月のシズク
mamico



 平日の休日に『蜘蛛男』を観に行く

規則正しい生活を試みて、常識的な時刻に目覚ましをかけてみる。
とりあえず、起きあがりカーテンと窓を開けてから、ベットに倒れ込む。
しばし気絶。と、電話が鳴り、ぐらぐらしたアタマのまま「もしもし」。

「ひま?」・・・ひぃ?ひま。
「お昼ごろに迎えに行くから、映画見に行こう!」・・・え、えいが?
「そ、代休取ったんだ。遊びにいこうよう」・・・う、うん。いく。

とまぁ、こんな具合で私はベットから引っこ抜かれ、友の車に詰め込まれる。
部屋にどっさりと持ち帰ったシゴトを横目に、私まで休日を決め込んでしまった。
オフィスのない仕事というのも、いいのだか、悪いのだか(苦笑)

久しぶりに平日の首都高を走ったが、なんとまぁガラスカ。
映画ひとつ観るのに、高速に乗って台場まで行くのにもそれなりの理由がある。
せっかくの休日モードなのだもの。非日常的生活空間へ連れ出されるのも悪くない。
それに、私は首都高の近未来的スピード感が好きなのだ。あの閉鎖的な空間は、
あがなえない、というか、抵抗することを拒否される、というか。
はい。どうでもいいです(思考能力ゼロ/許せ、皆の衆)。

で、メディアージュで『スパイダーマン』を観てきた。
妊娠中のジョディ・フォスターが主演した『パニックルーム』を観るつもりだったが、
ぼんやりとしたアタマには、ドタバタ・アメリカ大衆映画の方がお気楽だと考えた。
まさしくその通り! あははと笑い、ほろりと涙し、スッキリしたぁー、と劇場を
後にできる快感。N.Yを舞台にした特撮は大スクリーンで観る価値があるが、内容
は・・・(笑)。読めてしまうのだ。ぜんぶ。映画の進行と同じスピードで、すべて。

先日観た『模倣犯』の試写会は、劇場を出てからふつふつと疑問や意味なんかを
反芻させられた。『スパイダーマン』はその真逆に位置する。意味なんてナイのだ。
あったとしても必要なことは、すべてスクリーンに映し出されている。ザッツ・オール!
なんと解りやすい世の中。Good or Bad?

それでもせっかく観たことだし、サイトの方に映画評論でも書いてみますか。
あ、でもワタクシ、映画音痴で悪筆評論しかできないんですけど・・・。
(だーめだぁ。ちょっと欠損部品が出ているので、ちゃんと機能してないんです。
 何がって? ええ、あたくしが、です。すみません、みなさん。出直してきます。)

追記:
ちょうど修学旅行シーズンなのですね。グループ行動中の中高生(?)に
たくさん遭遇しました。揃いの制服にカバン。目指すはフジテレビ?自由の女神?
ちょっと微笑ましい光景でした。ちゃんちゃん。


2002年05月30日(木)



 夜中の買い出し:フルーツ編

夜になると、無性に妙なものが食べたくなる。
冷えたきゅうりだったり、パピコのチョコ・コーヒー味だったり、クラムチャウダー
だったり、キムチ冷麺だったり、ナタデココ入りヨーグルトだったりする。

8時すぎに突然、盛りだくさんフルーツが食べたくなる。財布だけ掴んで、取り憑か
れたように深夜営業のスーパーへ駆けつける。あのバカ明るい夜のスーパーだ。
プラスティックの緑のカゴに、目に付いたフルーツを片っ端から入れてゆく。
赤い苺のパック、キュウイフルーツ、バナナ、ルビー・グレープフルーツ、レモン、
りんご、それとなぜか、うす緑色のグラデーションがきれいな梅ゼリーも。

どっさりの果物を部屋に持ち帰り、つかんだそばから皮を剥き、ザク切りにしては、
大きなボウルに放り込んでゆく。その上からレモンをぎゅっと搾って、サイダーと
コアントロー、それに残っていた白ワインをどぼどぼと注ぐ。ひひひ、できたっ。

