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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2003年11月18日(火)
おかえり♪

8月のお盆過ぎからインドネシアに里帰りしていたファテ○マさんから電話がありました。先週の木曜日に日本に戻ってきたとのこと。

「ファテちゃん帰ってきた〜?」
「ファテさん まだ〜?」

…と、ファテ○マさん人気はひきもきらない。
私はマネージャーじゃないけれど、テロのニュースなんかを聞くとココロがざわめく…。

ファテ○マさんの育った田んぼだらけの村は、テロが起こる心配が無く、そこから船の乗り継ぎの村まで3時間あまりかかるそうです。その船の乗り継ぎの村から飛行場へ行くまでの道のりや待ち時間を併せると24時間の長丁場です。
旅の疲れと日本が寒いのとで、「お風呂に長時間浸かっては眠る毎日。」だそうですが、思いの外ニホン語も達者で、インドネシア語混じりの会話を覚悟していた私は、拍子抜けするほどだったです。
もっとも日本に戻ってから「1,2日間は会話はインドネシア語ばっかりが出て困った〜。」と言ってましたので、私のところへの電話はだいぶこなれて来たあとだったんでしょう。うふふ

さっそく一番の吉報(であると思われる)○ヲちゃんに辟易している社長妹の話題を伝えました。
ファ:「やっぱり、そんなふうになりましたか。○ヲちゃんね、たぶん、更年期と思うネ。女の子の日「前」の一週間と女の子の日の「間」の一週間は、ずっとイライラしっぱなしね。C= (-。- ) フゥッ」

私:「と言うことは、一ヶ月の半分はイライラしてはるの?(゜▽゜;) オドロキー 周りの人達がたいへんだー。」

ファ:「それでもね、今は○ヲちゃんには感謝してるだ。○ヲちゃんのおかげで前からの夢が叶った。」

なんって可愛いこと言うんだろう!私がファテ○マさんとつきあいが続いてるのは、その澄んでキラキラした瞳でこんな素直な事を言う彼女の魅力から逃れられないせいもあるのです。気持ちを隠しだてする手段を持たないのかしら。上の空の時も、嘘をついている時もすぐにバレる彼女なんで、可愛くて仕方ないです。

ファテ○マさんは、この夏の帰国において弟と「家具をつくる。」工場の計画を実行にのせて来たそうな。帰郷前には漠然としたプランのように思えたが、もう既に「学校なんかに大量に机を売っている。」そうで、これはもう、「ファテ○マさんってば社長さんやなぁ!!(゜O゜)」こちらが驚くと「きーっしっしっしっ♪」と嬉しそうに笑う。

人生って、どこでどう転ぶのかわからないところが魅力なのでしょう。

やぁ、些末なことから大きなことまで、くよくよしている自分が恥ずかしく思えてきたぞう。
そんな時、ふと思い出したお話がありました。

昔々、旅の修行僧が2人 河を前にして渡れずに困っている女性に出会って、修行僧のうちの1人が女性をおぶって河を渡ってさしあげました。
女性をおぶっていない修行僧が、後ろから妬みとやっかみで悶々しながら、ついて渡っていきました。
合計3人無事に河を渡り終え女性とは別れ、修行僧達はまた旅の道を行きました。
「修行の身でありながら女人を背中に乗せるとは!」その晩、女性を乗っけてない修行僧が乗せた方の修行僧にイチャモンをつけました。

すると乗せた方の修行僧があきれながら、こう言ったそうな。
「私は困った人を助けて河を渡してあげただけだ。無事に渡り終えて別れたあと修行の道に戻っている。だけど、君はこうやって1日中、その女人のことを頭から手放そうとしなかった。そちらの方が不埒ではないか?」

