断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2014年11月29日(土) 「星空からのメッセージ展」

近況にコメントしてくれた友だちに、
コメントしてくれたコロちゃん。
コロちゃんコメントはタイスケ無関係でしたw
こんなコメント会話の進展もあるんだな、って。

 度肝抜かれました

ネット接点ではこういうのが許されるんですね!
もう、ぜんぜん知らなかった〜 笑笑
さぁそういうわけで、
コメントにあった新カフェに行ってみました。
その途中、誰かのサイン会やってた。

 『星空からのメッセージ展』 大宮エリー
  これは歩くプラネタリウムです。
  星たちの間を歩きながら
  惑星に腰掛けたり
  月に寝そべったりしながら
  星の、月の、流星群のメッセージを
  読み進めながら歩くことができます。

今日は、その《初日》だったのだw
カフェに入るとかるくコロちゃん発見。
いきなり発見。

 コロちゃんは大宮エリーの大大大大大ファン
 全国各地どこまでも追っかけてるレベルのw

そう、サイン会にいないわけがない。
展示会初日にいないわけがない。
コロちゃんにとっては《あたりまえ》でも、
わたしにとっては《テキトー》ですw

 なんだろう… この違い(爆)

さぁそういうわけで、2
展にも一緒に行くことにしてみました。
こういう機会でもないと行くこともなかろう。
わたしはまったく知らない領域です。
そんな領域のことをコロちゃんに尋ねました。
コロちゃんは大宮エリーさんの全出版物を
全てサイン入りで持ってるくらいです。
貸してくれたら手っ取り早い!

 「何で貸さなきゃいけないんですか?」

いきなり断られましたw
わたしの周りはシェアしてくれる人たちばかりだった
のでこの感覚は久しくわすれてましたね。。

 この世には共有したくない人もいるのだ

で、そのところを話しながら、
(いつもは話してくれない話そうとしない)
(話してくれたのは大宮効果だと言えそう)
“不思議ちゃん” と呼ばれる人のことを考えた。
もしかしたらわたしもその一人と思ってる人もおろう
それを打ち破る為にもこの旅は避けられません。

《不思議》って《よくわからない》にちかい。
となると、主には自分のことを説明しない。
説明 “できない” 人についてはまた違うけれど、
ここでは通り過ぎてみます。
自分のこと、人にわかってもらおうとしてない。
自分のことだけでいい。

 ここから導き出されるは《自分本位》

わかちあわなくても自分の中でしあわせが見出だせる
これはいい意味でもわるい意味でもありますよね。
つらいことでも自分自身で決着つけられる。
心配なのは《ひとりよがり》の危険。

だって自分だけで世界のつじつまをつけるからです

人との関わりが薄ければバランス崩れるのあたりまえ
その人のことが理解しにくくなるのあたりまえです!
それに馴れてしまうと、他人のことを
“勝手に決めつける” ことにつながりかねません。
そういう人、たくさんいるじゃないですか。
やっぱり極端であればあるほど、
とっつきにくくなりますよね?
守っても、オープンすぎても。
でも極端だからこそ面白い場合があります。
それはArt能力に比例しているのを感じるときです!
コロちゃんにはコロちゃんの世界。
Artの世界がある。 コロちゃんの場合は《絵》
その絵には、まさにコロちゃんを感じるのです。
すごいとおもう
じゃあダンス。ダンスはどう??
コロちゃんは小さいコロから踊っており、
年月でわたしはかるく負けてます、たぶんw
いつもコロちゃんのダンスを見て、
技術的な側面がなかなか改善されてない。
引力、目が離せなくなるような引力です。
もったいない。 どうしても問いたくなる。
そのところを尋ねてみたらこんな返事がきました―

 「つらいことはしない」

かるくこんな台詞が吐けるのはたいしたもんですw
ある意味、むちゃくちゃ大物。
わたしにはまったく理解できない思考です。
ほんとうにわからない
見に来てくれる人の前でそんなもの踊れないからです
がんばってもないものを「見に来てほしい」なんて、
そんな失礼なこと絶対にできない
つらいことをせずに感動が呼べるんだったら
最初から努力なんてしません
簡単には得難いものだから努力するんです
わたしには到底そんな台詞言えやしません
そんな人が踊っていけないわけじゃありませんが、
これだけはどうしても対峙せずにはいられません。
ダンスを見に行くのは、絵を見に行くのとは違う。
そう思ってしまいそうになる。
絵を見るとき、どんなものを感じますか??
絵のむこうに《誰か》が見えるものというよりも、
絵、そのものに打ち込んだ情熱や執念を感じるものが
多くはないでしょうか。
目が離せない絵には圧倒的な《執着》を感じるのです
ダンスは失うものです。 一瞬一瞬でしかない
そこにこそ命を吹き込むべきもの。
そして何よりも、観客がある上でのもの。
踊っている時どんなものを受け取ってもらえるのか。
わたしたち踊る側はベストを尽くすことに
目を向けがちですが、その先があります

作品が完成すればいい、
自分がstageで踊れればいい、では終わらないんです

わたしにとって舞台はそういうものなんだとわかった
この旅であらためてわかったこと。
わたしには、
その先を感じながら踊る《意識》が要るんじゃないか
わたしが踊りたいダンスには!!
Bestを尽くすところを本番で挑戦するんじゃない。

Bestを尽くすのはその先の言葉にできないこと

わたしにとって、練習で「つらいことをしない」と
言えるのは “天才” だけです。
(天才でも努力してない人、見たことないけど)
だからコロちゃんも天才なんだとおもう。
そうじゃないはずがない。
これは嘘偽りない気持ちです。
是非それを舞台上で証明していってほしい

ダンサーが軽はずみに言えることじゃないんだものね

軽はずみに言えるものなら… 感性というより、
自分のことを知ろうとしてないだけなんじゃないか
自分の好きなように踊って、何も考えずに踊って、
それに誰もが感動してくれたらどんなにいいでしょう
自分だけが踊ればいいのなら
誰かと一緒に踊らなくていい
舞台で踊らなくてもいいじゃないか
人前で踊らなくてもいいよね
なぜ人前で踊らないと自己満足できないのか
なぜ他人の前で踊らないといけないんでしょうか
おそらくその答えは《舞台》です
舞台にはそれほどの憧れと輝きがあるんでしょうね

だから、だからこそ、
舞台は汚すことができない場所なのだとおもうのです



2014年11月27日(木) 祝退院!カレー鍋PARTY

伝説のカツカレーPARTYから9日目。
今夜はカレー鍋です!!
◎カミーユ手作り鍋PARTY◎
お招きに与りましたッッ
って、こないだからカレーに縁ありすぎじゃね??
そもそも招待されるまでにドラマがありました。
まずはそのくだりからw
リハビリ中のわたしですが街に出れるまでに成長。
k野さんがいつも勉強に勤しむ某カフェを通ったら
別の人物が釣れた 笑笑  カミーユ発見。
とはいってもノートに向かっていたので、
確認までは至らず。 横顔だけじゃ心もとない!
確かめる為、メッセージを送信。
しかしぜんぜんiPhoneを取る気配がない。
うーん、、別人だったか。
20分後メッセージ受信「いるよー」
本人でしたw よほど集中し…って遅ッッ
〜このニアミスがカレー鍋に進展〜

そういうわけで警固へ出発。
ガッツリハビリに励んだあとの松葉杖サバイバルw
帰りは夜間歩行になるため松葉杖装備です。
転倒などの万が一はわたしにはゆるされてません。
意外と遠かった―  いや、違うなw

 松葉杖だから遠いんだ(爆)

てか、金曜 人間多すぎッッ
もう進むのが本当に難儀で。。
特に、見えない段差!! 足が取られる!!
段差段差段差段差段差段差段差段差段差あああああ
自分としては歩くのに苦はない性分です。
リアル現在そうとう苦w
地図見ても、まあこれくらいなら数分で。
いけやしないw

 どうしても歩ける自分で計算してしまう!!

こんなはずじゃなかった― 街リハビリ甘くない!
my歩行速度は遅くなる一方です。。
メッセージを次々受信。

 「今どこ?」から「迷子?」まで

ゆりかごから墓場まで、そんなものを感じました爆
ぜんぜん迷ってなんかいません。
全力で進撃してました 笑笑
そして辿り着いたカミーユ邸。
煮込みセッティング、完璧に終わってた(汗
目の前には血の池地獄みたいな鍋が横たわ―
えっこれ大丈夫!? マジで??
時間かかりすぎたか俺ッッ
みんなの笑顔が超怖いw もしかしてリアル地獄?
冷や汗を流しながらひとくち…

 何?このカレー鍋、超美味いッッ☆☆

度肝抜かれましたッッ
カミーユ邸に着くまでが困難だったからかな 笑笑
人間も動物ですw
やっぱリハビリ後は何食べても美味しいよね〜
ヨガ後の瞑想みたいなものでしょうか。
スッと消化!みたいな??

こないだの祝カツカレー会に行けなかったからって、
カレー鍋PARTY開催とか、もう天国みたいです!
退院したからといってまだまだリハビリ継続中の
自分に集まってくれる人がいる。

 こんなに勇気づけられることはないッッ

そんでカレー鍋の美味しさ半端ないし!!
この感謝、どうやって仕返ししたらいいんだろう…
◎自分にできるのは踊ることしかない◎
がんばろう自分!!

気が付けばかるく終電は終わってて、
テキトーなところまで歩いてました。
リハビリ。リハビリ。
って警固から吉塚まで歩いてた―(超実話
さすがに疲れたわたしはタクシー捕獲、
運転手さんにも褒められてしまいましたw
「三分の一は歩いてますね!」 笑笑
自分でもこんなに歩いたのは初めてじゃないの?
かるく3時間は経ってました(爆)
松葉杖のくせにとんだ大馬鹿者ですよねw
よし。最後は、カミーユがくれた一言で締めよう☆

 Gotta Be BAD.
 FAIL, FAIL AGAIN, FAIL BETTER / Camille

今の自分にピッタリすぎ…(滝汗
ダンスもそうだけれど、
生きることもそうなんじゃないかな



2014年11月25日(火) じんるいぶんのいち

ふと浮かびました
安藤ソラが自分を《11分の1》として考えたように、
わたしたちの考え方が《人類分の1》だったら―
人類として自分を理解したら…

 世界は変わるとおもう

だって 人類として恥じない生き方って何??
うわ、これ… 《人類》でかすぎるなw

考えた瞬間に《個人》が一気に遠い彼方へ!!
人類として世界に向かい合ったらどうなるの??
人類の代表です、人類の代表なんです。
下手なこと一切できなくなる。
自分本位の生き方が如何に傲慢なものかが “わかる”

 なんてこった

もうポイ捨てとか絶対できんッッ
原発だって考えないわけにはいかないぞ!!
核廃棄物 浄化のコロは 人類絶滅済。
って、問題を未来に先送りどころか人類いないしッッ
とにかく。まるで自分だけで終わりません。
世界がやってること、おそろしく戒められませんか?

 人類思考、そうとう使える(爆)

じゃあ人類というチームプレイで何ができるの??
そもそも、わたしたちは国家の一員ですよね…
人類ってなったらかるく地球レベルだw
貧富の差で争いが起こるのはたしか。
これを回避するには、みんなが隠遁生かt…
いやいやいや、それ不可能。
やっぱりなんとかしなきゃいけない。
みんなが生き生きと生活できる社会の構築。
生まれてから死ぬまで、安心して暮らせる世界。
これは人類永遠のテーマでしょう。
ところが未だに問題山積。
国家間紛争、宗教戦争、テロ組織の拡散。
世界は、人の意識は、一体どうすればまとま…

 ああ そうだ、進◎の巨人ですよ!!
 人類の《敵》が目に見えて現れればッッ

さあそういうわけで人類最大の敵は人類です。
世界に巨人なんていやしません。
巨人に押し付けちゃいけない。
自然災害が起きても争いはなくならないんです。
“そのとき” は手を取り合えるのに、なんで??
いろんな情報を見ても時間が経つと問題だらけ。
みんなが手を取り合って《生活》はできないのか。
現代社会では 人はまず自立しなくちゃ、
自信をもって他者と接することができないのでは?
支援を受けているだけでは堂々と生きられないのかも
堂々と生きるって何だ―

自然災害にしても当事者同士なら気持ち共有できても
ほかの人間に思いやりはあっても共有はできない。
これは病気やケガでも同じです。
わたしが「やっと歩けるようになった」とかと同じw
実のところ、誰もわかってくれやしません
だってみんな歩くのあたりまえだもの。
失わないとわからないものだもの。
かといってこれを振りかざすわけにはいかない。
いくら想像力で補ってもリアルには適わない。
可哀想。可哀想ってどんな気持ちですか?
上から見下ろす感じ??
同情からの行為なら、当事者はどうおもうのか…
あぁやっぱり詰みました

国連が世界最大の議決機関になりうるんでしょうか
世界の行く末はどうなるんでしょうか

やっぱり世界を考えたら詰みます。
わたしたち一人一人に焦点を当てるのが現実的です。
一人一人がしあわせになれば、
すなわち世界はしあわせです!!
そう考えれば考えるほど《こころ》の問題じゃないか
生きている社会が変わっていくように、
わたしたちのこころだって進化すべきです

 グダグダ不平不満を言ってる場合じゃあない

自分の身の丈で相手との関係をよくしようと努力する
世界は動かせなくても、自分の手の届く範囲だけは、
つまらないことで相手を否定せず、
わけのわからないことをふっかけられても、
◎人類のひとりとして出来る限りやってみようッッ◎



2014年11月24日(月) 「じゅういちぶんのいち」

退院してから、たまたま見た番組だったかな。
今読むべきマンガ、的なやつw
そこに某書店店員が現れてプレゼンを始めました。
「私がこのマンガを一押ししたコーナー。
 そのコーナーは片されることがありませんでした」

 『じゅういちぶんのいち』(全9巻)
  サッカーは一人でやるものじゃない

 勉強でも何でも
 それなりのレベルにいくのは簡単だ
 ただ真面目に 時間をかけてやればいい
 けれど そのレベルを越え、
 本当に高いレベルへと辿り着けるのは
 神様に選ばれた人間だけだ―

 サッカーの神様に選ばれた人間?
 俺はなんて馬鹿なことを思ってたんだろう…
 自分には才能が足りないんじゃない

 それを補おうとする努力が足りないんだッッ


おおよそサッカー漫画じゃなかったw
これは、たぶん人生に臨むための心意気の漫画です。
理由(衝動)があって何かに挑む。選択をする。
それをサッカーに関わることで見出だす主人公たち。
なにしろ毎回タイトルが登場人物の名前です。
ここからわかるとおり、その主人公の心中を深く、
丁寧に拾い上げる。 そんな作品でした
作者の人間に対する温かさを感じずにはいられません
人の情熱を信じているのだと思います
読めば、わかるッッ 笑笑


#5 水野由花
この回ではいつも感じていた疑問が解消されました!

