| 2013年04月30日(火) |
「ビビッドレッド・オペレーション」 |
のらりくらり一応ラス、ラストまで見てしまいました…
『ビビッドレッド・オペレーション』
あまりにもおしりに力をいれた映像でしたね。 もうなんていうか、某課長とかが絶対好きな典型でしょうw 物語とか世界観の説得力を抜きにして、美少女の股間でもっています! しかし、そのラストにはたいへん興味深い台詞が!! そういうわけで恥を忍んで断罪していきたいと存じます☆
敵の最終形態が襲ってきました。 「ふん、下等動物が!! 身の程を知りなさい!!」 とってもよくある台詞だねw
微妙に機械化した美少女たちがドッキングして迎え撃ちます。 “ドッキング”とか久しぶりの響きだねw 最後の合体は、度肝を抜く全裸合体でした(爆 見られたらお嫁にいけなくなるような箇所を輝く光が崇高に隠しています! そのときラスボスはとんでもない台詞を吐きました。 「バカな…この光は宇宙創世の光!? 人間ごときがどうしてこんな力を?」 宇宙創世ってゆうか、それじゃ青少年の未知なる妄想ハラスメント光だぞ! 合体美少女は叫びます。
「これが友情の力だ!!!」
どんな友情だよ、それッッッ!! なんとゆう友情至上主義!! これじゃ友情が宇宙をつくったとでも言い切りそうな勢いです!! これが美少女の力か― おっと間違えた、友情友情w
一色健次郎博士が敵のエネルギーを計測します。 「ヤツの周辺で事象の地平線が剥き出しになっておる! 宇宙を破壊できるほどのエネルギーじゃあ!!」
えっ!?そうなの?? 大丈夫?! 星が砕けるどころの話じゃなくて宇宙だよ?? 大気圏外に出てそうな、赤い合体作戦美少女は拳に力を込めました。 あくまでも人体経由だから呼吸できないとヤバいんじゃないかなw もしかしてこの人が“ナイン”の正体じゃないの?? 作品違うけどッ さあ一体どんな最終兵器(GTM)を取り出してくれるんでしょうか―
「ビビッドパーンチ!!!」
あ、あれっ!? 超原始的ッッ!! でも宇宙を破壊できるほどの相手の力をかるく粉微塵にw こ、これが友情の力― す、すごいじゃないか☆ 人智を超えた正拳でしたね
さて、人類に立ちはだかる未曾有の敵を倒したあとでした。 この一言にはほんとに唸りました… まったくそのとおりだとおもうんだものね これ聞くために最後まで見たんだとおもえます! 一件落着☆ ◎ぬいぐるみの台詞より◎
わしはまだまだじゃなあ〜 他と関わりを持たぬ孤独な者は、自ずとその限界が定まってしまう じゃが他者と惹かれ合い影響しあう時、その限界が限界ではなくなる また一から研究のやり直しじゃあ
第85回アカデミー賞 主演男優賞受賞 ダニエル・デイ=ルイス 史上“もっとも愛されたリーダー”の知られざる物語。 国を二分する激しい争いの中で情熱的な理想と冷静な知略を持つリーダーが 行った、世界の未来を変える決断とは―
『リンカーン』 S.スピルバーグ 世界を変えた、夢がある。
人民の、人民による、人民のための政治 その人です☆ 世界を変えた“28日間”の物語。 「government of the people, by the people, for the people」 物語は有名なゲティスバーグ演説が既に終わってるところから始まります。 ってマジで―?? この映画で最初に驚いたところですw 既に皆が「人民の、人民による、人民のための政治」を知っているのだ! そう、この物語の焦点はそこじゃあなかった―
すべてを焼き尽くす砲弾の嵐だ 南軍が降伏するまで戦争は終わらない
混迷する時代、夢に向かってすすむ本当のリーダー。
エイブラハム・リンカーンは人間の平等のため、皆の賛同を求めてる 議会で決めることではない! 不平等も神が創られた!!
紛糾する下院議会。
今 束縛されし者だけでなく生まれくる世代のためにも すべての命は“自由”であるべきだ
奴隷解放を諦めれば戦争は終わるのです!
真に奴隷解放を実現するためにリンカーンはある決断を下します。 それは戦争を“長引かせる”ものでした…
すべての人に“真の自由”を
憲法修正案を可決させるための裏工作。
我が党が すべて賛同しても20票も足りません! たった20か… 命がけの戦いになる すべてを失うぞ! 奴隷制度は、やめさせる 悲惨な戦いの中で、どれだけの若者の命が犠牲になるのだ? あの子まで戦争で奪われたら あなたを許せなくなってしまう 私の許可がなければ入隊は出来ないぞ! 僕は闘う! あなたの息子であることを一生 後悔したくない この戦いに負ければ自由は永遠に奪われる この法案が未来を守るのだ!! あと2票か… 何としても獲得しろ! どうやって? 私はアメリカ合衆国大統領だぞ 絶大な権力を手にしているのだ わたしは人民の未来を託されている 決してあきらめない
すべての血と涙はこのために流された! 決断の時は今、今、今なのだ!!!
憎しみを捨てる― 勇気を持とう
ちくしょー 今トレーラー見ても泣きそうになる!!! “奴隷がいるのがあたりまえ”だった時代です。 誰も奴隷が解放されたあとのビジョンがない時代なんです。 でも、ビジョンがないからといって開放しないんじゃおかしいですよね。 まずは間違いを正すことが先です! 映画で目の当たりにするのは“あたりまえ”を葬ることが如何に難しいか。 その始まりが、戦争に勝つための作戦・手段だったとしても。
◎それまでの“意識”を大きく修正する話です◎
この戦争で― あなたがどれほど自分を犠牲にしたか 後世の人々は驚くわね 驚くべきよ
スピルバーグ(監督) リンカーンは優秀な大統領だ この作品では、彼の政治的な手腕に焦点を当てた 彼は、常に歩み寄る姿勢を忘れなかった 民主主義を重要視してたからだ 民衆の声に耳を傾ける指導者だからこそ、改革を成し遂げられた 南北戦争の最後の4ヶ月に、奴隷解放や戦争終結の偉業が凝縮されてる そこに焦点を絞って製作した さらに内面的な部分にも注目して彼の複雑な状況をしっかりと描くよう努めた 下院での憲法修正の場面がその一例だ
神が等しく創らぬ人間を議会が平等とは認めない!
奴隷制廃止の憲法修正案を可決させるつもり? あなたは人に愛されてる 無駄な力を注がないで
ドリス・K・グッドウィン(「リンカーン」著者) 戦争終結までの最後の4ヶ月には、すべてが凝縮されているだけでなく― 憲法修正第13条の可決が含まれてる それは彼にとって重荷でもあるわ 可決されれば戦争が長引くかも 長期的には正しくても― その間に出る犠牲は彼の責任になる
和平を結ばねば大勢の若者が命を落とす
彼は戦争文書として奴隷解放宣言に署名した そうすることで― 南軍に奴隷たちを利用させないようにした 戦争の道具としてね
トミー・リー・ジョーンズ(タデウス・スティーブンス下院議員役) (憲法改正、影の主役です! 缶コーヒーの某CMのあの人ですよ!!) (まさかあんな重要な役やってるなんて知らなかったよ!!) (その理念を変えたあの発言には感動してしまいました!!) 奴隷解放宣言はまだ不安定だった 法的な意味でも 多くの犠牲があって憲法修正は実現した
スピルバーグ(監督) 戦争が終結しても奴隷は解放されない それで憲法の修正が必要だと考えた 多くの人が奴隷解放宣言を― リンカーンの偉業だと思ってる でも、修正こそが歴史的に重要なんだ 奴隷を永久に解放したんだからね
奴隷制という病を根絶させてから戦争を終わらせる 修正案こそ“治療薬”だ!!
この作品では数々の策略が描かれてる 歴史の裏で行われたことだ そういう知略や妥協やかけ引きは すべて― 重要な憲法修正を実現するためだった 彼の長期的な視点は、誰もが持てるわけじゃない 目的は手段を正当化する
2票手に入れるのだ 下院議員は安い 数千ドルで買えるぞ 金で票は買えない 自分の心に問え
リンカーンは行きすぎたのか? 政治にはあいまいな部分がある 彼は前例のない方法で権力を行使し、時には法律を踏み越えることもあった 彼の行為には議論の余地がある でもおそらく― 歴史は彼に軍配を上げるだろう
今 奴隷でいる数百万人の運命だけではない 将来 生まれてくる無数の人々もだ
彼が問題を解決する過程を見てみると― 驚くほどの圧倒的な統率力や、人々に対する理解がうかがえる 彼のさまざまな言動を通じてね
不本意ではありましたが、ここまではおおよそ引用です。 とにかく興味をもってくれないと感想を書くには安すぎる!!(爆 この映画の外観を例えるなら―
“事件は会議室でおこっており、現場では激戦がつづいている”
某刑事ドラマとは真逆の展開ですねw 実は、この映画のほとんどが“話し合い”で“論議”の映画なんです。 議員の一言一句にあげあしを取られるどろっどろな政治の世界。 そういうわけで、楽しい映画とは言いにくい。 むしろ頭を使わなきゃ、てんで退屈な映画とも言えちゃいそうです。 下院議員で法案を成立させるところでは間抜けな議員が登場しましたが、 この映画じゃどんなに間抜けでも“わらえません”w 映画の主題自体が誠実で偉大すぎて笑えるものじゃないのだ!! つまり、凄い映画だったんです 何が凄いかって、その内容が凄いんですよ 単に戦争を終わらせるのではなく、戦争をどう終わらせるか、の話です。 〜さぁ心に残った台詞のコーナーです〜
「“調和”と“公平” それが正義だ 」
映画の中盤、リンカーンの台詞です! 唸りましたね… ちょうど先月見た『PSYCHO-PASS』のテーマが正義だったばかり!! リンカーンの言葉は“バランス”が“正義”でした―
そのラストに泣いてました わからないけど泣いていたんです その気持ちは悲しいとか、感動したとかじゃなかった
こんな人物が“いた”んだなぁと心深くおもったのです
じーんと、しみじみと、“いた”ことに凄いと感じました こんな映画は初めてです わたしたちはどれだけ今を利害関係で生きているんでしょうね… 目の前のことだけを考えては、未来を間違うかもしれない 未来からの今と、今だけの今では見方はまるで違ってきます “よりよい未来のために、耐え忍ばなければならない時がある” それは、未来から見て“今”の選択です その上で、今“そのときにやっておかなければならないこともある” これはわたしたちにも十分あてはまります!!
