2002年08月31日(土)


このたび初の自由行動可能日。
それを楽しみにしていたのだが、同女の提案により、水上市場へ逝く事になった。
途中で、椰子の実だかココナツだかの砂糖作りを見学させられた。
それから水上市場を見学するが、買い物時間はたった30分。
ろくに買い物できなかったが、その後さらに土産物屋へ連れて行かれた。

市場で昼飯も食えなかったため、空腹である。

それからバンコクへ戻り、やっと自由行動の時がやってきた。
伊勢丹やSOGO等のでかいデパートがある辺に置いていかれる。
絶対的に免税店を紹介されたが、それは無視して、僕らは普通に買い物した。

お昼はマックに行こう。
スパイシーチキンとライスとコークのセットを注文する。
チキンはケンタと同じようなものだった。
ライスはライスバーガーの形をしたただのライスだった。
それでナイフとフォークがついてきたのだが、何に使えというのだ。
サムライバーガーとかあったが、日本を馬鹿にしているとしか思えなかった。

デパ地下を探してお土産の食料品を買おう。
これは海外に行ったらお決まりのパターンである。
その国の土産を買うなら、こういった地元の食料品店が一番だ。
そしてレジへ。
国それぞれ清算の仕方が違うため焦るが、無事やり過ごす。
清算しようとしたら、4,000B(\13,600くらい)以上もする。
ありえねぇ。そんな買ってねぇ。
間違いだったらしく、400Bちょい買ってスーパーを後にした。

荷物が多すぎて歩けなくなった。

コインロッカーを探そう。
しかしデパート内の地図にロッカーの場所など書いておらず、
やっと見つけたロッカーも鍵は全部なかった。
方々歩き回って結局僕はドアマンに尋ねた。
英語が通じず苦労したが、僕のジェスチャーとキジの「ロッカー」でようやく
理解してもらい、案内されるが、そのロッカーも鍵がなく、
近くにあったカートを借りることに成功した。


ボクシング道具を買いに行こう。
デパート前にいくつか屋台っぽい店がある。そこで買うのだ。
値切って買ったものは、トランクスとグローブと頭の輪っか。
大満足であった。

デパートでTシャツを買った。

次に夕御飯。
これはガイドと共に移動せねばならなかった。
両手に大荷物を抱えてバスに乗り、日本人しかいないようなレストランに行く。
ニューハーフによる民族舞踊を見させられての夕飯。
しかしそれが終わると、いよいよ僕らの楽しみにしていたことが始まる。
同施設でニューハーフショーが見られるのである。(結構高いが。)
こちらのニューハーフは本当に綺麗だった。
たまに微妙なのもいたが。

ホテルに帰ってコンビニへ行く。
ご主人様へお土産にタバコとゴムを購入。




2002年08月30日(金)


アンコールの火葬場等の遺跡を見学し、昼過ぎにトンレサップ湖へ行った。
これは同女の提案で、$20のオプションである。
この湖は、インドシナ最大の漁場で、ここに住む人々は水上生活をしている。
舟自体が家になっていたり、岸辺に接岸した家だったり。
僕らは舟で湖を見学した。
水平線が見えるほど広い湖だった。
途中で寄った水上の土産物屋や魚の展覧会などには、必ず犬や猿なども一緒にいた。

次はいよいよ買い物である。
僕は値切りに値切ってシルバーリングを買った。
アンコールのタバコなんかも買ってみた。
だが時間が無くて空港へ。
タイへ帰る。



2002年08月29日(木)


サンライズのアンコール・ワットを見るために4時起き。
かなりつらい。
実際目にしてみたが、ただの日の出だったと思う。

今日はアンコール・ワット周辺遺跡群を観光する。
だが、がんじがらめの行動制限に、僕とキジは少々キレ気味であった。
そしてカンボジアに対する偏見が生じた。

遺跡入口付近に群がる土産物屋の人たちに嫌気が差してきたのだ。
売り子は土産を手に持ち、ひたすらに観光客を追いかける。
年端も行かぬ子供が「オネエサン、10枚$1、買って、安いよ」と片言で喋り捲る。
ぼろの服を着た子供がしかめ面で延々と何か話しかけてくる。
その親と見受けられるオジサンは、片手で帽子を差し出し、片手は無かった。
僕らはすべて無視した。