と、こんな内容だったと思う。

つまりは「小さいことにいつまでも拘泥していりゅケツの穴の小さい奴。」と揶揄されたわけですな。
あ〜耳が痛い。"/(;-_-) ・・・

やはり人の数ほど個性がある。
個性の数ほど見解が違うわけで、これはもういちんち、是正することも贖罪することもままならぬ。
あきらめて手放していかねばならぬのか、しかし、なかなか手離れてはくれぬ…
この頃、また夢を見出してから夜半目が覚め、一人じくじく夢の端切れをつなぎ合わせる所作で夜が明ける。
人間は考える葦であるのか、もっと身長の低い葦にしてほしいな、再び眠りたいから…。

とかなんとか、思いあぐねていたら今朝見つけた記事に「考えるクセも、また、一つの個性。」と書いてあった。

  どっちやね〜ん?!

前を向いて、きっと自分なりに進んで行くんだろうな・自分らしく進んで行きたいとは思っています。






2003年11月16日(日)
この世は夢か幻?


今朝、やっと、亡くなった彼と夢の中で出会えたので、かねてからココロに抱いていた質問をぶつけてみた。

普通にいつものメンバーとお話ししている中での会話だったのだが、彼の明確な返事はなかった。

彼らしいといえば、彼らしい…。

「いつもファジーでいること。」 

あんた!ファジーでいるがために、多くのストレスを抱えて病気になったんとちやうんか?! と、激しく突っ込みたい。

4月に出会って、半年後にお別れ…。
多くのメンバーは、もっともっと長い年月、彼との時間を過ごした。
男泣きに泣いていた、あの人もこの人も…私の悲しみなんてめじゃないぐらいに、苦しんでいることだろうと(勝手に)思う。

10年から20年ぐらい経過するまでは、私の中の彼は居なくならないと予想する。
故意か過失かわからないけれど、それほど、強烈なインパクトを残していった。

「元気になって貰わないと、私も困るんです。」

最後のお見舞いの時のお別れの言葉は、私が、精神的に彼を頼りにしていることを、これは駆け引きなしの言葉であったと思っているが、こちら側にとどめておきたいがための言葉でもあったんだな…と手前勝手を思う。

彼からしたら私の存在は、一兵隊だったんですよ。
軍師の彼は沢山の兵隊を持っていて、「洗濯係」「メシマコブを煎じる係」「たこ焼きなどの軽食を買ってくる係」「書籍を用意する係」等を使い分けていた。

自分は他者のオンリーワンになりたがるクセに、他者の誰をもナンバーワンにしたがらなかった。
しいて云えば、メンバーのうち一人だけ「俺と同じ考えを持つ奴。」その人の成長を見届けられないのが残念だと悔しがっていたので、もしかしたら、その彼がナンバーワンかもしれない。いつか彼の遺志を伝える機会があればいいなと思っている。

さて、そんな一兵隊の私は、失った彼に対して、喪失感と「これで、兵隊の駒にならずに済む。」という安堵感とを抱いていて複雑な心境です。

それにしても、まだ、夢に登場させるのは、やはり、喪失感が上回る。

聞きたいことがまだまだ、あった。











2003年11月13日(木)
魂の行方

以前から、心の一部を占めていた疑問があります。

★『善人ほど早く死ぬ』という説が正しいとすると生き残っている者は悪人ばかりか?

…という似たような疑問が最近読み終えた本の、ほぼ導入部に書かれてあったので、思わず吹き出してしまいました。自分自身のことを悪人と定義すれば悪人に違いないと思ったからです。しかし、私の亡父のように、他人には親切でも家族には暴君であったことも鑑みると、どれもこれも定説とは決めがたい…
生きている人間の印象が各個人によって違うように、記憶の中の故人は関わった人それぞれに持っている思い出が違うからです。

読み終えた本は、裏日記の11月11日に書きました『老子の教え』を抜粋して載せてある本のことです。

1996年が第一刷発行だから、実に8年間も私の好奇心をそらさないでいてくれたこの本は、先週の日曜日に、古本屋の棚からそれ相応の値段で買い受けられてきました。

後書きまで入れると676ページにも及ぶ。ソフィーの世界が662ページだから、同じくらいかな。副題に“死後の世界への航行”とあるから、チベット“死者の書”(余談だがエジプトにも死者の書がある。)のたぐいなんだろうか、それにしてもぶあつーい本の嵩に圧倒されるし、お値段もはります。