錆びついた人々の心のコンパスを示した 未来の、あるべき方向に
そんなことを本当に、現実に、やってしまった人がこの世にいたんです 今あたりまえのことが、過去ではあたりまえじゃなかった わたしたちの世界は彼の夢の上に成り立っているといってもいいでしょう すごいよね??
わたしはダンスを受け取ってくれるひとを、 もっともっとふやしていきたいとおもっています 見る人を楽しませるエンターテイメントのダンスなら技術かもしれません でも“見て”楽しいダンスではない、技術ではないダンスがあります ダンスにはもっともっと底知れない“楽しさ”がある きっと、人間と同じくらい底が知れませんw それを知ってもらうのはほんとうにむずかしいことで、 いくら“かんがえても”かんがえるだけではダメだといつもいきつきます ひとりひとり、実はみんなが最初から持っているもの 大事なのは理想を掲げながらも歩み寄る姿勢なのかもしれません そんなものが示せるように もっともっと踊っていきたいです
角川文庫創刊65周年記念作品。 〜絶滅危惧種の“人間”のおはなし〜 あらゆる人々が手に入れたいと思うほど、唯一無二の不思議な力を持つ存在。
『RDG レッドデータガール』 “普通”になりたい少女の願いが、未来を変える― 善も悪もない、新たな学園ファンタジー
そのファンタジー、良し悪しはかなりあったんじゃないかなw 舞を舞うアニメーションを見て綺麗だと感じたのは初めてかもしれません! さて、主人公・鈴原泉水子が舞を舞うことでいろいろ勉強もできました。
【天鈿女命(あめのうずめのみこと)】 日本神話に登場する女神であり、日本最古の踊り子。 その逸話は『日本書紀』や『古事記』などに描かれている。 太陽神・天照大御神が高天ヶ原の天の岩戸に隠れた時、 舞を舞うことによって、そこから招き出そうとした。
【神楽(かぐら)】 神に奉納するために、神事や祭礼などで披露される舞踊や雅楽などのこと。
【巫女(みこ)】 神に仕える女性。 古来は神の言葉を人に伝える役割を担い、 奉納の舞や祈祷、占いなどを行った。 現代の神社では、神事の奉仕など神職の補佐的役割を務める。
日本の舞はいったいどこからきたのかな… 神話の踊り子はどんな踊りをしたのかな… 神事や祭礼で披露する舞踊を、しきたりとしてでなく、 “自由”に踊るひとっているのかな…
そもそも日本では、何を“踊り”と云ったんでしょうか―
泉水子は舞を舞うときにこう言いました。
ほんとうはわたし、 ここにいるわたしを誰かにわかってほしいとおもっていたのかな… だから、和宮くんが寄ってきた
見られることが怖いのは、傷つけられるのが怖いから 見られることが恥ずかしいのは、自分で自分を否定しているから わたしはこれほど冴えない鈴原泉水子ではなく、他の者になりたい
その台詞にびっくりしました なぜなら、わたしがもっていた踊る当初の理由と同じだったからです でも、今は“他の者になりたい”とはおもっていません わたしにとってそれは“自分を超えていきたい”です
わたしは、今の自分を超えていきたくて踊っています それは同時に、自分を認めてやりたいからかもしれません
しかし、自分を超えていきたいと思いながら踊っているわけじゃない それよりも、自分を捨てて何を踊りにするのかを考えています
そうだ、“何を踊りにするのか”です
相手があって“何を受け取ってもらいたいか”です
踊りを踊るには、自分を持っていなければならないのだとおもいます 持っていなければ捨てられないからです
| 2013年04月18日(木) |
来日 アウン・サン・スー・チー |
ミャンマーの民主化運動指導者、最大野党の国民民主連盟党首、 アウン・サン・スー・チー氏が、日本政府の招きで27年ぶりに来日。 政治家としては初来日です! 東京大学での講演は事前登録が始まってわずか一時間で定員超え。 軍事政権に15年あまりに渡って自宅軟禁などの弾圧を受けながらも、 スー・チーさんは民主化運動を続け、去年4月の選挙でようやく議員として 本格的な国政への参加が認めらた人物。
生きながらにして映画化されるような、 時代の奔流に呑み込まれるも、代わりのいないひと
それも、時代と政治に呑み込まれ続ける現在進行形!! 今現在全世界でこれほど注目されている孤高の政治家は他にいませんよね。 軍事政権の民政移管、人権問題、民主化、たいへんな事情の真っ只中。 少しずつ民主化への道を掴んできた人ですが、今も困難の連続のようです。 日本がミャンマーに対してとってきた行動がどんなものだったのか。 そしてこれからどう関わっていけばいいのか。 わたしたちも国際社会の一員として他人事にしてはいけませんよね。 スー・チーさんの現実路線への転換はあらゆることを見据えた上での判断。 世の中は、理想だけ掲げても現実は動きません。 耐え忍んで可能性をすすめなければ未来は変わらないはずです! さぁ、そんなスー・チーさんの決意のようなインタビューより。
「たゆまぬ努力、それが人生です」
スー・チーさんはそう明快に言い切りました。 その言葉に、強烈な意志と、怠っていない努力を痛切に感じました。 日本に“こんな政治家はいない”そう漠然とおもったのです。 〜発する言葉の重みがまったくちがう〜
「本当の改革は“国民の生活が変わること”」
命をかけて立ち向かってきた時間が、揺るぎない強さをつくったのでしょう ミャンマー民主化への闘い、15年に渡る軟禁生活。 圧倒的に不利な状況を打破するために敵対勢力に接近。 軍との協力をどう引き出すか― その行動だけを見れば国民の信頼を裏切ったもののようにも見えます。 でもそれは、その先にあるもののためのはずです。 第三者はいつだって目に見えるもので判断してしまいます。 本質を捉えようとしないのは考えることを放棄してるのと同じですよね。 スー・チーさんだけに頼らない姿勢がわたしたちにも必要なはずです!!
「どんな人にも言えることだと思いますが、あたらしい未知の領域に 踏み込むには“大丈夫だ”という自信が必要なのです」
「民主主義は自らの力で勝ち取るものです。人に頼るだけではいけない」
「何事にもおそれない勇気」
「自分を真正面から見据えて自分を決めること」
どんな言葉も心の奥深くひびくものでした
人生で、はじめて早川書房の書籍を手に取りましたw
『夏への扉』 ロバート・A・ハインライン A・P、フィリス、ミックとアンネットほか 世のなべての猫好きにこの本を捧げる
文化女中器を軸とした痛快SF小説です!! って言って、文化女中器を誰がわかってくれるんでしょうか… きっと読んだ人じゃないとわかんないよね―
さぁこの本も差込がいくつかあります。 もう3ヶ月も前のことですからよほど草稿できてないと読み直しですw はじめの差込は、っと…
そしてそれ以後ならば、仮に誰かが、ベルの前歴を調査してはと 言ってきたとしても、ぼくは憤然としてそれを退けたにちがいない。 そのころはすでに、彼女のバストの寸法が、 ぼくの判断力に甚大な影響を及ぼしていたからだ。
ある意味で、これが夏への扉だといってもいいくらいです!!(殴 ああ甚大な影響、なんとおぞましい生理現象!! そう、この世は惚れたほうが負け。 受け容れましょう 幸か不幸か、現在 わたしにそこまで甚大な影響を及ぼす人はいませんw 現代で“甚大”はたいへんな危険を伴います。 行き過ぎた人たちの末路はとんでもないものですよね。 そうです、どこかでわたしたちはわたしたちのこころを律しなくては!
