オイ^^;)
ここ3年の冬(出産は冬だし)は激動の年だったんですねぇ…。


Sちゃんの話に戻ります。

彼女は3人兄弟の末っ子で
確かに末っ子〜〜と思わせる性格をしていました。

でも人懐っこい子で嫌いではなかったです。

年は私より一つ下妹より一つ上でした。


彼女は6〜7年前突然腎不全になったそうで
大量の出血をしたりと大変だったようです。
私たちが出会った当時、彼女血液透析のほうをしていました。
※透析は2種類。
病院に通院して行う血液透析
自宅で夜行う腹膜透析があります。
血管から入れるか腹から入れるかの違いなのかな。

腹膜の方は相性が悪かったらしく血液の方でした。


「私の血はほとんど他人のだよ」と言っていたと記憶しています。


家族は助かるのなら・少しでも良くなるのなら
提供したいと考えていたようですが
彼女は最初、移植に乗り気ではありませんでした。
リスクの大きさを考えればそれは当たり前の事です。

でも移植をして順調な妹の姿を見て
私もやってみようと言う気になったようで
その年の夏に手術をすることになったのでした。

それを聞いたのは春に焼肉を食べた時。

SちゃんとSママとうちの妹と母と
それからSママのお気に入りだったので私も行って
手術が終わったら温泉でも行こうね
今度はSちゃんちの方で食事しようね
なんて話してました。


結果を言うと手術は成功しました。


術後も特に問題はなく
通院がてら妹はお見舞いにも行っていました。

暇そうだから今度はゲームのソフト持って行ってあげるんだ。
お見舞いから帰った妹はそう言って通院の時だけでなく
顔を出していたようです。
※片道1時間なのでしゅっちゅういけたわけではないけど。
妹はこの年から専門学校に通い始めてたしね。

無菌室で1日のほとんどを一人で過ごすつまらなさ
ベッドにつながれてるような状態でいる
妹はそれを良く知っていましたから。


それにSちゃんも妹の入院中に
何度も遊びに来てくれていましたし
二人とも仲良かったですから。


9月のある日曜日の朝。
そのSちゃんから着信がありました。

慣れない学校生活で疲れていた妹は
その着信に起きてから気づきました。


まだ病院だよねぇ?
病院でも携帯使ってたけどさ。
でもこんな早くにどうしたんだろう?

そんな事を言いながらかけなおした妹。


その電話の後、妹の口から出た言葉は
「Sちゃんが死んだって…」でした。


携帯にかけなおしてみると出たのは彼女の兄弟で
かけたのもその人だったようです。


しつこいようですが手術自体は成功していました。

けれど無菌室から出るのが少し早かった彼女。
ちょうどその頃、何日か冷え込んだ日があって
その時に風邪をもらってしまったようです。

菌に極端に弱くなっているその時期に。


彼女の最後は壮絶だったと聞きました。

血が、止らなかったそうです。
穴と言う穴から流れ続けていたのだそうです。


色白だった彼女を思い出しました。
それをただ看取る事しか出来なくなってしまった
彼女の家族は身を切るより辛かったと思います。


彼女の葬儀には母と妹が参列しました。

その場では声をかけることは出来なかったようですが
(旧家なので人がいすぎて近づくことも出来なかったようです)
後日、彼女のお母さんから電話があって
その時に色々話したようです。


Sママは少し後悔していたようです。
参列した方に言われた一言で。

「手術をしなければ生きていたかもしれないのに」

確かにしなければ生きていたでしょう。
人より少し不便な生活を続けていくくらいで
たまに入院が必要になることもあるくらいで
今は生きていられたでしょう。


けど、移植は彼女の希望でもあったのですから
それは違うと母は言っていました。


Sママは誰かにそう言って欲しかったのかもしれません。


==============★*=====

移植について長々書いてきましたが
決して移植を勧めているわけではありません。


リスクも伴いますし、家族の負担だってあります。


私は心的負担が大きかったと思ってますしね。

もしダメだったら婿をとって跡をついで…
父から移植をして、とか。
手術前の私は元気で前向きでしたが
実際は駄目だった時のプレッシャーもありました。
最悪の場合、妹も母もダメって事か?と。

Nは何か感じたようで、大丈夫なのかと聞かれました。
「全部終わったらさなが死んじゃいそうな気がする」と。
言われて初めて自分が無理していた事にも気づいて
不覚にもぼろぼろと泣き出してしまいました。


話は変わりますが
私はドナーカードは持っていません。

ドナーになるなら自分の身内に対してなりたいと思ったからです。
妹が移植をする前にもう一人の妹と
そういう話をして持たない事にしました。

私も妹も将来母になる事を考えて。

産まれた子が健康ならば問題はないけれど
そうでなかった時に自分達もまた
母と同じ道を選ぶんだろうなと思ったからです。


ドナーカードは絶対的な強制力は持ち合わせていませんが
でももし自分に何かあった時に
他の誰かに差し出してしまうのなら…と思っていました。

実際は何かあったとしても
移植に対応する病院は限られていて
提供するまでに至る事もなく…
と言うケースが多いそうですけど。


現在進行形で移植に踏み切るかどうか悩んでいる人もいると思います。

移植手術を受けさせるのは、子供が小さくて
自分の意思で受けるのでなければ、それは親のエゴでしょうね。

それがいけない訳ではないけれど。
親のエゴだと思って悩む人もいると思います。

治るものなら治してあげたい
変われるものなら変わってあげたい
と思うのは親としてごく自然な感情だと思います。
私もそう思っていましたから。


けど、限りある命を全うさせてあげるのも
親として出来る事なのではないかもしれません。



幸いな事にたぁは何の障害もなく産まれ
今もすくすくと育っていますが
時々考える事があります。

もし今と違う未来に私とたぁがいて
移植するか否かに直面していたら
私はいったいどっちを選んでいるんだろう?


答えは永遠に出てこないのでしょうけど。

==============★*=====

サブタイトル「星になる」は3重の意味を込めてつけました。

一つは月並みですが星になってしまったこと
二つは彼女の名前に「星」の字があったこと
三つは私のお腹にいた小さな子供の事。

私が出産を決めた理由の一つに星のカードがあったせいです。


******
移植のことについての日記で
不快感を感じた方がいらしたらごめんなさい。

エゴとか書いてますけど
手術を受けさせる親を非難している訳ではありません。


2002年11月28日(木)



 生と死のリング+移植6

保育園にお迎えに行って車にたぁを乗せて
まず初めに私がすることは通園バッグのチェック。


びっくりした。
洗濯物がどっさり。(+_+)
家に帰って洗濯した。
シャツ3枚、下着1枚、ズボン2枚…
これは朝着てた奴と園においてあった着替え。
トレーナー2枚、下着1枚、ズボン3枚…
こっちは園からの借り物である。



それから連絡帳を開いて今日のたぁの様子をチェック。

通信欄に保育士さんから一言書かれていて
それを読むのが楽しみな私。


でも今日はそれを読む前に本当にびっくりした。
一緒にはさんであった白い紙に。



今年の5月までリス組にいた男の子が
今日、亡くなったらしい。


双子の片割れ。

今年の5月、と言えばたぁと入れ違いで
リス組といえば来年度たぁが進級するクラスで。
面識も何もないまったくの赤の他人なんだけれど
「至急のお知らせ」を読んで言葉が出なかった。


死因等の詳しい所は何も書かれていない。

当たり前だ。
そこまでする必要はない。


5月まで園にいたという事は
多分何かの病気だったのだろうと思う。



私の知らない小さな小さな男の子。
ご冥福をお祈りします。



話は変わって、また別のびっくり。
帰り際、Nからメールが届いた。

Rちゃん、祝☆出産〜♪

元気な男の子で安産だったようだ。
おめでとう、今日はゆっくり休んでください。
今度赤ちゃん見に行くね。(^^)



嬉しい事と悲しい事はいつも一緒にやってくるみたいだ。
一つの嬉しいのために悲しいが存在していて
その悲しいを癒すために嬉しいが存在しているのかもしれない。




で、たぁの事を少し。

歯が生えてだいぶ経つのだけど
最近、私をかじるようになってきた…。

指をかじかじ…
鼻をかじかじ…
あごをかぶっ!!!!