11月4日の零時前、今しばらくは会えない世界へ旅立たれた彼の所在というか彼の行方の、少しでもヒントが欲しかったのです。
この本は、世界の古今の神話や宗教・哲学・生物学・天文学にまで死を探求している、そういう面ではグローバルな内容でした。
実に多くの死生観を研究してある印象で、そんなに荒唐無稽ではないのでは?と思います。

「死」は遅かれ早かれ着実に私にもやってくる。

若かりし頃、「私はいつまでも20歳で居て、歳はとらないわよ。」
これはおろかというより、漠然としていて自分の老化が想像できなかった頃…ミニスカートをはいて冷えも苦痛も感じなく…今現在『冷え性』(つまりは老化と言うこと)という現実を突きつけられて愕然としているように、いつかいきなり「死」がやってきて、死んだことさえ気づかないようにならないためにも(自分自身のためにも)予備知識としていれておこうと思ったのも一因です。

今回、思いもかけず、うろたえるような出来事が起こって、皆さんにご心配とご迷惑をおかけしたことをお詫びします。ごめんなさいね…。

読書や工作や日常を忙しくしているにつれ平静さも戻ってきて、今は泣かなくなりました。
(また「めそめそするのは本意ではない。」と彼も言うているような気もします。)
互いに、意識して深入りはしなかった面もあるし、すでに多くの死生観を述べ合いました。
癌が再発した時から、徐々に覚悟はできつつあったんです。

実は、大腸癌切除から1年後に再発した彼とのお別れに先んじて、近年予想されるであろう歯医者のじぃちゃん先生とのお別れに、自分なりに得た情報により考えをまとめ、それを精神安定剤代わりになでさすっているのが現状です。

アインシュタインの相対性理論が正しいとすると、我々の意識は時空を簡単に超える。
遡ることも先へ進むことも可能だ。
肉体を魂の容器と考えると、物理的な死は次の容器へ入れかえるがための手段と言えよう。
それらの説は横へ置いておいて…

この本によると輪廻転生には面白い説があって人は生まれ変わらずにすむ最高位の魂を得るために12星座分×12回=144回 体現しないとならないとされている。
…というのは最低限の数で殆どの存在が144回の輪廻転生では足りない。仏陀は悟りをひらくまで、500回転生している。
一般人の私においては1000〜2000回。その2000回のうちの今は何回目の「人生」なのだろうか。

1895回目くらいならがんばれそうだが、123回目とか14回目とかなら泣きそうでしょう?(笑)

で、相対性理論に戻るわけですが
一説によると、一個人の生は(2000回あるとすると)例えば1回目から始めてもよいし、1999回目から始めても良いらしいのです。
…ということは、メビウスの輪のようになっている生死はどこで終わりがくるんだろうね?(笑)
まぁ、魂の純度が高まって、生死を繰り返す必要が無くなった時に、終わるんでしょうけれども…。

最終的に得た結論は1つの人生においては…

例えば、ガン細胞
例えば、糖尿病の遺伝子
例えば、花粉症
例えば、親を殺す子供

時限爆弾のようにすでに体内でカウントダウンが始まっていて、ある日、作動する。のではないかな?ということです。

★作動が止まる人はどういった人か?→病気に打ち勝った人だ。

その病気に打ち勝つことも、すでにプログラムされているのでは?

★寸でのところで、親を殺めずにすんだ子供は?

寸でのところで、親を殺めずにすむようプログラミングされているのでは?

