2005年11月18日(金) 「昨日のつづきのつづき」スタート

昔、小学生から中学生のころまで聞いたラジオ関東「昨日のつづき」が、復活する。
富田恵子、前田武彦、永六輔の3名が、毎晩、トークを繰り広げる番組で、その内容の豊かさやユーモアに、こんな風に話す大人もいるんだなあと感じ入っていたし、世の中を楽しく勉強していた気がする。
ぼくは「樂習」という言葉を使っているが、この番組は、自分の樂習史のスタートだった。

内容ももちろんだが、番組の最後に必ず、「今日の話は昨日のつづき、今日のつづきはまた明日」と結ぶのがこれまた大好きで、唱和することもたびたびだったし、学校で友達と、前夜の内容について話したこともある。

この番組が「昨日のつづきのつづき」という新タイトルでスタートすることを新聞で読んだとき、やはりあの番組を聞いていた人はたくさんいたんだ、と改めて感動。

深夜だと思っていたが11時だった。しかし小学生にとっては深夜だ。
この番組のおかげで遅くまで起きていたふしがある。
中学半ばで東京から水戸へ越して、北へ80キロくらい移動しただけだけれど、ラジ関の電波は届かなかったと思う。

ただ、スピリットとフォーマットは頭の中に残った。
25年前にラジオ「百万人の英語」に加わったときも、ラジオ「英会話入門」を担当することになったときも、「昨日のつづき」のように内容が楽しくて役に立って次の回も聞きたくなるような番組を作れたらと思っていたし、今でも気持ちはかわらない。
英語の日常感、大人の感覚、そして話すのに役に立つ、といった点を考えてしまう。
サインアウトにも凝ってしまい、Keep listening, keep practicing and keep on smiling!を10年一日のごとく繰り返しているし、3名でテンポよく進めようと思うのも、やはり「昨日のつづき」式の影響かなと思う。

「昨日のつづき」は、番組終了後も、リスナーたちの中で有形無形につづいていたに違いない。それほどすごい番組だったからこそ永久欠番扱いとして、かつ、背番号にダッシュをつけるかのごとく、「のつづき」を加えたのだろうなあ。
オリジナルキャストで聞きたい、というのはただの郷愁かな。新番組もつづきますよう!



2005年11月12日(土) 韻力

娘は親類のニコニコかわいい5歳になる娘さんに英語を教えている。
宿題と交友と十代の様々な悩みに明け暮れている割に、それなりに教えている、というのは私たちの欲目だが、その小さな生徒さんが、「楽しい」、「また来たい」と言っているのは、ご同慶の至り。

今日はI'm a Little Teapotという歌を教えることになったらしく、一緒に歌ってくれと依頼された。

これは私が大学時代を含む樂習のGrow“down”部門で学んだ歌でもある。
歌が飯より好きな私が一緒に教えてくれと頼まれてノーと言えようか。
No.
リリックスはこうなる。

I’m a little teapot short and stout.
Here is my handle, here is my spout.
When I get all steamed up, hear me shout.
Tip me over and pour me out.

スタンザは2もあるようだが、1番のこれが定番。
メロディーとジェスチャーがつく。

ジェスチャーは、自分がティーポットのボディー。
片方の腕を腰にして、Here is my handle. 腕が取っ手になる。
もう一方の腕を、Here is my spout.でV字にし、手をしなっと垂らすとティーポットの口になる。
Tip me overで体をポットの口の方へ傾け、pour me outで口となる手をお茶が出るように動かす。

このジェスチャーとメロディーと詞のトリプルシンクロが、英語の感覚をつけていってくれる。

あと1行と3行は、勝手に振りを付けながら一緒に歌いながら教えて行く。

字はまだそう読ませない。
ところが数回やって驚いた。
韻のところをおもしろがって強調し始めたからだ。

一応、stout, spout, shout, outの振りを付けておいて、何度か「抜き稽古」をしたので、それが聞いたのかもしれない。

...stout! ...shout!など、がっちり、シャウト、と動作と共に、待っていたかのように発声、その声が大きくなっていくと、こちらも楽しくなっていくのいかないの。

こりゃあ、韻力に引きつけられたのでしょう。

英文解釈をしてたらこの芸当はできんなあ。

そういえば、わたしが8歳頃からだったか聞き始めたエルビスやナットキングコールやその他無数のヒットバレードのお兄さんお姉さんの歌の中で、なんだか知らないけれど、似たような音があちこちに集まっているなあというあの感覚。そして最後がシュワ音とアールの巻き舌R音という個人的な印象。

あれを不覚にも思い出してしまった。

ちと大げさながら、マルセル・プルーストの小説で、「失われた時を求めて」飛翔するきっかけになるあの瞬間のような、あのProustian Momentに似た感覚を、5歳の娘さんからいただきました。

そして思いはそこから、時空を戻り、サザンの韻、大滝詠一の韻へと・・・。

それに自分も書いてたのだった、あのころ、韻詩を、日英で・・・。

そして漢詩を中国語で読めたら韻だがなあ・・・と白日夢へ・・・。

とにかく、カミさんがビデオに録ったし、娘と私もニコニコちゃんと一緒に映っているし、これはみんなの永久保存版となりそうだ。

次回もニコニコちゃんは歌う予定。
どんどんうまくなれよ、Hey。


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