出向コージ苑

2004年12月31日(金) 大晦日

大晦日の過ごし方。

10時ごろ目が覚める。
お風呂に入って体をきれいに。
朝食は外。事もあろうにマクドである。
そういえばラモスが昔、
「日本人ならごはんでしょ!」とか言ってたっけ…(遠い目)

午後、買物。
先日お招きした台湾人夫妻、
実は年明け早々シドニーに転勤らしいので、
お餞別を選ぼうということになったのだ。
家族揃ってテニスが趣味と聞いたので、
安直にテニスボールとスポーツタオル。

夕方、夫の職場でビデオをセット。
ちょうど小林幸子が歌っていた。
今年は衣装が地味なのねぇ、としばし見入る。
海外在住者は紅白以外選択肢が無いのが悲しいが、
ついつい見てしまうのも事実。

夕食は、先述の台湾人夫妻にお招きを受けていたので、
市内の和食レストラン(何故か)へ。
先方のご家族と、夫の英語の先生ご夫妻とともに、
寿司だの抹茶アイスだのを食べる。
年の終りが寿司だから、
朝食のマクドは、まあ許されるだろう。
しかし、年の終りに英会話っていうのも中々ハードである。

夜半、上に住むイタリア人が、
ものすごいパーティーをやっている。
うちの天上からぶらさがっている照明がゆらゆらしている。
音楽も大音量。
お前ら幸せだな、と思っていたところ、
夫が訳のわからん対抗意識を燃やして、

「負けないぞ!」

と言い放ち、ギターを弾き出す。
上からイタリア演歌、横から夫の「ゆず」。
拷問以外のなにものでもない。

11時半過ぎ、花火を見に旧市街に出る。
人々は、手に手に酒瓶やら花火やらを持って会場に向かっている。
なんつーか、物騒な感じ。
酒瓶なんてまんま凶器になっちゃうし、
第一あんた達、花火を普通に人に向けてるんじゃない!
袋に平仮名で書いてるでしょ、
「はなびは ひとに むけちゃ だめだよ!」って!
(読めないから普通)

会場につく。
12時の瞬間、広場の真ん中で花火が打ち上げられ…

だから花火を人に向けて打つんじゃないってば!!
(残骸に目を直撃されたコージ苑)



2004年12月30日(木) サイズ展開

バルトの国の皆様は、
体型がご立派でいらっしゃいます。

コージ苑→靴がない
夫→服がない

セールなのに買物ができない。



2004年12月29日(水) おもてなし3回目

お客様も3回目になると、
こちらの気概というかなんと言うか、
「おもてなしだぞ!」という意気込みも失せがち。
食中毒出さなきゃいいや、という、
誠に投げ遣りな態度になってしまう。
別名曖昧テンション。←覚えている人は同世代です

今日のお客様は夫の上司ご夫妻。
メニューはずばり、キムチ鍋である。
…いいの!おもてなしなの!
あらかじめ「鍋なんですけど」って言ってあんの!
手抜きじゃないの!!




