29号の日記
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スーパーに出掛けたら、青果コーナーに、大ぶりなチャイナ生しいたけと小ぶりな国産生しいたけが並んで売られていた。チャイナしいたけは100円、国産しいたけは148円。散々迷った末に国産しいたけを買ってきた。実は、一年程前に、しいたけを栽培してる農家がいたんだけど、廃業してるんだよね。歳のせいもあるだろうけど・・・。 スーパーではほかにもりんごが5個で198円とかで売られていたけど、農家の皆さんは大丈夫なのかな、と思わずにはいられなかったです。
残業後、帰宅せず、終電後の街を30分程歩いて、アル・ジャジル(仮名)に、仮眠を主目的に出掛ける。この店、風呂とサウナのスペースが広く、ちょっとした日帰り温泉に近いものがあり、また、翌朝8時閉店という点が、翌日ちょうどその頃出勤できるという点で好都合であり、最近よく行くようになった。が、一点だけ不満が。店員がバイトの時は、7時半くらいになると閉店に向けて、ポッチャリバイト店員が店内をあわただしく駆け回って「お客さ〜ん、閉店ですよ〜、急いでくださーい!」と大声で告げ回り、店内には「蛍の光」がかかり、せかされるという点である。日中、毎日のように仕事でせかされているんだから、せっかく、くつろぎをコンセプトにした施設なんだから、せかさないで欲しい。
以下、御礼(事務連絡) *先週もお会いしたポチャの方、お世話になりました。 *スリム眼鏡の方、添い寝してくれてありがとう。いろいろ話し掛けてくれたみたいで、いろいろ俺のこと聞かれた覚えがあるんで、今度は反対に君のことを聞きたいと思います。もし今度お会いできたら宜しくお願いします。
土日で新潟県北部に遊びに行ってきました。うーん、眠い・・・。
金沢に住む知り合い(こっち系。以下「K氏」と記述。)と、燕三条で待ち合わせて、晩秋の新潟県内を巡ってきました。 晩秋の、広々とした風景の中を、新発田まで車を走らせて、回遊式日本庭園を歩きました。入園料700円はちょっと高かったな。でも、俺は一般的に、こういう庭めぐりみたいな「癒されたい系」の施設は大好き。夕方ということで気温がかなり下がってきていて、K氏は寒かったみたい。隣には「足軽長屋」という江戸期の下層武士の長屋が公開されていて見たところ、薄い土壁一枚に、暖房器具は囲炉裏と火鉢のみ。「こりゃー寒いね。プレハブ並だね。」と二人で言い合いました。当時は地球温暖化が始まる直前で、今よりも気候が低かったのに、よくこれで暮らしていけたなあと感心しました。囲炉裏でガンガン火を焚いていたのでしょうか?暖房に馴れきった現代人はもはや、軟弱になりすぎていて、この家じゃ暮らせないだろうな、と想いました。
新発田市内の「シャッター商店街」率がかなり高いことにK氏は興味津々で、しきりにカメラのシャッターを切ってました。
その後、さらに北上して、新潟県最北端の山北町へ。民宿で、豪華な海の幸を2時間くらいかけて堪能。普段寝不足な為、そのまま就寝。
翌日は、近くの川で遡上する鮭を見たつもりが、すでに一度捕獲した鮭を、異性おびき寄せ用として、川岸に打った杭から糸でつないで泳がせているだけと判明。よくみるとあっちでもこっちでも糸でつながれた鮭が・・・。まだ捕獲されていない鮭はどこ?(笑)
その後、町営温泉に。入湯料350円也。福祉施設と一体となっていて、施設の中はボランティアセンターのような趣。でも、和室やソファーでのんびりごろ寝してるおじさんがチラホラいるところは、健康ランドに近い雰囲気。俺も入浴後しばらくゆっくりしてたけど、もっとゆっくりしていってもいいと思いました。
そして、今度は山奥へ。保存性を高めるため(?)、草木灰でゆでて作った「伝説の笹団子」を作ってるおばあさんの店へ。小さな盆地に開けた、K氏言うところの「明治時代のような町並み」は、高齢者ばかり。しかも皆さん元気な方が多いらしくて、まるで初期のドラクエのごとく、ヒョコヒョコと通りを歩いたり、枯れ草を載せた手押し車を押していたり、家や畑の手入れをしていたり・・・。 集落のはずれの小さな工場に、道に面して水道の蛇口があり、そこには「生体エネルギーの高い水です」となにやら怪しい言葉が(写真参照)。まあ、要するに、湧き水を水源とした簡易水道ということでしょう。それならいただいていきますということで、横浜を出る際に予め準備しておいた空きペットボトル4リットル分をいただいていきました。