「ああ、そのことよ。 あなたから、そのことをいいだしてくれて、助かったわ。 ねえ、あなた、わたくし、いろいろと猫のことを研究してみたのよ、 いえ、ほんとうに。 それで、ピートを、去勢しなければいけないと思うのよ。 そうすれば、ずっとおとなしくなるし、アパートの中だって、 ちゃんと飼えるようにもなるわ」 ぼくは目を瞠ってベルを見つめた。 われとわが耳が信じられなかった。 ぼくのピートを、誇り高い老戦士を、宦官にしようというのか? 彼を、炉辺の置きものに? 「ベル、なにをいってるんだ!」 ぼくは思わず叫んだ。 彼女は、例の“ママはなんでも知っている”調の甘い口調で、 猫を私有財産と勘違いしている連中の必ず使う陳腐な言葉を羅列して ぼくを説き伏せようとした― それが、彼にはなんの害も与えないこと、それが彼のためにこそなれ、 悪いことはひとつもないこと、ぼくが彼をいかに愛しているかは、 “わたし”が一番知っている、だから彼をぼくから取りあげようなどとは、 これっぽっちも思っていないこと、それが、どんなに簡単で安全で、 おまけにどんなにみんなのためになるかということなど…。
この感じは多くの女子がもつ特性であるような気がします。 ある一点の抜け落ちたこういう物言いはよくあることだからです。 もちろん全部あてはまるわけではないし、男にだってありうること。 ただ、この言い方は相手のことを思っているような自分本位です。 おそろしい会話術だといえるでしょう。
ぼくはふと、すでにぼくが、それと意識せず、 コールドスリープに行かないつもりでいることに気がついた。 あの医者のしてくれた注射とお説教のおかげで、 ぼくはすっかり真剣な心構えを取り戻していたのだ! いまや、ぼくのバックボーンは筋金入りだった。 もう、冷凍睡眠などで現実を逃避はしないぞ。 踏みとどまって闘うのだ―
“真剣な心構え”それは人間にとって、もっとも大事なものかもしれません そのときの勢いや感情がいい目を出すときは“負の力”でないとき。 強烈な怒りや哀しみは選択をあやまらせてしまう原因になりやすい。 (※自分自身への怒りは正しく使えば急成長できる可能性をもつ) 相手があることに対しては自分の失敗が見えにくくなるものです! これはドラゴンボールの悟空で検証できます。 孫悟空がスーパーサイヤ人になるとき。 あれはおおよそ自分自身の力のなさからくる絶望的な憤怒からでした。 黄金に逆立つ髪と輝くオーラをまとい“カッコイイ”とされています。 自分自身への怒りということで言えば急成長のたまものですよね。 でもあれは種族の差はありこそすれ、やっているのは人殺しです。 どこが“カッコイイ”んですか? フリーザの行動がどんなことか諭すのがすべてのはじまりのはずです。 でも、それをあきらめたんだよね。 実は孫悟空が相手を切り捨てて排除した瞬間なのです
かなり長い時間、ぼくはなにがなにやらわからないでいた。 確か、そのうちの一部は、手術台のようなものの上にいて、 その台がぶるんぶるんと振動し、蛇のような格好の機械があって、 煌々たる灯りがさし、無数の人間があたりを動きまわっていた。 だが、ぼくがはっきり目を覚ましたときは病院のベッドに寝かされていた。 気分はもうすっかりよくて、ただ、トルコ風呂に入ったあと感ずるような、 半分身体が漂うような不安定な感覚があった。 手も脚も、もとどおりくっついていた。 だが、誰一人ぼくに話しかけようともせず、一度など、看護婦の姿を 見かけてこっちから口をきこうとした途端に、口の中へ何かつっこまれた。 それから、長い長いマッサージを受けた。 そしてある朝、爽快な気分で目を覚ますと同時にベッドからおりてみた。 ちょっと眩暈がしたが、たいしたことはなかった。 自分の名前もわかったし、なぜこんなところへ来たのかも、 この現実以外のすべてが夢だったこともちゃんとわかった。 ぼくは、誰にここへ入れられたのかも知っていた。 ゾンビー・ドラッグの麻酔をかけられて、ベルに、 彼女の奸計を忘れてしまえと命ぜられたはずだったが、 三十年間の冷凍睡眠がその催眠力を洗い流してしまったのだろう。 細かいことは多少ぼんやりしていたが、彼らがぼくをどのようにして ここへ誘拐してきたかも、ぼくははっきりと思い出すことができた。 ぼくは最初、とくに怒りの感情をおぼえなかった。 それもそのはずだ― それはほんの昨日の(昨日という言葉が一夜の眠りを境とした前の日の ことである以上)出来事に過ぎないように思われこそすれ、実はその間に 三十年の歳月が流れてしまったのだから。 この感情は、非常に主観的なものなので、正確にいい表しにくい。 だが、ぼくの記憶はまさに昨日のことのようにまざまざと鮮明なのに、 その記憶にまつわる感情は、遠くかすかなものでしかないのだ。 諸君はテレビの野球実況を見ていて、画面がロング・ショットから クローズ・アップに移るとき、画面いっぱいに拡がった投手のピッチング モーションのはるかむこうに、球場の全景が見えて、その彼方に 投手自身の豆粒のような姿が、まだ白昼の亡霊さながらに残っているのを 見たことがあるだろう。 ぼくの感情はなにかそれに似ていた… ぼくの記憶はクローズ・アップ。 そしてぼくの感情は、画面の背後に拡がる球場の全景だ。
この描写はたいへん興味深いものでした! わたしは時間を超えたわけではないけれど、なんとなくわかるのです。 この作者も同じ経験をしたのでなければたいへんな想像力です。 目が覚めたわたしは記憶がぐちゃぐちゃになっていましたが、
たしかに“記憶にまつわる感情は、遠くかすかなもの”でした
あのとき、もしかしたら時間を超えたのと同じ経験をしたのかもしれません それまでいろんなことがありました。 裏切りやパワハラ、誤解と真相、うまくいったこといかなかったこと。 喜んだり苦しんだりしたことのすべては相手があったことでした。 あのときはそのことが遠いところに拡がっていたような気がするのです。 これは下手すればたいへん誤解を生むような文章かもしれません。 でも最初にいっておきますがこんなのはなんの自慢にもなりません。 ただの個人的な経験です それでもわたしにとって人生が変わった経験です そこで上の文章はとても共感できるのです。 “この感情は、非常に主観的なものなので、正確にいい表しにくい” 文章でどうやったら熱意が伝わるんでしょうか。 できるかぎり誤解されないやり方はないのか、ずっと考えています。 これはダンスをおどるときも同じ気持ちです
ぼくは、心ひそかに、近いうちに必ずいくらかでも技術に関係のある 仕事にありついてやるぞと決心した。 もちろん、ぼくとても、自分が再び技術者といわれるだけのものに なったと自惚れるほどの馬鹿ではなかった。 ぼくがまだ学びきれない― 自家薬籠中のものとしきれないことは、 山ほどあった。 新しく身につけた技術を使って、ああもできる、 こうもできるぞと内心得意で図書館の本を見ると、すでに誰かが、 その同じ問題を、ずっとスマートに、見事に、しかも安く、 も一つおまけに十年も十五年も以前に考え出しているという事実に ぶつかったことも、二度や三度ではなかった。 ぼくは、どこかの工業関係のオフィスに雇われて、そうした技術を、 骨の髄にまで浸透させたかった。 そのためには製図工の見習いの職にでもつければ一番いい。
ダンス作品や振付をつくっていた初期に悩まされたこと。 それは“自分らしい”ダンスをつくることです。 しかし、これは!というものをつくっても誰かがとっくにおどってたw ダンサーなら誰もやったことがないものに固執したことがあるはずです! 今なら振付が自分らしさを決めるものじゃないことを知っています。 ダンサーならどんな振付をおどっても自分らしさが先にあるはずだからです これまでつくってきた作品でも、振付はただの計画書であって、 その人らしさ、その人の本物を引き出すことをもっとも重要視してきました これがわたしのコンテンポラリーダンスです わたしが好きな歌の歌詞を引用すると “借り物の力でかまわない、そこにたしかな鼓動があるなら” それでも、ここにいきつくまでたいへんな時間を要してしまいましたw かるく回り道しすぎです!! あたらしくなってからはこれまでやってこなかった技術に向き合いました。 できない技術、ほんとうに下手くそで恥を棄てなきゃやれませんでした… いい大人がいい恥さらしをやってるわけですから 骨の髄まで、なんてわたしのような者が言うことは出来ませんが、 すこしでも浸透させたい思いが、すこしでもいい踊りがしたい思いが、 “そのためには製図工の見習いの職にでもつければ一番いい” 恥を忍ぶことを選択させたのだとおもいます
なぜそんなと、理由を訊かれても答えようはない。 自分の仕事は、自分にはわかるのだ。 美術評論家は筆さばきの具合ひとつから、あるいは光線のあてかたから、 構図の取りかたから、絵具の選択からでさえ、 これはルーベンスであるとか、レンブラントであるといったような 見わけがつく。 技術家の仕事もおなじことで、ある意味では芸術だ。 一つの技術的な問題を解くにも、それぞれの流儀と方法がある。 技術家は、絵描きとおなじように、その流儀の選びかたで、 自分の仕事にはっきり“署名”するのだ。
この小説では勇気づけられることがたくさんありました。 それは舞踊家でも振付家でも、なんだってそういうことだからです。
自分が自分らしくいさえすれば、いようとすれば大丈夫
長くなってしまいましたが最後は流したいとおもいますw
ぼくは考えようとした。 頭がずきんずきんと痛んだ。 ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事に騙された。 が― なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、 結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。 まったく人間を信用しないでなにかやるとすれば、 山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければ ならなくなる。 いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。 ただ生きていることそのこと自体、 生命の危険につねにさらされていることではないか。 そして最後には、例外ない死が待っているのだ。
「ついてくれるわ、きっと。 必ずついてくれるわよ。 だってお祖母さん、人間はどうしても少しは罪のない嘘をつかなきゃ、 おたがいに仲良く暮らしてはいけないって前からいってたもの。 嘘っていうものは、悪用しちゃいけないけど、 つかわなきゃならないときもあるんですって」
この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、 ぼくの夏への扉はもう見つかった。 もしぼくの息子の時代になってタイムマシンが完成したら、 あるいは息子が行きたがるかもしれない。 その場合には、いけないとはいわないが、 けっして過去へは行くなといおう。 過去は非常の場合だけだ。 そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。 誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。 人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、 器械で、勘で、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。
世の中には、いたずらに過去を懐かしがるスノッブどもがいる。 そんな連中は、釘ひとつ打てないし、計算尺ひとつ使えない。 ぼくは、できれば、連中を、トウィッチェル博士のタイムマシンの テスト台に放り込んで、十二世紀あたりへぶっとばしてやるといいと思う
わたしは時間のパラドックスなく、スマートな SF小説をこれまで読んだことありませんでした!! すごくすがすがしい気分が襲う、そんな作品だとおもいます 作者は自分の文章の中に自由を見出しています その自由さがとっても心地いい波動を生んでいるとおもうのです 是非よんでみてくださいネ☆
| 2013年04月14日(日) |
「ミッフィー どうぶつえんで宝さがし」 |
わたしは、知るひとぞフツーに知ってるミッフィーファン。
『劇場版ミッフィー どうぶつえんで宝さがし』 みんなが大好きなミッフィーが遂に映画になりました!
もたもたしてたら、行きつけの映画館での上映期間終わってた― 前売券を購入しているわたしは途方に暮れました。 かくなるうえは… ミッフィー上映してる別の映画館さがし あった、あった、ありました! でも車でないと行けないところだよw そういうわけで姉ちゃんにミッフィー見るためだけに車飛ばしてもらいます。 すっごいふくざつな顔をされましたが、その顔までも予想範囲内だw
「別の映画が見たいわ…」ぶつぶつ言いながら姉ちゃんはミッフィー購入。 劇場内に入るとミッフィーの耳をつけた子供たちがっつ!! わたしは怯みました 〜ウルトラセブンが頭をよぎった〜 この場は子供たちの楽園ともいうべきものではないのだろうか!? ミッフィー耳をかぶった子供たちのお母さんは劇場に子供たちを置き去りに。 そう、自由になるためですw
川へ洗濯にいくわけではないのだ
なるほど、映画館ってこういう使い方ができるのか… 人間って、母ってすごいいね! やがてミッフィー耳の子供たちの目がやってきたわたしたちを捉えます。
そう、いい大人はわたしたち二人だけなのだ
その上、わたしは例によって人目につくようです。 そんなつもりはないんですけどねw 子供たちはわたしたちを、いや、大方わたしをずっと見ていた。
あまりにも異様で目を離せなかったんでしょう あやうく睨みかえすところでした
それを冷静に俯瞰で読み解いてる自分に軽く笑えちゃいましたねw 驚いたのは、PRCM皆無、ピエロ男女がHIPHOPをずうーっと延々踊る映像。 それも、絶え間なく、飽きさせない内容! わたしは唸りました きっとこれがターゲット年齢層重視というものなのだ。 おかげさまで目がぐるぐるです!
