2002年03月31日(日)


僕は何も知らなかったのだが、父方の祖父は重症らしかった。
春眠暁を覚えずの穏やかな睡眠を送っていた今朝、突然の電話。
死んでしまったと。

ということで突如予定変更。今夜通夜。
眠さに負けて「バイトの時間までちょっと寝てよ〜」とぬくぬくし、
勤務時間よりちょっと早めに家を出て店長に報告し、今日は休みにしてもらった。

だりーなーと思いながら実家に帰る。
暇なとき用にと漫画と参考書を持参してきたのが幸いであった。
家にいても暇やっちゅーねん。
父は、家の者には何も報告しておらず、勤務先からの電話によって今後の予定を知る。
そんな父の態度に兄はキレている。
祖母(母方)は、さわらぬ神に祟りなしとの考え。
母はすでにメモリードホールへ行っているようだが、それは世間体重視だからである。
かくいう僕はというと、ただ黙って従っているだけ。要は逆らわなければよいのだ。

家族を無視する父はともかくとして、祖父が死んだのだから僕らもそこへ行かねばならない。
兄妹らは主に母と連絡を取り合い、僕は彼らの後に黙ってついて行く。
死体を前に、僕は黄金色のスニーカー。
やばくないか。
しかも周囲の人間みな喪服。
やばいだろう。
僕は車で高崎の自宅に戻り、喪服に着替えてまた伊勢崎に来たのだが、通夜には
間に合わず、途中入場という失態、さらに焼香の仕方がよくわからず、常識はずれな失態。

明日は葬式だ。
だるいぜちきしょう。



2002年03月26日(火)


家庭教師、今月が最後。
これからは個人契約としてがんばるのだ。
引っ越したことをちゃんと報告せねば。
自給とか時間とか詳細を決定せねば。

そう意気込んで常の如く適当に授業をし、ほとんどを生徒との世間話に終始させてから
まさかこんなショッキングな提案をされるとは。

保護者 「先生、申し訳ないんですが、来月から塾に通うことになりまして…」

なんてことだ。今後この美味しい夕御飯を食べることは不可能ということか。
まぁよかろう。
受験生を担当に持つのは、僕にはあまりにも重荷だ。
そういうわけで、「まぁそんな、お気を使わずに」などと言いつつ、内心
「まいいんじゃね?よかったこれでバイトが思う存分できるよ」とほくそ笑んでいたのだった。
しかしせっかく仲良くなれた中学生、亜里沙ちゃん。
いろいろお世話になったなぁと、少し感慨深くなったりして。
僕についてても成績なんかたいして上がらないんだ。
これでよかったのやもしれぬな。



2002年03月25日(月)


卒業式である。部室集合である。
全員がそろう日なので、ユニフォーム(¥9600もした!)を着て卒業生を送り出す予定だ。

とりあえず、無事花束を渡し、色紙を贈り、ビールを飲ませ、写真を撮った。
そう、一通り終わった。
終わった。がなぜかテニス部を待っている。

■テニス部(硬式・男)
 民研男子との主なサッカーの試合相手。
 人数多し。
 女テニと合同による卒業式。

つまり民研女子部員にはまったく関係のない人間たちである。
しかもテニス部はテニス部で、人数も多く、盛り上がっていて、
解散まで大変な時間を要すると思われる。
民研男子など相手にするまでもない。
それを惨めにも隅のほうで終わるのを待っている少人数の民研。
空しくないのか。

「昼飯なんか食わないよ。それまでに終わるだろ」
そう豪語していた幹事長、この責任どう取ってくれるんだ。
結局、お昼はとっくに回って、空腹のあまりみんなでパスタを食べに行くことになった。
卒業生が帰ってしまったにもかかわらず、だ。

僕は解散して家に帰るとすぐにメールを送った。
      卒業式も終わったのでもう辞めるね。
      鍵(部室の)と彷徨(論集)は今月中に誰かに渡しとく。
      退部届けは自分で議長団行ってくるから面倒なことはないと思う。
      話し合いとかは無しの方向で。じゃ。

今日はデートだったのに!!



