慌ててトイレにかけこんできたおじさんに、 鋭く二度見されました―
わたしは優雅に手を洗っていただけです
明らかに女に見えた系だなッッ こんにゃろう 大事なのはシルエットで性別を判断しないこと。 しかしそんな人のほとんどは咄嗟のことなので、
“判断よりも先に” カラダが異常をきたします
我が人生でときどき見れる、あるあるです!! ◎そんな咄嗟の挙動はたいへんなダンスです◎ もうねぇ… 凝視 目の開き加減とかすごいよ!? そんで、急停止からの人体再起動までの時間! 肝が潰れる瞬間 → 安心する瞬間 もうねぇ… ダンスそのものなんですねw どんな人も《全力で生きてる系》 なんだろうあの突然カクッってなる感じッッ 笑笑 天変地異からの地獄に仏!? そんなダンスですww 人ってすごいよね☆
いつかまとめて発表してみようかなあ(爆)
さて、そんな日。 わたしが原因ではない事件が起きました。 スポーツクラブ更衣室。 今まさにトレーニングに出ようとした瞬間―
かわいい女の子が前から歩いてきた
夢かとおもいました なぜなら、ここは男子更衣室だからですッッ(超実話 そこらじゅうに全裸のおじさんがいるんですよ!!
女の子は男子更衣室に堂々と入ってきています
この日、わたしはもう眠たくて眠たくて、、 ほんとうに夢かとおもったのですが超リアルでした― ガンガン歩み来る女の子
わたしたちは見つめ合って凍てついた
それは… まるで永遠のような時間でした 笑笑 事に気付いた女の子は青ざめて叫びます
「す、、すみませんッッ」
しかし、なんだろう このタイミング。。 謝られるのがわたし個人という事実w 言うなれば、わたしが更衣室男子代表なのです! さっきは女と間違われたわたしが、ですよ!? 今日はこんな日かーーーーーッッ きっと世界のバランスもこのようなものでしょう。 わたしはおもいました
全裸じゃなくてよかった
そして、その直後こう思った。
全裸だったほうが記憶に残ったかもしれん(爆)
おかしいと思われるかもしれませんが、 その人の記憶になるってたいへんな仕事です 驚きと感動とは切っても切れないもの。 したがって、その考察はつくりだす人間の課題です。 自発的に感動を生み出したいとする種類の人間の、 永遠の課題なのです!
そして、同時にこんな思いも交錯します。 “ホンモノの感動は計算なんかじゃ生まれやしない” 人を仕向けて感動を起こさせるのも究極の技術。 しかしそれはやはりエゴい性質を感じざるを得ません “させよう” という種類のものには嫌気が差してしまう だから、やっぱりすべてなのだとおもうのです
すべてで立ち向かうしかない
実のところ、緻密に考えてつくるものよりも、 かわいい女の子と偶然男子更衣室でばったり事件のほ うが、よほど感動的なのです(爆)
お互いが同時に経験する驚きと発見ww
どちらとも受け身でないというのは、 なんと清々しいものなのでしょうか!! つくることなく自然に巻き起こる感動w それも、おそらく二人とも同様の衝撃度です―
生きててよかった
おそらく、わたしの余生でこんな かわいい女の子が男子更衣室に入ってくるなんてのは もう二度とありますまい☆
かるく笑い話で終わらせてもいいところですが、 “できるならこんなダンスを踊りたい” そうおもっています
記憶に残るというのは《生きている》ことの証です
生きていなければ記憶に残ることはないからです
だから、いいこともいやなことでも 実は、ものすごいことなのだとおもうのです
| 2015年07月28日(火) |
「ああ、正負の法則」 |
◎今日から始める美輪明宏 大研究◎ これまでほとんど知らなかった人です。 知ってる人からすれば非国民だったかもしれんw
『ああ正負の法則』 美輪明宏
美輪明宏本を大量にもってるお方:U井さん。 わたしの数少ない読書友だちの一人です! 2015年後半、断続的にお借りすることになりますw まずはその初手から!
開いていきなり美輪明宏直筆サインあるッッ
ほ、ほ、ほ、、ほんものです!! 思わず3mくらい跳んでしまいましたッッ!! 美輪さん達筆すぎ! もう全然読めやしない 笑笑 これは引き締めて読まなくてはなりません。
汚したりしたら友だちやめられそうです(爆)
この本はものすごい本です。 特に半分くらいまでがすごい。 序文からすごい。
この本は、地球大学 つまり人生のカンニングペーパーです。 アンチョコです。 人間の《心》《精神》《魂》の、 《修行》《修練》《試験場》である、 この地球学校の、定期的に行われる試験問題の 答案早見表です。
そういうわけで立て続けに真理の襲撃きますw でもアンチョコって何でしょうか?? 初めて聞きました! 食べるものですか―
【魔界人の見分け方】 まず、ひと目見たときの第一印象がひんやりと した感じ、凶々しい、闘争的、自己中心的、 傲慢な感じ、陰険、陰湿、 ヌメッとした蛇のようで、どことなく暗い。 暗いくせにエネルギッシュ。 強欲、すべてに貪欲、何にでも妬み、そねみ、 ひがみ、悪口ばかりを言う人、等々です。 彼または彼女たちには、反省とか後悔とか 懺悔などという成分はひとかけらもありません。 実際にそういう魔物はいるのです。 注意しましょう。
います。 たしかにいますねw 暗いくせにエネルギッシュって観察眼…ヤバッッ
【幸福論】 いったい幸福とはなんでしょうか? それは充足感です。 何もかも満ち足りた気分になった時、 それが幸福なのです。 しかしその成分は泡で出来ています。 ほんの短い時間、一瞬で消えてゆくものです。 もしその幸福感が絶え間なくずっと持続したとし たら、人間はシマリのないボケーッとした 薄らバカになってしまうでしょう。 それなのにどういうわけか、世の人々は 「幸福になりましょう」「なって下さい」 「なります」と、 まるで一度手に入れたら永久に形が変わらない固形 物でもあるかのような錯覚を起こしています。 永久不変のものなんてこの世にはあり得ないのです しかし、いつでもどこでも今すぐ幸福になる方法、 常に幸福感を味わえる方法があることはわかります それは簡単なことです。 つまり、どんなことでも何でもよいから 《感謝すること》 それを自分の中に、周りに探して見つけることです 「見える、ああ有難い」「聞こえる、ああ有難い」 「話せる、ああ有難い」 「手足が動く、雨風をしのげる天井や壁のある所で 寝起きができる、ああ有難い」 「着るものがある、食べ物がある、ああ有難い、 幸福だなあ」 もしそれが「えっ、何で?どうして?」と理解でき ない人は一度それらの病気をしたり、ホームレスに なったりして一切を絶ってみれば、有難みや感謝す る気持ちが、感覚でよく身に沁みてわかります。 ですから世の中で忌み嫌われている、病気や貧困や 不安やトラブルという《負》の部分は、実は幸福を 感じるためのバロメーターなのです
