29号の日記
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2006年02月26日(日) 嗚呼、ルキウス

 あいにくの雨もあり、今日もRTW三昧。
分からない人にはわからないが・・・。古代ローマ世界の戦略シミュレーションゲーム。
 このゲーム、とにかくプレイ時間が長い。1ターン1ターンをじっくり考えるのと、美麗3D戦闘画面のせいで、とにかく重いため。昨年11月末か12月初め頃に始めて、まだ全100ヶ州(!)のうちの16州(注1)しか支配するに至っていない。勝利を収めるまであと何ヶ月かかることやら・・・。
 今日は、前回の制圧直後に住民蜂起を起こして反乱中の、コルドバ(注2)後と、ハリカルナッソス(注3)包囲戦。
 コルドバは実在の歴史で有名な、かのユリウス・カエサル(英語式に発音すると「シーザー」ね。)に包囲させ、ハリカルナッソスは、将来の「勢力の後継者」として有望とみなした「ルキウス・ユリウス」に武者修行の為に包囲させていたのだが、、、包囲にキレた反乱軍が、城門の外に撃って出てきた。しかし、城外で敵兵はほぼ壊滅。逃げる敵兵をルキウスに騎馬で負わせる。城門の中に逃げる敵兵のどさくさに紛れて城内へ。城内を散り散りになって逃げる敵の弓兵。しかし、ルキウスの乗る馬もどうも戦闘に疲れていた。だんだん動きが鈍くなり、その弓兵が護身用に持っていた短剣であっさり首を斯かれて落命。えっ!と思わず絶句せざるを得なかった。後継者として期待していたのに、僅か23歳で散ってしまうとは・・・。


(注1)支配地域は、イタリア半島北部・ガリア(現フランス)・ヒスパニア(現スペイン)の大部分・それと飛び地としてクレタ島(現ギリシャの一部)。
(注2)現スペインの内陸部に位置する都市。およそ1000年後に、イスラム王朝「後ウマイヤ朝」の都として世界史を彩る運命を背負う。現在でも同名のまま残る。

(注3)現トルコ南西部の地中海沿岸。


2006年02月18日(土) 生演奏・於文化会館

 昨日だったか一昨日だったか、郵便受けにチラシが入っていた。
「東京○○大学吹奏楽部定期演奏会・・・文化会館にて2月18日午後1時から。入場無料。」
 今日は予定のない休日。文化会館までだったら原付で15分もかからないのと、タダという言葉に魅かれて独りで行ってみた。
 受付のところではなんと、単にタダというだけではなく、粗品までくれた。ありがとうございますっ。

 「あ、今の音、不協和音?」ってところがあったりして、お金を払って聴くプロの方の演奏に比べると「?」って感じるところがあるにせよ、自宅から15分で、立派な会場で、生演奏を、それもタダで聴けるというのは得難い経験ではないかと思う。


2006年02月17日(金) アルペン撤退

 職場帰り、スポーツ用品店「アルペン」撤退に伴う閉店セールに、先日スキーに行った、「しっ君」に誘われて行った。家から10分程度なんだけど、今迄行ったことがなかった。
 店舗は小さくて品揃えは貧弱。人々の行動半径が広がっている現在、この規模の店では、多少遠くても隣町の店に客が流れてしまうのは無理もないだろう。完全閉店もさもありなんと納得。
 特価のスキー用手袋1780円一対と、1割引きの液体ワックスを買う。こういった小物類は、売れなくても他店に持って行くことが簡単な為か、割引率は期待していた程ではない。ただ、重くてかさばるスキー板の中には大幅な割引をしているものがあった。カービングスキー、買おうかと思ったが、その前に、どんな感じか滑り心地を試してからにしたいため、今回(次はいつ?)は見送った。

 その後、ファミレスで「しっ君」と夕飯。一時間程しゃべった。普段、平日って職場以外の人と話すことが全くないから楽しかった。


2006年02月16日(木) 恩名食堂

 昨年末頃近所に開店して、前から気になっていた飯屋「恩名食堂」に、帰り道立ち寄った。清潔な店内。例えるならば、ちょっとこじゃれた学食のような雰囲気。カフェテリア形式で待ち時間ゼロ。キャンペーン限定メニューがあり、岡山の「ままかり」と、広島の「広島菜のお浸し」、あとは白身魚の魚を選んだ。味噌汁は化学の味がちょっときつかったけど、それ以外はおおむね満足。忙しい時は便利かもしれない。