2002年03月20日(水)


引越し屋に頼むのは大事だし(お金かかるし)、
友達に頼むのも気が引けるし(キジが「めんどいx2」うるさいし)、
もうチャリで運ぶのも不可能だし(コタツを運んだことで力尽きたし)、

ということで今日は便利屋さんが来る日です。

やってきたのは、社長さんと助手の若造。
この二人で、僕んちの家電・家具等を便利屋ワゴンに載せてゆく。
僕は部屋をちょいと掃除するが、実は何もやることがなく手持ち無沙汰だっただけである。

今度のアパートも微妙な位置で、狭い路地を迷いながらワゴンで新居へ向かう。
僕は搬入も手伝いたかったのだが、してはいけないような気がしたので
家にて荷物の整理・整頓等をやらせてもらっていた。
社長ははたまた電話で依頼を承っている。
僕と助手の若造は、世間話をしながら洗濯機や冷蔵庫のセッティングを行った。

料金¥15000のところを¥12000に負けてもらう。

社長 「何かありましたらまたご利用ください」
接客態度が大変良いと評価できるお二人であった。
今後このような職種が、コンビニのように利用される日も来るだろうと予測される。



2002年03月16日(土)


キジとタカシがスノボに出かけた。
その間僕はバイト。

夕べの今日でろくに睡眠時間が取れなかったが、ちゃんと出勤する。
何をしたら良いかよくわからないランチのお仕事はあまり好まない。
けれどもとにかく頑張る。

夕方また出勤する。
黒潮コースという普段見慣れない宴会コースが入っているため、僕は全くわからない。
でも、僕がわからないって事を知っているはずの周囲の人間が助言などするはずもなかった。
右も左もわからぬまま「盛り付け図ってどこですか」と訊いてどうにか支度し、
主任に「これは何で揚げるんですか」と訊いてどうにか準備し、
そうして揚げたわけだが、上にかけるチリソースを温める前にかけてしまい、
かけたあとでレンジでチンという失態を犯した。
ていうか、温めるなんて聞いてないし。
どれがチリソースかも、それどころか、チリソースをかけることさえも聞いてないし。
他に南蛮海老揚げなきゃいけないことも聞いてないし。

盛り付け図だけで宴会メニュー作れるわけねーだろ!

しかし今夜はそれだけでは終わらなかった。

エライ混み様だったのだ。
いつもだるいほど暇で退屈してたのにいきなり何なわけ。
いつもの土曜の様子じゃなかったぞアレは。
おかげで昼も夜も働き通しで、特に夜は大混雑の多忙極まりない調理場となり、
「今夜は早く帰れる」と期待していた僕は見事に裏切られ、いっぱいいっぱいで調理していた。

…休みたい…。



2002年03月15日(金)


メル友が奢ってくれるというので、伊勢崎までわざわざ電車で飲みに行くことになった。
そんな時に限って30分に一本くらいの電車を取り逃がすのだ。
キジの家教(バイト)とトイレ休憩のせいだが、なんかもうやる気が失せてしまい、
メールで、今夜は諦めた方が良いかもしれぬ旨を伝えると、タクシーで来るよう要請された。
しかもタクシー代出してくれると。

さて着きました。
催促するのもなんなので領収書はポケットに入れたままであります。
とりあえずメル友とその友に会ってから、友樂とかいう居酒屋に案内された。
伊勢崎といえばアヤシイお店がいっぱいあることで知られているが、
そんな店々の通りにある小さな居酒屋だった。
飲んで食って、食いまくって、食いつづけて、食いすぎた。
残飯整理のように僕はきれいに食べ尽くし、背中に、空になった皿を置いていた。
キジは酒の近くの席だったので、ビールだチューハイだと色々気を使っている。
僕は女の子キャラで通していたが、どうやらそれは要らなかったらしい。
本性出してもまったく問題のない人々だった。
今更変えられなかったけど。

そして結論。
飲み友は同年代を選ぶべし。

理由。
いくらか年上で飲み慣れてる人だと、必然的にオネエサンにも慣れていることになる。
オネエサンとの飲みは、僕等にとっての飲みとは全く異なる。
盛り上げ役も、酒注ぎも、オネエサンが全部やってくれるのだ。
今回、彼らはとても退屈な飲みだと思ったに違いない。
その証拠として、もうメールが来なくなったことを挙げれば事足りるだろう。
プライベートな飲みでまでコンパニオンになってたら、楽しく飲むなんてことは不可能だ。