ざっくりすぎるその記述に度肝抜かれましたw みんなに「死にかけたら?」と言ってるのと同じです だがしかし!! まったくそのとおりです― わたしたちは、不自由になってみなければ、 “今” の圧倒的な自由に気がつけないものだからです
【努力をしなければ現在はない】 私は若い頃、めちゃくちゃな苦労をしました。 行き倒れになってみたり、いろんな悲惨な目に 遇ってきましたし、男なのに女のような顔を しているというだけで世の中から化け物扱いを されて、狂ってると言われ、金銭的にもいろんな ことがありました。 それでも私は仕事の面では人の十倍くらい努力を してきました。 それがいつか花を咲かせるだろう と思ってやってきたのです。 どんなに忙しくても、いろんな展覧会や演劇公演や 図書館などに足を運び、自分の目で確かめたり、 楽しんだり、知識を広めたりするのも努力の内なの です。 それをずっと続けてやりました。 【待っているだけではダメ】 でもそうでない役者さんはそういう努力をしません から、それができない。 だからそれをやりなさいと言っているのです。 他の人を妬み、そねみ、ひがむ前に。 売れない人に限って、何ひとつ努力もせず女や酒や パチンコなどの快楽ばかり追いかけまわして、安酒 で酔っぱらってはグダグダと他の人の悪口ばかりこ ぼして、ひがみまくっているだけなのです。 演出家がいなければ自分で演出すればいい。 プロモートしてくれるプロデューサーがいなければ 自分がプロデュースすればいいのです。 自分がプロデュースして、台本を書いて、演出して 照明プランも立て、衣裳もこうやれば安い生地で 縫えるという知識を持っていれば自分で出来る。 美術や装置も、多くの芝居や美術文化を見ていれば じゃあこういうものをやりましょうという知識が あちこちから引っ張ってくることができます。 ところがみんな売れない女郎さんのように、軒先に ならんで、声がかかるのをただじっと待っているだ けなのです。 《打って出る》ということを知らない ですが、努力するということは大変なことです。 苦しいですし、歌や踊りを習うにしても、月謝を 払わなければなりません。 その分だけアルバイトでも何でもして月謝をはじき 出すのです。 また、時間も寝る間もなく、心も 身体も休める暇なんてありません。 私はそうしてきました
偉大です。 舞台人の偉大なる先人 説得力が半端ない 正直いって、一緒にダンスを修練してきた仲間でも 《打って出る》ことをしている人はごく少数です。 わたし自身は “時期がきた” という感覚でした でも、これはかなり分けられます。 できる人とできない人。 そこには大きな秘密があります。
何かが “したい” と心から思ってるかいないか
したいものがある人は、明らかに違うのです。 美輪さんのように、どうやったらできるか、に考えが シフトしているからです。 そこには迷いがありません。迷うものがないからです いくらでも努力を払うことができます やろうとする、というより “既に” やっているのです
生み出すというのはそんなものではないでしょうか
歯車の一部ではなく、 自発的にやりたいことがあるのです
地味トレの成果はすぐに現れたりしません。 すくなくとも3ヶ月はかかります。 動きが出なくてへこむ日も多いのですが、 やるしかない。 他に方法がない ですが、いつだって元気ではいられます。 痛いのは患部ですので、元気は別問題なのですw これ、実は心にも応用が可能です そんなある日(今日だけどw リハビリ近況をメッセージで尋ねられしその返事、 文章メッセージ作成中のこと。 わたしのiOS神変換が火を噴きました
「とんとん病死で回復してるよ☆」
ちょ、ちょちょ… それちょっと待てーーーーッッ わたしは往来の中、悶絶してしまいました!! 完全に《イチコロ》レベルですw お腹痛くてほんとうにあぶなかった そんな予測があるだなんて思いもしなかったのです 冷静になれば、これは “たいへんな” 問題です。
とんとん拍子
まさしく駆け上がるさま。 そんな気分から出てきた言葉でしたが、
とんとん病死(爆)
これじゃ、皆がバタバタ死んでいくイメージです!! 一体、俺にどんな返事をさせる気だったんだ―
病死で回復って、、何だーーーーーーーッッ
突っ込みどころがありすぎて、ゾッとしました 俺のiPhoneやばい。マジでヤバい。
さすがはわたしのiPhoneです
しかしこの変換には肝を潰しました 毎日妙な文章作成を続けるわたしを大いに先回り。 変換されてきたのは大問題レベルです― ◎おぞましい成長を遂げてると言えます◎ “どこまでも気を払え、お前の後ろはすぐヤミーだぞ” そんなことをおしえてくれているのでしょう
「おもてなし」その反対は「裏あり」
この世はなんとおそろしい世界なのでしょうか!! 一寸先はヤミーーーーーッッ
| 2015年07月25日(土) |
さよならはGAMEOVERの後で |
あんまりアレルギーがひどくて眼科に行きました! わたしのかかる眼科は高名な病院です。 予約してても1時間以上待たされます。異常です とはいえ、リハビリ通院はその比じゃありませんw
施術まで3時間とかフツーですフツー
そういうわけで1時間とかヨユーです 笑笑 眼科に話戻しますねw 眼科も予約を強要してきますが、わたしはしません。
どう考えても終業寸前駆け込みが速い!