 なんだ 水野。柄にもなく緊張してんのか?

 あたりまえでしょ

 緊張するのは…
 水野がこの日の為に頑張ってきた証拠だろう
 いい加減にやってきた奴は緊張なんかしない
 俺も試合前はいつも緊張しちまうんだ
 それまでの練習を必死にやればやっただけ…な
 でも本番が始まりゃ 努力は嘘をつかない
 だから大丈夫 水野はきっとうまくやれる

本番を緊張しないために毎日練習する。
かといってどんなに練習しても緊張しないことがない。
いつも不思議におもっていたんです(爆)
本番が “いつもの” ルーティンだったら、
緊張もしないのかなあ…
だけど、本番がルーティンじゃない以上は。
どうしてもそれまでの《時間》が凝縮してしまう
舞台は、あたりまえの場所じゃないからです。
どんな人の前でもかけがえのない時間にする努力。
その本番でしか踊れないものにする努力。
舞台にはいつも “これでいい” ってものがない
この台詞、素直に納得してしまいました!


#30 佐藤剛志(前編)
最終話。 安藤ソラの台詞。
わたしとしては通らざるを得ませんッッ

 もしかしたら…
 自分の力のなさに絶望する時が来るかもしれない
 あるいは…
 自分以外の誰かに
 自分の限界を見限られてしまうかもしれない
 でも…
 どんなに苦しい時も どんなに悲しい時も
 強い意志を持って サッカーと向き合い続けるんだ
 サッカーの神様がお前を選ぶんじゃない
 お前がサッカーを選ぶんだ

これって、進めば必ず突き当たる壁だと思う。
誰もが順風満帆でその場所に立っていない。
ダンスを遅く始めたわたしはこの連続でした。
誰もができること、かるく出来なかった。
子どもたちにさえ圧倒的に負けてた。
それでもやってこれたのは、

ジャンルに最初からとらわれていなかったから

ダンスを《ダンス》とおもっていたからです
どんな踊りもダンスなんだとおもっていました。
だから、その道筋で踊ろうと考えていませんでした。

自分のダンスを踊ること

どうしてそんなことを感じていたのか
今でも不思議におもったりしますw
たぶん、それは… 小さい頃から
ダンスの世界にいなかったからじゃないかな。
誰かにダンスはこうじゃなきゃいけない、って
言われたことがなかったから。
“自分らしく踊りたい”
自分らしくあろうとしたのが始まりかもしれません

『Choice』
自分の復帰ソロ公演(2013)のタイトルは、
正にそんな気持ちからのタイトルでした。
何かをしようとする《衝動》
《情熱》とも呼べるかもしれません。

選ぶ人間には、選ぶ強度が問われる

何度泣きをみてきたかわかりませんが、
選択。今のわたしには絶対に外せない言葉です
その度に乗り越えてきたし、
その度に強くなっていった。
夢の実現には、夢を見ようとしなきゃダメでした
今もこうして毎日リハビリに通うのも、
夢が続いているからです!
選ぶ人の世界は、選ばないと進めません。
何もしないで次はないんです。 あまくないw
そもそも毎日が乗り越えようとする連続(爆)
お、おわりがない―
そう。 これだから人生はたのしいんですよね☆


#17 御手洗恭輔(前編)
そしてその先はこれ。
この作品を通して一番好きな台詞の発表です!
それは、安藤ソラの台詞でした―

 「興味がないって切り捨てたら…
  そこで終わりだろ!?
  まずこっちが分かろうとしなきゃ
  相手だって分かってくれっこない!!
  違うか!?」

物事なら《興味がない》で済ませられても、
人間にはそうはいきません。
社会には《興味がない》で切り捨てる人たちが
ごまんといます。
だからこそ、人前に立つものとして
これだけは絶対わすれてはいけないことだと思います
◎どんな人とも必ずわかりあえる◎

 「俺は 諦めないよ
  俺はここで、チームの11分の1として
  このチームを強くしたいんだ
  他の誰が見限ったとしても 俺は絶対諦めない」



2014年11月23日(日) 「残響のテロル」

ある夏の日―
突然、東京を襲った大規模な爆弾テロ。
平穏なこの国を眠りから覚ました事件の犯人は、
たったふたりの少年だった―。
“スピンクス” と名乗る犯人たちの、
日本中を巻き込んだ壮大なゲームがいま、始まる。

 『残響のテロル』
 この世界に、引き金をひけ。

一息に最終回へ。 退院が引き金ですw
一気見してわかるのはゲームじゃなかったこと。
自分たちの《存在意義》の話です。
その裏には日本国、本物の独立国家として、とか
思想背景がおそろしく渦巻くその始まり。
人為的に天才をつくる実験で生まれた主人公。
ナインとツエルブ。 そしてハイヴ。
アテネ計画で生き残ったのはこの3人だけ。
他の子どもたちはみんな死んでしまった。
ナインとツエルブは命懸けで施設逃走に成功。
本人たちが自覚しているのはたった一つ。

 “自分たちに残された時間は短い”

実験で拓いた才能、その命が短命だと知っていた。
そんな中で自分たちが為すべきことは何か。
ここがこの作品、最大の焦点でした。
ナインとツエルブがテロを行う理由。
自分たちの存在を世に問うこと。
そして、つくられた人間であっても
この世に生きていることの意味を探したんだと思う
ほんとうはテロ行為なんてしなくてもよかった。
逃げ出せたことだけでしあわせだと言ってもいい。
それでもそういったことになったのは、
つくられたことへの怒りなんでしょうね。
自分たちの命の不安と、人を超えた能力の事実。
もしかしたらそれ以上に、役割を見出だしたのかも

 それを世界にぶつけたかったんでしょう

ここには共感をおぼえます。
わたし自身も手術の痛みで踊れないこと、
未来への不安を誰かにぶつけたくなるときがある。
怒り。 怒りは凄まじい力です
でも正直言って誰かにぶつけるのは筋違い
今はそんな想い、リハビリにしかぶつけられない
そして、これは自分のためだけです
ほんとうはもっと誰かのためにぶつけたい
人のために役立つことがしたい
人に必要とされたい
そんな場所に戻るために絶対必要なこと
誰かのために最低限絶対に必要なこと
自分が自分であるために。
わたしにとってはダンスになるのでしょう

 踊りに向かえない今は、学ぶしかない

人間の可能性や人間の幸福、人間の意思。
人間が人間らしくある、そんなあらゆること。
そんなわたしが個人的な想いをぶつけられるのは、
実はこの《blog》だけです
そう考えたら、ナインやツエルブと同じ気がした。

 このblogはわたしのささやかすぎるテロ行為ですw

第一話を視聴したとき。
この時世になんて作品つくってんだ!?
って本気で思いました。
なにしろ都庁の爆破から始まるんですよ!!

 この現代、かるくありえそうです

作品が世に出れば必ず影響を受ける人間が現れる。
ゾッとしましたね…
でもその犯行には純粋な目的があったんです。
たいへんに陰鬱な展開が続きましたが、
内容には驚きました!
『残響のテロル』で最も興味深かったのはハイヴ。
ナインやツエルブ同様、つくられた才能。
ナインとハイヴは演算能力からの判断力。
ツエルブに至っては見えないものまで見える。
story展開でハイヴは二人の敵として現れます。
そしてついにハイヴはナインの前に立ちました。

 「ナイン。 いつもアンタに勝てなかった。
  ずっとアンタに勝ちたかった。
  でもアタシに残された時間はあまりにも
  短かった…  アタシは、
  アンタのおかげでここまで生きられた。
  そう、アンタがアタシを生かしてくれたのよ…
  でもそろそろ別れのときが来たみたい。
  だから…アタシの分まで生きて、ナイン…
  さよなら、ナイン。 先に行くわね 」

あれほど陰険に、執拗に、ナインを狙ったハイヴ。
つくられて、理不尽にそうなったことに憤りを
持ちながら、それでも “生きようと” した。
ハイヴのその《生きようとした根源》は、
《ナインへの強烈な闘争心》。
その闘争心でナインとツエルブを追ってきたんです。
そして展開はその通りに。

 ナインを追いつめたときに命の時間が尽きた

嫉妬や憎悪、そんなもので覆われていたのに、
自分に残された時間がないことを悟ったとき、
自分と同じ、つくられた人間のナインを前にして
ナインに銃口を突き付けながら口にした台詞です!!
これにはほとほと度肝を抜かれました―
そのとき思ったんです

 《ハイヴはあり得る》

人間ってそんなものじゃないのか、って。
憎しみの果てには、もしかしたら
こんなことが待っているのかもしれない
そう思ったんです
生きることに《祝福》があるのなら、
こんな最期だってあるかもしれません。
これは《希望》と呼べるものだと思います
ナインとツエルブには隠蔽された真相を世界に
明らかにするという、目的があります。
そうすることが今というときの二人の存在理由です。
ハイヴも同じ理由をもっていておかしくない。
でもハイヴにはナインだけが理由でした。
そのラストは極端な邂逅でしたが、
極端だからこそ強烈に考えさせられました。

わたしたちは、自分から見ても小さなことかも
しれないことが自分にとってどれだけ大事な
ものか、わからないときがあります
それが壊れたとき、突然に相手を疑い出したり、
自分でさえも疑い出したりします。
たとえば《健康》がそうです。
わたしが仕事をしていたとき、
そんな人たちを看ていました。
そして自分でも、身を以て経験することに

 事故で自分自身を簡単に見失ってしまった

こんな自分に何かできることがあるのか
どうやってこれから生きていけばいいのか
他人のことなら考えられても、
自分に起きたことは全く別次元でした
自分のことがどうしても考えられなかった
抗いようのない不安
自分に囚われてしまったあのとき
それでも何とかしようとしたとき
わたしは《美樹さん》に会いました
美樹さんと会わなかったら今の自分はいません
でも、美樹さんに何かしてもらったわけじゃない

 美樹さんは全力で《生きようとしていた》だけです

ただそれだけのことが、
わたしにどんなに勇気を与えてくれたか
どんな小さなことも、決して小さなことじゃない
わたしはそれを美樹さんにおそわりました

だから、ハイヴのこともバカにはできない。
そう思うんです。
やってきたことが間違っていたとしても、
ものさしを変えれば、
《強烈に生きようとした》ことに代わりないからです
人間の歴史はそんな歴史なんじゃないか、
そう感じました

さあこの作品でサイコーにしびれた台詞の発表です☆
それはハイヴに捕まったリサを助けに行こうとする、
感情的なツエルブの台詞でした―
一番人間らしいとおもった人物はツエルブです

 ツエルブ「リサ!」
 ナイン「ハイヴだ… 間違いない!
     ツエルブ、待て!! これは罠だッッ」
 ツエルブ「わかってるさ…」
 ナイン「何でだ!?今度は前のようにはいかない!
     俺たちには時間が!!」
 ツエルブ「わかってるさ!!
      きっと… 時間がないから行くんだ―

時間。時間の感じ方
時間が有るとおもっているのか、無いとおもってるか
それは生きる《密度》と直結します
実際、わたしたちの時間は限られているんです

 ナイン「なあ、俺たちを… 憶えていてくれ
     俺たちが、生きていたことを―

もし、もし自分がナインだったら
同じことを言うとおもう。
この結末は《ありうる》そうおもいました

たいへん暗い話ではありましたが、
そもそも残された時間がないところからの出発です。
暗くないわけがないw
でも、これってわたしたちもまったく同じです。
命の時間を考えたら、生きることを考えざるを得ない
「あのときこうすればよかった」
そんなものを声にしないためには。

生きる意味をかんがえるよりも、何がしたいのか
やりたいことをすこしでもつづけていれば、
かならずそれが生きる意味をおしえてくれる
わたしは、そうおもっています



2014年11月22日(土) 「アンネの日記」(4)

いよいよアンネ最終回deす!!
今回も長いことになりましたが… 汗
これから先の余生で、アンネについて考えるのは、
あるのなら読書後しかないw
なんたって読破したわけじゃないんです。
かじっただけでこんななのだ―(爆)

 『アンネの日記』
 〜希望を抱きながら〜

隠れ家生活が2年近く続いていた1944年の春。 アンネたちを取り巻く状況は悪化。 逮捕されたら最後、どのような目に遭うのか... 隠れ家の住人たちも薄々わかっていました。 絶望することなく、厳しい現実に立ち向かっていたアンネ。

 「私たちは いまなお希望を、
  何事につけても希望を忘れてはいけないのです」

そこには《言葉の力》が働いていたのではないか― 隠れ家生活の終わりと、アンネにとって日記を書き続けることの意味がなんだったのかに迫ります!!

 アンネは、日記を書いている間だけは
 よろこびをキティーとわかちあっていた

空襲も激しくなり状況も悪化する中、ひとつのニュースがもたらされます。 ノルマンディー上陸作戦、このニュースは隠れ家のみんなに興奮を与えました。 オランダの解放も近いかもしれない! 秋にはまた学校に行けるようになるだろうか? アンネはそんな希望を抱きます。 ある日、隠れ家に大量のイチゴが届けられ、住人総出でイチゴジャム作りが行われます。

 「いつの日か、やっとまた世間に出られたら、
  毎日がきっとこのような気分なのでしょうね」

ささやかな喜びのとき。 アンネたちが密告によって逮捕されるまでこの後1ヶ月にも満たないのです。

 「実際、自分でも不思議なのは、私が今だに
  理想を捨て去ってはいないという事実です。
  今でも信じているからです―
  たとえ嫌なことばかりでも、
  人間の本性はやっぱり善なのだということを」

息がつまりました
それまでの苦しい毎日が文章に溢れ出していても、
そんなところにたどり着いていたことに

最後の日記は、逮捕の3日前に書かれたものが残っています。 そこには自分の中にいる2人のアンネについての考察がありました。 表に出ているアンネは快活で軽薄な道化。 でもその裏には深みのある繊細なもう一人のアンネがいる。

 「そして なおも模索し続けるのです、私が
  これほどまでにかくありたいと願っている、
  そういう人間にはどうしたらなれるのかを」

この文章で気付かされました―
アンネがどんなときも《自分がなりたい自分》を
見ていたこと。
その文章の引力の秘密は、アンネの姿勢なんです!!
目標のある人間がもつ圧倒的な魅力。輝きを!!

