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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年11月23日(木)
Vol.673 本物の歌い手

おはようございます。りょうちんです。

歌声を聴いて、感動したことがありますか?
先月俺は、「のど自慢」という視聴者参加型番組の予選会に出場することになった。この番組は知っての通り、歌の上手い下手に関わらず老若男女いろんな人が出場して歌を歌うのだが。歌番組と言うよりはヒューマンドラマとでも言うべきこの番組にどうすれば俺も本選まで出場できるのかとか、もしも出場した時のこととかを研究するため、放送をビデオに録画してあとでじっくり相方とああだこうだ言いながら見るという習慣になっていた。
確か、群馬県藤岡市大会の放送だった。いつものように遅い食事を取りつつ、俺は昼間に録画した「のど自慢」のビデオを見ていた時、その少年は登場した。盲学校に通う高校1年生だと紹介があったあと、盲目の彼は付き添いの人に導かれて舞台の中央に立った。「6番、雪簾」。そう言って演歌調のイントロが流れ彼が歌いはじめた途端、俺は思わず箸を止めて彼の歌声に耳を奪われた。上手いのだ。いや、ただ上手いだけではない。これでもかというほど感情を込めて、それがけして大げさではなく、飾り気など微塵もなく直球で歌い上げるその歌声が、切々と俺の胸にまっすぐに響いてきた。いやらしい言い方だが、この番組では同情を求めるために障害者や高齢の方がよく出場するが、仮に彼が盲目じゃなくても歌唱力で十分に出場できる上手さだった。会場からは割れんばかりの拍手。当然、合格の鐘。
今までにも、歌を聴いて感動したことはある。でもそれは聴いた歌詞に共感したとかメロディーが胸に響いたとかで、歌声を聴いて感動したことなんてないに等しかった。プロの歌手でさえ人のココロを感動させることが難しいのに、普段は演歌なんて聴かない俺がタイトルさえ知らなかった彼の歌う演歌を聴いて、感動して鳥肌が立ったのだ。彼を置いて、誰が本物の歌い手と言えようか。
文句なくチャンピオンに選ばれた彼は、まだ高校1年生。最近低迷している日本の演歌界で彼が将来すばらしい花を咲かせることを、実は密かに俺は期待している。



2006年11月22日(水)
Vol.672 交通事故のメッカ

おはようございます。りょうちんです。

日曜日の真夜中、降り続くどしゃぶりの雨。実家に帰省中だった俺は、母のベッドの横でやっと眠りにつこうと布団に入った直後だった。突然外から聞こえてきた、激しい衝突音。交通事故だ、瞬間的にそう思い飛び起きた。父もあわててやってくる。俺は玄関にあった傘を手に、外へ飛び出した。すると家の前の道路には、大きなトラックがライトを照らしたまま不自然な位置に停まっている。そして少し離れた交差点では、別のトラックが見るも無残に押し潰されて停車していた。
国道沿いにある実家からわずか50メートルしか離れていないところに、県道と交わる大きな交差点がある。この交差点、実は昔から死亡事故が何度も起きている交通事故のメッカなのだ。道幅が狭いことや国道と県道が直角に交わっていないことなど、事故が頻繁に起こってしまう原因はいくつかあると言われているのだが、最近は迂回路ができたために以前より交通量も減ったし、工事が入り見通しも前よりは良くなったためか交通事故も激減した気がする。
俺がちびっこだった頃、近くの商店におやつを買いに行く時も通学のためバス停を利用する時も、この交差点を越えなければ辿り着けなかった。それだけ生活に密着した交差点だったから、親からも祖母からもいつだって必要以上に交通安全について注意されてきた。実際にこの交差点で交通事故に遭って友人がケガをするたびに「今度はあの子か…」なんて話になったし、道路の向こう側に行きたい時は面倒でも横断歩道まで歩くことや横断歩道を渡る時も車が来ないか何度も確認することなど、いくつものルールを耳にタコができるまで聞かされてきたのだ。
強くなる雨足の中、すぐに救急車がやってきた。大きくひしゃげた運転席が事故の激しさを物語る。ただ幸いなことに、事故を起こした運転手さんは大したケガもないようで自分の足で救急車に乗りこんだ。割れたフロントガラスなどの細かく砕けたトラックの部品が、雨で濡れた交差点のあちこちに散乱している。こういう悲惨な現場を目撃するたびに、交通事故を起こさないように気を引き締める俺なのだ。