長年の知見です 笑笑 そんなわたしに途轍もない事件が襲いました この眼科は数年前に建て替えられた新築です。 そんなトイレもサイコーの清潔感。 その新しさに、完全に安心しきっていた
ウォシュレットが止まらない―!
未曾有の危機が訪れた瞬間でした 何度停止ボタンを押しても止まる気配が全くない なんだ どうした おいおい ちょっとちょっと!! 何を押してもどうにもなりません(超実話 無意識に目の前の緊急ブザー押そうとし…
いいや 待てッッ
こんなあられもない姿でどう向き合えというのだ!? できない できるわけない ありえない わたしは考えた 圧倒的に考えた ウォシュレットの止まらない便器で考えた 〜あきらめたらそこで人生終了だよ〜 試合どころじゃない 絶体絶命なのだ そして引き出した希望
コンセント 抜けばいいじゃない☆
人間、冷静になるってほんとうに大事ですね ◎どんなときも希望はあるッッ◎ わたしはコンセントを探しました ウォシュレット絶賛稼働中のなか真剣に探しました
コンセントが手に届く位置にあって ほんとうによかった 涙涙
こうして人生最大の危機は去りましたww 生理現象。 それは絶対に避けられない門です。 そして日本人の求めた究極の美学 ウォシュレット。 そんな二つの間隙を強襲する事件でした!!
美学から襲われる悲劇
わたしたちにもたらされる唯一の孤独と静寂。 その時間の正体をあらためて知ったのです(爆)
生理現象は、わたしたちの尊厳にも関わります。 見られたりするのを想像すればいいでしょう。 〜人生最大の隙だらけです〜 しかし、本気で誰かの手を借りなければいけないとき が来たとき。 それがどれだけのものか気付かされるのです わたしは寝たきりだったときにそれを知りました 自分で出来ることが出来ないこと 誰かの手を借りなければならないこと それはたいへんな苦しさです ですが、最後に気付くのはいつだって同じ
自分が “生きていること”
それは、恥や外聞を超えたときにしか実感できないも のかもしれません しかしそれは世間一般では安直にバカにされるような ことです。
このズレをどうやったら埋められるのでしょうか
その “あたりまえ” の意識はどうやったら変えられる のでしょうか
正直にいえば、ウォシュレットが止まらないことくら い、見られたからといって何ともありませんw 死ぬわけじゃないからです
ほんとうに大切なものはもっともっと奥にあるのです
私たちを捨てた父が死んだ。 腹違いの妹をのこして― 「すずちゃん、鎌倉に来ない? 一緒に暮らさない? 四人で」 マンガ大賞2013受賞作 映画化 「あの子は妹は妹だけど、あんた達の 家庭を壊した人の娘さんなんだからね?」 父が死んで、 鎌倉の家に、腹違いの妹がやってきました―
『海街diary』 家族を捨てた父が、のこしてくれた家族。
秀作。 おそらくは広瀬すず最初で最後の最高の演技です。 その年齢の圧倒的な純粋さを見ました 名声を得たり有名になったりしてしまうと、 人は簡単に変わってしまうものです。 “精神が見えてしまう” というのは誠におそろしい どうかそうならないことをマジで祈ります
素直さがどこまで続くのか
これは舞台に立つ上でもっとも必要なことだと思う。 わたしたちは、知識を得てしまうと ずる賢くなってしまうものなのです だから、結局は自分次第。 自分を見失わないことだとおもいます
さあ、感想いってみます! 最初に最高の台詞からw 久しぶりに出し惜しみなしですッッ
すず「いきます」
その台詞はすごくすがすがしくて、 人の決意のうつくしさが見えました 文字にすると嫌われるかもしれませんが、 純粋だからこそ《生きてる》と感じたのです この映画のすばらしさは《すなお》だとおもいます 姉妹全員が擦れていないことです それぞれがそれぞれのスタンスでいること やらされている姿じゃないことです たぶん、わたしたちも、そんな姿で毎日いられれば すなわちミラクルなのだとおもいました ちょっと泣きました
ここからは超個人的意見ですw まず、思ったのは… 《こんな四姉妹 現実にはいない》 明らかに出来すぎだッッ(爆) こんな四姉妹がいたら即座に姉妹デビューできますw こんなのが… そこらへんにいてたまるか!! 笑笑
フラれ続ける長澤まさみ。 ないない
すずに問う長澤まさみ。
「好きな人できた? クソつまんない仕事も耐えられる。 世界が変わって見えるよ??」
恋ってそんなものだっけ!? 言動が猥雑だと性格も下品に見えちゃうね この映画では長澤まさみ扮する佳乃の怠惰さが どうしても目に余ります 笑笑 あの怠惰、絶対リアル漏れてる(爆) あんなに気だるそうに見えるっていうのも 天性の才能かもしれんw
これは、映画なんですッッ 笑笑 しかしどうだ。 長澤まさみにしても綾瀬はるかにしても、 夏帆ちゃんにしても、いずれも女優としてのスタンス を確固としている者たちです。 いずれも問われれば《演技》と呼べる人だと思う。 ここにこそ方向性が現れます。 説得力はここからでしか紡げません。 ちやほやされるのはアイドルだけでじゅうぶん。 俳優とは役者なのです ウソをほんとうにするお仕事。
それをフツーになじませている映画でした
各人を見れば明らかにどこにでもいる人材じゃない。 でも、それをフツーに見せていることがすごい そうおもいました そこらへんの田舎で生きていると思えるのです! 色眼鏡で見ず、それを見れるというのは ものすごいことなのではないでしょうか―