2004年12月28日(火) チャンス

夫は今日で仕事納め。
既に冬休みに入っている職員さんもいるとかで、
職場は閑散としているらしい。

…襲うなら今だね←おい



2004年12月27日(月) おもてなし2回目

昨夜の料理が大量に余ってしまったので、
奥様が帰国中で手料理に飢えていそうなケンタロウ氏を呼んだ。

そしてコージ苑は、
味覚が似ている日本人万歳、と思った。



2004年12月26日(日) おもてなし

夫の英語の先生ご夫妻と、
知り合いの台湾人夫妻をお招きして夕食会。

約半日、料理をしていた。

そして、おもてなし料理は通常の料理とは全く別物だと、
改めて実感した、そんなコージ苑。



2004年12月25日(土) 眠りの御子は

昨夜は夫とプレゼント交換などした後、
シャンパンと生ハムでまったりイブを過ごした私たちである。
ちなみに、夫が購入してきたシャンパンを、

「モエシャン」

などと略してお呼びになりやがったので、
「『萌え単』と酷似した呼び方をするんじゃない」と、
軽くしめておいた。

で、クリスマス本チャンの今日。
プレゼントされた「名探偵ポアロ」のDVDを見ていたら、
夫に睡魔が降臨したようで、
ソファにばったり倒れこんでしまう。

コージ苑も少々眠かったので、
一緒に昼寝を決め込んだわけであるが、
私の中で昼寝というのは30分か、せいぜい1時間である。

30分後、コージ苑起きる。
夫寝ている。

1時間後、コージ苑起きる。
夫寝ている。

その後は、自分は適当に本など読みつつ、
傍らの夫が目ざめるのを待っていたら、

こいつは2時間半もの間ぐーぐーと寝息をたてていた。
確かに今日は聖しこの夜ではあるが、
星もまだ光っていないし、
君は御母の胸にいるわけでもない。
そして私は空腹である。
そして夢見るマッチを持っていない以上、
カレーライスやらコロッケやらの幻影も見られないのだ。

コージ苑が彼をたたき起こしたのを、
一体誰が責められようか。



2004年12月24日(金) イブそば

イブには天使が降りてくる。

エンジェル先生とオペレッタ鑑賞である。
演目はシュトラウスの「こうもり」。

オペラとオペレッタってどう違うんだ、と思っていたら、
どうやらオペレッタの方が演劇度が高いらしい。
メロディがついていないセリフもあるし。

ということで、言葉がわからないとちょっと辛いものがあった。
「こうもり」の筋自体は、
複数の男女がだましだまされ、という程度のもの。
裏には社会風刺が含まれているらしいのだが、
それこそセリフが理解できないとお手上げである。
ひたすら派手な衣装と音楽を楽しんだ。

鑑賞後、エンジェル先生のご希望でレストランへ。
「マカロニ」というその店は、
各国の麺料理がメニューにならんでおり、
その中には日本の「そば」もあった。
コージ苑は、一度イギリス人家庭にステイした友人から、

「そばを食わせてくれるっていうから喜んでいたら、
上にミートソースのっけたものが出てきた」

という、あまり想像したくない話を聞かされていたので、
無難にスペイン風の味付けをほどこしたパスタにしたのだが、
エンジェル先生は中々チャレンジャーであるからして、
果敢に「そば」を注文していた。

そして待つこと10分、
出てきた「そば」は、何だか油でてかてかしていた。
どう見ても、麺つゆは付いていなさそうである。
三人でよくよく観察してみると、
いわゆる「パスタ」と同じように、
「そば」をゆでた後に、
オリーブオイルで具とともに炒めているようだ。
ちなみに具は、ベーコンと豆腐と野菜各種。

何か、すごいもの見ている気が…

しかし、一口食べた先生は「結構いける」というご感想。
こちらにも少し取り分けてくれたので、
おそるおそる口にしてみたところ、
なるほど案外食べられるものだった。
ただし、これは「そば」自体の味が、
日本のものよりも薄かったためだと思われる。
あの独特の風味にオリーブオイルは、
やっぱりちょっとキツイんじゃないだろうか。

自分で試してみる勇気もないけど。



2004年12月23日(木) 南国気分

仕事と移動の疲れをいやすために、
今日は一日お家の中。

池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚』を久々に読み、
やっぱりこの文庫買っちゃおうかなーとぼんやり思い、

「ビューティフル・マインド」のDVDを見ていたら、
夫が最後に涙ぐんでいてちょっと驚いたり、

という感じで、北国でほかほかと過ごしていた。

ここまできたら、南国気分を徹底して味わうために、
夕食は南のものでなくてはいかん、と意気込み、
近所にあるインド料理のレストランで、
辛いカレーをひーはー言いながら食べた。

途中でオーナーらしきターバン巻いたおじさんが話し掛けてきたので、
南国気分が倍増である。
よーしよし。

しかし駐車場の関係で、
帰りが歩きだったため、
一気に南国の夢が失せてしまった。

誰か、誰か私にマッチをください。←逆



2004年12月22日(水) クリスマススタート!

