二ノ宮啓吉の区政日記
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2012年08月30日(木) 71歳のオリンピツク選手



 今日ロンドンオリンピツクで最年長選手として日本代表馬術競技の
HOKESHU選手が目黒在住とのことでお見えに成りました。
「補欠」かと思ったら正真正銘のジェントルマンで、その若々しさは見習たいね。
 ちなみに
法華津と言う名前が変わっているので参考までに調べてみました。

 「法華津」姓は、戦国時代に伊予国南部で活躍した海賊、
祖父の法華津浩治氏は愛媛県宇和郡の出身で南亜公司の社長南洋協会の会長
父の法華津孝太氏は奉天総領事館、ベルリン大使館、極洋捕鯨の社長。奥さまは北条


2012年08月17日(金) 気仙沼みなと祭り  その2号

 急に気仙沼のみなと祭りに参加する事となったが、会場では目黒のさんま
は話題にも成ってない、どうかしている、我々はどうすればよいのだ。

ただ単に気仙沼の実行委員会の好意を受けていれば良いのか????
 みなと祭りに参加された目黒区の有志も感じたのではないか------?
田中前大通りの特設会場にも目黒区の人々の姿は有るが、動きはない、これでよいのか。

 区長の代わりに文化スポーツ部長が教育長の代わりに佐々木次長が出席しているが、なんと気が利かない人たちだ、我々も議長と一緒だが押しかけた一人であり、どうする事も出来ないのが現状、
気仙沼の人も目黒から何人かが来ている事は承知のはずが、どうしてなのか、疑問。来年はもう少し考えて自己負担で参加している姿をみて感じた
目黒区のさんまの会の代表の方の処遇に配慮すべきではないか、担当所管の
ご努力を期待したい。
 折角行くなら目黒区との交流をPRしても良いのではないか???


2012年08月14日(火) 気仙沼みなと祭りに参加して

 8月11日から始まった気仙沼みなと祭りにお声が掛り今年は予定が無いので急に訪問する事となった、お盆の夏休みと重なり切符や・ホテルの手配が進まず、中止しようかと思ったが、やっと12日の日曜日のホテルが予約出来た、参加者に聞くと1ケ月前に予約したとの事、思いつきはだめだね。

 心配した天気も持ちそうでまず復興市場を視察して初めは復興屋台村を覗いた見たが、お酒にはまだ早いので飲食店のみ営業していた。続いて南町紫市場を視察に出向いた、そこは若い人たちが音楽を奏でてにぎやかに、名物の「コロッケ」をほう張りながら、視察して参りました。

 2時半より始まる「みなと祭り」オープニングセレモニーでは議長と共に
舞台に席を設けて頂いて参加することが出来た。

特にフェツシングで銀メダルを取った大田選手と気仙沼出身の菅沼選手の紹介が続き、パレードが大変だった






2012年08月06日(月) 第28回 目黒区平和祈念のつどに参加して

 オープニングに区立8中の生徒が「目黒区平和都市宣言」を朗読して始まる、今年は区制施行80年の年に当たり、戦後も67年が経過した、今や人口の63%は戦後生まれ、戦前の生まれは議会では2-3人だけとなってしまった。
 いつもの小学生の平和祈念標語の朗読・昨年広島に派遣された中学生の感想と決意が述べられた。
 感じたことは(中には両親が添削した様な標語が二三感じられたが)。

 目黒平和の鐘の打鐘と時、急に大雨で鐘つきは中止、
ひと雨降って天気に成ったらむしむししてきた。お陰様で気温も下がり
暑さも一休み、

 今年は予算の削減で広島派遣の人数を20名に成ってしまった、
広島も良いが、子供たちを広く海外に派遣して、異文化・生活等を学んで
国際人を生み出す施策をこれから考えるべきと思う。

友好都市の北京市東城区などアメリカの半分の予算で実現出来る。
そのための知恵と協力は惜しまない。進んで提案して参ります。


2012年08月02日(木) 中国大使館で大使婦人の招待デナー


 7月4日より7月8日の4泊5日の中国北京市東城区との友好交流の旅を無事終えて帰国致しました。

 さっそく完璧な交流会を締めくくる報告会を目黒区議会委員会室にて開催
大使館交流部にご案内申し上げた所、汪大使婦人以下三等書記官の王様と共にご参加頂き花を添えて頂きました。大使夫人は報告会の後、感想とこれからの日中関係についてお話を頂きました。

 報告会を無事終了して議長室で懇談の中から、今度は大使館でゆっくり
話をしたいとのご提案を頂き会場の都合で訪中団全員は無理とのことで
各会派より1名と正副会長・議長と区側より鈴木 勝副区長、事務局長、
記録責任者の8人が招待されました。
 
 地方議員が大使館内で食事を共にしながら懇談するのは大使館始まって以来の大待遇との事、食事も美味しかったですがそれ以上に会話も盛り上がり
 8月1日は中国にとって人民解放軍85周年とのことで話題が政治に関するとこまでのびて、気まずい事な成らないかヒヤヒヤさせられました。

大使婦人は率直な会話、人として個人の気持ちをお話になり、私からは
「大地の子」「満州開拓団のチブリ」の中の中国人の人間としての気持ち
まで話が進み、2時間があつと言う間に終わってしまった。

 今度は我々が招待しなければと計画中。隣国である中国と草の根交流を
増進するため、区行政と考えましょう。

どうも3webのエンピツと接続がなかなか出来ず、報告が遅れました。

 


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