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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2003年07月31日(木)
Vol.350 息継ぎさえできれば

おはようございます。りょうちんです。

小学3年生の時、学校にプールができた。その年からは夏休み中に数回プールの日というものがあって、プールに入るために学校に通うことがあった。近所にある温水プールや隣町の大きなスライダーがあるプールにはチャリンコに乗って友達と喜んでよく遊びに行ってたのに、学校のプールはどうしても嫌いな俺だった。理由は簡単。楽しい水遊びは大好きなのだが、強制的に泳がされるのが苦痛だったのだ。
その頃クラスメートの中にはスイミングスクールに通うやつもいて、まるで魚のようにすいすいと泳ぐ姿に憧れてみたものの、クロールにしろ平泳ぎにしろ俺にはどうしても息継ぎが上手くできなかった。息継ぎをしようとすると口の中に空気だけじゃなく水も大量に入ってきてしまい、必然的にその水は飲まざるをえないから、プールの後はいつだって大量の水を飲んじゃったおかげでおなかがいっぱいになった。給食の前にプールの授業があった時なんかは最悪で、プールのせいでせっかくの給食も満足に楽しめなかった気がする。それでも目標の25mを泳ぐためにはプールの水を全部飲んでやるぞくらいのファイトで、死にもの狂いになってなんとか泳ぎきった思い出はあるのだが。
結局息継ぎはその後も克服することができず、中学生になってもやっぱり学校のプールは嫌いだった。高校以降はプールの授業なんてなくなっちゃったから、そんな苦労もいつのまにか忘れかけてしまっていたのだが。しかし、今でも俺は上手に息継ぎができないままなのだ。上手な息継ぎさえできれば、体力の続く限りどこまででも泳いでいられると思うのだが、あれから20年近くも時が過ぎ、たぶん25mさえも泳げない俺になってしまったような気がする。
先日、世界水泳で2つもの金メダルを手にした北島康介くんの華麗な泳ぎを見た。あんなふうに泳げたらいいなと思った。誰か俺に泳ぎ方を、いやいや、上手な息継ぎの仕方を教えてください。



2003年07月30日(水)
Vol.349 洗濯指数

おはようございます。りょうちんです。

俺、変わってるかもしれないんだけれど、天気予報が好き。昔から、天気予報には興味があって。新聞の天気予報欄の天気図やひまわりからの雲の写真を見たり、全国の気温を比べたりするのが好きだった。今、TVじゃ早朝に、1時間くらいかけて天気予報の番組をやっちゃってるけれど、それだってずっと見てても飽きない。予報なんてそうそう激しく変わるもんじゃないし、何度も同じ予報を繰り返すんだけれど、それでも俺は見入っちゃってる時が多い。この際もっと勉強して、気象予報士の資格だって取っちゃおうかなとさえ、半ば本気で考えている。
さて、TVの天気予報を見ていると、天気以外にもさまざまな予報が出される。傘指数、花粉情報、紫外線情報、不快指数予報…etc。しかしその中で、俺がすごく納得いかないものがある。それは、洗濯指数。「洗濯指数」というからには、その日は洗濯するのに向いてる天候なのかどうかを数字によって表すという予報のはずなのだが。俺が知る限り、その日の天気のみで指数を決めているような気がする。
以前、台風一過で朝から青空が広がった日。それでもまだ風は激しく吹いていて、強風警報だって発令中だったのにもかかわらず。その日の洗濯指数は、なんと100。こんな日に洗濯物を外に干しちゃったら、強風でみんなどっかに飛んでいっちゃうっていうのに。指数を決める要素は天気だけじゃなく、風だって気温だってさまざまなことが絡んでくるんだから、そういうことまでちゃんと考えた上で洗濯指数を決めなくちゃと思っちゃう。晴れれば100、雨なら0の単純な予報なら、洗濯指数なんて意味ないよ。誰がこの洗濯指数を決めてるんだかわからないけれど、俺が予報官だったらそういうことまで加味した上で指数を算出するのに。
まぁね、洗濯指数なんてどこまで信頼されてるのかわからないしね。少なくとも主婦のみなさんは、こんな洗濯指数なんてあてにはしてないと思うしさ。それでも、今日も天気予報をしっかりチェックすることだけは忘れない俺なのでした。



