断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2011年09月30日(金) 言い方ひとつで

JRホーム、並んだ列に偶然にも母がいた。 奇遇だな。
親子ともパブリック乗り物内では読書家だ。
電車に乗り込んだわたしたちは本が読めるスペースさえあればよい。座れればなおよい。
priority seat横に落ち着くと、目の前で言い合いが始まった…
 「ちょっとどいてくれ」
どうやらpriority seatの背を逆に倒して座りたいらしい。
そんなことを言い出したその体格はメタボ大、身長も高い巨大なおじさんだった。
わざわざ座っている人を立たせてまで自分の思い通りにしたいだなんてさ…
座れる席があるだけでもじゅうぶんだろうに。。
座席は向かい合わせになっており、priority seatには既におばあさんが座っていた。
おばあさんの親族?がその向かいの通常シートにいるにもかかわらず、の発言だった。
向かい側のおじさんは言い放つ 「みんなで座る席でしょう?」
うんうん、そのとおりだ―  そう思った瞬間、おそろしいことがおこった

 「狭いだろうが!!」

メタボが怒号した。
おばあさんはその大声にびっくりして席を立ち、その前に座るおじさんも席を去った。

 とんでもなく不幸な出来事が眼前で起こってしまった

わたしはブチギレてつい声にでた 「なにも怒るようなことじゃない!!」
聞く耳も持たずにその巨漢は席を組み替えてドカンとひとり座りなおす。
平和は一瞬にして崩れた。 険悪なムードが車内に満ちた。

 その言葉が別の言葉だったら誰も嫌な気持ちにならなかったはずだ

出ていったおじさんは駅員に懸命に状況を説明していた。
車内にもその声がきこえるくらいに。 その気持ちは痛いほどわかる。
理不尽な言動を正してほしい、たすけてほしいよね。
だが、一駅員がひとの性格をなおすところまで介入することはない。
するとメタボオヤジは堪忍袋が破裂したのか電車を出て更に罵声を浴びせた。 最低だ
このオヤジ、墓穴掘ってることにまるで気づいていない!!
人間力を公共の場でさらしてしまっているのに!
かわいそうなのはおばあさんだ。
おじさんは駅員さんに言います 「もういいです、次の電車に乗ります」
おじさんが気分を害したのはわかる、けれどもおばあさんはどうだ。
家まで遠いんじゃないか? つらいんじゃないのか?
わたしたちは他者といるとき、気づかないところでみんな我慢しているものです。
まったく我慢していない人なんかきっといないと思うのだ。
家族ですら我慢していることがあるというのに。
メタボオヤジのせいで空気がわるくなってしまった。
そのこと自体がまったくつまらない話だからこそ気分はおそろしくわるかった。
なんでこんなことがおこるんだろう
電車を降りて、わたしは母に怒りから口を洩らした。 〜恥を知れ しかるのち死ね〜

 「あのオヤジが病気で余命いくばくもなく、明日死ぬんだったら許す」

そう、許せる。 人は許せる!
ただそれはわたし個人の問題で、当の本人がわかっているのか。
わたしの小さな経験では、力をもつ人間は“なかったことにできる”傾向がある。
人のことなんか知ったことじゃない、そんなメンタル。
自分を疑う、考え込むような素質なんかないのだ。
だってそうじゃなきゃあんな言葉になるはずがない。 あまりに自分本位すぎる!
だとしたら、誰かがそれを教えてあげなくてはなりません。
そうしないとその人が成長することはないのです。
それは意外とつらいことでもあります。
だってそんなわずらわしいこと赤の他人にできますか??
あの場でそんなことができたら英雄です。
ところがそんな面倒なこと誰もがしたくないと思っています。 これが傍観者の心理です!

 きっとこれが“戦争”の一側面かもしれない

第三者は結局なんにもしません。 でも変えられるのはわたしたちだけだった。
そのときのその人にアクセスできたのはわたしたちだけだ。
その瞬間に気づけたらもっともっと“みんなで”成長していけるんだ。
もちろんそれがわかるまで時間や対話が必要なことのほうが多いけれど。
いろんなことが体中を巡った、誰かがそして一人ひとりがやらなくちゃ世界は変わらない。
よく聞く言葉ですよね。
ところが、わたしたちはうなづくばかりで実行できません。
その一歩が実のところたいへんにデリケートな問題だからです。
だって絶対の正義なんてないもん。

 じゃあどうすればよかったんだろう

ただわかってもらうことだけでこんなにも苦しいだなんて、さみしいな
もしできるなら、いい方向へみんなですすみたい
人と生きているんだからまちがいはおこるものだ
だから、まちがいを恐れるよりも気づかせてくれること
そのためには言葉が借り物じゃダメなんだ
いいかげんな言葉や“力”じゃないんだ