絵本やテレビ放送などを通じ、世界中の子供から大人まで、 幅広く愛されているミッフィー。 1955年に誕生し、日本でも絶大な人気を誇るキャラクターですが、 なんと57年の歴史上で映画化は初めて☆ 今回の映画は動物園が舞台。 動物園へやってきたミッフィーが、お友達と一緒に、 おとうさんとおかあさんが計画してくれた宝さがしにでかけます。 宝ものへとつながる5つのヒントは“宝さがしの歌”の中。 1つずつ謎を解きながら、手がかりの動物たちをたどって、 宝ものを目指します。 間違えたりトラブルが発生したり、 答えの動物はすんなりとは見つけられません。 お友達と協力し、励まし合いながら、1つずつ謎を解いていきます。
さて、ちなみにそのお友達とは“わたしたち観客”のことw 映画ではミッフィーがわたしたちにいちいち語りかけてきます。 すっごく苦痛な瞬間でしたね。。こっちに振るなよ!!(爆 映像からリアルわたしたちに次元超えてくるミッフィーってすごいいね! さあストーリーをすすめましょう! まず最初に度肝を抜いたのは動物園に入場するとき。 動物園園長さん(熊)がミッフィー家族に言い放ちます。
クマ園長「犬(スナッフィー)は動物園には入れないよ」
えええええッッ?! マジで?? ミッフィーたちなんかウサ… それよりも自分がクマ… えええええッッ!? ミッフィーはクマ園長に叫びます。
ミッフィー「スナッフィーは犬じゃないよ!家族だよ!!」
園長さん「そうか、じゃあ通りなさい」 って、えええええッッ?! どうなってんのこの展開??? 園長クマ、ミッフィー兎でスナッヒー犬だしグランティなんて子豚よ!?
動物園入場以前の問題だろそれッッ
この映画、すっ、すごすぎるッッッ かるく失神しそうです 動物が動物園にあそびにきてる時点でそもそも想像を絶してるよねw なんのために動物園があるのかわからなくなってきました!! 常識的に物事かんがえすぎちゃいけないね。。 気をつけよう
人間だって動物、檻に入れられてる人もいるんだものね
宝ものにつながる5つのヒントは、色・形・動き・数字・音がテーマです。 動物園にいる動物たちを通してそれらを学ぶことができます。 またミッフィー、メラニー、グランティという3人のキャラクターは、 それぞれに得意なものや苦手なものがあります。 異なる性格や特徴をもつキャラクターが協力して問題を 解決していく姿には、「一人一人が違う。でもそれでいい!」という メッセージも込められています。 映画を通して、友達と協力することの大切さ、 課題を達成することの楽しさ、 そして、素晴らしいお友達と一緒に冒険を分かち合えたことが 最大の「宝もの」であることも伝えているのです。
なるほど!! わたしたちが努力すべきはあらゆることを「どうでもいい!」にしないことw どうでもいい、にした瞬間に学び放棄って感じになっちゃうもんね!
さて、ミッフィーたちが黄色い動物を探している場面。 わたしは“ライオン”だと予想。 ミッフィー世界では堂々黄色のはずだ!
答え:カンガルーの赤ちゃん
その答えにわたしは震え上がりました!! そうきたかあああああッ ここでも常識的にかんがえすぎたか… カンガルーの赤ちゃん黄色すぎ!! 劇場版、すごすぎるるるッッッ はらわた煮え…じゃないや、これじゃあ激情版ミッフィーです!! なんてこった 激しく大人の見解を裏切っています!! あまくない、この映画あまくないぞ。。
次は縞模様の動物を探す旅に出たミッフィーたち。
答え:縞フクロウ
そっちかよ― みなさんはシマウマを想定シマせんでしたか? わたしはシマした(爆 シマウマも登場したのはしたのですが、出てきたのは茶色の馬。 ところが茶色なのは汚れていただけで水浴びたらシマウマだったのだw 〜なんということでしょう〜 わたしたちは常に騙されつづけました。。 この映画、難解すぎやしないか
わたしはミッフィー好きではありますがアニメとかはほぼ見てません。 アニメでしゃべってるミッフィーを見て泡吹いたくらいです。 くちは×なのにモゴモゴ喋れるだなんて想像だにできなかったよ。。 しかし今回はアニメじゃありません! どんなふうに喋るの―
目は瞬きできても、口元は微動だにしなかった
まばたきするのには驚きましたが、口元は動かなかったのが事実です。 それから真横から見たミッフィーってのもなかなか見れないんじゃないかな ミッフィーの頭蓋骨は前がなだらか、後ろは絶壁です! 絵でみたらまんまるに見えるけど、実はまんまるではないのだ!! あ〜いろいろとディスカバリー☆ また一つ大人になれたかな
最後にカンガルーの赤ちゃんが黄色だとわかったときの歌を紹介します。
「カンガルーの赤ちゃん ピカブ♪ かわいい赤ちゃん ピカブ♪」
わたしは「ピカブ♪」を「ひでぶ♪」に脳内変換してしまいました ミッフィーpea ka booを北斗の拳“お前はもう死んでいる”にしてどうする ここで断罪しておきたいとおもいます すいませんでした
“動物園” “宝物” “冒険” “謎解き”という、 こどもがワクワクする要素にあふれ、 さらに、こどもに見せたい教育的要素もたっぷりつまった作品です。 お子さまの映画館デビューにピッタリの作品と言えるでしょう。
動物が動物園に行く不可解な現象、そして謎解きも難解すぎるという、 おとながイライラする要素にあふれ、 さらに、ミッフィーたちが考えるのを放棄して観客にたすけを強いる、 おとなの常識が何の役にも立たないことを知るピッタリの作品でしたねw
もっともっとミッフィーが好きになりました 生きねば
| 2013年04月13日(土) |
楽しいって何ですか? |
「楽しいって何ですか?」
涙目で訊ねられた台詞でした それも某ブティック内で えっ、なんでこんなところで“楽しい”の相談?! 意味わからん!! 〜しかしこれは、ほんとうに訊ねられたリアルです〜 相手はあまり物事を深く考えない“その場”感がつよい店員w わたしは深く考えすぎて陥るタイプだけど、 わたし担当者なその店員は深く考えないから常に明るいタイプ☆ ってそれ真逆じゃないの―!? そんな店員が、考えちゃったばかりに起こってしまった悲劇。 きっと不意に暇ができちゃったんじゃないかな?(わるい意味じゃないよ)
さぁたいへんな質問をされてしまいました!! あなたな〜らどう答えるるるーーー
楽しい? そんなの、考えることじゃないんじゃないかな
わたしの現在は目指すものに向かっていく挑戦の真っ最中です。 向かっていくことには困難がいつだってつきまとうもの。 だけど、すすんでいるときには余計なことを考える暇なんてない。 どうやったら出来るか、どうやったらもっと踊れるようになるのか いつもちょっと先を歩けるように自分をもっていくことしか考えてない
楽しいはいつだってその先にあるとおもっているんだものね
よく絵で示される例え、競走馬の前に釣られてる人参。 わたしは、あんな“わかりやすい楽しい”を欲していません。 目の前の“楽しい”よりももっと大事なことがある そのことのために小さな楽しいを見つける努力はしても、 目先の楽しいにすべてを奪われるようなことはしません。
自分をわすれるくらいにおどったとき、 楽しいなんてことも考えられないくらいに無心でおどれたら
自分が目指すものに向かうときや、好きなことをしているとき 本気であればあるほど、それは集中をともなうものではないでしょうか どんなことも目先の楽しいであれば自覚できます 楽しいと“思いながら”事にあたることができる 目先の楽しいは、自分の力でそのように楽しくもっていけるのでは?? じゃあ、“本物の”楽しいは?? 心底“楽しい”と思えるってどんなときですか??
もう答えはひとつじゃないね
わたしたちひとりひとり、それぞれが決めるもの いくらわたしたちが楽しくできるとしても、自分自身に嘘はつけません。 お酒を飲むことを“楽しい”としている話もよくききます。 しかし、わたしはよくわかりません。 お酒を酌み交わす相手がいれば楽しいとおもえますが、 お酒を飲むことだけには“楽しい”なんてまったく感じないのです。 まったく悪気はないのですが、 わたしが一人でお酒を飲むなんてのは一種の気の迷いですw
今おもうのは、あのときが“楽しい”だったんじゃないか、ってことだけ
後日、わたしは担当店員に映画『リトル・ダンサー』を渡します。 見て欲しい場面があったからです。 それは、主人公ビリー・エリオットが試験面接官に問われるシーン。
「最後に1つ聞かせてビリー? 踊っているときはどんな気持ちなの?」
「分かりません …いい気持ちです 最初は硬いけど 体が動き出すと全部わすれてしまう それから― 消えるんです 消えてしまう 体が変化して 火がつく感じ 飛んでるような気がする 鳥のように 電気のように そう… 電気のように 」
わたし自身、どう踊ったのかおぼえていない本番がいくつもあります 観客にどう見えたかは常に自らに問わなければなりませんが、 自分をわすれるくらい踊ったのは事実です そんなわたしですからビリーくんの台詞は何度聞いても唸ってしまうのです
“分かりません”、今はその言葉が“楽しい”の正体な気がしています
| 2013年04月09日(火) |
「絶園のテンペスト」 |
『絶園のテンペスト』 (全24幕) 世の中の関節は外れてしまった。 ああ、なんと呪われた因果か、それを直すために生れついたとは!!