2003年07月29日(火)
Vol.348 Love Love Summer Days

おはようございます。りょうちんです。

以前ここにも登場した、俺のお気に入り高校生アルバイトのAくん。ついにこの夏、そんな彼に彼女ができた。忙しい仕事の合間に同期のSくんに話しているのをふと聞いてしまった俺は、「おっ、彼女できたんだ?」なんて思わずその話に口を出してしまう。それでも笑って話を続けてくれたAくんは、いつもよりもさらにとびきりのスマイルで、ホントにうれしそうにしていた。
そりゃ高校2年生にもなれば、それまでとは違った特別なお付き合いがはじまったっておかしくはない。むしろお年頃なんて言われる高校生の頃は、頭の中は四六時中そういうことばかりの白昼夢。念願のお付き合いがはじまれば、有頂天にもなっちゃうだろう。ましてや生まれて初めてのお付き合いがまだはじまってから10日しかたってないとなると、うれしくてうれしくて仕方ないに違いない。
しかしAくんにも、小さな悩みがあった。それは、彼女の家がちょっとだけ遠いこと。遠いと言っても、電車で1回乗り換えて、30分弱。でもAくんにしてみれば、この電車賃片道390円も大きな出費なんだそうだ。夏休みに入って学校もなくなり今なら会いに行くこともすぐにできるみたいだし、部活の帰りとかにも会ったりしてるらしい。「彼女と会うためにも、バイトだってがんばらなくちゃいけないんです!」なんてはりきって言っていたAくんを見ていた俺は、そんな彼の初々しくて甘酸っぱい話を聞いているうちに、にやけた顔が戻らなくなってしまった。
人を好きになる力って、やっぱりすごい。ハッピーなオーラがあふれ出しているAくんを見ていて、改めてそう思った。今日も、AくんのLove Love Summer Daysは続いてゆく。部活にバイトに、そして恋に。すべてに対して一生懸命なAくんを、俺は応援しちゃいます!



2003年07月26日(土)
Vol.347 プリン天国

おはようございます。りょうちんです。

甘いものが大好物な俺。ケーキ、シュークリーム、アイス、団子、大福、おはぎ…etc。和洋問わず、甘いお菓子が大好きなのだ。どんなにおなかがいっぱいでも、甘いものは別腹。甘いもので口の中が満たされた時は、最高の幸せを感じてしまう。
甘いものにもいろいろあるが、中でも俺はプリンに目がない。小さなカップに入ったかわいいプリンなんかじゃなく、できればどんぶりに入った、いや、この際洗面器だってバケツだっていい。特大サイズのプリンを気が狂うほど食べてみたいと、昔は夢に思っていた。いつだったか学生の頃、そんな夢を叶えようとバイトで手に入れたお金を持って、スーパーにあるありったけのプリンを買い占めたことがある。結局いっぺんでは食いきれずに、横で見ていた弟にも分けてあげたのだが。
実は。今、うちの冷蔵庫には27個のプリンがある。さっき4個食べたから、ほんのちょっと前までは31個あった。冷蔵庫を開けると、ずらずらっとプリンが並んでこっちを見ている。なぜにこれだけのプリンが俺の冷蔵庫に眠っているのかというと、時々タダ同然でプリンが手に入る裏ルートを俺は知っているのだ。今日も24個入りの「なめらかプリン」を、240円というびっくり価格で手に入れてきた。そう。最近の俺は、まさにプリン天国なのだ。
食事のあとに食い。風呂のあとに食い。寝る前に食い。寝起きに食い。食っても食っても、それでもプリンはなかなか減らない。というか、なくなりかけた頃に新たなプリンがまた大量に手に入るので、思う存分毎日プリンを食い続けているのだ。一日平均3〜4個のプリンを、ここ最近俺は食べている。どんなにおいしいものだって、毎日食ってりゃ飽きてくるだろう? いやいや不思議なことに、毎日食ったって、全然飽きなんかこないのだ。おいしいものは、やっぱおいしい。当分は、甘いものには困らない生活が送れそうだなぁ〜♪