寿命というものがすでに定められているのをおぼろげに感知している人は精一杯にその範囲で、他者に尽くすことをするのではないかな?ということです。

反対に寿命が長い寿命が決定づけられている人は、ある程度余裕を持って自分の目的をこなせるということになります?意識するとしないにかかわらず…。

ありがちと言えばありがちな意識改革が私の上にも起こりまして…
最近は、『後回し』にする事柄を意識して減らすようにしています。

いつなんどき通勤電車が横転するかもしれないから、家や会社の恥ずかしい収納物等を整理しとかなきゃ…と思うのに、相変わらず、とっちらかっているなぁ…。(笑)
☆あれだけは処分しなきゃ!( ̄Θ ̄;) という物品は、皆さん、何個ぐらいお持ちなんでしょう。
私は、私のミイラや骸骨やコウモリを、一緒に棺に入れて欲しいなあ…。(爆)

後回しにしないということは、今、使えるモノは使い切ってしまうということで、
スーパーの(期限のもうけられていない)金券は、今までなら、「給料前の財布の中身が乏しい時」に使っていたのですが、もう、ストックする気分でもなくなってきた明日をも知れぬ我が身かも知れないじゃないですか…。
「機会があればプレゼントしよう♪」と決めていた物品も「さぁ、貰ってくれ!すぐに貰ってくれ!!今が今生の別れかも知れぬ。」と押しつけてしまっています。(笑)

押し売りされた側が「これは私の趣味じゃない。」と他者にまわしても、フリーマーケットで売っぱらっても、あるいは捨ててしまっても、それはそれで、仕方のないことだと思っています。
これは、私自身の「あげたい欲求。」を満足させるがためのエゴの産物でもあるのですから。

ぁあ、誰かが誰かに○月○日○時○分 「○○をプレゼントする。」という行為もプログラミングされているのでは?

『たられば思考』ならぬ、『ではかな?思考』にとらわれている私です。(笑)

例えば私の亡父を例にあげるなら(父ちゃん、例にあげちゃって、ごめんよ。)

★ あれだけ大酒を飲まなかったら とか
★ お酒だけではなく ごはんもきちんと食べていたら とか
★ たまには休肝日をもうけていたら とか

それこそ、種々の「たら・れば」によって、故人の人生に執着してしまうわけです。
個人の人生は個人のものであると同時に家族のものであり取り巻く友人や周囲の環境のものでもあると思いますね。
そんな風に魂というものは、複雑に交差しているからつかみにくい。

人が亡くなった後でないと見えなかったことや、逆には亡くなることによって見えなくなってしまったこともあるでしょう。仕方ないかな、どこかでバランスシートの帳尻は合うようになっているんでしょう。

ちょっと脱線しちゃうけど、食べ物をたくさん食べ過ぎてしまい「そんなに食べなけ“れば”太らないのに。」と、理屈ではわかっていても誘惑には打ち勝ちがたいのは、これは、遺伝子が…プログラムされている体内時計が自動的に作動し、必然、肥満への道を歩むことになるんかいな?なんてことも時々思います、最近、シフォンケーキやチーズケーキが食べたくってしようがないんですよ。黒飴ばっかりなめていますよ。しかも、ピーナッツが入ってなければいやですよ。疲れているのかなぁ…。^^;

ビタミン剤を含むサプリメント等の栄養補助剤…を意識して接種し、
しめしめ…病を寄せつけずに済んだぞ♪と、ラッキーな気分にひたっている私自身は、道化かも知れないですね。
そんな真摯な道化がいたってええじゃないかと開き直ってもみたり…。(笑)

とにかく…

今生をきっちりと全うし…
生きている限りは「何か面白いこと」を求めてさすらうことになると思います。

馬注射の次にまた何か面白いことが降ってきそうな予感がして、
息をひそめて待ってるのです…。



2003年11月06日(木)
終焉と始まり



おととい永久の国へ旅立たれた人のことをHP上の日記に書こうか書くまいか、悩んだ。私はこのサイト上にしか日記を持たないからだ。

後から思えば、総て符合するような気もする。
ナルシシズムと嗤われてもいいか…あえて彼の事を忘れないために、彼の思い出をしたためておくことにする。
もしか幸運が起これば、行間から彼の言葉が聞こえてくるかも知れない。