深皿に移して、きれいな色の梅ゼリーも指先で揉んで散らす。
それを大きなスプーンでざくざくといただく、豪快フルーツ☆パンチ。
甘酸っぱい上に、ワインのアルコールが喉をひやりと通過して爽快である。
なんだか夜中にひとりで乱痴パーティをしているようで、愉快になってくる。

だがしかし、カラダが発する欲求に素直に服従しているとはいえ、
果たしてこんな食生活、よいのか? むむ、たまには善しとすべし。

(豪快フルーツ☆パンチのレシピは上記の通りです。夏のおやつにどうぞ。)


2002年05月29日(水)



 赤い月

週の前半だからか、みな早く帰宅したようだ。
まだ9時過ぎだというのに、フロアにひとりきりになった。
窓の外に光を感じたので見ると、東の空から月がのぼってゆくところだった。
鈍いオレンジ色の光にぼんやりと包まれた満月は、不穏な印象を与える。

部屋の電気を消して、ベランダに出ようとしたとき、ぐらっときた。
そのまま窓枠に寄りかかって、煙草をいっぽん吸う。
風が吹いているのか、街の灯りがちらちらと揺れる。
遠くに中央線が走っているのが見える。オモチャみたいだ。
煙草をはさむ指先が冷えてきたので、部屋の中に入ろうとした。
と、また、ぐらりっ。

そのままソファに座り込み、頭をもたれかけさせてじっとしていた。
月は光を充満させ、ゆっくりと音もなく南の空へのぼってゆく。
大昔に「赤い月は不吉なことが起こる前触れだ」と畏れられていたっけ。
自分の体内で打たれる心音をじっと聞きながら、目をつぶっていた。
眼を閉じると、意識がきゅっと集中する。コンセントレイション。

こういうときにこそ、マーラーの5番、アダージェットが似合いの曲なのかもしれない。
弦楽とハープが奏でる、静かで美しい音の波。よるべなき夜のうた。
しかし残念ながら、わたしはそれほどロマンティストじゃぁない。
ひとの声が、いちばんいいに決まっている。昔も今も。


2002年05月28日(火)



 森田版『模倣犯』(ネタバレ)

行ってまいりました、『模倣犯』の試写会。
実は一足お先に観てらしたウチのセンセからネタというネタは全て聞かされていた
ので、びっくり仰天!な結果ではなかったのですが、真剣勝負の2時間4分だった。

宮部みゆきの超長編小説とは別の、監督森田芳光版に仕上がっていた。
とにかくスクリーンに映し出される情報量の多さに攪乱させられる。
Yahooも協賛なので、スクリーンに"Yahoo"への書き込みがタイピングされたり、
ワイドショーの画面をスクリーンとテレビに断続的に切り替えたり。
かと思えば、山崎努が登場する豆腐屋のシーンは、古き良き日本の風情たっぷり。
渋谷の街頭大型ビジョン、携帯電話での動画配信、バイク便まで登場する我らの日常。
なるほどな。こうして異化作用されると、この世界も異様なスピードで回転させられ
ていることに気付く。ほほぅ。

問題の中居くんは、みなさんが騒ぐほど「美しい」とは感じなかった。
結構すんなり観られるし、これといったカラーも感じさせない。それが狙いか。
たとえて言うなら、『白い影』の直江医師から魂を抜き取ったような表情。
メタルのような肌触りがする。が、逆に声に表情が込められる瞬間がある。
特に、彼がスクリーンから姿を消した後の「声」の部分には惹き付けられた。

同席したウチの教授が、ひっそりと笑い彼女なりの逆筋を話してくれる。
この作品は『オイディプス王』をウラから観たバージョンだった。
犯人(自分)を捜すオイディプスではなく、「僕を見つけてくれ」と登場するピース。
無意識的父親殺しではなく、意識的母親殺人を犯すピース。
両親に遺棄された子ではなく、子をすくい取り託すピース。
だがその根元的な「心の闇」の部分は何も語られていない。
さて、アナタはこの作品から何を読み解くか?


