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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年09月29日(金)
Vol.665 命のリレー

おはようございます。りょうちんです。

俺のルーツを探るシリーズ・その4。
俺が存在するためには、俺の父と母の2人がこの世にいなければならないわけで。俺の父と母が存在するためには、それぞれの父と母、つまり俺の父方の祖父と祖母、母方の祖父と祖母の計4人がこの世にいなければならないわけで。その4人が存在するためには、それぞれの父と母、計8人がこの世にいなければならないわけで。そうやって考えていくと、俺の先祖はいったい何人いるんだろうか? そんな疑問が突然わいてきた。確かめる方法は簡単、逆算しながら時代をさかのぼっていけばいいのである。おもしろくなってきた俺は、さっそく計算をはじめてみた。
仮に30歳で次の世代の子どもが産まれたとして。今から約90年前の大正時代、俺の曽祖父や曾祖母にあたる3代前の先祖たちは計8人。ペリーが日本に来航した約150年前、5代前の俺の先祖たちは計32人。作曲家シューベルトがこの世に生まれた約210年前、7代前の俺の先祖たちは計128人。江戸時代中期の約300年前、10代前の俺の先祖たちは計1,024人。豊臣秀吉が天下を統一した約420年前、14代前の俺の先祖たちは計16,384人。応仁の乱が起こった約540年前、18代前の俺の先祖たちは計262,144人。室町時代全盛期の約600年前、20代前の俺の先祖たちはついに100万人を越えて計1,048,576人。元寇が攻めてきた約720年前、24代前の俺の先祖たちは計16,777,216人で東京都の人口を越える。そして鎌倉幕府が開かれた約810年前、27代前の俺の先祖たちは今の日本の人口を越え134,217,728人にもなるのだ。
ここまでやって、あまりの数の多さに俺は計算をやめた。こんなにまで俺の先祖たちが存在したなんて、思いもしなかった。そしてそのうちの誰かひとりでもこの世にいなければ今の俺がここに存在しないと考えると、なんだかすごすぎて目が回りそうになった。命のリレーは、こうやって俺まで確実にずっと続いていたのだ。
お彼岸の中日、俺は墓参りに行って墓前で手を合わせた。そして数えきれないほどの多くの先祖たちに向かって、ココロの中でありがとうを言った。



2006年09月27日(水)
Vol.664 最近の老いた者は

おはようございます。りょうちんです。

最近の若い者は。社会の常識やマナーにおいて、そういうコトバで若者たちを批判する声がよく聞かれる。俺自身34歳という年齢で、そんな批判を言う方の側にいるのか言われる方の側にいるのかよくわからないけれど。個人的には、自分より年下か同年代よりも、むしろ年上の人に対してそう思うことの方が多い気がする。「最近の若い者は…」というよりは、「最近の老いた者は…」と思ってしまうのだ。
混雑した電車の中で。新聞を広げ、大きく足を組んで席をつめようとしないおじさん。けたたましいケータイの着信音とともに、大声で話をはじめるおばさん。コンビニにて。レジでお金を放り、店員に向かってあごで指図しながら偉そうにふんぞり返っているおじさん。列なんて関係なしに、当たり前のように割り込んできて自分の用件ばかりを言うおばさん。高校野球観戦中のスタジアムで。場内禁煙だと放送までされているのに、我が物顔でタバコに火をつけるおじさん。大きなゴミを大量に置き去りにして、涼しい顔で去っていくおばさん。もちろん、若い人たちの中にも常識やマナーを知らない不届き者もいるし、紳士的で社会の模範となるようなおじさんやおばさんもたくさんいる。だからこそ、そういうなってない年上の人に出会うと、俺は余計に腹立たしく思ってしまうのかもしれない。
そこで、なぜそういう人たちが存在してしまうのかを俺なりに分析してみた。その1、良くない行為自体を本人が把握してない場合。これは年齢に関係なく言えるのだが、それがマナー違反だと本人が認識してないのなら、第三者が注意してあげれば解決はする。しかしタチの悪いのがその2、良くない行為だとわかっていながら直さない場合。年を取った分だけ偉くなると勘違いしているのか、年下の人に向かって明らかに横柄な態度を取ったり、自分だけは例外だと堂々と常識はずれのことをしたりする人もいる。これはもはや意識の問題で、すぐにはどうにもできない。
とにかく、少なくとも俺はそんな人には絶対にならないようにとココロに誓い、年を重ねていこうと思うのである。