世界の命運を賭けたラブコメなのか!?
ちょっと待て。 そのふたつのキャッチフレーズ、差がありすぎだろ―
創造の力を司る“はじまりの樹”と、破壊の力を司る“絶園の樹”。 “はじまりの樹”の加護を受ける魔法使いの一族の姫宮にして、 最強の魔法使い鎖部葉風は、同族の左門の謀略により、 樽に詰められ絶海の孤島に置き去りにされていた。 一方、高校生 滝川吉野は失踪した親友の不破真広を追う謎の女と出会う。 真広は何者かに殺された妹の復讐をするために、 葉風と“ある取引”をしていた―
はじまりの樹と絶園の樹、人智を超えた人類への試練の物語。 葉風が樽から復活を遂げる三話は物凄く面白かったw 真広と左門と葉風に繰り広げる吉野の仮説熱血プレゼンテーション!! 鎖部左門が強烈な顔で「なにィィィ〜!?」とか叫びつづける三話ね。 あれほど歪んだ間抜け顔をつづけるロン毛イケメンキャラは見たことがないw たぶんねー、その台詞を載せても案外おもしろいかもw きっとわけわかんないでしょうけどいってみよう(爆
いや、待て、待て、待て、待てえええええええええええええええええ!! 我等は二年も姫様を眠らせるなどしておらん!! その骨も姫様のもので間違いない!! (冗談ではないぞ、そんなでたらめな理屈でマグを発動させられるなど! これは冤罪だ…偽証による冤罪だあ)
証拠がありますよ 葉風さんの時間感覚が信用できないとなれば、 時間がズレている証拠なんてありませんよ だいたいいくら魔法でも時間を超えて会話できるなんて非常識です それを信じるほうがどうかしてる
今さら常識もないだろう!!(魔法の話をしている時点で) 第一、現実に時を超えているんだ!!
真広、マグを発動させろ! それで葉風さんを救える! おまえの望みも叶う これ以上の悲劇は避けられるんだ!!
しまった、あの少年は間違っている… だが、それは関係ないのだ! マグを発動させられたら、わたしは姫様をここに… ここに戻せる、いや、戻さざるを得ない!! 理屈など出鱈目でもいい、彼に引き金を引かせさえすればあの少年の勝ち いや、姫様が勝つ… 出鱈目でも結果は同じなのだ なんと狡猾な。。 一族の総力を懸けた本物の時間の檻をそんな奇策で破ろうというのか!? ならん!ならんぞ!! だが、時間のズレをどうやって証明すれば…
よし、焦ってる。。 この間に真広と葉風さんが動いてくれれば、 また3人で力を合わせることができれば… 勝てる、勝てるはず!!
まどわされるな!! おまえの友人は時間がズレていないことを証明していない! マグを発動していい条件は、何ひとつ証明しておらんぞ!!
吉野の理屈はハッタリくさい、リスクもまだ高い だが、そいつにのれるだけの舞台はつくってやがる… 左門がこのまま手を打てないなら条件的には吉野のほうが。。
やはり時間のズレを証明せねば、押し切られかねん! 孤島とここに二年のずれがあるのは事実だというのに… 証明に苦しめられるとは。。 あの骨はたしかに島から持ち帰った姫様の。。 “一緒に持ち帰った”…!? はっ! 樽だ! その樽だあ!!
樽??
そうだ、姫様のそばに樽はあるな?あるはずだあ!!
(省略w)
吉野、頭きりかえろ! っていうかおまえ、最初からこうなるの狙ってたろ? 無茶な仮説をわざと左門にぶつけて動揺させ、 葉風を立ち直らせるきっかけにする ついでに俺もそんな気にさせる 狙ってなかったとは言わせねえぞ?
そ、そんな… 私はあの少年の思惑に嵌っていただけだというのか―?!
どんどん深みに落ちてゆく左門さんが愉快でたまりませんでしたねw さて、外せないのは“不破愛花”の現実離れした性格と思考。 過去における圧倒的な力の発露。 カラダ弱くて華奢な女子が実はおそろしく強かったのだ。 すべてのことを知っており“つまらない”とする達観。 (それ、想像力ありすぎて潰えてる系だろ!!) つじつまを簡単に合わせてしまう冷めた頭脳! そんで実行まで迷いなし。 あれには度肝抜かれたね、最終回なんかより遙かにおもしろかったよw
強いて言うなら、二人は特別なとき、特別な場所にいただけだ でもその過酷な場所から逃げなかったのは紛れもなく二人の意思よ そして、何をすべきか、何ができるか考え続けるのかもまた…
ほんとは特別じゃないとき、なんてのは無いんじゃないかな。。 どんな時間も 決して戻ってこないんだし。 何をすべきか、何ができるか、考え続けることが生きることなんじゃないかな
でも、おかしな人たちが近くにいるほうがいいのかもしれません どんな悲劇もきっと、 その人たちといれば喜劇に変わって見えるかもしれませんから
これはそうだよねw 俺がなによりもおかしいよね 悲劇だとしてもそこから学ぶことがあるのだし、喜劇に変えることもできる そんな人たちと“どんなときも”生きていることを謳歌したい!!
くそっ! 何かが足りない! 決定的な何かが!! …だったら、愛花ちゃんだったら、こんなとき何て言うかな。。 愛花、だったら…? 「足りないんです、率直に言ってこの本、つまらなかったです」 「なんだよお前… シェークスピアばっかりで。。 少しは他の本にも目を向けたほうがいいぞ」 「だってこの作品には“光”が存在しないんです」 「光?」 「ええ、光。 人と人の気持ちが重なる場所に生まれる“ささやかな光” その光は幸いも憎悪も罪も喜びも抱き、 強烈に輝いて全ての真実を照らし出す…」
この物語を通してたどりつくのは“ささやかな光”でした そして、その光は人と人の気持ちが重なる場所にうまれるということ ひとりでは重ねられないもの 気持ちが重なる瞬間なんてほんの点と点ですよね でも、できるならその点をよりたくさんつくっていたい 人と関わることはおおよそ“めんどう”なことです だけど、その面倒なことこそ たのしむべきところではないでしょうか
愛花、お前にとって人生は誰かに決められたシナリオ通りに演じ、 その通りに終わらせるもの だからシェークスピアの台詞をやたら口にしてたんだな でも愛花、オレはお前が間違っていたと言う お前はやっちゃいけないことをやったし、やるべきことをやらなかった 誰かのシナリオをなぞるしかできなかったからお前は間違ったんだ でも、お前は俺の妹だ お前の期待通り世界を救ってやるよ お前の彼氏は新しい恋人でもできりゃ完全に他人だが、 俺はずっとお前の兄だからな 愛花、俺は誰かの舞台劇をなぞるみたいな結末はつけねえ ハムレットでもテンペストでもねえ 何十年先になるかわからねえが、俺の言葉で俺の決めた結末を描いてやる!
真広くんの台詞はラブコメを終わらせるにあたって大変素晴らしいものでした だって、まったくその通りなんだものね 役割をそのまま受け容れることはある意味で“あきらめ”かもしれません 生きているかぎり、なにかできることがあるはず そういう意味で真広くんは登場人物の中で最も人間らしい性格じゃないかな 言葉使いは野卑ですけど、その決意は誰よりも強く好感がもてます!
そうだな、この世は夢か現(うつつ)かわからねえ これまで俺たちが見ていた世界は都合のいい偽物だって言ってるのかもな これで魔法もなくなるだろうよ 夢は終わりだ
ああ、夢みたいな力にたよらず、現実に立ち向かおうか!