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* 移植 〜だから何が言いたいかって言うと〜 *

すいません。
長々書いてるうちに忘れてきてます。

けど書く。


この間の補足も少し。
手術の次の日母は上体を起こせるようになっていた…
と思うんですけど実際はよく覚えてません。
結局付き添いを2泊3日してしまったもので。
次の日の夜だったかそのまた次の日の夜だったか…。

妹は1ヶ月無菌室、その後普通の病室へ。
最後の長期入院だろうと言うことで
少し余裕を持って入院してました。


結構前になりますが、掲示板の方に
「移植のための募金のお願い」を
書き込んでくださった方がいました。

その書き込みを読んでいくつかの
移植募金を募っているサイトをまわらさせていただきました。



本当にいくつかのサイトを見ただけなんですけど

・今現在集まっている金額
・今現在の患者の様子

・なぜ移植が必要なのか?
・なぜ海外なのか?
・なぜ高額になるのか?
・なぜそんなにお金が必要なのか?


などの募金をする側からの疑問にきちんと答えられていました。

移植をするしか道がないと言う事。

子供は小さいですから
体に見合った臓器を移植しなければならなかったり
現在の日本では不可能な事や海外では可能な事について。

海外では保険が適用されないので
全て自費になることや
術後の薬などの費用も高額になる事。

しばらく滞在して様子を見なければならない事。


丁寧な所はわかりやすく
噛み砕いて説明していました。
※色々詳しい所を知りたい人は
http://square.umin.ac.jp/trio/top.html
ここへ飛んでください。

ちなみに日本では…と言うか我が家ですけど。

手術代だけで500万と聞きました。
保険使ってなのか使わないでなのかは
もう定かじゃないんですけど…
当時2割負担としても最低100万ですね。

手術に至るまでの12年間の
入院費治療費等の内訳は聞いた事ないんですけど
薬代だけで1ヶ月20万ですって…。
普通の家庭じゃとてもじゃないけど払えません。
うちは土地を手放したりもしたようです。



移植すれば必ずしも助かる…と言う事はないです。

手術事態は成功しても
その後の経過でダメになることも多々あります。
たいした事のないウィルスで命を落とす事もあります。


12年前試験的に薬を使えるようになった事も
手術を受けて今現在普通に生活出来る様になったのも
すべてラッキーだったと言うしかないです。

※当時同じ病気の子もいましたがその子達は幼すぎて
新薬で体がもたないと判断されたのかもしれません。
※普通に生活、と言っても湯船につかる事が出来るとか
夜中、透析をしなくて良くなったとか言うくらいで
完全に普通なのは見た目だけです。
薬は相変わらず多いです。一頃よりは減りましたけどもね。
骨粗しょう症もあるようです。


でも、手術すれば助かる見込みのある命が
この世にはいくつも存在しています。

私自身はカツカツな生活をしていて余裕はないのですけど
(毎月赤字なので。^^;)
余裕のある方は少しでも救いの手を差し伸べていただけると
いいなと思います。

ホント自分が何も出来ないのに
誰かにちょっと募金してやって頂戴!
なんて言える立場じゃないんですけど。


==== 私信 ====

掲示板に書き込んでくださったあなたへ。

あなたが善意で書き込んでくれたのも
本当に助かるのならみんなで助けてあげたい
って思う気持ちだったのだろうと言うのも
とてもよく伝わってきたのですが…。

あなたの書いた「1千万しか」と言う所には
怒りに近い気持ちをを感じました。

確かに1千万では全然足りないのもわかります。
今すぐ必要なのにどうして?
とあせる気持ちがそう書かせてしまったのだろうと
私は思いますが…。

その「1千万しか」の1千万は
たくさんの方の善意が集まったものです。

その善意をないがしろにするような表現は
今後控えてくださると嬉しく思います。


きついようですけど
募金活動をしている方や
募金をしてくれた人に対して
少し失礼ではないのかな?と思いました。

活動がいい加減だから集まらないのかしら?
とか、本当に余計な事まで考えてしまったのです。


ここを読むかどうかわかりませんが
ごめんなさいね。
今頃になってこんな事かいてしまって。

============


最後に。

私自身が移植の経験者という訳ではないので
内容について曖昧な所もありますし
記憶違いしている点もあると思います。

それらについてはご容赦くださいませ。


2002年11月26日(火)



 お流れ+移植5

昨日の水族館オフはお流れになりました。
冬だものね。
風邪ひきさん増えるの仕方ない。

初めての電車で遠出でドキドキしてたんだけど。
流れてよかったのかも…。
昨日の私、Nと午後からお買い物行ったんだけど
その前からやたらと疲れてて…。
夜も一人で寝ちゃってました。
たぁは一人でしばらく遊んでた。


あぁ、もう年末なんだなぁ…。
しみじみと感じる。
仕事、忙しくなるんだろうなぁ…。


そうそう久しぶりのはーちゃんは
大きくなってました。
未熟児で産まれたのなんか嘘みたいにね。

今7〜8ヶ月。
動きは割と少なめみたい。


今日はたぁと二人ダラダラしてました。

9時近くまで寝てご飯食べて
おんぶして掃除しておいかけっこしたり。

ホントは灯油買いに行きたかったんだけど
曇ってるし寒いし今日の分はあるし…。
って言うか昼寝一緒にしちゃったし。
明日の朝までもってくれるといいなぁ。



* 移植 〜術後〜 *

手術が終わったその日、生まれて初めて病室に付き添いました。

本当は完全看護なのでいらないのだけど
母がそうして欲しいと希望したので。


私は夜型なせいもあって中々寝付けませんでした。


母がよく言ったのは「鼻が痒い」。
酸素マスク(?)をつけていたのでそこが痒いと。
夜中に何度も鼻をかかされました。

それから水枕を何度か替えに。


看護婦さんも何度か見回りに来てくれて
点滴を変えたりしてくれました。


母は一度だけ吐きました。
私がやっとウトウトしだした時です。
看護婦さんがいて色々してくれてたのですが。

他は特に問題がなかったように思います。


あけて翌日。

相変わらず目が回るようでした。
カーテンを開けて日が差し込むようにすると
それが眩しすぎてくらくらするとか。

それから「何か食べたい」とわがままを言い始めました。
看護婦さんに聞いて氷を口に入れるくらいなら…
とOKを貰い、コップに氷を入れて枕元に。

この日は家に戻る予定だったのだけど
また泊まっていく事になりました。
母が心細かったようなので。


妹は集中治療室から無菌室へ。
目覚めたら手足がベッドに縛り付けられていた
と言っていました…。(^^;


次の日には上体を起こせるようになっていた母。
背中から入れていた麻酔を変えてみたとかなんとか。
詳しい所は忘れましたが
そのおかげでだいぶ楽になってきていたようです。

そして相変わらず「何か食べたい」と。
ヨーグルトとかプリンなら…
とOKを貰い、病院の前のコンビにまでテクテク行って来ました。
まだ時間が早かった事もあって売店は開いてなかったので。



母も妹も痛み止めを貰う事もなく経過は順調でした。
痛み止め出さなくて平気なの?と言われるくらい。

最初はなかなかベッドから起きられずにいた母も
一度歩き出すとそれに慣れてしまったようで。


術後2週間で退院。
(うろ覚えだけど、患者ではないから2週間と決まっていた)
果たして大丈夫なのか?
と不安もありましたが何とかなりそうでした。

実際、家に帰ってきた母は
コタツにもぐりこみながら日々を過ごしていましたが…。
快適だった病院と比べると
家は隙間風が傷口にしみたようです。


母が退院するまで毎日のように病院に行ってました。
つまらないのか「今日は来ないの?」と聞かれる事もあったので。

妹の所へも顔を出しました。

無菌室にまだ入れなかった頃は
ガラス越しにインターホンで会話。
入れるようになってからは手足を消毒してから入室。
一度、どうしても眠くて
妹のベッドにつっぷしたまま寝てしまった事もあります。


その後、妹は3ヶ月ほどたってから退院してきました。



術後の話ではないのですが
当日その手術は見学者がたくさんいたそうです。
近くの医者が後学のため集まっていたようなので。


*** で、何が言いたいのか?編へ。 ***

2002年11月24日(日)