出発ぎりぎりまでかかって論文を入稿したので、
タクシーで空港まで行く羽目になってしまった。
年の終りの出費が痛いよー。

でもまあ、無事に休暇が迎えられたということで良し。
一応新婚なので、
クリスマス休暇を夫と過ごすために、
3ヶ月ぶりのL国に行ってみた。





…一年に一度(しかも夏限定)行ってりゃ上等だよあの北国。





え?何か聞こえました?
気のせい気のせい。気ーのーせーいー。



2004年12月21日(火) ラストスパート

2004年の仕事納めなので、
雑用を含め、次から次に仕事を片付けてゆくコージ苑。
自分が今日までためまくっていただけなのに、

「やだーコージ苑ったら出来るビジネスマンみたい」

とか思ってしまう思考回路を持っているところが、
コージ苑の哀れなところである。
(ちなみに「思考回路」を、
マイパソは「嗜好カイロ」と学習していた。
このあたりもコージ苑の哀れなところである)



2004年12月20日(月) お友達と話そう

今日の授業で、1年生は「普通形」を習った。

これを使うと友達と話せるというので、
毎年学生が喜ぶところなのであるが、
練習は結構大変。

例えば、
「はい」が「うん」、
「いいえ」が「ううん」であるとか、
男性は「私」が「ぼく」になるとか、
そのあたりは簡単なので、
すぐに覚えて使うことができる。

ただ、動詞を換える段になると、
覚えきれずに間違えてしまう。

「今、何をしている?」

という質問に対して、

「手紙を書いている。」

という答えたいとする。
すると混乱した学生は、ついつい

「手紙を書いているだ。」

と言ってしまう。
間違い…間違い…じゃないんだけど…(日本の一部では、多分)



2004年12月19日(日) 動いて休んで

休み前の最後の休日なので、
そろそろ部屋の掃除をしようかと思いたちました。

だって、汚い部屋のまま出て行って、
飛行機事故に遭って、
遺品整理に来た両親が思わず絶句し、
葬式の席で

「あの子は本当に掃除が下手だった…」

と涙を絞るという事態は避けたいじゃないですか。
何より年末だし、
ここは大掃除しかないでしょう、大掃除。



1時間後、疲れたので休憩しようと、
コーヒー飲んでたら睡魔に襲われ、
あーれぇーと拉致されて気づいたら夕方でした。

今回の教訓。
掃除は日頃からまめにやっておけ。


30にもなって学ぶような教訓じゃない気がしないでもない。



2004年12月18日(土) 休み前恒例

休日出勤。

ベタながら「第九」を大音量でかけて、
一人で仕事するって気楽だな〜。
(強がってませんよ?)



2004年12月17日(金) プロも大変

プロスキーヤーのA選手と食事。

大学→大学院→大学(職場)というコースを辿ると、
交友関係が広いようで狭い。
特にスポーツ関係の知り合いなんて、
大学時代の水泳部の方々ぐらいのものだが、
それでさえ卒業後はさっぱり連絡をとっていないのだ。

従ってコージ苑の貧しいスポーツの知識では、
プロというと野球とサッカー、
ゴルフのジャンボ何とかとかテニスの王子様(←違う)とか、
それから相撲は、えーとあれはプロっていうんだっけとか、
その程度のものしか思いつかない。

ということで、
食事をしつつ聞くA選手の話は、
コージ苑にとってはまるっきり異世界である。
ロードオブザリングかプロスキーヤーかって位である。
学ぶ所も多くて、大変有意義な時間を過ごしたわけである。

とりあえず、スキーヤーは足に故障があってはいかんということで、
オーダーメイドの靴が買えるお店を教わってきた。


…お前本当に学んでるか?



2004年12月16日(木) 先生だって

現代日本文学講読(長い)の授業は、
木曜日の朝8時からはじまる。

眠いのは分るさ。
起きた時、どう考えても遅刻って時間だったら、
「もういいや、どうせ次の授業は午後からだし」
って気分になるのも分るさ。

一人も来ないのも分るさ。ああ分るさ。


でも…
でも…
でも教師は休めないんだよ!