2003年07月25日(金)
Vol.346 ニセ札にはご用心

おはようございます。りょうちんです。

朝になって気がついた留守電に入っていたメッセージを聞き返してみると、昨夜に店を閉めてくれたバイトくんからのもの。「あの〜、売り上げ金を集計していたらニセ札が見つかったんですけど、どうしましょう〜?」とのこと。眠気も一気にぶっ飛んで、俺はあわてて店に電話を入れた。
とりあえず金庫にしまってあるというニセ札を、朝のパートさんに確認してもらう。電話越しのパートさんは、「これは正真正銘ニセ札ですね!」と断言をした。1万円のニセ札は。淵のラインが歪んでいて。紙質もつるつるで。若干サイズも小さくて。印刷も緑色っぽくて。それよりなにより、光に透かしても福沢諭吉さんが現れてこないんだそうだ。たぶん、カラーコピーをしただけのものだろう。本物の1万円札と比べるまでもなく、100%ニセ札だって判断できるくらいインチキなお札らしい。
すぐに110番をして、お巡りさんに来てもらうように指示をした。やってきたお巡りさんに被害届を書いて、そしてそのニセ札は没収されてしまう。てか、俺が店に到着する前にお巡りさんに奪われてしまったので、現物を見ることができなかった。ちょっとだけ、本物のニセ札を見てみたかったのだが。
まぁ、あとの祭りだから仕方がないけれど。そんな安っちいニセ札にだまされちゃうバイトくんには厳重注意だけど、まさかニセ札なんか出されるとは思わないのがホントなのかもしれない。犯人は20代前半のチンピラ風な男の人、という手がかりを覚えておいてくれただけでも良くやったと誉めるべきか。
あとから聞いた話では、近所でも最近被害に遭っているお店も結構たくさんあるようで。失った1万円はちょっと悔しいけれど、犯人が捕まったら戻ってくるのかな? みなさんも、ニセ札にはご用心!



2003年07月24日(木)
Vol.345 夏を待ちきれなくて

おはようございます。りょうちんです。

7月ももうすぐ終わりだっていうのに、梅雨寒が続いて全然サマーなカンジがしない。それでも俺は夏を待ちきれなくて、先週末BBQをしに海に行ってきた。たまたま野球観戦の日と重なっちゃったもんで強行スケジュールになっちゃったけど、はるばる逗子の海まで電車に揺られるのも悪くなかった。
海に着いて荷物を下ろすと、さっそくBBQの準備に取りかかる。夕闇が迫る浜辺で炭に火をつけ、事前調理をしておいてくれた食材を網の上で焼き始める。そして乾杯。久しぶりにみんなで集まって飲むお酒は格別にうまい。いいカンジで焼けたお肉もホイル焼きも焼きそばも、ハラペコの俺の胃袋にどんどん入っていった。
おなかが満たされたあとは、花火の時間。大小さまざまな花火に火がつけられるたびに、俺たちは歓声を上げ浜辺は鮮やかに色付いた。いつのまにかすっかり闇に包まれた世界。海岸線の街灯りが遠くにたたずんでいる。聞こえてくるのは俺たちのにぎやかな声と、波の音。こんな楽しい友達と最高の時間を過ごせるなんて、ココロの底から幸せを感じてしまう。
気がつけば、確実に夜は更けていた。部屋に戻ると、今度はトークで盛り上がる。今夜のお題は、恋の話。お酒も入りながら、恋のから騒ぎがはじめられる。いろんな人の濃密な恋の話に、納得したり反論したり。なんだか、修学旅行の夜みたい。朝が白々する頃まで、俺らは語り明かしてしまった。
結局。夜が明けても夏空は顔を見せてはくれなかったけど。この夏の最初の思い出は、俺の胸にしっかり焼きつけることができた。また来年、同じこの浜辺でみんなで楽しい思い出がもう一度作れたら、うれしいよな。そして、俺はこの夏の思い出を、もっともっと増やしていくんだ。



