29号の日記
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2003年04月30日(水) 赤い飲み

労組の役員(2名)を誘ってリーマンシュタットの居酒屋にて飲む。


2003年04月27日(日) 買物

4ヶ月ぶりに髪を切った。1,2歳若返ったような気がする。
「つるかめランド」に買物に行く途中で、農協の敷地内で「農業祭」が行われていたので、朝採りの新鮮な菜っ葉を買ってきました。夕方、クリーニング屋に、洗濯物を回収に行った際に、再度つるかめランドの店頭に立ち寄ったら、店じまい前のちょうどいい時間で、野菜が叩き売られていて、まいたけが一株(1パックではない。4パックぶんくらいの分量。)200円のところ、100円になっていたので迷わず買いました。


2003年04月26日(土) 湿度100%

天気は薄曇り。共用スペースの廊下が、まるで雑巾がけした直後のように濡れている。すごくじめじめして不快。横浜に越してきて一年目、2〜3ヶ月間くらい曇りの日続きで鬱陶しかったのを思い出してしまった。


2003年04月25日(金) 後任君とデート飲み会

 仕事が終わった後、3月までいた係に行って、なおまだやり残していた残務を3時間ほど行なってきた。ほぼキリがついた頃、後任君(26歳・♂)ももう帰るとのことなので、飲みに誘った。
 後任君は、日本最北の政令指定都市であるS市出身。ちょっとお洒落に気を使っているシティーボーイである。
 話をしてみると、一度東京暮らしをしたくて希望してこちらに来たのだが、休日を楽しめないんじゃ意味がない。失敗した!1年で「左遷」になってもいいから早くここを出たい。と嘆いていた。確かにその通りだろう。
 ちなみに、探りを入れる目的も兼ねて、「今の係で頑張ると、カラオケの時に係長に、替え歌で『愛する○○よ』と歌ってもらえるぞ。俺は仕事が遅かったりしていたから歌ってもらえなかったけど」(本当の話)と言ったら、「えーっ、ウチの係長そんな趣味あったんですか〜、気持ち悪う〜。」と言ってた。後任君はノンケであることがこれで確定。


2003年04月24日(木) 黒髪セミロン毛君からのお誘い

 出勤して早々に内線電話。
昨日の、黒髪セミロン毛君から。
「今度俺、「組合青年部新聞」を発行しようと考えてるんですよ。是非29号 さんに手伝ったもらいたいんですう。」
 うーん、複雑だ。彼とはもっと仲良くなりたい。出来れば、フツーの男と男の関係じゃない関係に。付き合ってくれるんだったら喜んで手伝ってあげるんだけどなあ。
 まあいいや。近いうちに一度、どんな新聞を作るつもりなのか、確かめてみよう。特定の政治的主張に染まった新聞を作るつもりでないのなら、協力してあげようかなと思ったのであった。


2003年04月23日(水) タダメシ

 労働組合主催の新入組合員歓迎会が、人民食堂(「29号の辞書」参照)で開催され、呼ばれたため、「新入」じゃないんだけど気晴らしに参加。
 相変わらずの人民食堂。サラダのトマトは干からび、千切りの大根はびしょびしょになっている。「昼間のうちに作りおきしただろう?」と突っ込みを入れたくなってしまう。ということで、あまり食事に箸をつける意欲がわかず、結果として、腹にあまり食べ物を入れないまま、酒だけが進む。
 俺の左隣には二十歳そこそこの若い新入組合員(♀)が。ビールを注いでくれたり、頼みもしないのにつまみを取ってくれたりと愛想がいい、のだが、俺の視線は専ら、ひとつ席を飛ばした右側に座っている、セミロン毛君。どうやら組合幹部らしいが、こうした活動に携わっている人種にありがちなダサダサ感はなく、黒髪ながらなかなかいけているのだ。
 で、その黒髪セミロン毛君と視線が合ってしまい、
「29号さんですね」
「えっ、何故俺の名前知ってんの?」
「有名ですよ」
いつの間に俺、労働組合の幹部の人々の間で、知名度上がっているんだろう?
しかもこの幹部、先月の聖地巡礼(「29号の辞書」参照)の際には会っていないのに・・・。
 まあいいや、その「えっ、何故俺の名前知ってんの?」がきっかけとなって彼と話弾んだから。しかも彼、実は社員ではなくて、組合が、幹部やってくれる社員がいないために、組合費で臨時で雇ったバイト君という身分で非常に貧しいらしい。(思わず妄想が頭の中を駆け巡る。〜「アパート代高いんだったらウチに来なよ。」で始まる魅惑の同棲生活の妄想・・・。)
 上機嫌で酒が進み、熱燗の日本酒を飲んだが、これがまた安い日本酒で、(熱燗で出されるということ自体、安物であることを物語っている・・・。)
肝臓にグッとくるものがあった。帰りの電車では、気持ち悪くなって、乗換駅ではないのに途中下車して一度休んだ。吐くことを覚悟してトイレに入ったが、大丈夫だった。帰るなり、そのまま倒れこむようにして寝た。  