うわあーん。



2004年12月15日(水) 葛藤

風邪を引いて発熱したので、
自宅で大人しく寝ていた。

本など読みつつ。

しかし、コージ苑ちは寝込むという行為にあまり適していない。
その理由は、ベッドがロフトにあるというところにある。
寝ている。
喉が渇いた。
冷蔵庫に冷えた水がある。
ベッドから冷蔵庫まで、階段がある。

面倒くさい。

寝ている。
いかんともしがたい生理現象に見舞われる。
トイレは階段を下り、ドアを開けたところにある。

面倒くさい。


後30分がまんするか、
それとも今、ここで起き上がるか。
ああ、人生はなんと苦悩に満ちていることか。



2004年12月14日(火) 宴の後2

昨日に引き続き、
今日は古典のプレ・テストの監督をやるという拷問でした。




    ↑



もう3日も経っているので、
別に拷問でもなんでもないと思われます。



2004年12月13日(月) 宴の後

飲んだ疲れも取れないうちに、
定期テストの監督をやらなくてはいけない拷問に合いました。

コージ苑の手の甲、
つねった後がまだら模様になってちょっと気味悪いです。



眠かったんだよ。眠かったんだよ。



2004年12月12日(日) 胃も心も2

※土曜日の「学科旅行」記、
長すぎるので前後半に分けました。
以下、土曜の午後からの記録。

※※※※※

ベケ教授の、いわゆる「文化的活動」が終わった後は、
にわかに「生理的欲求」が高まってくる。
要はおなかがすいたのだ。

次の目的地はオリーブ農家。
オリーブオイルを作っているところを見学し、
絞りたてのものをパンにつけて試食した。

おいしい!
おーいーしーいー!!

コージ苑、作りたてのオイルに感動。
本当にオリーブの匂いがするよ!
皆も、われ先にカウンターへ行って、
おみやげ用のオリーブオイルを買っていた。
もちろん、コージ苑も2リットル購入。
ちなみに入れ物はペットボトルだった。
見事な再利用だなあ。

※※※※※

このあたりの海岸にある塩田は、
最近にわかに観光スポットとして人気が出ているらしく、
ここで作られる塩が、
旧市街などで結構なお値段で売られている。
冬だからだろうか、
実際に作っているところは見られなかったが、
塩田の真ん中をつっきる形で散歩をして、
突き当たりにあるショップでおみやげ用の塩を買った。
そろそろ冬の帰国が射程に入ってきたので。

※※※※※

そして本日のメイン。
後3分でイタリア、という山の中腹にある、
農場のレストランで、
なんと5時間ディナー!

5時間…(ちょっとげっそり)

とにかくこの国の人間は夕食をゆっくりとる。
ちょっと昔は午後の3時で仕事を終り、
それから延々真夜中まで飲み食いしていたらしい。

一方コージ苑は、
ごく親しいお友達との飲み会をのぞき、
一箇所で2時間以上というと、ちょっとつらい。
それよりも長くなると、
胃も話題も限界を覚えるのである。
たった2時間で話がつきるとは、
つくづく人間の幅が狭いのう、とは思うが、
こればっかりはしょうがない。
だって疲れるんだもん。

従って、この5時間ディナーにあたっては、
「話題はともかく胃袋はもたせよう」という作戦のもとに、
最初のオードブルとスープは極力少なめにおさえてみた。
トリュフのニョッキですら、控えめの盛りにした。
コージ苑にしては珍しく、
ワインも最小限にとどめ、酔わないように。

しかし我慢した甲斐があって、
メインがとにかく最高に良かった。
庭にある石釜を使って、
炭火で2時間かけて蒸し焼きにした肉と野菜。
実際に作っているところを見に行ったが、
どう間違ってもおいしい料理になりそうな匂いが漂っていたが、
出てきてみると、本当に美味しかった。
ふっくらと、かつしっかりとした歯ごたえのお肉。
その肉汁がしっかり染みて、いいお味のついた野菜。

ああ…もう最高なり…←いっちゃってる目

※※※※※

しかし、やっぱりただでは終わらない慰安旅行。
食事を終えていい気分でレストランを出て、
バスが待っている「はず」の道に下りた女性軍は、
そこにいて運転手さんと連絡をとる「はず」の、
幹事役ベケ教授がいないのに気づく。