2006年09月22日(金)
Vol.663 最近の若い者は

おはようございます。りょうちんです。

別の店で働く先輩社員のFさんがため息をこぼしていた。「うちのバイト、みんな楽しんで仕事をやってんのかなぁ?」。話を聞くとこうだった。先輩の店で働く大学生や高校生のバイトくんたちが、みんな無気力に感じられる。与えた仕事はこなしても、それ以上をすすんでやろうとしない。働く意欲が全然感じられず、まるで覇気がない。横のつながりも浅く、バイト同士で遊ぶどころかメール交換さえしていない人もいる。だからこそリーダー格になる人がいないため、必然的にバイトの質も下がる、と。そして最後に、「バイトが仕事を楽しんでやってるって感じが全然しないんだよね…、りょうちんの店はそうじゃない?」と質問された。
最近の若い者は、なんて言い方を俺は絶対にしたくない。日々の生活の中で、若者よりもむしろ自分より年配の人に文句を言いたいと思うことの方が俺には多いし、何よりそうやって十把からげにして断定することは明らかにまちがっていると思うからだ。だが、全員が全員そうじゃないという条件付きで言わせてもらうならば、今の二十歳前後の人たちは以前に比べると無気力な人が増えてきている傾向にあるのかもしれないなと、先輩同様に俺も思ってしまうことが確かにあったりする。
バイトは、みんなやっているし部活もしてないし時間もあまってるから、というネガティブな理由で続けている人が最近多くなった気がする。確かに、昔もそんな考えの人はいた。でも、バイトを続けていくうちにお金を稼ぐ以外にも、仕事を覚える喜びだとか仲間との交友だとか、もっと楽しいことがたくさん見つかるはずなのだ。少なくとも俺が学生時代はそうだった。働くって、本来楽しいことなのだ。
自分の店に帰って、高校生バイトのRちゃんに真相を聞いてみた。すると、「バイトは超楽しいですよ。ここで学んだことはホント多いし、私はバイトですごく成長しましたよ。この前Tくんも同じコト言ってましたし!」と目を輝かせて即答してくれた。うれしかった。バイトに恵まれて良かったなと思った。そして最近の若い者の中にも、こんなふうに無気力じゃない人も確かにいるんだと、俺は確信した。



2006年09月20日(水)
Vol.662 道を尋ねられる

おはようございます。りょうちんです。

まだ夏がはじまる前のこと。仕事の途中、店の前で若い女の人に声をかけられた。「すみません、○○というパスタ屋さんってどこにあるかわかりますか?」。そのパスタ屋さん、おしゃれな店構えでリーズナブルなランチがとてもおいしいと評判の、このあたりではちょっと有名な店なのだ。
だが、背後からかけられた彼女の質問があまりにも突然すぎて、俺は適切な受け答えができなかった。「あ、あっちです…」、そう言って指さすのが精一杯。彼女は俺のしどろもどろの応対にも律儀に礼を言って、足早に歩いていった。しかし俺は彼女のうしろ姿をぼんやりと眺めつつ、次第に後悔と不安の念にかられていく。あぁ、どうしてもっと丁寧に教えてあげられなかったんだろう。とっさの質問とはいえ、なんでもっと上手く説明できなかったかなぁ。「あっちです」だけの答えで、彼女はちゃんと辿り着けたんだろうか。今なら、「通りをまっすぐ行って信号を越えると左側にあります。5分もかかりませんよ!」と的確に案内できるのに。
誰かに道を尋ねられるなんて、そうしょっちゅうあることではない。しかもそういう時はいつだって突然で、ココロの準備なんてできてないのが普通だ。だけど、いくらとっさの出来事でも、頭の中ではわかっていることを即座に上手く説明するチカラがないと、何の役にも立たない。英単語は知っているのに、それを文章にしようとした時に文法の方がごちゃごちゃになって、いきなりちゃんとした英会話ができないのとどこか似ている気がする。道案内の練習なんてする必要はないけど、とっさの時に上手く説明するチカラを身につけておく必要はあるんじゃないか。その日以来、そんなことを俺はココロの片隅に留めておくようになった。
先日、信号待ちをしていると初老の女性に道を尋ねられた。「市役所はどちらですか?」。「この道をまっすぐ行って2つ目の信号を右に曲がってください。そうすると左側に市役所が見えてきます。10分くらいで行けますよ!」。完璧だった。あの日の出来事のおかげで、上手く道案内ができた自分がとてもうれしかった。