わたしが彼を最後に見舞ったのはつい先日…10月の24日の金曜日だった。

腹水が溜まって少々お疲れの様子だったがお互いに『回復』を信じてお別れしたのです。

「危篤」の知らせを聞いたのは10日後11月4日の火曜日、おととい夕方…

あわてて駆けつけると4人部屋だった彼はいつの間にか個室に…
酸素吸入をつけて「すーハー」の状態だった。
病室の見知った野郎ども総てが泣き顔で、事の重大さを思い知ったわけだが、私はまだ望みを捨てたくはなかった。

「Kさん、がんばって!負けたらアカン!!」今年の春に、とあるボランティアで知り合って以来、初めて握った彼の手だった。混濁した意識の中、そっと力を込め握りかえしてきた。黄色く染まった瞼を開けよう・開けようと必死の姿に、言葉を続けてかけようとしても嗚咽に変わる。
涙がどうしようもなく溢れてきた。
人は悲しすぎると泣けない!と、ある人は言ったけれど、私の涙腺は壊れてしまったようだ。止まらない。

離れがたい思いの私を、同行者がつついた。
どうしても頼まれていた約束の用事をこなさいといけないタイムリミットがせまっていた。そのまま病室をあとにしたわけだが、その前に、彼の最後のお見舞いで聞いた言葉を伝えておかないと…

付き添っていた親族らしきおじさんに伝えた。

「卵を、だし巻き卵とゆで卵を食べたいと仰ってました。売っているだし巻きじゃなくて、ごく普通に家で焼いたやつ。食べさせてあげてください。」涙と涙の間の伝言に、同じく涙を吹きこぼしながら、うなずいたおじさんだった。

余談になるが…
Kさんの勤め先には面白い事務員のおばさんがいて、お弁当のおかずは1年中同じ内容だった。上の段はウィンナーソーセージ、下の段はだし巻き卵、しかも砂糖でしっかり味付けした甘いだし巻き卵。ごはんは別のタッパに少しだけ。野菜らしきものは、みじんもなかった。彼女の1日の摂取卵は合計5個。連日5個ですよ!きっと「全身コレステロールでみちみち。」だろうと思われる。

ちょっと暑い季節になると「暑いなぁ?暑いな!な?」と、窓をそそくさと閉め冷房をがんがんにかけるおばさん。
「しんどい。あ〜しんど!」と口癖のおばさんに「そんだけ、しんどいのやったら少しお休みもらわはったら?」と勧めると、「そんなん言うて、私の席を盗るつもりやろ?Kさん!」と怒ったらしい。(笑)

腹水が胃を圧迫してご飯が食べられないから点滴で栄養を摂っていた彼が「今も食べようと思ったら食べられるんやで。腹水でちょっと胃が張って食べにくいけどな。病院食も好きなのが出た時は食べてるよ、昨日はラーメン食べたしな。満腹になって苦しい〃のに隣の病室の友達が“メロン切ろうか〜?”て尋ねてくれるねん。勘弁してもらったけどな〜。(笑)今、食べたいのはナ〜ご馳走と違うねん。だし巻きとゆで卵や。売っている上等なだし巻きと違って、家で作る簡単なやつ。」とぽつりと言った。

私が「Kさんの会社の事務員さんのお弁当みたいな、甘いやっちゃでしょ?(笑)」と、ちゃちゃを入れると、笑いながら「普通の出汁で作ったやつやって!」返してきた。

「作って欲しい。」と、ねだらない彼と「作りましょうか?」と、言わない私の出汁巻きの会話はそこで終わった。

作る意志はあったのに作らなかったのは、少し意地をはっていたからだ。

人気者の彼に対する私の位置づけは、太陽をまわる惑星の一部でしか過ぎない。
出汁巻きを作る→持って行く→彼天狗になる という図式もしゃらくさかった。
おろかだった私。なんでもっと早く作っていかなかったんだろう。。。
1週間もすれば、腹水も抜けると信じていた。
気丈な彼の生命力を信じていた。