遺跡めぐりに飽き飽きしつつ、午後の予定であるオールドマーケットのときが来た。
よぉーしようやく自由に買い物できるぞぉ。
実はこの予定、昨日、同ツアー仲間の女Yさん(21)が提案したことだった。
が、同女によって即中止され、サンセットを遺跡から眺める予定へと変更。
さてそのサンセットであったが、思ったとおり、特に感動なし。
これを見るために、急な山道と遺跡の急な階段を上ったのだが、むしろやる気を失った。
  「6回目にして初めて見られたよー!」
という日本人の声が聞こえたが、僕とキジは、
  「ただの夕日で日本と変わんねーじゃん」
とつめたい反応を示すのみであった。

くたくたに疲れて夕飯を食い終え、ようやくホテルに戻れることになった。
が、同女の提案でビールを飲みに行くことになってしまった。
僕とキジは、事前にビールが苦手だと宣言しておいたにもかかわらず、
ガイドの兄ちゃんとドライバーのおっちゃんを引き連れてバーへと足を踏み入れた。
バーといってもカラオケつきのビアガーデンみたいなものであった。

僕らがあまりに眠そうな顔をしていたためにホテルへ戻る。
僕ら、部屋に入ると同時にキレる。



2002年08月28日(水)


フライト時間35分という短さの中で、無理矢理機内食を出される。
おやつ程度のものだったが、朝飯を食ってきた意味を失わせた。

カンボジア入国できず。

僕とキジは、機内で出入国カードをもらい忘れてしまったのだ。
係員に尋ねてカードをもらう。
男はすらすら記入していく。
そして「2人で$10ね、チップ(英語)」と最後に下手な英語でそう言ってのけた。
あっけにとられる僕ら。
  キジ 「え、まだ両替してないんですけど…(英語)」
  係員 「ああじゃ\1000でいいよ(英語)」
二人でキレそうになりつつ、しぶしぶ手渡す。
やっと入国できたと思ったら税関申告カードがない。
「Nothing to declearって繰り返してればどうにかなる」とキジは言ったが、
今度は個室に連れて行かれる。
まさかカンボジアの空港でスタッフルームに入れられることになろうとは。
その部屋にはカンボジア人の男が数人おり、馬鹿な日本人をあざ笑っていた。
怖えよ。
カード一枚$1払わされる。
マジでキレそうだった。

ようやく空港から出られ、新たなガイドさんに会う。
若くてイイ男だった。
ホテルへ向かう。
ホテルに二階はなく、部屋はそれぞれが煉瓦の道でつながれていてコテージ風だった。
竹椅子のあるテラスも各部屋についていた。
部屋自体は狭いけど。

遺跡へ。
まず許可証が必要なので顔写真を撮られた。
ものの5分で即席パスポートの出来上がり。
アンコールワットは遠く、一辺が3kmの壕(沼?)で周囲を囲まれている。
車かバイクがないととても入り口までいけない。
で、寺院だが、壁のほとんどに絵画が彫られている。
段差はきつく、太陽はぎらぎら、ガイドの説明も長い。それが仕事なんだけど。

昼飯。魚のトムヤンクン。クソ不味いので残す。

午後はホテルで昼寝をしてから再び遺跡へ行った。
今度はメインのヒンドゥー教の寺院、アンコール・ワットである。
万里の長城より急な階段で、危険極まりない寺だ。
日が暮れ始めた頃はみんなで座ってぼけーっと寺院を眺めていた。

夕飯は民族舞踊を見ながらのバイキング。
何品か美味しく感じられるようになった。

今日の感想…
子供も大人も油断できない。特に公務員なんかもう信用しねえ。
ちょっと親切心を出されただけで「チップ」とはどういう了見だ。



2002年08月27日(火)


早朝5:30に起こされる。
予想通りの不味いバイキングを食し、バンコクの宮殿へと向かう。

今日は予定を変更して、31日の日程を今日同時進行で仕上げてしまおうと計画された。
ホテルは田舎のアユタヤにあり、バンコクの王宮へは結構な時間がかかる。
だが時速100km以上が通常の車の速度なためにそんな距離は屁でもなかった。

王宮では短パンやサンダルやノースリーブが禁止されていたが僕には全く関係ない。
いつもの服装で十分であった。
現地ガイドのオヤジの説明は長く、妙なくらい写真を撮らせたがる。
僕が「カメラ持ってきてないからいいです」と断ると
「バンコク来るってお母さんに言ってこなかったの」と、
写真を撮らないほうが異常だくらいの勢い。
生理痛で苛々している僕は、オヤジが嫌いになった。
王宮も金箔やら青やら紫やらそりゃあもうウザイったらなかった。
センスがあるとは思えない建物である。

