BENJAMIN TREE
kouya



 HANA-USAGI

「HANA-USAGI」て漫画をたまたま本屋で見つけて、高いなぁと思いながらも買っちゃった。
でもこれ、くだらないけどオレ的にはヒット!
いいね。
書いてる人は芸人さんらしい。
今、ネットで調べて知った。

ぼのぼのとか、バケツでご飯とか、どうもオレは変なものが好きらしい。
(今に始まったことではないけれど。

2004年01月25日(日)



 不思議だなぁとは思うんだけど頷ける。

うちのクリニックでは看護師が五人在籍していて、いつも四人出勤してる。
で、三人診察の方にいて、一人はリハビリの方にいる。
リハビリは三人が日替わりで担当してるんだけど、リハビリって毎日来るわけじゃないしたまたまいつも同じ人の担当の日に当たるってことが多いのね。
あ、この人ここのところ(一月〜二月に渡って)自分が担当の日に来てる、みたいな。
もちろん、オレ以外の人もそういう感じになってるわけよ。
そうすると大抵の患者さんは一人が専属でリハビリの方を担当してると思い込むのね。
それでたまたま違う人の担当の日に来たりすると
「いつもの人は?」
ってなるわけだけれども、いつもの人の意味する看護師の年齢によって聞き方(言い方)が違うの。
三人のうち一人はオレ。
22歳の若造ですわ。ええ。
で、もう一人は30歳代。Mさん。
もう一人が60歳(超?)。Sさん。
Mさんのことを聞く人は
「あら?いつもの看護師さん 『お休み』 ?」
Sさんのことを聞く人は
「あら?いつもの看護師さん 『辞めちゃった』 の?」

・・・。

いや、なんか気持ちは分からないでもないけどね。
中には
「いつもいる『歳した人』は辞めただかい?」
なんて言ってくるし。
でも、オレも最初Sさんが師長さんだと思ってたけどね。
実際、師長さんは40歳代。
無意識に退職の間近の人っていうイメージを作っちゃうんだよね。

で、今日「いつもの人は?」って聞いてきたうちの何人かはオレのこと覚えないのね。
もう何回も会ってて、カルテにオレの字で記載があるってことはオレが担当してるのに、それも一回や二回じゃないのに
「そうかい。いやぁ、あんたにやってもらうの初めてだからさ」
とくるわけ。
別に覚えてもらったからいいことがあるわけでもないけど、全くもって記憶に残らないほどオレって存在薄いですか?
ちょっぴり切ないそんな日でした。


2004年01月21日(水)



 今日は

朝起きたら快晴。
一面の雪景色は久々で、確か20年も雪国で生きてきたはずなのにすごくわくわくうきうきしてました。
何年ぶりかの雪だるまなんか作っちゃったりして。
それがすごく可愛くない顔で満足(´ー`)

今日は母方のばばちゃんの3回忌ってことでお墓参りしてきました。
おかんは7人兄弟なんだけど、そのうち5人が集まってなんのかんの話を始めたらまるっきりなんの話か分からなくて、隅っこでうさぎと遊んでましたとさ。

昔は、家族が多いから家計を支えるためにアンゴラウサギ飼ってたんだって。
それも100匹も!!
で、毛を刈って売ってたらしい。
それにしてもすごい数だよね。100匹だってさ。
だから毎日土手の草刈って歩いて、近所でもヤギとか飼ってるから、どこの土手もぼうずになってたんだってさ。
そういえば小学生のころ飼ってたうさぎにはは土手の草刈ってあげてたな。

じいちゃんはまだ健在で、でも結構な歳なんだけど、眼鏡もかけずに本読んでた。
少し耳が遠いけど、元気な姿にほっとした。

2004年01月18日(日)



 衛生看護科

閉科のからみで研究室にお邪魔して、必要な話は20分くらい。
あとは3時間くらい世間話やら生徒さんの論文の指導してました。

学生のときの担任に会いに言ったんだけど、看護科がなくなったら先生どうすんの?って聞いてきた。
歳だってうちの親と同じくらいだし、病院勤めするのか、はたまた養護教諭とかするのかな?とか思ってたから。
でも、もしかしたらこのまま学校に残ることになるかもしれない、とのこと。
何で?って思ったら、今の校長が施設もそうだけど、看護科があったっていうことを残したいって言ってくれてるんだって。
で、選択授業で基礎看護を何単位か、あと介護の授業を何単位かつくりたいらしい。
で、ヘルパー3級の資格がとれるように申請中なんだって。
確かに20台もベッドがあるわけだし、リネン類も大量にあって処分しちゃうのはもったいない。
活かせるものなら活かしたい気はする。