2006年02月14日(火) 温暖な一日

すごく温暖な一日。全く暖房要らず。多分これって春一番なんだろうな?
2月初めに買い足した灯油、暖かくなるまでに使いきれなくて残るのではないか?と思ったりする。


2006年02月13日(月) ストック直撃

帰宅して、電気を点けないまま、寝室に入ったところ、部屋の中に横に寝かせて乾かしていた、スキーのストックを踏んでしまった。ストックの傘の部分が丁度、梃子の原理の支点の役を果たして、持ち手の部分が俺の鼻を直撃。幸い鼻血には至らなかった、筈だったが、その後風呂に入って血行が良くなったら、やっぱり鼻血が出てきた。


2006年02月12日(日) 白馬二大スキー場巡り

 土日で行ってきました。白馬二大スキー場巡り。
 最近、仕事で覚えなければならない課題があって、本当は日帰りで済ませたいところだけど、まあ、以前から予定していたことなのでこの土日は娯楽にあてましょう、ということで、月曜が不安だけど、決行です。
 初めて会う人が二人いて、その点でも、一ヶ月前から、指折り数えてこの日を待ってました。
 土曜は八方尾根。高校の頃一度行ったことがあった筈だけど、どんなコースがあったか殆ど忘れていたので、純粋に楽しめました。
 ここ数年、毎年行っていてゲレンデマップが完全に頭に入っている白馬五龍&47スキー場のゲレンデの一部を遠くに望めたりして新鮮でした。ただ、昼間のゲレンデ食堂での食事選びは完全に失敗。500円のサラダバーは頼むべきじゃなかったですね。650円のツナパスタと併せて1150円の割りに、お盆の上はなんかチープな感じ。他の二人が頼んだ870円の定食がおいしそうで、そっちにしとけば良かったと思うも後の祭り。
 
 宿(民宿)でトラブル発生。今回初顔合わせの「30代茶髪君」が、「1時間100円式」テレビの電源コードが入っていないことに気付かず料金箱に100円を入れてしまって100円が飲み込まれてしまった。その後100円を入れなおしたものの、映りが極端に悪く、人の顔はまるでピカソの絵のよう。音声は勝手に大きくなったり小さくなったり。ここで、宿に苦情を、ということで、200円飲み込まれてしまったと言えばいいところを、この宿の常連客でもあるT氏、あと二人と申し合わせて、
 「300円飲み込まれてしまったので返してくれ」
と宿のおばちゃんに顔色ひとつ変えずうそぶく。なんだかねえ。俺だったらそんなこと言えないし言わない。ただでさえ、常連客料金で安くしてもらっている上に、御好意で、ジュースもらったり、お茶菓子いただいたりしてるのに。

 二日目。T氏にとっての「聖地」であり、いつもT氏の立ててくれているプランにただ乗りしている俺にとっては「マンネリ」の白馬五龍&47スキー場。一部の初心者用緩斜面ゲレンデを除く、ほぼ全てのコースをそれぞれ1回か2回ずつ、まんべんなく滑る。更に、「47スキー場」の麓のかまくらフェスティバル会場内のイベントに参加。翌日のことを考え、余りバンバン滑って疲れたくない俺にとってはここまでは、いい時間配分。
 
 ここで再びトラブル発生。「五龍スキー場」の麓に帰るためのリフトが強風で運休。「47スキー場」からは直接には宿に帰れないため、何が何でも「五龍」ゲレンデに帰らなくてはならないのだが。フォローの為の、両ゲレンデ間連絡バスに乗って「五龍スキー場」と連絡のある「飯森ゲレンデ」へ。さらにそこから一本リフトに乗って「五龍」の麓へ。3時か3時半頃に切り上げる話が、結局夕方5時に。でも、もっと判断が遅れていたらもっと遅くなったかもしれないので、これでもマシなのかもしれない。今回、電車ではなく、クルマだったのも不幸中の幸いだった。

