ぶつ草



琵琶湖・カロムの旅 その2

二日目。天気は雨。
家族の中で最後に布団からはい出すと、そのままコンビニ朝食。
そして車に乗り込んで。

やっぱり寝ました(てへっ)。

少しずつ覚醒したのは母の要望でやってきた「琵琶湖大橋」。
父「琵琶湖大橋渡るぞーっ」
母私妹「わーい」
そんな会話があって盛り上がっていたのですが・・・

えっ?
もう終わり?

意外にあっけなかったです。
いやー、これは「大橋」とは言わないんじゃ・・・(もごもご)

こうして大きな疑問符を残したまま(残ったのか?)旅は終わりを告げ・・・


いや、ずっと寝ていただけなんですけど。
ほんと旅行記になってない・・・


2002年04月30日(火)

琵琶湖・カロムの旅

・・・別にカロムをしにいった訳じゃないんです。
ちなみにカロムとは↓
http://www.biwako.ne.jp/~carom/
・・・というものです。

というわけで私の連休を利用して急遽決まった「長浜の旅」。
日頃の疲れが、とは言い訳したくないのですが。
ずーっと眠っていました。
人間が一生に眠る時間が皆決まっているとしたら、きっと年取ったら
眠れないなぁ、と思えるほどにぐっすりと。
おかげで体のあちこちが痛くなりました。とほほ。

 最終目的地は長浜な訳なのですが、途中彦根に寄り道。
彦根城に行きました。

・・・ひたすら歩きました。

ほんとに天守閣の近くにいくまででこぼこだったり急だったり、そんな道をずっと昇っていって。
それからまたお城の中で急な階段を手に汗かきながら昇ったり降りたり。
戻ってきてもお堀の周りを歩いたり。(父が好きなんですよ)
そのまま吉田松陰の生家に行ったり。
めざとい母が見つけた「たねや」というお店で昼ご飯。

そして寝ました。(やっぱり)
そのまま気が付いたら長浜城に居ました。豊臣秀吉が初めて建てたというお城。
夕方なので、中には入られませんでした。
ぐっすり寝たので、ここあたりから始動。
とは言ってももう夜なのであとは夕飯食べて、風呂入って、また寝るだけ。
こんな旅行で良いのでしょうか。

2002年04月29日(月)

会いたい人

何気なく見ていたバラエティー番組で「会いたい人と再会する」というものをやっていました。
そういえば、私が今会いたい人は誰だろう。
なんてことをフト思いました。

会いたい人は何人か居ます。
まずは小・中学校と一度も「走ること」で勝てなかった友達。
いつも土曜日は彼女の家で漫画を読んでいました。そして沢山の心霊現象を体験しました。
いじめられたときも、かばってくれました。
中学生になって私はテニス部に入り、彼女はそのまま陸上部に行きました。
走るのが速かったはずなのに、途中で砲丸投げと円盤投げに転身。
「走ることでは一番になれそうにない。でもこれなら一番になれるかもしれないから」
と言っていた彼女は校庭の隅で黙々と砲丸と円盤を投げ続け。
その姿は彼女らしくなかったけど、いつの間にか市の大会の上位入賞常連者になっていました。
私はレギュラーと準レギュラーを行き来して、レギュラーに定着したのは3年になってからでした。
2回戦より先に進んだことがありませんでした。一度だけ市でベスト36くらいに入ったくらい。

今この人に一番会いたいかもしれない、というのは小学校の時に通っていた塾の国語の先生。
全然塾の先生らしくなく、すごくラフで砕けていて。
そんな先生が凄く好きで、褒められたくてめちゃくちゃ頑張っていました。
おかげで月例のテストで国語だけはいつも学年3番以内に入っていました。
でもどうしても一番にはなれなくて。(国語の女王、ってのが居たんです)
初めて女王を抜いたときはめちゃくちゃ褒めてくれて嬉しかったですね。
工藤静香が好きで、修飾語の小テストは全て静香ネタだったんです。例えば「主語・述語・修飾語の関係を書きなさい」というテストで
・工藤静香はかわいいです。
・工藤静香はとてもかわいいです。
・工藤静香は目がたれていてとてもかわいいです。
・工藤静香は目がたれていて歌がうまくて細くてとてもかわいいです。
等々延々と「工藤静香」と「かわいい」に係る修飾語を挙げさせられていた覚えが鮮烈にあります。
・・・結婚するって知ったときはどう思ったのか聞きたいところですが。
実は、私がコバナシを書くきっかけになったのはこの先生で。
私の書き調も全てその先生が元になっています。
私は先生の書く物語がとても好きだったんです。