それに、恩師に会いに行くってことが出来るのは結構大きい。
なんかあったときに、話聞いてもらったりして「頑張ろう」って思えることもあったし。
・・・なぜか先生の愚痴を「うんうん」て聞いてたこともあったけど。苦笑
最後に巣立つコたちが、帰ってこれる場所があって良かった。
あ、オレいい人みたい。(ぉぃ


途中で、先生が論文の指導してるときに「更夜ちょっと見て」ってまわしてきた。
進学先に出すやつらしいんだけど、ここをもうちょっと違う印象にしたいんだよねぇ、って。
テーマがあって、「実習で学んだこと」だった。
先生が郵便局にいかなきゃいけないっていうからそのコと向かい合ってたんだけど、すげぇ緊張した。
学生のときって、とかく「こんなことしか出来ない」「これだけしか出来なかった」っていう風に自分を卑下しがちなんだよね。
もちろん、医療的な処置なんかほとんど出来ないわけで、目に見えることって数えるほどしか出来ない。
でも、看護学生ってすごい微妙な立場で、患者さんが家族に言えない弱音とか、医者や看護師に遠慮したり尻込みしちゃって言えないような本音を、唯一吐き出せる場所だったりするんだよね。
だから、そこにいて話を聞いてくれる、また何曜日に来ますね、って言って必ず来てくれるってことが、実は支えになってたりする。
でも、そういうことって意外と気付けないんだよね。
そのときって。
それも、受け持った方が元気になって退院してったならまだしも、悪化の一途をたどって亡くなった場合や終末期なのが分かってた場合、苦しんでる姿を目の当たりにしてて、でも何も出来なかったっていう思いが強く残っちゃう。
自分が必死だから、苦痛を取るっていう点においても医療の限界があるんだってことに気付けなくて、全部自分の力不足なんだって思っちゃうから。
で、そのコもそう。
「これだけしかできなくて」っていう感じで卑下した文章が書かれちゃってるから、学んだことっていうよりも反省文みたいな印象になっちゃってて。
でも、読んでみれば、その患者さんが涙ボロボロ流して「なんであたしは・・・」みたいに感情をぶつけてるんだよね。そのコに。
それって実はすごく大きいこと。
話を聞いていくと、そのコは身体に対しては限られたことしか出来なかったかもしれないけど、その患者さんの心に対してはすごく近くにいて、信頼も得ることができて、限られた実習期間の中で、一人の人の心に寄り添っていられたと思う。
だから、そんなに卑下しなくていいんだよ、って話した。
どうにか好印象にまとまって一安心。
結局、3人くらいの論文指導して、先生は緊張したオレに労いのチーズケーキをくれましたとさ。


振り返ると自分もそうだなって思った。
学生の頃なんか特にそうだけど、誰々が採血させてもらったと聞けば「自分はこれだけしか出来なかったのに」って焦ってみたり。
検査があるときけば是非見学したい、とか。
患者さんを受け持って、その人に対して何が一番必要なのかってことよりも、「今日は何が出来た」っていう目に見える成果を求めてた。
・・・今もそうだな。
そんな気がする。
そうじゃなくて、もっと目の前にあるものに目を向けないといけないな。

2004年01月15日(木)



 開眼

今日、和尚さんにきてもらって、お仏壇とお位牌の開眼をしてもらった。
足は崩してていいよ、と言われたんだけれども、股関節の具合が悪くて崩したらそれはそれで大変だから正座してた。
思ってたより短かった(お通夜くらいの長さを想像してた)けど、それでもさすがに痺れた。苦笑
お仏壇は去年のうちに届いてはいたけど、お寺さんとの都合が合わなくて。

そのあとお茶飲みながら和尚さんと話ししてて、「もう仕事はしてるの?」と聞かれた。
仕事をしてるかどうかって、そんなに若く見えましたか?笑

おかんがここ数年山野草を見に行ってる(らしい)お寺が、どうやら今日来てもらったお寺と繋がりがあるらしい。
というか、発祥が同じらしい。
へぇ、って感じ。
なんか説明してくれたけど、よく分かんなかった。汗
でも、「うちも山野草は育ててるから見においで」だそうだ。
水芭蕉やザゼンソウもあったみたいだし。
時期時期で楽しめそうだって言って、おかんは嬉しそうだった。
お寺さんの墓地にお墓を建てることにしたらしいから、ちょくちょくお参りに行けばいいね。
和尚さんが「良かったら袋持ってくれば分けてあげるよ」って言ってくれておかんは喜んでたけど、うちの庭は日当たりがいいからあんまり育たないような気がする・・・。苦笑

2004年01月12日(月)