2003年07月18日(金)
Vol.344 夏休みの作戦

おはようございます。りょうちんです。

今年の夏は、なんだかじらしているようだ。梅雨明けもまだ先になるだろうなんて天気予報でも言ってたし、暑いというよりは肌寒い日がここ数日続いている。やかましいくらいの蝉の鳴き声だって聞いていないし、めまいがするほどの暑い夏はまだやってきていない。
とは言うものの、明日からは夏休み。社会人の俺には関係ない話だけど、高校生までの少年少女にはわくわくが止まらない夢の夏休みが待ち構えている。わずらわしい学校からは解放され、一日中自由にできる時間が自分のものになる。しかも9月までこの自由は約束される。まだ7月。9月なんてまだまだ先。もしかしたら永遠にやってこないかも、なんて錯覚さえしてしまうくらい遠い未来に思えるのだ。ホント、うらやましい限りである。
俺もちびっこだった頃は、そんな夏休みが待ち遠しかった。カブトムシやサワガニを取りに行ったり、海やプールで大騒ぎしたり、自転車で遠出をしたり。毎日朝から日が暮れるまで、遊ぶことに命を賭けて。おかげで肌も日焼けで真っ黒になり。宿題だって計画的に進んでやろうと、意気込みだけは負けなかった。こればっかりは、毎年計画通りにはいかなかったけど。それでもこの季節になると、こんなふうに夏休みの作戦を毎年頭の中でいろいろと企んでいた。
夏本番もいいけれど、俺はまさに今、梅雨明け直前の本当の夏を迎えるちょっと前のこのシーズンが大好き。今年はこんな夏にしてやるぞと、勝手にうれしくなっちゃう気持ちが抑えきれない。そういうわけで、さっそく俺も明日は遠出をして、BBQなんぞを楽しんできちゃうつもりだ。
梅雨が明けたら、本当の夏がやってくる。早く梅雨明けしないかな。



2003年07月15日(火)
Vol.343 母の退院

おはようございます。りょうちんです。

母の退院が決まった。突然の病で病院に担ぎ込まれてから3ヶ月。母は長くタイクツな入院生活にピリオドを打ち、あさって実家に帰ってくる。最近では俺がお見舞いに行っても、母は病院で友達になった他の患者さんと談話室などでにぎやかに話していることが多く、端から見ればどこが悪いのかわからないくらいすっかり元気な姿に見えていたのだが、やっと先日担当の先生から退院の承諾が下りたようだ。
退院という朗報が決まり、母もうれしそうな顔をしていた。それまでも一時外泊の許可が出て実家に帰ってくることはあったが、せいぜい1泊か2泊したらまた病院に戻らなければならなかった。しかし今度は退院。これからも通院はしなくてはならないが、タイクツでつまらない病院のベッドでの生活からは開放される。自然と顔がほころんでくるのも、無理ないのかもしれない。
それでも。母が実家に帰ってきてからも、これですべて問題が解決したわけではない。障害が残ってしまった母は、以前のように仕事をすることは不可能だし、自分の身のまわりの世話だってスムーズにできなくなってしまった。これからは、父や弟や俺だってもっと母に協力をしていかなければならないし、なにより母本人にいちばんがんばってもらわないと。そう思ってはいるのだが、病み上がりの母にはいきなりエンジン全開になるのではなく、少しずつゆっくりとペースを取り戻していってほしいと思う。
母の目標は、仕事復帰。入院した時は、仕事復帰なんてほぼ不可能だと宣告された母だが、日々のリハビリをがんばったおかげで、特にこの1ヶ月でみるみるうちにその成果が現れてきた。まだ仕事をするまでには長い道のりだと思うが、がんばり屋の母は持ち前の負けん気で、いずれ本当に夢がかなう日もやってくるのかもしれない。その日を信じて、今日も母は一生懸命リハビリの折り紙を折っていた。
俺も、元気に仕事をしている母をもう一度見てみたい。退院しても母の闘病生活は続いてゆくが、新たな目標に向かって歩み出した母は、久しぶりに輝いて見えた。