運命の8月4日。 この朝《ユダヤ人たちが隠れ住んでいる》という匿名の密告電話がゲシュタポに入ります。 そして8人は連れ去られてしまったのです。 みんながいなくなった後、ミープたち支援者はそっと隠れ家に入ってアンネが書いていた日記を拾い集めました。 日記には収まりきらず、様々な紙切れに書かれたアンネの日記を―
隠れ家の8人はオランダの収容所を経てアウシュビッツに送られました。 アンネとマルゴーは更にその秋、ドイツ北部のベルゲン=ベルゼン収容所に移送されます。 飢えと渇きと寒さの中で2人ともチフスにかかりアンネは幻覚に苛まれ、毛布一枚でいたといわれます。 マルゴーが冬の終わりに亡くなると、数日後アンネも後を追うように息絶えました... たった15年の生涯でした
それから間もなく収容所はイギリス軍によって解放。 ペーターもデュッセルさんもファンダーン夫妻もエーディットも…みな各地の収容所で亡くなりました。 生還できたのはオットーただ1人。 ナチスが行ったホロコーストの犠牲者は600万人といわれています。

先生
究極の死のにおいに満ちた場所でも、
アンネなりの意味あるものを見ていた、
感じていたと信じたいですよね。
ときには誰にも届けられなかった、
死者たちの声なき声に耳を澄ますってことが
私たちには課せられているんじゃないか―

◎アンネの望み◎
 「私の望みは、
  死んでからもなお生きつづけること!
  書いていさえすれば
  何もかも忘れることができます。
  悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。
  とはいえ、果たしてこの私に
  何か立派なものが書けるでしょうか?
  いつの日か、ジャーナリストか作家に
  なれるでしょうか?
  そうなりたい。 是非、そうなりたい」

先生
あまりに苦しい現実を受け入れなくちゃ
ならないときに、非常に耐え難い苦しみってのを
キティーに聞いてもらうことによって
降りかかってきた苦難がその人の土台になる、
 身動きできなくなるところを
 言葉にすることで乗り越えようとした
それ以外に人間がこんな苦しみを受け入れる方法は
ないような気がします…
14才のアンネが表現で自分を守る盾をつくった、
《書く》ってことが、1人の人間を
救うことができるんだなあっておもいます!
そもそも文章を書くって、
とっても手間がかかることです。
ほんとはめんどくさいことなんですよね。
アンネには時間がありましたのでじっくり文章を書く、
でも現代のみんなは忙しいですし
便利な道具があれば発信できるし つながりあえる...
 しかし《誰ともつながらない自分》と
 向き合う時間も必要ですよね!
揺るぎない自分ってものを獲得するためには
こういう面倒なことを通らないと。。
避けては通れませんよね??
生涯、自分とはつきあっていかなきゃ
ならないんですから!!
死んでからもなお生きつづけること、っていうのは
書き付けた言葉は書いた本人よりも
長生きするんだなあってことですね!
文学は死んでからも生きのこる、っていうことを
アンネの日記は伝えてくれていて、
文学に関わる者にとって誇らしい気持ちになります

すごい文章でした
読んでないのにこんなにも考えさせられるだなんて…
ほんとうにすごい
わたしたちはほとんど他者と通じ合えません。
だからこそ、

 ダンスを踊っている間だけは
 よろこびをみんなとわかちあいたい

踊る場所、本番を、たいせつなものにしたい。
“いつも” じゃないからこそ、できることがある。
そう確信しています!
わたしたちは好きなことをしている時間だけは、
どんなに苦しいことも忘れてしまえますw
だけどダンスが遺せるのは見ている人の記憶にだけ。
これこそが日記とは一線を画すものです。
そのとき、どれだけのものを受け取ってもらえるか。
本番はいつも挑戦です。 下書きも清書もない

 二度と同じものは踊れない

《遺言》みたいなものなのかもしれませんw
それくらいの密度を、すべてを賭けている、
舞台はそんな場所です

わたしの目標は記憶に残ることじゃありません
踊る理由は死んでからも生きることじゃない。
むしろ、記憶に残ることなんかよりも
《今》という《瞬間》を共有したい
未来よりも《今》
今の真っただ中をかけがえのないものにしたい
そんな想いで踊っているのだとおもいます



2014年11月21日(金) 「アンネの日記」(3)

 「1944年4月16日
  だれよりも親愛なるキティーへ
  昨日の日付けを覚えておいてください。
  私の一生の、とても重要な日ですから。
  もちろん、どんな女の子にとっても、
  はじめてキスされた日と言えば、
  記念すべき日でしょう?
  だったら、そう、私にとっても、
  やっぱり大事な日であることは
  言うまでもありません」

 『アンネの日記』
 〜性の芽生えと初恋〜

アンネの日記には、バージョンがある。
1942〜44
 アンネの書いた原形
1944春
 戦後発表するためにアンネ本人が清書
(オランダ政府の呼びかけで国民の手紙や手記を
 戦時下の歴史的資料として集めようとした)
 アンネが自分の日記も是非世の中の人に
 見てもらいたいと清書したもの
1947
 父オットーによる編集版
1991
 完全版の出版
(内容は編集版の3割増!!)
 父オットーが亡くなったことによる完全版
 増した部分は “性” に関する
完全版の宣伝キャッチフレーズ。
〜純真な少女のイメージが打ち砕かれた〜

先生は言いました。
編集版を読んできた人間なら皆思いますよ、
完全版、あのアンネなら当然だなとw
どこがカットされていたか見ていくと、
お父さんの愛情の深さと、
親の想いを越えて成長していたアンネを
感じとることができますよね―

◎アンネ、最初のペーター裁定◎
 「もうじき16ですけど、ちょっぴりグズで
  はにかみ屋で、ぶきっちょな子です。
  あんまり面白い遊び相手には
  なりそうもありません」

スタート時点ではペーター全否定気味―
猫を通じてマイナスから一気にプラスに転じる落差!
これか、これなのか!!
猫か、猫なのか!!(爆)

アンネはペーターが口下手ながら心の内に様々な思いを抱えているのだと気が付き、やがて2人は毎日のように屋根裏部屋で語り合うようになります。 そしてアンネは恋に落ちるのでした。

 「朝早くから夜遅くまでペーターのことを
  考えるばかりで他のことは手につきません。
  すべてが生き生きと躍動して、
  私たちの心を揺さぶり、あまりの感動に
  ふたりともしばらく口もきけません。
  どちらもうっかり口をきいて、このひとときの
  魔法を破ってはならないと感じていました。
  それを見ながら私は考えました。
  これが存在しているうちは、
  そして私が生きてこれを見られるうちは―
  この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、
  けっして不幸にはならないわ」

アンネの世界が変わった瞬間です!!
問題なのは、文章の “これ” 。
「これが存在しているうちは」
これって何なんでしょうか??
「それを見ながら私は考えました」
それって何なんでしょうか??
“これ” こそが不幸にならない正体なんです!!
街を歩く人のほとんどが憂鬱そうな現代では、
“生きていること” をどう考えているのか。
この文章を見るとどうしても問われてしまいます。

生きていることに感謝するってどんなときなのか

気付かされるのはアンネの境遇からでも、
《希望》が見出だされていることです!!
それも、失って気付いたものじゃないんです!!
自分の中から “あふれでた” もの。
自分だけじゃなく相手がいることから。

誰かと大切な何かを共有したときじゃないでしょうか

感謝こそはわたしたちが他者とわかちあえるものです
そう思ったら、感謝はしあわせに直結している、
感謝の先にしあわせがあるんじゃないのか?
感謝のない人はまず話が通じないでしょw
なにかを分かち合う寄る辺が見当たらないからです。
残念ながら、
これは自分本位の人にほぼ当てはまってしまいます。
自分だけが気分よければいい。
誰かと何かを分かち合わなくてもいいんです!
じゃあ自分本位の人っていつもしあわせなのかな??
いいや違うw
おそらく《自分は他の人間と違う》っていう自覚の
上にしかないんじゃないかな?? そのしあわせ。
それって実は、他者がいないと確立しないよね 笑笑

◎ペーターとの会話◎
 「君はいつだって僕を励ましてくれてるじゃないか」
 アンネ「どうやって?」
 「その朗らかさでさ」

この極限状態とも言える中で、恋してた
ある日、アンネはいつに無く感情的になります。 込み上げる想いに身を任せ、二人はけっして離れまいとするように何度も固く抱きあった。

 「ペーターはこれまで誰も触れたことのないほど
  深く、私の感情に触れました。
  彼は私をとらえ、中身を外に、外面をなかに、
  裏返しにしてしまいました。
  ああ、ペーター、あなたは私に何をしたの?」

これは…ダンス言語です!!
「中身を外に、外面をなかに、裏返しにした」
これは…踊りたくなってしまいます!
かんたんに言ってしまえば、
これを漠然とぶつけられたら、
わからないですよね? わかりにくいですよね?
でも…わかるw わかりますよね??
それは、言い表せない《なにか》だからです
言葉ではたりない感動
わたしは言葉にできないからおどっています
言葉で正確に伝えられるなら苦労しませんw
そういうわけで…
わたしのノートは悩ましげな言語ばかりです(爆)
いったいどう踊れっていうんでしょうか 涙涙

感情に飲み込まれる経験はアンネに怖れを抱かせます。 それ以来、アンネは自分を制御してペーターとの関係にも距離を置くようになりました―

ほとほとすごい描写です。
そして、冷静になるアンネ。

先生は言います。
お父さんを裏切るようなことだけはしちゃダメだ、
っていう気持ちがあったとおもいます。
自分のカラダを自分で守らなきゃいけない、
女の子特有のブレーキも持ってる。

ペーターも命を奪われるその未来の中で、
この恋がどれほどの輝きを得ていたのかわからない。
甚だ複雑な気持ちになりました…

◎アンネの心の成長◎
 「私はますます両親から離れて、
  一個の独立した人間になろうとしています。
  まだ未熟ですけど、お母さんよりも勇気をもって
  人生に立ち向かっています。
  自分が何を求めているかも知っていますし、
  目標も、自分なりの意見も、信仰も、
  愛も持っています。
  私が私として生きることを許してほしい」

先生
ペーターとの恋愛経験がそれまで屈折していた
お母さんとの関係にも変化をもたらしました。
だんだん、
お母さんが如何に自分を子ども扱いしようと、
それは《お母さんの問題である》、と。
そして、自分はお母さんのような生き方はしない、
お母さんを乗り越えて自分の人生を生きていくんだ、
そんな風に一つ階段を上ったんじゃないかと思います。
相手の気持ちをそっくりそのまま、
いくら親子でも 共有することはできないんだ。
自分にも秘密が出来てきているわけですものね。

深い、深いですよね―
《相手》のある関係を、自分なりに
どうしようとしていたか見出だせる文章です!
そのためには《自分》を確立させること。
それをこんな年で自覚しているだなんて、
文章に、言葉にできるだなんて…

先生
サナギの内部では次の成長に向けて
凄まじいことが起こっている。
機が熟せば劇的に蝶がうまれてくる、アンネもそんな
成長を遂げていたはずだったと思うんですよね。。

ここで伊集院光コメント炸裂。
難しいですね...
いい環境って何だ? いい人生って何だ?って。。
おそらくこういう素晴らしい作品が残せないぐらい
自由で、何も考えなくてもいい環境のほうが
いい環境じゃないですか、本来なら。
隠れ家生活だったからこそ、凝縮されて
こういうものがうまれたってこと。
皮肉さとかアンバランスさに複雑な気持ちになる。

先生は締めます。
アンネにも生き延びる権利はあったんです
しかしこの特別な才能をもった少女が隠れ家という
サナギの時期を、
まさに思春期に過ごしたということが、
意味深いことなんだということを
生きている我々はこの本から感じ取るべきですよね―

アンネはすばらしい日記を遺しましたが、
それがいいことだったのかわるいことだったのか
だれにもわかりません。
文学として見れば凄まじい功績です。
だけど功績だなんてとても言えません!!
だからといって、何も考えることもなく
悩むこともなく死んでいくことが
果たして人間のしあわせなのか
わからないんです
毎日をおもしろおかしくすごせたらいいのか
それだけでしあわせだと呼べるのか

ダンスは その人の感性の圧縮、人生そのものです
技術とは違う尺度、性質。
自分のカラダに真摯に向き合うこと。
本番の一つ一つがそんな毎日の凝縮です。
決して曖昧でない厳しさで挑む毎日。
しかし、だからといってそれは
誰もが感じ取ってくれるものではありません。
いつだって全否定されかねないものです
アンネの日記は決してしあわせな本と言えません。
とても複雑なものを感じずにはいられないんです。
ここに不思議な共通点を感じるのです。
何かを生みだすということ。
わたしはダンスに希望を見出だしました。
そのダンスを受け取ってもらうには、
何よりもまず、素直に踊ることではないでしょうか
わたしのなかのダンスを、
アンネの言葉のように。

 「私のなかには春がいて、
  それが目覚めかけているのだと。
  全身全霊でそれを感じます」



2014年11月20日(木) 「アンネの日記」(2)

敬遠されるかもしれませんがッッ 行きます。

 『アンネの日記』
 〜思春期の揺れる心〜

なんとアンネは友だちの寸評を日記に書いていたw
 「ベティー・ブルーメンダールは なんとなく
  みすぼらしく見えますけど
  たぶん本当に貧しいんだと思います」
 「E.Sはおしゃべりな子で、そのおしゃべりの
  しつこさたるや半端じゃありません」
 「J.Rは、自分では美人のつもりでいるみたいだけど
  実はその正反対」
 「G.Zは、とってもかわいい顔をしてますけど
  あいにくお勉強の方はさっぱりです」
うわー、これ、うわー 笑笑
ちなみにアンネ自身のこともあります。
 「ボーイフレンドはぞろぞろいます」
 「男の子は十中八九、私にのぼせあがります」
なんということでしょう 笑笑

アンネは空想を現実のように喜ぶ能力があったらしい

それってリアル赤毛のアンじゃないの!?
おそらくは、日記に書いてるほど
男の子にモテたわけじゃないとのことですw

アンネは自分のことを相当《盛って》いた― (爆)

