出向コージ苑

2003年10月31日(金) テロリストとスパイ

高村薫『リヴィエラを撃て』新潮文庫
上下巻、一気に読み通した。
謎の東洋人スパイ「リヴィエラ」を巡って、
世界規模で事件が起こる。
役者はIRAにMI5、MI6、CIAが、
これでもかという程の暗躍ぶり。

言わずと知れたベストセラーなので、話の筋はさておいて、
高村作品の、どれを読んでも出てくる渋い男性に、
コージ苑は毎度ながら恋をする。
登場人物だけで作品の良し悪しを語れるとは思っていないが、
どうせ読むなら、すてきな彼(または彼女)の活躍を期待したい。

ちなみに、これを読むとそこら中の人たちに
「あなたスパイ?」と聞きたくなってしまうのは、
例によってコージ苑だけか。そっか。



2003年10月30日(木) 銀行口座

銀行口座を開かないと、
給料を振り込めないわよと脅され、
授業の合間をぬって、あわてて銀行へ行く。

今回コージ苑が入手したビザは、
前述のとおり3ヶ月のものなので、
この国の銀行で普通預金口座を開くには、
期間が短すぎるんだそうだ。

そういう人達のためにあるのが、
「外国人用特別口座」である。
要は簡易口座のようなものだが、
その実態は、預金をおろすにもカードが使えず、
いちいちパスポートを持って行かないといけないという、
まことに不便な口座である(という話)。

手続きのために、書類に必要事項を記入していったのだが、
慣習の違いによる小さい面倒が、ここでも起こる。
たとえば、パスポートの取得場所。
日本で発行された場合、それは「外務省」となっているが、
この国ではさらに、「どこの外務省だ」と聞かれる。
どこもなにも…と思うが、必要だと言われればしょうがないので、
「水戸支部」とか何とか答える。
本籍地の住所も「日本での定住所」として必要なのだが、
「この、『大字』ってのはなんだ、通りの名前か」と(当然)質問される。
うー、日本の住所は「○○通り●番」じゃないんだよ〜、
…といっても、そういうシステムがあるという事自体通じないのか、
「書類上」どうしても必要なんだという、お役所的発想か、
「ここはどうしてもストリートが必要なんだ」とくる。
我ながら、これでいいのかと思う程、適当に答えておいた。
今になって、ちょっと心配。

手続きが終わり、帰ろうとするコージ苑に向かって、
担当のお姉さんが「ちょっと待って、相談が」と言う。
何だろう。
新しい金融商品(っていうのかしら)の説明か。
座りなおしたコージ苑だったが、次の一言で腰くだけ。

「私の名前を漢字で書いてほしいの〜」

よくある話。
よくある話。

いいですよ、そんなのお安い御用ですよ、
さあなんていう名前なのかな、マヤかな、エバかな?

「モイツァ」

…よりによって…

考えるから時間をくれ、と言って、
今日のところは逃げてきたコージ苑。

漢和辞典、どこにあったっけ。



2003年10月29日(水) 体力回復

さすがに、ここ数日の疲労度はユン○ルでも欲しくなるほどだったので、
今日ばかりは、ひたすら体力回復に努めたコージ苑である。

本も読まずに、ひたすらごろごろ。
トドのようにごろごろ。

…いや、冗談じゃなくて、本当に転がってたからね。



2003年10月28日(火) 北の大国(4)

窓のない駅前ホテルで夜を過ごし、
朝の3時にチェックアウト。
早朝のフライトなので、始発の空港特急に乗る。

今回、往路はウィーン経由、復路はフランクフルト経由という、
いかにも直前購入しました的なスケジュールである。
コージ苑としては、色んな空港や航空会社を利用できて楽しい。
特にフランクフルトとルフトハンザは初めてなので、なおさら。

とはいえ、空港でさしたる買い物もできず、
ひたすらウロウロして時間を稼ぐ自分である。
それにも疲れると、後は空いた椅子に腰掛けてひたすら待つ。
こういう時に、暇つぶしのネタが何もないと地獄を見るが、
今日のコージ苑には、本が一冊あるのだ。
で、昨日買った二冊目はこちら。

※※※※※

池澤夏樹『マリコ/マリキータ』文春文庫
著者初の短編集だと、解説にあった。
どれを読んでも、「景色」がきちーんと捉えられている、
そんな明確さがあるから、池澤作品が好きだ。
南の国の様子を想像しながら、
北の国で存分に文庫一冊を楽しんだコージ苑でした。



2003年10月27日(月) 北の大国(3)

さあ、今日はスウェーデン滞在のハイライト、
スロ大使館でビザゲットですよ。
意気込んで朝食をたっぷりとり、ホテルをチェックアウト。
(関係ないが、支払いの時には顔で笑って心で泣いた)

バスに乗って10分ほどで、大使館に到着。
インターホンを押すと、女性の声が応対。
「あの、ビザを受け取りに来たんですが」
「営業時間は10時からでーす」

…まあ、そんなもんか。
マイナスの気温の中、震えながらベンチに座り、
ひたすら時間が過ぎるのを待っていたが、
忍耐も限界に達し、禁を破って手近のカフェに入る。
幸い、おかわりし放題のコーヒーはそんなに高くもなく、
小さいチョコレートも食べて、元気回復。

時計を見れば10時半、いくらなんでももう大丈夫だろう。
再び大使館の扉の前に立ち、インターホンを押す。
「あの、大学からビザの受け取りに…」
「営業時間は『火曜日と水曜日の』10時からでーす」

聞いてないよ!聞いてないよ!!

今にも切れそうになるインターホンに向かって、
必死に叫ぶコージ苑。
「でも!でも明日の朝にはもう帰らないといけないんです!」
「・・・どこから来たんでしたっけ?」
「スロの大学からです〜」←もはや語尾が震え気味
「・・・じゃあ、しょうがないから開けてあげる」
ありがとうございますお代官様〜。

扉を開けてくれたのは、きれいな女性職員だった。
ぺたっとビザを貼ってくれて、はいおしまい。
うう、やっとのことでビザが私の手に・・・
手に・・・あれ?
有効期間、3ヶ月しかありませんが?
わが目を疑いながら、
「あの、これって来年の1月までなんですか?」と聞くと、
「うんそう。だから1ヶ月前には更新手続きをしてね」と、
しゃらっと答えるお姉さん。

1ヶ月前って・・・12月・・・。
すぐじゃん。
あの七面倒な手続きを、2ヵ月後にまたやるのか。

スロの役人さん達に言いたい。
あなた方、自分で自分の仕事を増やしてるよ(泣)

※※※※※

この衝撃的な事実に呆然としたまま、
コージ苑は今晩のホテルにチェックインしたわけだが、
後半日を何もせずに過ごすのは、あまりにも寂しい。
新市街でも歩いてみようかと、再び町へ出る。
出発前、七味屋氏に「日本のもの屋さん」の場所を聞いておいたのだ。

