断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2013年01月31日(木) 墓穴に入らずんば墓地を得ず

【予兆】
たんじょうびには大変いかがわしい画像が送信されてきました。
それもジョー氏の単独犯です。

 Dancing課長の温泉全裸姿

はい、無理。  こんなものを送信するほうもするほうでしょう
なによりもスマホに保存しておくことすら憚られる画像じゃないですかw
だいたいそんなものを撮影できる人生自体が致命的だとおもわれます。
こういうときのために保存しているのがジョーさんという人物。 強敵ですね
さて、画像が送られてきてから、どうにも残念な日々がつづきます… 呪いですね
〜ちょっとだけ時間軸ずれてたりもしますがまとめてお送りします〜

わたしは街中で利用するお手洗いを決めています。
いろいろ不自由ですからね。
健常者も使える大スペース身障者トイレなどがそれにあたります。
用を足すときこそ広い景色が必要なのです。
広いスペースこそが人の豊かさにつながるはずですからw
今日も例にもれず扉を盛大にスライドしたその瞬間でした。

 おばあさんが座ってる

わたしは、盛大に扉を開いたときの3倍のスピードで扉を閉めました
その速度…おそらくは1秒かかっていないとおもいます

 ゼロコンマ何秒の世界

まさかこんなところでそんな世界に行けるとはおもっていませんでした
これがリアル“ZONE”です
おばあさんにはその身障者トイレの施錠が難しかったんでしょう―  なんてこった
あのとき、視線が交錯した瞬間、数年の寿命が縮んだのではないでしょうか
〜さらば広いこころ、真に必要なのは誰もが自分自身を守れるこころの施錠です〜


【連鎖】
1/28、それは奇しくもわたしが師事する先生二人のたんじょうび。
バレンタインも近いときですから高価な某王室御用達チョコを購入。
レッスンでは「タイスケくん、それじゃ男の意味ない」って罵声を浴びました。
自分で食べようかとも血迷いましたがここは耐え忍ぶところです。

 歯が磨り減る思いでしたね

さぁてそんなわけでかるく落ち込んでゾンビ化するのなんていつものことです。
もうバレンタインフェアに身を任せるしか、現実逃避する術はない―
しかし、どんなフロアに行っても“プレスタ”はありませんでした。。
熟知してる人ならおわかりの通り、イギリス王室御用達チョコです。
どうやら今年は出店していない…!?  なんてこった
〜こうして自分チョコを探す旅がはじまった〜
おおよそ女子しかいないような特設フロアを王室御用達吟味してまわります。
今年度は圧倒的にベルギーって年らしい。
小さく砕かれた試食チョコを美人店員さんに爪楊枝でもらったその瞬間でした。

 手刀で左横っ腹を刺された

意識が遠のいていくのを感じました。 それほどの強烈な一撃でした
その速度…おそらくは1秒かかっていないとおもいます

 ゼロコンマ何秒の世界

まさかこんなところでそんな世界に行けるとはおもっていませんでした
これがリアル“ZONE”です
その手刀は人生の先輩、絵に描いたような美人、セレブkよみさんのものでしたw
日本在住ですがパリオペラ座会員様です!!
kよみさんはわたしが崩れ落ちていく様を直視しながら冷笑して言いました。

 「せいぜい美味しい自分チョコ買いなさいね」

まさか自分チョコを選んでいることまで知られているとは!!  くノ一ですか?
さすがは同じ先生に師事する人物のお言葉です。  す、鋭すぎる!
もしかしたらわたしも既に冒されているのかもしれません。。
高級デパート特設フロアで自分チョコを探してるのを見られてしまうとは!!
試食してるところなんかを絶妙のタイミングではありませんか!!
なんと恥ずかしいことでしょう…  (店員さんは呆然としてました)
おそらくもう二度とkよみさんには頭が上がらないでしょう。
〜もし上げたりなんかしたら、わたしの残念な日常がたちまち暴露されそうです〜
なんてこった

気分を切り替えようとスイス王室御用達チョコDemelへ。
かわいい店員さんにチョコ買おうと話しかけました。
 「いろいろ回ったけど商品が多彩なのはここくらいですね」
 「えぇ〜そうですか?? ありがとうございます ありがとうございます」
ほんとによく揃えてあったので出た台詞でした。 しかし悪夢はつづきます

 店員さんは舞い上がってしまったらしく突如として挙動不審に

きっとうれしかったんでしょうねw
チョコ購入。 丁寧なお辞儀と「ありがとうございました」
ところが、紙幣で渡したはずなのにお釣りが返ってくる気配がありませんw
まるで太陽のような笑顔の店員さん…
チョコを手渡されたわたしは考えました。。
その速度…おそらくは1秒かかっていないとおもいます

 ゼロコンマ何秒の世界

まさかこんなところでそんな世界に行けるとはおもっていませんでした
これがリアル“ZONE”です
そのまま立ち去ることもできましたが、ここは店員さんを育てなくては―
わたしが慌てては紳士が台無しです。 慎重に、極めて慎重に言いました

 「とりあえず、お釣りもらってもいいですか?」

店員さんの笑顔は一変、青ざめた顔に激変です!!
そのスピードはまるでコメディ映画のようでした。

 「あぁぁ… すみません すみません」

あんなに謝らせてしまうなんて、我ながらつらい選択でした。。
〜話しかけるのは商品を買ってから〜  複雑な気持ちで学んだ教訓です


【聖戦】
ゾンビ化、各種厳しい現実を一身に受け、気力はますます奪われました。
そんなわたしに最後の間の悪い状況が襲います☆

コアの地下書店から1階へ上がれる狭い階段でその瞬間はおとずれました。
階段をゾンビのように上がっていきます。
考えていたのは“なんでこんなことが重なってしまうのか”
1階に到達する最後の折り返しから上を見上げたときです!!
そこにはこれまでに見たこともない景色が広がっていました―

 物凄い網タイツ(黒)の女が階段のへりにこれでもかと脚を組んで座ってた

その網タイツ(黒)はあらゆる男子の視線をイチコロにするほどの衝撃でした。
おそらくは全ての男子のこころを奪うためにつくられたものでしょう。
その上、わたしは下の階から上を見上げているわけです!

 その高低差が、網タイツを圧倒的有利にしていた

しかしわたしにはどんなときも堂々といることが課せられています。
網タイツ女と視線が合ったとき、対決の様相が確定w
なんだろう、この理屈じゃない感じ―

 相手はこちらのこころの揺らぎを見極めようと待ち構えているのです

もし肉食女子に不慣れであれば、男子は慌てて階段を駆け上がることでしょう。
なにより、女性とはいかなるときも男子を陥れる準備がある生き物なのです。
網タイツ女の悩ましげな気迫に飲み込まれることは決してゆるされません。
“どうすれば堂々と乗り切れるか”わたしは1月最後の気力をふりしぼりました
その速度…おそらくは1秒かかっていないとおもいます

 ゼロコンマ何秒の世界

まさかこんなところでそんな世界に行けるとはおもっていませんでした
これがリアル“ZONE”です
既にゾンビ化しているわたしでしたが、気合いで姿勢をただし、今までよりもゆっくりと男の威厳をもって階段を一段一段踏みしめることを選択。

 こちらの唯一の真理と正義は“公共の階段に座っているオマエが悪い”ですw

相手も相手、どう見ても丸見えのレベルなのになんとまったく動じません。
誘惑に負けず、階段を堂々と上りきった自分を褒めてやりたいですね。
しかし網タイツも並の女じゃなかったw  敵として不足ありませんでしたよ
こうして最後の気力をわけのわからない真剣勝負に使い果たしてしまいました。。
なんてこった
〜男女のかけひきとは、なんとおぞましいものでしょうか〜

 このあとヨガやったらあっさり散りました

今なら言える。
すべてはあんなしょーもない画像を見てしまったせいであると。
そう、あの画像こそが呪われる原因であったのだ。
みなさんはくれぐれもそんな画像を見ないように自制してくださいね。

わたしは隙がある友人たちにそんな画像を配信していきたいとおもっています



2013年01月28日(月) The Oath

たんじょうびでしたがこの日わたしはセラピューティックの実験体に出向きました。
なんでか?って??

 膨大なアナトミー知識の上にいるヨガマスターの講義だったからです

それに、その先生は世界にあるこのスタジオの日本人で一番偉い人でしたからねw
これでダメだったらダメってことかもしれません。
それにダメならダメで何らかの足がかりを示してくれるはずです。
去年のゼンヤのときは“ボディワークにいったほうがよい”と言われました。
あのときは“一人でできることには限界がある”ということでした。
あれから1年、出来る限りのことを誠実にやってきたのです。
ところが、最終域と言われる可動域には違和感がどうしても絶えません。

 痛いんですよ

セラピューティックの講義では実際にどこか傷めている人を取り立てていました。
この講義にはわたしの知人がたくさんいましたから、声をかけてくれたのですw
スタジオに入ると驚くべき大歓声があがりました。

 「わぁ〜タイスケさん たんじょうびおめでと〜!!!」

えーっと、これ講義だよね?? ドッキリ誕生会じゃないよね―??
よくわかりませんでしたが、芸能人のようなド派手な入場ですw
ありえんやろーーーー
知らないヒトだってたくさんいるんですよ??
恥ずかしいやろーーー
っていうか なんで知ってんの??  〜これがsnsのおそろしさか〜
おおっと、いけない、姿勢たださなきゃ…
こんなときにまでアカデミック精神が叩き込まれている自分を知りましたw
すこしでも意識を削がれれば、一瞬のうちに堂々さは失われてしまうリアル。
ちくしょー  もう意識しない昔には戻れない
わたし以外に実験体はもう一人いましたが、ここで奇妙なことに気付きます。
講義中 その人は先生から名前を尋ねられたのに、わたしは尋ねられません。