2003年07月11日(金)
Vol.342 暑さなんかに負けないぞ

おはようございます。りょうちんです。

久しぶりにむしむしと暑くなった今日。最高気温も32℃まであがり、不快指数もかなり上昇した中で。悲劇は起こった。俺は今日、暑さに悪戦苦闘する。
たしかに、去年から冷蔵庫の調子はどことなく良くなかった。時たま、異常なモーター音が聞こえてきてたし。しかし調子が悪いのは冷蔵庫ではなく、冷凍庫の方だった。じょーじくん用の保冷材を取り出そうと冷凍庫の扉を開けようとしたのだが、どういうわけか開いてくれない。何かが引っかかってるようなカンジがして、それでも無理に扉を開けると。俺は、目が点になった。冷凍庫の中が、氷で埋め尽くされている。霜ではなく、氷。霜取りが面倒で最近サボっていたのは事実だが、これは明らかに氷。冷凍保存しておいた鮭もハンバーグも、真っ白な氷の中に埋もれて取り出すことが不可能だった。あわてて冷蔵庫本体の電源を抜いて氷を溶かしはじめてみたものの、全部の氷が水になるまでには相当時間がかかるようで、仕方なく冷蔵庫の前にタオルを敷き詰めて仕事に出かける。
店に着くと。パートさんもバイトくんも、いつもに増して汗だくになって仕事に励んでいた。関心、関心、と思ったが。そうじゃなかった。どうやらエアコンが故障してしまったとのこと。電源を入れても、5分もしないうちにエラーになって動かなくなってしまうんだそうで。店内の温度計を見ると、42℃。ありえない。火の近くでは、これよりもっと暑いはずだ。俺もすぐに汗だくになり、何度も冷たいお茶を補給しながら泣きそうになりつつ仕事をする。週末だけど無理を言って、明日の朝いちで修理依頼をしなくっちゃ。
へとへとになって帰ってくると。キッチンが水浸し。そうだ。冷凍庫の氷を溶かしてたんだった。敷き詰めたタオルだけじゃ足りなかったようで、床にまで水がこぼれていた。うぅ〜、これからが夏本番。だけど、暑さなんかに負けないぞ。



2003年07月09日(水)
Vol.341 迷いの日々

おはようございます。りょうちんです。

真夜中にTVをつけると、「中学生日記」の再放送をやっていた。俺が中学生だった頃から、いや、それよりももっと昔からの長寿教育番組。多感な中学生の彼らは、勉強に学校に部活に恋愛に自分の考え方に、いろんな悩みを抱えながらさまざまな問題と対面していくストーリーは今でも変わらなかった。
今になって振り返ってみると。中学生だったあの頃の俺は、毎日が迷いの日々だった。自分では充分にしっかりした考え方ができていると思っていたのに、端から見ればそれはやっぱりまだまだ未熟で。頭の中で考えていることが、実際の経験には追いつかなくて。世間や社会の不条理さが見えてくるにつれ、大人のずるさや悪しき部分を知るにつれ、そんな社会に流されるもんか、そんな汚い大人になるもんかと、反発する気持ちだけが胸の中で少しずつ大きくなり。両親や先生に対しては、必要以上に反抗し。いつまでも子供のままではいられないという現実を突きつけられつつも、都合のいい時にだけ子供を演じ。夢や希望を胸に抱いても、欲望は満たされないままで。けして毎日が楽しくないわけじゃなかったけれど、ココロの中はいつだってもやもやと霧がかかっていたような気がする。
それでも。あの頃読んだ本や、あの頃耳にした音楽や、あの頃聞いた話や、あの頃に体験した出来事など、感銘を受けたものは非常に多い。あれから20年近くもたつけれど、今でもココロの奥に焼きついて忘れられないものだったりする。それはきっと、迷いながらもいろんなものを吸収し躍進的に成長していたという証拠なのかもしれない。中学生の時のココロのもやもややあの頃の迷いの日々は、けして無意味なものではなかったと、俺は思う。
中学生が起こした信じられない悲しい事件が、立て続けに起こった。肩を持つわけじゃないが、きっと彼らのココロにも中学生特有のもやもやがあったに違いない。だからと言って、絶対に許される行為じゃない。一生をかけて罪を償ってほしい。