途中、適当にお店に入って、お土産などを物色する。
多くの店が、すでにクリスマス用のグッズを売り出しており、
ちょうど良いので、いくつか購入。
やっぱり高かったけど、どうせ買うものだからと割り切った。

そしてメインは「日本のもの屋さん」だ。
こじんまりとした店内に、所狭しと並ぶ日本の食材や本に、
目移りしまくりで、なかなかターゲットが決められないコージ苑である。
悩みに悩んだ挙句、本を二冊とミソ、そしてUFOを買った。
ねえ聞いた?UFOだよ?
ほぼ1年ぶり。
日本にいれば食べたいとも思わないインスタントの味であるが、
海外にいると無性に食べたくなるのだ。
レジのお姉さんとちょこっとだけ世間話をして、
すっかりダメージから立ち直ったコージ苑は、
数日前にも書いたが本当にゲンキン野郎なのだ。
恐るべし、消費の効能。

そして今日の夕食は!
ホテルの部屋でUFO!ばんざーい!!
そしてやっぱり飲んでしまったビールは、ノルウェーのでした。

※※※※※

阿川佐和子・壇ふみ『ああ言えばこう嫁行く』集英社文庫
今日買ったうちの一冊がこれ。
UFO食べつつ、読み切ってしまった。
個人的には前作「こう食う」の方が好きだけど、
読んでいて飽きないのは、共著ゆえの効果だろう。
だって、いくら内容が面白くても、
その人の文体に飽きること、あるもんね。



2003年10月26日(日) 北の大国(2) 

よくわかった。
日曜日の観光は不毛だということが。

※※※※※

「スカンジナビアン・ブレックファースト」と銘打たれた朝食は、
パンと卵とベーコンとサラダとコーヒーと・・・
どのあたりがスカンジナビアンなんだろう。
バイキングってところが?などと考えつつ、がっつり食べる。

北欧の観光名所は、10月を過ぎると閉まってしまうことがある。
10月も半ば過ぎの、しかも日曜日の午前中は、
どこもかしこも扉を閉ざす。
まあいいや、どうせ浪費はできないんだと、
歩いて旧市街、ガムラ・スタンに向かった。

ガイドブックには、
「ストックホルムのハイライトは、
中世の町並み残るガムラ・スタン」と書かれている。
しかしてその実態は。
・・・L国R市の旧市街みたい。
そうか、地理的には近くにあるし、
歴史的にも交流があったんだし、
似ていて当然といえば当然なのかもしれない。
ただ、軒を連ねる店のお洒落度が、
L国をはるかに凌いでいるあたりは、
さすが西側(というか北側というか)。

国立美術館のコレクションが充実しているというので、
開館時間を見計らって行く。
ヨーロッパ絵画を中心に、なるほど中々のコレクションである。
レンブラントの闇とヴァン・ダインの波打った線、
ルーベンスの脂肪のかたまりを堪能した。
帰り際に、ショップに寄ってみると、
来年のカレンダーやスケジュール帳がずらりと並んでいた。
いいのがあったら買おうかなと思ったのだけれど、
どれも今ひとつで、結局手は出さず。

ホテルに戻る前に、もう一度ガムラ・スタン。
昼過ぎから店が開くので、ウィンドウショッピングをしつつ歩く。
浪費はできないと言いつつ、
襟元があまりにも寒かったのでマフラーを買い、
一目ぼれしてその場から足が動かなくなってしまった、
墨一色で描かれた羊の絵を手に取る。
い、いいよね、これくらい。

本日の夕食は、昨日目をつけておいたバーガーキング。
わあい、久しぶりだー。
ケチャップをたっぷりつけてもらって、
ホテルの部屋でジャンクフード。
飲み物はもちろんビール。
今日のはご当地、スウェーデン製にした。



2003年10月25日(土) 北の大国(1)

島流しにあう罪人の心境で、
空港へ向かうコージ苑だったが、
やはり今日から日本出張のベケ教授と偶然一緒になり、
空港でコーヒーをおごってもらったので、
ちょっとだけ気分が良くなった。
相変わらずのゲンキン野郎である。

今回のルートは、スロ→ウィーン→ストックホルム。
途中、旅行者の女性と立ち話を交わしたりして、
待ち合わせ時間の退屈は幾分解消できたものの、
やはり気分は「快晴」にはならない。

こうなったら、ついでに観光して楽しんじゃおう、
という心境になったのは、
ストックホルムに向かう飛行機の中。
市内上空を飛んでいるとき、
窓から見えた夜景がきれいだったのである。
点在する島ごとにまたたく光の群れを眺めていると、
それがアメーバの様に形を変えていきそうな錯覚に陥る。
想像していたよりもひっそりとした町の光に、
なんとなくほっとしたコージ苑だった。

さて、飛行機を降りたとたんに、
EUを実感させられた私である。
パスポートチェックがなかったのだ。
未だEU外のスロからオーストリアに入った時には、
パスポート審査があってスタンプをドンと押されたのだが、
国境協定だか何だかで、
それ以降EU内を移動するなら、
チェックはないらしい。
ちぇ、スウェーデンのスタンプ欲しかったな。

空港から市内へ向かうシャトルバスに乗る。
片道で800円ぐらい。
ううう、やっぱり高いよう。
時間にして約50分、中央駅のターミナルに到着。
そこは都会だった。
徹底的に都会だった。

旅行会社がくれたホテル周辺の地図が、
あまりにも「周辺」すぎたもので、
駅からの道がわからない。
改札口で警備をしていたお兄さんに、
おそるおそる「この道に行きたいんですが…」と言ってみると、
見事なほど流暢な英語で答えてくれた挙句、
わざわざ外に出て説明してくれた。
・・・かーんーどーうーしーたー。
しばらく「警察=一般人は無視」という国にいたもので
(平たくいえばL国である)、
思わぬところでスウェーデンの株をあげてしまったコージ苑。

ホテルでチェックインする前に、
夕食を調達せねばなるまい。
しかし、今回の旅行でレストランは破産を意味する。
どうしよう…ときょろきょろする目にうつったものは!
うつったものは!!

セブンイレブンじゃないですか!!