 わたしの名は既に周知されていたんですね…

これもきっとわたしを知る人たちからの吹聴に違いありませんw
わたしは有名人じゃないはずですからね!
なんだかわからないけれど、著名人たちの気持ちがわかった気がしちゃったよw
ヤっちゃん先生はわたしに椅子を用意してジェントルマンしてくれます。
とんだVIP待遇だよ☆  〜だってみんなは地べたにいるんです〜
さて、わたしの番が巡ってきました。
いつどうなったのかを宣言、先生は実状を観察して対応策を指示。
けなげにそれを実行するとたちまち効果があらわれました!!
うわわわわ、い、痛くない!! う、腕が上がる!!  なんてこった―w
そんなことをやってたらmゆきさんが泣きはじめました

 おそらくは目に見える効果だったからでしょう

セラピューティックっていう目に見えない得体の知れないものを学んでいる皆です。
わたしたちは盛大な拍手のうちに役目を終えました。
おかげさまで、今、自分のカラダがどんな状況なのか更新することができました。
そしてただしくからだを知れば痛みを感じることもなく治癒能力も引き出せる。
以前よりも好くなっていることを実感しました。
思い出したら、2年前なんかLポーズできなかったよ。
めちゃくちゃ苦悶のうちにやっていたものも今ではずいぶんましになったのです。
一昨年はまだまだ痛かったのだということでしょう。

スタジオを去ろうとしたとき、講義は休憩時間みたいでした。
わたしは講義を受けていた女の子にニコニコしながら声をかけられます。
 「ありがとうございました!! みんな噂してますよ??」
ってそれ、どんな噂だよ―??  〜噂の種類によっちゃお婿にいけないぞ〜
講義中、派手にやっちまいましたからね…
その女の子とは一度も会ったことないし、当然話したこともありません。
つまりはそれほど講義で何かを感じたってことでしょう。
あの講義を受けた人に会うたびに「ありがとうございました」と言われます。
ほんとはこっちが言わなきゃいけない台詞なんだけどなーw
みんな集中して勉強していたんでしょう、そうじゃなきゃ絶対に言われないはずです!
後日、そんな人たちがおしえてくれました。
わたしは腕が上がるようになっていく度に表情が明るくなっていったそうです
それは光のようだったそうです

みんなわたしに不自由さがあることを目では確認できません
しかし、それこそがわたし自身が誠実にやってきたことを証明しています
最初のころなどは誰がどう見ても無理強いに見えたことでしょう
ただ、他者がわからないといってもわたしの不自由さが消えることはありません
不自由さを自分のものにする、努力の数年でした
不自由さを忘れることができるのは熱中しているときだけでした
からだとエネルギー、からだとその性質は、切っても切り離せません

 意識がその人の気質や表情をも変えていくのかもしれませんね

これから先、年齢を重ねていけば不自由はどんな人にもおとずれるものでしょう
だから、これから先も努力に終わりはないのだとおもいます
その根源は未来への不安じゃない“今をよくしたい”というものでありたいですね

ロウソクの灯はいくつものロウソクを灯すことができます
“灯す”ということに、ロウソクの太さや高さは関係ありませんよね
わたしたちは特別なロウソクでなくていいんです

自分を際立たせたいのではなく、自分を自分にして生きて、そして死にたい
そもそもわたしたちの誰もが特別なロウソクです
自分のこころと真摯に向き合えば、おのずとそうなっているのだとおもいます



2013年01月24日(木) この世には変えられないものもある

駅までバスに乗りました。
その途中、キャリアウーマンが颯爽とガラゴロ牽いて乗車してきます。
わたしは空いていたキングカズシートに座っていました。(最後部左窓際)
前の席には超おじさんサラリーマンが二人席を独り占めしています。
その通路を挟んだ右隣の座席にその女性が座るとおそろしいことが起きました…

なんということでしょう
その女性のスカート後ろ身ごろが肘掛のせいで完全にめくり上がったのです
そのまま着座してしまった女性は自分のあられもない姿にまったく気づいていません

 この件に気づいたのはどうやら超おじさんとわたしだけのようでした―

◎悲劇的ビフォーアフターです◎
超おじさんサラリーマンの視線は釘付けになりました!
〜これは男のサガ〜  生理的に不可避です
レッスンでは女子のレオタード姿があたりまえ。
舞台に立つために自分の体型とたたかっていくのはダンサーに課された宿命です。
自分を真剣に鍛える場で不埒な感傷などまったくわきません。
そもそも自分のことで精一杯ですから余裕など皆無です。
そういうわけで、非日常に生きてればこんな状況を俯瞰することができます。
ところがレッスンはレッスン、日常は日常でしたw
免疫力あるはずのわたしでもスーツ姿で誘惑されてる現実に怯みました。。
 なんてこった
日常でおこる非日常がこれほどの力を秘めているとはついぞおもってなかった―
こういうときに限ってその女性は“明らかに仕事ができる系の美人”なのです
わたしはたたかいました
自分のこころとたたかいました
しかし、自らにたたかいを挑むとたちまち負けてしまいそうになりました
耐えるべきところを耐えられないわたしは別の力に救いを求めます

 わたしは超おじさんサラリーマンの意識を正そうとした

自分の理性を守るにはこの方法しか編み出せなかったのです
なんと貧困なアイデアでしょうかw
わたしは席を叩いたりして懸命に超おじさんの意識を逸らそうとした

 しかしまったくの無駄骨でした

男の欲望には果てがないのでしょう…
なにか、なにか闇にとらわれた男の理性に訴えかける手段はないのでしょうか!?
考えれば考えるほど局地的なたたかいでした。
〜原因を元から断たなければ穏やかな日常は戻らない〜
しかし原因を元から断つことはわたしにはできませんでした
その女性に直接話しかけること自体にたいへんな障害があるからです

知らない女性に注意することは大きな犠牲をともないます
女性に注意できないのは男のデリカシーからです
そして、現代にあって女性はいつでも男を訴えることができる治世です
事が事だけに、いかようにもできん!!

 一般社会において自らの無力さを思い知りました
 隣に彼女でもいたら絶対注意させるんだけどねー

考えようによってはまったく視線を奪えないのも苦しいものかもしれません
すべての男がその理性で振り向きもしないっていうのもどうなんでしょうか
動物的に考えたらその視線は正しいのではないでしょうか
男の視線を奪うことを力にしている女性もいるではありませんか
いったい何が良くて何が悪いんでしょうか
〜見方を変えればいろいろ〜
人は混沌です、混沌が人なのかもしれません

人間って凄いw  生きてるって面白い!!

是非とも気をつけていただきたいものですね☆



2013年01月23日(水) 進化の真価

この日、はじめてスマホに音源を投与してみました☆ …って遅ッッ
半年くらい伝達手段以外なんにも使ってなかった―

 なんだか妙に成長した気分です

最初の一歩、なんでこんなに遅くなったんでしょう!?
“めんどくさかったから” これだろうな。。

 やろうと思えばいつでも出来る

この考えこそがなによりも強大な敵であったのだw
LINEは直接の意思疎通手段とはいえ、snsはもっぱら暇つぶし+副疎通手段。
〜つまらないことも簡単に言えてしまう世界に激変〜
スマホにした当初こそ物珍しさに時間があれば接続していました。
他者とたちどころに連絡がとれる!! 自分の言いたいことがすぐに言える!!
 ◎こんなに便利で凄いことはない◎
ところが接続すればするほど危険なことに気付いていきました。
あまりにも間接的に人とつながることが“あたりまえ”になると、
煩わしくなった挙句、奇跡的であるはずの人とのつながりに幸せを感じなくなる

 “あたりまえ”ってほんとうに怖い

いくら待っても返事が返ってこないことばかりです。
いろんなことが“簡単”になるとつながりも“希薄”になるんでしょうか??
簡単になったらもっと仲良くなれるって信じてた。
関係を、より強いものにできるとおもっていた。
ところが現実は違った!!
簡単になればなるほど疑うし、どうでもよくなっていきます。。

 文章では、メッセージでは、どこで“終わり”なのかがわからない
 一方的に相手を切ってしまう、締め出してしまうことができるのです

“話ができる”とは心底得がたいものなのかもしれません
“人間”ってほんとうにデリケートですよね
このままではいったい何が大切なものなのか見失ってしまいかねません。
そんな今、わたしがスマホの進化を迫るのも納得がいく気がします。
好きな音楽が聴けるようになれば、気分を上げる重要な地位を占めるのです!!
どれだけ音楽の力に頼ってんだろうねw
昨年いただいたBOSE高性能イヤホンもあり、始める前から既に準備は万全です!
そういうわけで、明日は電力消費をたしかめる日となるでしょう。

 いくら重要な地位を占めても大切な連絡がとれなくなれば元の木阿弥

“音楽”ってほんとうに怖いw
選択肢が増えるのはいいけれど電力消費は深刻になるばかりです!!
さぁスマホの力が真に試されるときがきました。

息が長いことを祈りたいですね



2013年01月21日(月) 「日々の泡」

Boris Vian(1920-1959) パリ郊外に生れる。
ジャズ・トランペット奏者、シャンソンの作詞作曲をする傍ら、小説、戯曲を書く。
死後、コクトー、サルトルらに評価されて若者たちの爆発的支持を得る。

 『日々の泡』   ボリス・ヴィアン
 愛を語り、友情を交わし、人生の夢を追う、三組の恋人たち―
 純情無垢のコランと彼の繊細な恋人のクロエ。
 愛するシックを魅了し狂わせる思想家の殺害をもくろむ情熱の女アリーズ。
 料理アーティストのニコラと彼のキュートな恋人のイジス。
 人生の不条理への怒りと自由奔放な幻想を結晶させた永遠の青春小説。
 「20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評される最高傑作。

1/1のblog通り、2013年は海外作家の小説から始めることにしました。
そもそも『日々の泡』はある人から薦められたものです。
その人はこの日本で最高の学歴をおさめたsちえさん!
まったく悪気はないのですが、やはりそんな知人はなかなかいない現実。
sちえさんと合わせてわたしの身近で東京大学へすすんだ人は3人。
まず最初は、なんと初恋のひとの弟w
そんでもって今のところ最後はわたしの家の真向かいの家の息子。 近ッッ
ちなみに、わたしの初恋は幼稚園時代です(爆)
さてそんな人たちの思考力がどれほどのものかは計り知れません!!
どう考えてもわたしとは段違いの何かがあるはずです!!
そうです、今こそ計り知るときがきましたw

 「新刊では高村薫の『冷血』がよかったですよ。
  まあ、でもタイスケさんぽいのは、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか」

書店で探した『冷血』は、まだ文庫本になっていない新刊上下でしたから回避w
茶碗とお箸以外に重たいものもったことないですから。
気軽な重さじゃないと日々のレッスン着が重くて持ち歩きたくありませんw
さぁここでひっかかります。

 “まあ、でもタイスケさんぽいのは、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか”

んんん??? “タイスケさんぽい”???
書店で『日々の泡』を手に取ったとき、ある疑惑がわきおこりました。
なにせ日々の泡は―

 “20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説”…ですよ??