 


2003年04月22日(火) 早起き

 昨夜寝たのは午前1時半過ぎ。なのに何故か、朝6時に目覚めてしまった。しかも普段、寝起きが悪いのに、比較的寝起きがいい。
仕方がないので起きることにして、部屋の整理や。朝飯も普段はフリーズドライの「ダイエットキムチスープ」に御飯を加えて雑炊みたいにしたものを、5分足らずでかき込むだけのところを、肉野菜炒め付き!
 そして、せっかくだからと、通勤経路は寄り道して、高性能浄水器の水を2リットル20円という格安で汲めるスーパーの目の前にある駅の駐輪場まで原付で行って電車に乗りました。帰りはしっかり、合計10リットルの水を汲んで帰りました。


2003年04月21日(月) 釜飯

朝起きてみたら、炊飯器の御飯が生煮えだった。以前からたまにそうなのだが、コードが接触不良を起こしているらしい。コードをたるませてみたらすぐに通電したが、まだ30分くらいかかりそう。しかしあと15分で家を出るのに30分も待っていられない。
しかたがないので生煮えの御飯を、「おぎのやの釜飯」の釜に移し替えて、水を少々足してガスにかけた。5〜6分後、試しにふたをとって御飯粒を少々、橋でつまんでみたところ、いい感じ。火から下ろして食べた。生煮えでもなく、焦げ付きもほとんどなく、炊飯器で炊いた御飯より美味かった。今度、土日にまた作ってみようかなあ。


2003年04月20日(日) 整理

今年に入ってからずっと、土日整理する暇も十分になく、長い間部屋が散らかり放題だったけど、ようやくこの日曜に整理して、足の踏み場ができました。
それと、しばらくメールを出していなかった何人かに、メールを送りました。引き続き、あと何人かに送る予定です。


2003年04月19日(土) パソゲー

昨日の夜、帰ってきてから朝までパソゲー「ポピュラス・ザ・ビグニング」に明け暮れてました。夕方6時に起きて、スーパーでの買い物などの用事を済ませて再び戦いました。


2003年04月18日(金) マイブーム

 4月に入ってから、電車で帰宅できる日が増えたので、一昨年度までの習慣だった、夕飯の自炊が復活しつつある。
 最近のマイブームはお好み焼き。3週間程前に、「つるかめランド」(食品スーパー)で「韓国風お好み焼き粉」を買ったものの、すぐには使わず、2週間程たった先週、試しにあり合わせの野菜を刻み込んで作ってみたら、これが想像以上に美味かった。
 先週日曜日に、また同じものを買おうと思って「つるかめランド」で再度探してみたのだが、既に同じ製品は売られていなかったのでがっかり。少しでもその面影を、と思い、市販のキムチを混ぜ込んだお好み焼きを、ここ4日連続で作って食べてる。酸味で食欲増進されて、いい感じである。


2003年04月17日(木) 突然

 部署が変わって、これで非人間的な労働環境から開放されるという安堵感と同時に左遷の2文字が頭の隅にちらつく毎日。
 新しい部署で、「部内報に載せるので、自己紹介の為写真付プロフを作ってください」とのことだったので、昨日、帰宅後、デジカメで自分の写真を撮ったが、写った顔を見て、「目がすさんでるな」と思った。少し前の写真でごまかすことにした。