かーんーどーうーしーたー。
セブンイレブンですよ。
コンビニですよ。
明太子おにぎりですよー!←無いから
はやる心を抑えつつ、店内に入る。

おおお、これぞコンビニという風景。
さて、何にしようかなと見回し、とりあえずビール。
今日はデンマーク製のやつ。
それから、テイクアウトのタイヌードル。
鼻ピアスした店員のお兄さんに頼むと、
この一言が。

「あたためますか?」

…………あたためて!ついでにコージ苑の心も!!
なんてベタなことは言いませんでしたけどね。

かーんーどーうーしーたー。

コンビニでこの始末では、
帰国してファミレスにでも行った日には、
コージ苑泣いちゃうかもしれない。

※※※※※

乙川優三郎『蔓の端々』講談社文庫
今回の両親文庫の中に入っていた一冊。
時代小説なら、今はこの人だとコージ苑は思っている。
このお話は、執政に関わる人々(大木)に翻弄される、
下級武士(=大木に寄るしかない蔓)の生き方を書いたもの。
この人の作品を読むといつでも感じることだが、
大木を組織の上層部に、蔓を下層部の人々に置き換えれば、
現代の話として、そのまま通じるのだ。
時代がかわっても、やってることは同じってことかしら。



2003年10月24日(金) ひどい

午前中、L国へ戻る七味屋氏を見送る。
帰宅前に大学に寄ったところ、
コージ苑を見るなりベケ教授が言った。

「コージ苑さん、ビザ取れましたよ」
「本当ですか?やったあ」
「で、すぐにスウェーデンに行って、
ビザをピックアップしてきてください」

・・・ひどい。

※※※※※

ここで、コージ苑がビザをピックアップするのに、
何故スウェーデンに行かなければならないか、
その辺の事情から書かねばなるまい。

本来ならば、日本の国籍をもつ私がビザを申請するのは、
日本国内でなければならない。
しかし、そのためだけに帰国するのは、
時間と金を大幅に浪費することになり、
それは貧乏教師にとっては、
「そ、それは御無体な!」的要求なのだ。
何か抜け道はないかと探るうちに、
ある方法が見つかった。

コージ苑は確かに日本人であるが、
申請時にL国の長期滞在ビザを持っていたため、
形の上では「L国の住人」扱いされるというのだ。
ということは、L国を管轄するスロ大使館で、
申請取得を行うことが可能となる。
そして、それがスウェーデンにあった、というわけ。

確かに、日本に帰国するよりは距離も近く、
航空運賃も安くあがる。
だから、ビザが取れたら、
一番近い連休でも利用して行けばいいか、
コージ苑はそんな風に考えていたのだ。

それなのに。

今日連絡がきて、明日飛べというのは、
いくらなんでもちょっと…と渋るコージ苑に、
こういう情報が追いうちをかけた。

「来週火曜日までに事務にビザを提出しないと、
今月分の給料がチャラになる」

・・・ひどい。

ここで「なんだそりゃ」と叫ばなかっただけ、
コージ苑は自制心を持ち合わせていると言えよう。
契約書は10月1日づけで、
自分はその通り、1日からフルに勤務してきたわけだ。
それなのに、ビザがないと給料がチャラだなんて、
今ごろ言い出すとはどういうことだ。
欧州は契約の社会ではなかったのか。
しかし、それが決まりだと言われれば反論もできない、
弱い立場の「ガイコクジン」は、
泣く泣く航空券を購入しに行った。

そして、この「世界残酷物語」はまだまだ続く。

※※※※※

飛行機というものはまことに便利なものであるが、
私たちは自家用機を持たない限り、
航空会社の決めた、わけのわからないルールに振り回される。
その一つに、今回コージ苑は泣かされたのだ。

大使館が開いているのは、当然平日である。
日曜日の夜にあちらについて、
月曜日の朝一番にビザをピックアップし、
その日のうちに帰りの飛行機に乗るという日程が、
仕事の都合と懐具合の両方にとって良いと、
コージ苑は判断した。

しかし、ここで登場する悪魔の規則。
おそらく国際線に限っての話だと思うが、
週末をはさんだ日程でないと、
航空運賃が倍近くかかってしまうというルール、
皆さんはご存知だろうか。
平日に飛ぼうが休日に往復しようが、
乗る飛行機も飛ぶ空も変わらないのに、
どういう理由でこのルールがあるのか、
コージ苑にはわからない。

結局、現在考えうる中での最安値をとる航空券は、
明日(土曜日)に出発し、火曜日の午後に戻るものだった。

ああ・・・ああ、
物価高で有名な北欧の町に、3泊4日。

もう一回言っていい?


・・・ひどい。



2003年10月23日(木) テスト作成

日本語を勉強するここの学生は、
週に一度、月曜日に小テストを受けなければならない。
これできっちり点を取っておかないと、
数ヶ月毎に行われる定期テストに参加すらできないのだ。
コージ苑、ここの大学生でなくて良かったとつくづく思う。

ところでコージ苑、小さい頃は、
どちらかといえば病弱な子供だった。
月に一回、決まったように熱を出す。
その程度によって、病院に行ったりするのだが、
時々ぶっとい注射をされた。
針をさすのは、決まって白衣の看護婦さんだった。
幼いコージ苑は、痛みにこらえながら思った。
「彼女は絶対嬉しそうにやっている。」
そして涙をこらえながら思った。
「大人になったら看護婦さんになって、子供に注射を打ってやる。」

…なんて子供だ。

大人になったコージ苑は、看護婦さんにはならなかったが、
何の間違いか教師になった。

で、テストである。
来週の分の作成は、コージ苑の担当。
指定された範囲の文法事項を見ながら、
大切だろうと思うところを中心に、問題を作っていく。

作っているそばから、学生の顔が目に浮かぶ。
ああ、大人になってよかった。

しかし、出来が悪いとそれはそれで落ち込むものである。
ちょっとだけサディスティックで、残りは親心、
それが教師…なのかもしれない



2003年10月22日(水) 鍾乳洞

スロには、ポストイナという鍾乳洞がある。
古くから、この国の一大観光地となっていたそうで、
噂によると、洞窟内には当時の名残で、
シャンデリアなんぞもぶらさがっているらしい。

…おもしろそうじゃないですか。

スロには数度来ているコージ苑だが、
実はここ、まだ行ったことがなかった。
七味屋氏も勿論未体験、ちょうどいいからと、
再びレンタカーに乗って、
再び日帰り国内旅行へ。

今日のスロは、絶好の鍾乳洞日和。
つまりは、天気が悪くて寒かったってことだ。
もはや勝手知ったる、といった感のある高速にのり、
目的地へ向かう。

実は、正確な行き方を知らなかったので、
たどり着けるかと少々不安だったのだが、
そこはさすがにスロのドル箱観光地、
高速の出口から、これでもかというほど看板が出ていた。

鍾乳洞内の見学はツアーになっているため、
時間が決まっている。
12時からの回をねらって行ったコージ苑達、
結構ぎりぎりで到着。
入り口には、既に長蛇、とはいわないまでも、
アオダイショウぐらいの列ができていた。

ゲートが開き、通路を進むと、
駅のホームのような場所に出る。
メインの見所までは、トロッコに乗って行くのだ。
わあい、コージ苑こういうの大好き。
しかし待て、昨夜ぶっひー嬢は、
「怖いの好きなら、右に乗ってね」と言っていた。
コージ苑、ジェットコースター苦手なんだけど、
まさかこれが猛スピードで走るわけはないだろうと、
大して考えもせず、右側に乗り込んだ。