ううう… くっ苦しい。。 もしかしてそこまで人間を読まれていたのでしょうか!?
考えれば考えるほど冷や汗がとまりません。。
おそるべしsちえさん、おそるべし最高学歴!!
しかし、読んでいくと納得の内容でした。
ボリス・ヴィアンはフランス人ですから、いわゆるフランス映画です。
あの独特の描き方、それは、最もおそるべきは、その文章だったんです―
その世界観は読めば読むほど唸りをあげました
たぶん“読まれていた”のはこっちだと確信に至りますw
さすがsちえさん!! マジでおそれいりましたよ!!

 「空気中には恋が流れてる」と彼は断言した。 「熱が来てるんだ」

これが最初に活目した文章ですw
カッコイイ… こんな台詞、一度くらい口にしてみたいもんです☆
ところがその直後、奈落に落とされますw

 とある玄関口では恋人どうしがキッスをしていた。
 「ぼくは見たくなし… ぼくはなし、くさくささせられるの見たくなし…」
 コランは通りを渡り切った。 恋人どうしはキッスを玄関口でしていた。
 彼は眼をとじて駆けだした…。 が、すぐにまた眼をひらいた。
 まぶたの中に、大勢の娘たちが見え、それが彼に道を迷わせそうだったからだ。
 すると、彼の前面に娘さんが一人いた。 彼女はおなじ方向へ行くところだった。
 白羊皮のブーツをはいたきれいな脚、艶消しのパンダ革のマントー、
 ぴったり似合ったトック帽だった。 トック帽に隠れた赤毛の髪。
 マントーは肩を広く見せて彼女のまわりに揺れうごいていた。
 「あの子を追い越したし… その顔を見たし…」
 彼は追い抜いた、そして泣きだしたのだ。
 その女性は少なくとも五十九歳にはなっていた。
 彼は歩道の端に腰をおろしてもう一度泣いた。 それが彼をぐっと慰めるのだ。
 涙はかすかな響きを立てて凍てつき、
 歩道のなめらかな花崗岩に当って砕けるのだった。
 五分たって、彼はイジス・ポントザメの家の前に立っている自分に気づいた。
 二人の少女が彼の傍を通りすぎて、この建物の表玄関へはいっていった。
 コランの心臓は途方もなくふくらみ、軽くなり、彼を地面から持ち上げていき、
 少女たちのあとに続いて彼は入りこんだ。

奈落からすぐに這い上がってくるあたり、コランの若さを感じますねw
物語はおおよそ曖昧で奇妙な文章で突き進んでいきました。
しかしその中には“はっ”と度肝を抜かれる文章がちりばめられています。

 「この処方箋を作ってほしいんだが…」とコランが口を切った。
 薬剤師はその紙を受取ると、二つに折りたたんでから、
 それをぐっと巻きこんで細長い巻物にし、小さな卓上裁断機に挿し入れた。
 「さあ、これでよしじゃ」と、赤いボタンを押しながら言った。
 裁断機の刃が落ちて、処方箋はぐったりとし、やがておとなしくなった。

うわー、これ、うわー!!! た、たまらんわーーーwww

 ニコラが油いっぱいのフライパンを持ってもどってきたが、
 フライパンの中では真黒なソーセージが三本じたばたしているのだった。
 「こんなものはどうかね」とニコラは言った。
 「ぼくにはどうにもケリがつけられない。 異常なくらい抵抗するんだ。
  だから硝酸を入れてやったんで真黒けのけになったが、
  それでもどうにもなりゃしない」
 コランはうまくフォークでソーセージの一つを突き刺すことに成功し、
 ソーセージは断末魔の痙攣にのたうちまわった。

うわー、これ、うわー!!! 完敗ですwww
今まで読んできたものとは明らかに次元が違う!!

 “こんな文章、読んだことがない”

ショック、ショックでしたね。。
あまりのショックに“自分もこんな物書きがしたい”そうおもいましたw
なぜって、これは、文章でしか伝わらない種類のものだからです
だって会話になんてしてもまったく世のため人のためになりそうにありません
ただ勘違いされるだけじゃないでしょうかw
これこそは“文章のたのしさ”だからです
文字にするからこそおもしろいのです
映画が映画でしか味わえない感動のように。
ダンスがダンスでしか感じられない空気のように。

 文章には、文章でしかできないことがある

文学、文学って凄い。
物語後半、おどろくべき急展開をみせます。
このblogではわざとstoryについて触れていませんが、
空間がひずんでいくその世界は悲痛としかいいようがない
主人公たちが純粋であるからこその、たまらない悲痛さです

巻末、訳者の解説にはこのように記されていました。
 その悲痛と真実と優しさにみちた自己の実体を見破られまいとして
 ヴィアンの文学はたえず変装し仮装しぬいたものだが、彼自身が語ったように、
 あくまで変装しつづければそれはもはや変装したことにならず、
 かえって真の自己をあらわすことになるわけだろう。
 しかし、それには歳月が必要であった。
 サルトル、ボーヴォアール、レーモン・クノー、ジャック・ルマルシャン、
 プレヴェール、コクトーなど数人の具眼者に愛され、
 また彼をかこむ少数の友人たちに支持されながら、
 生前のボリス・ヴィアンは正当な文学者としては
 ほとんど黙殺されたに近い生涯を駆け足で生きねばならなかった。

39歳で急死したヴィアン。
死後、こうして後の世にその小説が読まれるということはどういうものでしょうか
どう目を通しても一般受けするものではないように見受けられます
現実の窮屈さに勝負を挑む文章をたのしめる資質が必要そうです
しかし、こんな文章を遺したひとがいたのだという事実
わたしたちがその事実を知ることができる今
それは、ごく少数の人たちがヴィアンを支えていたことに他なりません

わたしはそのことに勇気をもらえる気がしています



2013年01月20日(日) 終わらないAKIRA

『AKIRA』その原作はやっぱりあんな感想では終われませんでしたw
もう一度読み返してみると、初見よりも深く自分自身が見えてきます
いい映画は何度でも見れるっていうあの感動のようです
アキラの意識が戻ったとき、それは銃で撃たれたあとでした

 「キ…ヨ…コ……」
 「アキラくん 意識が…」
 「マサル…」
 「判るのかい 判るんだね アキラくん」
 「タカシ…は… みんな…は」
 「大丈夫… みんないるわ…」
 「私達はいつも一緒よ…」
 「力を…使えるかい」
 「アキラくん…」
 「うん…」

いくら読み返しても涙がでそうになるページです
なんでだろう
きっとこんなこと書いてもバカにするひとのほうが多いかもしれないね
それまでのアキラは感情がない人形みたいでした
アキラの力が暴走したのは他者がその力を性急に発芽させようとして起きた事故なら
正気でなければほんとうの力はただしく使えないということなのかもしれません
そのページのアキラの表情は、全員の表情は“充たされている”んです
しかし現実にはアキラは撃たれており、命は危険に晒されています
これはわたしにもおきたことでした
想像力をつかってくれる人でなければ何も返ってこないことはもう知っています
大それたことを言うつもりは毛頭ありませんが
このことをフツーの人に問いかけても応えてくれることはほとんどありません

 自分でさえ、生きていることに
 あれほど“充たされていた”のを感じたことはありませんでした

それは、誰を憎むことも疑うことも苦しむこともない優しい世界です
大切な人たちが目の前にいる “生きている実感”
不思議なことに“自分が在る”ということですら“示す”必要がなかった
認めてもらわずとも“わかって”いるからです
あのときの気持ちに酷似している気がしてならないのです
そこに行き着けたのは命に本物の危険が迫ったからなのかもしれません
アキラも銃で撃たれたからこそ正気を取り戻せたのかもしれない
みんなそれぞれに“生きている”という捉え方が違います
それは、それぞれの経験が何をもって生きているとしているか異なるからです
わたしの中ではそれが“自分が死ぬ”ということに起因されています
自分でも勘違いしてはならないこと
それは“生きている”ということに優劣なんてないってこと
ただ、誰もがいつか根源的なところに着地するだろうとおもいます

自分が「どうして?」と考えてしまうことについては
不本意ですがこの物語の核心を避けられません

 「アキラは人類の進化に曲折をもたらそうとしたのかもしれん…」
 「何の為に? 進化だってプログラミングされた流れじゃないのか?!」
 「我々の意志が選択出来る流れもあるとは思わんか?」
 「人類が 別の進化を望んでるってのか!」
 「その結果は… お前の子供達が見ることになるじゃろう…」
 「馬鹿な! 鉄雄や あのラボの白いガキ共を見なかったのか?!
  あれが人類の選択だって言うのか!!」