次は宝石店。
とにかく店員しつこい。
中国のときに懲りていたので逃げ回っていたが、店を出ようとすると
オヤジが「まだ時間あるよ」と出口付近で待ち構えている。
どうしようもなく店内に戻るが、宝石だけは買いたくなかった。
むしろ宝石抜きのシルバーリングだけなら買いたいくらいなのに。
再び店員に付きまとわれ、「宝石はいらないです」と断ると二階の民芸品へ。
民芸品は好きなのでいろいろ物色するが、店員の尾行によって気分は害される。
「買ってないのあなただけよ」と詰め寄られる。
仕方なく箸を550B(\1650!)で買って落着した。
それにしてもアジア人はがめつい。

昼食はまた不味いバイキングだった。
今度は寿司等も置いてあったが怖くて食えねえ。
一緒のツアー客(共立女子大生2人組!)と共に食ったのだが、
僕のあまりのローテンションぶりに引いたようだった。
生理痛でだるい上に炎天下でオヤジのくどい説明を聞き不味い飯食わせられりゃな。
屋台で売っている麺や肉がとても美味しそうだった。

次、シルク屋。
国賓も来店するという高級品店だが、そんなモン僕らが買うわけねーよ。

それからバン・パインへ行く。
バン・パインは、17世紀にプラサート・トン大王によって建てられた宮殿と寺院である。
もう暑くて死にそう。気持ち悪い。限界。

しばらくバスに乗って回復、アユタヤ日本人町跡へ行く。
何もないところで、また土産を買わされた。
キジはここで椰子の実ジュースを飲む。不味い。

さてメインのアユタヤ遺跡である。
もはや関心はなく、ただ暑いだけである。

キジ、象に乗る。
僕、象に触る。
乗るためには400B(\1440!)必要だったのでケチってみた。
キジが乗ってる間に象と写真を撮ったら20Bとられた。
ほんとに油断ならねえ。
象は温かく、毛穴が目立っており、僕は毛抜きがしたいのを我慢した。

戦争後の遺跡を見る。何もありゃしねえ。

セブンに行く。目ぼしい物は特になかった。

夜のライトアップのアユタヤ遺跡を再び訪れる。
普通のライトだった。別段綺麗なこともない。

今日の感想…
野良犬多いし怖いし飢えてるし、奴らは何のために生きているのだろうか。



2002年08月26日(月)


僕はいつもぎりぎりの人間である。
成田空港に行く時は最後は必ず走っている。
対してキジは余裕を持つタイプである。
成田空港に行く時は必ず時間が余りすぎてしまう。

そんな二人がおりなす旅、今回はアユタヤ遺跡とアンコールワット遺跡を巡る。

プラスとマイナスが合わさると、結果的には丁度良くなることは言うまでもない。
どんなミスを犯しても予定通りぴったりに事が進んだ。
しかし、僕だけには常にマイナスへと事が運ぶ。
旅行初日に生理初日にぶち当たってしまった。
こんなことならナプキン一袋分もって来るんだったと後悔しても遅い。
一応用心して10個持ってきといたのが幸いした。

飛行機に乗り込む。
今回ほどJALのサービスに驚いたことはない。
映画「アイス・エイジ」はつまらなかったとして、
なんと、映画の後にアイスモナカが出たのだ。
そして、フライトの間でナプキンを4個パクってきた。
キジは歯ブラシを数本パクってきた。

さてバンコクである。
ホテル(inアユタヤ)に行くと二人のボーイ(まだ10代かと思われる)が荷物を運ぶ。
チップをやるのが惜しまれたが、それが礼儀であることは知っていたためやる。
ホテルでexchangeしたばかりなので細かい金がなく、
20Bずつ二人にあげるしかなかった。
「ていうかなんでわざわざ二人で来んだよ」とか思いながら。
すると満面の笑みを浮かべながら「ありがとうございます」と片言でお礼を言われた。
どうやら高すぎたようだ。




2002年08月22日(木)


ご主人様とデートである。

すしおんどへ行った。
流れてきたものを食うのをためらった僕は早速注文、ウナギとアナゴ。
ウナギは品切れであった。
珍しく僕は6皿で終わった。

高崎美術館へ行った。
深井隆展とやらをやっており、高崎出身で芸大出の人の個展らしい。
樟(くす)を使った彫刻が主で、個展のタイトルは「逃れゆく思念」。
なんだかよくわからなかった。

ビブレへ行った。
ご主人様の眼鏡を買うためである。
と称してさまざまな眼鏡屋を訪れたが、ここでもやはり却下。
僕にはお金がない。

スタバへ行った。
生まれて初めてのスタバである。
ご主人様は新宿(似非)区民なので幾度も行っているが、僕は生涯初だ。
僕は、ご主人様が制止するのを振り切って、紙ナプキンをパクってきた。

