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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2009年04月29日(水)
Vol.741 とんだ災難

おはようございます。りょうちんです。

誕生日が1週間後にせまった3月末、俺は交通事故に巻き込まれた。直進中の俺の車に対向車がセンターラインをはみ出して逆走し、見事に正面衝突。俺の軽自動車のボンネットはくの字に歪み、運転席側のドアもすんなり開かないほどの衝撃で、愛車は大破した。そんな話をすると、誰もが「とんだ災難だったね!」とか言われるのだが。事故から1ヶ月たった今、災難に遭ってしまったなんて全然思っていない。むしろ、あれから毎日が楽しくて仕方ないくらいなのだ。
そう思える理由は多々あるのだが。まず、あれだけの事故だったのに、強運な俺はほとんど無傷だった。事故直後は救急車で病院へと運ばれたが、救急車の中でこりゃそこまでのケガじゃないななんて自分でもわかるくらいだった。そのためめったに乗れない救急車内をじっくり観察できた。翌日からいつもどおりばりばり仕事をしちゃったものの、それでも数日間は強打した胸が痛み、何より右肩には鮮やかにシートベルトの痕がアザになって残ってしまったため、通院が必要になった。病気で病院に行くのは大嫌いだが、こんなふうにケガで病院に行くのは楽しいから不思議だ。CTスキャンや上半身のレントゲンを撮って医師が説明してくれたり、胸を触診された時は大げさに痛がって見せた。大量のシップ薬もおみやげにいただく。
さらに今回の事故は、100対0で相手側に全部過失があると判断された。だから金銭的にも俺には何の負担もなく、事故後のサポートも全部保険会社にやってもらうことにした。使えなくなった車の代わりに手配してもらった代車は乗り心地バツグンだし、事故の時に飛ばされてなくなったコンタクトレンズも新品になった。前の愛車が廃車になったのは残念だが、まもなく車検だったし、この際車を買い換えるのが少し早くなったと思えば何てことない。むしろポンコツだったあの車に予想以上の値がついた上に、迷惑料や慰謝料までいただけるのでもう何も文句はない。
とにかく、たいしたケガもなく元気だからこんなことが言えるのかもしれないが。俺にとって今回の事故が、とんだ災難ではけしてなかったのは事実なのである。



2009年04月23日(木)
Vol.740 咲き誇れ愛しさよ

おはようございます。りょうちんです。

桜の花はもうすっかり散ってしまった。それでも今年は開花宣言が出されてから寒の戻りがあったせいで満開になるまでずいぶん時間がかかり、例年よりも長い期間花を愛でることができたらしいのだが。はらはらと舞い散る桜吹雪を目にすると、やっぱりなんだか切ない気持ちでいっぱいになってしまう。
韓国人の知り合いから、なぜ日本人はそんなに桜が好きなのかと質問された。いくつか理由はあるだろうが、俺は彼に桜の花ははかないからだと説明した。そう、桜の花ははかないのだ。冬の間はずっと寒さに耐えながら枯れ枝を風に震わせていた桜の木は、春になるとまるで声を合わせたかのように一斉にきれいな花を開花させる。でも豪快に咲き乱れるのはほんの一瞬で、そのあとは潔く散ってゆくから美しい。桜の花がはかない命だからこそ、愛しいと思えるのだ。
俺はこの「愛しい」という気持ちを、もっと大事にしたいと考える。愛しいものを増やしていきたい。愛しい気持ちをもっと強くしたい。そう思う。愛しいものは、桜の花だけじゃない。大切な家族や相方も。かけがえのない友達も。長年住み続けているこの街も。ちょっとした波乱万丈がどこかに隠れている毎日の暮らしも。そのすべてが愛しくて、大好きで、なくしたくないと思うものばかりだ。でも、このまま永遠に変わらないものなんて何ひとつないってことをわかっているから、なおのこと愛しいという想いがますます募ってゆくのだ。
この恵まれた環境を当たり前だと、けして思ってはいけない。そう思った瞬間に、愛しいものが見えなくなる。そして大切なものを失ってからはじめて、その存在の大きさに気がつき後悔するのだ。だから。すべてのものに感謝したい。すべてのものを愛しく思いたい。そして俺の中でもっともっと咲き誇れ愛しさよ、と願わずにいられないのだ。
桜は散ってしまったけれど、今はつつじの花が沿道を鮮やかに彩っている。俺はこのつつじの花が、とても愛しいと思う今日この頃である。