 宿に着くなり急いで荷物をまとめ、帰路へ。途中、「しっ君」お勧めの信州蕎麦の店に立ち寄る。松本盆地を流れる川の遥か西岸の山寄り。JRの駅で言うと、信濃松川と細野の間の数キロ西。疎らに松の木が生える駐車場に、夜空と月と星が映える。予想していたより風情ある外観。囲炉裏かなにかあって、火が燃えているものの、広い土間のせいか、地面の冷気のせいで部屋の中は寒く、上着を脱げない。上着を着たまま蕎麦を食べる。美味いが山形の「源蔵」には到底敵わない。俺の個人的評価としては、蕎麦どころとして信州は山形に敵わないなとの思いを強くする。

 その後、運転手の「しっ君」には悪いが、半ばウトウトしつつ、目だった渋滞もなく、順調に飛ばし、上洞庭駅でT氏を降ろし、午後10時50分、相州大野駅へ。ちょうどいいタイミングで急行がホームに来ており、疲れた身には嬉しかった。そのまま寝るにはちょっと小腹が空いてきたので、原付で自宅に帰る途中のラーメン屋に入って腹を満たした。

 翌日、懸念通りというべきか、疲れと寝不足で仕事ははかどらず、いつもは見逃さない点でチェックを見逃したりした。やはりふつうの土日にめいいっぱいの日程は月曜日に副作用があるなと実感。それでもT氏と二人きりの時に比べて、食事の時など、のんびり食べるようにしたりと、努めて休みを取るようにしたんだけどね。

 
 
 
 


 
 


2006年02月09日(木) 過去から現在までの彼氏彼女を振り返る恋愛診断(結果表示)

http://deai.hanihoh.com/result/?id=60209dx1abf8zz1


2006年02月08日(水) 新バージョン「29号さんとの相性チェックURL」

以前の焼き直し。試してみたい方はどうぞ。

29号さんとの相性チェックURL
 http://hanihoh.com/love/index.cgi?checkname=29%8D%86&mystat=420131228


2006年02月07日(火) 戦国自衛隊

 先週、今日とテレビで観ました。
 昨年だか今年だかに映画になったものではなく、確か十何年か、ひょっとしたら二十何年か昔の作品。クライマックスが関ヶ原の戦いになるバージョンです。
 細かな突っ込みはさておき、気になった点としては、徳川家康がものすごく悪役に描かれていたけど、そんなどうしょうもない悪役だったら誰も付いてこないでしょう。
 で、この作品でキーポイントとなるのが小早川秀秋。関ヶ原の合戦の最中に西軍から東軍に寝返って、東軍、つまり家康に勝利をもたらした人物です。この作品の主人公は、題名の通り、タイムスリップでいきなり戦国時代に投げ込まれた20数人の自衛隊の一人一人ではあるものの、彼が作品中重要な役割を演じていて、ひょっとするとこの作品自体、歴史上、「裏切者」の「日和見主義者」としてしか評価されてこなかった小早川秀秋に対する再評価というか、鎮魂歌となっているかもしれません。
 実際、作品中では、最初家康の命令に翻弄されていた秀秋だったものの、クライマックスでは名言を残しています。自衛隊員の一人に対して言った言葉なので、歴史上確認されている言葉ではないし、本当の彼の考えかどうかも分からないんだけど、この部分の秀秋の言葉にジーンときました。かっこよかったです。

 観終わった後、小早川秀秋について調べてみると
「関ヶ原における秀秋の裏切りを非難・中傷する声も多く、心労から次第に酒浸りになり、国政も顧みなくなっていった。そして、関ヶ原の合戦からわずか2年後の1602年、精神に異常を来たした末に没したといわれている(大谷吉継の亡霊の仕業ともいわれた)。」(ウィキペディアより引用)
とのことで。合戦後、わずか2年で没し、世継ぎも残さなかったとのことなので、その後の歴史が変わらないことを前提に話をまとめるには、うってつけの人物だったのかもしれません。いずれにせよ、戦後の小早川秀秋は、世間の非難というストレスで辛かったのだな、と同情しました。

 


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