これが映画、スクリーンでのフツーです だって、芸能人は芸能人なんだものね
とにかく完成度が他界ww 見に行ってよかったッッ 演技力だけでいえば、完全に大竹しのぶでしょう。 ほんとうに、そんな母親に “見える” のです!! 母親像をあれほどまで見せられる演技。 正直、鳥肌が立ちました すごい
まるで《その人》として見れる
これは超一流の為せる技、技術でしょう。 自分を超えてその人に成っているのです 明らかに “大竹しのぶ” じゃない ここに行き着くというのはどういうことなのか。 甚だ興味深いものがあります わたしも同じ舞台人です。 頭でわかっていても、ダンスがそう見えるかどうか 映画は興行なので、どうしても見た目の存在から 量ってしまいます。 これは見られるモノとして仕方のないことでしょう。 だからこそ内実が問われるのです。 内実がなければ物語は見えてきません。 一人のおかげでぶち壊しなんてことにもなり得る、 そんなパッケージな世界です。 そして、演技が上手いというのと集客とは別問題。 事実、今の世では見た目が第一です。 だけど行き着く先は同じ。 そのどちらともができなくちゃ活躍なんてできない。 興行ベースではおのずとそうなってしまいます。
正直、よくもまあこの四人が揃ったものですよねw どう見たって “おかしい” はずなのに おかしく見えないのです
それは是枝監督の為せる業だとおもいます じーんと来る映画です
どんな時間も幸せに感じる、そんな映画でした
内容は是非とも映画みてくださいw ぜったいそっちのほうがいい(爆)
◎わたしの2015年、最高の映画です◎
今日は手術執刀医による診察日でした。 今回はCybexに臨んでいないので純粋に診察のみ。 筋力測定、数値評価のない診察など楽勝です。 左膝を診ながら先生は唸りながらこういった。
Dr. 「8月から徐々に平泳ぎしていいよ」
〜もうやってたよ〜
徐々どころじゃないのは伏せときましたw ただ、気になったのは そう言ったとき ドクターの眉間に、 かなりのしわが寄っていたことです!!
〜もしかして危険だったか〜
先走るのもほどほどにしよう。。 何事も一事が紐なしバンジーですッッ 診察後はいつものリハビリ施術へ。 今日は理学療法士による評価記述が目に入った。
【深屈曲位weak】
上記が正しい記述なのですが、 真逆からチラ見だったから脳内変換こうなったw
【涅槃境地weak】
そりゃまさにWEAK!! 間違いないッッ(爆) ゾッとしました 頭の回転が速いって諸刃の件です もちろん。 後で見直しましたともw
そんな評価ありえんだろッッ 笑笑
しかしマッキーなら書きかねんともおもったのです― ◆深屈曲位:最も深い屈曲のことですね。 っていうかその下にさらに妙な評価を発見しました!
【右肩下がり↑】
この記述にはさまざまなツッコミが可能です さすがはマッキー。
これが俺の人生評価だったら末期だわ
こんちくしょうめ!!(爆) その記述の解読には少々時間がかかりましたw 頭の回転が速いって何気にCONFUSIONッッ ◆右肩下がり:そもそもわたしの患部は右肩です。 右上半身から頭蓋にかけて全力で骨折した6年前。 おそらくその状態、バランスの悪化でしょう。。 その記号が “↑” なんだろうけどさッッ!!
それ、超わかりにくくない!? 笑笑
右肩が下がって(↓)上がってる(↑) こりゃあ混沌です!! 一瞬で理解できるほうがすごいw まるで旗揚げゲームだ! 「赤上げて、白下げないで赤下げる」やめろーーー 俺はマッキーに問い質しました。
ま「そんなこと、言われるまで 考えてもみませんでしたよ 笑」
まあそうだよね、そんなヤツですよね。 問うた俺がいかんかった―
最終的には深屈曲位のトレーニングに至ります。 でも先週からずっとこれじゃん。。
本当に深屈曲位WEEKでしたッッ(週)
そりゃまさにWEEK!! 間違いないッッ 涙涙 さすがにマッキーも笑ってくれましたね。 きっと相当バカにされていることでしょうw
でも毎日をたのしくしないとやってられないんだ
どうせ苦しいのならたのしくいたいんだ!! これほんとによくわからない努力です― 他の人からすれば努力にも見えないものでしょう
でも、生きていく上で とても大事なことではないでしょうか
プール自主トレ。 初心者レーンで疾風怒濤の1000mをこなす日々。 この頃には完全に独壇場でした。 まず。 他にビート板バタ足で1000m泳いでるような 輩はいません。 皆無w 泳げる人たちにとってみればビート板を使うこと自体 に抵抗を感じてもおかしくありません。 正直、疾風とは程遠い速度です(爆) そんな中で筋持久力をつけたわたしは、もう、マジで 休みなく 1000m 泳いでいました。 終始ビート板バタ足で。 絶対無敵のリハビリバタ足を展開していたのです。 ◎そんなわたしにこの日とんでもないことがおきた◎
同じビート板バタ足で、女の子に完敗
そんなバカなーーーーーーーーーーーーーーッッ!! しかしこれは、どう見てもスピードが違う。
そのバタ足には体中の気迫がみなぎっていた
一目見ただけでわかる。 “根本” が違う その女の子と自分を比べたら、 俺のバタ足はおおよそ惰性バタ足にしか見えん!