別の進化、、わたしたちは常により良い未来を想い描いているはずです
現実に押し潰されている人が大半ではありますが
未来に向かっている人は一目見ればわかります
自分に置き換えてみれば、
つらかったことが自分を育てて“楽しくする術”を編み出した
これは天性の才能からきているものではありません
自分が経験してきた苦痛のなかから無理矢理に得たものです
だから、きっとわかる人が見れば奥底に抱えるネガティブさがわかるはずです
それでもそんなネガティブな世界を変えたいと願ってここまできました
未来を変えたい、そんな切実な想いが頑張ることを生みだしています
そして、よりよいものにしようとする力はまわりにも伝播していくのを感じます
わたしのような者でも意志で選択すれば言葉にできない何かが、流れができるんです

 「お前達の力は不仕合わせしか生まなかったのか!!」
 「でも… 仲間が出来たわ…
  言葉に頼らない心の話が出来る… 本当に理解し合える仲間…」
 「理解し合える仲間…」
 「ミヤコや神殿の人達… そしてケイや… チヨコおばさん 鉄雄くんや…」
 「まてよ どこへ…」
 「金田くん…」

本当に理解し合える仲間 言葉に頼らない心の話が出来る
わたしにとって それはダンスです
ダンスではウソがはっきりバレてしまうからです
言葉ではどんなに想いを伝えようとしても過不足がでます
ダンスでは、ソロであれば一方的に力を示せば成立はするでしょう
しかし、他者と踊るには誠実でなければ成り立ちません
その人自身の本質がこれほど問われるものが他にあるでしょうか
わたしの尊敬する師匠の言葉にこんなものがあります
 様子や気配でつながっていくこと
 ダンスはそういうものでやっていかなくてはならない
 そういうものをわたしは尊いと思っています
好きな人と踊るときもあれば嫌いな人と踊るときだってあります
関わりがなければダンスは生まれません
こんなにも人との関わりが大事なものがあるでしょうか
本気でぶつかり合わなければダンスにならないのです
カラダでぶつかりあえば膨大なその人を感じとることができる
もうこれは理屈じゃありません
つきつめれば毎日の日常がそうではありませんか??

 「この公園は?!」
 「!」
 「団地のやつらだよ… 新しく越して来た奴にはいつもああなんだ」
 「ボクも最初は… あ ちっ違うよ ボクは ただ…
  違うんだ鉄雄 俺はただ… …あのとき… 友達になろうと思ったんだ…」
 「友達…? ボクは… 鉄雄… 島…鉄雄って言うんだ」
 「あっ」
 「新し…い と… も…」
 「待て!」
 「だ… ち 友達に…」
 「てっ 鉄雄ォ」

なぜ年齢を重ねれば重ねるほど他者を疑ってかかるようになるんでしょうか
どうして本当におもっていることを伝えられないんでしょうか
こんなに簡単なことがどうしてできないのか
本当は誰もが友達になれるのではないでしょうか
それを拒むものは一体なんなのでしょうか どうして複雑にしてしまうんでしょうか
子どものときにできたことがなぜ大人になったらできないのでしょうか
大人になったって熱中が純粋さを引き出します
情熱とも言い換えることができるかもしれません
その感覚は子どもの頃と変わらないはずです
本当に生きるということはどういうことなんでしょうか
現実を生きるということは自分を守ることなのかもしれません
認めてもらわなければこの現代、この世界では生きにくいようにできています
しかし、自分を守る生き方は壁をつくることに直結します
“しなければならない” “で、なければならない”
本当はそんなもの生きて死ぬことにまるで必要のないことです
ところが、どれだけの人がそんなものに囚われているのかわかりません
“しなければならない” “で、なければならない”
これが現代の“生きている”になってしまっている現状
現代社会で生きるには責務がついてまわるからかもしれません
お金という価値基準が差別化や個別化を招きました
お金のおかげで助けあうことをしなくても生きていけるようになったのです
言い換えれば他人に迷惑をかけない生き方だとも言えます
お金があれば限られたつきあいだけで生きていくことができます
お金の力は強大です 人を従属させる力がある
お金があれば生きていけるからです
だからこそ本当の友達をつくるのは難しいのだと思います
迷惑ってなんでしょうか 助けあうことが迷惑なんでしょうか
一方通行であれば迷惑でしょうが、ギブアンドテイクなら迷惑とは言いません
助けあう世界がどれだけ人を豊かにしてきたかわかりません
ここで言う豊かさは、物質的なものではなく“こころ”の豊かさです
他者と関わらないことを求める人もいますがこれには矛盾を感じます
他者と関われば関わるほどカルマ(業)が増えるとも言われましたが、
その煩わしさこそが“他者と生きること”に他なりません
頼りにし、されることは人を幸せにするではありませんか
頼りにされれば手助けしたくなるし、頼りにできるならその人みたいになりたいとおもう
自分とは違う生き方をしてきた人がそれを教えてくれます
そして、もし友達にできたらもっと幸せになれる気がするのです
そのチャンスを自ら閉ざすことはどうしてももったいない気がします
わたしのこの方向性は揺らがないでしょう
ただしその逆、可能性を閉ざす幸せもひとつの真実だとおもいます
自分が生きることへの余計なもののすべてを排除することができるのです
自分の手が届く範囲を全力でまもり、しあわせにする
すべては選択、選択なのでしょう
影響を受けて絶えず変化していく生き方
影響を受けずに自らの意志を貫く生き方
それよりも、そのバランスを探す生き方こそが一番困難かもしれません
どれを選んでも一方を否定することはできないのだとおもいます
つきつめればどれもたいへんな“正気”がともなうものですよね

長くなってしまいましたが『AKIRA』には終わらない答えがあるとおもいます
おかげさまでこんなところまで自分を整理できてしまいましたw

個人的なblogですので偏った文章でしょうが、
自分がどんな方向性なのか、考える足しになればうれしいです



2013年01月19日(土) 始まりにして終わりの物語

この日、わたしは新年会と称された美食倶楽部に参加。
当然のように有名店。 メニューを開きました。 なになに?

 エビとキノコのアヒージョ
 (スペイン料理で有名な、キノコのガーリックオイル焼きです)

 苺のリゾット
 (お待たせしました 今年も始まりましたよ)

…んんん?? そのキャッチフレーズに目を疑いました。
お待たせ!? って、そんなに待たせてる人いるの??
“たしかめなければならない” そう強く感じました。
ええ、もちろん止められましたとも。
しかし苺のリゾットなんてこれまで聞いたことがありません。
かわいいとも美人とも言い切れない女子店員さんにたずねてみました。

 「香りは…ですけど、意外といけますよ!」

なんだその微妙な説明―  やはり人間は突き抜けなければなりません
運ばれてきたリゾット、その香りはおもむろに苺“そのもの”!!

 ちなみに初めてソロ踊ったときのタイトルは「ソノモノ」ですw

口に移すと世にもあたらしい味でした!!
苺の香りがする苺のごはん。。 まさしく世にも奇妙な冒険でした
こ、これ無理―  たちまちみんなの顔が歪んでいきます
味・香り・食感 すべてをひっくるめたりしたらもれなく新世界突入です!!

 その世界はこれまでに味わったことのない驚異的混沌でした

トマトが野菜なのか果物なのか、なんて話ではまるで比較対象になりません。
ごはんが主食なら、苺は果物です。
いったいこのリゾットは主食なんでしょうか、デザートなんでしょうか!?

 答えは食べた人間にしか出せない

結果論ですが、わたしはその答えを知りたがったということでしょう。
そのすべては人生が一度しかないことに起因しています
しかしあえて言わせてもらいましょう。
わたしはただ楽しくしたかったのです。
その“楽しくしたかった”純粋な気持ちがこんな苦しい場所へ誘いましたw
みんなが美味しいと言いながら食べられたらよかった
答えがわかった今、“新世界から逃れるには”わたしはその方法を探しました。
わたしは新世界に行かないことを望んだのですw
そして探し当てたその手段、それは自分自身を守るための最大の作戦。

 香りを嗅がずに“妙な味のごはん”としてかきこむのだ

この、世にもおそろしい【苺のリゾット】を頼んだのはわたしです。
すなわち、誰も手を伸ばさない以上、責務を果たさなければならないのはわたしですw
これはたしかに挑戦でした。 挑戦としかいいようがなかったね
もう二度とチャレンジしないための挑戦。
もう人生で二度とチャレンジしなくていいんです!!

まさかこんなリゾットがやってくるとはおもいませんでした。
ワインがほしいと思ってるのにお中元で洗剤が送られてくるあれと同じです。
ドラえ●んが出した道具がまるで役に立たないあれと同じです。
人生でだいじなのはそこで落胆することでなく、洗剤に寄り添うこと、感謝でしょう。
この場合、寄り添うことは味わうことでなく、一息にかきこむことでしたけどw

 新しい世界を切り開きたくなくても切り開かねばならないときがある
 そんなことを学んだような気がします

もし挑戦しなかったなら苺のリゾットが記憶に刻まれることはなかったでしょう
それと同時に今日の新年会そのものが記憶に残らなかったかもしれません
しかし、その尊い挑戦は消せないものも生み出しました。
その味が消し去りたくても消し去れない!!  〜これは不幸とも呼べるでしょう〜
味わおうとしなければ知ることもなかったのです

さあアナタはどちらを選びますか??
わたしはこれからもホットケーキドリンク(COLD)を飲み続けるでしょう。
キズつかない人生なんてキレイごとですよねw



2013年01月17日(木) 「AKIRA」

『AKIRA』裏設定、金田は金田としか呼ばれなかったが実は金田正太郎だった―
作者は『鉄人28号』の影響下だったのである。
これにはなんとも前日のblogからしてゾクゾクしてしまいました!!
鉄雄でさえ『鉄人28号』の敷島博士の息子である敷島鉄雄から取られているらしいw
なにげない繋がりのようですが自分にあらかじめ決められていたものかもしれません
マクトゥーブ。

 『AKIRA』(全6巻)   大友克洋

あらためてこの世界に没入してみると知らなかった事実に驚きの連続でしたw
まず、タイトルは映画監督・黒澤明に由来していたんです!  そっかーそうだったかー
日本アニメーションを全世界に知らしめた最初の作品といえるかとおもいます。
その制作費に当時としては破格、10億円かけたそうです。 1988年ですよ!?
それもそのはず、アニメーション『AKIRA』はおそろしい出来映えでしたよね。
ジャパニメーションとして世界中にそのタイトルが轟いたのです。
「日本のアニメはクオリティがまるで違う、真似の出来ない世界観を持っている」
アニメを自発的に見るようになったのはもしかしたら『AKIRA』からかもしれません。
それほどの作品です。
そんな作品の原作を読んだことなかったのは、おおよそ人生のミスでした。
さすがに少年期のことですからそのときはミスだともおもっていなかったはずですw
オマケ人生の今だからこそ見ておかなくては―!!

