『たけぐせの随・弐』

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2005年11月28日(月) 『それも幸せのひとつのカタチ(自粛版)』

目先の○○(○○)に身を放り、

帳尻合わせの○○を付けて、

それで○○○が○○ならば、

この○では、それでいい。

○○にひとつの幸せだ。

○○○○○は○○○○。


2005年11月26日(土) 「この先にいつも、何かがあると信じている」






別に病んでるわけでもなく。
記憶障害があるのでもなく。

過去の、
或る時の、
或り場所の、
そこに居る自分を思い返してみると
そこに居たという感覚が乏しい。

なんと言えばいいのか、
そこに、時間の中に自分を刻み付けられてない感じか。

他人の目線になってみれば、
そこに俺が居ないかのような。

過去の事物はすべて事実であるが、
それは頭が覚えている記憶で。
そのうえでは、
確かに俺はそこに居た、ということを覚えてはいる。

でも実感が薄い。
振り返ってみると、
何か一枚ベールに包まれているような自分。

過去の、その事物のそれそぞれ一点一点に自分を置いてきていない。
全部が全部を今ココの俺に持ってきている。
そして、いろんなモノを削ってきている。

もし刻みつけてきていたのなら、
時間が解決してくれるということも理解できるかもしれない。

俺の中で「時間が解決する」ということは無い。

きっと必要なものはすべてこの背に。
そして、要らぬものは完全な消去を。

あそこに居たという感覚が曖昧で、
ややもすると、ココに居るという感覚も曖昧。
だからこそ、何かを成そうとする力が働くのでしょうか。

この先にいつも、何かがあると信じている。


2005年11月24日(木) 「今宵もこれまたぶつくさと」

たぶん、俺は人様よりは遊んでないと思う。

まぁ、遊びにもいろいろありますし、
比べようのないことでもありますが。

20代前半は、それなりの青年ほどには遊んでいたのかな。
というより、それしかなかった。
それがすべてで良かっただろうし。

漫画家ってものを近いモノに感じてしまって、
絵を発表するってコトを知ってしまって、
それを一生の「仕事」と感じた。
感じてしまっては、もう理屈ではなく。
「時間」ってものをすごく意識するようにもなって。

未だ突っ走ってますな。

絵の発表の場では、そんな好きコトをやってる生き方を
うらやましがられることも多々あるが、
正直、普段の生活はあまりにも地味で。

もとより美術系の学歴がないので、
人よりも数倍の努力と継続と、そして傾倒が必要だと思っている。
才能なんて微々たるものとも分かっているから。

当初からすでに「継続は力なり」よろしく、
先を視ていた。
振り返れば必ず道ができている、と。

そこには傾倒が必要だった。
洗脳にも近いものだが、言い聞かせ続けた。
いろんなものを全部繋げて、集束させる。
すべて活動のため。

なんて、言葉にすれば
気持ち悪いほどストイックにも聞こえるが、
根は楽天家(ぐうたら)。
総体的な「道」がそうであったというところで。



そうそう、「遊び」について書こうとしてたんだ(笑

遊ぶコトは好きです。

でも、毎日を遊んで暮らしたいとは思わない。
きっと楽しくないだろうし。

今友達と遊ぶと言っても「会話」がメインですな。
良き友人達は、俺も含め「途上」にいるのかもしれない。
だからそれでいいと思う。
無駄な遊びはしない。
然るべき時に遊ぶのがめっぽう楽しい♪

すべきことを成した後に「遊び」があるのがいい。
それまでは辛いコトも多いかもしれないが。

道を逸れたままに、
大事なコトを放ったままに、
遊んでいて楽しいかね?





すべきことはしたかね?


2005年11月17日(木) 「今宵は所望いたす」

近頃、バイトの帰路は自己暗示タイム。

ドア トゥ ドアで1時間。
じっくり時間をかけて
「俺は今アトリエに向かっているぅ〜〜」
「決して家に帰ってるのではないぃ〜〜」
ってな、感じ。
靴のまま部屋に入ってやろうかとさえ思うさ。

今週は毎日「しんぱ」と戯れ。
ユニットバ・・・もとい、作業室で二人きり♪
肩を撫で撫で、背中をさすり・・・

「立体しんぱ」仕上げ中。
ペーパーがけでトゥルトゥルになるのさ。
全身粉まみれさ。

風邪が治ってしばらく経つのに
変な咳が止まらないのでおかしいな、と思っていたが、
きっとこのせいだな。
粉吸いまくり。
粉塵マスクしてるのに。
安物の。
安物だからか。
本気な粉塵マスクを所望いたす。

ってか、アトリエを所望いたす。
本気なアトリエを所望いたす。

欲望の塊。


2005年11月16日(水) 『雨と糸』

絡まりすぎて

纏りがつかず、

言葉が溢れすぎて

そこに言葉はない。


2005年11月12日(土) 「今宵はぶつくさと」

音も無く。

机の上は雑然とし、
部屋の至る所に作品が佇む。

一杯のコーヒーを飲み、
一本の煙草をくわえ。

この空間、この時間は
きっと贅沢なのかもしれない。


今年、海外個展をしようと思ったが、
叶わず。

個展にすべてを注ぎ込んでいる現状。
言ったことが叶わぬのは仕方ない。
そんなことは幾度も経験してきた。
それが恥ずかしいこととも思わない。
それに見合うこともしてきたし。

海外個展の延期。
自分の流れを信じています。



「30過ぎてもこんなこと書いてたら、
いい大人が何言ってるの!?って思われるよ」
以前、或る方にわたしの「語り」を見て頂いて、
言われた言葉です。
要はもっと外をみろ、と。
当時20代だったわたしも全くその通りだと思いました。

今、それなりに外にも向いていますが、
「それなり」は「それなり」でしかなく。
それなりの目線で、デカいコトをいってしまえば、
世の中が何に向かっているのかがさっぱりわからない。
腐ってるとしか思えない。
かといって、厭世家でもなく、
もちろん、聖人君子でもあるはずない。


ゆえに34のこの歳に、
依然わたしのその視線は裡に向いているものが大半で。




自分を磨くことの行き着く所は何処なのか。

どこまで行っても社会での点でしかない。
この点を如何とするか。
自分の流れを信じるしかない。

意志のある流れ。
意地のある流れ。

抗うこともなく、
妥協さえもなく。
そんなところまでいってみたいと思います。




一杯のコーヒーを飲み、
一本の煙草をくわえ、
ゆとりを忘れずに。


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