彼の最後のお見舞いの時、点滴のカートを押しながら歩く彼に、「Kさん、そうしていると病人みたいよ。」とわざとブラックジョークを言ってみた。
いつものように「病人やって!」言葉遊びを楽しめる彼だった。

エレベーターを待つ間、本音をポツリ彼は言った。

「それでもなぁ、自分で【アカン】とか【シンドイ】って少しでも思うと、ずどーん!と行ってしまうねん。急転直下してしまうんやで。」

前後して誰かの体験を読んだところだった。

私:「そうそ!痛い!と思った途端、肉体が認識してしまうらしいよ。だから、意地でも思わないって何かで読んだ。」

知恵者の彼は意識するしないに関わらずポイントで、思わぬ印象深い言葉を相手に植え付ける。

少し思い出話がながくなりました。↑

さて危篤と言われていたけれど、握りかえしてくれたその手に希望の息吹を勝手にみいだした私だった。

姑息ながら…
早晩訪れるであろう彼の喪失のショックを和らげようと、これからどのような手段を講じたらいいのか、どのように彼と向き合って行けばいいのか…
その夜、その道で一番尊敬している方に電話をして、レクチャアを授けてもらった。
お話しさせていただいている間にうろたえていた気持ちもだいぶ落ち着いてきて、彼の「最後まで戦う!」意志を手助けする気持ち…活力が沸いてきた。
一緒にがんばろう! 

奇妙なことに電話の間じゅう…正確には帰宅してからずっと…彼の気配を感じていた。
今までに無かった感覚だった。ふと思うことはあれど、気配を感じるまでのことはなかったので、想いが強すぎて錯覚を起こしているのかと思いなおしていた。

翌朝、出汁巻きとゆで卵を作った。ゆで卵はプラスティックケースに入れ、リュックにいれる。出汁巻きは青い皿にのせ、ラップをし大判のハンケチでくるんで、そのまま電車に乗った。皿を片手にかかげ、つり革をもう片方の手で持っていた。
駅を降りて駐輪場から自転車に乗り換える。
自転車のかごにいれた出汁巻きの皿をひっくりかえさないように慎重にでも急いで病院へ向かった。(病院は私の会社の近くにある。)

夕べの病室に行ったけれど空だった。
そうね、集中治療室にいれられちゃったのかもしれないわ。
看護婦さんに聞いてみよう。

通りがかった看護婦さんに尋ねると「夕べ零時前に亡くなられました。」とのこと。

ご遺体はそのままご家族がお家に連れ帰られたようだ。
空の病室を前にしばし呆然。

そうか!まさかと思っていたけれど、夕べやっぱり来てくれてたんだ。

仕事前あまり時間もないのでそのまま会社に行って、誰もいない部屋にて半泣きで出汁巻きを1本全部食べきったら、気分が悪くなってきた。

5つあったうで卵は、コピーを取りに来た従業員連に、分けた。

先にも書いたが彼とは今春のとあるボランティアで知り合った。
私はおもにお茶くみとワープロ入力、彼はとある会社がらみの関係で手伝いにかり出されていた。
映画の井筒監督に似た風貌の丸顔で中肉中背の彼は、健康体に見えたが実はその時すでに、人工肛門をつけておられた。

帰り道が一緒だったので手伝いのあと、よく駅まで車で送ってもらった。

彼はすでに性欲を失っていたのと、20歳前後の飲み屋のお姉ちゃんたちが大好きだったので、あやしい間違いも起こらず(笑)、仲良くして頂いた。

目端の利く彼には勤務先が近かったせいもあって、2度ほど大通りを必死で自転車を漕ぐところを目撃されていた。
そのうちの一度は携帯に「今、○大路通りを走ってなかったか?」とメールが入っていた。あとで「あんた!自転車漕ぐの、めちゃくちゃ早いなぁ!!」と言われ、赤面しきりだった。
(私は、自転車を漕ぎ始めると加速がどんどんついて、嬉しくなってがむしゃらに漕いでしまうクセがあるのです。いそいでいる時もあるけどね。)