2002年05月27日(月)



 ワークショップ

昨日、美術作家の永井宏さんが主催するワークショップに参加した。
渋谷と代官山が交わる、線路沿いのGULU cafeという場所だった。
みんなで書いてきたものを読み合って、永井さんがコメントしてくださる。

風景がみえてこない、と言われた。
言葉をもっと慎重に選びなさい、とも。
今度は、なにもはしょらずに、だらだらと、つらつらと書いてみなさい、と。

誰かに客観的に、正面切って自分の文章を批評されたのは初めてかもしれない。
それも、職業作家、つまり言葉のプロにコメントしてもらったのは初体験だ。
と、同時に、求められる表現法と論法は如何なるのものなのか、と考えた。
私が気持ちよく書く文章は、必ずしも相手にとっても快だとは限らないらしい。
むしろ、何も伝わらない駄文の方が多い、のだろう。おそらく。

きれいにまとまりすぎるのも、よろしくないらしい。
着地失敗を恐れない、というより、着地を諦める、ということなのだろうか。
生きていることの結論を知らないので、私は書くことに「けり」をつけたがる癖がある。
「けり」のない人生の方が圧倒的に多いぶん、創作に「けり」を求めてしまうのだ。
突然、コトバが生々しい生き物のように思えて、なんだか手こずってしまっている。


2002年05月24日(金)



 5月のある晴れた日におもうこと

5月から新しい環境での生活が始まって、どうやら日々健康になっているようだ。
常識的生活人からみると、私の生活サイクルにはやや時差が生じているが、
三度の食事を摂り、8時間近くの睡眠を確保し、天気の良い日には太陽を浴びている。
確かに収入は減ったが、そのぶん出費もぐんと減っている。理由は簡単だ。
仕事のストレスによる衝動買いが減ったことと、外食をしなくなったからだ。

以前は12時間近く、デスクに座りっぱなしで、チカチカするモニタを見続け、
右手が腱鞘炎になるくらいクリックやスクロールを繰り返す毎日だった。
それが仕事で、その代償としてお給料をいただいていたのだから文句は言えない。
でも正直、自分が内側からじわじわと腐っていくような気がした。
脳味噌の皺もどんどん伸びて、肉も骨も衰えていく感覚があった。
老化ではない。これは退化だ、と気付いたとき、私は仕事を辞めた。

そして、今の生活が始まった。

アシスタントの仕事は不規則で、気まぐれで、愉快なアクシデントが多い。
私はヒールを脱ぎ、エレベーターを使うことを止め、スニーカーで非常階段を
駆け上がったり、滑り降りたりしている。日差しの中、おいしそうな緑の芝生
を踏みしめて(柔らかで気持ちよい)キャンパス内を移動する。

おつかいに出たり、採点をしたり、原稿をチェックしたり、リサーチしたり、
書庫に降りたり、資料を作ったり、教授のおしゃべりに付き合ったり(!)、
実に楽しくシゴトをさせてもらっている。本と音楽の近くに居られるのも嬉しい。
今日は「マーラー5番」とマスカーニの「カバレリア・ルスティカーナ」などのCDを
チェックしていた。カラヤン?ベルティーニ?アバト?シャイー?どの指揮者で、
どこのオーケストラの演奏か?? なんて、私にとっては楽しくてしょうがない。

そして、私は日々、健康になってゆく。カラダもココロも。

夜、ますます正直になった私の身体が「肉を食べたい」と欲したので、
友をつかまえて焼き肉をたらふく喰らう。この友、クラシック音楽業界人さんで、
私の質問にすらすらと答えてくれた。なんとも心強し。
「これからは、ナマ演奏をたくさん聴ききなよ」とアドヴァイスされる。
なるほどね。今ならば、純粋にオンガクも身体からゴクゴクと吸収できそうです。


2002年05月22日(水)



 チャウダ・スープ!

サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフは美味しいクラムチャウダーを
食べさせてくれるお店がたくさんある。と、Moby-Dickを読みながら思い出した。

物語では、マサチューセッツ州ケープコッド地方の沖合に浮かぶ小さなナンタケット島
に、イッシュマイルと人喰い人種のクィークェッグが捕鯨船に乗るためにやってくる。
港にはハッシーなオバサンが仕切る宿があり、そこで脳味噌までチャウダー・スープ
になってしまうような、貝と鱈の旨い煮込みスープを出してくれるのだ。

それをふたりして、モノもいわずほふほふと平らげる。
スープに浸した固いパンもぺろりといただく。
11月の身を切るような寒さの中からやってきたふたりは、
体がぽかぽかに暖まり、内側からなんとも幸福な気分に包まれる。

という描写を読んでいたら、何が何でも旨いチャウダ・スープを食べたくなった。
ちなみに、ニュー・イングランド地方のクラムチャウダーとN.Yのソレは微妙に違う。
何が?色が違うのです。前者は白、後者はオレンジがかった色味になってます。
色が違っても、どっちも美味しいんですけどね。



2002年05月21日(火)



 覚え書き

■週末に妹のように可愛がっている後輩ちゃんのお見舞いにゆく。
 就活中の彼女は、果敢にも体内に挿管したまま面接に挑むのだそうだ。
 ヲイヲイ、無理してくれるなよ、と懇願しつつも、思いのほか元気そうな彼女
 に会えて少し安心する弱気な姉。今週中に手術だそうだ。ダイジョウブ、と
 自分に言い聞かせる甲斐性ナシの姉(苦笑)。

■「なんかガイジンさんみたいな髪型ですねー」とパジャマ姿の(仮)妹が言う。
 イエ、洗いっぱなしのまま風に吹かれてびゅんと車で飛んできたのじゃよ、
 と答えると、「なんかそのふわふわ、くしゅくしゅ感がいいかんじです(^-^)」
 なんて、うーん、かわいい。ただのボサ髪なのに。素直にヨロコブ単純な(仮)姉。

■ええ、マーラー、ですとも。マーラー。
 弦セクションのみの練習に参加。結果→惨敗。あぅぅぅぅ。
 あのですね、マーラーさん、ワタクシはアナタの楽曲は大変好きですの。
 でもね、もう少し奏者のことも考えて譜面書いてくださいな。無謀ですわよ。
 なんてこと、うだうだ言わずとも弾けれればいいのだが。本番までアト1ヶ月半。

■外から子供たちの大歓声があがっている。
 ヲヤ?とベランダに出ると、構内の小学校が運動会の練習をしていた。
 赤と白の帽子をかぶって、茶色いグラウンドに裸足で散らばる子供たち。
 イマドキ裸足など珍しいのでは?その土のぬくもりを、しかと憶えておくのだぞ、
 コドモたちよ。・・・しかし、「鉄腕アトム」の歌やらラジオ体操やら、賑やかしい。

■Wカップの選手が公表されました。ジブンはあまりスポーツ観戦とか得意じゃ
 ないのですが、今回の選出については悲喜交々の感想が飛び交っていますね。
 ゴン中山の復活、中村俊輔の落選、監督はどんなストラテジーを意図してるのか。
 チーム・スポーツという小さな共同体の中での、選手ひとりひとりに与えられた役割を
 ゲームの中で存分に見せつけて欲しいと思う。感動を、ひとつよろしく頼む。



2002年05月20日(月)



 スペイン坂のスペイン料理屋

同じ部署だったひとびとが食事に招いてくれた。
メールで知らされた地図を開くと、渋谷のスペイン坂にあるスペイン料理屋だった。
悪意のないギャグかと思ったら、大真面目なスペイン料理店だった。

メニューを読むだけでは想像できない料理が次々と並べられる。
料理皿に残ったオレンジ色の牡蠣のソースやら、オリーブオイルやらを
白いパンですくっていただく。皿はぴかぴかに磨かれ、胃袋は至福を感じる。
サングリアと赤ワインをごくごくと飲み干し、デザートもきれいにいただく。
ああ、大勢で食事するのってすごく楽しい。そして美味しい。

雨の中、色とりどりの傘をさして駅へ向かう。
そして、にっこりと笑いながら「またね」と手を振り合う。
「またね」の安心感を抱いて、バラバラと駅の改札に降りてゆく。
電車に乗って、それぞれの家へ帰る。