ビエント高崎エクセルホールへ行った。
昨日の広告でトム・エバハート展があることを僕らは知っていたからだ。
トム・エバハート氏は、「ピーナッツ」のキャラクターを独創的な技法で
アーティスティックに表現するただひとりのアーティストである。
スヌーピーの生みの親、かのチャールズ・シュルツ氏も公認だ。
広告持参でもないのにポスターをくれた。やった。

ガストへ行った。
ドリンクバーと冷奴でねばる。
僕らの話すことといったら将来のことしかない。
ご主人様は、奴隷解放宣言をせねばならない苦境に立たされ、
僕は、この先ずっとご主人様と共に過ごせると思っている。
お金がなくたって奴隷とずっといてくれてもいいじゃん。

家に帰ってデート終了。
僕はバイト、ご主人様はファミブへと散っていった。



2002年08月20日(火)


朝飯が半額セールなのでご主人様と共に逝った。




2002年08月13日(火)


ご主人とカラオケに行こうと思ったところで、キジから電話が来る。
本日はキジに付き合うことになってしまった。

まず"マハラジャ"でカレーを食す。
次に郵便局へ行ってポールのコンサート代を支払う。
僕はYahoo!BBへモデムを返送。
シダックスでドリンクバーとともに歌う。

帰宅。

ご主人はPCで麻雀を打っていた。
僕は後ろから腕を回し、ご主人の手を研究する。
終了したのでいちゃいちゃし始めると、「シャワーを」と要請が来た。
しばしシャワー。

さぁいちゃいちゃしようか。

珍しく最初からバックであった。

その後のプレイはここでは割愛する。
とりあえず人には言えんな…。



2002年08月10日(土)


昨夕、N山から話がしたいと誘われた。
今までなんだかんだ言って断り続けていたのにも関わらず、である。
もちろん今回も断った。
だが「そうやってこないだも嘘ついて断っただろう」と問い質され、
仕方なしに今日の昼ご飯を共にすることにした。

ご主人に言わせると、
「いいか。
 DQNというのはだな、オブラートに包んで言っても理解に苦しむだけだ。
 奴らには明確に意思表示をせねばならない。
 つまりだ。
 『キライ』と明言しないと永久に追ってくるわけだ。
 奴らはまず人との付き合いのルールがないのだからな」

僕は決めた。
そして遅刻して待ち合わせのサイゼリヤヘ逝った。

N山 「実はさ、いろいろとさ、謝りたいなと思ってさ」
僕   「なんだそれだけ」
N山 「そう。俺のこといつから嫌いになった」
僕   「いやまったく覚えてないね。ただ『コイツもう駄目だな』と
     見限ったのは以前"がやが家"でみんなで飲んだ時かな」

などという話から始まり、どこが駄目なのかと訊いてくる。
反省は常にしてるし直す努力をしたいと。
僕は無理だと断言した。
じゃあ全部駄目なのか、と彼が言うので、僕は頷く他なかった。
彼は、はっきり言われないと嫌われたことが解らない人間だった。
ご主人の言うとおり、非常に子供じみた人格である。

「えーだって普通『あんたキライ』だなんて面と向かって言わないでしょ」

面と向かって言ってやった。

それからしばらくごちゃごちゃと彼の主張を聞きつつ僕の主張をし、
相変わらずの彼の説教にも飽き、やっと時間が来たので別れることに。
しかし、帰り際近くになって、彼は思いもよらない一言を漏らす。

N山 「じゃあ主任がお前のことどう思ってるか知ってる」
僕   「いや知らないけど」
N山 「俺を経験として俺みたいになんないように気をつけろよ」

なんだその意味深な発言は。

やっと身近なDQNを退治できたと思ったら、第二段か。




2002年08月09日(金)


その夜、お礼にご主人の毛髪をブリーチしてあげた。
オッサンから不良へと若返りした。
無精髭につんつん頭の茶髪で、ガラ悪いったらありゃしないが、
ご主人たるもの怖さのかけらもなくてどうする、と助言すると、
ガラの悪さも納得したようだった。
これでご主人と共に歩けるくらいまでにはなった。



2002年08月07日(水)


E子さんとその息子たっくんとシノと主任とN山と花火をしにいった。



2002年08月06日(火)


旅行代金が支払えず、消費者金融に逝こうと提案すると、
キジが実家まで車を出してくれた。



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