とにかく間口が広く、博識な人だった。
引き出しがいっぱいついていて、開けても開けても話題は尽きぬ。
面白がってじゃんじゃん開けていたら、他の要らぬ秘密も知ってしまった。(笑)

プライベートでは長く有名な劇団に所属されていたらしい。自分でも脚本を書いてらした。恐ろしく頭が切れたので名参謀だったと思う。

とりわけ…短気なくせに柔和で人の好き嫌いをされないのが尊敬に値した。

「坊主にくけりゃ袈裟まで…というのが一般的なのに、なぜ、そうならないのですか?」と質問した時に、

「どんな人間でも必ず、ひとつ取り柄はあるんやで。」特に人の長所を見抜く眼が優れていたように思われる。

人生で幾多の試練を乗り越えてきたからか、もとからそのような資質があったのか「何事に対してもファジーでいること。」を持論にし実際に遂行されていた。

彼がしみじみと自慢でない自慢をしていたのは、
「俺な、ある時から、自分が女の子に安心感を与える存在やって気づいてん。もっと若い時に、気づいていたらなぁ!(笑)つくづく後悔してんねん。」笑い話に変えていく。
そういった意味では、とてもモテていた彼だけど「自分もいつか。」病に倒れる予見はあったと思う。
プライベートが楽しいのと、肉親を次々とガン等で失って行ってタイミングを失ったのと…諸々の事情により彼はとうとう伴侶を持たなかった。わざと女性との深い交流を避けていたようにも思われる。

最後の方の彼の口癖は、「俺が健康体やったら、にっぽん一の詐欺師になれるのに!有栖川なんか目じゃないで!(笑)」

実際に、彼は、心憎い演出で若いお姉ちゃんのハートをゲットしてきた。(方法は秘密です。ただし文中にヒントあり)

私はもう、ひねた年齢だから(笑)ハートを狙われもしなかったけれど、最後の最後に冥土のみやげに持って行かれちゃったよ。

ガン再発時の彼には「心的に一番近しい。」と自負される彼女らしき人が居て、病室でブッキングしないよう気をつかった。週の前半に抗ガン剤投与が始まるから体調がすぐれず会えず、週末には彼女が来るから気を遣って会えず、またある時は、外出していて会えず、なかなかタイミングを合わすのは難しかった。

その他にも昔同じ劇団員で妹のように可愛がっていたけれど結婚していった女の子から初めて告白のメールをもらったと、切々とつづったメールをもらったと辛そうな顔をして話されていたけれど、わたし自身、どう答えてよいのかわからない。「お気持ちだけ、受け取るしかないのではないですか?」と答えると憮然とした顔をしてらした。なんて応えたら良かったんだろう。未だにわからない。

さて話しは前後するが、4月以降、ボランティアの後かたづけも終わり、職場復帰した彼は…すぐに、
ガンが再発したのがわかって再入院されたのが、6月末だったか、7月2日にお見舞いに行ったことは表日記の7月3日に書いてあるから確かだ。
一般には通常ガン切除後、5年経っても再発が認められなければ安心らしい。

医者の彼に対する説明はリンパに転移していることと、肝臓に陰「らしき」ものが見えるとのことだった。医者にだまされていたのかも知れぬ。「らしき」ではなかったのか…。
初めて試みるタイプの抗ガン治療は、想像以上に体力を消耗し、肝臓がくたびれてしまったようで、

それでも時々外出したり、一人暮らしのマンションに戻ったり…そんなおりの10月のある日マンションでうたた寝をしていて、風邪をひいてしまったと言っていた。

肝臓が腫れてきたのもあいまって、しばらく治療を休んでいた最中に一気にガンが繁殖した感じ。

危篤の病院にかけつける車中、共通の知人が「彼は、今年いっぱいだと思ってた。」とのたまうので、何をふきんしんなことをこきやがる、このやらう!と憤慨したものだが、実際そうなってしまった。若いと(48歳)やはり、細胞も成長が早いのだろうか。