走り出して、ぶっひー嬢の言わんとすることが分った。
予想通り、スピードはそれほどでもないが、
線路が岩肌ぎりぎりに設置されているので、
トンネル状になった場所を抜ける時に、
頭すれすれを、石灰岩がかすめてゆくのだ。
おお、これは怖いぞ。
コージ苑は、世界標準で見ると小さい方だが、
それでも思わず首をすくめてしまう時があった。
いわんや、欧米人をや。

ツアーの出発点には、各国語で書かれた看板があり、
観光客は、自分が理解できる言語を選ぶようになっている。
選択肢はスロ語、英語、ドイツ語、イタリア語。
(…だったと思う、たしか)
コージ苑、自分が英語しか分らないので、
迷わずそっちへ行ってしまったが、
もしかして七味屋氏にはドイツ語の方がよかったかと、
後になって気づいた。
つくづく自分のことしか考えていない奴である。

しかし、ふと「ドイツ語」の看板の方を見ると、
なんだなんだ、あの人数は。
団体観光客だろうか、客の半分はドイツ人である。
過日、イタリアの大物政治家がドイツ人を評して、
「どこに行ってもドイツ人が観光している」と言ったのは、
あながち間違いではないようだ。
でもさあ、それを言ったら日本人もアメリカ人もじゃないか?

閑話休題。
ガイドのおじさんについて、いよいよツアーの始まりである。
といっても、個人的にはコージ苑、詳細な説明は不要だった。
もちろん、詳しい話が分れば数倍楽しいのかもしれないが、
鍾乳洞の大きさと、その景色は、見ているだけで十分面白い。
何年も何年もかけて、少しずつ形作られた鍾乳石は、
実にさまざまな色や形をしている。
この鍾乳洞の中でも、特に有名なものには、
「スパゲティ」とか「ソフトクリーム」といった名前がつけられている。
実際に見てみると、なるほどそう言われれば、という形。
どんな偶然が重なれば、こんなものができるんだろう。
月並みな言葉だけど、自然って不思議、なのだ。

ツアーの終りに、奇妙な動物を見た。
一見トカゲのような、白くて細い動物は、
サンショウウオの一種らしい。
光のない鍾乳洞内での生活に適応した結果、
目は退化し、色素が失われてしまったのだそうだ。
水槽に入れられ、ライトアップされたサンショウウオ君は、
眠っているのか弱っているのか、
時折ふわりと動くだけだった。
話によると、彼らを数ヶ月光に照らしていると、
実際弱ってしまうばかりではなく、色も黒ずんでしまうので、
2ヶ月程度で新しいのと入れ替えるんだそうだ。
人気者も大変である。

※※※※※

こりずに山道を抜けて帰る。
自然公園になっている山を越えたのだが、
そのルート、ほとんどが未舗装の砂利道。
カーブの時に、微妙にすべるのが、
ポストイナのトロッコとは比べ物にならないほど怖かった。
コージ苑は、鍾乳石で頭を打つのも、
車ごと谷に落ちて血だらけになるのもごめんである。
平地に出た時には、心底ほっとした。

今回の教訓。
スリルは、忘れた頃にやって来るのである。



2003年10月21日(火) パスタをどうぞ

料理オンチの七味屋氏であるが、
パスタだけはコージ苑よりも上手い。
いかにもオトコというか、「適当」に作らないからだ。

例えばコージ苑は、パスタがどうやったら美味しくなるかは知っている。
お湯には、たっぷりと塩を入れること。
ゆで加減はあくまでかため、ソースをよくよく絡めること。
ソースは時間をかけて煮詰めること。
オリーブオイルをケチらないこと。
しかし、毎日の、しかも自分だけのための食事には、
塩とオイルを少なめにし、ゆで時間も適当に、
ソースもパスタをゆでている間に簡単に、
という風に、かなり手を抜いて作ってしまうのだ。

そこへ行くと七味屋氏は、最初に習ったのが本格派だったため、
応用する(=手を抜く)ということを知らず、
まるで創業100年の老舗の職人であるかように、
基本に忠実にパスタを作る。
これをコージ苑だけが楽しむのはもったいないと、
今日の夕食に二人の女性をご招待した。

7時ごろ自宅を訪れたぶっひー嬢とフレンチ嬢、
まずL国のビールで乾杯。
女性陣が飲みながらお喋りに興じている間、
職人七味屋氏は、黙々とパスタを作る。
今日のブツは、先日ベネチアで購入した、超太麺である。
なにせ、ゆで時間の指定が20分と半端ではない。
出来上がるのに、時間もかかろうというものだ。

七味屋氏作る。
私達飲む。
七味屋氏作る。
私達飲む。
フェミニストが見たら、泣いて喜びそうなひとコマである。

※※※※※

追記:ゆであがった超太麺は、まるでウドンのようだった。
   ということは、ウドンとトマトソースの組み合わせはOKだということか。



2003年10月20日(月) 童心?幼稚?

授業は昼すぎからだというのに、
車を返すために早起き。
雨の町をとばしてレンタカーのオフィスへ行き、
雨の町を歩いて自宅へ戻る。

七味屋氏は、木製の車のおもちゃを集めている。
(…つもりがあるのかないのかは知らないが)
コージ苑、先日他の人と町歩きをしていた時に、
おもちゃ屋さんできれいなのを見つけたので、
午前中の空いた時間に、二人で行ってみる。

店の中には、お母さんに連れられた小さい女の子が一人。
見本用であろう、店内所狭しと並べられたおもちゃで遊んでいた。
たちまちその子の仲間と化すコージ苑と七味屋氏。
だって、最近の子供のおもちゃは、本当に面白いんだ。
しばらくの間、目的を忘れて遊んでしまった。

時間にして20分ほど経った頃、
やっと買うものを決めて、レジへ持っていくと、
店のおばちゃんがこう言った。
「あなた達は、おもちゃで遊ぶのが大好きとみた。
そんな人は、また来なくちゃダメよ」

…私ら、そこまで言わせる程、夢中になって遊んでいたのか…



2003年10月19日(日) 水の都(2)

ベネチア観光二日目。
ホテルの朝食はおいしかった。
コーヒーがこれでもかと出てきた。
だって二人連れなのに、ピッチャー一杯だもんね。
ここはエスプレッソの国ではなかったかと、ちょっと笑えた。

チェックアウト後、フロントで荷物を預かってもらう。
受け付けは、いかにもラテンといった風情のお兄さんに替わっていた。
そうか、コレが歳をとると昨日のアレになるのか。
妙に納得。