最初は「まあ、もうすぐ下りて来るでしょ」と、
一面の星空をながめていたが、
どう考えても遅すぎると気づいた頃には、
すっかり身体は冷え切っていた。
ぶっひーちゃんが教授の携帯に電話するが、
バッテリー切れのようで、うんともすんとも応答しない。

教授…
まさか…

まだレストランのおじさんと酒飲んでるんじゃ…

(誰も道に迷ったとは思わなかったあたり)

案の定、30分ほどして、
すっかりご機嫌のベケ教授とM教授は、
店の人の運転する車に乗って登場した。
女性陣からは、相当なブーイングをくらったが、
その理由がわからずにきょとんとしていたので、
皆すっかり怒る気も失せてしまったようだ。

おみやげにキウイを1個ずつもらったって、
コージ苑はそんなにたやすく懐柔されないぞ!

(もぞもぞ)←キウイを懐に仕舞っている

※※※※※

そして今日日曜日、
コージ苑は熱を出して寝こむ羽目になった。

やっぱりキウイを2個もらっておくんだった…



2004年12月11日(土) 胃も心も

恒例、年に二度の学科慰安旅行(しかし自費だ)。
今回はイタリアの方角にあるI半島を巡る。

マイクロバスが予約でいっぱいだったということで、
大学前に待っていたのは、
40人は乗れようかという大型バスだった。
学科旅行でバス。
前回無謀運転でむち打ちの憂き目を見たコージ苑は、
以来この組み合わせに警戒心を覚えずにはいられないのだが、
今回の運転手さんは穏やかそうな人だし、
何より大型バスゆえに頭をぶつけるべき天井が高いので、
くつろいで乗ることが出来た。

高速をぬけて、第一の目的地にたどり着くかと思ったとき、
中国学科のM教授が運転手さんに耳打ち。
そしていきなり左折して、
未舗装の急な坂道を下り始めるバス。
ちょっとどこに行くのよ。
トイレならもうちょっと我慢なさいっ!←教授に超失礼

教授の説明によると、
昔の教え子がこのあたりに住んでいるらしい。
「寒いから彼んちでコーヒー飲もうよ」と言う。

…20人近くがアポなしでコーヒー…

コージ苑、日本の大学でた日本人でよかった…

大型バスの突然の出現に、
静かな山間の村の人たちは驚いて振り返り、
犬は興奮してほえまくる。
そしてお目当ての「昔の教え子」は留守だった。
もう笑うしかない。笑えみんな。

※※※※※

思わぬ寄り道をしてしまった一同が次に目ざすのは、
15世紀だったか、そのあたりの教会。
当時の壁画がそのまま保存されているそうだ。

到着してみると、
見渡す限り背の高い建築物がない丘陵地帯に、
ぽつんと一つだけ建つ教会と、
その周りを囲む石造りの壁。
いわゆる城塞のようなつくりをしているのだ。

そしてここも、門扉は閉ざされ、人の気配が無い。
ここまで来てそりゃないよぅ、と、
囚人よろしく柵を両手で掴んで空しく中をのぞいていると、
「見学者は電話してね」という張り紙発見。
ベケ教授が早速電話してみると、
5分でいくから、という返事であった。

「ごめんね、掃除してて電話の音が聞こえなかったのよ」
やってきた管理人のおばちゃんは、
笑いながらそう言った。
確かに、いつ来るか分らない観光客を何もせずに待つよりも、
家事をしたほうが何倍も建設的だろう。
彼女に鍵を開けてもらって、
無事に中へ入ることができた。

内部は色の洪水だった。
正直、古い時代の壁画というので、
朱色があせ、人物の輪郭も不明瞭なのを思い浮かべていたが、
これは花々や草木の色から、
描かれている人々の表情までがよくわかる。
絵の下にかかれている古代キリル文字の断片まで見られた。

どうしてここまでよく保存されていたかというと、
それは「漆喰」のせいであったとか。
今の時代にしてみれば貴重な文化財である壁画も、
昔々の人にとっては、
「新しくてきれいな壁」、
あるいは「光がたっぷり入る窓」以上の価値をもたなかったのだ。
窓のせいで壁画の一部は失われたが、
漆喰のおかげで色彩はあせることなく、
現在までその姿をとどめることができた。
世の中、何が幸いするかわからない。