 今こそ間違えた人生をやりなおすときです

『AKIRA』全巻を数日かけて一気読み!!
っていうか昨年、課していただいてたのをすっかり忘れていたのだ!!

 申し訳ない気分満載w

申し訳ない気持ちがそのまま、凄い集中力での速読を引き出します!
そのラストでは感極まって泣きそうになりました…
『AKIRA』は“人類の革新”がひとつのテーマ。

 しかし、この物語の正体は“わかりあう”その意味のパラダイムシフト

鉄雄だってそのはじまりは“純粋さ”です
ところが金田を超えたい気持ちがねじまがったのでしょう
好きだからこそ、憧れるからこそ、越えなくちゃいけない
その気持ちはわかるような気がするのです
力の差が劣等感を生みだすものだからです
対してキヨコ、タカシたちナンバーには“執着”がありません
すべてを受け容れているからです
本物の力とは、認めてもらうために使うものではないのではないでしょうか
ナンバーたちが大事にしているものをあげるなら人格、人柄のような気がします
それは、わたしたちがわたしたちである最後のもの
そのすべてを受け容れてもらえることは、どんなに幸せを生むでしょうか
『AKIRA』には、ほんとうにいろんなことを考えさせられました
日本を代表する物凄い作品だとあらためてわかります
そんな“AKIRA世界”は2019年が舞台、なんとあと6年です!!

真にわかりあう、わかりあおうとする世界にしたいですね



2013年01月16日(水) 新年早々つまらないやりとり撰

タイトルの“つまらない”っていうのは、すなわちわたしのことですw
◎あらかじめ犯人はわかった上でお楽しみください◎
1/14(祝)、本番を終えた姉さんからメールが届いてました。

 「ロリコン上等!ついでにショタコン上等じゃあ!
  だって本当に可愛かったっちゃもん。
  もう この歳になったら、なんも怖くないぞぉ。」

この姉さんはお歌の人ですから、出演者の中にそんなのがいたって話でしたw
さて、ロリコンってたしかロリータコンプレックスだよね??
語源はウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』に由来。 読んでないけど
ってことはショタコンも何かの短縮形でしょう。 …思いついたぞ!

さては“所帯持ちコンプレックス”だな―

うん、きっと“絶対違う”w  〜だってロリータはLolitaなんだから〜
まぁメールにも怖くないってあったし、ためしに送信してみよう。

 「ショタコンて所帯持ちコンプレックスでした??」

すぐに返信きた。

 Subject 違うやろ!!
 「ロリコンの男の子版だろ… 所帯持ちコンプレックスとか初耳だぞ!ウケる^^」

すぐさま返す。
よくよく考えたらショタコンって初めて聞いたかもw

 「シャコタン!ショコタン?ワンタン、牛タン、タンタンの冒険、短気は損気です!」

コンじゃない時点でもう別次元w
つづけて叩き込む。

 「ターミネーター、ターミネーちゃん」(男女違い)

かえってきた。

 Subject ハハハ
 「どこまで行くのだ タイスケよ」

答えはひとつです。

 「しれたこと いけるところまで」


さぁ真の解答です!!
ショタコン=ショウタローコンプレックス

 ロリはロリータだったが、ショタは正太郎だった!!

正太郎が日本語なら、所帯持ちだって日本語、イイ線いってたと言える(殴
アニメ雑誌『ふぁんろーど』の編集長が読者からの質問に答えるコーナー。
「少女を好きな男性はロリコンと呼ばれるが、少年を好きな女性はなんと呼ぶべきか?」
という内容の問いに対し、半ズボンの似合う少年の代表として、
『鉄人28号』の主人公・金田正太郎の名を挙げたことに由来。
ショウタローコンプレックスとしたのが始まりらしいw
し、知らんかった!!

「ショタコン」という言葉を使う者の中には、鉄人28号の金田正太郎のことを直接は知らない可能性も大きいが、それについて編集長は「ロリコンという言葉を使う者の多くが、語源となったウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』を知らないのと同様であり、問題はない」と述べているらしいw

俺は知ってたんだから、問題はあったのだ



2013年01月12日(土) 今をシンプルにする言葉

NIKKEIプラス1読んでましたw
今日の特集は― “覚えておきたい『現代の名言』”

◎落ち込んだとき元気になるには

 ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ
  スティーブ・ジョブズ

 「負けたことがある」というのが いつか大きな財産になる
  SLAMDUNK

 きみはこれからも何度もつまづく でもそのたびに立ち直る強さももってるんだよ
  ドラえもん

なによりもジョブズの言葉と日本漫画の台詞が肩ならべてることに驚きましたねw
だってNIKKEIですよ?? 日本経済世界経済ですよ!?

マンガは絵と文章と物語、文化のハイブリッド

わたしたちは漫画に触れて読み取る能力を成長させてきたのだとおもいます。
特に文字と文章の学習についてはたいへんな教育効果でしょうね。
日本が世界に誇る文化です。 フランスに漫画はないんです。 信じられますか??
ジョブズに関する話でこんなのが本にあったのを憶えています。
たしか当時政権の大臣(蓮舫さんだったかな?)の、教育問題についての発言でした。
「ジョブズのような人材を日本もつくらなければならない、学校教育の強化を―」

 「ジョブズは大学中退の人間ですよ?」

こう言って質疑を斬って捨てた逸話がありますw
質問したヒト、教育問題を語るにはいささか例えがまずかったね。

学校教育が成功する人間をつくるわけじゃないのだ

っていうか、その“成功”って何の成功だろうね…
単に“大金持ちになる”って話なら成功の本質をかるく見失ってしまいそうですw
〜大金持ち=成功者なら、宝くじ当てたら成功だよ〜
この場合はアイデアや最新技術で世界を席巻するってことでしょうか。
でも席巻が成功ってのも腑に落ちませんw
価値基準がお金であるということは複雑な気持ちになりますね。
大きな地位や名声が豊かさを生むとも限りません。
地位や名声が逆に足枷になることもあるでしょう。

自分の為すべきことを見失わないことが成功につながるのだとおもいます


◎座右の銘にしたいのは

 自分がわかっていないことがわかるということが一番賢い
  鷲田清一(哲学者)

 一度地獄を見ると、世の中につらい仕事はなくなるんです。
 苦しい経験を若いうちにするからこそ、得られるものもある
  池上彰(ジャーナリスト)

 この世に生を受けたこと それ自体が最大のチャンスではないか
  アイルトン・セナ

 いちばんいけないのは自分なんかだめだと思いこむことだよ
  ドラえもん

気になるものだけ取り出してみました!
おおよそ元気にならないものや座右の銘になりえないのもたくさんありましたよw
意外にも信じられないくらいマンガの台詞が数多くありましたw
自分もそうだったように日本人はマンガに大きな影響を受けているのだと知りました。
想像力、人間関係をも教えてくれる。 日本はスゴイ

そんな日本人はどうして感じる力がとぼしいのでしょうか

そんなわけあるか!! そんなはずがあってたまるか!!

ダンスの話でいえば「難しかった」などの感想がどれほど多いことか。
おそらく本物のダンサーが日本に少ないからじゃないかな。
言葉にできないものだからこそ踊っているんです
答えがひとつではないからこそ踊っているんです
わたしは「難しかった」と言わせないダンスを踊りたいとおもっています。
一発勝負があまりにも多い巷の作品群。
もっとシンプルに踊りだけをやっている人たちがこの世にはいるんです

フィジカルでも音楽でもない“踊り” ダンス

自分がわかっていないことがわかるようになる、それは世界を変える力があります
ところが、密度が高い生き方であるほど柔軟な考えができなくなる恐れがあります
厳しく自分を律することは自分の世界を固めてしまうからです

ある意味では自分の世界をひろげないことが幸せだということもできるかもしれません
誰ともかかわらず、自分の為すべきことだけに没頭できるとしたらありうる気がします

そうでないものをえらぶなら、否定することこそが可能性を奪うのだとおもいます

座右の銘や元気になる言葉は移り変わっていくものではないでしょうか。
ヒトはいつも同じことで落ち込むわけじゃない。
“そのとき”必要な言葉が、“今”をたすけてくれる言葉がある
なぜならそうじゃない言葉にはまったく響かないからです。

気づくことも大切なことですが、
今の自分に必要な言葉を“自分で”決めることも同じく大事なことだとおもいます



2013年01月11日(金) 天国と地獄は行き来できる

時間ができたのでいつもいかないビギナーズクラスに出ることができました。
知ってる人といえばAyakoクラスでご一緒な、このクラスを進行統率するAya師範だけ。
わたしは基本、前のめりな人たちが鎬を削ってるクラスにしか出てませんからねw
このクラ… あ、いた! sクラ子いたw
どうやらいつもどおり後方で甘い生活をすごす計画のようです(爆
とにかくその他周囲は完全なaway包囲網でした。

 away空間で自分自身を圧倒的に輝かせるためにはいつも以上の集中が必要

それはクラスが始まってすぐのことでした。
マット前方に立って両手を高く上げ、左手で右手首を掴んでひっぱり右体側を伸ばす。
右体側を伸ばす=体が左に傾くなんでもない準備運動。
ところが、わたしがこれをやると約90度直角に折れ曲がることになります。
“ちょっと傾く”くらいの騒ぎではないのだ。
しかし周りのことを考えて力をセーブするなんてことは決してしません。

 全力でやらなきゃなんにもならないからです

誰かのためにやってるわけじゃない、すべては自分のためですよねw
そんなときでした!