・・・二人とも今は、何をやっているのでしょうか。
・・・何処に居るのでしょうか。

2002年04月24日(水)

携帯電話を・・・

変えました。
写メールに。
まだ使い方が分かっていません。
携帯電話の説明書って暫く見ない間に分厚くなってるのね・・・

2002年04月20日(土)

これでも一介の事務員なんです

今日のお仕事。
倉庫の整理。

ガレージ二つ分にいっぱい詰め込まれたあれやこれやそれやを引っ張り出し。
掃き清め。要らないモノと要るモノに分け。
また「整理して」押し込める。
全身埃まみれ。顔中真っ黒。全身運動。

・・・そんな仕事をしています。

2002年04月18日(木)

もったいないもったいにゃー

珍しく目覚ましより早く起きました。
目覚ましと平行にタイマーを掛けていたコンポの電源を切りました。
ごめんなさい、TOKIOさん。

よく珍しいことをすると「雨が降る」とか言ってからかいますよね。
今日の天気は雨でした。

それだけならまだ良いんです。
通勤時間は自転車で5分以内ですから。

何が最悪かって。
いつもと同じように出勤して、さあ頑張るぞと気合い入れてモップを手にしたとき。(朝は掃除から始まります)
先輩のこの一言。

「あれ?今日は遅出でしょ?」

・・・えっ?
はっ。(気が付いた)

ああああああああっ。なんてー勿体ねーことしちまったんやーっ!!!

と気が付いてももう遅い。
本日の出勤時間は普段より一時間半遅い十時。
あと30分は多く寝れたのに。
部屋の掃除も出来たのに。
郵便局も行けたのに。
銀行だって。
あれだってこれだって・・・
後悔してももう遅い。
そしてまたこんな言葉が掛けられた。


「帰ったら?」

・・・はい(←本当に帰った)

でもね、家帰っても9時前で。
また10時前には戻らないといけないから結局まともになにも出来なかったんですよね。
ほんと、もったいない時間の過ごし方をしてしまいました。


ちなみに、前日私は「明日遅出だから10時出勤ですよね?」と3度念押し押していた・・・

2002年04月16日(火)

三年連用日記

・・・をつけています。
去年から書き始め、今年で二年目です。
書こうと思ったのはまず通販で可愛い連用日記があったから。和風のデザインが気に入って買ってしまいました。
でもその時はいつ書こうかな、と思っていたくらい。
書き出したきっかけが21世紀ということ。まあ、なんてことはないのですが、なんか気分的に新しいことを一つ、始めたかったから。
それに2001年からの3年間は大学生、新社会人、社会人2年目と環境の変化が激しくて、後から読み直すと面白いだろうな、きっと考え方なんか変わってるんだろうな、と思ったから。
過去のものを掘り返すほど恥ずかしいものはないですからね、私にとって。
この「ぶつ草」でも平行して書いているのですが、こちらは不定期的な更新なのに比べて珍しく、2年目になってもちゃんと書き続けています。
丁度去年の今頃は就職活動に走り回っていました。
去年の今日は某広告会社の面接を受けていたようです。慣れない大阪の中心街で案の定迷っていたそうです。
今思い出すと、このころは丁度気温が高くて、道が分からない焦りとダークグレーのスーツのせいで汗だくになった覚えがあります。
ぎりぎりで会場に到着して、トイレに行って、髪を縛りなおして鏡に向かって気合いを入れていました。
たしかその企業は最終目前まで行ったはずです。
「転勤は出来ますか?」と聞かれて「無理です」と素直に答えてダメだった企業です。
その後のGWにその会社主催の就職博に行って、一等の音楽ギフト券3000円分が当たったある意味縁の深かった会社です。

たった数行の事でこれだけのことが思い出せました。
面白くて思わず「くす」と笑えます。

みなさんも一行でいいから今日一日のこと、書いてみませんか?

