初日 最新 目次 MAIL HOME


りょうちんのひとりごと
りょうちん
MAIL
HOME

My追加

2019年08月31日(土)
Vol.885 母のいない毎日

おはようございます。りょうちんです。

母の緩和ケアが始まった去年の春あたりから、家族の死や病気がテーマになっている小説とか、母への感謝を歌っている曲ばかりを、読んだり聴いたりするようになった。重松清さんが書いた『その日のまえに』、早見和真さんが書いた『砂上のファンファーレ』、かりゆし58が歌う『アンマー』、宇多田ヒカルさんが歌う『花束を君に』などは特に心に響く作品で、そのたびに何度も何度も号泣したけれど。そのおかげで、残された母との時間をより大切に考えようとするようになった俺は、母のわがままを無理して聞いたり母との思い出をもっとたくさん作ろうとくだらない話につき合ったりもした。でも、そういう気持ちで母と接すれば接するほど、本当に母がいなくなった時は今以上に涙が止まらなくてどうしようもなくなってしまうんだろうと、俺は確信していた。
母が息を引き取ってから、早いものでもう1か月が過ぎた。目が覚めるたびに母がいなくなった現実を確認して、毎朝ブルーな気持ちになるけれど。あの頃に懸念していた俺の予測とは違って、涙が止まらなくてどうしようもないということはない。母が亡くなった日もそれからも、何も食べなければおなかはすくし、仕事で疲れれば眠たくもなる。人はどんな時でも空腹や睡眠には敵わないものだと、改めて思わされた。
時間が過ぎれば、やがて悲しみも少しずつ薄れていく。そんなことは当たり前だと思っていた。だけど、あの日に生まれたとてつもなく大きな悲しみは今もけして消えることなく、俺の心にしっかり居座っている。大きな悲しみは四六時中居座っているのではなく、発作のように突発的に俺を悲しみに陥れる。例えば運転中に、助手席に座る母のことをふと思い出した時など、それは決まってひとりでいる時なのだ。ひとりぼっちの時は心が油断してしまうからなのだろうか。一度あふれた涙はなかなか止めることができない。
母のいない毎日は、俺にとってはまだ特別な日々だ。いつかは悲しみに慣れて、これが日常と呼べる日が来るのだろうか。明日は母の四十九日法要だ。