 「ブ、ブホッッッ!!!」

わたしの真後ろの方角から誰かが壮大に吹き出しました!!
刹那、すぐに感づいた。 “笑われたのは俺だな”
右体側を伸ばすってことは逆の左体側も伸ばすってことです。
次もわたしのカラダが直角に折れ曲がった瞬間でした。。

 「ブ…ブ、ブホッッッ!!!」

ってまた真後ろで誰かが吹き出した―
未確認ですが絶対同一人物です☆

 一度目と二度目の吹き出しには明らかな違いがありました
 どちらとも最終的には耐えられなかったものですが、
 二度目は明らかに“意識的に耐えようとした”ことが伺えますw

耐えようとしてくれたんですよ!!  でもダメだったんですね
 〜哀しくも虚しい現実です〜
最初はムッとしましたが、二度目では笑いそうになりましたよw
後日、k野先輩にその話題を話した後、偶然わたしの後方にいたことがありました。
そのとき「同じ動作を見て危なく吹き出しそうになったよ」と言われましたから、
その威力はたしかなもののようです。

 例えて言うなら人間メトロノームみたいな感じでしょうか
 あくまでも人体ですから「グイーン、グイーン」みたいなw

だいたいk野さんとわたしは前列で熾烈な闘いを演じているライバルです。
よって、横から見ることはできても後ろからその姿を見るなんてほとんどない。
一般人女子だったらそりゃ笑うよな…
女の子ならまだしも男子の柔軟性ってのはそうそう見ることはできまい。
いつものクラスならわたしの存在を理解している方たちなのでこんなことはおきません。
 自分が笑われるなんて初めて知りましたね
こっちは真剣にやってるだけですからとんだ迷惑です。
あ、むこうも真剣にやってたならむこうはむこうでとんだ迷惑かw

カラダには無限の可能性があることを雑技団でも見て一刻も早く理解してほしいですね


◎さて、まだまだ残念な伝説はつづきます◎
この日もペアワークが言い渡されます。 〜Aya師範はわたしをみんなの見本にたてた〜
 【本日の種目は勇者のポーズ1】
Ayaさんのサポートにより、わたしの後屈は床と平行以上に伸展。
わたしは自分自身に全力で挑んでいるだけですが異様な空気を感じました。
頑張ってるのに歓声もおきない実に苦しいものでした(爆
「この人はここまでイキますけど、みなさんはここまでやらなくていいですからね〜♪」

 それ、なんのフォローにもなってないよ たぶんw

「じゃあペアになってくださーい♪」
とんでもない見本をやってしまったわたしに声をかける人なんていやしません(爆
まぁ誰でもいいんですけどね。
しばらくして、あぶれている凄くかわいい女の子を発見しました。
ビビッドピンクのTシャツから推し量るに、どう見ても初心者w
わたしと目があった瞬間、女の子にとんでもない悲劇がおとずれます。

 目が3倍くらい開いた挙句、さらに後ろにあとずさり―(超実話

どこからどう見ても戦慄が走った様子です!!
地獄でも見るようなその表情、、なんと失礼な女でしょうかw
そこらへんの人間よりわたしは明らかに有能ですよ??
そう、このときです、わたしの脳裏におみくじの恋愛欄が浮かんだのは。

 【恋愛】 今はまだダメです

なんと納得できる状況なのでしょうか―  なんてこった
どんなに努力しても無駄だと言い切られた一文。
かつてこれほどヒトの夢と希望を踏みにじるおみくじを引いたことがありません。
わたしの心が悲痛に叫ぶ 「怖くないよ〜」 「悪いひとじゃないよ〜」
なんだか“赤い靴”の人買い偉人さんの気持ちがわかったような気がしましたw
きっとバルジャンがコゼットを引き取るときもこんな気持ちじゃないかなw
それは“どんなにイイ人ぶっても決してわかってもらえそうにない感じ”ですw
空気が読めたんでしょう、Aya師範がやってきました。

 「じゃあタイスケさんはsクラ子さんとやってください」

そのときの女の子の表情といったら… まるで天国にでも昇ったような顔でしたねw
 “ほっ”とした安堵感、全世界の平和が一瞬でその顔におしよせた
わたしは一人の女の子の絶望と自由、その両極をいっぺんに見てしまったのです
人間はこんな一瞬で地獄と天国を行き来できるんですよ

 あとから思い返せば返すほど、貴重なものを見た気がしてなりません

輝きすぎて威圧してしまうのではなく、うっとりするような静寂がほしいものですね



2013年01月09日(水) 十日恵比須 2013

この日はパートナーワークが言い渡されました。
女子率90%ですから近くにいた目の上のたんこ…男子k野先輩と組もうとし。
異性と組むのはデリケートな問題もあり、暑苦しくても気楽にワークに集中できます。
内容は逆転のポーズ、倒立。 そのときAyako師範から声がかかった!

 「脚の長さあるからタイスケさんはm美さんとね〜」

脚の長さが問われるパートナーって何?? そんなこと言われたのはじめてだぞ―

k野大先輩はさみしく去っていきましたw

m美さんはクラス中で最高の軟体女子。
このスタジオでk野先輩がパワー系最強ならm美さんは柔軟性最強、強敵です。
二人がいるときは必ず両隣に配置。 〜右向けば柔軟性、左向けば力技〜

 自らの潜在能力を引き出すための究極のシステム
 他力本願、姑息で周到な手段、漁夫の利作戦です☆

目に見えるというのは実に大きな目標をつくってくれる。
彼らを捩じ伏せるために頑張ってる自分が一番ボディワーク間違ってる。
今日も惨敗でしたねw

さて、なにもかも終わって誘ったみんなで十日恵比須大祭に出かけました。
キツいクラスの後、祭に繰り出して行ったためにAyakoさんは仰天してましたw
 祭りに行くくらいの体力はあります
そういえば今日は自己大発見もありました。
最近Ayakoクラス序盤で力尽きてる感の原因をつきとめることに成功!!
それはダウンドッグからの片足上げ→上げた足側の体側を外旋→隣の人を足でつつく
この作業を真剣に隣の人物を突き刺す勢いで取り組んだ結果、著しく消耗していた―

 人よりもカラダが利くからこそ追いやられていた

っていうかこれ、アーサナでもなんでもない準備運動だぞw
そんなところで精神力を根こそぎ奪われていたなんて考えもしなかったよ!!
 灯台下暗し なんてこった
隣の人をタッチにいく〜ってのを突き刺す〜に変えたその気合いこそが命取りだったのだ
その事実をAyakoさんに断罪してみたところ、驚きの返事がきけました。

 「知ってたよ〜♪」

し、知られてたッ!! ちくしょー
ざっとお婿にいけない気分ですw

 今日まで自分でも知らなかったことを以前から知られていたんである

誰にも知られたくない秘密を知られる気分ってこんな感じか―!?
さすが師範。 一生懸命挑んでいるわたしたちを見下ろせるのは神様だけなのだ

そんなわけで十日恵比須大祭です。
神社まではおそろしい行列が。 〜まぁフツーだね〜
ですが9日だったこともあり参拝まではかるく2時間はかかりましたw
その間、k野先輩とm美さんはヨガ動画談義で別世界でしたねw
会話についていけないわたしとsなえちゃんはおおよそおごそかに並んでましたw
そういえば、地下鉄でエスカレーターに乗ったら一斉に根性なしだと言われましたねw
さあ社が近づいてきました。
輝く提灯群を見てsなえちゃんが叫びます!

 「三越の提灯と大丸の提灯列のあいだにゆめタウンって凄くないですか??」

た、たしかにッ!! そういえばなんだか妙な気分だ!!
ゆめタウンが三越・大丸と肩並べ…て いいのかその並び順―
さすがsなえちゃん、目のつけどころがいいね!
なんたってsなえちゃんと言えば山登り。

 身長は低くても その観察眼は鋭く お目が高いのも頷けます

こうしてつつがなく何分も願い事を祈ることができましたw
◎わたしの願い事の大半は努力が必要な部類ですから厳しい闘いになるでしょう◎
十日恵比須神籤。 今年最初のおみくじの内容はおそろしいものでした―
げえええええ??? 良い内容これだけ!?

 【出産】 安産 産後を大切に

既におみくじから厳しい闘いでした 〜産めないって〜
あ、もう一つあった!!