その後、陽が斜めに傾いてきた頃、村上市に移動。「イヨボヤ会館」入場。要は鮭に関する博物館。外見は、3階建ての、ありきたりの日本家屋風の建物であるが、かなり凝っていて、地下には日本の淡水魚のミニ水族館と、ガラス窓越しに、敷地内に引き込んだ川を泳ぐ野生の鮭を見れたり。 あと印象に残ったのが、村上藩が、既に江戸時代中期より、既に「育てる漁業」を始めていたという事実。欧米諸国が、収奪漁業を行なっていた当時に、日本では持続可能な漁業を始めていた。環境保護が叫ばれる今日、これは誇るべきことだと思う。 それに、スーパープレミアム鮭缶ラベル。戦前のもの。何がスーパープレミアムかというと、入館者のうち99パーセントの人は気付いていないと思うけど、製造工場の所在地が国後島のものと択捉島のものがあった。今は同じラベル、作りたくても作れないですよね〜。島そのものを奪られちゃったんだから。
暗くなってきた頃、「イヨボヤ会館」を出て、その近くにある魚市場へ。新巻鮭が一尾2000円を割る値段。すごくお買い得なのはわかるんだけど、残念ながら俺は魚をおろせない上に、独り暮らしなので、買えなかった。
そして、後は国道を南下。途中、道の駅で夕飯を食べた。バイトの女の子に注文を間違えられた。 二十歳前後か、かなりかわいい女の子だった。 その後、K氏の運転する車の中で爆睡。燕三条駅前で下ろしてもらって、新幹線で帰りました。
起きたら午後4時。 蔦屋でTMRのシングルCD「INVOKE」を借りてきて焼いた。 迷った末に来週の新潟旅行の宿泊場所を決める。 とものり嬢とチャットする。
1時半に仕事を切り上げ、午前2時半帰宅。 メールチェックをする。12月に入ってからというもの、来るメールは殆ど宣伝のメールばかりで張り合いがない。10通中、9通までがそうだから、本当、煩わしい。 6時に就寝。11時に起きて歯医者に行く。 その後、石川町駅前のスーパーで、安い水を買い、さらにドンキ山下店に行き、カップラーメンを買い込む。さらに上大岡のテナント制スーパー「赤い風船」に立ち寄る。たまには魚をということで、「あんこう」を買う。「きりたんぽ」も目に付いたので買う。 その他、洗濯、クリーニング屋にお出かけなど、身の回りのことをする。 帰ってきて、「きりたんぽ入りあんこう汁」を作って食べたら午後7時。そのまま眠気が襲ってきて、倒れこむように寝てしまう。目が覚めたら午前1時。あまり眠くない。 部屋の整理(目を通していない新聞が散らかってる)をした後、午前9時までホームページの更新及び、来週こっち系の知り合いと行く予定の新潟の宿情報をネット検索。そしてまた寝るのであった。
もともと睡眠不足なところに、昨夜、無理して帰宅したので、今日は定時以降、襲い来る睡魔に抵抗できず、ほとんど仕事にならなかった。午後10時半に撤退。家には昨日帰宅したばかりだし、行き帰りの時間がもったいないので、職場から15分で行けるサウナ「ダレル・バイダ」に行き、眠る。平日としては破格の7時間睡眠を取れ、満足。
月・火と職場泊。かなり睡眠不足。これではいかんと何杯も睡眠欲抑制剤を飲んだため、胃がキリキリする。今日は無理して帰宅した。胃をいたわる為、500ミリの容器のヨーグルトを半分平らげる。 ここ10日位途絶えているハタチの子からのメールは今日も来ておらず、落胆する。何か俺に至らない点があったんだろうかと思いを巡らすが、結論は出ない。 日曜にスーパーで6個380円と、かなりお得な値段で買った、聖地産の洋梨を食べる。日曜に食べた時より、熟成が進んで果肉がとろけるような食感になっていて大変美味しい。
金曜日の新聞にデジカメの広告で出ていたこの人、顔もスタイルもファッションもすごくタイプなんだけど、誰なんだろう?誰か知ってる人いません?
