ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2008年01月27日(日)

人と比べて落ち込んだりふさぎ込んだりするぐらいなら、外へ出たほうがいい。
ひとりでもいいけれど誰かと一緒ならもっといい。
そう思った。

ただ、友達は家庭や子供を持っており、うかつに誘えないので、こういう状況の人と同病相憐れむというか、傷をなめ合うというか、そういうことがしたいと思うけれど、そういう友達もなかなかいない。

結局は「友達がいないのがだめ」なのかね。
でも、何とか、休日が楽しくて、楽しみで仕方ない、と思うような日々を送りたい。



2008年01月24日(木)

悪気があるなんて絶対に思いもしないけれど、でも、それでも、嫌なのだ。
理屈はわかるが、納得できない。

「いい人が見つかると良いね」この言葉が大嫌いだ。
何の気なしに言っているのだと思う。
私を気の毒に思っていてくれるのだと思う。
そう言うよりないというのもわかる。

でもこの言葉を聞いた途端、バラまきクイズ(アメリカ横断ウルトラクイズ)でハズレを引きあてたような落胆を味わうのだ。さんざん走りまくって、司会者に問題の封を切ってもらい、わくわくしながら中身を見たら「ハズレ」。そんな感じなのだ。

人の行為も素直に受けられないほど拗ねている。
でも人前で拗ねたらおしまいだ。

面の皮一枚でどうにか耐えている。


追記(1/25):
人の行為、は、人の厚意の間違いだけれど、「面の皮一枚」はあえてそう書いた。
首の皮一枚だと本当に死んでしまいそうだし、「面の皮」なら、心ではけっ、と思いつつもまあ一応表情を変えずに「ありがとね」と言えている状態だというのがわかるだろうか、と思ったのだ。

自分に幸せが降り注がないような気がしていて、人の幸せな話を聞くのは辛い。どうしても比べてしまうから。
独身子供なし彼氏無し、そんな人が歳をとり、拗ねていくのはこういう感じなんだろうと思う。なりたくないと思っていたものに近づきつつあり、それがまた嫌でしょうがない。



2008年01月20日(日)

「これから恋愛も結婚も出産もできる」という根拠のない自信が欲しい。

相手がいないと始まらない事については、努力して理性をどれだけ働かせても無駄なのだと思った。
努力するといい事があるよ、と教えられて信じてきたので、恋愛も結婚も努力だけで何とかなるんじゃないか、と思っていたのだけど、でも、そうではないのだ。悲しいけれど、自分の願いが叶わない理由が、「縁」というわけのわからない言葉で片付いてしまうのだ。こんな理不尽な事ってない。

「焦っても無駄」そう言われた事がある。
結婚も出産も経験してきた人の言葉だし、確かに正論なのだが、言われてみるとこれほど悔しい・情けないと思う事もない。こうなってしまった状況を選択したのは私自身かもしれない、でも、あんまりだ、と思う。私の立場の人間がまわりにいないので、誰にも愚痴をたれる事はできない。
一人で平気なんてそんなのはどう考えても強がりでしかない。

人にはどんなに望んでも手に入らないものがあって、それが私の場合恋愛結婚出産だとしたら、私は一体、どうしたらいいだろう。考えただけで暗くなる。

でもまだ諦めきれないので悪あがきは沢山するけれどね。
暗くなると彼氏どころか人も寄ってこなくなるから表面では明るくするけどね。



2008年01月13日(日)

あけましておめでとうございます。
遅ればせながら、年明け初めての日記。

いつの間にか体重が2キロ減となっていたせいか、体力が落ちた。
寝不足も不規則な食事習慣も過労も体力低下に拍車をかけた。
たかが風邪をひいただけなのに、治りが遅い。
一ヶ月も吹き出物が治らない。
法令線が深く顔に刻まれた。
体が辛い事が多い。
「やつれたね」といわれる事が多くなった。
ご飯を一度に食べられる量が減った。

体力が落ちたのが先か、気力が湧かないのが先なのかわからないが、休日は何もしないで引きこもっても、屁とも思わなくなりつつある。
中途半端に外に出ようと思うと疲れる。
外に出て気分転換、と思っても疲れてしまうので満喫できない。
同居の両親も私が疲れていることがわかるのか、寝てごろごろしていても同情をしてもらっている。

でもこのままではいけない。
でも体がついていかない。
今年からは大厄も大殺界でもないから、今年はきっといい年になると思うが、肝心の精神力も体力も上に向かない。

落ちた体力を回復させるには、まず何をしたら良いのかネットで調べてみる事にする。


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襖 [MAIL]