 「閉科式のご案内」

オレの通った高校の、オレの通った衛生看護科が、今年度をもって閉科される。
その、通知が来た。
知っていたけど、やっぱり形としてつきつけられたら「そっか・・・」という気分になる。
寂しいというか。

オレが高校生のとき、全く持って気付かなかったけど、担任にものすごく心配をかけていたらしい。
あの頃のオレといえば、世界にたった一人でいるかのような、周りの誰も信頼できる人なんかいないというような気持ちでいた。
「友達」と呼んでる人達はいたけど、「学校」という檻に閉じ込められている時間をつぶすためだけのものだったから、当然当たり障りのない話しかしなかったし、心から信じることはなかった。
それと、オレにとって「先生」というのは仇とでもいうくらいに、「信じてはいけない」ものだった。
頼るなんて、考えられなかった。
「先生」というものを信じていいんだと教えてくれたのは、高校のときのあの担任だった。
M先生に会っていなかったら、きっとオレは社会から引きこもってたと思う。

協調性がなく、クラスに馴染まず。
「このコはどうなるんだろう」
というのが第一印象だったらしい。
「おかしなコ」「幼いくせいに妙に聡い」
そんな風にも言われた。

でも、やっぱりずっと支えてもらったし、すごくお世話になったと思ってる。
閉科式の日は、何らかの形でお礼をしたいと思っている。

2004年01月07日(水)



 BAD BOYS 2 BAD

彼氏と一緒に見てきた。
9:10開映で終わったのは11:40くらいか?
面白かったけど、覚せい剤を詰めた死体が出てきたり、それに手を突っ込んでたりするんは怖かった。

オレは字幕で見てるんだけど、彼氏は音声で見てるから、「ここはこう」言ってるっていうのを教えてくれたり、オレが1の方を見てないから登場人物の簡単な説明をしてくれたりして、一人で見るより楽しめた。
つーか、1も見たい!と思った。

字幕で見ちゃうと気付かないけど、主人公の二人は黒人さんなわけで、そうすると黒人さん特有の言葉遣いっていうか言い回し?があるらしい。
そういうのを分かってみるともっと楽しめるらしい。
あと、下の話とかかなり穏やかにされちゃってるけど、実際はかなり過激なこと言ってたり。
解説されて苦笑い、なのもあったけど、楽しかった。

2004年01月03日(土)



 明けました

喪中につき、華やかでないお正月を過ごしてます。

・・・が、なんだか町中華やかではないね?
そう思うのは気のせいかな。

今日は彼氏と彼氏の両親と豊科の白鳥湖(河なんだけど)に白鳥を見に行くということで誘われてご一緒してきました。
なんつーか、すんげー不自然。
もともと飛来しなかったのを飛来するように仕向け(トイレの張り紙より)、狭い範囲に660羽(2004年1月1日現在)の白鳥がいて、しかも餌撒いてるし、見にきた人も餌を与えることができる。
それも食パンの耳。
油が浮いたりカスで水が濁ったり、水質汚濁も甚だしい。
それに、餌の時間の30分暗い前から、おばさんが奇声を発して、どうやら白鳥を呼んでるらしい。
でも、それに反応しない一群が。
おばさん曰く
「昨日飛来してきたばかりでまだ集団に馴染まないのよ。」
マジすか?って思った。
不自然極まりないんじゃないの?
そんなの、鳥には鳥の社会があるだろうし、馴染む必要があれば馴染むでしょうよ。
それに、餌の時間だからなんていう人間の呼びかけに反応しないのって、よっぽど自然なことなんじゃないの?
越冬のために飛来できる場所を確保するってのは、オレには善し悪しは分からない。
でも、羽根を休める場所があるってのはいいんじゃないかな。
でも、餌がないっていうんなら不自然に狭い範囲に集中させるのをやめればいいんだし、環境保全っていう角度から餌の確保のできる環境を作ればいい。
食パン撒いて河を汚す必要はない。

なんて、初っ端から愚痴ってのもいやーね。
でも、ここってすごく景色がいいのよ。
穂高連峰(だと思う)がすぐそばに見えてるの。
白鳥にほとんどフィルム使っちゃってから、かなり後悔した。苦笑



一昨日の夜友達と話して、不眠患者は眠ることにばかり重点を置いて考えてしまうけど、起床時刻を一定に定めることが肝心、というアドバイスを受けた。
確かに、最近は「起きる時間」を定めることが重要視されてるんだよね。
今日は出かけることもあり、胸を張って「朝」と言える時間に起きたけれど、これって、かなり疲れる。
疲れるって言うか、夜までもたない。
夕方頃にはけっこうキツイ。
案外、生活を正していけばオレの不眠てすぐに治るかも。

2004年01月01日(木)
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