 【病気】 気を強くもてば安心

ええええええ??? 気を強く!? 安心って、、なんだそれ―
気…ってそんな曖昧なもので安心できるかああああああぁぁあああぁああッッッ
特に面白かったカテゴリーは恋愛ですがこれはすぐにblogに登場します、お楽しみに☆

気を強くもって2013年をいこうとおもいました
気を強くもちすぎることはその後の集中力を根絶やしにすることを学んだばかりです
そして御神籤は“必ず引きなおす”そう心に誓うのでした



2013年01月07日(月) 筋トレの正月

正月。 かつてこれほど筋トレに励んだ年末年始があったでしょうか―

 いや、ない

昨年末X'mas、筋力の衰えを思い知らされたわたしは自らを問いただしました。
これまで鍛錬してきたものが簡単に失われていた事実w 〜おそろしいリアルです〜
年齢と共に失われる時間は早くなるのかもしれません。
ダンサーにかかわらず、酷使からくるあらゆる職業がそうだとおもえます。
ちょっとでも休んだりしたらたるんだ筋力を感じることになるはずだからです。

 立て直すのもさぼるのもその人次第

そういうわけで2013年は今日からフツーに厳しいクラシックレッスン始め。
今日の日のために筋トレしてきたようなものです。
今日を凌げさえすれば、やってきた筋トレが正しかったことが証明できます。

 studio行ってみたら代講でした―

なんということでしょうw  いきなり成果の見送りです
先生はコンクール観戦のために急遽代講が立てられていたのだ!! 〜きいてないよ〜
代講の先生はぜんぜん知り合いなんですけど、厳しいことに変わりはありませんw
新年早々で“新年”だったために心持ちも神妙に。
今日、脳みそにインプリント公式化できたのはこちら。

 ロンデジャンのとき後方に片足を運ぶときは上げようとしないと落ちる

まぁあたりまえといえばあたりまえなんですが新年の影響下で脳裏に深く残りましたね。
おかげさまで現在進行形で忘れてませんw  新年ってすごいや
さて代講の先生は急遽“代講”にさせられたようでした。
しかし先生は神様ですから仕方ありませんね。 でも複雑な表情でこう言ってたな

 「先生も生徒誰か一人くらい決選いくことくらいわかろーもんねー」

たいへんデリケートな一言でしたねw
おつかれさまでした

そういうわけで、ありがたい致命的罵声が突き刺さるのが一日だけ延びました☆
ほっと一息ついたとき、突然押し寄せてくる“本当にそれでよかったのか”
 命が延びるのがいいのか、今をギリギリで生きるのがいいのか
自分の力を超えて成長したいのなら自分の範疇を超えていかなくてはならないのです
いつも複雑な気持ちを行き来してますねw



2013年01月06日(日) 「バレエに生きる」

パリ・オペラ座の振付師と、エトワール。
ともに世界で活躍したふたりが紡ぐ、60年間のバレエ人生。
それは、愛、夢と希望にあふれた幸福な世界―

 『バレエに生きる』〜パリ・オペラ座のふたり〜
 踊ることで、わたしは輝く

バレエ界ドキュメント映画です。
ピエール・ラコットとギレーヌ・テスマー、ふたりの話を軸に映画はすすみます。
今は本番までリハーサルがしっかり組まれている時代。
しかし二人が踊っていたのはサーカスのようなドサ回り時代だったようです。
ピエール氏自身が振付と本番の連続。

 彼らは“毎日”が本番でした

その頃のオペラ座は混迷の時代だったらしくピエール氏は一度退団しています。
ところが呼び戻されるのです! 今からじゃ想像もつきませんね。。
ピエール氏がその踊りと創造力でどれだけ輝いていたか推し量るには十分です。
彼らがつくってきたその“バレエ”が尊重される時代になったのだとおもいます。
それは、ピエール氏のような先人たちの情熱と技術がなしとげてきた結果でしょう。
たいへん興味深い映像でした!!

 現実にそのすべてをバレエに捧げた人生だからです

自宅でのピエール氏とギレーヌさんはどう見てもセレブ老後夫婦にしかみえませんw
しかし、オペラ座ダンサーの練習のチェック、その視線の鋭さ―
バレエに生きてきたことを強烈に感じました
そして、オペラ座のダンサーたちが二人に対して敬意を払う姿に感動した

 “踊ること”は生きる歓び。
 “踊ること”で人生は豊かになる。
 そして、その深い想いは永遠に受け継がれていく―

まさにその通りだとおもいました。
ひとつの踊りに全世界の人たちが惹かれるのには理由があるはずです。
二人に子どもはいませんでしたがギレーヌさんは言い切りました。

 「オペラ座のすべてのダンサーがわたしたちの子どもよ」

世界最高峰のバレエ団でそんなことが言えるなんてどんな気分なんでしょうか―
そのときの表情はとてもすがすがしいものでした  天上人、天上人ですね
ギレーヌさんはこうも言い切りました。

 「バレエには人生のすべてをかける価値がある」

先ず何よりも、美しい、品格の踊りには考えられないほどの鍛錬があります
そうでなければ大きい舞台であればあるほど力は発揮できないからです
ダンスを見出しさえすれば、等身大の踊りは誰にでも踊れます
しかし、より多くの人に伝えたいとするなら、
自分自身を超えていきたいのなら、フィジカルの強さが不可欠です
言葉にできない何かが伝わるナチュラル自然体、その強度の問題です
これはダンサーに課せられる永遠のテーマでしょう

とてもしあわせに見えるふたりでした
この映画が見れてよかった



2013年01月04日(金) 書き初めヨガ 2013

今年もやってきました年始イベント“書き初めヨガ”!!!
正確には“ヨガクラス(書き初め付き)”。
ヨガしながら書き初めするわけじゃありません。 やってみたいけどw
去年はこのイベントで新年早々どん底にたたき落とされました。。
書き初めヨガはまったく甘くなかったんです!!
奇しくも2012年の同日blogを読み返してみるとこんなこと書いてました―

 「わたしの心は完全に砕かれました、それも年始め4日目に」

それほどのダメージがあったんだね…かわいそうにw
昨年の書き初めは『乾坤一擲』でした。
たしかにそのときのblogどおり、わたしにいろんな試練があたえられる2012年に―
リベンジです。 リベンジしなけりゃ去年は超えられまい

 『捲土重来』

ちなみに、これが浮かんだのは安倍政権になる前。
そういうわけでわたしの精神のほうが政府よりも俄然先です!!
国事に揶揄されて複雑な気持ちになりもしましたが、やっぱりこれにした。
2012年、乾坤一擲が読めなかったYインストラクター。
さあ今度はどうでしょう?  ◎自分自身への誓いとともに突きつける挑戦状◎
ところがYインストラクターは想像を絶する対応をしてきました!!

 わたしの書き初めに見向きすらしなかったのだw

なんというインストラクターでしょうか。。 さすがです
完全に無視されてましたからおそらく計画的なものでしょう☆
それでこそわたしの尊敬するヨガ師範代!!  〜血も涙もないよ〜

 いつかヨガ以外のことにも興味をまわせるときがくるといいですねw

せっかく大々的なイベントやってるのに一言もコメントないのが凄い☆
読書とかするひとならこの書き初めはたいして難しいものじゃないはずです。
わたしが書き初めにフツー使わない四字熟語にするのには理由があります。

 書き初めが儀式であるのならこちらも真剣にならなきゃ意味がない

決してカッコつけたいわけでも物知り自慢したいわけでもないのだ!!
この書き初めヨガでは書き直しはききません。 一発勝負です
そう、これは自分との勝負。  2013年をとおして闘う心意気の問題です
もちろんわかりやすいものにすることも真逆の道理。
どちらかを自らが選ぶ話ですよね。
さて、人間はおもしろいもので難しいものにすると簡単にレッテルを貼ってくれます。
「あの人またあんなの書いて」
わたしのことを知ってるひとならそうは思わないはずです。
面白がっていたぶりにくるのが大概わたしの友人ですからねw
違いはその視線で簡単に見破ることができます。
それは本物の友だちになれない、目に見えない巨大な壁
これがわかるっていうのはほんとうにさみしいものですよ
そもそも他人に見せるために書いてるものじゃないんですけどね―

 自分自身の心の片隅にどれだけその勢いをとどめておけるか
 だからこそ仰々しく硬い熟語に“する”んです
 普段つかわないものだから憶えておけることがある

自分が成長していくには更新することじゃなく積み上げること
それまでの自分を、思いを、断ち切ることが必要なときもあるでしょう
それでも時間は常にわたしたちの味方です
だからどんなこともわたしたちの力になってくれるはずです
苦しいけれど、切り捨てず中身を見つめれば、解決策を見出すことができます
失敗を繰り返すことはないのです

わたしは去年まで書き初めを真面目にしたことなんてありませんでした
その場に立ってはじめてこんなに気概が問われるものだと気づいたのです

この気持ちは舞台に立つこととまったく変わりません



2013年01月03日(木) 「ホビット 思いがけない冒険」

『ロード・オブ・ザ・リング』監督ピーター・ジャクソンが贈る、新たな冒険ファンタジー。
2013年の始まりは怒涛のファンタジー模様で大荒れです!!

 『ホビット 思いがけない冒険』
 ロード・オブ・ザ・リングは、この冒険から始まった

見る予定にしてませんでしたがジョーさんの体育館裏呼び出しにびびって行きましたw
なんたって、長すぎる『ロード・オブ・ザ・リング』3部作、以前のお話の商業化です。
最初っから3時間映画だよ!!

 今度は何部作にするつもりですか??   A. 3部作

『ロード・オブ・ザ・リング』で描かれた中つ国の60年前、悲劇的ビフォー物語開幕戦。
『ホビット スマウグの荒らし場』(13年12月13日日本公開予定)
『ホビット ゆきて帰りし物語』(14年7月18日日本公開予定)
これはもはや映画観戦耐久レースです。 〜どれだけついていけるんでしょうね〜

ホビット族のビルボ・バギンズは魔法使いのガンダルフに誘われ、13人のドワーフたちと共に、恐るべきドラゴン“スマウグ”に奪われたドワーフの王国を取り戻すという危険な冒険に出ます。 彼らは凶暴なアクマイヌ、そして謎の魔術師たちがうごめく危険な荒野、ゴブリンが潜むトンネルを抜けていくことに。 ビルボはそこで、彼の人生を変えてしまう生物ゴラムと出会い、彼には知る由もない中つ国の運命を握る〈指輪〉を手に入れてしまう―

◎ちなみにウナギイヌは凶暴じゃありません◎
本編『ロード・オブ・ザ・リング』主人公フロドとは打って変わって三枚目主人公!!
ビルボ演じるマーティン・フリーマンは想像を絶する三枚目でした!!

