ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2003年12月31日(水) 2003

ようやく年賀状の印刷が終わった。年賀状に添える文章を考えるのは明日にしよう。

年末年始といえば寝ているか食べているかどちらかになるので、肩は凝るし頭は痛いし太るしいいことなんて一つもないが、かといって外出する元気もない。心身ともに不健康だ。顎の状態もよろしくない。

2003年はよくよく考えてみると、仕事がハードになって身動きが取れなくなったり、かといって暇ができると考え込んで泣いてしまう、そんな一年だった。何となくツキもないし、楽しいこともわずかしかなかったが、かといって物凄く悪いわけではなかった。その良くなさ加減が中途半端だ。

こないだ、2004年の誕生日別運勢ランキングをテレビで放送していたので楽しみに見ていたら、私の誕生日は366日中ワースト2位だった。下から二番目、それは今年より運勢が悪い可能性のほうが高い、ということになるのか。今年より運勢の悪い来年って一体どんなだろう。サターンリターンも来年だ。今よりきつい精神的な試練がやってくるのかもしれない、私はそれに耐えられるのだろうか。


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上の文章を書いてから眠りについたのだが、このとき見た夢が本当に嫌な感触の夢だったので少しここに書いて残しておこうかと思う。今の時期に見た夢には何かの啓示でもあるのだろうか、だとしたらそんな啓示は嫌だ。

顔見知りのおとなしい男の子にドライブに行こうと誘われ、暇だったので出かけた。空は曇天で、もしかしたら雨も降っていたかもしれない。私は後部座席に乗り、男の子は軽のワンボックスを運転する。車のスピードが少し速いかな、前に車が迫っているけど大丈夫かな、と思っていたら、男の子はブレーキが遅れ、前車に派手に追突してしまった。ガラスが割れてボンネットはぐしゃぐしゃ。男の子は、車を近くの空き地に置いて、前車の人が無事だったかの確認もせずに真っ青な顔をして逃げ出し、そのまま失踪してしまうという夢だった。でも男の子は実在する人物では該当者がいない、男の子はメガネをかけているのだが、私の知り合いでメガネをかけておとなしくて小柄な男性はいない。

夢見が悪い2003年だったが、来年は良い年であることを祈ろう。



2003年12月27日(土)

頑張っているのにどうして、や、こんなに我慢してるのに、とか思うのがそもそも間違っているのだと思う。ただ、どうしていいかわからないだけだ。

抜け出すためにはどうしたらいいか、自分ではわからない。人から見ると一目瞭然なんだろうが、私にはわからない。人間に4次元がわからないのと一緒だ。何が悪かったのか。自分が悪いとするのならどこか。

自分の情をどこにもぶつけようがない、持っていく場所や人がいない。情をかけたい対象も、かけてもらえる人もいない。歳をとるごとにそれが重たくて、消えてしまいたくなる。私は誰にもどこでもどうでもいい人なのだと思うが、そんな人間なら最初から感情なんていらなかった。



2003年12月26日(金) 証書

合格証書が家に届いた。欲を言えば名前は手書きでお願いしたかったが、何千枚も手書きをするわけにはいかないのだろうなあ。

試験終了直後は、もう駄目また来年…などと思っていたが、受かってしまえば天狗になってしまう。まあでも、ほとんど運で受かったようなものだ。自己採点するためにつけた印すら怪しかったしな。もし神様がいるのなら、小さな災難が立て続けに起こった私をあまりに不憫に思って、まー資格の一つでも恵んでやるか、という風にして合格させてもらったんじゃないかと本気で思う。

それにしても、年末の忙しいときにあわせて届かなくても…。資格取得申請は来年か。来年になると事務もあれこれ言ってきそうだし、ややこしい話になりそうだと思うとげんなりするが、お小遣い程度の報奨金も出ることだし、気を取り直さねば。



2003年12月24日(水) 家族

クリスマスイブは、両親と鍋を囲み、焼いた鶏肉を食べた。
コテコテした食べ物が多い中、葱味噌(葱と鰹節の味噌汁)は異様に美味かった。クリスマスには葱味噌が似合う。お約束のケーキはいつもと違う店のものを買い、3本の蝋燭を立てて部屋を暗くし(3本とは家族3人という意味なのだそうだ)、なぜか私が炎を吹き消した。こないだの試験の合格祝いという意味もあるのだろう、乾杯、おめでとう、と言われてこそばゆかった。