2002年04月11日(木)

はぢめてのおやすみ

前日、「なんやこれ」っていう失敗をしてしまいかなりヘコんどったのでこの休みはかなり救いでした。
しかも連休でしょ。ありがたいです。
と言っても何をするわけでもない。大学時代の友達に電話してみても、皆くたびれ果てていて外に誘うのが悪く思えた。
ここあたりが通勤時間5分以内であるが故なのだろう、と一人で納得。
親不知の後遺症も大分なくなったことだし、と久しぶりに一人でぶらぶらすることに。


いつも行く駅前のショッピング・モール(と言うと聞こえが良くてもったいない気がするが。でも一応高島屋あるし。)を放浪。
いつもなら見るだけで通り過ぎていた雑貨を思い切って買ってみたり。
洋書を買ってみたり。漫画も買ってみたり。
気が付いたら満足度の大きいだけ、出費もかなり派手になっていました。

さっ・・・財布に諭吉さんが居ない・・・

明日は大人しく部屋の掃除でもしよう。

2002年04月06日(土)

親不知Xデイ

どうも3月中旬くらいから口の中を良く切るのが気になっていた。
原因は大体分かっていた。

親不知。場所は左上奥。

もともと歯並びの悪かった為に矯正をしていた頃撮ったレントゲンで、
この厄介すぎる親不知4つは、「100歩譲っても正常な生え方」とは言えない生え方になることに太鼓判が押されていた。
それもかれこれ6年前になる。
「生えたら抜こうね(にっこり)」と先生に言われてそのまま年月は経ち。
矯正も取れてしまいました。
それから4年が経った今頃になって!
環境が変わって大変なこんな時に限って!

ばきやろーっ(叫)

覚悟を決めた3月下旬。
数年ぶりに行った歯医者で別のところに数年ぶりに虫歯発見。
親不知を抜きにいったはずが、いつのまにか虫歯治療に変わり、折角腹をくくったその紐もほどけてはらりと落ちそうな今日この頃。

ついにその日がやってきた!(前フリ長!)


「仕事でしょ?大丈夫?」
と心配されるのをよそに、
「腹くくってもう一週間経ってるんですからさっさと抜いてください。これ以上待つと抜く気が失せます。」
と半ば脅して抜くことに。
まずは麻酔から。
ちゃき、と目の前に翳されたのはハンドドリルの小型版みたいなヤツにほっそい針がついているもの。
「これはねー。最新型の麻酔なの。痛くないからねー」
と言われ、口の中につっこまれる。

・・・はっ。

痛くなーい。(←「切れてなーい」調)

確かに痛くない!すごいぜ最新型!麻酔万歳!(←違)
と思ったのもつかの間。
深くえぐるように麻酔器をつっこまれたら・・・痛い。

いたたたたたたたたたたたたたたたたたたたっ。

倒された椅子の肘置をぱんぱんと叩いて「ギブ」するも当然止めて貰えず。
かなり長い間麻酔針が刺さっていたように思えます。

それからが問題よ。

ペンチのようなものを取り出して、口の中につっこまれたと思ったら。

みしみしみしみしみしみし。

なんかヤな音がするの。頭に直接響くような。

がりがりがりがりがりがり。

削られるというか掘り出されているというか。
でも痛みがないから余計怖い。
聴覚だけでこんなにも恐怖心を煽れるもんやねんやー、と変に感心。
ああ神様。
願わくば全身麻酔でお願いしたかった・・・

がりがりみしみしとやられること数分。
がこっ、というとどめの音と共に親不知が歯茎から分離。
流石歯医者、後処置は早い。

一時間飲み食い禁止、当日入浴、飲酒禁止を言い渡されて
痛み止めの薬とともに帰宅。

家族が語らう中。
私は一人ずきずきする口をさすりながらナーバスになっておりました。



2002年04月03日(水)




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