まず高いところへ行こうとするのは、
自然のことなのか、それともコージ苑達が「ネコと何とか」なのか、
それは友人諸氏の判断に任せるとして、
今日の観光の手はじめに、サン・マルコ広場にある塔にのぼる。
折から晴れてきたベネチアの町は、
海と空の青に、屋根の赤がよく映えていた。
ここぞとばかりに、「絵ハガキ写真」を撮りまくる。
両人共に同じような写真を撮るのは非効率的だし、
第一絵ハガキを買えばすむことではないか、という話もあるが、
そこはそれ、「撮った」ことで自分の体験として確立させたいという、
単なる自己満足の世界なのである。

旅行に行くと常に迷うのは、おみやげである。
ベネチアといえばガラス製品が有名すぎるほど有名だが、
残念な事に、コージ苑にとっては高すぎて手が出ない。
七味屋氏は、職場用にお菓子を購入。
コージ苑は、今回特に何も買わなかった。許せ同僚。
そうそう、忘れていたが、昨日市場でパスタ数種類と、
リゾットの素を買ったのだった。
こういうのは、誰かを自宅に招待したときに使える。

昼食は、珍しくガイドを参考に選んだ店へ。
自信たっぷりに歩き出した七味屋氏であるが、
なかなか目当ての店にたどり着けない。
ガイドがおかしいのかと、首をひねる彼。
見かねてコージ苑が地図を奪い取り、
こっちじゃないか?と方向転換すると、
あっさりありましたよ、ガイドに載っている通りの場所に。
例のベストセラー本によると、地図の読めないのは女らしいが、
女だって、ちゃあんと道案内ができるのだ。時々は。

そのレストランは、ガイドによると、
「市場から仕入れた新鮮な魚介の料理が楽しめる」場所。
開店直後を狙って行ったので、なんなく座れた。
メニューを開くと、さすがにリッパなお値段、
ツーリストメニューもございません。
…ランチでよかった。

ソフトシェルクラブを頼みたかったのだが、
11月にしか出回らないという話。
たった10日間の違いで、コージ苑涙をのむ。
第二希望のウナギのソテーと、
シーフードリゾットを注文する。

リゾットにしてもウナギにしても、
かなり油を使っているはずだが、
すんなりとおなかに入ってしまったのは、
よほど良いオイルを使っているか、
シェフの腕が良いからだろう。
…なーんて偉そうなことを言っているが、
普段のコージ苑は、悪名高いT大学の学食でも
「おいしい」と言ってしまう程、
味覚の許容範囲に幅があったりする。
そんな人間の食事にしては、
ここの料理は過分に美味しかった。

再び水上バスに乗って、ホテルへ戻り、
荷物をピックアップ。
急いで駐車場へ戻ったが、
少しの差で48時間分の料金をとられてしまった。
(いや、実際とられたのは七味屋氏であるが)
最後の最後でちょっとくやしい。

ということで、七味屋氏にとっては初めての、
コージ苑には七年ぶりの、
「水の都」観光は無事に終了した。

次に行く時まで、沈むなよベネチア。
(ものの本によると、冗談ではなく危ないらしい)



2003年10月18日(土) 水の都(1)

せっかくの週末、遠出しましょうかと、
あれこれ行き先を検討したところ、
欧州在住4年になる七味屋氏、
意外にもベネチアに行った事が無いという。
世界中の観光客が集まるという水の都、
ここで訪れねば男がすたるよ、とそそのかすコージ苑、
実はただ自分が行きたかっただけである。←悪がしこい
だって七年ぶりなんだもーん。

スロからイタリアまでは、実はそれ程遠くはない。
高速に乗って1時間半で国境に着くのだ。
七味屋氏、国境を越えた瞬間、
「パルミジャーノ!」とか「サンタルチーア!」とか何とか叫んでいたが、
果たしてイタリア語とは、あんなに力んで発音するものだったろうか。

陸路でベネチアに入る場合、直前に海を渡る。
道路の向こう側に、鉄道用の線路が見える。
ちょっと「千と千尋」のワンシーンを思い出した。
しかし、そんなことはどうでもよい。
少し霞んだ空気の向こうにベネチアが見えてくると、
否が応にも、気分が盛り上がってくる。
コージ苑の頭の中では、既にゴンドラがぷかぷか。

※※※※※

ベネチアの中心部には、車は進入禁止。
町の入り口にある24時間単位の駐車場に車を入れる。
ついでに観光案内所でホテルを予約。
「ベネチアに三ツ星以下のホテルは無い!」と威張られたが、
それは多分、登録しているホテルの中に、という意味だったのでは。
というのも、紹介されたホテル(最安値に近かった)は、
設備こそ古いけれど、その他は立派リッパ、なものだったのだ。
何となくだまされた気がしないでもなかったが、
ベネチアの物価高は最初から折込ずみのことなので、
ここは割り切って楽しむ事に。

昼食がまだだったので、ホテルを出て適当な店に入る。
目に入るレストランのほとんどが、入り口に日本語メニューを置いてある。
日本人、さぞかしたくさんやってきて、たくさん金を落としていくんだろうな。
コージ苑もその一人なんだろうけど。

ベネチアといえば海鮮、イタリアといえばパスタ。←短絡的
ということで、注文は迷うことなく「シーフードのパスタ」。
何しろ飛び込みの店だったので、味については多少不安だったが、
運ばれてきたパスタに口をつけてみて、その心配はふっとんだ。
…おいしい。
アルデンテって、(よくわからないけど)こういうことを言うのね!!
向かいで黙々と食べている七味屋氏の皿にまで手を伸ばし、
(もちろん、自分のもおすそ分けしましたとも)
物価高への文句も忘れ、一気にベネチアの株をあげた、単純コージ苑。

食後は市内散策。
ゴンドラを貸しきるほどの金銭的余裕がないのと、
あれに乗って周囲の人に自分の姿をさらす勇気がなかったのとで、
交通手段は水上バスに決定。
1日チケットを買って、メインの一本に乗り込む。

世界中の観光客が渡りたがるという、リアルト橋。
コージ苑達も渡ってきました。
橋の上からの記念撮影つきで。
さすがに週末、どちらを向いても観光客。
橋の上から眺めるベネチアのカナル・グランデ(大運河)は、
エンジンつきの船が走っている以外は、
昔とあまり変わらない姿なのだろうね、と言い合った。

途中でお茶を飲んだり、ムラノのガラス製品を眺めたりしながら、
特に行き先も決めずにうろうろしていたら、
突然、今日は行く予定のなかったサン・マルコ広場に出た。
そしてまさにその瞬間、広場がいっせいにライトアップ。
コージ苑、すっごい運が良い。
フラッシュをたいて、ぎりぎり写真が撮れる明るさだったので、
嬉しがってカメラを持ち出し、夕暮れ時の広場を撮影した。