先生は言いました。
《盛る》ってことは物語をつくっているのと同じ。
物語作家なんですよ。

隠れ家には合計8人が暮らしていた。
一番年下だったアンネはいつも子供扱い。

 「実際ファン・ダーンのおばさんというのは、
  すばらしい人です!
  模範的なお手本を示してくれます。
  ...見習うべきです、反面教師として。
  もうそのおばさんがでしゃばりで、
  打算的で、欲深い。 虚栄心が強くて、
  浮気なたちだと付け加えてもいいでしょう。
  1冊のノートを埋め尽くすこともできるほど。
  ひょっとすると、
  いつか本当にそうするかもしれません」

ここで伊集院光が鋭い一言を放ちます!
僕らで言うと《ネタにすることで救われる》
日常生活をネタにした途端に、もうこれで
オッケーだということで何かすっとする。
ほんとに嫌なこと起こってんのに、
「こんなことあってさ〜」って言うと何とかなるw

わたしがこうやってblogにしてる毎日にも
そんな秘密が隠されているのかもしれません。
やっぱり毎日が苦しくてどうしようもないから。
文章にすると驚くほど納得できるふしがあるんです

そして日記にはこんな記述がその後付け足されます。

 「以上のくだりを書いているときには、
  まだ筆者の怒りがおさまっていませんでした。
  どうか読む方はこのことにご留意ください」

これは《わかる》ッッ 笑笑  わかるなぁ〜〜〜
日記付けてる人にわからない人はきっといませんw
文章にはそのときの気持ちが漏れるからです。
これはダンスでも同じ。
そのときの感情がカラダから漏れる。
わたしはそれこそがダンスと謳っていますから、
その感情をほんとうにほんとうに大事にしています
気持ちを大事にしない人にダンスは踊れない、
そうおもっています

アンネたちを支援したのはアンネの父の会社従業員。
命に関わる支援です。
支援者はどんな気持ちだったのか??
先生はミープさんに会ったとき、
どうしても聞いてしまったそうです。

 「死の危険があるのに
  なぜ人を助けることかできたのですか?」

そのときにミープさんは言ったそうです

 「理由はない」
 「人として当然なことをしただけ」

何度聞いても答えはそれだったそうです


2度目の秋が来ても一向に先が見えない状況で、隠れ家には重苦しい雰囲気が漂っていきました。 そんな中、思春期のアンネは親とぶつかるようになります。

 「パパもママもマルゴーのことは決して叱らず、
  もっぱら私にだけ雷を落とすというのは
  果たして偶然でしょうか?
  ママは何かというと姉の味方をします。
  ママとはあらゆる点で正反対です。
  ですから当然、衝突せざるを得ません。
  私はいつもママの悪い点には目を向けないように
  心がけています。
  なるべくママの良い点だけを見、
  ママの中に見出せないものは
  自分自身の中に求めようと努力しています」

正直、こんなに文章にしているなんて泣きそうです…
その、言葉にしようとするアンネに、なんとも
言えないほどの何かが押し寄せてくる。
親への反抗心ではありますが、
これほどのことを書いているのは14才なんです。
そして、日記にはこんな記述まであるそうです。

 「どうしてここまでママのことが嫌いになったか
  さっぱりわかりません」

先生言います。
このアンネが言葉に出来ないくらいなんですから、
理屈じゃないということなんでしょうかね。。
母親に対する厳しさを自分に振り返ってみても、
愛する人だからこそ《完全な人でいてもらいたい》
完璧を求めてしまうのが思春期ですよね。。
欠点を含めて相手を受け入れるほどの余裕がない。

そんなアンネだったけど、その先に新しい両親への関係が見え始めたところで日記は終わってしまいます。 アンネには価値観を押し付けるだけじゃない、柔軟な器が日記を書くことで芽生え始めていたのです。

◎孤独と向き合う◎

 「誰よりも親愛なるキティーへ
  ときどき気がふさいで、自分でもどうしようも
  なくなることがあります。
  外では鳥の声ひとつせず、息づまるような
  恐ろしい沈黙がいたるところにたれこめ、
  私を捕えて深い地の底に引きずりこもうとして
  いるかのようです。
  私は行き場を求めて部屋から部屋へとあてもなく
  彷徨いますが、気分はまるで、
  翼を切られて飛べない小鳥が、
  真っ暗闇の中でバタバタ籠にぶつかってるみたい」

この孤独の描写にはおどろきました。
とても14才とかが書けるような文章とは思えない。
描写というよりも《リアル》だったんでしょうね…

先生は言います。
余計なものと繋がってない《純粋な孤独》を
アンネは噛み締めているわけです。
そしてそれはネガティヴな孤独じゃなくて
《成長していくための孤独》なんですよね。
外の世界に広がっていけない分、
余計に自分の内面にしか移動の方法がない。
自分の内面を旅するときに、
アンネの頼りにしてたものが《言葉》だった。
言葉を頼りにして内面の旅をしていた、と
いうことなんじゃないでしょうか―

ここで鋭い伊集院コメントがまたもキます!!
さっきからなぜアンネの言葉が響くのか、っていうと
やっぱり《オリジナル》だからですよね!!
ありきたりのことだからありきたりの言葉で
書くんじゃないんですよね!
人に借りた言葉や、元々ある言葉を
《引用》するんじゃなくて、
自分の《言葉》で書き残そうとした

これにはほとほと唸りました―

大それた発言ではないつもりですが、
わたしは本物の孤独を味わったことがあります
それは、寝たきりだったとき
生きるか死ぬかの境界線にいたときです
あのときは薬を撃たれて
何も考える力はありませんでした
そして、たすかったときから始まります
あのときはカラダも動かせず、
《本当に》何もできませんでしたから、
考えることしかできませんでした。
考える時間だけが死ぬほどあったんです。
事故は不幸なことでしたが、先生が言ったように
あの時間こそが自分を育ててくれたのだと思うのです。
とてもとても苦しいときでしたが、あのときほど
自分のこと、両親、友だち、自分の夢について
深く深く考えたことがありません。
わたしのダンスは あのときがあったからこそ、
借り物じゃなくなったんです
その片鱗は見えていたつもりでしたが、まだまだでした
今ではダンスが《わたし自身》だとおもえるのです
わたしの踊りは自分にしかできない、そうおもうのです

すべては自分のダンスでしかつたえようがない

これは、決して傲慢な気持ちからではありません
バカにする人もあるかもしれません
ですが、ほんものの自分と向き合った結果なんだと
今ではそうおもうのです



2014年11月19日(水) 「アンネの日記」(1)

◎親愛なるみなさまへ◎
ついにキタ。 キてしまった
これは某番組の個人的な感想です。
ってかもうこれ、番組そのままじゃね!?
ちなみにこの番組は半年後に再放送されますw
ちなみにそれは2015年3月。
先月です―(爆) NOW 2015年4月7日 涙

 再放送すらも終わってのblog化
 マジか。。
 我ながら涙なしには更新できませんでした

第二次世界大戦下のオランダで、一人の少女が書いた日記。 発表以来、聖書に次ぐ世界的ベストセラーに。 作者アンネ・フランクはオランダ アムステルダムの隠れ家で2年に渡り日記を書き続け、後にナチスの強制収容所で15才の生涯を終えてしまいます。。 長らくホロコーストの悲劇を伝える名著として読まれてきたアンネの日記。 しかし、実は思春期を迎えた女の子のありのままの姿が描かれた豊かな文学作品でもあるのです―

 「私は書きたいんです。
  いいえ、それだけじゃなく、
  心の底に埋もれているものを、
  あらいざらいさらけ出したいんです!」

もうこの一文で泣けてしまう

 『アンネの日記』
 〜潜伏生活の始まり〜

ユネスコ記憶遺産。
全世界2500万部のベストセラー。
日記を書く者にとって避けて通れない番組題材です。
そして、そのとおりでした…
深い… アンネの日記、深すぎる。。
それでいて明快なんですよ!!
その結末を知っているために、最初からその文章は、

 文章を超えてしまっています

そして、文章に、どれだけの力があるかということを
強烈に教えてくれました
わたしがblogにしていることもそんな日記の端くれです
「つまらない」といくらけなされようとそのどこかで
可能性を踏みにじってはいけない、そうおもっています


番組で、先生が言います。
 《戦争の悲劇を伝える》っていう、あるレッテルを
 貼られてしまったために、かえってきちんと読まれ
 なかった不幸もあったと思います。
 特殊な状況の中で思春期の葛藤や成長は普遍的な
 テーマですし、大人になった人が自分の思春期を
 振り返って書いたものではなくて、正に思春期の
 ただ中にある人が書いた文学である、と。
 こんな本は他にないと思うんですよね。

もしアンネが生きていたら85才なうです!
そんな離れてないしッッ 生きてて全然おかしくない

密告で隠れ家の人々が連行された後、散らばっていた日記をアンネたちの支援者・ミープさんがそれを拾い集め、アンネが帰ってくるまで鍵をかけて読まずに保管していた。 そしていよいよアンネは帰ってこないんだとわかったときに、アンネの父に手渡されたもの。 終戦後 生き残った父が出版に至るのです。 近年、『アンネの日記 完全版』が刊行。

アンネ・フランクは1929年ドイツで父オットーと母エーディットの元に生まれます。 オットーはフランクフルト出身の裕福な銀行家で、一家は恵まれた家庭を築いていました。 その頃、第一次大戦の敗戦国だったドイツは多大な負債を抱え、大不況の煽りも受けて失業者が街に溢れていました。 国民の不満が高まる中、ヒトラー率いるナチス党への支持が急速に広がっていきます。 1932年にはナチスが第一党となり、翌年ヒトラーは首相の座に就きました。 人種主義に基づくユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ始め、公職追放や商売の禁止など日々の暮らしが危機に晒されるようになります。 ユダヤ人であったフランク一家は迫害を逃れるため中立国であるオランダに移住し新たに生活の基盤を築くことを決意。 父オットーがまず移り住み、翌年、4才だったアンネと姉のマーゴット、妻エーディットを呼び寄せ、一家のアムステルダムでの暮らしが始まります。 アンネは自由な校風の学校に通い、しあわせな生活を送っていましたが、やがて第二次世界大戦の火蓋が切って落とされると瞬く間にオランダにもナチスドイツが侵攻してきました。 ドイツ占領下でユダヤ人迫害が始まったのです。
1940年、オランダはナチスに降伏。 翌年にはアムステルダムでは最初のユダヤ人狩りが行われます。 さらにユダヤ人はみな黄色いバッヂを衣服に縫い付けなければならなくなり、情勢は悪化の一途をたどりました。 そんな中、アンネは13才の誕生日を迎えます。 プレゼントはアンネが一番ほしいと思っていた物。 布張りで鍵の付いたかわいい日記帳でした―

 「あなたになら、
  これまでだれにもうち明けられなかったことを、
  なにもかもお話しできそうです。
  どうか私のために、
  大きな心の支えと慰めになってくださいね」

学校の成績や友達のこと、男の子のこと、アンネは親友に心の内を明かすように日記に素直な気持ちをぶつけていきます。

 「考えてみると、私のような女の子が日記を付ける
  なんて妙な思いつきです!
  他の誰にしても13才の女子中学生なんかが心の内
  をぶちまけたものにそれほど興味を持つとは
  思えませんから。
  でもだからといって別に構いません。
  私は書きたいんです。
  いいえ、それだけじゃなく
  心の底に埋もれているものを
  あらいざらいさらけ出したいんです!」

それからひと月もしない日に突然、アンネの姉に強制労働のための出頭命令が届きます。 出頭すれば収容所行きはまぬがれない。 “マルゴーを行かすわけにはいかない” 一家は父オットーが密かに準備していた隠れ家への潜伏を決意。

 「まるで北極探検にでも出かけるみたいに、
  どっさり服を着込みましたが、これもできるだけ
  たくさん衣類を持ってゆくための苦肉の策です。
  私は肌着を2枚着てパンツを3枚重ねて履いた上に
  ワンピースを着てさらにスカートとジャケットを
  重ね、サマーコートを羽織り、ストッキングを2足
  と編み上げのブーツを履き、
  おまけに毛糸の帽子と襟巻きと...
  もう数え切れません! おかげで
  家を出ないうちに窒息しそうになりましたけどw」

歩いて4キロの道のりを移動。 隠れ家は街の中心部で父オットーの営むオペクタ商会の裏側にありました。 フランク一家の他にもう一家族が合流し7人での暮らしが始まったのです。

先生は言いました。
 このアンネの日記に《ユーモアがある》、
 っていうことは私が一番言いたいことなんです。
 決して可哀想なだけの話ではなくて、
 人間が生きているかぎり、
 ユーモアがあるわけですよね?
 それをアンネはすくい取ってる


 「1942年7月8日水曜日
  親愛なるキティーへ
  日曜の朝から今までに何年も経ってしまった
  ような気がします
  いろんなことが起こって、
  まるで世界じゅうがひっくりかえったみたい。
  でもキティー、私はちゃんと生きていますし、
  いまはそれがいちばんだいじなことだと
  パパも言っています」


先生は言います。
 この《キティー》という存在を編み出したという
 ことがとても重要なポイントだったと思うんです。
 この《キティー》に、語りかけるという
 スタイルを執ることで、現実に起こったことと、
 それを書くっていう、
 自分との間に絶妙な距離をとることができた。
 自分勝手な、独りよがりなつぶやきではなくて、
 キティーのために語る。
 誰かのために語るという、
 《物語の原点》がここに生まれたんです。
 日記って本来 人に読ませるものじゃないので、
 どうしても我儘な想いをただ
 バーンとぶつけるだけで終わってしまう。。
 そうすると文学にはならないんですよ…
 やっぱり紙の向こう側にいる人に伝えるためには
 一度自分の中にある気持ちをモヤモヤしている
 気持ちを整理して、
 《これはどういうことなんだろう?》と、
 もう一人の自分がそれを見つめて、
 それに言葉を与えて、って手順がいるんですよね?
 アンネはそのモヤモヤとしてる袋小路に陥っている
 自分の感情っていう本来あやふやで形がないものに
 言葉を与える能力がある
 言葉に書くことによって、
 感情を外に解き放つことができる


突きつけられましたね。。
文章を書く人ならわかると思います
自分の気持ちを深くたしかめないわけにはいかない
伝えようとしたら文章を考えないわけにはいかない
SNSなど、独りよがりなことしか書いてない人が

 どれだけいるか

ダンスでも同じことです。
何かを伝えたい、受け取ってもらいたい
人のために何かをする、
これはいつでもわたしたちに問われていることで、
それを受け取る人がどう思うかを

 考えているのか 考えていないのか

今では《どうでもいいこと》が多すぎて、その記事に
テキトーに《いいね!》なんてしている世の中です
ある意味で《どうでもいいこと》が重要になって
いさえしかねない時代です

 ほんとうに大切なものが ほんとうに見えない

《どうでもいいこと》に振り回されて、
《どうでもいいこと》にブチ切れられる。
それに比べてアンネの文章がどれだけ心を打つか…
これは厳然たる違いです

 伝えようとする資質が根本的に違う!!!