そんな、すこし幸福な、金曜の夜。



2002年05月17日(金)



 赤いランプの告発

夜遅く、メールの着信を示す赤いランプが、闇の中でチカチカと点滅する。
「再発しちゃいました。今、病院です」の文字。
わたしは立ちすくみ、怯み、心を痛める。オーマイガッドだ。

ちょうど一年前、彼女は倒れ、入院した。
知らせを聞いて会社を抜け出し病院へ向かった、あの夕方を思い出す。
細いカラダにチューブを差し込まれ、うるんだ眼で見上げ、そっとわらった表情。
先週会ったときには「あれから一年だね」と、冗談めかしてたばかりなのに。
病院のベットで心と身体を痛めている彼女を想うと、すごくつらい。

来週早々にオペをするという。
不安材料はぜんぶ取り除きましょう。今度こそ。
そうだ、おみやげに波照間のおいしい黒糖を持っていこう。



2002年05月16日(木)



 依存型資本主義社会

現在、私が身を置く周縁で(いや、実際は私が周縁に身を置いているんですけど)
ちょっとおもしろいことが起こっている。当事者たちにとっては、やや厄介なこと。

私がアシスタントを務めている教授が、夏にある特集本を出版することになった。
半年間ある雑誌で、「白い影」(主演:中居正広)の批評分析を連載したところ、
ファンの間で発生した「NN病」という現象名が一般的に氾濫し、ついにはTBSが
半年前に閉鎖された掲示板を再開し、関東地区で再々放送を始めている。
制作・放映したTBS側が完了したはずのドラマを、視聴者の熱意が湖の底から
もう一度水面上に引き上げたのだ。なぜか?語りきれないドラマの意味を探すためだ。

結果、「白い影」の原作者渡辺淳一氏をはじめ、TBS制作プロディユーサの鴨下氏、
企画の伊佐野氏、プロデューサーの三城氏、演出の吉田氏、共演者の白川和子さん
らがこの企画に賛同し、堰を切ったように作品と中居について語ってくれた。
側で経過を見守っていた私としても、その動きには驚くばかりだった。

そして、この半年分のインタビューおよび原稿を1冊の本にするのだ。
PSIKOの出版社である冬樹社は一般の流通経路に製品を乗せていないので、
大手の出版社に依頼することになる。そこでA社とB社が名乗りをあげた。
いずれも業界最大級の出版社で、バタバタと倒産する出版業界の中でも不動である。

まぁ、それはそれとして、この両者のやり方がオカシイ。
A社は中居正広が所属するジャニーズにお伺いを立て、B社は「白い影」制作者の
TBSにへこへこしている。とにかく「ジャニーズさま」「TBSさま」なのである。
ノベライズ本や中居本を出すわけでなく、内容は純然たる批評書だというのに、
やたらと権力にすがろうとする。肝心の原稿はココにあるのに、ココは彼らの眼中に
なく、とにかくお上がOKを出したら成功だと思い込み、上に手を合わせる。
どこを見ているのかしら、と不思議に思う。とんでもない方向音痴だ。

わたしもサラリーマンをしていたので、資本主義のハエアラキーやら何やらには
多少経験がある。でも、PSIKOという雑誌は広告収入やメディアのバックアップ
なしにコツコツと自分たちがやりたいことをやってきた。どこからの圧力もなく、
語りたいことを真剣に、正直にカタチにしてきた。その結果、学術本など見向き
もしなかった中居・直江ファンの方々が反応し、どんどん「語るための言語」を
掴んでいった。そのページには中居くんの写真が一枚も貼られていないというのに。

そんな周囲の騒ぎを眺めていて、日本の社会ってのはつくずく依存型なのだと実感する。
わたしはぜんぜん無関係の第三者(傍観者)でしかないのだが、こういう手口を
見ていると、いつの時代でも「いいものを作りたい」という個人の情熱とモノと
成果が直結するような社会でありたい、と切に願わずにはいられない。