なんてこった
自分でも信じられませんでした わたしの最大の武器は《休まないこと》 断続的に進みつづけることです とにかく速度が遅い自分にはこれしかない 女の子は明らかに経験者です。 そうじゃなきゃ女の子に負けるはずがない! ここでこんな人物が現れたのも何かの啓示でしょうw なによりもバタ足だけしてるなんてようなのは この二人以外いません!! 笑笑 一目見ればわかること、それは―
《キックにあからさまに意志力がある》
意志力というのは “見えてきてしまう” ものなのです “見えてきてしまうもの” とは “その人” です これは、いわばダンスそのもの ここにこそ意識を払わないわけにはいきません。 すべてはそれとともに伝播するものだからです。 これまで相手がいなかったことで、適度に、 テキトーに泳いで満足してしまっていた― これはいかん。 このままじゃあいかん。 女の子に負けたのも遺憾です! 決してテキトーに泳いできたつもりはないのに、その 瞬間、自分の泳ぎが《テキトー》になってしまった わたしは女の子に声をかけました 悔しかったからです そして25m競泳を挑みました 女の子は言った「いいですよ」 突然始まるビート板対決。
【タイスケバタ足 vs 女の子平泳ぎキック】
人生で大切なことは一生懸命やって結果を出すこと その次に大切なのは一生懸命やって負けることです
わたしは負けました
最後の5mくらいであっさりと
人生は、、あまくない。
| 2015年07月17日(金) |
佐賀県からのおくりもの |
早朝。 超重たい箱詰めが届きました― って何これ?? 何も頼んだおぼえないよ?? われもの注意!? ますます謎ですッッ 出所が何なのかまったく思いつきま… (依頼主)佐賀県観光連盟 (出荷主)友桝飲料 小城工場
《ロマンシング佐賀2》かーーーーーッッ(爆)
すぐさま開けましたわ。 中には一筆ありました。
このたびは《ロマンシング佐賀》スタンプラリーに ご応募いただき誠にありがとうございました。 厳正な抽選の結果、あなた様がご当選となりました おめでとうございます。 商品の《友桝飲料 サイダー詰め合わせ》を お送りいたします。
佐賀県へのまたのお越しをお待ちしております
スタンプラリー当選したーーーーーーーーッッ 笑笑 ◎一騎当千の気分です◎ 2015年。むちゃくちゃ佐賀メグった報いきたw なにしろあれから手術に入院で、、 いやあ、誠に記憶の彼方でしたww 詐欺にでもひっかかったかと思っちゃったよ!
すいません佐賀県ッッ
せっかくですのでサイダーも紹介します☆ 箱に入ってた、全部。 人生初モノでした!!
創業明治三十五年 スワンサイダー n.e.o. Spicy GINGER COLA 美味 爽快 マスクメロンサイダー 完熟 マンゴーサイダー Frula THE JAPANESE MARBLE DRINK (fruits flavoured gourmet soda La france) おともだち飲料 こどもびいる (初恋+青春・壱弐十%) 刑 12本
いやあ凄い。 ほんとうに凄い。 感動です あ、そうだ。 ソーダだけに! 今まで思ってた疑問も発表しておきましょうw この手のネーミングでどうしても不穏に思うのは、 フルーツものです。 ドリンク系 七不思議
“完熟” なのに “無果汁” ってどういうこと―
いつもとっても複雑な気持ちになるんです。。 そんなのは、わたしだけでしょうか… しかし、それを置いといても胸がときめきました! たしかに初恋&青春気分かもしれんww 見たこともないソーダ群。 全種ならべてみると、、甚だ壮観ですッッ
さあ話を当選にもどします! 厳正な抽選で当選― なんてのは… そう。 去年の入院中に全国レベルで当選した、 YOGAプライベートレッスン以来の快挙です☆
そんな快挙も長い入院の間に期限切れ… 正反対の快挙も経験しました(爆)
まったくもったいないことをしたものですよね。。 面白い展開になりそうだったのに― そういうわけで、物品ならまるで問題ありませんッッ
◎生きてるだけでまるもうけです◎
ありがとうロマンシング佐賀!!
もうひといきじゃ! 佐賀に力を いいですとも!! 笑笑
こんな日はもう二度とこないでしょうので、 SAGA FRONTIER2からの台詞でしめてみます! ちょっと長いけど、、 物語だと意外とすんなり身に入るものなのですw
皆さん、我々はようやく、ここにたどり着きました。 世界中の人々が集い平和のために力を結集したのです。 しかし、ここに到るまでには多くの汗と涙が流され、多くのアニマが失われました。 この尊い犠牲を忘れてはなりません。 そしてまた、この平和は多くの先人達の労苦に負うものでもあります。 特に、このハン・ノヴァを建設したギュスターヴ公は鉄と技術で新しい時代をもたらしました。 皆さんの中には、ギュスターヴ公はそれまでの秩序を破壊し、戦いと混乱を招いたとお思いの方もあるでしょう。 しかし、ギュスターヴ公が我々に教えてくれたのは人間は自分の意志で、自分の思うものに成れるのだということです。 人がいかにあるかは、生まれやアニマで決まるのではないと、身をもって示されたのです。 また、ギュスターヴ公の周りでは多くの人々が、公を支えました。 ギュスターヴ公のような人物でさえ、友を、信頼できる仲間を必要とするのです。 我々ならば、なおさら協力が必要なのです。 本来ならば、この場に立つのは父チャールズでありました。 私は不才ながら、全力を尽くして、この条約を守り抜く覚悟であります
一生懸命あそんだゲームが佐賀県とコラボだなんて ほんとうに面白い体験でした。 なんたってゲームと県の正式なコラボです。 下手すりゃ、人生でもう二度とありますまいw 当選したのも何かの縁。 こうなったら宣言しておきましょう!!
わたしも不才ながら、全力を尽くして 自身のダンスを守り抜く覚悟であります
2015 佐賀。 めちゃくちゃ楽しかったです☆
おめえ、生きてんのか 死んでんのか 俺と一緒に来るか?