さあ、あなたはどうですか??
わたしだってひとつ間違えば同じです

今回はほとんど時代背景しか載せられませんでしたが、
この本を語るには絶対に避けられません。
そして、1日でまとめきれるはずもありません!!
また明日ッッ



2014年11月18日(火) 祝退院!カツカレーPARTY

いよいよ、いよいよこの日がきたッッ
◎入院中の夢が叶うとき◎

 カツカレーが食べたかったんです!! 涙涙

笑われる方もいるかもしれませんw
でもこれ、もうぜんぜん、ぜんぜん笑えない話です。

 入院中には決して食べられない

どれだけ食べたかったかきっとわかってもらえまいw
みんな、入院すれば《わかります》
わたしは入院中、ゾンビのように唱えてました。
そしたら謀りもせずPTマッキーの脳裏に
カツカレーが現れて即座に食べに行ってる始末!!
マッキー「気になってすぐ食べにいきましたよ〜笑」
くっ… 笑えん、笑えんぞマッキーッッ(爆)
さすがわたしの担当PTだ。。
嫌がらせとしか思えない所業ですw
すぐに食べにいけるマッキーとは立場がッ違う!!

 入院患者に自由はないのだ

よし今こそ、盛大にカツカレー会に出向くとき☆
脱ゾンビ大感謝祭ですッッ
なんたってこの日までカツカレー食べてません。
たのしみ温存。 待つことのたのしさw
わたしはどこかの待てない女とは違うんです 笑笑
このカツカレーPARTYは茜企画。
主催者がいて参加者が呼びかけられたものw
一体何人が集まってくれるんだろう 汗
それを考えたら… かるく不安になりました(爆)
もしかしたら主催者と二人だけなんじゃないか?
そんな一抹の不安w
これって踊るときにも同じ気持ちが湧きます。
いったいどれくらいの人が会場に来てくれてるか。
誰もいなかったらどうしよう―
でも答えは最初から決まってます。
→ 誰もいなくても踊るw
そうはいっても、いつも直前は冷や汗ものです!!
お店はわたしが指定した《あんみ食堂》。
ヨガな人たちが行くようなインドカレーは外しますw
なぜならわたしが純和風カレー派だから!!
しかし《あんみメニュー》にカツカレーなし。。
マスターが電話で言ってくれました!

 「ないなら買ってくればいいじゃない」

なんと寛大なお言葉でしょうかッッ 涙涙
そういうわけで、強引にカツカレー化する運びにww
客として、こんな荒技は一度もしたことありません!
ゾクゾクしましたね 笑笑
人生初、勝手にカツ持ち込みPARTY☆
そして待ちきれなかったわたしが一番乗り(爆)

 誰も来てない

どれだけたのしみにしてたんでしょうねこの人w
プロデューサーからドレスコード《ドラえもん》って
言われてたのをすっかり忘れるくらいです!!
そしてゾクゾク現れるドラえもんたち 笑笑

 マジかこいつら

とんでもない罪悪感に襲われました!!
自分のお祝い会でこんな気持ちは初めてです 爆笑
なんとDancing課長も来てくれました!
会うのは『Choice』公演以来でしょうかw
で、度肝抜いたドラえもん装束で入場。 何て奴だ
こういうところだけは真面目ですからね。
のび太メガネを直前購入した者まで出現!!
どこまで命張ってんだ―
逆に、参加連絡の上でこなかった人もいます☆
もう本当に見損ないましたね… 注意喚起の限界です
なにしろこれまで何度もですからw
いつか元の信頼を回復させてくれるんでしょうか??
〜さすがにもう誘う気力ありません〜
願わくば自分の力できちんと挽回してほしいものです
大人なら、大人ならできろうもんw

さあ気を取り直して始まるPARTY!!
おもむろにカツが取り出される魔空空間ッッ
いやあ楽しかった〜〜
手術してからこんなしあわせ感じたことがない
いろんな人にたすけられながらここまで来ました。
特にお見舞いに来てくれた人。 そして《今》

 人が集うPARTYは、また別物ですッッ

もう死んでもい…くない。 まだ踊ってない!!
みんなのおかげでかるく目標を見失いかけましたw
あっぶねーーー 笑笑
まだリハビリ中の自分に集まってくれた仲間達。
わたしには踊ることしかない、できない
早く、一刻も早く踊りたい!! そうおもった

 得体の知れない感動が待っているんです

自分にしか踊れないダンスの可能性を究めたい
そしてそれをみんなと共有したい
そんな気持ちをあらたにする一日になりました
◎茜企画ありがとう◎



2014年11月17日(月) リハビリで聞けた最高の捨て台詞

【レッグカール】
◎今日、初めて左脚で最後まで曲げきれた◎
マシンの屈曲限界に届いたーーーッッ

 めちゃくちゃうれしかった

入院中からトレーニングを続けてきたけれど、
最初はもう、全然。 全然曲がらなかった。

自分の成長を実感した瞬間です!!

ひとつうまくいくと、余裕がでるw
【レッグプレス】
こっちは相変わらず、全然。 全然伸びきらない…
へこむ。。
左脚で蹴り込んだあと、右脚で試せば一目瞭然。
右膝と左膝の伸ばせるレベルが違いすぎる。。
ちくしょう!!

そのあと【平行棒】で左脚自主トレしてたら
先輩患者・江崎さんに尋ねられました。

 江「それ なんしようと〜??」

 た「体幹トレーニング(地味)ですw」

その直後、江崎さんはトレーニング用のボールを
探してきて、無言で投げつけてきやがった―
いやあ、わたしはしあわせ者です 笑笑

 残念だが、そのくらいじゃビクともしないぜ☆

江崎さんの去り際、捨て台詞がまた最高でした!!

 江「今度は大きいバランスボール投げるけん、
   覚えときいよッッ 」(爆)

よほど悔しかったんでしょうねw
そのうち大変な事件になったりして 笑笑



2014年11月15日(土) 「アルドノア・ゼロ」1st season

主人公の高校生が圧倒的淡白で戦場を圧倒。
まあ…こんなのができるなら大人もできるって!!
ほんとーに大人をバカにしつづける内容ですw
たぶんそれが最大の魅力(爆)
さっそく、そんな高校生・界塚伊奈帆の台詞より。

 「セラムさん、
  どうすれば戦争が終わるか知っていますか?」

 「それは、平和を願い、憎むことをやめれば…」

 「いいえ。戦争は国家間の交渉の手段でしかない。
  憎まなくても戦争は起こる。
  どうしても手に入れたい領土、資源、利権、
  思想や宗教やプライド、
  それらの目的を巡って戦争は起こる。 または、
  利権に見合わない数の人が死ねば戦争は終わる。
  怒りや憎しみも、
  戦争を有利に運ぶための手段でしかない。
  僕はそんな感情に興味はありません」

これが《高校生》の台詞です 笑笑
この台詞、知識だけでもってきてるんでしょうか??
で、言い切れるってマジですごいなw
こんなのが主人公です。
〜ある意味、悟り開いてる〜
いや、突き抜けすぎてる…かw

さて、この物語は近未来《地球 vs 火星》です。
火星にたどり着いた人間が取り残されたstory。
《人類 vs 人類》。15年前から戦争中なう。
火星でなんだかわからないアルドノアを発掘。
それが元で、地球を圧倒する科学力。
とにかくよくわからないけど最初から戦争中。
戦争の原因詳細は曖昧《まるでわかりません》
もし自分がそんな国に生まれてたら…
その戦争を簡単に受け入れられるのかな??
そういうふうに育てられていたら…
平和を模索することなんてできるのか??
これは、かなりむずかしい問題です。
第三者だからこそ、その戦争を冷静に見れる。
その原因をどうやって正したらいいかわかる。
火星騎士は現にこうなっていた。

 「そうか? 我は地球人というだけで憎いがな」

そんな憎しみを植え付けられた人間に、
理屈はどれだけ通用するんでしょうか!?
教育、教育でしょう。
そして知識、知識ですね。
でも間違った教育では後戻りできなくなる。
たとえ知識があっても《思い込み》だけで、
相手のことを知ろうともしない。
そんなこと、いくらでもあるとおもいます。

 話してみなければわからない

わたし自身もこれまでなんとか話をしようと、
やってきました。 〜話せばわかるはず〜
この気概でその時をギリギリまでやってきました。
それでも話を聞いてくれなかったり、
話が《できな》かったり、話がすりかわったり、
話の途中で逃げ出すような人さえいた。

 わたしには過去、見限った人たちがいます

相手にすべての非をおしつける
“自分だけが大切” な人
向き合うと力を根こそぎ奪われてしまうような人たち
どんなにわかってもらおうと努力しても、
歩み寄っても、結局は撥ね除けられる。
最後に行き着くのは《もう関わりたくない》
時間の無駄だと本気で思った。
ですが、それをあきらめないことが
《希望》そのものだともわかっています。
この葛藤こそが《リアル》です
自分自身の限りある時間をどこまで相手に費やせるか
“どうでもいい” 人として切り捨てるのがフツーなの
かもしれません。 大切な時間を奪われたくない!
自分ができること、全力でした上で選んだこと。
そのおかげで多くのことを学びました。
なので、後悔がまったくありません
今でもどこかでわかりあえるとはおもっていても、
時間だけじゃ決して解決しない。
曖昧な人間関係にはしたくないしできない。
それでもどうにかしようとした。
相手があることには自分だけで決着つけられない。
これだけがわたしのプライドです。
これからもこのスタンスは変わりません。
本当は “どうでもいい” 人なんていないんだものね!
しかしどうでしょう…
そう心の中でかんがえていても、現実には
このプライドが全否定する引き金になっています!!
相手を全否定するわたしの唯一無二の引き金です。

 あったことをなかったことには絶対できない

話を戻します!
考えること、させなくすれば
何も思い煩うこともなくなります。
上からの圧力、パワハラでも同じことができる。
さあ そういうわけで、やっぱりどこかの誰かが
《戦争》をしかけることになるのでしょう!
誰かの意思です
これって… 実のところ、
わたしたち全員にそなわっているものですよね??
何かがしたい
何かが欲しい
こんなものがかるく争いになりうるんです!!
これはほんとうにおそろしいことです…

全部、いきすぎたら大変なことになる。
理解を求めすぎてもそれが暴力になりうる。
平和はきっとバランスが生むんじゃないか。
やっぱり《自分》というものを遠くから見れないと
客観視できないと、人って危険なんだとおもいます。

 ひとりがどれだけ危ういものか

それを友だちや仲間、みんなが、おしえてくれる
誰かがいるからこそバランスを見出だせる
見出だそうとするんだとおもうのです

わたしたちの世界ではいいこともわるいことも
おきます。 自分だけが生きてるんじゃないからw
考えなくてもこれは《あたりまえ》のことです
他者と関わるのは生きてるかぎり、あたりまえ
だから、あきらめることなくその中で、
いつまでもバランスを見つけていきたいですね!
そうすれば、避けられない争いはあっても、
争い自体は格段に減らせるはずですッッ



2014年11月14日(金) 「スペース☆ダンディ」最終回

スペース☆ダンディは宇宙のダンディである。
そして彼は、宇宙人ハンターである。
見たこともない新しい宇宙人を発見して、
新種の宇宙人と認められると報奨金がもらえるのだ。
それは早い者勝ちルール。
宇宙を旅して、誰よりも早く、
誰も見たことのない宇宙人を見つけるのが使命。
ダンディは、ポンコツロボのQT、
途中で拾ったボンクラベテルギウス星人のミャウと
ともに、未知の星や異星人と出会う。
宇宙の果てへの冒険。
見たこともない宇宙人の発見。
それが宇宙人ハンターの醍醐味なのだ―

 『スペース☆ダンディ』 EPISODE 26
  ネバーエンディング ダンディじゃんよ

まさかの最終回である。 本当に終了なのである。
終わりのない祭じゃなかったのである。
信じられない話だ。
スペース☆ダンディは、宇宙のダンディたり得たのか
得ないのか。
ダンディは一体どうなるのか、ならないのか。
そしてこの世界はどうなってしまうのか、
そもそも最終回なのか、
だいたい本当に放送されるのか…
もう見るしかないじゃんよ!

ほとんど思考力の要らない作品でした―
最初から最後までw
だけどそんな中でも著しく興味深い話もあった!
内容として最もおもしろかったのは…

 EPISODE 04
 死んでも死にきれない時もあるじゃんよ

主人公たちがゾンビになりながらも、
ゾンビとして明るく健全に生きていくお話(爆)
これには勇気までもらいました!! いやマジで。

 EPISODE 10
 明日はきっとトゥモローじゃんよ

フツーにタイトルで度肝抜かれたのを憶えてますw
なんだかすごく《いい》 笑笑
これは一般会話にねじこんでいきたい!!

 EPISODE 05
 旅は道連れ 宇宙は情けじゃんよ

話としてはこれが一番ダンディだった気がするw
フツーに、すっごくよかった。
基本的にダンディっていうかチンピラですから!!

あとはほとんどつまらな…(殴)
しかしここで問題なのは、
単なる《つまらない》じゃなかったこと。
内容がなかったからこそ楽しめた回もあるし、
内容はなくても全力アートな回もあった。
とにかく、最後まで視聴したというのが結論です☆
そんな最終回。

 ダンディ「いいかみんな、ここは俺一人で行く!」

  えー!? ちょ…ダンディ??
  あんな破壊兵器に一人で行くなんてッ危険です!
  私たちが助けに来た意味がわかってないようね!
  そうだそうだ!せっかくたすかった命なのに!!

 ダンディ「そうじゃねえ!
      お前達は命懸けで俺を助けに来た。
      だからこそ、お前達の命を
      無駄にするわけにはいかねえ!!