自分はジブンの足でしか立てない、
ということを忘れてしまった大人ばかりなのが、すこし哀しい。


(このテキストは誹謗中傷の類ではなく、一個人の自由な意見です)

2002年05月15日(水)



 転がる少年たちよ

過食や拒食のように、天気にも著しい「反動」ってのがあるのだろうか。
今日の東京は暑かった。水分を含んだ空気が太陽に蒸されてじっとしりている。
思わずジャケットを脱いでノースリーブになった(日焼け止め、忘れていた)。

アシスタントの作業を終えたのが6時前だったので、部屋に寄りプールへ向かう。
本日の遊泳者専用レーンのペースメーカさんは当たりで、いい塩梅に流れている。
行きはクロール、帰りは平泳ぎで黙々とターンをくり返す。

夜のプールに反響する水の音が好きだ。
息を吸うために顔を水面からあげると、ぐるんと音世界が反転する。
明瞭、くぐもり、明瞭、くぐもり、耳に水が入って、くぐもり、くぐもり。
指先が水を切り裂いてゆくのもいい。自分が小さな舟になった気がする。

8時前に外へ出ると、夜の空気は昼の体温を残していた。
プールの前庭にできたボード・コーナでは、黄色いヘルメットをかぶった少年たちが、
ずるずるの洋服を着て急斜面をボードで滑り降りてゆく。器用に自転車を扱う者もいる。
彼らが作るガラガラ、ガラッガラという音が街灯に照らし出される。
光を浴びた緑の木の葉が美しかった。

少年たちの健康そうな夜を眺めていると、不意に夏が恋しくなった。
わたしは、夏の夜が織りなすまどろみを、この上なく愛している。


2002年05月14日(火)



 赤ペン先生な午後

ラジオで「梅雨のはしり」などと気の早い言葉を聞いて、ガラにもなく憂鬱になる。
広い窓から見える空はうすい灰色で、光の気配がない。
おまけに寒い。昼間だというのに、足元から底冷えしてくる。
思わずエアコンの「暖房」ボタンに手が伸びた。

友が置いていったD'Angeloの"Brown Sugar"を流しながら赤ペン先生な午後。
Q:「ボクの姉の夫は?」     A:'Brother-in-law'
Q:「わたしの母の再婚相手は?」 A:'Stepfather'
縁者を示す英語は、互いの位置関係が明瞭なのでおもしろい。
冷え切った指先でコリコリと点数を計算してゆく。

しかし、寒い。
じっと座っていると冷え切ってしまうので、ときどき部屋の中を歩く。
出産を待つ夫のように、部屋の中をぐるぐると回る。うろうろと回る。
回りながら、動物園の檻を右から左へ、左から右へ絶え間なく移動するキツネを思い出す。

あのキツネも寒かったのかな、とふと思った。
人間の習性行動は、実のところ、動物のそれともあまり違わないらしい。



2002年05月13日(月)



 フラミンゴ男、目撃

新宿から帰ってくる中央線でのこと。
おびただしい色彩をまとった乗客が、目の前に立ちはだかる。

ナニゴト?と見やると、カラフルな染髪の志茂田カゲキ先生が何喰わぬ顔でいらっしゃる。
ピンクの糸で刺繍された女性モノの細身のジーンズ、カギ編みの桜色のショール。
細く白い腕には、複雑な配色の腕輪と黄金の指輪。手には競馬新聞。
こんなに異彩を放っているというのに、個々人の雑事に忙しい乗客たちは気付かぬよう。
あらまぁ、と彼の痩身に私の視線は釘付け。まるで動物園のフラミンゴみたい。
肌、おきれいなのね、と感心してみる。さすがは芸能人?(本業は作家だよな)

ま、佐野史朗さん(吉祥寺在住)の方が断然フツーだったけど。

さておき、
amazon.co.jpから注文していた書籍が届いた。
メルビル(Herman Melville)の超長編『白鯨』なぞ読み始めた。千石英世訳はいかに?
そして、Holy Bibleなどを買ってしまった。欧米精神を知るには、聖書が近道。
その思想に折り合えるかは、また別の話。


2002年05月12日(日)