今回は社会勉強になりました。




2002年03月12日(火)


キジとタカシと僕の三人が揃った。
揃った。
揃ったよ。
揃ったんだよ。

あーあーもー何日ぶりだろうねぇ、三人で遊ぶのは。
タカシには彼氏が、キジはジオス、僕はバイト、と距離はのび続けるばかりだった。
そんなある日「スノボ行こ」と僕が言い出した。
それにキジが乗った。
それにタカシが乗った。
僕はバイトで行けなくなった。

今日はそのためのウェアを買いに三人で出かけたのだ。
まずお昼、僕は居酒屋のランチを食べようと提案し、そこらへんの居酒屋へ向かうが
どこもランチはやっておらず、最終的にはTooCuteというRestaurant&Barに決まった。

バイキングだった。

僕は「げ」と思ったが今更「やめよう」とは言い出せず、仕方なく\1000払って中へ入る。
とりあえず僕は全種類食す。
腹がはちきれんばかりになっている僕を尻目に、タカシとキジは好きなものだけ食っていた。

女の子なんだな、と思った。
変わっちゃったんだな、と思った。
なんだか寂しいね。
変わらないのは僕だけ?



2002年03月10日(日)


今月のバイトは調理場が多い。
先月あたりからホールに出るようなり、ようやく慣れて楽しくなってきたところだった。
そんな矢先に調理場に戻るかのような気配。

今日も多少のミステイクを犯しながら調理をした。

ランチも出ていたため、今夜は早上がり。
帰り際、調理場でのたった一人のお友達(おばさん)に、僕の携帯番号を書いたメモを渡した。
彼女とは居酒屋の話で盛り上がり、早速今夜繰り出そうということになったのだ。

しばし家で待つ僕。
が、「この時刻まで電話がないってことはラストまでやってるな。…寝るか」
諦めた。

と思うと電話が鳴るのである。
そうして彼女の車で「海鮮問屋」へ行き、ラストまで飲んだ。
僕は、オーダーした食べ物のほとんどを食べた。
二人で\6000。
奢ってもらっちゃった♪
ありがと♪あとで御礼しなきゃ。



2002年03月09日(土)


朝5:00に主人宅をあとにし、僕は群馬に戻った。
ランチもバイトが入っていたからである。
しかし、今日は"朝まで御主人様とマターリ"という具合にはいかなかった。

先輩(御主人様の心友)がやって来たのだ。

彼は、僕がいる時に限って「終電逃したから泊めて」と言ってくる。
以前の僕ならば、それを「わーい先輩だー♪」と喜んで出迎えていたし、昨晩もそうしていた。
そんな僕の考えが一変したのにはわけがある。
今日僕は御主人様にモーニングコールを頼まれていたので、バイトが終わった後に電話した。
だが、御主人様は、宅電ばかりか携帯にも出ない。
Cメールを送ってみたところ、「お出かけ中」と一言だけ返信があった。
その時僕は直感した。

二人で出かけてるんだ……!

僕の中にむくむくと湧き上がる何かがあった。
そしてこう確信した。
先輩は僕の強敵であると。



2002年03月08日(金)


印鑑を買っていこうか買って行くまいが、どっちにしろ僕が認識していた名字と
登録名が違っていたので、無駄足をせずに助かった。
しかも全く問題なかった。

朝からマターリしていたので、ぎりぎり間に合うどころか遅刻してしまったが、
入試が始まる前までみんな待たされたので意味がない。
試験時間中ずっと立ちっぱなしで僕は肩が凝った。
試験が終了し、その近辺の亀岡八幡神社へ参拝しに逝く。
スーツ姿で参拝する女は僕一人であった。

その夜は、珍しく御主人様と一緒に夕食を食べに出かけた。
二人で銭湯用具を持って松屋へ。
吉牛でなく松屋にしたのは、吉牛でのねぎだく注文が普及しすぎているようだったからだ。
「ねぎだく」は吉牛でしか聞いたことがない。
だから松屋でも出来るか否か試してみることにしたのだ。