どうせここまで来たのなら、行ってみたい店がある。
七味屋氏のナビに従い、裏通りにある骨董屋に入る。
ここの店主は、アンティークのビーズを収集しており、
大きな器に盛られたそれらを、一山いくらで買える。
コージ苑、ビーズは大好きだが、
適当なものを大量に買ったからといって、
それらを上手にアレンジして何かを作る技術はない。
ということで、バラの柄が入った大き目のビーズと、
少し小さめの、明るい水色をしたビーズを組み合わせて、
簡単なチョーカーを作ってもらった。
時間にして約5分、お値段2000円弱。
ベネチアンビーズを使っていてこれなら高くはないし、
何より自分で好きなものを選べるというのが良い。
コージ苑、自分へのお土産はこれでおしまい。

夕食は、ホテルの従業員(オペラ歌手のような体型のおじさん)オススメの、
駅の近くにあるレストランへ。
夜も結構遅いというのに、店内は大盛況。
運よく座れたコージ苑と七味屋氏、
半日歩いてさすがに疲れていたので、
メニュー全てに目を通す気力もなく、
お手軽にツーリストメニューを注文してしまった。
(これは安い分、料理も安直)
ハウスワインから始まって、サラダにパスタ、
メインは魚介のフライ盛り合わせ、
デザートにアイスクリーム、最後はエスプレッソ。
尻尾ごと食べられるエビの美味しかった事といったら…←味覚の反芻

おなかがいっぱいになったので、
食後は駅近くを少し歩いた。
夜も11時過ぎたというのに、
駅前は、まだ人であふれている。
こんなところも、さすがベネチア。
しかしコージ苑達は夜遊びもせず、
ホテルに帰って明日の計画を立てつつ休養。



2003年10月17日(金) 湖と山と

レンタカーでドライブ。
今日は平日なので、コージ苑は国外へ出られない。
いや、出られるのだが、有給をケチったのである。
しかし、スロ国内も見所がいっぱいだよー、ということで、
七味屋氏未体験ゾーンの、ブレッド湖とボヒニ湖へ。

この二つの湖、とにかく水が美しい。
浅いところでは透明、
深いところは目にも鮮やかなエメラルドグリーンで、
風でゆれる水面をのぞけば、
マスの姿を見ることができる。

そう、ここはマスでも有名な湖。
マスですよ、マス。
庶民グルメを(いつの間にか)自認するコージ苑が、
これを見逃すわけが無い。
景色だけじゃ、おなかはふくれないのだ。←アンチロマンチスト
前回来た時に目をつけておいたレストランで、
ローストにしていただいた。
ニンニクがこれでもかという程まぶされていたが、
よく太った天然のマスは、滅法おいしかった。

※※※※※

当初の予定では、湖を見て帰るはずだった。
しかし、食後のコーヒーを飲みつつ地図を見ると、
スロ、そしてユリアンアルプス最高峰の、
トリグラフ山が近くにある。
七味屋氏の「最高峰はやっぱり拝んでおかねば」という、
なんだかよく分らない理屈ではずみがついて、
登山口にある山小屋まで足を伸ばすことになった。

もはや舗装されていない山道を、車で走る。
登山ファンから見ると、外道中の外道であろう。
窓の外は、紅葉直前の山の景色。
登ってゆくに従って、川の流れが早くなり、
水の色もアイスブルーに変化する。
…と、助手席のコージ苑は呑気に風景を楽しむ。
一方七味屋氏は、曲がりくねった道を運転するという行為に、
自らの存在意義を見出しているらしかった。
なんと完璧な、そして非生産的な分業体制であろう。

「車はここまで」の標識から、さらに歩いて数分。
前方に割と立派な山小屋が出現した。
一瞬、開いているのかと危ぶんだが、
中にはあかあかと燃える暖炉があり、
いかにも素人くさいおばちゃんが一人いた。
冷えた身体をあたためようと、ココアを注文したところ、
どうやら、この女性は留守番であったらしく、
ココアの粉はどこだと探し、ガスの火をつけるのに手間取って、
結局出てきたのは10分以上たってからだった。
…だったらコージ苑、自分で入れても同じだったかも。
勿論、手間賃は料金から引いてもらうことにして。

そうそう、忘れていたがトリグラフである。
山小屋から見るその姿かたちは、
雪なのか地質のせいか定かではないが真っ白く、
どうやって登るのかと本気で悩んでしまう程険しかった。
スロの国旗にもデザインされているこの山、
さすがに眺めるだけでも十分威厳が感じられたのであった。

※※※※※

帰り道、止せばいいのに田舎道を行く。
普段なら、石畳の道を走る時には30キロ以上は出さず、
ひたすらタイヤと車を大事にする七味屋氏であるが、
何故か今日は、砂利道だろうが少々の段差だろうが、
それほどスピードをゆるめずに軽快にとばす。
「レンタカーだから気が楽」らしい。
君は自分さえ良ければそれでいいのか。

とか偉そうに言うコージ苑も、
同じ状況だったら多分そうすると思う。
人間ってそんなもんさ、などと言い交わす二人。
思いがけず、人間の真理にたどり着いたドライブなのであった。



2003年10月16日(木) 朦朧

昨夜遅くまで仕事をしていたせいで、
今日の仕事中、コージ苑の頭は終始モーローとしていた。

疲れが極限に達して、もう泣きそう。
眠気が極限に達して、もううわ言を口にしそう。

こういう時、ああ、今まさに白髪が増えている、と思う。



2003年10月15日(水) あれやこれや

買物に出かけた。
行き先は、過日敗北を喫したBTC。
町の一角が丸ごとショッピングセンター、というアレである。

今回は、バスで挑戦。
他の乗客の後に続き、適当な停留所で降りたところ、
やっぱり迷ってしまった。

ここ、広すぎ。

それでも何とか適当な店に入り、
お弁当箱だの基本工具だのを買い揃える。
ついでに、作業机も見てまわるが、
こちらは決め手に欠けたので、保留。

ああ、荷物持ちがいると、
買物が楽ですこと。←いつか刺されるぞコージ苑



2003年10月14日(火) 遠来の客、第二弾

スロ訪問団第二陣は、
北の国からやってきたスパイ、じゃなくて、七味屋氏。

彼が言う。
「公使がおもしろがってましたよ。
だって、大使館員が次々と休暇をとって、
こぞってスロに向かうんですもん。」

そりゃそうだ。
何故か今、L国大使館では、スロがブーム。

じゃあ、こうなったら公使ご夫妻もいかがですか、
なんて言ってみたりして。
(いや、実際に来られてもちょっと困るけど)



2003年10月13日(月) 先生の「御」授業

前にも書いたことであるが、
今年度、コージ苑が担当する授業は、大きく三つに分けられる。
一つは、一年生の日本語演習。
一つは、三年生の必修古典。
そしてもう一つは、四年生の選択古典。

この、最後のひとコマについては、
コージ苑は正直言って開講自体を危ぶんでいた。
だって、古典だよ?
外国人が外国で外国語として習ってんだよ?
日本人ですら、「古典は外国語だと思え」とか言われちゃうんだよ?