| 2013年04月08日(月) |
「戸川純 TOGAWA LEGEND」 |
昨年末、リハーサル中にかかったあの曲。 「ラジャ・マハラジャー」 無性に明るくなる歌にあの公演中、呪いのように頭から離れなかったw そんなものは友人にメッセージばら撒いてシェアせねば。 特にヨガやってるとかでインドがなんとなく身近な人w こんなものが“みんなのうた”で流れてた事実に気が動転しました。 歌詞にあるこの部分を今聴けばそれもうなずけるでしょう☆
夢から醒めないくすりを飲んで〜 千年長生きするそうな〜
そのくすりって!! いいの?! 放送していいの!? 印度へ行ったら会いたい人は〜 ラジャ ラジャ マハラジャー 薬がほしくてマジでそうなりかねなくないないか?! 千年長生きするよりも、夢から醒めない生き方がしたい!! 動き出す切り絵みたいな映像にもしびれましたw もはや伝説です そのうちヨガ美人sacredトコちゃんに声かけられます。 「タイスケさん!わたし戸川純CD買っちゃいましたよ♪」 貸してくれ! そういうわけで自らに課してみました
『戸川純 TOGAWA LEGEND』 self select BEST and RARE 1979〜2008
私のベスト・アルバムは今まで何種類かリリースされていますが、 『東京の野蛮』以外はレコード会社主導企画で、 私が知らないうちにいつの間にか出されてしまっていたものばかりでした。 ファンの人から「サインしてください」と言われて、差し出されたCDを見て 初めてその存在を知る、というようなことばかりが続いていたわけです。 だから今回のように企画の段階から私監修のもと、 制作進行すべてに関わることができたのは初めてのことでした。
安易に借りてしまったものでしたが、その正体はとんでもないCDでした!! アングラ最前線、まさに草分けパイオニア!! 天才だ 突き抜けてるその歌と音… 衝撃でした 中でもダンスにかかわるtrackはおのずと聞き込んでしまいます
ああいつもおんなじ動きで ハイハイしゃべれることはこれだけ それより欲しかったのは 私のためのロボットのためのロックンロール なぜ私にダンスの踊り方をおしえてくれなかった 私の動き決められてる 私の仕事決められてる 思いどおりに動けない アンチョン イイイイイイイイ ヤッハ ああいつもおんなじ動きで ハイハイしゃべれることはこれだけ それより欲しかったのは 私のためのロボットのためのロックンロール 私にも音楽わかります 私にもリズムわかります わかるだけ 踊れない アンチョン イイイイイイイイ ヤッハ 「踊れない」
複雑な気持ちになりました ジャンルの踊りになれば動きは決められており、思いどおりには動けません だって思いどおりに踊っちゃいけないんだものね そういう意味で、ジャンルに縛られた踊りでは 自分の思いどおりに踊る踊り方は誰もおしえてくれません まずは、すべて決められたものが出来なければならないのです もちろんジャンルを踊りこんでいけば自由になっていけるのですが、 はじめから自由に踊るやり方が尊重されることはほぼ無いといえます この歌詞で歌われているところの“踊り方”には考えさせられました
ギリギリ ギリギリ 廻る歯車 バチバチ バチバチ 飛び散る火花 ビユンビユン ビユンビユン 跳ねるスプリムグ 関節が曲がつてゆく フオルムが廻り出す 踊り出す動力の姫 金属のバレリイナ 肉体はメカニツク 廿世紀の科学の進歩 モオタアのシンフオニイ 送られる電力で 機械仕掛けのパドドウ演じる 銀色のトウシユウズ つまさきのピルエット 輝く脚でポヂシヨンをとる 驚きに目を見張る 近代の美の結晶 世界に誇る 我らがプリマ 「動力の姫」
気概があったら是非とも聴いてもらいたいものですが、 その歌たちは完全に突き抜けています ある意味でバレエな人たちに対しおそろしく問題があるかもな歌詞w しかしその歌にバレリーナが持つ力が見えてくる… すごい歌です!! あくまでも歌ですから、こんな文章ではなんにも伝わってないでしょう 強烈すぎてドン引きしてしまいそうになりましたが、 逆に強烈すぎてドン引きしようにも動けない!! 凄い凄すぎる これが突き抜けた本物の力でしょう 〜ウソだったらきっと動けるよね〜 CDでこんなだったら生ライヴ行っちゃったりしたらどうなるの―
泡ふきながら悶絶かなw
自分をここまで貫くアーティストは存外いません。 わたしたちはその歌にどう感じるのでしょうか。 わたしたちはここまで自分を引き出すことができるとおもいますか?? 歌を聴いてもらわないと、 どうしてこんなこと言うのか理解してもらえないかもしれない 洋舞においては、自分を踊ることが嫌悪されているところがあります 自分を踊ることは簡単で野卑なものとしてあつかわれるのです ところがほんとうに自分を踊るということは困難で神聖なものです わたしはこのCDを聴きながらその感覚が、 室伏鴻さんの舞踏を見ているのに近いと感じました
見たくないのに目がそらせない
なんとも文章にしにくい、言葉にできないこの感じ 気分がいいものじゃないのに、なぜそのカラダに引き込まれるのか 今でも悩むところです 実のところ このCDの歌たちもすごく目をそらしたくなりました
ところがグロテスクなそのカラダや歌のどこかに美しさを感じるんです
もう理屈じゃない 厳しさの上での踊りと自分の中からわきあがる踊り 鍛錬されたものはより多くの人たちが見てくれる じゃあその逆は??? 自らの中からわきあがる踊りは美しさとは違う
下手だけど凄い
そんな踊りがある わきあがるものが圧倒する踊りです それは鍛錬の物差しでははかれない、上手下手とは次元がちがう世界 ここでいう“凄い”はわたしの嫌いなものじゃありませんw “なんだかわからないけどすごい”です からだの可動域とかじゃなく、単純に言葉にならない理解不能系
価値観を揺るがすものだからです
決まった踊りのためには決まったことができなくてはなりません 決まったことを刷り込んでいけば決まったことはできるようになります ですが踊りを踊るには、決まったことを超えていかなくてはなりません どんなジャンルでもそうではないでしょうか ある種、独善的で自己満足にも見えてしまうものが自分です それを貫くことには恐怖や憧憬、誤解と真実の混沌です
でも、みんな、みんないつか自由にたどりつきたいんじゃないでしょうか
どんなに葛藤があっても、 自分を真に解放して自由にできるのは自分自身しかいません 最後は他者に認められることではなく、自分を信じることなのでしょう
本物を目の当たりにしてわかることは、 “価値観を揺るがすほどのことがわたしたちには出来る”ということです どんなことも意志を貫くことには勇気が必要ですよね やりきることができるかどうか、そこにもっていけるのも自分次第 実際にそれをやっている人たちがいることが、それを証明しています!
| 2013年04月04日(木) |
マジェスティック・スタンド |
孫は… これで良かったのでありましょうか? 親を… わしの息子夫婦をスパチュラの内戦で亡くし… 幼い内から巫女として生涯この宮から出ることもなく短い人生を…
愚問じゃ 若くして死んだ者へはその未来と可能性を嘆き… 長き人生を全うし老いて死んだ者へはその人生の記憶を惜しむものじゃ 老いたそなたがこの世から去っても 若きムグミカが去っても 人は同様にその死を惜しむであろう 人の死は肉体と精神の死だけではなく… 死んだ者の事を思い出してくれる者がひとりもいなくなった時こそが 真の死と思う時もある…
いつも、いつでも考えるときがきます “ほんとうにこれで良かったのか” その悩みはいつも、いつでも“生きているわたしたち”にあるものですよね わたしは、わたしがわたしであろうとしていればそれでよいと感じています いつも今の自分が選べる一番のBestをあきらめないこと 相手があることには、どうにもならないときはどうにもなりません。。 そうだとしても、その時はどうにもならなくとも、 その後の時間と経験が、いつか和解できる術をおしえてくれると信じています しかしそれは自分を固めていくことでは得られない気がします “わたしたちがわたしたちであろうとすること” それは“努力”ではないでしょうか そしてそれこそは、よりよくありたいとする力になり、 わたしたちに目標を見出させるすべての原動力ではないかとおもうのです
じゃが… ムグミカよ… お前がわしを呼んだのはこの時のためではあるまい? それは… AD世紀と全人類の歴史に無うて今、この世にあるもの… そうじゃな?ムグミカよ… そやつらをわしに見せたかったのじゃな? そやつらに我ら人類が順ずるか諍うか… 絶対的な者に対しての中庸はない! 我らが人類の盾となり武器となる旧時代のわしと騎士の頂点である “十曜の守護者”を呼んだのであろう? 神との対峙のために (Reboot 7)
上の台詞はナインさま(古代超文明人類の頂点?)の台詞です。 そんな中でどうしてもひっかかる箇所。 それは―
「絶対的な者に対しての中庸はない!」
これは、これは認めたくないところです。。 これがほどけなかったら… 人を成長させるお互いの競争が、ほんものの争いになってしまいます!! 他の考えや意見を聞けないことは主義主張を押し通すこと。 そんなことを続けていてはいつか戦争になるのも道理です。 そうならないことを選ぶなら他者とかかわらないこと。 これなら自分自身の主義主張を変える必要はありません。 だけどこれは他との断絶ですからそれがいいともおもえません。 「人に期待しない」なんて言う人ほど期待しているものです。 だってほんとに期待しないんだったらなんにも言わなくていいことだもんねw 誰にだって、わたしにだって譲れないものはあります。 でも、それが“よくない”ものだとおもうならそれを打ち破りたい。 いつもお互いをいいものにしていきたいですね
なるほど星団中の騎士団が目をつけるだけのものはあるようですね…
まあしかし いいタイミングで出て来てくれたなブラフォード あの少年は自分の価値を良くわかってる 対等以下の取引には応じないし 金や名誉につられる事もない その自分の価値をヘコますには 自分より強い者がゴロゴロいる場所にもって行くのが一番さ そこでこっちが折れる形で条件を飲んでやると… まあ見事にハマってくれたが あいつはここに来るしかなかったかもな… あいつが求めてるのはデコースとの私闘だ 騎士になって国のために闘うことではない あれではどの騎士団とて永久に平行線だ 自分の条件を飲むところなどあるまい あの少年がいかに才能あろうとあの目の奥にやどるファティマの魔性… あれが抜けぬ限り騎士としても人としても行く場所はない
不思議に思います… ちらと感じただけですが… あの少年は私のような無頼の型ではなく ランド公やクリサリス公のごとき 品のある立派な騎士の基本をもっていると…
その通りだ それがいちばん恐ろしいことでもある つまり… ファティマ・エストがとっくにあの少年を超一流の騎士として 鍛え上げ終えている…という事なんだろう 恐るべきファティマだよ… (Reboot 7)
ここで目を見張った台詞は“自分の価値をヘコます”です。 わたしは今の自分のままでいいと思ったことはオマケ人生一度もありません。 いつだってもっともっといけるはずだと信じています。 そんなわたしは実のところ今もヘコんでばかりです。 “できない”ことを練習しているわけですし、 できない自分自身にむしゃくしゃすることばかりですからね。 それでも、できないことを自覚しなければできるようには絶対ならない。 己を知ることがなりたい自分に近づいていくためのなによりの早道です。 なにも出来なかった自分でしたが少しずつ出来るようになっていきました。 しかしそれには自分をヘコますこと、負けることが必要でした
ファティマ・ヒュートラン 信じる信じないは別にして教えておいてやろう バランシェ公のクーン、パルテノを上回るスペックをもつ正真正銘の最高傑作 だがバランシェ公はそのヒュートランにさらなる高度なプログラムを与えた “自己鍛錬プログラム” 自らのもつスペックにさらに磨きをかけるためヒュートランが選んだ結論は “弱い騎士をパートナーに強い騎士と戦う” 彼女が求めるものは最も苦戦する戦いだ そのためのパートナーは強い騎士 並の騎士ではだめだ! ヒュートランの性能では並の騎士ですらほとんどのMH戦は楽勝となる それでは意味がない 従ってヒュートランは最弱クラスの騎士を求め、 強力な騎士とMHだけを相手に戦うことによって自分の能力を鍛え上げる! なんと見事なプログラム! さすがバランシェ公だ 誰にもマネはできない…
弱い騎士しか選ばないってコトはさァ… 星団最強の性能が全然意味ないじゃんっ? バランシェ公って… アホ?
では聞くが 貴様 自分の最高傑作にそれができるか? それができる者こそ超一流と呼ばれるのだ! なぜだ? それは最高作が生まれた瞬間に“次”が見えるからだ! 凡人から見ればヒュートランは欠陥品で失敗作だ だが超一流のファティマだ 桜子… バランシェ公を目指していると二流に終わるぞ 自分だけを追え!