 記憶力+愚痴

たぁたんの就寝時間は相変わらず10時。
9時に寝かせるのはもうやめにして
9時半過ぎたら布団に連れ込むようにしてます。

そうすると10時くらいに寝てくれるから。

でも、その後止った洗濯機から洗濯物取り出して
散らかしていただいた部屋を少し片付けて
洗い物済ませて…。


12時過ぎるんだよねぇ。


いや、寝るの遅いからいいんだけど。



明日は水族館オフ〜♪
幹事さん以外、知らない人ばかりなのだけど…。
大丈夫かなぁ…。

雨降るのかなぁ?
降ったらキャンセルかなぁ?<私



今日は叔父の100日目。
実家に戻ってお線香を…と思ってたけどキャンセル。
なぜなら実家に病児保育中の甥っ子がいるから。

胃腸炎らしいですよ。
ゲロったり下痢ったり。
うつったら大変なので行けません。



今日ね、朝預けた時にたぁが泣きました。
「おかーさんどこ行くの?」って感じかしら。

お友達の輪に連れて行かれて
いつもはおもちゃで遊びだすのだけど
今日は私の方を振り返って…。

うぁ〜〜〜。

ひよこの保母さんがいれば違ったのかもしれない。
少なくとも慣れてる人がいれば笑ってるし。
今朝は子供が少なめだったからそのせいもあるかもしれない。
子供に目を奪われて私の方を見る事はなかっただろうし。


いずれにせよ、たぁの記憶力は確実に発達している。
一度考えてしまった事をすぐに忘れる事が出来ないでいる。
子供ってすごいなぁ…と思いつつ
朝、もう少し早起きして一緒の時間も増やさないとかな?
と思ったりもしている。
遅く寝てる今では無理だけどね〜。


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会社の愚痴が溜まりつつある私。
S谷さん…やっぱ好きじゃない。

昨日、こっちの仕事に入ってたのだけど
「私が数を把握してるから」みたいな事を言ってて
「多く持ってきても明日の分もしなくちゃだから平気です」
とかなんとか反論してしまった。
少し気を悪くされたかもしれない。

それから、神妙な面持ちでやってきた係長。
あまりにも深刻そうな顔なので
「な、なに〜〜〜?」とあせる私。
「いや、悪い知らせじゃないから」と係長。
ちょっとあっち手伝って欲しいんだー
他に頼める人いないんだよ〜と言われ移動。
(私こんなのばっかり。色々回されてきたから
色んな仕事を覚えてしまってるのだ)

ここまではいいんだけど。

移動先からちょっと戻って
仕事が一段落着いてたS谷さんに
「すみませーん、次はこっちのお願いします〜」
と言ったら逆切れ?されたっぽい。
確かにおしゃべり中断させて悪かったかもしれないけど。

「間に合わせなくちゃと思って3人で終わらせた所だ」とか
(最初は2人でやってて実は傍から見て大丈夫かな〜?と思ってた。
慣れてる人なら仕事速いんだけどね)
「一息いれてからね〜」←怒ってる口調だったし。


一息でも何でも入れてくださって結構ですよ。
別に「喋ってないで仕事してよ」って言いに行った訳ではないし。

忙しい中、途中で消えた私(と言ってもすぐ隣で仕事してたんだけど)が
のこのこ戻ってきてあれやれこれやれってうるさいからいけないのかな。
(そんなにうるさく言った覚えないけど)

私としては「次は何やるんだ?ここの子達がいないからわかんない」
って言うのがないように言いに行ったんだけどな。
S谷さんうるさいから。
(もう一人の子、Aちゃんも他の所でヘルプしてたしね)


「え、あの…えーと……?すみません…お願いします」
とだけ言ってその場を去ってしまった私。
だって怒られても私も困るもの〜〜。

やっぱりこの人とは合わないわ…。

2002年11月22日(金)



 11ヶ月

*20日は新しい1ヶ月の始まりと言う事で、1ヶ月の記録日は19日です。*


もうすぐ1歳です。ほんとに。
今度こそもうすぐです。

1歳までのアドベントでもやってみようかしら。


*動き

ハイハイマスター。
普通のハイハイが出来る様になりました。
でも高速ハイハイはズリズリするほうが早いのね。


つかまり立ち…勝手に練習して
勝手にマスターしてくれました。
それによって自動的に生理整頓する羽目になった私。

手をかける部分があればほぼ立てるようです。
コタツ以外にドアとか使って立ってます。
キッチンに立つ私の足元でもつかまり立ち。
ん〜、これは危険だ。

そしてこれは困ってるんですが。
たっちしたのはいいけど座れなくて母に助けを求める。
眠くても遊んでる節があって
そういう時につかまり立ちをすると座れないのだ。
こけるしね。


保育園で保育士さんに手を引かれて歩いてるようだけど
これも最近は手を離すと泣いて怒るんだって。
一人じゃ歩けないから。(^^;


*食事

手づかみ食べ。
本人かなり楽しそうです。

それから「おいしい」と「そうでもない」がわかるようで。
美味しいものを食べた時はもっとくれサインを発する息子でした。


*精神面

精神面での発達は目覚しいものがあります。…と思います。

私がトイレや風呂掃除に立つと泣きながら後を追いかけてきたり。
一人にしないでよ〜って感じで可愛いんですが…。

トイレに入ってる時は母、そこにぷち監禁状態ですので
玄関に落ちたらどうしよう…
灯油で遊んだらどうしよう…
と言う訳でキッチンのドアはしっかり閉めさせてもらってます。

泣いてるからかわいそうなんだけどね。


お風呂掃除は見学させてます。
特に危険がないので、今の所ですが。


イタズラもするようになってきました。
低い棚の中身は全部引きずり出します。

年下の子の靴下脱がせたりね。笑
保育園ではどこから持ってきたの?
って言うものも引っ張り出してるようです。

それからイタズラするものを探してる気がする。

風呂上りに私が化粧水をつけてると
横から覗いてくるの。
「なにしてるのかな〜?」って感じでこれまた可愛い。
けど、いつかイタズラするはずだ。

鍵とか私のバッグの中身にも興味津々。


今朝、保育園に預ける時
一瞬だけ私の腕から離れようとしなかった。

「あれ?」と思う間だったんだけど。
私は保育士さんに渡そうとしてるのだけど
たぁの体がそっちへ移動する準備をしていない。

後追い泣きももうすぐか…。


*遊び

音の出るものに興味津々。
自分で色んな音を出して遊んでます。

おもちゃとおもちゃをぶつけて音を出したり。

大事なものは手の届かない所に置かないと壊されるな。


いないいないばぁ。
カーテンの陰に隠れたりしてるのですが
それがちょうどそんな感じの遊びになってます。


歌も歌ってあげると大喜び。
手を叩いてもっととリクエストする事も。

保育園でも歌の時間はニコニコしてるんだって。
でもリズムに合わせて体をゆらゆらする事はない。
私も教えてないしなぁ。


追いかけっこ。
やっぱりまだ追うほうが多いみたい。


*言葉

今一番良く口にするのは「あ〜っぷ」。
「ぷ」がマイブームらしいです。

雄叫びもあげてます…。


*好きなもの

動いてるもの。

動くおもちゃも
道路を走る車も歩く犬も
目で一生懸命追ってます。


一番好きなのは母なんでしょうねぇ。
お迎え行くとつかまって離れないもの。


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顔立ちも体型も立派な子供になりつつあります。
少し見なかったりするうちにぐんぐん成長してるらしくて
「変わりましたね〜」とよく言われます。

一緒に遊んだり
共有できる事も増えてきました。


人見知りは相変わらず。

知らない人がいるととりあえずおとなしいので
多分してるとは思います。
たまにしか会わないたぁ父に対しては全然してません。
父だと言う認識があるんでしょうか。
母を認識しているのと同じように。

2002年11月19日(火)



 脱、ストレス!自然体で行こう。

**昨日の日記も更新しています**

たぁは夜10時過ぎに寝ています。

いわゆる大黒柱の私にとって
その時間にならないと寝てくれないのは
かなりのストレスになります。


早く寝て欲しいと言う気持ちは
部屋の散らかり具合を増徴させて
ものすごく汚い、だらしのない部屋に思えてくる。
そんなに綺麗好きでもないのに。


夜遅くになってからの食事が
こんな時間じゃ太るなぁ…
片付けるの億劫だなぁ…
と汚い、だらしのない、に拍車をかけさせる。

一緒に食べればいい話だけど
帰ってきてから自分の分を用意するのは面倒。
たぁは保育園で少し食べてくるし
今の所それで間に合ってる。

前日に用意すればいいのかもしれないけど
10時を回ってから食事をして
明日の晩御飯を用意して…はかなり面倒。


悪循環で自分勝手です。
ストレス貯蓄は増える一方。
こんなん増えても嬉しくないっつーの。


今日は土曜日。
だけど休日出勤してきました。


帰ってきてからたぁが寝た隙に掃除をしようと思って
いつ寝るんだろう?もう眠いかな?
を繰り返し、あきらめてそのまま掃除に突入。

月齢の低い頃は起きてても隣の部屋に隔離して掃除とか
ある程度動けるようになってからは目の前で掃除する事はなかった。
たぁは初めて見る掃除機におおはしゃぎ。
布団のバリケードを乗り越えてこようとする。