それなのに、一体誰が好きこのんで、
「古典」を「選択」するだろうか、いや、しない(反語)。

…と考えていたコージ苑だったが、
いやいや、いる所にはいるものだ。

マニアってもんが。

彼の名はソニック君(仮名)。
古典マニアの敬語マニアである。
ベケ教授に紹介された時、彼はコージ苑にこう言ったものだ。

「私は、先生の御(ご)授業に、是非出させていただきたいのです」

…すっげえ。
まさに「すっげえ」としか言い様のないこの敬語っぷり。
(微妙に間違っている気もしないではないが)
ここまで崇め奉られると、良い気分を通り越して脱力してしまう。

そして、選択古典の第一回目。

受講する学生、ソニック一人。
何回数えても、ソニック一人。
咳をしても、ソニック一人。

…さてと。
一年間張り切っていこうかしら(あらぬ方向を眺めつつ)。



2003年10月12日(日) 一段落

遠来の客、第一弾が無事終了。
日曜日は一日怠惰に過ごし…たいところだが、
来週やって来る新たなお客様のために、
前倒しの授業準備を余儀なくされるコージ苑であった。
しかし、休日返上で仕事するっていうのも、存外に自己満足に浸れるものだ。
「怠け者の節句働き」って、良く言ったもの。

※※※※※

妹尾河童『少年H』講談社
何故だか分らないが、『はだしのゲン』を思い出してしまった。
数年来読みそびれていた本だったので、読了後の満足もひとしお。
関西弁がのんびりしていて良いなあ。



2003年10月11日(土) 買う人、見る人

麿君とA嬢とバタヤン、名づけてL国組と待ち合わせて、
午前中は買物ツアー。
…といっても、主役はお嬢様お二方のみで、
購買意欲の低い麿君と、
慢性不景気のコージ苑は、
ひたすら「I’m just looking, sorry sorry」である。
空しいといえば空しいが、人の買物を眺めるのもまた楽しい。

お嬢様チームは、先日遠出したイタリアでもかなり散財したらしい。
…L国って、そんなにモノ不足だったっけ…
コージ苑の個人的な印象としては、
R市の方がよほど都会だと思うのだが。
彼女達に言わせると、「品物が違う」のだそうで、
これを聞いて、コージ苑はちょっと嬉しくなってしまった。
やっぱりそこはほら、アドリア海の風が吹いているって感じ?←意味不明

一足先に帰国する麿君を空港まで見送り、
女性三人で午後は簡単な観光…をしつつ、やっぱり買物。
旧市街の川沿いでクラフト展をやっていたので、
手ごろな大きさの、陶器のタンブラーを購入。
日本茶でもビールでも、コーヒーでもいけそうなデザインが気に入った。

夕食は、二人が宿泊しているホテルのレストランで。
プロシュートに始まりコーヒーに終わるまで、
喋るのと食べるので口はフル回転。

次に会うのはL国ですかね、とお気楽な挨拶を交わして、
あっさりと別れた。

そしてコージ苑は、こういう付き合いが好きだ。



2003年10月10日(金) パーティー

夜、ベケ教授宅で新人歓迎会が催される。
といっても、大学の体育会系部活動のそれとは違い、
一気飲みも「自己紹介させていただきまーす!」もない。

皆さん酒量が半端じゃありませんでしたが。

ひとしきり飲み食いした後のお楽しみは、
ユーゴ時代の映画上映会。
ベケ教授宅は広いので、
リビングの白い壁が、大画面に早がわりするという、
「ニュー・シネマ・パラダイス」的な離れ業が可能なのだ。

で、どんな映画だったかというと、
日本で公開されたのかどうか分らないが、
ベケ教授訳するところの邦題は「パパは出張中」。
愛人関係にあった女の恨みを買い、
嘘の密告をされた結果、流刑(というんだろうか)にあった男の話。
視点は彼の子供に置かれ、風刺をきかせた仕上がりになっている。

コージ苑、ブラックユーモアは嫌いではないので、
この映画鑑賞を大いに楽しんだ。

その間も、皆さん酒量が半端じゃありませんでしたが。

※※※※※

林真理子『夢見る頃を過ぎても』角川文庫
恋愛遍歴バナシは、女の子の必須アイテム。
コージ苑は、著者の声を聞いた事が無い…と記憶しているが、
テンポのある文章が、声も口調も想像させて面白い。



2003年10月09日(木) 怒涛の木曜日

朝から夕方まで授業。
夕方から会議。
夜までスロ語。
そんな木曜日。

帰宅後のビールが美味しいったらない。
疲れで酔いが回るのが早い。
ついでに寝つきも早い。
そんな木曜日。

ただのオヤジかも。



2003年10月08日(水) そこの姉ちゃん

コージ苑の、血と汗と涙の結晶であるところの無犯罪証明を、
「こんなの見たこと無い」と一蹴した役所の姉ちゃん、
ちょっとそこに座れ。

君が言う「あるべき無犯罪証明」の様式はなあ。

そりゃ中国のだ。

お約束すぎて、怒る気も失せた。



2003年10月07日(火) 遅れます

麿君に続いて、L国から大使館のお嬢様方がいらっしゃる。
コージ苑と麿で出迎えようと、
折からの土砂降りの中を駅まで歩き、そこからバスで空港へ。
すれ違いを避けるために、少し早めの時間設定で出かけたのだが、
今回に限ってはそれが裏目に出た。

空港に到着後、早速「到着」モニターをチェックした麿が一言。
「コージ苑さん、飛行機遅れてます。」

何故かいきなり2時間遅れ。
ひどい降りだし、今日はアルプスのあたり気温が下がるらしいし、
もしかしてそのせいかもしれないね、なんてのんびり構えていた私達だが、
2時間後、そろそろ時間じゃないの?と、
席を立った麿君、モニターを確認して、また一言。

「コージ苑さん、また遅れてます。」

知らない間にさりげなく遅れるなよ。
いくら饒舌気味になったとはいえ、無口で名を馳せた麿君が相手である。
コージ苑版トリビアの泉も干上がる寸前、
双方げんなりして、ひたすらゲートあるいはモニターを眺めていた。

結局、飛行機が到着したのは、
コージ苑達が空港に着いてから4時間も経った頃だった。
そして飛行機を待っていた二人も、
飛行機で待たされた二人も、
それぞれ疲れきって空港を後にしたのだった。

しかし、4時間遅れだといって、
その航空会社を責める気にはなれないコージ苑である。

だって、某北国のA航空なんか7時間遅れだったもん。
(出迎えの人は、もれなく憔悴しきっていた)