僕  「ねぎだくでお願いします」
主人 「……」
店員 「はい、ねぎだくですね。並ねぎだく一丁!」

流された。

で、結果ねぎだくはかなりお勧めできる。
並+つゆだく+ねぎだくで、僕は気に入ったので今度からねぎだくONLYで行こうと思う。



2002年03月07日(木)


大変長い間目にいしていなかったがために、輪郭さえも思い出すことが困難となっていた。
それは御主人様。
今日は御主人様にお目にかかれる久しぶりの日であった。

始発で出発し、8時近くに主人宅着。
御主人就寝中。
御主人が髪を切ってから一度も会ってなかったので、幼くなっていたことに胸ときめかす。

となったのであった。

何故今日バイトを休んでまで御主人様のもとへ来たかというと、
明日入試監督のバイトがあるからである。
普通にバイトしてるより儲かる。
午前中いっぱいで試験は終了するのにもかかわらず、日給が\8500なのだ。
明日稼がなければ、僕は御主人様に借金したまま帰らねばならない。

なんてえ時に印鑑忘れたよ。

夜10時近くに気づいたが時すでに遅し。
ダイソーへ逝くが10時に閉店。ディスカウントショップにも売っていない。
こうなりゃ新宿のドンキまで逝くか、と思ったが断念した。
明日、どうなる。



2002年03月04日(月)


冬眠用に購入しておいた食物が今役立っている。
日々ラーメンとパスタとオジヤである。

ある日は、一杯分の御飯を解凍し(米あるのに炊きゃしねぇ)、
おじやにしてふやかせ、二食分に相当させた。
ある日は、キジが持ってきてくれたラーメンを茹でて食し(カップラーメンは更なる保存に)、
ある日は、貯めておいたパスタにインスタントソースをかけて食した。
しかしあと一食でソースが終わってしまうので、これ以上パスタを食うわけにはいかない。
ある日は、夏に買い溜めしたまま手付かずだったチューペットを一食分とした。

今日はたまたまバイトが休みでカテキョが入っていた。
天の思し召しである。
夕食はチラシ寿司だった。
僕の嫌いな椎茸が勿論入っているが、それでも完食した。

しかもおかわりした。
おかわりなどという節操なく厚かましい行為など今までしたことがあったろうか。

しかもtake-outした。
持ち帰りなどという図々しく無礼な行為など今までしたことがあったろうか。

また生徒に漫画を借りて、おやつのバナナと蜜柑を2個づつもらって帰って来た。
御主人様の元へ行く前に飢えずにいられそうだ。



2002年03月02日(土)


僕は恋愛神様だ!!

恋愛鑑定をいたしましたところ、僕は最上級でありました。
御主人様がチンパンジーだったのに比べ、この差はなんでしょう。
まさに僕の正しさを表しております。

僕は間違ってはいなかった!!

ここにショックを受けた御主人様がいる。
御主人様どうやら信じがたいようで、再び僕の答えを聞き直し、自らキーボードを打ち始めた。
結果、「恋愛神様」。
どうあがいてみても僕のほうが勝っているとの答えだ。

見なおしたか御主人よ。
へへへ…。



2002年03月01日(金)


旅疲れの回復もままならぬまま、僕は出かけねばならない。
今日は新居である新しいアパートの契約日なのだ。

先月10万もバイトしたし〜家賃安いし〜余裕。

そう思いきや、ふと思い出す。
「そういえば旅に出る前¥35,000下ろそうと思ったら足りなかったな…」

とりあえず手付かずの先月のバイト代を下ろす。
が、当然10万では足りない。
仕送り用の群銀から足りない分を下ろす。

…下ろせない。

僕は、財布の中に夏目と諭吉と新渡戸とを探しだし、どうにかきっちり、
てゆーか ぎりぎり契約金の用意が出来た。
こないだ手付金として一万円渡したが、もしその分が今回の請求書に含まれていなかった
場合、僕は恥を掻く事になるだろう。どきどきもんである。

しかしどうにか切り抜けて契約成立。
財布の中にも、銀行二つの口座の中にも、もう札はない。
あるのは中国の札と小銭、それに日本円の子銭がいくらかといった程度である。
さぁ、再来週の給料日までどう過ごす…。



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