※※※※※

ということ(どんなことだ)で、
以下次号(笑)

だらだら長すぎるんだよね、コージ苑の文章…



2004年12月10日(金) 買っちゃった

新しいパソコン、

注 文 し ち ゃ っ た 〜 。



2004年12月09日(木) 誤字

※今日の日記はかなりお下品ネタですので、
 お食事前の方や、そういうのが嫌いな方はすっ飛ばしてください。
 
※※※※※

パソコンの日本語入力は便利だが、
変換間違いが増える、というのはよく言われる。

例えば上に書いた「お食事前」という言葉、
コージ苑の年老いたパソコンは、
「汚職自前」と変換してくれる。
年を取ると、機械も海千山千になるらしい。
また、以前某氏がくれたメールには、
「○○国も来年EU加盟をむかえ…」というくだりが、
「○○国も来年EU亀井をむかえ…」となっていた。
亀井さん。何か知らないけど偉そうだ。

手書きでも間違うような同音異義語や、
罪の無い変換間違いは、
まあ「ふふっ」と笑って済ませられるのでまだ良い。
しかし、この変換間違い、
時として思わぬところから技をかけてくる。


夫とメッセをしていた。

私「夕食何だったの?」
夫「パスタ作ったよ」
私「えらいー。何のパスタ?」
夫「何って、いつもの。」
私「いつもの?トマト?」

夫「そう。便入りの」

ビンって書きたかったんだよね…(涙)
(直後、夫は3000キロ彼方で自らの間違いに号泣していた)



2004年12月08日(水) 疑惑の会社

朝っぱらから電話で起こされた。

「こんにちはー、○○旅行代理店ですー」

はやいよ。
今何時だと…あ、もう9時だわ。
しかし眠いのには変わりなく、
起き抜けに英会話っていうのは、かなりつらい。
ぼーっと聞いていると、
料金がどうこう言っている。

ほらみろ、やっぱり昨日の計算が違ってたんじゃん。
一気に目がさめて、
がばっとおきて支度をし、
家を飛び出した。
早く払い込んで、この心配をなくしてしまおう。
(その割にはよく寝ていたが)

今日担当してくれたのは、
航空券のアレンジをしてくれた、
ベテランのお姉さん。

お姉さん「ごめんね、何度も来てもらって」
コージ苑「いいですよ、どっちにしても飛行機乗れるんですから」
お姉さん「そう言ってもらえるとほっとするわ」
コージ苑「いえいえ。…で、おいくらですか?」
お姉さん「後1万5千なの」

…1万5千…それでも1万5千…?

コージ苑は元々自分の英語力に過大な期待を抱いていないので、
2度聞きなおし、さらにしつこく紙に書いてもらった。

「1万5千」

自分はきっと夢の続きを見ていると思いながら、
あっさり払って航空券を手にし、店を出た。
目覚ましのためにカフェに入って、
コーヒー片手に料金計算。

いつも買ってる日本単純往復より4万円近く安いよママン…
4万円あったら、ちょっと贅沢して、
高いメーカーのインスタントコーヒーの大瓶買えちゃうよ…
(どこまでもチープ)

っていやいや、そういうことではなく。
何でこうなったんだろうなー。
誰か謎解き、プリーズ。



2004年12月07日(火) 手違い?

冬休みに帰省するため、
申し込んでおいた航空券の払込みに行った。
間に韓国旅行も挟むため、
ルートに制限があったりストップオーバーがあったりで、
結構なお金を払わなくてはならない。
はっきりいって、かなり痛い。
昨日もらった商品券で払っちゃだめだろうか。
(だめです)

その会社はカード決済を受け付けていないので、
銀行に行って大枚引き出す。
受け取った瞬間に、きりきりと胃が痛むのは、
きっと午前中に飲んだ3杯のコーヒーのせいではあるまい。
ああ、手に感じるこの重みが、
10分後には跡形もなく消えてしまうのだ。
石川啄木でなくとも、
その瞬間には「じっと手を見」てしまうこと請け合いである。