      大丈夫だ なんとかなるさ


最後までいいかげんな作品だったけど、
最後の台詞だけは今の自分に響いた気がしますw
今の自分には、ほんとにこれしかない
そうおもわないと毎日がすごせないからです

『スペース☆ダンディ』
あんまり中身がなさすぎて核心がないように見え
ながら、意外にも核心を突いてることに驚きました
退屈だなぁとおもって見ていたときもあったけど、
《なんにもなかった》わけじゃないなあと…
なんだか騙されたような気分です 笑笑

一生懸命に《いいかげん》を作ってきた、
そんな熱意を感じずにはいられません!!
〜こんな人生もあっていいんじゃないか〜
いいかげんだって全力で生きようとしてるんです
そうおもいましたね☆



2014年11月13日(木) リハビリ通院 伝説の会計編

今日は15:00に受付をしました。
リハビリ施術に呼ばれたのは17:00まわってました。
おっそっっww
午後、一番待たなくていいはずの時間なのに!!
さすがは売れっ子PTソーム君です。
入院中は21:00に施術が終わることもありましたが、
通院で17:00以降とか一度もありません。
まあ、入院中はいつ呼ばれたっていいんだけど、
通院となると時間がキツい☆

すると事件が起きました!
謎の黒服がやって来てソーム君は何事か言われます。
その直後、施術中のわたしに切り出しました―

 「すみません!!
  先に会計済ませてきてもらっていいですか?」

どえええええええええええええええええええええええ
めちゃくちゃ面白かったw
なんたってわたしたち患者は施術こそがメイン。
ここにこそお金を払っているんです。
〜しかし時間が時間でした〜

 仕事を終わらせてあげないと受付嬢、帰れないッッ

DONJOY装具を急いでつけてレジへ向かいます。
死ぬ気でダッシュ!! (※まだ走れません
そこには…美人受付嬢 r江ちゃんがッッ
メガ怖いッッ(爆)

目が合ったらたちまち気を失ってしまいそうです!!
入院中はあんなにやさしかったじゃない!!
通院おそるべし

さて、どれくらい美人か、っていうと…
マッキーの一言が一番わかりやすいかな。
「なんでうちにあんな美人がいるのか
 ほんとうにわかりません」ってくらいの美人w
わたしなんか全然ポイントもらえないのに、
その一言でr江ちゃん本人からマッキーは、
いきなり60ポイント付与されるくらいの美人w
立ちはだかる強大な受付嬢ですッッ

わたしは気を逸らそうと一計を案じました。
ここはひとつ遅れてきた理由を話題にしてみよう!
そうすればちょっとは見逃してくれるかもしれないw

 た「先に会計してもらわないと、
   命がないって言われたよ〜」

 r江「ええっ!?
    誰に言われたんですか、そんなこと!?」

 た「ソーム君ッッ」

 r江「いやいや、そんなことありませんよ〜
    …命拾いしましたねw」

って、げえええええっっ?! マジだった!!
その笑顔が一番怖いわッッ(爆)
この世で美人の笑顔ほど怖いものはないッッ
その一言に背筋が凍りました!!!
〜わたしは悟ります〜
あぶなくソーム君を身代わりにするところだった…
この病院ではリハビリが重要なんじゃない!
リハビリ室に戻ってソーム君に一部始終を報告。
するとソーム君にも、
思い当たるふしがあったんでしょう…

 この時間は、この時間に至っては―
 「リハビリよりも会計が大事ッッ」
 「リハビリよりも会計が大事ッッ」

リハビリ室に響き渡るわたしたちの叫びw(超実話
いやあこんなことは入院してたけど知らなかった!!
しかし、美人に《知らない》では通らないのだ!!
なんとおそろしいリアルでしょうか!! 涙涙
すごく学んだ一日でしたね…
あ、一句できたッッ☆
◎気を抜くな 美人は定時で 帰らせよう◎

みなさんもくれぐれも気をつけてくださいね!



2014年11月11日(火) 「るろうに剣心 伝説の最期編」

記録的大ヒット! 本年度実写邦画No.1
退院して、ギリギリ。
ギリギリ公開中、間に合ったッッ ラスト侍!
映画館じゃないと見ることはありますまいッッ
わたしは《侍》を《待》って間違える人が大好きです
松葉杖、発進☆

 『るろうに剣心 伝説の最期編』
 〜目指せ100本刀 I LOVE CCO〜

 拙者には倒さねばならぬ相手がいる!
 拙者の後を継ぎ、影の人斬りになった志々雄真実が
 国を脅かしています!!
 奴が国を獲れば多くの人が苦しむことになる
 日本の未来は― あなたのその件にッッ

剣ですねw
イライラするなぁ〜〜〜 笑笑
こうなったら一番最初に一番よかった台詞からw
イライラさせませんよ〜〜

 「一度や二度の失敗で答えが出るものなら…
  誰も生き方を間違ったりしない!!
  真実は、これから見出だしていくのだな」

まったくそのとおりッッ
そしてそれをいつも見出だそうとする姿勢☆
もうこれだけでblog終えてもいいくらいですw

ってか、劇中ラストのエキストラ、少なッッ(爆)
あの敬礼人数じゃ ままごと戦争にしか見えん!!
そして… 志々雄一派弱すぎ!!
剣心ひとりに囚われたばっかりに大爆発です!!
国盗り、楽勝で出来たっぽいのにね〜〜
そのままドンパチやってれば明治政府転覆ですよ??
世界に混乱を巻き起こすのがテロ組織の目的でしょ。
そう、これは一対一の殺し合いに美学を求める話。
どちらが正しいのか殺し合いで決める話です。
それで決まればいい話のはずが、
剣心は全力で相手を生かそうとします。
この《抗う感》はたいへん共感できますね。
どうしてか、ってこの世が1+1=2で出来てないから。
ほんとうに大事なものってかんたんに実現できない

 他人事みたいに黒船轟沈。

いったい何だったのかな…
ここで考えたいのは志々雄君の信念とやらです。
もう《絶対》に考え方を変えようとしません。
それも結局は身の上に起きた凄惨な過去に起因します
これを打ち払うにはどうしたらいいんでしょうか??
わたしたちのまわりにもこんな人たちいますよね??
なんだか《絶対》に変わりそうにない人。
簡単にいえば《聞く耳をもたない人》。
人の意見を聞こうとしない自分本位。
もしくは “できない” 。
これは、これこそはその人の度量と言えましょう。
気付くような事件がおこらなければ、
自分自身を変えていくことなんてできません!!

志々雄君は剣心との戦いで笑いながら死んでいきます
あれをわたしたちはどう見ればいいんでしょうね??

 ある意味でしあわせと呼べるんじゃないか

だって自分の信念を剣心に力でねじ伏せられたから。
一生懸命やって一生懸命負けた。
その目標は人として、人の世として、どうなのか。
そんなものは置いといて、自分の人生に他人を
思い切り巻き込んでしまうほどの負の引力。
その極端な思想がやってのける無差別テロ。
こりゃテロ行為もしあわせと呼べてしまいそうになる

 なんてこった

こうやって戦争が引き起こるのかもしれません…
理屈でない《信念》の間違い。
物語の背景が幕末ってのが引き起こすマンガ原作。
結局は “時代に翻弄された人たち” の話です。
つまりは時代に翻弄される者の葛藤ドラマ!
ガン◎ムと同じw
その中で主人公は最後まで理念を貫き通します。
で、その理念を間違えてるのがCCO志々雄君。
間違えてるのは《いのち》の扱い方。
ほんとうに大事なのは、その信念を粉々に粉砕して、
志々雄君がもっと大切なものに気付くこと。
ヒトの可能性をねがうなら焦点はここじゃないのか

 まあ、でもこれ映画ですから

なんたって超エンターテイメント商業映画です!!
何億円もかかってるから売れなきゃいけないんです!
そういうわけで壮絶な殺し合いは必須科目。
そういうわけで大爆発ですw

たぶんテロリストってみんな志々雄君みたいな
感じなのかもしれませんよね。。
その理由がちょっとアレな感じの。
で、それに集まってくる人たちも。
こんなのとどう向き合えばいいんでしょうね??

 マジでわからん

生きるってことに自由があるならそういう生き方も
あるんじゃないのか。
そういう気もなくはないですが、
こんなのに巻き込まれるなんて真っ平ごめんです。
ああ、やっぱり戦わなきゃいけません。
すくなくとも誰かが戦わなきゃいけない。
わたしたちの世界はそんな《世界》なんでしょうね。

志々雄君は負けてもその信念は変わりませんでした。
ここがもうほんとうに面白くない。
それでも、わたしはここに《人間》を見た気がします

 変わらないものは変わらない
 どんなにその人のこと真剣に考えても
 変わらないんです

でもたぶん、それでも切り捨ててしまわないことが
わたしたちに問われることなんじゃないか
だってこれこそが《希望》そのものじゃないですか
自分の過ちが赦されることだってあるはずです
それはきっと自分だけの問題にはならないでしょう
そういう生き方しなきゃいけないもんねw
剣心はすごい。

志々雄君の刀から炎が吹き出すリアルさには、
おどろきました!
あんな刀、振ってみたいですよね!!
いつから必殺技って声に出すようになったのかな?
伝説の最期編でも剣心叫んじゃいますけどw
たぶんマンガだからでしょう☆
ほんとに戦ってたらそんなことないでしょうからね
もしかしたら俺も、できるようになったら―
叫んでいいのかな!? 叫ぶべき?!

 「リハビリ最終奥義!! 正座ッッ」


…さて、最後に。
この映画で最も驚いたことを発表します!!
それは―

 ◎相楽左之助の吐血量◎ 笑笑

この映画、出血多量死ってありえないんでしょうねw
特に左之助の吐血量は他を圧倒しています。
どんな大技をくらっても血を吐けば立ち上がる。
おそらく血を吐くのが立ち上がるための準備(笑)
あの吐血じゃ内臓かるく破壊されてるよ!?
外がいくら頑丈でも内臓は…ねえ。。

人類で一番強いのは左之助です  完



2014年11月08日(土) この世には勇気がいる挨拶もある

今日も、昨日に続いて藤浪の隣でリハビリ施術。
って藤浪、身長高ッッ!!
オフシーズン。 もうプロ野球選手来る来るw
連日、マッキーは選手に対応。
一般通院に属するわたしの施術はしません(爆)
リアルに《患者》なのはわたしなんですけどねっ
担当PTマッキーではありますが、
わたしは退けられる体となりますw
そういうわけで連日PTソーム施術なう!!

 しっかし隣に選手いると、やる気でるな

もう全然意味わかんないけどねッッ
こりゃ理屈じゃないカモ 笑笑
こっちリハビリ患者のくせに何故か勝手に対決模様☆

 負けたくないね

「何で?」と言われても答えられないw
強いていえば、やっぱり担当PTを乗っ取られてるから
なのかもしれないね。
わたしには、リハビリを譲る気がないからです
マウンドを譲らないピッチャーのように。
《リハビリすべきなのは患者の自分》
限りある時間を決して無駄にはできない。
今わたしがすべきことの最優先事項。
この考えはリハビリ患者だからこそ、な気がするw

 “ここにいる誰よりも早くよくなりたい”

そんなわけで急にこの病院はプロ野球選手で溢れ返り
この時期、たちまち妙な雰囲気になります!!
興味深かったのは、病院で出会った選手同士の挨拶。
超局地的遭遇ですw
後にマッキーから聞いたことだけれど、野球界
挨拶は完全に《年功序列》制度らしい。

 年下が出向く

どの世界にも《暗黙の了解》があるんですねw
ダンサーからすると、舞台を見に行ったりしたとき。
幕間に男子トイレに行けば大抵の同業者に会えます。

 トイレで遭遇

そして、トイレで交わさねばならぬ挨拶ッッ
いやもうこれ何度も記載してますが、未だに複雑です
偉い先生や先輩と会ったりしたら絶対に避けられない
病院で会ったりするほうがどんなに空気いいか 笑笑
◎その局地的遭遇にも場所の差があるのだ◎

すがすがしい挨拶のためには、どんなに長い舞台でも
トイレに行かない準… いや!勇気が不可欠ですッッ
マジでッッ



2014年11月06日(木) 文章でも灰になれる

11/05のblog更新で、力を使い果たしてしまいました
もうてんで物事を考えようとできない(爆)
それくらいにすべてを注ぎ込んでしまいました…
きっかけガ◎ダムでw かるく刺し違えた気分ですww
ぜんぜん先に進められる力が出ない 笑笑
11/05の呪縛から解放されさえすれば、
かるく進める気がしてたのに― 真逆じゃんッッ!!
まさかガン◎ムからあんなところまで行くとは思いも
よらず!! 作品がそれだけのものを有していたと
いうことでしょうw
《ニュータイプ》今でもまったく興味が絶えません!

 宇宙に出た人類は その広大な空間に適応するために
 あらゆる潜在能力を開花させ、
 他者と誤解無くわかりあえるようになる
 かつてジオン・ダイクンが提唱したニュータイプ論は
 人の革新 無限の可能性
 まさしく力を謳ったものだった

人の潜在能力にどんな可能性があるか知りたいッッ
そうおもいませんか??
わたしがこれまでダンスと向き合ってわかったこと。
それは…

 ダンスには他者と誤解なくわかりあえる力がある

ダンスには理屈でない真理を感じます。
見れば《わかる》
ほんもののダンスにはおそろしいほどまでに人間力が
問われてしまうのです。
嘘は徹底的に《バレる》
芸術だとか、かるく言われる領域ですが、
わたしとしてはこれだけしか考えていません。

 どうやったらありのままを伝えることができるのか?

言葉はいつも心にたりない
こうして文章に挑んでも、どの言葉を選べばいいのか。
語彙は無限にあっても人につたえるには
いつだって選び取らなければなりません。
でもほんとは考えるもんじゃないんじゃないか。
選び取るんじゃなく、カラダから湧き出るもの
言葉ではなく、カラダがおしえてくれる。
そうじゃなかったら踊っていないとおもうのです

無限に感じられるこころが、自分という人間が、
実は限りあるカラダからわかるだなんて
ほんとうに不思議です
カラダの力、カラダの叡智にも潜在能力がある!!
心の器、魂の器とも言われますが…
《カラダは こころや魂とは一線を画す力です》
ここにきて、先生の言葉が強烈に想起されました。

 ダンスとは―
 自分の知らないカラダに会いにいくこと

◎ことばよりもたしかなものがこの世にはある◎



2014年11月05日(水) 「ガンダムUC 7」最終話

《わたしたちは何のために生きてるのか》
2日前にも同じような主題を考えてた気がしますが、
もうこれは永遠の問いのように感じます。
事故死などでなく、自分の死を感じられるとき、
自分の死を実感できたとき、その最期に、
もしかしたら “わかる” ものかもしれません。
わたしは5年前、この逆を経験しました。
自分が “生きていること” を実感したんです
いろいろなものを失ってしまいましたが、
圧倒的に “生きている” のを感じた
あのときに あらゆる枷がはずれてしまいました!