2003年10月06日(月) 麿、来訪

はるばる日本から、麿君がやって来た。
コージ苑、残念ながら仕事があるのでフルアテンドは出来ないが、
今日はせめて昼食でも、という話になった。

日本で社会人をやっている彼は、
ほんのちょっとだけ饒舌になった…ような気がした。

やっぱり仕事って、人間を変えるんだろうか。
じゃあ、コージ苑も変わったんだろうかと…と、
人間観察に長けているぶっひー嬢にお伺いを立てた。

「うーん、そうですねえ、コージ苑さんはマイルドになったかな。
前は、触ると切れるぜ〜、って感じだったけど。」


それって、太っただけとか言わな…



2003年10月05日(日) 忘れていた脳のシワ

随分前に覚えた言葉を、ふとした時に思い出すと、
脳みそがケイレンを起こした気になる。
普段使わない筋肉を動かした時のように。
コージ苑は理系から文転した人間であるから、
例えばそれは、蒸散とか過酸化水素水とか、
あるいは6−6ナイロンとか。

しかし、文系教科であっても、忘れていることは多い。
それは主に、受験用の丸暗記的知識である。

昨日から、来週からはじまる古典の授業準備をしている。
どうせなら一か月分ぐらいまとめてやってしまおうと、
文法の基礎事項をパソコンに入れる作業を進めていた。

助動詞の項にさしかかる。
ご存知の通り、助動詞の分類法にはいくつかあるが、
その中の一つに、前に来る動詞の、どの活用形につくかで分ける方法がある。

未然形接続→る らる す さす しむ ず じ む むず まし まほし

懐かしい。懐かしすぎる。
当時、暗記法もへったくれもなく、
ひたすら呪文のように「るーらるすーさすしむ…」と覚えていたのが、
一気に頭によみがえってきた。
今度は自分がこれを教えることになるんだなあと、ちょっと感慨にふける。

問題は、何の工夫もせず丸暗記していたかつての学生が、
人に上手く教えられるか、ってことなんだけど。



2003年10月04日(土) イタリア

もう何年前になるだろうか、
友人と二人で欧州貧乏旅行をした。
勿論イタリアは外せない。
そしてイタリアならば、キリスト教徒ならずとも、
バチカンには行っておきたいところである。

行列に並んで入った建物の中は、
それはもう呆れるほどの豪華さだった。
キリスト教に限らず、宗教の建物には、
「どうだー!!(ドーン!!)」ってものが多い。
こんなきらびやかな物を見せられた日には、
「すげー!僕入信するー!!」と…なるかどうかは分らないが、
圧倒された人間は、それを畏敬の念に横滑りさせてしまうことも、
あるんではなかろうか、と、そう思った。

システィナ礼拝堂は、ミケランジェロの壁画と天井画が呼び物。
しかし、修復中ということで、あまりよく見られなかった覚えがある。

修復作業は、2000年に完了したという。
数十年かかったこのプロジェクトの詳細を記したのが、こちらの本。

※※※※※

青木昭『修復士とミケランジェロとシスティーナの闇』 日本テレビ
死と闇の世界、と言われていたシスティーナの宗教画は、
実はあふれるほどの色彩の洪水だった。
ミケランジェロのフレスコ画に対する定説が、
この修復でいくつひっくりかえったかわからない。
一つ一つの絵に、修復にまつわるエピソードがあり、
カラー図版を見ながらそれを読むのがまた楽しい。
読み終わった後、コージ苑は、
これはもう一度イタリアに行かなければ、と決心したのだ。

井伏鱒二『珍品堂主人』 中公文庫
石坂浩二は病気だと聞きましたが、
「なんでも鑑定団」はまだ続いているのでしょうか。
それはさておき、井伏鱒二の文体は、
コージ苑的感覚でいくと、ものすごく洒落ている。
照れを見せても品を失わず、大人が片頬だけで笑える文。
思うに「山椒魚」は、小学生が教科書の上だけで「学ぶ」話じゃないぞ。



2003年10月03日(金) 勉強させていただきます

スロ語を習おうかな、と頭の片隅で思っていた。
同僚もやるというので、何となく勢いがついた。
講座からも援助があるというので、ますます引っ込みがつかなくなった。

で、申込みに行ってしまう。
すると、事務の女性が言った。

「申込みが多くてねえ、もう一つクラスを作ろうと思っているの。
でも、教室がなくて困ってるんだよね。
…え?あなた達ここの講師?
だったらさあ、学科で余っている教室がないか、
教授に聞いてくれない?
このままだと、外部に借りなくちゃいけなくなって、
そうすると受講料が上がっちゃうのよね…
もし見つけてくれたら、
あなた達の分、割引してあげるわよ」

授業料って、そんなに簡単に値引きできるもん?
という疑問はさておいて、
コージ苑とフランス先生は走った。
ベケ教授は、話を聞くと早速手配してくれた。

その日のうちに、空き教室が見つかった。
再び事務室に行って、取引はめでたく成立。

それにしても、コージ苑は「値引き」といっても、
せいぜい半端をおまけするぐらいだろうと思っていた。
しかし、手渡された請求書を見て驚き。

すっぱり半額である。

太っ腹というか何というか…
教室見つけるってそんなに大変なのか?←とっても素朴な疑問

もしかして、探すの面倒だっただけなんじゃ…

※※※※※

崎山克彦『何もなくて豊かな島』 新潮文庫
退職して南の島を買う、かあ…
暖かいの好き〜、な人だったら憧れる老後の生活。
不便な事も多々あるようだが、
それでも優雅に聞こえてしまうのは私だけだろうか。
口絵の島の様子、海の色、美しいったらない。
やっぱり年とったら、住むのは暖かい場所に限るな。



2003年10月02日(木) 朝見たもの

出勤途中で見たものは、
茶色くて丸いもの。

アパートの前で、かたつむり。
直径約5センチ。

交差点の前でおじさんが抱えていた、
まるでバッグのような巨大なパン。
直径約30センチ。


どっちにびっくりしたかって、
やっぱりパンかなあ・・・



2003年10月01日(水) 新学期

スロは今日から新学期。
長い夏休みがやっと終わった。
1年の3分の1も遊んで暮らしていたなんて、
最早社会人とは恥かしくて言えない。

コージ苑は一応教師なので、
オリエンテーションに出席した。
自分にとっても仕事始めということで、
今日だけはスーツで出勤。
しかし、朝霧のせいで髪の毛が湿気ており、
セットがうまくいかなくてイヤーンな感じ。
フォーマルにするのも、
間が開きすぎると上手くいかない様だ。

自分でも思っている以上に、
色んなところでカンが狂っているコージ苑でした。


 < これまで  もくじ  これから >


コージ苑