結局そのまま寝てくれなかったので
夕飯の支度はおんぶ紐を使っておんぶしながら調理。
時々後ろを向くと面白いのか良く笑ってる。

おんぶ紐を使うのも久しぶりだ。
以前、すごく泣かれて
それ以来、おんぶは嫌いなのか…
と思ってした事がなかった。

調理をしている途中でたぁは寝てしまい
そのまま布団におろす事にする。


なんで気づかなかったんだろう。
あれが出来ないこれが出来ないって言ってたら
何も出来なくなるって言う事。

今の状況であれやこれやをやる術を見つければいいだけなのに。


今日は寝るまで好きにさせていた。
9:40には布団に寝かせようと試みていたけれど。^^;

昼間出来なかった事をする私の後をはいはいでついてくる。
それが適度な運動になったのかもしれない。
10時には寝てくれた。


本当は9時には寝て欲しいと思う。

今現在、朝7時半には保育園に預けられてしまって
夜は7時近くにならないとお迎え(私)が来ない。


限られた1日の中の半分の時間を保育園で
私と過ごす残り半分をほとんど寝て過ごさせる
と言うのも嫌と言えば嫌だけど
朝、中々起きないのを見ると
そっちの方がいやだなと思ってしまう。
半分寝ながらミルクを飲んで
着替えまで済ませてしまう事もある。

そういうのを見てると
まだまだ睡眠が大事な時期だから
もっと寝かせてあげたいなぁと思う。


でもその気持ちには少し封をして
今は自然に任せようと思った。


そのうち、嫌でも早く寝てしまう時期が来るから。



↑今まで使わなかったのが悪いんだけど。↑投票ボタン。


↑投票ボタン。

保育士さんいわく、何でだろうと思ってたら
たぁがラックで寝てる子の足元に近づいて…。

…自分のだけにしなさいぃい!!笑


*** 移植の話は今日もパス〜 ***

2002年11月16日(土)



 七五三とお絵かき。

七五三、という事で保育園で千歳あめを頂きました。


ペットボトルを二つに割って
リボンを通して上と下が離れないようにしてある。
その中に千歳あめが2本、赤と白が入ってます。

ペットの下半分には上を波型に切った色紙が
くるりと入っていて『七五三』という文字と
これまた色紙のクマさんが貼ってある。


その色紙に4枚、黄緑の色紙が貼ってあって
よく言えば前衛的なクレヨン画が貼り付けてある。

ほとんどオレンジ。
たまにピンクと水色。


上から力強く叩きつけるようにして描いたんだろうなぁ。
そんな製作状況を匂わせる作品だ。



その絵の作者はもちろんたぁ。汗


お迎えに行って
「たぁ君が描いたんですよ〜」と言われ

思わず
「ええっ?!そんな事まで出来るのっ?
1歳児ってそんな事までやっちゃうんだ〜」
とびっくりしたのだけど


実際は保育士さんの介助の下お絵描きにいそしんだらしい。


そうだよね。
もう少し大きくならないとお絵描きはまだ無理よね。



でも初めてのお絵描き作品である。

親ばかな親としてはやっぱり
大切に保管しておいてあげたい。



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さて、16日の日記も書かなくては…。


*** 移植の話は今日もパス〜 ***

2002年11月15日(金)



 自己嫌悪と保育参観と感性の話。

万年イライラ病と化しつつある私。

あ〜、部屋が汚いよ〜〜
ちょっと掃除したーい…けど出来なーい。
そろそろお腹減ったな〜
早く寝てくれないかな〜…とか。


早くねろよっこんにゃろめ。
と、息子の頭をはたく。

それはペシっと、軽くだけど…自己嫌悪に陥る。
あー、手をあげてしまうなんて〜〜〜。


ふと、子供をボコボコにしている自分を想像してみる。
それはさぞかしすっきりするんだろうなぁ。
けど、その分後悔は大きいんだろうなぁ。


それだけは出来ないよなぁ。

気分転換に今日は読書をしよう。
買ったまま放置してあった大好きなミステリ。
ついでに紅茶も入れよう。



さて、今日は保育参観の日〜。

でもお休みしてたので詳細は昨日の夜聞きました。
電話で無理ですとは答えたものの…。
やっぱり、行きたかったなぁ。

10〜12月生まれの子の誕生会もしたんだって。
たぁ、12月生まれだからお祝いしてもらったらしい。
通園バッグの中に卵の中からひよこが出てくる
お手製の紙のペンダントが入ってた。
おめでとうって書いてある。


残業してお迎えに行ったら他の子達はもういなくて。
駅組の子達も少なかったから
保育参観に来てたお母さんと一緒に帰った子もいるんだろう。

たぁはお昼に1時間くらいお昼寝をして
そのあと夜7時に迎えに行くまで寝なかったらしい。

『ボクのお母さんはいつ来るんだろう?』
って思ってたのかもしれない。
いつ来るかわからないから寝ないで待ってたのかもしれない。
そう思うと切ない。

来年はちゃんと行こう。

少し無理しても。



感性の話。

冬なのでマントを買った。
妹1が「女の子アイテムじゃないの〜?」
とのたまったが、今の時期しか着れないだろうと思う。
男らしく成長するにつれ似合わなくなるだろうと思う。


そのマントをお迎えに行った時に羽織らせた。


そしたら保育士さん達が可愛いと褒めてくれた。
5月頃の日記に登場してるあの保育士さんは

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…流石保育士!!
その感性は只者ではない。

小人さんみたいで可愛いでしょ♪
とは思ったんだけどな〜。(親ばか)
まさかそう来るとは思ってもみなかったっス。


*** 移植の話は今日はパス〜 ***

ここ数日の長文日記、読んでくれてありがとう。
ごめんね。まだまだ続くんだよ、あれ。(^^;l

*******************************


2002年11月14日(木)



 悪戯盛り+移植4

悪戯盛りはまだまだこれからよぅっ!!!


まずはこたつに手をかけ、膝立ちの姿勢で
上にのっている物を全てなぎ倒し…
片付ければいいんだけどね…
ついおきっぱなしにしちゃう私が悪いんだけどね。

今度は床にあるものに興味を持ち。
これも片付ければいいんだけどね…
ついおきっぱなしにしちゃうんだよね。

その後、無理な姿勢がたたって
コタツにぶつかりながら転がり…
これは怖かった。
大泣きしたけど何事もなくてよかった。

テレビ台の所まで這って行き
そのまま台を回転させて指を挟んだり…
ガムテで台を固定しました…。
ドアのついてない台なのでビデオテープを引きずり出し
ついでにそこに置いてある物も引きずり出し…
これも片付ければいいんだよね。

自分のご飯用の椅子に手をかけ
何をしようとしてたんだか
そのまま椅子ごと後ろに転がり…。


最近は母のバッグに興味があるらしく
床に置いてあるのを発見すると
嬉々として中身を取り出している。

鍵も大好きなようで出かけに閉める時
いつもニコニコしながらそれを見ていて
もちろん手を出そうとする。
床に鍵が落ちてれば喜んで手にするのは言うまでもない。


たぁは『物』に対する見方が変わってきたように思える。

おもちゃを渡すと真剣になっている時がある。
絵本を渡すとそれに集中する。

ちなみに。
その、物に対してどれくらい神経を集中させているか?
の、バロメーターはよだれである。

彼は真剣であればあるほど、集中していればいるほど
よだれを極端にたらす。と言うか飲み込まない。
飲み込むのも忘れるほど、のめりこんでいるからだ。

ついでに言うと絵本は読んであげていない。
読もうとすると取り上げて自分でページをめくっている。
ただし、1ページしかめくらない。
ってか表紙と同じページをいったりきたり。
たぁが他にもページがあるという事を理解するのはいつだろう?