この件には唸りましたね。。 欠陥品で失敗作と同時に最高傑作だなんてね 凡人からしたらほんとに「アホ?」とか思っちゃうよなァ… でもそれを“やっちゃう”のが天才なのかもしんないよねw なんだか納得できちゃったよ!! さぁ凡人でも天才でもできることを探そう。
それは“次”が見えること
これは凡人だろうが天才だろうができるんじゃないかな?? でもそれには“最高”を目指していることが前提かもしれません。 今できる全力をつづけていけば絶対に“次”は見えるよね だから次が見えないっていうのは本気でがんばってないんじゃないかな 一握りの天才って想像力や直感が凄い人のことを言う気がします 天才は、出来る人のことをいうんじゃないかな それまでは“天才”とは呼ばれないんじゃないのかな 結果じゃんw 天性の才能が必要なものもある、だけど多くのプロセスはおおよそ同じだ! 何かに向かっていく姿勢は同じじゃないか!? たとえ結果を導き出すことが出来なくても、その工程は天才と同じだ!! 結果が出なくともその努力はかけがえのないものだとおもいます 誰か一人が名声を得てしまうような世の中ですが、 ほんとうはそのひとりひとりに光があてられてよいのだとおもうのです 上には上がいるのが世の常です だからといって上の人間だけが素晴らしいんじゃない わたしたちに同じ人間がひとりもいないように わたしたちひとりひとりに輝きがあることが真実だとおもいます その努力が本物であればその輝きは比較できないはずです そういう意味で、最後は“自分だけを追え”ってただしい気がするのです
長くなりましたがReboot 7までたいへんな長旅でしたw これからも長い物語が長くつづいていくでしょう。 長い年表をピンポイントで描いてこの長さですからね。 まったく物凄い作品です! 2013年、ファイブスター物語は連載再開。 世界は一変してましたw MHはGTMに名称改竄その姿も刷新!! Reboot 7 の最後には作者の決意が記されてた。
いよいよ連載が再開する。 しかし、再開と共に僕とファイブスター物語は 多くの読者を失ってしまうかもしれない。 アーティストとして生きていくことを決心して以来 「自分がおもしろいと思わないものを描けるか!作れるか!」 という一念でここまでやってきた。 1年365日作品とロボットデザインのことばかり考えている人間など どう考えたってまともではない。 そんな永野護によくぞ今まで多くの方々がおもしろいと言い、 デザインがすばらしいと言い、ついてきてくださった。 あらためて感謝すると共にお詫びを申し上げる。 そして「オートマチック・フラワーズ・エスト」が登場する。 その彼女を見てあなた方は何を感じ、何を思うのか? 巨悪きわまる「アシリア・セパレート」のデザインに惹かれる方が ひとりもいなくとも僕は描き続けることだろう。 「だって、これがすごいと思ってるんだもん」だ。 変化を恐れるのは老人だけだ。 立ち止まるならその立ち止まった時点で死んでしまえばいい。 変化のない未来など夢も希望もないと言うことだ。 僕はそう思っている。
自らの世界で現実を切り拓く意志 自分の道を進もうとするすべての者にそれは課せられているのだと思います
| 2013年04月03日(水) |
決意と準備 誰からも誉められないこと |
Rebootを連続購入して、 「the K.O.G 塗装済完成品フィギュア(ガレージキット完成品)」 (バスターランチャーまで含めた全高17cm)の全員サービスに応募しよう! ※応募者負担金=35,000円、送料込み これがファイブスターのフツーのようですw マジで? すごいいね!
怖がらんでもよいぞ― 逃げ回っとる女の子というのはお前さんじゃろう 困っとるならわしらが力になるぞ!!
わ…わたし… 人を殺したの… だからばつを受けなくてはいけないのに… にげてしまったんです どうしたらいいのかわからないんです…
ぬぬ〜っ? それは凄いのお クリスティンちゅーのはお前さんかい? 刀おやじ! こういうときはこいつの出番じゃ!! おお! 説法じじいか? お前じゃ!! またわしか? ぬしら面倒はみ〜んなわしに回しよる! 仕方ないのお… 嬢ちゃんわしの話聞くか? わしらもな… つらいことがあったときにはここで語り明かすんじゃ… 騎士の力もその名誉と地位も 美しいファティマも 一般の人々にとっては手の出ない夢のようなものじゃ… 騎士はな そんな一般の人々の気持ちをよく知って生きねばならぬ お前さんはほかの人から見れば そんな羨ましいものをいっぱいもっていたのじゃ じゃが… 騎士の力をもって生まれた以上どんなことにも耐えねばならぬ つらいじゃろうが思い出すのじゃ 学校でいつも言われていたことを…
え…? “お前の母ちゃんお前を生んだら用なしだー!!” “掃除も洗濯もお前の勉強もみーんなファティマがやってくれるんだろ?” ちがうもん!! “おまけにとーちゃんとエッチすんのもファティマだ!母ちゃん用なし!” “こいつの父ちゃん無名のしょぼいMHにやられたんだ!!” “サイレンとバランシェファティマ持ってたくせにカスの騎士だ!!” “帝国の恥!!クズの騎士の子供!!” “お前の父ちゃんのおかげで帝国の評判ガタ落ちだ!!責任とれよ!!” ちがうもん!! ちがうもん… ちがうもん…
そうじゃな… しかしお前はそのことばに耐えられなかった… 耐えるべきを耐えず 逃げてしまったのじゃ… 力にな…
シバレース… 呪われた騎士のことじゃ… 星団法で裁かれ死刑となっても殺された少年は許してはくれまい お前がそれでも罪を償いたいと望むならシバレースとして 一生を力のない者たち 帝国のために捧げるのじゃ しかし… お前がこの先 騎士となって国の危機を救い 多くの民の命を助けたとて、誰からも誉められぬ 騎士としての誇りも人並みの恋もできず 帝国民だけでなく 星団中の人々から冷たい仕打ちを受け生きていかねばならぬ 星団法で裁かれるか さらにつらいシバレースとして生きてゆくか… お前はどちらを選ぶ? クリスティン・Vよ? (Reboot 6)
ファイブスター物語では、力ある者は“騎士”として描かれています。 しかしよくよく考えれば、わたしたちだって似たようなものです。 美しいものには憧れと中傷が入り乱れ、 力があればその力に見合った役割が与えられてしまいます。 力を持っていればしあわせかといえば、一概にそうは言えないでしょう。 社会的な役割がついてまわるのが世の常です。 力を持つ者には持つ者の悩みや耐えなくてはならないことがある。 その上で役割にとらわれることなく、それを乗り越えられるか。
もしかしたら 耐えることを知らなければ、真の意味で楽しめないのかもしれません
厳しい人間社会の中で人生を謳歌できるか、それはわたしたちの選択次第 それも「すべてを受け容れた上での選択」が求められる気がするのです つらいことを受け容れてなお、楽しさを見出せること それがただしい道を示すサインなのかもしれません
ハイランダー・クリスティン・V 本日より騎士団に復帰いたします!! 帝国、陛下 ならびに騎士団の皆様ご迷惑をおかけいたしました
よきことである 今後とも帝国のためそちの働き期待しておる ハイランダー
御意!!
ありゃ… 化けもんみたいに強くなってるぞ… すげえ迫力だクリス… 何があったんだ…
もう泣かぬ… もう恐れぬ 陛下に赤子を千人殺せと言わるれば殺そう! 一国を滅ぼせと言わるればこの手で灰にしよう! 戦と血しか知らずに死んでゆくことを恐れることはもうない たとえ花壇に花は咲かずとも私はもう一生に足りる恋をした! これ以上何を望むか! 生きる証はここにある! (Reboot 7)
楽しさを押し込んで役割に徹するは、すなわち強さかもしれません そんな迫力をわたしは見知っています すべてを切り詰め、手に入れる、揺るがないもの その張り詰めた感覚は凍てつくような空気そのものです 決してゆたかなものを感じないその鋭い空気には“凄み”を禁じえません そんな凄みをもつ者だけが成し得る世界があるという現実 その触れがたい凄みには怖さと裏腹に魅力があります これには不思議なものを感じずにはいられません その凄みの根幹にはあきらかな負の力を感じるからです 自分を追いやることでしか光り輝かないものもあるだなんて… その輝きは究極の美につながっています
わたしはそこにどうしても疑問が尽きません その“凄み”がプロフェッショナルを証明するものだとしても、 「凄い」その言葉が聞きたいんじゃない 凄さを証明したいんじゃない、踊りを証明したいんです 凄いじゃないダンスはどうやったら踊れる?見てもらえるんでしょうか?? 凄みがなかったら誰も、誰もダンスだと認めてくれないのでしょうか?? Oxford、カラムくんの踊りには負の様相がまったくありませんでした どこからどうみても踊るために鍛えた厳しさはない
だけど、だけど楽しさに満ち満ちているんです
カラムくんのダンスには見ているわたしたちをウキウキさせる力がある 踊りたくなる!! 凄くなくたって踊りには力があるんです 踊りは理屈じゃない わたしはダンスを、おどりを、それでいいのだとおもっています
もしかしたら、ダンスとは、その人自身の“純度”なのかもしれません!!
ジャンルを突き詰めていくと“やらなければならない”ことだらけです それをクリアしなければ踊ってはいけない世界だからです いつから踊りは“ねばならない”になってしまったんでしょうか そんなわけあるか!! おもいこみだ!! おどりは、ダンスは、すべてを許容してくれるはずです!! たしかに舞台に立つということは、どんなことにも耐えなければなりません すべての人を圧倒するには“化けもんみたいに強く”なければならないのです でも、圧倒するために踊っているんじゃない 圧倒するのは踊りを見てもらうため、すべての人に集中してもらうためです!!