朝、母親から、同級生のお父さんが激務の後に倒れたと聞いた。
同級生のお父さんと私の母親は同じ職場で働いているので、そういう話が聞こえてきたのだ。発見が遅れたために、あまり体の状態は良くないそうだ。同級生のお父さんを、私の母親はあまりよく思っていなかったらしいが、少なからずショックを受けていた様子だった。

そんな話を聞いてしまったから、今日のクリスマスを家族で過ごすことが、とても貴重なことに思えてしまった。普段は感情が振り切れそうになるまで言い争いをしたり、酷い事を言われて底なしに沈んだりするのだが、いい大人になってからはこんなに平穏なクリスマスは初めてかもしれない。

同級生のお父さんといえば私の両親と歳もそう変わらないだろうし、そういえばこないだも大学時代の友人から父親が亡くなった、との喪中欠礼の葉書が届いた。他人事ではない、いよいよ、自分だけの都合で世界が回らない年齢になったんだと思った。自分の両親も、いつまで健康でいられるのか。いつまでこうして家族でささやかな生活ができるのだろうか。家族といられるうちは、家族でこうしてお祝いをしておこう、家族は永遠に目に見えるものではないんだなと思って少し泣きそうになった。



2003年12月22日(月)

自分が惨めに思えて泣けてくる。

仕事は思ったように進んでゆかない、何のためにここまで働かなければならないのかわからなくなってきた。上司に「残業代も出ないし、何もそこまで一生懸命やる必要はないだろう?」と言われて猛烈に腹が立ったが、確かによく考えてみたら、本当に頑張る理由もないし、必要などないのだと思う。
仕事が終わり自宅に戻ると10時をまわっている。疲れと空腹という情けない理由で居合わせた母親に当り散らしてしまい、いい歳をして情けないと思う。ますます消えてしまいたくなる。

一度同僚に辛いと愚痴をたれたら、ものすごく暗い顔をされてしまったので、もう何も言えない。幸せな人に、水をさすようなことをしてはいけない。できれば人の愚痴も聞きたくないというのが本音だ。溜まった不満や愚痴を、人に預けることなく自分で何とか処理できないものだろうか。

世間ではクリスマスなのだそうだ。人の幸せは嫌いではないが、自分に全く縁のないものだと思うと本当に惨めだ。幸い祝日は会社が休みなので、何かおいしいデザートでも買って自分をだまそうかと思う。最近は食べることぐらいにしか幸せを見出せない。



2003年12月21日(日) 妬みが原動力になるとは思えないが…

普段使っている日記が使えない様子なので、またまたこちらにお邪魔させていただくことにした。

来年2月にとある試験を受けることになった。ついては、こないだと同じように土日で図書館にこもって勉強しなきゃと思っていた。自宅で勉強すると「頑張ってるねえ」なんて言われる事が嫌で、構われるのが嫌で、勉強は夜中か、家の者がいない環境でひっそりとするようにしているのだ。そんな時、同じ試験を受ける同僚が何かの話題の合間に言った言葉に私は打ちのめされた。

「いや、図書館デートしようかと思って。(同僚・その彼氏の)二人とも試験勉強しなきゃいけないもの、毎週遊んでられないし」
田舎なので図書館は地域に一箇所、しかも狭い。私も同じ場所で勉強せねばならない。なので、私が人のデートの邪魔をしてるような格好になってしまう。そこで私は、
「あの、それって私お邪魔虫なんじゃ?」と言った所、あっさりと、
「大丈夫、別にそんなことないですよ」と返事が返ってきた。
大丈夫じゃないのはむしろ私のほうなんじゃないの?、と思ったが、同僚が嬉しそうに言うので何も言えなかった。

仕事も忙しいし勉強もしなきゃいけない、自分の支えになるものが何もない。そんなときに、恋愛も試験も両方いただき、心の支えもあるもんね、という姿勢でかかってこられると非常にいたたまれない。だからといって人の幸せを嫉妬する私も駄目な人間だが、楽しそうな二人を見たなら、きっと立ち直れないような気がする。恋愛が不毛なら試験頑張らなきゃ、と思う私を全否定されたような感じだ。

じゃあ私に彼氏ができればいいのかというとそういう問題じゃなくて、図書館で自分のペースを死守できるのかというのが一番頭に引っかかるのだ。


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襖 [MAIL]