2003年07月08日(火)
Vol.340 まだら模様の顔

おはようございます。りょうちんです。

先日に行ってきた野球観戦のせいで、まだ7月も上旬だというのにすっかり日焼けしてしまった俺。ここ数日はずっと梅雨空が続いていたというのに、観戦に行った日だけはどういうわけかすっかり雲も消え、見事に焼けてしまった。そしてその日焼けは今日になってついに、顔の皮がぼろぼろとむけはじめる。
気にしだすと止まらないもので、暇があると鼻におでこに手をあてて感触を確かめてしまう。最初はこすると細かくはがれていたものが、そのうち爪の先でつまめるようになってきた。こうなったらもうこっちのもので、そのまま引っ張ってやるとおもしろいように皮がむけてくる。それはまるでゆで卵の薄皮をむくように。顔の皮をむくというまったく無駄な作業を、内心ちょっぴり楽しみながらかなりの時間熱中してしまった。
無理に皮をむいたところが、やがてひりひりかすかな痛みを訴えてきた。さすがにまだ早過ぎたかと思い手を離すのだが、気がつくとまた無意識のうちに触っている自分に気づく。これって、かさぶたをはがすのに似ている。どうしても気になって仕方がないので、鏡をのぞき自分の顔を見て、驚いた。顔がまだらになっている。
皮をむいたところは、赤くなり。まだ皮が残っているところは、焼けた皮膚の褐色で。それが模様を作り、ちょっと見ればどこかの地図のよう。やばい。こんなみっともない顔じゃどこにも行けない。真夏の太陽がまぶしく輝く日ならともかく、今日みたいな梅雨寒の日にこの顔はないだろう。なんて考えてみたけれど、俺には仕事が待っている。そういうわけで、今日の仕事はずっと裏方に徹していた。
家に帰ってくると、すぐにお風呂に入る。まだら模様の顔を、すこしでもきれいにしたかった。丹念に顔を洗うと、むけきれなかった皮がどんどんはがれてきた。顔はまだかなり赤いけど、まだら模様は消えたかな。
さて。本当の夏が来る前に皮がむけてしまった俺。今年の夏、俺はあと何回皮がむけるんだろう?



2003年07月06日(日)
Vol.339 健康オタク

おはようございます。りょうちんです。

弟は24歳という若さにして、ちょっとした健康オタクである。以前から健康に良いという情報が入るとすぐに進んで取り入れていた弟なのだが、最近、特に母が入院してからは、その傾向に拍車がかかってきたように思われる。「あるある大事典」とか「すぱすぱ人間学」とか、その手の健康情報番組は欠かさないみたい。今、俺のもとにある腹筋マシーンも、弟が買って使わなくなったものを俺が引き取ったのだし、昔からりんご酢なんぞを愛飲していたのは俺も知っていたのだが。
先日も実家に帰ると、弟がうれしそうな顔をして俺に話しかけてきた。なんでも、りんご酢よりもはるかに健康に良いものが手に入ったんだそうだ。興味半分に俺も話を聞いてみると、冷蔵庫から取り出してきたのものは、黒酢。コップに注いだその液体は、酢独特の鼻につーんと抜ける刺激をともなって俺の前に現れた。「ちょっと飲んでみる?」のコトバに、ビビりながらもほんの少しだけ口に含んでみた。うっ…。手足に意味もなく相当な力が入る。これは人間の飲み物なんかじゃない。こんなものを飲むくらいなら、病気をした方がましな気がする。それでも弟は、俺が見事にギブアップした黒酢を、あっという間に飲み干してしまった。
さらに。弟は先日、近所の電気屋さんで小型ミキサーを買ってきたんだそうだ。購入後さっそく作ったものは、オリジナル野菜ジュース。セロリやらにんじんやら、カラダに良いとされている野菜をミキサーにかけて、父に飲ませたらしい。父いわく、生臭くてまずいったらありゃしないとのこと。黒酢に続き、こちらもかなりの不評のようだ。
しかしこのミキサーで、きな粉を作って牛乳に混ぜて飲んだり煮干を粉末にして料理で使ったりと、なんとか少しは役には立っているようだ。健康に気を使うのもいいけれど、食べるものくらいおいしくいただきたいと思うのだが。どうだろう、弟よ。