お釈迦様がお亡くなりになる時、「姿あるものはすべて滅びる。私が死んでも嘆き悲しまずに、真理を求めて行きなさい。」と弟子達に諭されたそうだが、理屈ではわかっていても哀惜の念が湧いてやまないのは凡夫だからか。

人間には「情(じょう)」という温かいけれども、やっかいな感情があって、未練を断ち切りがたくする。

寿命を知ってか知らずか、知り合う人の殆どに深い深い印象を残して行ってしまった彼。寂しがり屋の彼。太く短かったと言えば、陳腐になるが、その他に形容の言葉が今みつからない。
次々と肉親を失った穴埋めをするかのように、多くの人の愛情を独り占めした。術師の彼の手管に見事に嵌って嘆き悲しんでいる人間は私を初め、多数に登ると思う。
それがもしかしたら、一番の手向けかも知れない。

彼の父親が(たしか肝臓ガンだったように記憶する。)亡くなる時、「○月○日までに、お前行けよ。」と疲れ果てていた家族の手前、引導を渡したことに罪の意識を感じているようだった。

白血病で膨大な治療費がかかると想定された彼の弟の時、彼は心の奥底でちらと弱音をはいたそうだ。「弟は何も言わなかったけれど、忙しさにかまけて逃げていた自分をどう思っていたんだろう。未だに弟の日記を読めていない。」と言っていた。今は、どう兄弟の会話をしているんだろう。

今回の入院時に、初めて「前世」や「死後の世界」に興味を持たれたようで、数冊ピックアップして持って行った。

全部読み切れていない様子だったので「どうなりました?」と尋ねると、「ちょっと今、難しい活字はしんどいねん。」少し気楽で、彼の好きな歴史小説が枕元にあった。

もし彼が手渡したあの本を読んでいたら…
「死」に対する心構えというか、真理にちょっとは理解を深められていたかも知れない。

…というのは、やはり私の未熟な頭でっかちの推理で、そんなものは超越した別の次元でものを考えねばならぬと思いながら、今のわたしには限界いっぱいなのだ。
「煩悩」とか「欲」とか捨てきれないでいるので、まだ、目がはっきり見えていない。

彼にはきっと見えているはず。
総てを瞬時に理解したはず。
今どこで、どうしてるんだろう?
聞きたい〃。いつものように質問攻めにしてみたい。
彼はきっと、いつもの如くわかりやすく易しく説明してくれるだろうに、それができないもどかしさが余計と喪失感を増幅する。


肩を落としながらも今から先は、彼が未練なく旅立てるように…
わたしの手前勝手な甘えで、こちらに引き留めないように…気持ちに整理をつけていかなければならないと思っている。

ただ、魂が残ると言われている49日の間、心の中で会話をすることを許してもらいたい。
はたして49日で済むかどうかもわからない。
今は、ことあるごとに彼の尺度を借りてしまっている。

いつか彼から卒業しなければ…

次に出会うまでの、ほんの少しのお別れなのだから。




2003年11月05日(水)
しばらくのお別れ

さっき弔電を打った

「またいつか いつの世で ご一緒するでしょう その時までしばらくの ……… さようなら」

旅立たれたのは ゆうべ

今朝出勤前 私は出汁巻き卵ののったお皿を持って 空いた病室の前に立っていた

誰も居ない 個室の前に立っていた

どうして 出会って

どうして 別れていくのだろう

「偶然の必然」か?

真理は?

伝えたかったことは?

どうも私は頭ばっかりで考える「頭でっかちのいけないクセ」があるな…

耳を澄まさなきゃ

心を空にして 耳を澄まさないと

あなたの声が聞けない

あなたの心が聞きたい  どうか どうか