 何のために生きているのか、というよりも、
 生きてさえいれば《何でもできる》とおもった

死ぬということはこれの逆なんじゃないかな??
ふと、浮かびました― 《何にもできなくなる》
そう考えたら…まったくの未知の世界です
そのときが来るまでわかりません!!
人間としての種の本能からか、わたしたち
ひとりひとりの生き方がわからせてくれるのか
生きているかぎり、常に問われているようなものです
たとえ考えなくてもわたしたちは必ず死んでしまう

 全ては《自分で決めること》なんじゃないか
 何を以て《生きる》ことにするのか

生物としての本能ではなく、こころの方向。
自分自身で決められるのは方向だけです
息は止められても心臓が止められないのと同じ
その方向は、自分を掘り下げないとたどりつけません
ほとんどの人が毎日に “追われて” 生きています
追われている間に時間が過ぎ去ってしまう
これはおそろしいことです
いきなり “そのとき” が来てしまっては!!
そのとき初めて《取り戻そう》とするはずだからです
取り戻す?何を??
→ 自分が本当にやりたかったこと
取り戻せる時間があれば可能かもしれません。
でも、なかったら??
《後悔の人生》になってしまわないか
仕事のせいにしたり誰かのせいにしてしまわないか
できるなら自分の命にだけは自分で決着つけたいッッ
誰のものでもない、自分のものなんだから!

だって答えがほんとうにわからないんです!!
「これだ」って答えがみんなに当てはまらないんです
だからいつでもそれを見つけたい。
見つけていたい。
小説、映画、スポーツ、勉強でも。 どんなときも。
《今》を曖昧にすすんでいる人でも、
いつかそれが自分のすすむべき方向だったんだと。
《未来》の自分がそう感じられたら
すごくいい人生なんじゃないのか
わたしたちはいろんな失敗をしながら生きています
失敗を重ねるからこそ自分が確立する
だからこそ精一杯《いい失敗》をしなくちゃ!
最後に後悔しないためにはこれなんじゃないかって
出来ることを決してあきらめたりしない
そうすれば必ず何かが見える。
見えないはずがない!

ところが…
自分のおおまかな方向、自分自身は決まっていても、
常に《今》は揺るぎます。
それを揺るがないものにするには
《今》の中にそれを見出ださなくてはなりません!!
わたしは強い人間ではないので、
自分だけではこれが揺れまくります
それを揺れさせない何か
それは他者からおしえられることのほうが多いです。
それを実行している誰か。
そんな人の姿を見ると自分が問われるんです。
今回も《できないこと》が増えたとき、
《できること》をしようと。
自分の状況を忘れられるのは
できることに向かったときだけ、です
わたしは今年の手術と入院であらためて学びました。

できることが《ある》って希望そのものです


 『機動戦士ガンダムUC』
  虹の彼方に

 「今のおまえたちには見えないものが私には見える
  ここでは時間さえ輝いて見える
  どんな絶望のなかにも希望はうまれる
  おまえは光だ
  悲しみすら糧として道を照らせ」

台詞だけ見ればとても簡単に聞こえますが、これを
現実に実行するのはたいへんな困難が伴います。
本物の絶望が降りかかると闇が振り払えないからです
どん底がどん底でなくなるとき、
それは、どん底を味わい尽くしたときです
そうじゃないと光なんて見えない
それでもこの台詞はまったくその通りです
グッときた台詞ですね。
ただわたしが今感じるのはそれを光にできるかどうか
もうこれって顔に現れてるんだとおもうのです!
主人公のバナージは既に《方向》を知っており、
《光》にできる資質を兼ね備えています。
そうじゃなきゃ簡単に「おまえは光だ」とか言えない
そのとき見ればわかること。
むずかしい顔をしている人はむずかしいんです。
なんでしょうね… この感覚。。

 「人は今、戸口に立っている
  いつか肉体をもったままそこをくぐれるときが
  くるのかもしれない
  この虹の彼方に道はつづいている」

作品最後まで一貫して感じるのは《可能性》です。
人には圧倒的な《可能性》が秘められており、
それさえあれば立ち向かっていける、そんな力の話。
人が宇宙に出る可能性。
人と人がわかり合える可能性。
間違いもあらためられる可能性。
わたしたちはいつも《可能性》の世界にいます
それでも、今できることには限りがあります
だけど、これまでも子どもの頃にはなかったものが
今は《ある》じゃないですかw
わたしたちの行動は確実に未来につながってる。
それは何かを開発したりすることだけじゃない。
こころの話だってありましょう!

 「おまえのいうこともまちがってはいない
  人が目の前の現実を生きるために
  箱は開かれるべきではないのかもしれん」

目の前の現実を生きるため、要は食べること。
明日をも知れない過酷な状況では、
《理想》は何の役にも立ちません。
理想でお腹は満たせないからです。
それでも、やっぱり理想はもっていなきゃいけないん
じゃないか。 置いてけぼりにしてはいけない
そう思うのです。

人間は《考える》ことこそが本能なのかもしれない

考えるのをやめたとき人じゃなくなる気がするんです
やってはいけないことがやれるようになる
何かをするときの迷い、人の理性
これがなくてはかるく殺し合う世界が待っています
事実、わたしたちの頭ではいつだって何か言ってるじ
ゃないですか!! ざわつかせないようにするには
修練、集中が必要なんです。

 「やはり君にも見えるようだな?
  ではこの宇宙の時の果てまで―
  共に行こうか、バナージ君!

  光なく、時間すら流れを止めた完全なる虚無
  これがこの世の果て 時の終わりに訪れる世界だ
  人がどれだけあがこうと結末は変わらない

  君にもわかるはずだ
  希望も可能性も、
  この虚無の入口で人が見るいっときの夢
  なぐさめにもならない幻だ
  それが人を間違わせ、無用な争いを生みもする
  この真理を知るものがニュータイプ
  ただ存在し消えてゆくだけの命に
  過分な期待を持たせるべきではない!!」

最初から《死ぬ》とわかっていて、わたしたちはなぜ
生きようとするのか。 そんなことですよね?
でも答えは簡単w

それは、わたしたちが《生きている》からです

愚問ですよw
生まれたときから死ぬことが課されていて、
《あきらめろ》って言われて「はい、あきらめます」
とか言える人ってどんな人なんだろう。。
バナージ君は生きることを感覚的にわかっている、
そんな《ニュータイプ》なんだとおもいます。

 バナージ「それでも―」

 フロンタル
 「熱? あたたかな光?
  こんなものがいくら積み重なっても…
  何も、そう何も!!」

 〜この熱が宇宙をあたためるのでしょう?〜

まずは生きていることを大事にする、
生きてる相手を、世界を、受け容れる。
これができなきゃ、わかり合えるなんてZM絶対無理
 熱、熱意、情熱。
これこそが《生きている輝き》の正体かもしれません

『機動戦士ガンダムUC』
◎宇宙世紀の最後を飾るとんだタイムマシンでした◎



2014年11月04日(火) 別次元!サドル下げたら地獄絵図

〜これは退院直後のお話です〜
「バイク漕げるようになったら退院しようか〜」
執刀医回診からこれまでしのぎを削ってきました。
退院時にはかるく漕げるようになるまでに成長。
ざまあみろ 笑笑
しかし… 最初はペダルに足を乗せた時点で、
「無理」って言葉が全身を駆け巡ったものです。
これ、冗談ではなく《本当》のことw
みんな簡単に回してるあのペダル。

 ぜんぜん回せないんですよ

退院してからは絶好調で回してました。
さて、みなさんは自転車のサドル、
どのくらいの高さで乗ってますか??
まあ自分の腰の位置でセットするのがフツーかな?
入院時代は全力でサドル高、最高にしてましたw
いつも何も考えず、サドルを上限まで一気に上げる。
日課でしたから押すボタンもリズミカル。
そして、退院前のblogどおり。
「余裕で漕げちゃうもんね〜」的心境が完成 笑笑
さあ、そげんこつゆってたらPTマッキー発言キタ。

 「サドル、下げてやってみたらどうですか?」

漕げなきゃ退院できない宣告されてたわたしです。
とにかく必死に、漕ぐことだけに集中してきました。
左脚の可動域をひろげる、動きに馴れさせる。
今ではもう余裕すぎるまでになって。
意味あるのかな?って真剣に思ってた。
そこにかるく投じられた応用地味発言ッッ
ラッキーどストライクです☆

《可動域に対して負荷を上げる》
 ヒザが、より曲がらないと
 サドルが低い自転車は決してこげやしない

そうか、その手があったか!!
漕ぐことだけに集中しすぎてましたね…
そんな技があったなんて全く考えが及ばなかったw
さっそく試してみ… サドルを―
《最低》にセットw まずはやってみなきゃ。
自分の可能性をためすんだ!!
座った瞬間、可能性が不可能に一変した…

 無理。。 これ絶対無理ッッ

サドル《最低》はまったくこげない
いきなり底が知れました―
これまであんなに簡単に回せてたじゃない!!
度肝抜かれました…
今の力じゃ《最低》にまったく歯が立たないッッ
笑いがでた… 苦笑がつきぬけた
両サイドでペダルを快適に回してる人たち。
みんなリハビリに邁進している中。
小学生が漕ぐくらいに低くした自転車に座って、
わたしは爆笑してたんです(爆) 涙がでたw

 端から見たら どう見ても狂ってる 笑笑

いい大人が全力で低いの漕ごうとしているんですよw
むしろこっぴどく笑われててもおかしくない!!
ですが、こんなことで挫けたりしない。
周りの人にどう思われようが、関係ない!!
わたしにはやらなくちゃならない理由があるんです。

 わたしはサドルを少し上げましたw

◎今こそ、その勇気が問われるときです◎
恥ずかしがってる場合じゃあない!!
歯をくいしばって、顔が引き攣りながら、
ギリギリを回してたら、あの台詞が浮かびました。

 乙事主「戦士たちが、戦士たちが…帰ってきた!」

あの感じです。 ほんとうにあの感じ!!

 タイスケ「冷や汗が、冷や汗が…帰ってきたッッ」

エルゴメーターが別次元の怪物になった瞬間です
それは人が変わったような印象に似てた
今まで乗ってたものが化け物になって襲ってきた

 化け物にしたのはわたしですw

月ごとにPTからリハビリ目標設定を尋問されます。
即答。

 「三輪車が漕げるようになる!」

冗談なんかじゃありません。 本気です
この勢いはあのマンガと同じかなw

 「俺は海賊王にきっとなる!!」



2014年11月03日(月) 知らせたら後戻りさせない

メール着信有り。
それは、魔ゆみ姉さんからでした―

 「こんにちは。
  今回もマニシア達とは別の飛行機、
  JALで行くんだけど、タイスケはANA?
  去年みたいにヒースローで待ち合わせしない?
  ちなみに私は15時過ぎに到着します。」

え〜っと… こ、これは。。
今のわたしの状況を知らされてないんですね―
あのときは、ヒザすりむいただけですんだけど…
今回はッッ

 ◎PEOPLE DANCING◎
  The international event, essential for
  anyone working in dance.
  13-15 November 2014
  Wales Millennium Centre Cardiff, Wales, UK
 11/6 Oxford入り。
  7-11 Rehearsal 12 本番 13 DAY OFF
  14 Millennium Centre Hoddinott Hall
    Tech and Rehearsal
    本番
  15 イベント参加
  16 帰国まっしぐら

相変わらずの超過密スケジュールw
5日間終日で完成とかッッ
でもね、海外はありえるんですよ 笑笑
これまで身をもって経験してきましたからね☆
自分も参加するはずだった海外project《Wings3》。
実は、全く同じ文面のメールが10/24にも来てた…
 「こんにちは。」
でもイギリス出発寸前。ちょっと言えなかった。
電話したところで、どうしても複雑な気持ちになる。
知らなければ知らないままでいいじゃないのw

 だって、楽しく踊ってきてほしいんです!!

そういうわけで、理由があって、連絡しませんでした
しかし…さすがに電話着信キタ。。
わたしは電話に出るのか? さすがに逃げ切れんw
とったらデリケートで終わらない審問が襲ってきます
とらなかったら帰国後、確実に体育館裏でしょう
考えるまでもない。 〜いのち最優先〜
今の自分の状況、手術からのリハビリとその経過。

 実際はそんなことを言う前に…
 高価なお土産を要求してました 笑笑

本番はOxfordもあるけどWalesなんですよッッ
Walesってどんなところなんだろう
入院中は、行けるのを目標にがんばってきました
《行ける》だけなら出来たかもしれない
飛行機に搭乗しさえすればいいんです!!
それでも断念したのは、もし行った時のこと。
絶対踊ろうとするのが目に見えています!
なによりも危ないのは自分の《踊りたい衝動》でした
マニシア団は寛大です
そして “生きているかぎりは” 踊ってもらう団体です
できるかもしれない! 何度も考えた
でもその「できるかもしれない」がどれほどのものか
今のわたしにはどうしてもそこにプライドがもてない
現状で、どれくらい “できる” のか  曖昧すぎる
何かに参加するということは、
自分だけで済まされないということです
自分の役割を全うする覚悟がないのなら、
やるべきじゃない
ダンスは遊び気分じゃ踊れないんです
わたしは最後に魔ゆみ姉さんに言いました。

 「ケガする寸前くらいまでは踊ってきてください」

ダンスは《このくらい》程度じゃ伝わったりしません
おもいきり踊るのは大前提です☆
その上で、楽しんできてほしいッッ
これは心底本音ですw

 本番がある以上、
 日本を出国した時点で日本代表なんですよ!!