2006年11月21日(火)
Vol.671 有名人に出会う

おはようございます。りょうちんです。

芸能人やスポーツ選手や著名人など、偶然有名人に出会うことがある。都内在住ならそんな機会も珍しくないのだろうが、千葉の辺鄙な片田舎に住んでいると、それほど有名でもない人に会っただけで友人に自慢できるほどのネタになる。いつもはTVのブラウン管越しに見ていた見慣れた顔をふいに生で見かけて、まさかこんな場所にいるわけないなんて思いながら、やっぱりそれが本人だと確信できた時。隠しきれない動揺を極力抑えつつも、ミーハーな気持ちで胸が高鳴ってしまう。
成田空港で飛び立つ飛行機を見送っている落語家の桂小金治さんに会った時も、地元の駅でスーツ姿で改札口に向かって走っているマラソン選手の有森裕子さんに会った時も、渋谷でロケをしていたお笑いのロンドンブーツ1号2号のふたりに会った時も、必要以上に胸がときめいてしまった俺だったのだが。先日、それらを大いに上回るかなりビッグな大物有名人に偶然出会ってしまった。
平日の午後8時。都内某所の人もまばらな電気店。偶然出会ったその人とは、今やお笑い界の大御所、ダウンタウンの松本人志さん。相方とふらっと立ち寄ったその場所の家電売り場で、偶然彼を見かけたのだ。何をご購入されたのかまではわからなかったが、彼のお付きの人がテーブルで店員さんと契約を交わしているらしく、彼はその横にちょこんと座り店内をキョロキョロされていた。明らかにプライベートな時間を過ごしている最中のようで、上下黒のジャージに黒い帽子をかぶり全身黒づくめの姿で、TVで見るような芸能人オーラはほとんど感じられなかったが、あの顔はまちがいなくダウンタウンのまっちゃんだった。
ずっと前から彼のファンである俺は、案の定声をかけてみようかななんて一瞬思ったのだが、すぐにやめた。そういや彼が書いた著書の中で、芸能人だからといって仕事以外の場にも関わらず失礼極まりない態度を取る輩がたくさんいると嘆いていた気がする。そんな彼のコトバを思い出し、結局俺らは遠くから彼を見ているだけだったのだが。ホントは握手くらいしてもらいたかったなぁ。



2006年11月17日(金)
Vol.670 母のプロデュース

おはようございます。りょうちんです。

今日から母が再び入院をしている。検査入院なので大げさにすることはないのだが、それでもやっぱり心配ではある。お互いの都合が合わず紅葉を見にドライブに行こうという約束も来年に持ち越しになってしまいそうだが、今月末には退院して家に帰ってくる母にはやっぱり少しでも長生きをしてもらいたい。
ところで。病気で伏せている人や老人の前で、「もしも死んだら…」なんて話をするのは良くないこととされている。「死ぬ」なんてコトバはもちろん普段から簡単に口にしちゃいけないのだが、縁起が悪いということで特にそういう場ではタブーとされているようだ。日本という国がそんなお国柄なのかもしれないのだが、個人的にはそれはどうかと実は密かに俺は思っている。
例えばお葬式。誰もが人生の中で、成人式や結婚式などいくつもの儀式を経験するが、その最期を締めくくる葬式というセレモニーこそ、自分の思うように取り計らってほしいと考えるのが普通なのではないか。結婚式の時はさんざん式のコーディネートをしたのに、自分の葬式は全部他人まかせだなんて淋しすぎる。自分の葬式の主役は、自分なのだ。だから、身近な人がもうじき死ぬかもしれないという状況に陥った時は、最期を飾る葬式をどんなふうに執りおこなってほしいかを聞き出しておくべきだと俺は思う。そしてこの世にその人がいなくなったあと、こうしてほしいという要望がさらにあるなら、それもちゃんと聞いておくべきだ。遺書を書くまで大げさじゃなくても、残される人に要望だけでも話しておく方が良いに違いない。てか本当は、元気なうちにそんな話をしとくのがいちばんではあるのだが。
そういうわけで。母が病に倒れたすぐあとも、大きな手術をすることになった時も、俺は母に「もしも死んだら…」の話を持ちかけた。それがきっかけで、母は病院のタイクツなベッドの上で自分の葬式のプロデュースをはじめた。生花だけはたくさん使って、でも式は質素に、友人にはできる限り連絡をして。母のプロデュースした最高の葬式が、いつまでもやってこないことを俺は祈っている。