『バケモノの子』 キミとなら、強くなれる。
あなたは知らない。 人間の世界とは別に、 バケモノの世界があるということを― ひとりぼっちの少年 九太 暴れん坊のバケモノ 熊徹 ひょんなことから始まった おかしなおかしな師弟関係
背景は現代と江戸時代なファンタジー交錯でしたが… その完成度はものすごいものでした― 日本人ってほんとうに “刀” が好きだよね?? これも侍の国だからでしょう 笑笑 武士道の精神が今なおやみくもに内蔵されているのだ わたしたちのカラダには!! もうこればっかりは仕方ない 笑笑 トムライJAPANッッ☆
「あんなヤツでも今まで 九太の親代わりのつもりだったんだよ」
「決着をつけなきゃならない相手がいる。 勝てるかわからない」
「九太は自分じゃ一人前のつもりでいるが、 今はまだ誰かの助けが必要なんだ!」
ひとりぼっちの不幸な少年が、強いけれど身勝手な 独り身のバケモノと出会い、修行や戦いを経験するう ちに、いつしか本当の親子にも負けない強い絆を得る 物語。 その監督の言葉通り、本当にその通りに出来ており、 正直、映画の完成度は群を抜いています。 しかしながら、その完成度が高ければ高いほど、 嫌な感じがしたのもたしかです エンターテイメントとして “売り” に来てる感が凄い これもあまねく人にみてもらいたいという根底では ありましょうが、なんかすごいイヤだった
今の世の中、たいがいそんな感じだからです
売れるためには、人目を引く為の工作が不可欠。 ええ、ええ、わかります 大事ですよね― でもそんなに売らなきゃいけないの??
気持ちわるッッッ
いい映画であればおのずとそうなるだろうに!! ぜったいに人がほおっておくわけがない!! なんか妙に出来すぎてる映画とおもったのです。 完成度が高すぎるからこそ気持ちがわるいのです。
だけど、そういうものを通り越して泣きました
こればっかりは理屈じゃないので仕方ありませんw やるな監督!! こんちくしょう 台詞はこれでしたッッ
「胸の中の剣になる!」
熊徹はマジでダメさだけしかありませんでしたが、 ストーリー上、心意気だけは本物のはずと思ってた。 でも、生活を通してひとつも見えてきませんでした もちろんまったくないわけではなかったのですが、 その強度が極めてフツーだったのです 最後だけ見せられてもどうにも納得いかない。 映画が終わってそればかり考えていました。。 なぜなら熊徹が終始かっこわるいからです。 あれだけかっこわるくて “強い” ってんなら、 その強さはただの “才能” でしょう。 実は、人生に目標がない件なのです!! 今わかった! 熊徹には心意気自体がなかったんだ さあてそういうわけで、やっと結末にいけそうです! この映画は、まるで目標のなかった熊徹が 最初で最後の本気《九太の剣になる》物語でした この作品で最も興味深いのは熊徹です。 視点が九太なので、九太を追ってしまいますが、 実のところ、一番成長したのは熊徹なのです 自分のためだけに生きてきた独り身の熊徹が、 初めて身を挺して誰かのために行動したこと。 大人の物語です
絆は血じゃない 時間だとおもった
この世は何者かであらなきゃいけないような世界です 何者か、言えなきゃ信用されない社会だからです 子どもならまだしも、大人なら絶対です でも、ほんとは、、 何者かでなくたって生きていていいはずです! だけど “生きているだけ” では悩みが絶えません。。 わたしも学生の頃は特にそうでした 今だってそうですけどw
どうしてなんでしょうか そして、《何者》って一体なんなんでしょうか
なぜ、生きてるだけじゃ信用されないんでしょう?? 誠に不思議です 面白いことに、《何か》をやっている人、 もっている人には、自然と《自信》が見えます。 目標や指針が人を強くするのでしょう。 いいや間違えた! その目標への《努力》が人を強くするのです 一つはこれでよしとしてッッ 《何か》の謎はどうでしょう!?
やっていることが人に受け容れられるものなら → すごい人 人に受け容れられにくいものなら → 変な人
なんということでしょう 第三者の主観でいきなり二分ですッッ(爆) 受け容れられるって何でしょうか。 それは役に立つことです 受け容れられないって何でしょうか。 それは役に立たないことです こうして考えてみると疑問が浮き上がります。
役に立たなきゃ評価されにくい
これが人社会の実態です。 ああ、評価。 ほ〜んと気分が悪くなる言葉ですね 評価を受けなくちゃ生まれない自信。 これこそが人を生きにくくしている正体です!!
実は《自信》は自分でつくりだすことができますw 自分で自信をつくること 生きていくことは親から与えられるものですが、 自分で生きていこうとする自信はどうでしょうか
◎もう一つの胸の剣は自分でしかつくれないのです◎
| 2015年07月07日(火) |
「宇宙兄弟(25)」 |
数少ない全巻収集中のマンガですw 退院して、最新巻を読んでないことに気付く!
『宇宙兄弟』25 南波六太 宇宙へ! すべての出会いが夢へとつながっていた
下手したら毎巻、泣いてるかもしれないッッ でも、それほどの何かがこのマンガにはあります。 それは、主人公たちの意思や その方向に伴うと、 きっと “どんなことも大切だ” ということのような 気がするのです なぜなら登場人物すべて自分と向き合っていない 者がいないからです
打ち上げ前日。 六太は宇宙飛行士と一般人の、 ロープで隔てられた場所で父親に問われます。
「どうだ六太 このロープの “そっち側” は?」
過去、弟を父親と同じ場所から見送っている六太。
そーいや… あん時の俺は― ロープ一本の向こう側が やけに遠い “憧れ” に見えてたっけ…
「こっち側に立ってみると意外と冷静なもんでさ “使命感” みたいのがちょっとあって、 あとは全部― “楽しみたい感” だな」
驚きました その台詞はまったく自分にもあてはまります!! 伝わらなかったとしても 受け取ってさえもらえなかったとしても そこまでにやってきたことは決して小さくありません 信じて全力で取り組んでいない日はないのです この “楽しみたい感” というのは、 わたしにも本番直前におとずれます ギリギリまでどうやったら最善をつくせるか それから解放される瞬間は、直前しかないからです
できることをすべてやったとき
そうじゃなかったらきっとそんな気持ちにはならない んじゃないか。 そう感じるのです 天命を待つというのは、 もしかしたらそんな気分のことかもしれません 今ふと浮かんだことですが、 死ぬときも同じことができるかもしれない できることをすべてやれた、やってきたとしたら すくなくとも、してきたことには後悔がないからです 舞台に立つこととはそんな縮図ともいえます なぜなら本気で取り組んでいないことがないからです もしそれを続けられたら、
死ぬのも楽しめる気がします
やっぱり《自分が今できること》 これがすべての根本にあるのだとおもうのです
打ち上げ直前。 ロケットに乗り組んだ六太は、カウントダウンの最中 弟の言葉がめぐります
「隠すなよ 心で祈ってたって叶うもんじゃないだろ」
これは今ここで書いていても拳に力が入ります ほんとうにその通りだとおもうからです 行動している人はいつだって輝いています その人を間違うことがないのです わたしは自分の進むべき方向が見えたとき、 一気に未来がひらけたとき、 かならず不幸に見舞われてきました だからこそ、知っています
どんなこともダンスにつながっていること そして、踊ることだけがダンスではないこと
それをこれまで出会ってきた人たちが おしえてくれました
わたしはそれをどうにかして現出させたい そうおもっています
| 2015年07月06日(月) |
「おはなしの種おろし」 |
モサポンに誘われて行ってきました!