クリスマス前の旅行会社は混雑していた。
主に学生を顧客にしているところなので、
カウンターに座るのは、大方が大学生である。
そして、この狭い町ではよくあることだが、
日本語の学生にも会ってしまう。
中国に行くのだそうだ。
ああそうか…ところでどうでもいいけど、
君、本当は今授業じゃないのか。
ぶっひー先生が泣いてるぞ。

「ああ忙しい忙しい」って感じで応対してくれたお姉さんは、
航空券をアレンジしてくれた人とは別人だった。
パソコンで情報を確認した後、
分厚いファイルを取り出して料金を計算している。
いっつも思うんだけど、
どうして予約確定した時に、
パソコンに料金も入力しておかないんだろう。
そのパソコンは何のためにあるんだ?

で、5分ほど待っていると、
どうやら計算が終わったらしいお姉さんが料金を提示した。

「○○万ね」

…?安いぞ。

予約する時に言われた金額よりも、
日本円にして6万近く安い。
絶対安い。
絶対おかしい。
絶対計算まちがってる。
ここで逃げを打つのも手だが、
後でトラブルになるのはごめんである。

「安くない?申し訳ないけど、もう一度確認して?」

お姉さんはもう一度計算して、

「あ、本当だ!これじゃ安すぎよね」

ほーらごらん。

「後5000ね」

…?たった5000?(日本円にして二千円ほど)

どうしようと迷ったコージ苑だが、
あまり何度も計算しなおせと言うと、
彼女のプライドを刺激してしまいそうだったので、
素直に払っておくことにする。

大学に戻って同僚に話したところ、
皆「ラッキーじゃない!よかったねー」と言った。
その場はモヤッと笑っておいたけど。

本当にラッキーなのか?
土壇場で乗れないなんてことにならないか?
コージ苑、ちゃんと日本に帰れるのか?

胃がきりきり痛むのは、
だからコーヒーのせいじゃないってば。絶対。



2004年12月06日(月) 一人目

去年も書いた覚えがあるが、
この国には三人のサンタがやってくる。

今日12月6日は、一人目のミクラウシュの日。
正確に言うとサンタとは関係なくて、
カトリックの聖人である聖ニコラウスが、
貧しい子供たちにプレゼントを配ったという逸話から来ている。

プレゼントといっても豪華なものではなくて、
大抵がチョコレートとかオレンジなどの、
「ちょっといいもの」である。
しかしコージ苑の経験から言わせてもらえば、
「すっごくいいもの」よりも、
「ちょっといいもの」の方が、
その瞬間の幸せ度は高いものだ。

ということで、
昨今の豪華すぎるクリスマスプレゼントに疑問をもつ私である。
金額じゃないのよ、心よ!

午後、大学から教員にプレゼントが届いた。
大手スーパーの商品券が約5000円分。

ごめん、心もいいけど大きい金額もやっぱりいい。



2004年12月05日(日) 理想のオトコ

両親から久しぶりに本が届けられたはいいが、
ぜーんぶ時代劇だったので、
ちょっと笑ってしまった。

母親が元々好きだったこともあって、
コージ苑は(今よりさらに)若い頃から、
入念かつ慎重な刷り込みにあっていた。
関係ないけど、二行上の「今よりさらに」という部分に、
そこはかとない哀しみを感じた自分である。
なら書かないでおけばいいのに、
女心は複雑である。違うか。

ちなみに大学の頃の理想のオトコは、
池波正太郎の『真田太平記』の幸村、
ではなくて、その兄ちゃんであった。
一歩後ろに下がるその控えめなところが、
真田家の他の人達と並べてみた時に、
際立って素敵だったのだ。

…あ、これって結局二次元じゃん。
ラピ○タ好きの夫を笑う資格がないことに今気づいた。
ごめん夫。



2004年12月04日(土) タイ焼き君

ベケ教授宅で、焼き魚大会が催された。

事の発端は、先日旧市街の寿司屋に行ったとき。
微妙に値上げしていたのと、
盛りが明らかに少なくなったのとで、
教授が「コストパフォーマンスが悪い」とおっしゃり、
だったら持ち寄りのパーティーでもするか、
という話になったのである。