準備 ダンサーが鍛えていることは準備ですよね
実際にクリスティン・V みたいな人はいます。 そんな人たちからみればわたしは野良犬みたいなものでしょう。 そうだとしても野良犬には野良犬の、意地がある。 わたしは彼らがふりむいてくれる“踊り”にする努力をつづけていきます
(つづく)
| 2013年04月02日(火) |
「The Five Star Stories」 |
連載25周年、今なお不定期連載がつづく生きながらにして伝説のマンガ。 そして、その伝説とともに完結することはないでしょう。 T町さんが課してくれたReboot最新巻7までを地道に進めてきました!! な、長かったw 〜あまりにも立ち止まらなければすすまないのだ〜 ええとあの人がこれで、こっちの人はあれ、、どれだっけ?? この人は某国の子孫で、今はどの国にいて、、なんで?? 違う世界の話だから人間の年齢では計れませんw 何百歳とかだものね その上、神様がヤオヨロズ的に蔓延しており、その力関係に混乱が絶えないw かつてこれほどまでに読みごたえある“マンガ”に出会ったことないよ―
『The Five Star Stories』 Reboot 永野護
そもそも事の発端は映画『花の詩女ゴティックメード』を見てから。 ちなみに昨年のお話ですw FiveStarのことは知ってはいたが、まともに読んだことは一度もない。 それでいて、ただ漠然とゴティックメードを見に行ったのである。 騎士とかロボットとか、もうぜんっぜん設定わからなかったわけです。 見た感じでぜーんぶ処理したわけですよ!! そんなわたしはT町さんに戒められるように原作が手渡されますw
「貴様に読めるか? 読めなければどうなるかわかっておろうな?」
えっ!? もしかしなくても体育館裏ですか!?(爆 T町さんの風貌はローマ教皇のようでした。 ローマ教皇が体育館裏ってどういうこと?? 重圧とともに、読み終えてみると物凄いマンガだとわかります。 壮大すぎる歴史モノでジョーカー太陽星団年表に意識ぶっとびましたw AD世紀と星団暦はAD4000〜星団暦7777まで。 マンガはあらゆる時間軸を超え、次元さえも超えて展開していくその様!!
もう無茶苦茶ですw
ところが、その無茶苦茶が凄いということに気づかされる結果なのだ!! 作者本人のインタビューでは、 F.S.S.はおもしろいってだけじゃダメなんだよね 「すっげー!」って言ってもらわないと、ってありました。 その上での“何より自分がつまんねーもん描きたくないし笑”ですw ひとつの史実を焦点にしながらこれだけの登場人物とその収束。 フツーにそれだけでもんのすごいんである。 〜天才だろこのヒト〜
登場人物でまともなのってコーラス3世だけじゃないかなw
こんなマンガを25年も出来るのは好き好んで描いてるからでしょうw さて早速いってみましょう、唸った台詞から。
邪心や権力欲以外でも戦争は起こります 国民が自分の国に愛着と誇りを持つのは当たり前ですが… 行きすぎた誇りは、得てして他国を低く見てしまうことがあるようです そんな行きすぎた思いが国民全体に行き渡ったり… 国民がその驕りに気づかなくなった時、 他国とうまくかみ合わなくなったりして 他国への不理解となり わだかまりや偏見が生まれ 敵意が芽生える 相手国から見ればそれは不当な圧力と見え、 反発が生まれることがあるかもしれません それとは別に、生きがいや愛情の対象を見つけられなくなった人間は、 はけ口を求め 行きすぎた考えをもつようになるかもしれません そういったことのないよう 誰かがコントロールするのではなく、 自然に人々が一つ一つの国家も 一つ一つの家族のように 世界という一つの町内の中で うまく生活していけるようになればよいのですが
そうはいっても人間はバカだからな こーゆーオレたちをどこかで面白がって見てる奴がいるんだぜ
確かに今のジョーカーは末期的だ 自分の歩く道が見えにくくなっている
でも僕らは神のおもむくままに全力をあげて良い方向へ もってゆくしかないと思います
愚かな人間たちの行為は 全て時間と歴史の中に記録され はるかなる未来に何者かの失笑をかうでしょう (Reboot 2)
この物語は星間戦争でもあるのでたいへんなんですが、 これは対人でもおおよそ当てはまることではないでしょうか? 自分自身に誇りを持ちすぎると他者を低く見てしまうことがあるはずです。 自分がその驕りに気付かなくなった時、他者とうまくかみ合わなくなり、 他者への不理解となり わだかまりや偏見が生まれ 敵意が芽生える。 国家間でも対人でもその考え方の根本は同じかもしれません。
わたしたちに必要なのはどんなときも“聞くこと”でしょう
耳を傾けることをしなくなったときこそが一番危険なときです。 いつでも“聞ける”度量がほしいものですよね。 これは、人間力を見るときにはたいへん大きな要素かもしれません。
陛下!! なにゆえバッハトマに手を打たれませぬ! ただちに挙兵を!! 国民は臣下の仇を討たぬ非道といきり立ち、 他国は陛下を腰抜けと叫んでおりまするっ!!
どうもしないよ わずか3人でこの城に攻め入った彼らに あっぱれ見事なりと賞賛する以外何があるの?
なっ… なんですと!! それでは死んでいったミラージュ騎士がうかばれませぬ!! 陛下に永遠の忠誠を誓った彼らのたむけと玉座を汚されたA.K.D.は…!!
サリオン! 人や国家が復讐だのメンツだのにこだわってどれほど関係のない人が死ぬ? 私にはメンツなんて無いもの 腰抜けと笑われたって気にしないよ これ以上の血を無駄に流すことはラキシスが望まない そして 人類が繰り返してきた短絡的な愚行を私が選択するわけにはいかないのだ ボスヤスフォートの言葉に翻弄されたか サリオン? あれを詭弁と言うんだよ 私が本気を出そうが出すまいがそんなこと関係なく 彼の行動によって無益な血が流れる それに付き合っていたらどうなる? 彼は戦を求め 関わった全ての人や国で不幸が起こる ましてバッハトマに対し“将来の厄の芽をつむ”と称し 挙兵の理由を出すなど本末転倒 (Reboot 6)
死なない死ねないヒトが言うことにはヒトの感情論は効きません。 だってヒトじゃないんだものね。 ところがそれでは面白みがありません。 なぜなら、わたしたち読者がヒトだからですw わたしたちがヒトである限り“人間”がすべての物差し。 他のものに価値を見出せないのも道理でしょう。 このマンガでは別の誰かがヒトの感情論に結末を与えることになります。 それが“歴史”だからです。 たとえ強大な力があってもヒトが死ねば終止符は撃たれ、時代が終わる。 死なないヒトから見れば単にそういうことなのかもしれません。
今という時間に、今という感情に、惑わされる理由がない
そんなことを考えだしたら、この物語自体に何の意味もない気がしてきますw だって“どうでもいい”んだものね。
さぁ向かうところは“おもしろきなき世をおもしろく”でしょう
ソープ君は他の誰かに?人間に?その想いを託すことになるはずです すべては“どうでもいい”から始まって、地道に人間力をあげていく話です 神様にとって必要でもなんでもない“人間力”をあげていく話です そう考えちゃったりしたら、このマンガはほとほと鋭さを感じます 世界が変わっていくのは、 ほんとに大いなる“意思”によるものかもしれないんですよ!! 本来は神様なんですから地上の生命にかかわる必要もナインですからね 傍観者が実体化して世にかかわっている そのことが、このマンガのすべてではないでしょうか
(つづく)
| 2013年04月01日(月) |
たのしんでもらう努力 |
なんと先月、ヨガの大先輩・k野さんが新聞にドーンと掲載されました!! ◎studioに新聞記者が取材に来ていたらしい◎ さて、話をねじまげて、わたしが声をかけられた驚愕の一言から。
「新体操でもされてるんですか?!」
えーっと…新体操って女子の種目じゃないのかな?? いったいわたしは何者なんでしょうか。。 その一言にまわりの目が著しく不安になりましたね。 k野さんにそのことを話すと返事の提案がなされました。
自分ツッコミまで入れると新しい境地が拓けるんじゃない?? 「はい、新体操です!…ってちゃうやろ〜」 人生は一寸先は闇、もとい、だからこそ面白い。
そんな余裕ありませんよ 自分を守ることで精一杯です(爆 そう、第三者はたのしければいいんです 期待にこたえるとはなんとむずかしいことでしょうか
「余裕がある人は更にオプションつけます」 更なる上位技を勧められる 余裕は全くないのにしてしまうのは何故でしょう笑
k野さんとはそんな空前絶後の前のめり仲間ですねw “死して屍拾う者なし” 挑戦したい、わたしたちはそんなツートップです そんな前のめりライバルk野さんが新聞に載ったわけです。 取材されたのはマヤクラス、始めにマヤさんからこんな説明が。
「今日は撮影ありますが正面から撮られることはないかと思います」
k野さん「しょっぱなから正面撮影だったんだけど!!」 隣でバシャバシャ撮影されたとのことw いきなりリズム狂わされたでしょうね ざまあみろ! あ、つい妬みや嫉みがッつ 気をつけますw 取材趣旨はメンズヨガ人口が増えてきたことに対する現地レポートらしい。
記者「何故、男性でヨガをするのですか?」
愚問ですね。 なんの理由もなしに人間が動くもんですか k野さんはその質問に「着ぐるみヨガ…」とか口走りそうになったそうですw 何か面白いこと言わなくちゃって一瞬よぎったらしい。 さすがk野さん。 自分の身よりも記者をたのしませようとしたのかw さすが人生の先輩!! 〜保身を優先したわたしとは大違いです〜
でも、結局言えてないのは同じなんですけどねw
マヤさんによるとk野さんを見た記者の一番の感想は以下だったそうです。 「人間の足の指があんなに開くなんて知らなかった」 そんなk野先輩にラミネート加工済みダレンポスターをいただきました。 そのポスターにはとんでもないポーズ群がダレン写真で示されています。 〜目で見ることはなんとイメージしやすくするんでしょうか〜 ただポーズをするわけじゃない、自分の求めるイメージと重ねていく努力
studioではk野さんの記事にラミネート加工まで施されてました
なんといまいま素晴らしい!! この分じゃk野さん自筆サイン入りになるのも時間の問題です。
もしわたしが記事になったら即座にダーツの的でしょう
この扱われ方の違いこそが人間力の差なのかもしれませんw
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