 代用品たち

携帯ストラップに付いていたバンビを無くしてしまった。
石垣島の自然に触発されて、彼女は野生に戻ったのだろう。。。

東京に戻ってきて、同じものをずっと探していたのだが、生産中止か品切れ続出か、
とにかくどこへ行っても見つからない。何ごとも諦めが肝心、と言うではないか、
などと自分を励まし、味気ない汚れたピンクのストラップをぶら下げていた。

が、公園の近くのアジア雑貨店で、中国(台湾?)風のかわいい紐編みを見つける。
細かい花柄の刺繍が入っていてなんともキッチュ。
これを代用品にしてしまった。

そして、もうひとつ

珍しく出遅れてしまい、カーネーションを発送し忘れてしまった。
なので、母上にはeグレーティング・カードを送り、代わりに私の部屋に
朱色のカーネーションを飾る。こっちは単なる気休め、なのですが。
明日はこの花瓶に、白いカーネーションも同席させる予定ですの。



2002年05月11日(土)



 12 water stories magazine

「ウォーター・マガジンは季節を言葉に変えた雑誌です。
 普段の生活の中で感じたり、見つけた事柄などを題材にした
 透明な12のストーリーといくつかの繊細な文章が詰まっています。
 春の光や風の中で読むと、言葉が舞って、青空に溶け込むように
 新しい季節の匂いに包まれていきます。」

                  (ウォーター・マガジンNo.3 2000年春号より)

季節誌で創刊は1999年の秋号からだったと思う。
2001年の秋号(vol.9)で休刊になってしまったが、私はこの小冊子が好きだった。
美術作家の永井宏氏が中心となり、サンライト・ラボという小さな編集部で制作していた。
B5サイズを一回り小さくしたハンディな冊子で、値段も530円とお手頃だった。
それに、なによりもコンテンツの12個の作品(エッセイ、詩、日記、ルポ)が、
洗練されきっておらず、生活感にあふれ、それでいて少し孤独な感じが良かった。
脱力しきった表紙絵や、外国雑誌のような紙質の悪さも好きだった。

わたしはこの冊子をよく旅先に持っていった。
新幹線で、空港のロビーで、ホテルのベランダで、プールサイドで、
私はすがすがしい気持ちで、果汁たっぷりのフルーツを食べるように、
これらの作品をむさぼった。肌をつややかにするビタミンのような効果を持って
いたと思う。今でも各号のページを開くと、たちまち旅した場所の匂いや
肌感覚がよみがえってきてしまう。なんというか、とても思い出深い冊子だった。

生活サイクルの一部となっていた、愛すべき季節刊行物を、とても懐かしく思う。
紙媒体の出版物がWebマガジンに敗退してゆく昨今だが、あの「一緒に旅した」
親密さというのは、まだまだモニタの上のドットには抱けない、と感じている。



2002年05月09日(木)



 雨上がり

昨日から降り続いていた雨が明け方頃にあがった。
午前中はどんより曇っていたけれど、午後になると5月の強い日差しが戻る。
しめっぽく濡れた土や木々が、とたんに艶めかしく色めき立つ。

今日はアシスタントの仕事もなかったので、夕方の早い時間にフリーになった。
建物の外(4F)に出て、なまぬるい空気に顔をしかめながら煙草に火をつける。
「おねーさん、やめたんじゃなかったっけ?」と隣りでうまそうに煙を吐く友に
「節煙してるだけよ」と苦し紛れに言ってみる。もちろん嘘じゃない。

立て続けに何本か電波が入り、ポケットを揺らす。
非常階段から身を乗り出し下界を見下ろすと、眼に見えない幾筋もの電波が、
大勢の人を次から次へと捕獲している。逃れられぬ獲物たち、と声に出して言ってみた。

こんなに美しい夕暮れだというのに、空を仰ぐものがいない。
その小さなスクリーンの中に、夕焼けは見えるかい?



2002年05月08日(水)



 Happy Valentine?