 その子孫があの美青年フロドだなんてまったく考えられないよw

ゴブリンが生活する巨大な洞窟に捕らえられたトーリンたちは脱出をはかります。
魔物ゴブリンの姿は四肢人間系。
しかしそのゴブリンはフィジカル系ドワーフ族にも勝る筋肉隆々フィジカル!!
どう考えても一般社会人なんかデコピン一撃で始末できそうな勢いです。
ところが面白いことにその筋力とは裏腹にあっさりドワーフ族に打ち倒されてゆきますw

 その筋力は完全な見掛け倒しでした

そ、そんなバカなあああああああああッッッ!!!
その映像は、わたしたちが鍛える筋力を全否定しているようでした―(爆
ダンスでもヨガでも目指しているのは美しくしなやかで力強いカラダです。
簡単にはいかないんですよ?!
◎ゴブリンだって生きるために筋トレ頑張ってるだろうに◎
ゴブリン、エカパダクンディニアーサナとかバカアーサナとか絶対美しくできるって!!
中つ国でゴブリンに人権が与えられる日はくるんでしょうか… 頑張ってほしいものです
さて、その戦闘の実態がこちら。

 15人 vs 5万

おいおいおい! なにその無駄に壮大すぎる数的戦闘シーン??
どこからどう見ても“無理”すぎる!!
しかし彼らはその15人で真剣に凶悪なドラゴンを倒す旅をしているんです。
5万くらいのゴブリンなんてたいしたことな… あるだろ!!!
ほんとこの映画、どれだけ壮大な映像つくってんだか。。
ホビットは小人だし、ドワーフは等身つぶれ気味だし、相手は異形の者だし!!

 ほんと凄いぞ この映画―

今回最高にカッコイイのはドワーフの指導者トーリン・オーケンシールド。
リチャード・アーミティッジでしょう! 〜そのフィジカルから溢れる生命力〜
国をドラゴンから取り戻すお話が主軸みたいですから最後まで大活躍してほしいですね。

 そんなトーリンは思いがけない冒険で宿命の相手にあっさりやられてしまいます

よわいよ王様ああああああああッッッ!!!  …次回に期待しましょう☆
そんなわけでビルボも自ら戦闘しなければ生き残れない状況におかれました。
最初は戦うことをしなかったビルボでしたが、次第にその勇気が問われることに。
思いがけない冒険でこころに残った台詞はこれです。

 「勇気が試されるのは、命を奪うときではない。 命を救うときだ―」

このガンダルフの台詞がビルボのこころで反芻されました。
自分LOVEでは決して人は救えないのです。
どう見ても三枚目だったビルボがカッコよく見える!!  驚きましたね
この映画はビルボの成長です
その外見はどう見てもカッコよくないんです

問題、問題は中身なんですよ


この日、ジョーさんから早すぎる誕生日プレゼントをいただきましたw
 ◎暁美 ほむら◎
 ACTION FIGURE SERIES
ぐあああああああああッッッ!!! …フィギュア 思いがけないプレゼント!!(爆
って、ほんとよくできてるなこれ―
 「通常顔」と「にらみ顔」に加え「笑顔」で劇中のシーンを再現!!
 豊富な武器に盾、さらに時限爆弾やゴルフクラブなど多彩な付属パーツ!
どう見ても飾るのは困難です!!  やられましたね

問題、問題はプレゼントの中身なんですよ

おまけ人生でついに美少女フィギュアとやらをいただいてしまいましたッ  なんてこった
これまでのプレゼントの仕返しも少なからず兼ねてるんでしょう。
フィギュアが水着とかじゃなく、制服着てるのがせめてもの救いですね。
ジョーさんありがとうございました“頑張って”飾りたいとおもいますw

さあ2013年、わたしたちも頑張ることで成長していきましょう☆



2013年01月01日(火) 今日、今年をはじめます

◎あけましておめでとうございます◎ 二○一三年 元旦
今日、2013年をはじめますw
深遠な年にすべく、これまでやったことない新年の明け方をさっそく実行。
まずはその壱。 小説購入

 『日々の泡』   ボリス・ヴィアン
 “20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説”と評される最高傑作

◎今年は海外の作家から始めてみよう◎
これがそのやったことない理由ですw  〜そう遠くないうちにblog化したい〜
購入にいたるまではちょっとしたstoryがあります、それはそのときにでもw
さて、書店の上階がシネコンだったこともあり立ち寄ってみることに。

 なんだかわけもなく明るい映画が見たい衝動に狩られた!!

なんせ昨年末『レ・ミゼラブル』で2012映画鑑賞は壮絶に終わりましたからねw
2013年を明るく楽して生きたいとおもうのも無理ありません!!
早くも2012年のリバウンドきタ―
っていうか、この時間これしかやってなかったーーー

 『今日、恋をはじめます』
 最悪のファーストキスが、運命の出会いだった。

いつもだったら「それはない」とナマステするんですが、今日は元日!!
突然その弐。 魔が差すにはじゅうぶんすぎた
◎今でなければこの映画を見ることはあるまい、入場◎
松坂桃李演じる椿君は一部の人間にしか一目置かれる人物には見えなかった…
擦れてない純情男だとまるわかりの男なんであるw
よって、悪ぶってもいっちょん似合わない。 〜どう見ても難がある〜
とにかく万人に“かっこいい”と納得させる何かが決定的に足らないのだ。
 その手の男は絶対バイトなんかしないしてないありえない
バイト頑張ってる男に恋するなんてのはまったく庶民的ですよねw
どこがカリスマ男子なのかまったく理解できないよ。 〜いたってフツーです〜
武井咲をスクリーンで見るのは『るろ剣』以来。 期待したw
その昭和女のドレスチェンジは劇的ビフォーアフターでした!
女は服装でこんなにもイメージが変わるっていうのをあらためて知りました!!
だまされちゃいけないっていうのもあらためて肝に命じましたw
問題なのはいつだって中身です!!

 女子高生ロストヴァージンファンタジー

全国の煮え切らない高校生の願望と欲望を搭載、商業映画として見事に凝縮☆
言葉はわるいですが、そういう意味ではおそろしく完成度の高い映画でした!!
お互いに歩み“いたす”ことに理想を求める物語はまったくわるくありません。
現代の使い捨て社会から考えればたいへん有意義な精神だと理解できます。

 しかし一方では高校生活ロストヴァージン推奨とも取れちゃうね

設定では主人公は高校二年生、その妹は中学三年です。
現在の学生が映画どおりだとしたらすでに乱交社会ですよね。 なんてこった
ティーンズの未知への欲望を考えれば、なんともわかりやすい展開。
大人への憧れと異性への興味。
驚くほど秀逸な中二ストーリー☆ 寝ることで終わる究極のラスト☆

まさしく至高の幻想ファンタジーでした

超個人的断罪blog化しているわけですが、この映画では唸ったシーンもあります。
それは「お前の夢って何?」的な後半です。
外見や性格で相思相愛になることとは違い、この映画はお互いの夢を尊重するものです
なかなかできることじゃあないぞ。 〜たどりつくには精神の成熟が必要です〜
なぜならこれこそが例のパターンだからです。

 「わたしと仕事とどっちが大切なわけ?!」

この台詞はたいてい女子からのものではないでしょうか。
不思議なことに男がこの台詞を使っているのなんて見たことありませんよね。
このことから考えるに女子とはよほど自分を大切にされたい生き物なのでしょう
でもあえて言いましょう、そんなのは男子も同じだ
ところがなぜか同じにはいきません
そんな台詞を吐けば女子は必ずこう言い放つでしょう 「男らしくない!!」
なんでそんなこと言えるの!? 意味わからん
大きな心を持たなきゃならないのは男女同じ。 今こそ不可思議な差別に終止符を!!

 この物語で大切なのはどちらもおもいやってるってこと

認め合う、信じあうとはそういうことなのかもしれませんよね。
相手の未来をよいものにしたいなら相手を自分にとどめることは足枷でしょう。
すくなくとも上の台詞は“大人の”発言ではないとおもうのです。

二人でいることですべてが満たされる、そんな二人もいるでしょう
満たされるものが尽きない、そんな二人もどこかにきっといるはずです
 二人のすべてが同じ方向なんてそれこそはamazing奇跡
わたしがいつも意識するのは何かに一生懸命な人が好きだということです
外見がどんなにキレイでも、その性格がどんなに素敵でも、
何かに頑張ってる人にはまったく及びません

 頑張っているその時が、その人が一番輝いているとき

好きな人が頑張ることをやめてしまったらきっと好きじゃなくなるでしょう
頑張る強度に差はあってもその“頑張る”ことに本来優劣なんかありません
頑張ることでキレイになるし、性格もきっとよくなっていく
もしかしたら“よくしていきたい力”なのかもしれませんね  自分にもまわりにも
そして満たされるときは、できるなら死ぬときでありたいですね
それまでは精一杯頑張ることをしたい

 だって頑張れるのは生きているときだけじゃないですか!!

死んだあと頑張らなきゃいけないなんて聞いたことないもんね。
頑張ることで輝くなら、頑張るのをあたりまえにすれば生きること自体が光り輝くはずです
大事なのは、頑張るのは無理をすることじゃないってこと。
一体“頑張る”ってなんなんでしょうねw
目に見える頑張るもあるし、目に見えない頑張るもあります。
そうだ、わたしの先生がよく叫ぶ罵声のひとつにこんなものがあります。
 「目に見えなきゃ意味ないわよ?」
それはあくまでもダンスにおける言葉ではあるけれど、ある意味で的を射ています。
まわりが“わかる”頑張りでなければまわりは変わっていかないからです。

 きっと人それぞれの“頑張る”があるはずです

それは、人それぞれのダンスがあるのとおなじだとおもっています


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