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絵も可愛いし、これを見せながら母は歌うのだ。



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* 移植4 〜当日〜 *

手術のため入院した母の、一番の心配事は…
「あの子(私の事)朝一人で起きれるのかしら?」
だったそうです。(−−;

毎日起こされてましたから、当然と言えば当然ですね。
家族全員、先日亡くなった叔父さえも
私が一人で起きれるのかどうか心配してたようです。

母のいない間、一人で起きてましたよ。汗
みんなびっくりしてました。


手術当日は家族全員で病院に行きました。
まぁ、祖母は叔父に任せてしまったのだけども。
行き帰りだけでも2時間はかかりますから。

その日は夜遅くまで寝付けず(もともと寝付き悪いし)
朝は早くから起き出して(寝た気がしませんでした)
車2台で家を出ました。

私は術後に一晩付き添う事にしていたので。

平日、木曜日だったので2日続けて仕事の休みを取りました。


早めに出たため、渋滞に巻き込まれる事もなく
無事に母と妹のいる病院に到着。


この日、病院に集まったのは
父、私、妹、父の姉、祖父の兄弟、祖母方の父の従兄弟、母の妹です。
この日の私は極限状態だったのでよく覚えてないんですけど。

母と妹と少し話しをして…親戚に挨拶をして(多分)
他は雑用に追われていました。
妹と母、どちらが先に連れて行かれたのかも
今はもうあやふやな記憶のかなたに飛んでます。


私が何やら一人でボーっとしたり
雑用をしている間にもう一人の妹は看護婦に怒られたとか。
部屋のカーテンを締めっきりにして荷物を片付けていたせいらしいです。

術後、その部屋には戻らないため
いったん荷物をまとめておく必要があったのですが…。
早くベッドを空ける事ばかりに気を取られていたようです。


その日はとても時間が長く感じました。


『もし途中で何かあれば、手術はその時点で中止になります』

そんな言葉のせいだけでなく
私は小さな脳で色々考えていました。

もし、手術が中止になったら?
もし、中止にならなくても失敗したら?


私が結婚して家を継ぐしかないんだろうか…。


その時、付き合ってる人はいませんでした。
好きな人も気になる人もいませんでした。

適当にいい人と適当に結婚して
そのいい人にはたくさん働いてもらって
うちの家計を支えてもらって…。

適当な人、好きでもない人
好きになれるかもわからない人
好きになるかもしれない人
けど、家計を支えてもらうのが目的。


…私の存在ってナニ?


あまりの馬鹿馬鹿しさに考える事はやめましたが。
考え出すとどんどん私がひねくれていくので。
私が結婚にたいしてネガティブと言うか…
後ろ向きだったのはそういう風な期待もされていたからです。


手術の間中、うちの血縁は病棟のロビーでずっと待っていました。

私は一人でフラフラと
来るはずの母の妹が来ていないか見に行ったり
玄関でぼーっとタバコ吸ってみたり、時々妹と話したり。


外人に話しかけられたりしていました。
私は英会話は出来ません。
言ってる事はなんとなく理解したのですが
それに答えるだけの語力はありません。

彼女の自作と思われる日本語ノートと
私の身振り手振りで質問に答える事が出来たのですが。
彼女の最後の質問にはやっぱり答える事が出来ませんでした。

『あなたは何処に行くの?』

何処も何も…ここにいるしかない。
今、私の家族が手術受けてるのよ。
本当はここであなたにバス停について
駅までの道のりについて教えてる場合じゃないらしい。
第一、私日常的にバスを使う事はないから
教える以前にわかってないのよ。地元じゃないし。

彼女は私に意味が通じてないと思ったらしく
そのまま私たちはそこでバイバイしたのです。


その後すぐに母の妹が着きました。

ちょうど昼時で、他の人は食べて来たと言うので
私と叔母も食べに行く事にしました。
叔母は「付き添うんでしょう?ちゃんと食べておかないと」
と言っていたけれど、私はやっぱり食べられませんでした。


朝、9時過ぎには手術室へ向かった二人。
麻酔が切れた母が戻ってきたのは夕方でした。

それぞれが母に言葉をかけていたけれど
母は麻酔で目が回ると言っていました。
まだ完全にさめたわけではなかったようです。


もう日も落ちてしまったので
そのまま待機してもらっていた親戚は帰ることになり
感謝の言葉とともに頭を下げ送り出しました。


その後、意識がはっきりしだした母を囲んで
4人で少し話をしました。

母は「朝だったのにいつの間にか夜になってる」と言っていました。
相変わらず「目が回る」とも。


それから妹の様子を見に集中治療室へ。
その部屋に入ると妹は紐で縛られていました…。
なんでも、暴れたそうで…。汗

意識は戻っていなかったけれど、そこのスタッフが言うには
今までで一番状態がいいと言う事でした。

術後の説明もそこでしてもらいました。
妹には母の腎臓の小さい方が移植され、傷口はこんな形、とか
母は腎臓を摘出するさいに肋骨も1本とったとか。


改めて見た妹はとても小さかった。
もともと小さいのに更に輪をかけたように。


*** んで、術後のお話に続く…。汗 ***


2002年11月13日(水)



 準備+移植3

リモコン、見つかりました。
積み木箱の中かしらん?とか思ってたら
洋室のボードの下から出てきました。

そうそう、この下、よく物が入り込むのよね。
と、ほっとしたのもつかの間。

今度は目覚まし時計が見当たらない〜?
アレがないと起きられないじゃないのー!
あっても起きられない時はあるんだけどさ。

でもこれも無事に見つかりました。
布団の中から…。
たぶん先に起きたたぁが遊んでそのままだったんでしょう。

そしてまたなくしもの発見…。
使い捨てのカメラ〜〜〜…。

先日しゅうちゃんが持ってた所までは覚えてる。
取り上げると怒るし…離した所で隠してしまえ…
と思ったのも覚えてる。

けど、いつ離したのか?何処で離したのか?

覚えてない…。


さて、年末へ向けての準備です。

来月11日にしゅうちゃんが2歳、20日にたぁが1歳、30日に妹1が2○歳…。
妹1には年の瀬(より前)になると発売される
限定バージョンの化粧品のどれかを
あげてたんですが…。
去年からそれはなくなりました。
…だって、むりよぅ。


クリスマスもあるし
餅つきもあるし(去年不参加だけどねっ)
年賀状も今年はちゃんと書こう。
もちろんたぁの写真入の奴〜♪

って思ってたんだけどねぇ。
今年は喪中と言う事で
寒中見舞いの葉書にする事にしました。

でもたぁの写真付きにするぞ〜♪

その前にクリスマス…。

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去年は妊婦で暇だったんです…。
しゅうちゃんにも小さいマフラー編んでたし。笑

今年のプレゼントは保育園から
本の申込書が回ってきたのでそこからチョイス。
たぁには車の本(¥600)
しゅうにはぐりぐらの本(¥780)
私には(え?)1500円の絵本です。

紹介文読んでたら欲しくなっちゃったのよ。汗

子父には?え、「私」ですか?「リボン」つけて?
お金かからなくていいなぁ。あははん。
…んな事やりませんよ。


餅つきは毎年我が家の恒例行事なのです。
毎年、妹1の誕生日にするのだけどその数がまたすごい…。
平均して15臼です。

いい加減、父も年なのでかなり大変そう。
ここで男手があれば…という話になるんだけどね。
しゅうとたぁがおっきくなるまで待ってください。
もちろんそのもち米を準備する母も大変です。
えーと、手伝いましょうか?私。

この餅つき、誰でも参加オッケーですので
もし見てみたいなーって人がいたらどうぞ。笑
私が年末家に帰れれば連行していきますので。
つきたてのお餅はうまいぞ〜♪



* 移植 〜移植の日まで〜 *

「切る所がないよ」と言われた年だったか…。
移植の話が持ち上がりました。

移植、と言うと登録して提供者が出るのを待つしかないのですが
それが出来る可能性は宝くじに当たるような確率…だそうで
うちでは何年先になるかわからないけど父の物を
と思っていた事もあって登録はしていませんでした。

でも今回移植の話が持ち上がった時には
血液型違いでも母子間でなら移植は可能
になっていて、すでに3件手術が行われていて
そのどれも順調だと言う事でした。
(3件と言うのはその大学病院での話であって
実際はもっとたくさん手術の例はあります。
死体腎からの移植と言うのもその頃1件ありました)


じゃぁやってみよう。
手術をすれば今の不便な生活からは開放される。


けれど、移植までの道のりはまだまだ悩む事ばかりでした。


移植するまでの準備として
まず、妹と母の体を細部まで調べます。
(細々と調べたようですが
私は全て把握していませんので
覚えている所だけ書いてみます)