魔ゆみ姉さんが買ってきてくれたお土産に、
度肝を抜かれるのはそう遠くありませんでした―



2014年11月02日(日) 「東京喰種」第1期

東京に潜む《絶望》
それは、人々に《死》以上の恐怖を与える怪人―
“喰種” (グール)。
彼らはヒトに紛れ、ヒトを狩り、その死肉を喰らう。
食物連鎖の頂点に君臨する “喰種” に怯えながら、
人間たちはこの《間違った世界》を生きていた。
読書好きの大学生・金木は行きつけの喫茶店
「あんていく」にて、利世という女に出会う。
年齢や境遇、読書の趣味も同じという事で、
急接近する二人だが…
僕は小説の主人公でも何でもない… だけど…
もし仮に僕を主役にひとつ作品を書くとすれば、
それはきっと “悲劇” だ
《カグネ》と呼ばれる補食器官を用いて人間を襲い、
その殺傷能力の高さから「化け物」と恐れられる
“喰種” だが、彼らが生きる方法は、
ヒトを喰う以外に存在しない。
金木は、この歪んだ世界に疑問と葛藤を抱きながら、
逃れようのない負の連鎖に巻き込まれていく―

 『東京喰種』
  この世界は間違っている―

中盤急展開。
人間 vs 喰種、2つの戦闘が同時開催されました。
亜門(人間) vs 金木(半喰種)
真戸(人間) vs 董香(喰種)+雛実(喰種)
以下は場面飛び飛びです夜露四苦w

 雛実ちゃん(子供グール)
 「喰種って生きてちゃ… いけないのかな?
  お母さん(殺された)のところに行きたい。
  連れてってよ、お母さんのところに…
  お願い、だから、、お母さんに会いたい!!」

 亜門君(人間)
 「貴様等に一度聞いてみたかった。 罪のない
  人々を平気で殺め、己の欲望のまま喰らう。
  貴様等はなぜ存在している?
  親を殺された子供達、遺された者たちの哀しみ、
  孤独、貴様はそれを考えたことがあるか?
  答えろッッ」

 董香ちゃん(女子高生グール)
 「訳もなく命を狙われる恐怖、アンタにわかる?
  大切な人(グール)が虫ケラのように殺される。
  アンタにこの気持ちわかる?」

 亜門君
 「ラビット(董香)は私の仲間を殺した。
  彼はなぜ殺された? 捜査官だからか?
  ふざけるなッッ
  彼のどこに殺される理由があった??」

 董香ちゃん
 「リョーコさん(雛実母グール)がどこに
  殺される理由があったって言うんだよ??」

 亜門君
 「この世界は間違っている。
  歪めているのは貴様等だ!!」

 董香ちゃん
 「アンタらさえいなければ!!」

熟考中。金木くん(事故で半分グール)
 グールが世界を歪めている、本当にそうなのか?
 リョーコさんが殺される理由はあったのか??
 雛実ちゃんは、大切な人の命を奪われたのは、
 雛実ちゃんだって同じじゃないかッッ
 グールにだって感情はあるんだ。
 人間と変わらないんだ。
 なぜ人間はそこに目を向けない!?
 わかろうとしない!?
 こんなあたりまえのことなのに、
 こんな簡単なことなのに…
 僕だけだ、それに気付けるのは、
 それを伝えられるのはグールの僕だけだ!
 人間の僕だけだ! 僕だけなんだ…
 「違う! 間違っているのはこの世界じゃない。
  たしかに道を誤ったグールもいる。
  でも、すべてのグールがそうなわけじゃない!
  もっと知るべきなんだッッ
  人間もグールも、世界を歪めているのは
  グールだけじゃない! 貴方もだ!!
  わかってもらえませんよね?
  だったら… わからせます!!」
 どうすれば伝わるのかな…?
 どうすれば理解し合えるのかな…?
 争っちゃいけないんだ
 奪い合っちゃいけないんだ
 人間も、グールも。。
 断ち切るんだ 哀しみの連鎖を―
 そのためには どうすれば…???

 董香ちゃん
 「自分がグールだったら、同じこと言えんのかよ?
  生きたいって思って… 何が悪いッッ
  人しか食えないなら、そうするしかねえだろッッ
  こんな身体でどうやって正しく生きりゃいいんだ
  よッッ どうやってッッ
  死ね、死ね死ね死ね死ね! みんな死んじまえ!
  私だって、アンタらみたいに生きたいよ!!」

董香、真戸に押されるも雛実が真戸を圧倒。

 董香ちゃん「雛実… トドメを!」
 雛実「できないよ…」
 董香ちゃん「アンタの両親の仇なのよ?」
 雛実
 「そんなの… どうでもいい
  復讐なんてどうでもいい!!
  あたし、悲しいだけなの。。
  お父さんとお母さんに会いたくて悲しいだけなの
  お父さん!お母さん!独りはさびしいよおおお」

 真戸
 「貴様等に生きる価値などあるものか!!
  笑わせるなッッ」


生きる価値、来ましたね。。
「価値」この世でもっとも嫌いな言葉です。
生きていることに価値がないなんてありえない。
もっといえば「価値」なんてことば自体が愚か。
どんな人生も決して否定できるものじゃない。
その生きる方向はわたしたちには変えられる、
そんなチャンスがいくらでもあるんです!
さあそんな言葉を吐くくらいですから、
真戸には恐ろしい過去があったことでしょう。
相手を全否定です。
全否定できるってことは全否定するくらいの何かが
あったと考えるのが妥当です。
真戸にとってどれほどの大切な人が殺されたか。
かるくここに集約できるでしょう。
おそらく、《当事者》では解決できない。
解決するには、第三者が絶対的に必要な気がします。
なにしろ既に殺し合いをしているんですからね!
人を超えた生物、突然超えさせられた者
人を食べないと生きていけない
人しか食べれない
極端な設定ではありますが、
結局は人と人の終わらない争いが根底にあります。
なぜ人は人同士で殺し合うのか
この話は戦争や民族、地域にも応用が利きます。
グールがどのようにして生まれたのかわかりませんが
明らかに人を超えた圧倒的能力を有しています。
その上、人しか食べることができない設定で、
力を使わなければ全く外見と中身は人間そのもの。
人同士のコミュニケーションをとることができる。
人を食べたくなくても食べないと自分が死んでしまう
この感じは『寄生獣』原作の様相があります。
が、パラサイトの本能は “人間を狩れ” であって、
“人間を食べなくちゃならない” じゃありません。
パラサイトは宇宙からやってきた未知の生物。
それが人間に寄生することで別の生物になる話。
寄生獣は徒党を組みながらどうやって自らが
生きていけるか模索します。
このあたりは『東京喰種』も同じw
隠れないで生きられる世界を探す。
人間を学びながら、人間社会で隠れて生きる。
この “隠れて生きる” っていうのが問題です。
どこに潜んでいるかわからない
これは人間に恐怖を与えるに十分です。
人間は殺されていくばかりですから、
当然対抗するに決まってます。
敵を排除するに決まってます。
《ですが、敵はコミュニケーションが取れます》
寄生獣も喰種も食物連鎖の頂点にいながら、
なぜ隠れて生きなきゃならないんでしょうか?
この世界が圧倒的に《人間社会》だからです
寄生獣もグールも超少数?生物だからです
人間社会に寄り添う選択を強いられる。
人間じゃなくても人間に影響を受けるんですよ!!
寄生獣もグールも弱者と言えるかもしれんッッ

長くなってきましたが、ここは我慢ですw
文章にしておきたいことがあるんです(爆)

さて、寄生獣とグールには大きな違いがあります。
それは子孫です。
グール同士でグールの子が生まれます。
しかし寄生獣は人間の子が生まれます。
これは生物として大変な矛盾です。
これこそが寄生獣をものすごい話にしていると
いっていいでしょう。
今でも原作のこと憶えてるくらいです。
寄生獣はここで一気に飛躍します。
“我々はなぜ生まれたのか”
自らの力でここにたどりついてしまった
寄生獣はパラサイトなのでもともと人間的思考など、
もっていません。学んだんです

なによりも寄生獣自身が自分を知ろうとした
なんのために地球に生まれたか

この部分が『東京喰種』は特に曖昧。
だいたいグールっていつからいるんでしょうか。
いつからそんな生物がいるのか、
人間を食べる歴史がどんなものだったのか
その悩みの深さと時間がまったく見えてこない
《今》のグールが悩んでることはそもそもグールが
生まれた時点であるもので、その悩み自体はグール
同士で受け継がれているものじゃないのか。
そもそもグールには親がいるんです。

何にも過去がない寄生獣とは違う

そういうわけで《今》悩んでるグールたちのこと
だけを見て納得できるものじゃない気がします
種の起源をたどらないと種の在り方がわからない
しかしその着眼点はかなり興味深い!!
《何が世界を歪めているか》
この問題が解決できたら争いは完全に消失です☆
おそらくは、ひとりひとりが自分と真剣に向き合う
ことが不可欠なんじゃないでしょうか。
他人に流されず、自分の執るべき行動を決める。
それでいて他者の話を聞ける柔軟性。
個人の問題にせず、あらゆる人に問いかける姿勢。
これを考えると、わたしたちひとりひとりの行動が
人類の未来に直結していると言えます。
背負ってないと思ってても実は背負ってる(爆)
さて、フィクションの考察はこれで終わりw
他の生物から見たらどんだけ人間がおかしな動物に
見えてるか知れません

人間同士でさえ意思の疎通は完全じゃないんです笑


わたしにはいつも金木くんの台詞があります。
 「どうすれば伝わるのかな」
 「どうすれば理解し合えるのかな」
ダンスに向き合うとこれしかでてきません。
かっこよく見せようとか、ほんとうにすぐバレるw
カタチを踊っていないからこそ一瞬でわかる。
このときの金木くんは「わからせます!」とかって
言っちゃってますが、これは自分にも言える。
“わかってもらう” ために技術を磨いた時代がある。
技術があれば、
“この人は凄い人だ” というところから始められます
一生懸命やってればどんなことも少なからず、
《凄い》に近づく。 技術は《力》です
そんなときにダンスが技術じゃないことを
おしえられました
《何か》がないとダンスにならないんです
すっかり忘れてしまってた
「凄い」って言われたいわけじゃない
何かを伝えようと踊ってきたはずなんです

何のために《ダンス》があるのか

最初は伝わればいいと奮闘してきたものも、
続ければ続けるほど “伝わるように” になり、
今では《循環》があることもわかりました
自分と空間、そして、
見てくれてる人、一人一人から受け取る何かがある
自分が踊るだけじゃないこと
自分が踊って終わりじゃないってこと

◎ダンスは底が知れません◎



2014年11月01日(土) 「月刊少女 野崎くん」

無骨な男子高校生の野崎梅太郎に恋をした女子高生の
佐倉千代は、ある日、勇気を振り絞って告白するもの
の、何故か恋人ではなく少女マンガ家のアシスタント
になったのでした…。
男子高校生でありながら人気の少女マンガ家である
野崎くんを中心に、個性豊かすぎるキャラクターたち
が織り成す少女マンガ家男子コメディー☆

 『月刊少女 野崎くん』
  無骨な男子高校生は、乙女な少女漫画家でした。

これがもうリハビリのたいへんな気分転換に 笑笑
いやこれ、ほんとによく出来ててッッw

 ◎男には、戦わねばならない、時がある◎

御子柴実琴
 野崎〜 今日 泊まっていいか?

野崎梅太郎
 ああ、いいぞ。

佐倉千代
 いいなぁ〜お泊まり。 楽しそうだね!
 いつもどんなことするの?

 そうだなぁ、相談に乗ってもらったりするぜ?
 ふっ、主に… 女の話でな!!

 なるほど。 俺に恋愛相談か。

 ああ、お前なら少女マンガも描いてるし、
 女のことには詳しそうだからな!

 そうだな、自慢じゃないが俺は女心の代弁者とまで
 言われた男だ。
 大船に乗ったつもりで何でも聞いてくれ。

 たのもしいぜ野崎! じゃあ早速だが…
 【Tv画面】
 「ちょっと!今日一緒に帰る約束したでしょ??」
 「私とだよね?御子柴くん。。」
 野崎ぃ!俺はどっちと帰るべきなんだっっ??

 んー、明日香かなぁ。 なんか怒ってるし。

 3年前、現実の女と上手く話せなかった俺は、
 とりあえず勉強してみることにした―
 “オールラウンダー” … これだッッ!!
 (ゲーム購入)
 だが、女というものは実に奥深かった!
 「今日も一緒に帰っていいよね?(包丁持参)」
 ツンデレと思いきやヤンデレかよ!?
 「こんなプレゼントいらない」
 はぁ?! なんだよお前、先週はそのプレゼントや
 ったら喜んでたじゃねーか!!
 この一週間に何があったんだよッッ
 「来週の火曜日なんだけど遊ばない?」
 テメーそれ先週俺が誘った日じゃねえか!
 何同じ日指定してんだよ?? 意味がわかんねえ
 俺を弄ぶのもいい加減にしとけッッ

 〜俺は… あきらめずに挑戦し続けた〜

 「私と付き合ってくれる?」
 いいとも〜 涙涙

 〜そして、二次元から三次元へ〜
 (美少女フィギュア購入)

野崎梅太郎
 どんどん遠ざかってないか、それ?
 しかし、そんなに面白いのか?これ…

 わかってねえなあ〜
 タイプの違う女を次々攻略していく
 達成感ったらねえよ〜??
 野崎もやってみろよ! はまるぞ?

 えー… めんどくさそう。。

 たまには付き合えよ!
 お前も今仕事終わって暇だろ?

 いや、俺は別に。。

ガールズプリンセス3
 「どうしたの?何かあったら言ってよ?」

  → ぐっと我慢する
  → 愚痴る
  → 微笑む

 これはッッ
 少女マンガではお決まりのパターンだな。
 自分だけに見せる弱さにヒロインはときめくはず…
 答えは― 愚痴る、だ!!

 「野崎くんって、けっこう小さい人なんだね…」

 何故だッッ!?
 この女の気持ちがまったく追えない
 意味がわからない!!

 とりあえず女目線でギャルゲーやるのやめろよ…
 にしてもお前、どうして友人を活用しねえんだ?
 好感度やら情報やらおしえてくれるぞ。

 「なんでも聞けよな!」

 こんな出会ってすぐ友達面するヤツ、
 信用できないだろ? これは、トラップだ。

 は?

 俺は知っている。
 こうやって近づいてきた友人は、実は陰で主人公を
 いじめるボスで、とことん追いつめ絶望させる。
 そしてこの台詞。

 「本当は、
  初めて会ったときから、大っ嫌いだったのよ!」

 ゲーム変わっちまうだろ!!
 恋愛どころじゃねーよ。。

  :::::

御子柴実琴
 だーからもう、俺レベルになったら大勢の女どもを
 同時に楽しませることも出来るってもんだぜw

 でもそれって…ゲームの中で、でしょ?
 みこりんって普段は女の子と一緒に
 話したりしないよね? 遠くから声かけるだけで〜

 な、何言ってんだテメエ!
 さくら、お前は俺のプライドをいたく傷つけた。
 見てな!魅惑のトーク術、披露してやるぜ!!

 「これ、最新の靴下なんだぜ? キレイだろ?」


ゲームはゲームでしかない。
そんなことをあらためておもいしらされましたね。
男が、戦うべき時は、ここじゃあないッッ 笑笑
男がッッ 戦うべき時はッッ
いつも、いつだって《厳しい現実》です☆


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