 帰宅後、パソコンゲーム<ポピュラス・ザ・ビギニング(ゲームの詳細はHPの「お気に入り」を参照)>をしていたら、前触れなく、急にパソコンの電源が落ちた。
 どこか回線がイかれたのかと思ったが、再起動したら、無事だった。勿論、プレイ中のゲーム自体の情報は飛んでしまったけどね。


2003年04月16日(水) 募金

というわけ(4月15日分参照)で、4月に入ってもまだ終わらない、前ポストの残務整理のために、休日前などは遅くまで残っているものの、それがなければ基本的に、10時頃までに帰宅できる生活になりました。残務整理は最初の一週間は頑張ったものの、今ではマイペースでやってます。
今日は8時に上がりました。駅前で「戦災で被害を受けたイラクの子供達に」と、外国語訛りのある声で募金箱を手にしている二人組がいました。
在日イラク人とかアラブ人というわけではなく、何故かチリ大使館員。
少々迷った末、小銭を入れてきました。なんか少しだけ、自分が生きている意味を認識できたような気がしました。


2003年04月15日(火) 左遷

 2〜3ヶ月前、上司に「仕事というのははビジネスだ。プロセスじゃなくて結果なんだよ。」と言われたんだよね。同僚にも、「ひょっとしたら29号ちゃん、配転になるかも。上司が、『結果がすべてだ』言ってたでしょう?頑張ってるのは分かるけど、結果が伴っていないから。」と言われていたのが、先日現実になりました。4月より配置換え。辞令を渡すときの、上司の顔はいただけなかった。事実上の左遷。ラクだけど、出世コースからは外れた道。
 


2003年04月13日(日) ビラ

 渋谷駅前で、戦災に遭った子供達の写真を手にした人々が、「イラク戦争反対」のビラを撒いていた。その時、小ぶりだった雨が本降りに。そのためビラ撒きが中止されてしまい、ウロウロしててもビラを渡してくれないので、活動員に「ビラください」と言って、もらった。
本職は大学生と思われる活動員の人(活動員の通例に漏れず、洒落っ気のかけらも感じられなかったが、ちょっと茶髪にして、気の利いた服を着せれば、イケメンになるのではと思った。)が、話しかけてきたので、雨の中、彼と20〜30分論じ合ってしまった。

 先日、バグダッドが陥落。
米英軍が市民の歓迎を受けているという報道を聞いて、「ひょっとして、これでよかったのかも・・・」という思いに駆られた。
引き倒されるサダム像を見て、かの国の人々が如何にフセイン大統領を嫌っていたのかを思い知らされた。
テレビすら持っていない市民が圧倒的な「首領様の国」と違い、クルマを持ってる市民も多いし、国民を餓死させている「首領様」と違って、開戦前、バグダッド市民に数ヶ月分の食糧を配給しているから、ちゃんと国民に対して、指導者としての責任を果たしている。少なくともその点に関しては立派だ。実はアメリカが騒ぎ立てる程、酷い独裁というわけでもないのではないかと思っていたのだが、アメリカの認識の方が正しかったのかもしれない。

 ただ、新聞に、「これからイラクに対して、復興支援が始まることになるだろうが、失われた人の命は復興できない。」と書かれていて、「そうだよな。それは少なくとも真実だよな」と思った。

 しかし、略奪が、大統領宮殿だけでなく、政府の建てた施設全般に広がってきていることに、暗澹たる気持ちになる。戦争を起こさずにいれば、つまりは、こうした略奪も発生せずに済んだのではないだろうか。


2003年04月06日(日) 快晴

まぶしい程の快晴。絶好の花見日和。
満開の桜がかなり恨めしい。
せっかくの快晴なので、布団を干し、普段着だけでなく、タオルケットやシーツなどの寝具も洗濯する。風が強く、ベランダの下に一部が飛ばされていた。


2003年04月05日(土)

半年ぶりに、とものり嬢に会う。
一週間程前「そのうちお食事でもご一緒したいわね。」とメールが来ていたので、季節柄、「今度の土曜に、花見にしよう」と逆提案していたのだが、
結局一日中雨。カラオケボックスでカラオケという選択になりました。
日曜は快晴との予報らしいけど、別の用事があるとのこと。
来週は晴れたとしても葉桜になっているだろうし、
今年も花見できずじまいでおわるのかなあ。


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