この時、移植される側の妹は虫歯の治療もしました。
移植後の状態が最悪の状態になるため
型違い移植の場合ヒゾウをとってしまうために
菌に対する抵抗力が落ちるため
治せる物は治しておかないとなのです。
(術後はもとからあった抵抗力だけになり
極端に菌に弱くなり、風邪ですら大敵に。
これその後ずっと死ぬまで続きます)

母も連日、検査をしました。
摘出後、片方だけでも生活できるのか否か?
どこか悪い所はないかどうか?
もし何かあれば移植は中止です。

この時は母子宮筋腫を疑われました。
「子宮に影があるんだって。ダメかもしれない」
久しぶりに母が泣いた瞬間でした。


結局これは杞憂に終わり
なんとか手術できる所までこぎつけました、が

その手術を前に妹は発熱。
たいした事のない熱だけど手術は延期となりました。
妹は手術のため1ヶ月前から入院していたのですが
そのまま延期の日まで入院する事になりました。
(延期も1ヶ月くらいだった)

時期はちょうど今頃。
風邪のひきやすい時期と言う事もあって
家族全員が一番健康に気を使っていた時期だと思います。


そして妹が移植の準備に入りました。

まず、血液の反応を抑えるための薬を体内に入れます。
純A型の妹は中々数値が下がらなかったようで…。
これがある一定のラインまで下がらないと
移植は本格的に不可能になるのです。


手術の日は近づくし抗体は中々減らない。
けど、あまり焦ってはいなかったように思います。


母が「なんであんたは純Aなのよっ」
と言っていた事を覚えていますが
あの人は中々短気な人…
いえ、せっかちな人…
あ、どれも褒め言葉にならない…。



この入院の時に同じ年くらいの女の子と仲良くなります。
700年くらい続いてるいい所のお嬢さんでした。笑
彼女はA型でその母はAB型
同じ血液型はまだ働かねばならない父。

彼女も同じく腎臓を患っていたのですが
移植をするとなれば彼女もまた
私の妹と同じ道を選ぶしかなかったのです。
(登録してなかったので)

*** 折り返し地点です。笑 ***


2002年11月12日(火)



 玉砕…。+移植2

あっ!と思った。忘れてました。
アイスデートダメだったんじゃ〜ん。結局。


友達の方からメール貰って
じゃぁ仕切りなおしはいつにしましょう?
と言っていたのにな〜。


まぁ、たぁも胃腸炎になってしまったし
流れてよかったのかも…。



その友人方面の仲間内で
最近ママになった子がいます。
女の子で可愛い名前でした。

おめでとぅ。


母乳で育児だそうで
「ミルク代かからないからいいね〜」とか
全然用意ができてなかったらしく
「産前に全部用意しといたつもりでも
買い忘れてるものってあるよね〜」とか
「子供を育てるのって大変だけど
嬉しい事もたくさんあるから」とか…。


彼女はどんな気持ちで私からのメールを読んだだろう?


子供もいないのにずいぶん知ったかぶったメールだな…


とか、思ってないだろうか?


だってね、産後って気持ちがささくれ立ちやすいし
色々やる事あって疲れてるようだったし
そこへ『子供のいないはずのさな』から
そんなメールがきたら???

と思った…。
まぁ大丈夫だろうけど。


で、アイスデートのはずの彼女、Sとは
Tの出産祝いでみんなで集まる…
と言う事にしてデートは完全にお流れにしました。


そのS…現在2人目妊娠中。
うらやましいなぁ…
と、チラッと思ったりしてるんですが。

「二人目も男の子みたいな気がする〜」
とメールしたところ…
「みんなそう言う。私は女の子がいいんだけどね」
と返ってきました。

あちゃぁ。気を悪くさせちゃったかしら?

だってね!妊娠中ってね、些細な事でも
いい加減言われすぎて腹立つ〜!って事もあるしね。


まぁいっか。

たぁ様のお披露目で全てチャラになるでしょう。

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妹2の妊娠の時、家族でトトカルチョ。
で、私の一人勝ちでした。
Tの所にも「女の子が産まれそう」って
葉書を送ってたのよん。



*移植の事 〜投薬〜 *

入院してしばらくは不安定な状態が続いていました。
医師にもどうなるかわからないと何度も言われていたようです。

家に残る私たちの耳には
この頃の事はあまり正確に伝わっていません。
子供に言う事ではないと判断したのか
そんな事を話す時間がなかったのか
命をつなぐ努力をする事で精一杯だったのか。
今となってはそれも定かではありません。

少し状態が落ち着いた頃
久しぶりに面会できる事になりました。
本来なら小児科病棟は子供立ち入り禁止なのですが。

個室だったから特別に面会させてもらえたんだと思います。

後に、何度も峠を迎えたと知った時に
私は思わず「もう危ないからあえたの?」
と聞いてしまいましたが、そうではなかったようです。


ある日、医師から投薬の話をされます。
従来のものではなく、新薬です。

それはまだまだ実験段階に近い物だと言う事でした。

それでよくなるかどうかはわからない。
けど、もうそれを試してみるしか道はない。


家族も医師も手探りの日々が始まりました。


今でこそ、その薬は一般に浸透してるようですが
(でもこの場合の一般って広い意味の一般じゃないけど)
当時はそれをどれくらい投与していいのかもわからず
一日にするとかなりの量をのんでいたようです。

どれくらい飲めば大丈夫なのか?
そのデータは妹が飲む事によって初めて出たのでしょう。


薬には当然副作用があります。

薬で病状が落ち着いたと思ってからしばらくして
今度はその副作用に悩まされる事になりました。


それは太りすぎてしまう事。


もともと小柄な妹。
骨の作りも私とは違い華奢で
太らない体質だったのですが
薬でブクブクと太っていきました。

そしてその結果、足の付け根の部分の骨が砕けてしまったのです。

季節は春だったと思います。
時間は夜の7時くらいだったか。
病院から仲のいい付き添い仲間の人が電話をしてくれて
仕事中だった母はそのまま病院へ駆けつけました。


その頃、小柄ながら人並みに成長期だった彼女。
砕けた骨が元に戻る頃には左右の足の長さが違っていました。
誰も気づく人はいませんが
それでもやっぱり歩き方はおかしいです。
(今現在は少し太ってしまう程度です<副作用)

薬を飲むことをやめる訳にもいかず
足も中々治りませんでした。


その後、12年間、入退院を繰り返しました。

人工透析をしていたのですが
その器具を取り替える手術が主に夏場。
(平気な人は全然取り替えないけど)
風邪を引けば解熱剤が使えないので入院。
一度入院すると2〜3ヶ月は帰ってきません。

妹の体はもうメスを入れる場所がないくらい傷だらけです。
もう切る場所がないと言われたそうです。
(一度切った所は再び切ると元に戻りにくいため)


この頃の負担は
完全に付き添う必要がないことや
私も運転が出来るようになった事もあり
軽減されていたと思います。


妹が入院して何年かたった頃には
私も人並みに家事をこなせるようになっていたし。
お菓子を作るのは好きだったけど
家事は好きになれませんでした。
「しなくてはならないもの」だったから。

でもって適当…。
教えてくれる人がいなかったから自己流なんですけど。
出かけに口頭で母が教えてくれるんだけど
全部教えきれないし、覚えきらないし。

レパートリーもなくて…
あんな適当な物を食べるしかなかった
妹や祖父母には悪いんですけど…。
※父は残り物だったし。汗

*** まだ続いちゃいます。汗 ***


2002年11月11日(月)



 ロタ

ウィルス性胃腸炎、この時期は流行るのね…。
ことまま>色々アドバイスありがとう。


嘔吐と下痢を繰り返すため脱水症状になる…
と言う事なので時間を見ながら水分あげてました。

熱が出てるとね、水分補給しなくちゃ!
って気になるんだけど
今回は熱は平熱、意識しないと出来ないですね。


脱水症かどうかの見極めは
おしっこの量が減る
唇、手のひらが乾燥している
顔色が悪くぐったりしている
肌にはりがない

だそうで…。

おしっこの量、確かに減ってました。


で、嘔吐のほうはだいぶおさまってきました。
時々気持ち悪そうな感じもありますが…。
飲み薬の吐き気止めも飲めるようになったし。

下痢の方は少しづつ始まってきたのかな?
固形物を食べてないせいか便じたいあまり出てません。
けど出る便はユルユルだし…。くちゃいし。

その便の色がまた…。涙
白っぽい…?ベージュっぽいと言うか…。


赤ちゃんの病気の本をめくると
胃腸炎→白っぽい便→ロタウィルス
とあるんですが…。
ご丁寧に写真付で載ってて
「あぁ、確かにこんな感じ…」

この菌は便、吐瀉物、唾液などに出てくるらしく
それらを扱った後は石鹸で綺麗に手を洗って…
とかかれています。


うっ、うつるのか…。


そうなると保育園に預けるわけにも行かないよねぇ…。


まだそうと決まった訳ではないけど
今日はしゅうちゃん出入り禁止です。

しゅうちゃんは暇になると「たぁたん」
うちの車を見て「たぁたんの」
とかかわいい事言ってたようです。
たぁと私のオムツ(笑)を
買って届けてもらったんですが
「しゅうたん立ち入り禁止ね」と
もしもの場合を考えてみました。。。