まきとよしの 『おはなしの種おろし』 〜大人のための “音” と “絵本” の読み伝え〜
絵本はこどもだけのものではありません。 絵本は読んでもらうものでもあります。 絵本はアタマで読みません。 絵本はこころの耳で聴きます。 絵本はこころのスクリーンで観ます。 よしが読み、まきが音と歌を奏でる。 おはなしの種を誰かのこころにおろします―
ちなみにモサポンのモサは猛者のモサですw 強撃。 さて、会場はカフェ。 狭い催しでした リアル余裕のSOLD OUTw しかし、だからこそものすごい期待がありました! わたしも狭いところでダンスを踊っているからです。 何かが、次のビジョンが、見えるかもしれない!
そんなわたしでしたが、、 もう全然。ぜんぜん想像力足りていなかった
近いからこそ伝わる、圧倒的な何か。 何気ないフツーの声が、物語が、歌が別次元です!! 想像力とかそんな言葉のものじゃない、 感じたことのない気持ちが押し寄せました その後半は駄駄泣きしていました 涙が止まらないのです
なぜあんなに泣いてしまったのか ほんとうにわかりません
感動って一体なんなんでしょうね?? それまでの経験では測れないものじゃないのかな 予測なんてできないもののはずです 今の自分の状態や精神もあるでしょう 事実、わたしは自分のしたいことがまだできません その悔しさが引き金だったとしても、問題は中身です
それは、自分が描き出したい空間そのものでした
あらためてその舞台のことを思い出すと、奇妙です 不思議なほど まき&よしさんは自然体でした “何か特別なことをするんだ” みたいなものがない。 淡々と物語がすすんで、 それにピアノ弾き語りが寄り添っている そんなステージだったのです
自分に重ね合わせてみると大きな差異を感じました まず最初の時点で、 “特別なことをしなくちゃいけない” が掛かります みなさまに見ていただくことに、お金を払っていただ くことに誠心誠意向き合うとフツーではダメなのです したがって、その準備も甚だ膨大です どうやったら伝わるのか どうやったら受け取ってもらえるのか 焦点はどこなのか 流れをどうするのか それこそ死にものぐるいのように当日まで ガタガタ震えながら毎日をすごします 伝わらなかったらどうしよう 受け取ってもらえなかったらどうしよう そんな不安と葛藤を通り越しての本番なのです 誰かにつくってもらったりできない 自分のステージとは、常にこんな気持ちです
もちろん同じおもいが彼らにもあるはずです 本番はいつだっておそろしいものだからです だけど何と書けばいいのでしょうか そんなものが かるく “考えすぎ” だと気付かされるステージでした
絵本が読まれ、追随する身の丈の弾き語り それは決して大きなことではありませんでした “身の丈” というのがぴったりきます これこそがこの空間を生んでいる源じゃないか そうおもったのです
大きくすることが感動をうむわけじゃない
大きな舞台で踊ってみればわかりますが、 力はいくらあっても足りません 客席の最奥までエネルギーが届くのか カラダ全身で踊るというのはそんなことです そのために、それができるカラダをつくること 精神論以前にフィジカルです ダンサーは毎日ここにこそ時間を費やしています ですがどうでしょう このステージではこれが逆転してしまいます フィジカルなんかより、圧倒的にハートです 気持ち。 これがなくては狭い空間では成立し得ません 広ければカラダを酷使して技術を使えます ですが狭かったら?? むろん狭いからこその技術もあります
だけど、ほとんどこれじゃなかった
それは《秘密を共有するような空間》でした
人と人の近さが、そんなつながりを生むのだと あらためてわかったのです なまじヨガなどを学んで、先生たちがいうところ 「そのままでいいのよ」 これがそのまま展開されているような舞台でした
そのままのことがそのままつたわる
そしてそれが空間を満たして循環している
これはとんでもない発見でした やっている側だと、することに集中していて 空間のことにまでなかなか気付けません いち観客になってはじめてわかったことです
“そのままのこと” がどんな空間をうみだすか
それは、とんでもなく静謐な空間です みんなが耳を傾けて、みんなで聴いているのです みんながひとつになっているような そんな感覚でした
踊りたい そうおもったのです
| 2015年07月04日(土) |
増えないやる気は存在しない |
その日、リハビリ室受付嬢O神ちゃんは言った。
「今日は多いので(患者数が) 死ぬ気で自主トレしててください!」
いきなり度肝を抜く一言でした。 だって “死ぬ気” って、絶対やりすぎでしょうw 施術中のマッキーにそう言われたよ、と報告し―
「じゃあ仕上がりに期待しときます!」
しまったああああああああああああああああああああ なんてこった
こうしてわたしは自主トレに手が抜けなくなりました
さすがはマッキーです。。こんちくしょう!! いつだってふっかけてきやがるのだ!! とんだ墓穴です!! そして、かるく3時間が経過。
集中力がキレた(爆)
集中が切れてくると回数があやふやになってきます。 何かに気をとられたり、考え事をしてしまったときや 集中力とは別に、カラダの部位を意識したときにも、 その疑問は突然襲ってきやがります!!