未明5時半まで残業。朝7時近くに帰宅。風呂に入った後、天気が良かったので洗濯をしながら軽く飯を食べた。その後、午前11時半の歯医者の予約時間まで仮眠予定が、目を覚ましたら辺りは暗く、なんと午後5時だった。
朝、職場近くの路上で、ベージュに近い茶髪の若者がチラシを配っていた。受け取ったら、「ありがとうございます。お仕事頑張って下さい」と言われた。すごく嬉しかった。
寝疲れか、9時位に起きたもののけだるい。あまり思考能力もない。 おまけに寒い。職場が蒸し暑いもんで、季節に体がついて行っていない。 ホームページの更新を少しする。楽しみに待ってる人がいるもんで・・・。
朝、仮眠の為、24時間営業のハッテンサウナ「C」を訪れました。 店員の対応はいまいち。店の清潔さは△。客層も△。 そもそも、あの街での徹夜明けの仮眠代わりに発展場を使う人って、あまりいないのか、俺以外の全ての人が寝ていて、ハッテンしている人など皆無でした。 そこで6時間ほど睡眠を摂ったものの、睡眠は浅く、帰宅後、夜9時頃になって、異様に眠気を感じて、そのまま翌日9時近くまで12時間寝てしまいました。
2002年11月02日(土) |
「革ゴム野郎大夜会」 |
リンク先のホームページ「Heliosphere」作者の知樹さん(大阪在住)が東京のこっち系イベントに来るというので、初顔合わせを兼ねてそのイベントに参加することになりました。 そのイベントとは「革ゴム野郎大夜会。」正式なイベント名は違った筈だけど、会場の奥にそう書かれた墨書がありました。そう、知樹さんはレザーフェチ。俺も知樹さん程ではないけど、以前から興味はあったところからすると、多分その素質はあるんだと思います。 仮に独りで行ったとしたら、話相手もいない中、右往左往するだけで終わってしまうだろうけど、一人でも知り合いがいたら、必要なことを教えてもらったりできて、ちょうどいいだろうなと思った次第です。 さて、夜11時頃落ち合うことを予定していたのですが、夜12時近くに現地前で待ち合わせ。会場は歌舞伎町のど真ん中、少なくとも見かけは茶髪ロン毛でかっこいい、ポン引きの人をやり過ごしつつ、コマ劇前までたどり付き、そこで大阪からはるばるやってきた、御一行様とご対面。そのまますぐに地下の会場へ。こっち系のイベントって、狭い会場に大勢の人を詰め込むのが通例で、その印象が強かったので、俺は、「今回の会場、人数の割に広いなあ」と感じました。 会場内は、この手のイベントではよくあることですが、大音響で音楽がかかっていて、お互い、口元で大きな声をあげないと、話を聴き取れないほど。ねるとん企画などのイベントは特になく、とりあえずいろんな人のいろんな派手なレザー姿を眺めたり、後は「Black」と書かれた怪しい一角に分け入ったりして時間を過ごしました。ここら辺り、もう少し工夫が欲しいところ。 知樹さんは、ホームページに自画像を載せてるせいか、知り合いが多いらしくいろいろな人に声を掛けられたり、逆に掛けたりしていました。それだけレザーフェチの人って、少数派でお互いが顔見知りということでもあるのでしょうか。 午前4時になった時点で、いよいよ眠気がひどくなり、知樹さんの知り合いの30代前半くらいのスリム茶髪ロン毛君(名前、一度聞いただけなので覚えてません。ごめんなさい。)を誘って「Black」スペースに行き、ちょっとイチャイチャした後にそのままお互い寝てしまいました。 起きたらお開きの時間でした。
2002年11月01日(金) |
北朝鮮拉致被害者と小説「李稜」 |
日本政府、北朝鮮に拉致された5人を、そのまま日本に留める方針を示したというニュースについて。 北朝鮮に戻さずに、日本に留める判断自体は、それ自体は正しい選択だと思う。 ただ、拉致被害者の一人が確か、「俺には俺の24年間があるんだ。」と言っていたのが、24年間という歳月の重みを感じさせる。 俺は高校時代に読んだ「李稜」という歴史小説(主要な部分は事実。ただ、登場人物の心境などは想像が入っているものと思われる)を思い起こさずにはいられなかった。 人名は忘れたが、匈奴軍に捕われた漢の将軍。最初は、「こんな野蛮な人間達」と言っていたが、やがて時が経つにつれ、彼等の生活を見るにつれ、彼等匈奴族にも漢帝国の北辺を犯さなければ生きていけない事情なり理由があり、また、唯一絶対だと思っていた漢帝国での価値観を相対的なものとして捉えられるようになっていった。 今、日本に戻ってきている拉致被害者は、その時の漢の将軍のような立場にいるのではないだろうか、と俺は思った。
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