明日、いつもの医者に行って来ます。
と言う訳で私はまたしても連休なのでした。


そうそう、私ヨーグルト食べさせちゃったんだけど
こういう時は炭水化物を上げたほうがいいらしいですね。
炭水化物の方が消化しやすいんだとか。
と言う訳で今日は久々におかゆでした。

ミルクもうまく消化できないらしくて…
でもこれが栄養源、薄めて飲ませてました…。

2002年11月10日(日)



 胃腸炎

朝10時、妹2到着。

昨日、服買うから付き合えと脅されお願いされて
店が込まないうちに行ってくるわ〜
と言う事でこの時間…。

私はと言うと…寝てました。しっかり。
たぁもミルクを飲んでウトウトし始めたところでした。

その後、私はあまり慌てて支度をし
たぁ様が小腹が減ったと訴えているようなので
朝ごはんにパンを与えて少し経ってから車に乗り込み
近所のショッピングセンターへと行ってきました。

そして…

すぐに帰ってきました〜〜〜。(>_<)


駐車場に入ってクルクルしてたら
突然、たぁ様が嘔吐!
あっ、泣いた、これはやばい!
と思ったらあっという間でした。


それから少し考えていつもの病院に電話。
土曜は午後休診で嘔吐したその時は12時少し過ぎ。
淡い期待を抱いて電話してみました、
んが!今日は完全に休診日で先生がいないとの事。

そういえば病院のホワイトボードにそんな事が書いてあったような…。

どうしよう?と思ったら
「○○小児科さんならあいてるかも」と言うので
そのままそこへ行く事にしました。


12時過ぎてるから絶対午前の受け付け終わってるし
本当なら電話で確認してから行くべきだったとは思います。


けど、電話番号を調べるよりも
現地に赴いてしまった方が早かったんです。
吐いた後、少し顔色が悪かったのもすごく気になったんです。


○○小児科に着いて…
とりあえず受付で聞いてくる事にしました。
でも、窓口まで来た患者を追い返す医者はいません。
OKをもらい、たぁを連れに車まで戻り、
玄関で靴を脱いでいると…
看護婦さん達が用意をして待っていてくれました。

一人は検尿コップを持って「尿とれるかしら?」と。

もう一人は…
「今度から急患の場合は一度電話してから来て下さいねっ!」と。


そりゃ確かに…とは思うのだけど…
いわゆる出先で嘔吐されてそのまま来ちゃったし…
確かにそこのスタッフの休憩&午後の準備時間を
削るような真似ではあるけれど…


だからってさぁ…
何も今言わなくても〜…
と思うのは私だけ?

帰り際に「次回からは…」って言えばいいのでは?
と言うか、そんなにむかつきましたか〜。
それはそれはすいませんでしたねぇ。。。


受診してくださった先生は…
色々、丁寧に説明してくださいました。

私が口を挟む隙もないくらいに。

うちでの様子とか聞かなくていいの?
私はそれを話す必要はないの?

…ないんだろうな。

どうせ、かかりつけにまたかかりなおすんだろうから…
って思うんだろうな。


それとも、ここの病院の先生ってこうなのかしら…。


そうそう、余談ですが。
薬の袋に書いてある名前思いっきり間違ってます。
貴治って誰だよ…。
妹1「あーぁ、請求が二度手間になるよ…ここんち」


*** 移植の続きは落ち着いてから書きます… ***

2002年11月09日(土)



 歌う母親。+移植1

うぅ…。見つからないよ〜ぅ。
テレビのリモコン〜〜〜。

先週ちびっこ二人に荒らしていただいた後から
テレビのリモコンが見当たらないんですよね〜。
なぜかしら?


たまに見るテレビ…
リモコンないとめっちゃ不便やんかぁ。



さて、今日のたぁ様。
元気にはいはいしていました。

まだまだ腕立て状態はぎこちないです。

ところで、「はいはい」って
ずりばい、腹ばい、ひざばい、高ばいってあるんですって。


カルチャーショックです。


今まで私がずりばいだと思ってたはいはいは
性格には腹ばいと言う這い方のようだし。

ずりばい=腕だけで移動。
腹ばい =お腹を床につけた状態で手足を使って移動。
ひざばい=ごく一般的に浸透してるあのはいはい。
高ばい =両手両足をつっぱった状態で移動。
By ベビモ(買ってみました)




もうすぐ2本目の上の歯が生えてきそうです。
おせんべいあげると
いっちょ前にガリガリ食べてます。
んも〜〜〜可愛いです。



あと、お歌をたくさん歌うようになってきました。私が。

振りつきの歌はすごく喜んでくれるので
とっても歌いがいがあるなっ♪…と。
手を叩いてアンコールでもされようものなら
もう何度でも歌っちゃいますね。
持ち歌少ないので同じ歌をエンドレスで。
うろ覚えな歌はもう同じ歌詞をひたすら。

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*移植の事 〜家族の12年〜*


以前別の場所でも書いた事がありますが
私の妹は腎移植をしています。
ドナー登録はしていませんでしたので
腎臓の提供者は実の母です。

血液型不一致のため(妹A、母B)
そして当時の医療は今ほど進んでいなかった事もあり
すぐに移植と言うわけには行かず
12年と言う月日を経た上での手術でした。


父(A)からもらう話も出ましたが
それは当時の状況を考えると無理な話でした。
まだ他に子供がいる、未成年を抱えている事
父がもし働けなくなってしまったら?
と言う事を考えてそうする訳にもいきませんでした。

勿論、父親が提供者でその提供した父親は
現在もきちんと仕事をこなしている…と言う方もいます。
けれど、それが無理な可能性も出されたので。


その12年の間にはたくさんの出来事があり
妹は何度か『峠』と呼ばれるものを迎えてきました。
どの峠も何とか乗り切ったので今があるのですけど。

体調も落ち着いてみたり悪化してみたり。
悪化した時に付き添う母は
気が気じゃなかったと思います。


妹は急性腎不全で入院してすぐ、慢性腎不全と診断され
そのまま救急車で大学病院へ搬送されました。
実家から片道1時間のところです。


入院した先にはたくさんの子供がいました。
同じ病気を患っている子、違う病気を患っている子。
完治とまでは行かないけれど退院できる事になった子
退院を待たずして天に召されてしまう子供。

母も妹も多くの人と出会い
そして多くの人を見送ってきました。


母が時々言っていた事です。
なんで血液型が違ったんだろう?
どうして私と同じじゃなかったんだろう?
輸血しなければならないのに、血が必要なのに
呼ばれた父が来るまでの間
自分はただ横について見ている事しか出来ない。

ただ見ている事だってとても大変な事で
母は何もしていないわけではないのに…
子供心に思いましたが
移植すれば…という道が閉ざされたままの状況では
何を言っても無理だと思っていました。


あの頃は私もまだまだ子供で
中々家の手伝いも出来なくて(家業)…しなくて(家事)…
ダメな子と言われるのはしょっちゅうでした。

もう一人の妹もまだ小さくて
まだ母親が必要な時期だった事もあり
母親の代理をする私の事を、彼女は時々
「お母さん」と呼んでいました。
彼女自身にはそう呼んだという自覚はありません。

妹が無意識にそう呼んでしまうほど
私が母親代理を徹底していたわけではなく
彼女がいかに母親を必要としていたかと言う事だと思います。


*** 長いのでちょっと続きます ***



2002年11月08日(金)