ここしばらく、ラジオから流れてくるある曲にずっと惹かれている。
インディーズ上がりの"orange pekoe"の"Happy Valley"という曲である。

オープニングからグルーブ感のある盛り上がりで、女性ヴォーカルのジャズっぽい
歌声もかなりグッド。スケールを感じさせる音楽で、私の鈍いアンテナにも
ピコンと引っ掛かってきた。It's a marvelous song!!

しかし、気になるのがサビの "Happy valley, yeah" という歌詞。
ヒアリング力の悪い私には、何度聞いても "Happy Valentine"に聞こえてしまい、
「なんと季節錯誤的な歌詞なんだ」などと、ひとりですっとぼけておりました。
タイトル聞けば分かるのに。んなワケないじゃんねぇ(ポリポリ)。

今月の22日に1stアルバムが出されるというので、ちょっくら購入してみる予定。
普段、邦楽CDなど滅多に買わないので3000円という値段にやや引き気味。
日本のCDってぜんぜん値段が下がってないのね。

ちなみに、ジャケットの絵も素敵なのです。
今まで発売されていたマキシ・シングルも同じ画家のものを使用しているのですが、
アジアン・エスニックという印象。どれもスレンダー女性が描かれています。
色のトーンが揃えられているのもセンスがいい。
これなら大判のポスターなんかも売れるのでは?

わくわくさせてくれる音楽っていいですね。
もちろんジャンルなんて俗っぽいカテゴライズは無意味。
すべてが生きるための大切な滋養源でございマス。



2002年05月07日(火)



 赤い皮の腕輪

天気が良いので男トモダチを誘って買い物に出る。
とはいえ、私は特に必要なものもなく、休日の街(ジャズ・フェスティバル
開催中の吉祥寺!)をぷらぷら歩き、電器屋であれこれ物色したかっただけだ。

「何か必要なものある?どこか行きたいお店は?」
と尋ねると、「服。薄手のジャケットが欲しい」と即答が飛んできた。
彼が片っ端からショップに入って調査している間、私は店の外のベンチに座って
ぼんやりと道行く人を眺める。散歩中の犬に遊んでもらう。初夏の日差しを浴びる。

室内に入ってモノを見る気になれなかったのだ。ぜんぜん。
それより、外の新鮮で陽気で幸福な空気を吸って、空や緑や音を眺めていたかった。
おそらく、私はまだ「八重山病」を患っている(苦笑)

しかし、この男はいつも情熱をかけて買い物をする。
馴染みの店をすべてチェックして、何度も袖を通して、ディテールを観察して、
本当に自分が納得する品に出会うまで、財布を開くことはない。徹底している。
私はそんな彼の情熱的な買い物にいつも感心する。

結局、TAKEO KIKUCHIでカーキがかったグレイのコットン・ジャケットを選んだ。
もちろん、そのジャケットは骨格のしっかりとした彼によく似合った。
そしてなぜか、私はその男性衣料品店で、赤い皮の腕輪を買ってしまった。
深い意味はない。ただの気まぐれ、だと思って欲しい。




2002年05月04日(土)



 格安で空の旅

国内の各航空会社が競うようにバーゲン期間を設けている。
続々と路線を延ばす新幹線などの陸路に対する空路。
空港までのアクセス充実を図り、都内でも羽田までのリムジンバスを
あらゆる場所から発着させている。わが住処、吉祥寺も然り。

7月に祖父の三回忌があるので、一泊二日で帰省することになった。
ANAとJALの期間限定格安チケットをチェックすると、往路はANAの
バーゲン期間最終日にあたり、復路はJALのバーゲン期間開始日にあたっていた。
なんというミラクル。幸運の女神が微笑んだ。うふっ。

だって、ですよ。
一般運賃の片道料金で往復できてしまうのです。
おまけにボーナス・マイレージをどかんとプレゼントしてくれるらしい。
財布の紐がどんどん固く結ばれてゆくこのご時世、なんと有り難い話ではないか。

そのうち安定した客足がついたら、じわじわと値上げしてゆく、
などという姑息な長期作戦はやめてくれよ、と心から願う。
浮いた金は八重山旅行貯金に回す予定なんだから。
頼むぞ、ノリカちゃん、中居くん。



2002年05月01日(水)
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