“あれっ!? 今 何回やったっけ??”
これは、世にも恐ろしいトレーニングあるあるですw こうなると回数は漠然と増えることになります!
数えた覚えのない回数を、数えたことにはしない
疲労感からすると、回数こなしてるはずだがッッ 筋力疲労から回数が逆算できたとしても増やしますw こうして自分に課した回数は増えていきます。。
増やさなかったことがないのです
ふとそのことに気付いたとき爆笑してしまいましたw 折に触れ、アスリートたちに尋ねてみた。 果たして回数を増やさなかったときがあるのか??
誰一人、増やさなかった人はいませんでした
そんな世界ですw なによりも自分のためにやっていること。 そのことに対して不真面目な人間などいないのです。
自分のやるべきことを絶対に曖昧にしない
そしてわたしはダンサーなのでもうひとつの大切な 観点があります。 それは《意識が通っているかどうか》 単純に筋力だけなら回数をこなせばいいのですが、 “回数だけ” というのはまるでやる気がおきません。
意識が伝達されているか
すべて意識からでなくてはダンスにならないのです。 わたしはやはり、分けて考えたくないのでしょう。 これがいいことなのかわるいことなのかは わかりません。 効率という点ではたいへん悪い気もします。 ですが、すべてはここにつながっています。 これが “わたし” なのだとおもうのです
「ちゃんとカラダには現れてますよ」
マッキーの一言に胸を撫で下ろしましたw なにしろPTはカラダのプロ中のプロです。 アル中じゃあないんですよ!!(爆) 自分じゃわからないこと、はっきり伝えてくる人物。
◎最高のダンスへの 最高の手がかりです◎
さて、今日は朝8時に自宅を出て、施術は12時。。 ドツボに嵌った日でした… そんなわたしの次の施術患者は藤野さんw 藤野さんは10時すぎ、余裕の来店です!! えーっと、てことは10時までの間に、、
マッキー担当患者は俺以外いなかった―
なんということでしょう わたしはそれを知ったとき異常に疲れました 笑笑 (※そんな藤野さんでさえ2時間待ち) しかし!! 受付でO神ちゃんにあんなことを言われなければ、 今日という日を乗り切れなかったとおもいますw どんなときも面白かったりけしかけられたり、 他愛ないことでも “人” を感じられれば、 がんばれる力になるのです。
そういえば、土曜日の今日。 集中力も絶え絶えに 自主トレ休憩中、会計前を通ったとき。 アンパンマンの眷族 ゆみちゃんが笑顔で言った。
「今日は早く来てくれたんですね!」
いや、ってか、、まだ施術呼ばれないからw どんだけ早く払ってもらいたいんだこの会計ッッ
2016年、いよいよ年を越してしまいましたw ◎あけましておめでとうございます◎ でも… ここではぜんぜん7月です!!
異常だな、、このblog
自分でもこんなことになるとは考えも― 予感はしてたよね。 うん、してたね。。 「タイスケさんのblog、 この調子だと… あと3ヶ月で終わるね! 追われすぎて自分保てなくなるよ」 って 絶望的な一言をくらった日もありました! でもそんなのも乗り越えてここに立っています 笑笑 そう、人知れず、地味〜に進んできたのです!! もう見えない努力にちかいかもしれません。
自身に驚いて膝がガクガクしているくらいですw
こうして去年のつづきに向き合っていると、 自分の記憶に圧し潰されそうになるのを実感します。 そもそも、一日一日をできるだけ面白く、 そして楽しく、覚えているような日にしたい。 そんな思いで続けてきて、このザマです。 しかしキーワードさえあれば思い出せてしまいます! これは《進化》ではないでしょうか? 昨日のごはんを思い出せなくても、 あのときのことが思い出せるんですッッ
信じがたい快挙かもしれん
でも、こんなのは誰からも褒めてもらえません。 個人の能力開発など知ったことではないものです。 さみしいことですよねw だから地味に。地味にここで披露していきます。 一日一日を一生懸命に生きたい 思い出せない記憶は書けやしないのです
新年を、いや、信念を貫こうじゃない☆
でも、2016年こそはもう限界です 踊ります っていうか、ダンスが踊れるようになったら、 そんなに更新もできないはずなのです!! ただでさえ更新できてないのだけれど!!
記憶に飲み込まれる前にダンス復帰
どうぞ本年もよろしくお願いします。 ダンス、絶対見に来てねw ◎いよいよみなさんの記憶に挑戦していきます◎
新年のご挨拶が夏前にはできるよう 記憶をふりしぼっていく所存です
正式な挨拶はそのときにw では、改めまして2015年7月へ― ガビーン
2015年 7月 2日。 ◎今日も通院リハビリです◎ 施術も終わり、トレーニングフロアにて。 促通(そくつう) その漢字を教えてもらうまで、 わたしのなかでは《即痛》でした― 殴 それは、まるで地蔵になるためのトレーニング☆ 座位で姿勢を正したところから、 右頭と肩から左脚方面に向かって手で押されます。 その押される力に逆らって、全力で姿勢を維持する。 もう、地蔵のように耐えるのです。
病院でなければ、何をやっているか 理解されることはないでしょう
本気で取り組んでいるからには、 本当に地蔵になってしまいそうです!! ◎実は、これがおそろしく歩行に影響します◎ その効果は絶大で、明らかに脚が軽くなるッッ 手術したのがウソみたいです☆
地蔵トレ半端ねえ 笑笑
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