 イメージ

公開日記を書き始めて…
(お約束のように後悔日記と変換するな>マイPC)
それを読んでくれる人がいて、その人たちと実際会ってみて…。


実際の私と文章から受けるイメージに
割とギャップがあるらしいと言う事を知る。笑



愉快だ。



この私がキャリアウーマンタイプに思われてしまうなんてっ♪


実際はキャリアウーマンタイプではないです。
ぼへ〜っと生きてるお姉ちゃん(おばちゃん?!)です。



↑エンピツ投票ボタン

…と言うより自分サイズの服を着てただけです。
いつもクタクタ〜っとした格好なので。



私自身はあんまり相手に対してイメージとかないのだけど
それでもやっぱりイメージ作ってる時もあって
意外だったわ!と驚く事もあるんだけど。
そうかぁ、私って出来る女っぽい?えへ。
とかまた調子に乗ってしまうわけです。はい。

そして今朝はプチ遅刻…。

ぼーっと車走らせてたらうっかり曲がる所を曲がらず直進。
その先は未知の世界…。見当つけて走ったけどさ。
時間も道も読めない世界って怖いですね。
と、共感を求めてみる。

ってか遅刻すんな。



昨日、我が家に妹2としゅうちゃんが来ました。
んで、お下がりの靴ゲット〜〜。
アシックスのカリフォルニアベビー。
保育園でそろそろ靴を履かせるようなので
買ってもいいけどあんまり履いてないのあるしなぁと。

そして今我が家はプチ惨状…。
昨日ちびっこ二人で荒らしてくれて。(TT)
いいけどね、別に。
週末に片付けるから。

で、はいはい出来るようになった報告もしてみた私。


妹2「はいはいすると歩き出すの遅くなるよ」


ん〜〜。まぁ歩いてくれると助かる事もあるけれど
そんなに早く成長してくれなくてもいいよと思うから
まぁいっか…。(^^;



今日はお迎えの後ふらふらとお買い物へ〜。
遅いんだから早く帰れとも思ったけど気分転換に。

買い物をするつもりはなかったのに…
起毛の入ってないトレーナー発見!
これは買っておかねば!
と言う訳でちょっぴり悩みつつ購入…。


悩んだ理由はやはり金銭的な事情です。(^^;


でも悩んでると言いつつ一緒にシャツも買ってるのはなんででしょう?笑



ん〜。今月もうまくやりくりしないとだなぁ…。

2002年11月05日(火)



 パフェオフ♪

今日はパフェオフの日。
朝早く起きて支度して準備万端で…
そうだ、少し早めに行って席も確保した方がいいかな?

と思っていたのに、思っただけで終わりました。


ダメじゃん。(−−メ


って言うか朝から大変よ〜っ。
加湿器なぎ倒してウゴウゴしてるしっ!
切れてたからまだいいようなものの…
でも下半身ぬれてたから寒かったはず…。

横にたぁがいなくてずいぶん静かだな?
と思って目が覚めたら畳が〜たぁが〜〜〜。



パフェオフ参加者さんは(五十音順/笑)
キキ&ひなぞぅ、ことまま&ちびちゃん4人
白夜&テツ君、まみたん&りりたん、ゆう&まどかちゃん
そして私とたぁ、の大人6人子供9人でした。


子供がたくさんでとてもにぎやか。(^^)



今回、一番乗りは電車組キキちゃんでした。
「おそくなってごめんなさーい」
と言われたけれど…一番乗りです。はい。

そして車内でキキちゃんの手を握ったまま
離そうとしないたぁ…好みだったのかしら…。
でもたぁたん甲斐性ないからまだプロポーズはちょっとね。

それに年の差を考えるとひなぞぅちゃんの方が…。
いえ、愛に年の差なんて関係ないけれど。笑

ひなちゃんはテクテク歩いてるのが印象的でした。
一人で出来るもん!って感じが可愛いの。
母子でおそろいチックな服も可愛かったし。


2番乗りはまみたん。
本当は白夜と一緒に来るはずだったのだけど。(^^;

キキちゃんを拾って現地へ向かう途中電話があったので
そのまま車で拾いに。

りりたんは色白〜。色素薄いのね。
ホントにおとなしくてお人形さんみたいだった。
お肌もめちゃくちゃ綺麗だったし。
白いから余計に。


3番乗りは電車を乗り間違えて
危うく違う田舎に飛ばされそうになった白夜でした。
やっと目的の駅に着いたと言うので携帯で話しながら迎えに。

久しぶりに会うテツ君はすんごく元気でした。
抱っこすると膝の上ではねるはねる。
さすが男の子って感じ。
そうそう、髪の毛、少し伸びてました。(^^)


4番乗りは車組のゆう。
途中渋滞もあって中々大変そう。

まどかちゃんは泣き声をあげてました。
泣き声かと思ったら違ったんだけど
まるで泣いてるようにしか聞こえない…。
ん〜。ご近所さんにどう思われてるかが怖いね。


で、ラストは車組、ことまま。
しっかり渋滞にはまっていたみたいで。(^^;
3ヶ月の赤ちゃん連れての移動、お疲れ様でした。

お姉ちゃんとお兄ちゃんたち
ママにしっかりしつけられていました。
3ヶ月の赤ちゃん、りこちゃんは
もう首も据わっていて背中もしっかりしてて
えー?本当に3ヶ月なの?!と思うくらい。
上の兄弟がいると成長が早いのね!


あ、余談ですが。

ことままのとこのお兄ちゃん達に抱っこされてたまどかちゃん。
兄弟でーす♪と言っても通用しそうな…。
顔立ちが少し似てるように感じたのは私だけ?



んもぅ、可愛いですね。
特に女の子〜〜。
場が華やかになりますね。

ランチのお店が
ちょうど七五三客で賑わっていたのだけど
女の子の着物姿はやっぱり可愛い。

いいなぁ、女の子のママさんは
いずれ着飾らせる事が出来るんだよね。
みんな着物を着ておめかしするんだろうなぁ。
成人式も振袖なんか着ちゃうんだろうなぁ。

男の子はどう頑張っても可愛いの限界があるんだよね。



ランチは各自好きなものを食べて
子供抱っこしたりして遊んだあと
今回の目玉(笑)パフェを食べに移動〜。


パフェのお店、空いててよかった〜。

で、みんなでメニューを見ながら注文…
入道雲パフェはメニューに載ってた写真見てみんな一応
こんな感じなのね〜と納得?感心?してた様子。
(昔は写真なかったのよ!)
そのせいなの?入道雲パフェを頼んだのは私だけ。(^^;

でもここのお店のデザートはどれも
華やか〜ゴ〜ジャスゥ〜って感じなので
運ばれてきた物を見て感動してたようです。(^^)


でもね、入道雲はもっとすごいんだな…。
(気のせいか昔より雲が大きくなってたような)


一番最後に運ばれた入道雲パフェを見て
その大きさに皆様びっくりされたようで。笑
食べるの大変だったけど頼んでよかったよ、あの反応。

一見の価値はあったでしょう?笑

雲の部分はことままの所のお子達にも手伝ってもらいました。
あれを全部食べてたら本体に行き着く前に撃沈してしまう。
一人で完食は私には無理です。(^^;



今回のオフは時々『大人の会話』
なんかもあったりして大変楽しかったです。
ぶっちゃけどうよ?みたいなお話。笑

私もついついたぁのいきさつと言うか
ぽろっと話してしまったし。笑
子父なんか百○百○の男と言われてしまうし。
いやぁ、お恥ずかしい。



帰りは車組がうちに寄り道。
道が渋滞してるようだったしね。
雑然としたうちだったでしょう…。
本棚なんか適当に詰め込んだまんまだったし。
あっ。お茶も出さずにごめんなさい…。

ぢつは車組、お写真を見て帰りました。笑
横顔だからわかりづらいけど。


本当はお泊りできればよかったんだけど…
たぁの調子がやっぱり完全ではないので
今回はお泊りはナシでした。



そうそう、私、人見知り激しいんですけど
内側むいてる、母に言わせると根暗な性格なんですけど
話しやすい人ばっかりで楽しかったです。

どうもありがとう。

今回会った人も会えなかった人も
(また)お会いできると良いですね。


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調子に乗ってまたジャニ!とか言い出すぞ。。。


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その通りで笑えた。



夜中に子父と少し話しをしました。

子父「楽しかった?」
私 「うん」
子父「よかったね」

私 「あとね『大人の会話』もしたの」
子父「…そんなことまで喋ったのか〜?汗」


それから、たぁが少し成長しました。
ずりばいでないはいはいが、出来る様になったの。

オフでみんなに会って刺激されたのかな。


今の所、目的がないか高い所に目的がある場合ははいはい
早く移動したい時、低い所に目的がある場合はずりばいとなってます。

2002年11月03日(日)
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