ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2009年07月26日(日)

ひとのことは見えるけれど、自分の事になるとさっぱりだ。

迷惑をかけて申し訳ない、という人に対して
「いいから割り切って」と私はよく言っていたし、
心底そう思っていたけれど、自分が似たような状況に陥ると、
実際申し訳ないと強く思うし、どうしていいかわからない。
とりあえず仕事量をセーブしなさい、と言われて、
それは本当に同僚の負担が単純に増える事なので心苦しいが、
今回はそれを素直に受ける事にした。
自分を外から見たらどう見えるのか?と思ったときに、
本当は人に頼る事や頭を下げる事は大嫌いだけれど、
頭を下げてでも、ここは頼らざるを得ない、と思った。
自分が立ち直るのに必死だ。

自分の心の状態が自分で思うより思わしくなくて、
心配されている事に対し「もう大丈夫」と思ったものの全くダメで、
復活ははるか先…というか復活するのかどうか怪しいけれど、
幸せになりたくないわけじゃない。
ただ、今は恨み言を吐きたい気分で頭がいっぱいで、
ほかの事に何一つ手がつかないのだ。
手がついても、中途半端で、自分でも見るに耐えない。

ただ、働かないといけないし、コケても誰も助けてくれない。
自分がだめになった時誰かがいてくれるという人が本当に羨ましいし、
誰かのせいにしたいけれど、でも、最後に笑うのは私だ。
私をこんな目に合わせた奴らに復讐するために、
私は自分を幸せだと思う環境に身を置きたい。



2009年07月25日(土)

いつでも落ちる事ができる。
いつでも泣ける。

幸せは、やっぱりガラス一枚隔てた向こうにあると感じる。
見えていて触れそうだけれど、どうにも触れられない。

明けない夜はないらしいけれど、
ずっと夜にいたら、それに慣れてしまって、
明るい状態が今までにあったのか、よくわからない。

ねえ誰か、と思うけれど、
楽しかった事や悔しかった事を話せる人がいない。
せっかくの花火も、一緒に見てくれる誰かもいない。

何をもがいたらいいのか、よくわからない。
疲れてしまっているのが悪いんだと思うけれど、
仕事をしている以上は疲れやストレスは受け入れねばならない。

みんな、こんな気持ちになるんだろうか。



2009年07月10日(金)

私は言われたことは覚えているし、根に持つ性格だ。
それを人に言えないかわりに、ここで書いている。

人様の家族計画には口を挟むつもりはないが、
ずるいと思ったことを覚えているし、
何かを得るならば、何かを犠牲にするのは当たり前だと思う。
犠牲にする何か、は、
自分の健康だったり、収入だったり、プライドだったり、
そうでなければ愛情だったりするけれど、
どれひとつ無傷でいられるなんて甘い、と私はこっそり思っている。

私が犠牲にしているのは私生活で、自分の感情で、
その代わりに得ているのは、…なんだろう、わからない。
私が得たのは孤独か。
そんなもの欲しくはないが、どういうものかを知るのには、
実際自分が体験するのが手っ取り早い、ということか。

孤独を知ったら、強くいられるだろうか。輝いていられるだろうか。


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襖 [MAIL]