きっかけはともかく、
要はいつもの飲み会である。

今日のメインは、なんと言っても天然もののタイ。
塩でじっくり、2時間かけて包み焼きにするのだ。
そうすると何つーか、
合わせるのは穀物がよろしゅうございますな。

ということで、コージ苑は雑穀ご飯を持っていった。
中身は玄米と古代米、小豆に粟である。
予定では、色どり豊かな仕上がりになるはずだったが、
ものぐさをして全部いっしょに炊いてしまったため、
結局ただの赤飯になってしまった。

他にはソバだの日本酒だの煮物だのキムチだのがそろい、
昼間から大量に飲み、かつ食べてしまった。

まさに忘年会シーズン到来。
来週は恒例、学科旅行(別名ワインを浴びるように飲む会)だ!



2004年12月03日(金) ベルリン

夫が明日からベルリンへ遊びに行くという。
結構なことである。何か買って来い。←ジャイアン

同期のお友達とカラオケに興じてくるとのことで、
メッセ中に延々と「ゆず」の新しいアルバムを聞いていた。
カラオケか…ベルリンでカラオケ…
そこはかとなく空しい響きがしないでもないが、
まあよい、楽しんできなさい。

コージ苑は外国でカラオケに行った事がないけど、
やっぱりご当地ソングも入っているんだろうな。
そうすると、映像もご当地撮影なんだろうな、当然。
お国柄も出てるんだろうな、きっと。

例えば「ジンギスカーン♪」の歌は、
本国ではどうなるんだろう。
(そういえばあれはどこの歌なんだ)



2004年12月02日(木) コージ苑の残虐性

パソコンが長期にわたって調子が悪い。
おそらく老化現象だと思われる。
一回はハードを点検してもらったものの、
やはり調子が戻ることはなく、
ゆるやかに下降線を描いているようだ。

ところでコージ苑は、
機械に愛情を注ぐタイプではない。
大学来の友人は知っていると思うが、
かつて乗っていた車も、
ぶつけられてへこんだ所はついに修理することなく、
洗車も雨が降れば2週間は伸ばすという始末であった。

だって道具なんだもん。
愛着は持つけど、愛情は注げないね。
(単に面倒くさがりだという説もある)

というわけで、機械が本来の役目を果たせない場合、
コージ苑は非常にストレスをためてしまう。
例えば大学のプリンタ。
プリントするためだけに存在するプリンタが、
勝手に漢字を抜かして印刷してみたり、
明朝体だっつーのに宇宙語を吐き出してきたりすると、
吐き出し口から牛乳注いでやろうかという、
残虐な心持になってしまう。

同じように現在所有のパソコン。
天下のIB○であろうとなんだろうと、
ネット接続するのも気まぐれ、
ウィンドウ表示するのも気まぐれ、
たかがワードを開くのに3分かかり、
デフラグ実行しようとすると、
不具合があってできないとか抜かすのだ。
これをサボっているといわずになんと言おうか。
へし折るぞ、膝で。
逆に、こう、べきっと。

困るのは自分だからやらないけどね。
(しかも絶対に膝の皿を割るか何かする)



2004年12月01日(水) 道案内

初めての場所へ行く時には、案内が必要である。
古くは吉田兼好も、
「先達はあらまほしけれ」とゆうているのだ。

日本からのお客様をお迎えして、
今日はイタリア風スロ料理(?)の店で食事会である。
コージ苑は、そのお店ははじめてだったものの、
同僚と連れ立って行ったので、
迷うことなくたどり着くことができた。

問題は、初めて+遅れて参加、の柳先生である。
道案内役を引き受けたマダム・ぶっひーの携帯に、
授業を終えた彼女から連絡が入る。

「ちょっと失礼」といって、
席を外したマダム・ぶっひーであったが、
電話の声は聞こえる程度の距離にいたので、
案内をする声が筒抜けである。

「今いる場所から右に曲がるんです。
しばらくまっすぐ行くと、右側にありますよ。

レッドショップっていう、いかがわしいお店の隣です」

…確かに、ものすんごく分りやすいガイドなんだ。
ショーウィンドウには煌々と赤い照明が点っているし。
ものすんごく分りやすいガイドなんだ。

しかし、一同何となく下を向いてしまったのは何故だ。


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コージ苑