2003年07月03日(木)
Vol.338 Mくんに会う

おはようございます。りょうちんです。

相方と食事に行った。バイキング形式の食べ放題のレストランだったので、死ぬまで食ってやるぞとかなり気合を入れて店内に入った。すると。そこにはMくんがいた。4年ぶりに会ったMくんは俺を見つけると一瞬驚いていたが、相変わらずの坊主頭でとても元気そうだった。一緒に食事をしてるのは、きっと奥様に違いない。
俺が大学生だった頃、一緒にアルバイトをしていたのがMくんだった。大学でトライアスロンをやっているMくんは当時からかなりのマッチョで、最初はちょっと近寄りがたかったのだが、いざ話をしてみるとすごくマジメでとても優しかった。
ある夏の日。Mくんは突然坊主頭になってやってきた。あまりの暑さに、思いきって坊主頭にしてしまったんだという。「髪型がさっぱりするとやっぱ気持ちいいっすね〜」、なんて俺と一緒に笑っていたMくんの坊主頭は、とても似合っていた。
そんなMくんは今、トライアスロンで鍛えたカラダで、都内でレスキュー隊の仕事をしている。「やっぱMくん、かっこいいなぁ」なんて、食事をしながら考えていたのだが、あの頃のいくつもの思い出がよみがえってきて、とても懐かしい気持ちになった。結局、Mくんとはほんの数分の立ち話しかできなかったけど、またあの頃のみんなで会いたいねと約束をした。
ところで。Mくんたちがお会計する時に気がついたんだけど。Mくんと一緒にいた奥様のおなか、明らかに大きかったように見えた。いくらここが食べ放題のレストランだからって、あのおなかは食べ過ぎて大きくなったんじゃない。俺だってたらふく食べたけど、あんなおなかにはならなかった。そうだ。Mくんは何にも言わなかったけれど、きっと近いうちにMくんはパパになるに違いない。なんだ、Mくん。ひとこと言ってくれたらよかったのに。
今度Mくんに会う時は、Mくんジュニアも一緒だったらうれしいなぁ。



2003年07月01日(火)
Vol.337 人生なんてタイミング

おはようございます。りょうちんです。

たった31年しか生きていない俺だけど。こんな俺がつくづく思うこと。人生なんてタイミング。タイミングって、すごく大切。考えてみれば俺は、進学だって就職だって恋愛だって、すべて偶然のタイミングでここまで生きてきた。
大学は、たまたま合格通知をいただいた学校に進学した俺。就職だって、たまたま内定をいただいた企業に身を委ねた。ひょんなことから転職した時も、たまたまタイミングがあったから。きっとこの先、俺は結婚だってぽんぽんとタイミングでしちゃうんだろう。
こうしたいとか、こうなればいいなとか、そういう漠然とした希望を持つことは前提だが、時代や世間の流れに自分の身を委ねるのはけしてまちがったことではないと思っている。流れに負けないように必死になって自分の力で泳ぎ、目標の場所に辿り着ければそれに越したことはないが、たまたま流れてきた流木につかまり、水の心地良さやまわりの景色を楽しみながら流されてゆくのもありだと思う。どんなに逆らっても、どんなにもがいても、流れに負けてしまう時がないとは限らない。だったらこのままこの流木につかまっていて、またたまたま違う流木が流れてきた時にはそっちに乗り換えたっていい。俺はそう思っている。
だから。希望の学校に進学できなかったとへこんだり、就職活動が上手くいかないと落ち込んだり、転職したくても難しいと嘆いたり、理想の恋ができないとブルーになったり。そんなこと、俺にしてみればくだらない。そんなことでめげているなら、今の状況を少しでも楽しもうと努力しなくちゃ。次の流木が流れてくるタイミングを見計らって、準備をしとかなきゃ。先の見えない人生だからこそ、いろんなタイミングをつかんで、いろんな流れに乗って、いろんなことを経験していけばいい。タイミングって、そういうこと。人生って、そういうこと。
さて、俺の人生は、どこに流れてゆくんだろう?