2011年09月28日(水) 「黄色い目の魚」

今回はジャケ買いならぬ、表紙買いでしたw

 『黄色い目の魚』  佐藤多佳子
 海辺の高校で、同級生として二人は出会う。
 周囲と溶け合わずイラストレーターの叔父だけに心を許している村田みのり。
 絵を描くのが好きな木島悟は、美術の授業でデッサンして以来、
 気がつくとみのりの表情を追っている。
 友情でもなく恋愛でもない、
 名づけようのない強く真直ぐな想いが、二人の間に生まれて―
 16歳というもどかしく切ない季節を、波音が浚ってゆく。 青春小説の傑作。

たまには青春に浸ってみたくなったw  人間誰にでもそんなときがある!
物語を読み終わって解説に進むと、そこにはおそろしいことが書かれていた―

 覚えがある人には、じつによくわかると思うんだけれど、自由な大人、
 というのは、子どもにとって非常にやっかいな存在だ。
 たいてい、親戚のなかにひとり、そういう人がいる。
 放浪癖がある、定職をもっていない、自分の好悪に馬鹿正直である、
 てっとりばやくいえばまっとうではない。
 子どもはそういう大人に、なぜかしら、惹かれる。
 惹かれて近づくが、そういう大人はたいてい子どもを子ども扱いしないので、
 子どもは、自分が大人なのか子どもなのかわからなくなり、大人の部分と
 子どもの部分をアンバランスに持ったまま、成長してしまったりする。

これはほとんどわたしのことだ。
自分がアンバランスに成長してしまったからかもしれません。
特にギクリとしたのは“そういう大人はたいてい子どもを子ども扱いしない”。
まったくそのとおりだからです。
いまでもこれが原因で嫌な目にあったりしてしまいます。
もしかしたらやっかいな大人をおもいきりやっているのかもしれない。
いまのわたしが社会において“まっとうでない”のはたしかです。
でも、だからといって今すべきことを間違っているわけじゃない。
現代社会で生きていくためにはどこかでそれをぶつけなければなりません。
わたしにとって今はそのときのための大切な時間です。

木島悟の台詞

 「いいよ。批評とかしてほしいんじゃないし」

 「受け取ってほしいだけ」

ダンスも同じ
だから、受け取れるダンスにすることがわたしの仕事です
じいさんになっても、いいダンスが踊りたい
最後が自分だけなら  誰かのせいにできないのなら  そう、好きなことをやるんだ
才能なんてあるかないかわかんねえけど、せっかく生きてるんだからやってみるよ



2011年09月26日(月) 「宇宙兄弟 (15)」

『宇宙兄弟』最新刊が店頭にならんでいた! 即購入。
マンガというよりも宇宙に挑む“人間”に興味が絶えません。
あまりにもマンガが面白くて実写映画にまったく期待できません。
さぁ宇宙兄弟がどんなマンガかというと、こんなマンガですw

 聴くと元気になるモーニングレディオQ&Aのコーナー イエ〜!
 ロスにお住まいのカール君8歳からの質問!
  「サンタさんはたった一晩でみんなにプレゼントを配るなんて…
   スゴすぎると思うんですけど なんでそんなスゴイことができるんですか?」
 なるほどォ いい質問だねェ カール君
 よし教えてあげよう…
  「本当にスゴイのは― “トナカイ”だよ」

15巻はヒビトがロシアに飛ばされてからの話。
ヒビトはなんとそこでバレリーナと出会います。 とはいってもその女の子は15歳。
宇宙飛行士ヒビトの大ファン、「バヤイ」が口癖のオリガですw
ヒビトはひょんなことからオリガの成長記録総集編VOL.1を見ることになります。
踊りを知らないヒビトが見ても、明らかにド下手な少女オリガが叫ぶ。

 「あ〜 ダメだこれ しんどいよぉ〜〜〜」

わかる… その気持ち、わかるぞオリガっ!!

 「苦しいよこれ もっと楽なのがいい」

わかる…その気持ち、おそろしくわかるぞオリガああああっ
そんなオリガに母親エミーリアがやさしく言います。

 「でもオリガ… 楽な演技を延々と続けて お客さんが喜ぶと思う?」

宇宙兄弟の作者、小山宙哉はほんとに勉強していると思った

 「人に見られる事をするには 見えない踏ん張りが必要なの
  苦しくて苦しくて大変な演技ほど 美しく見えるの」

実のところ15巻のヒビトとわたしはほとんど同じようなもんです。
ヒビトはコスプレのようなことをして宇宙飛行士としてのリハビリを開始。

 どーだ 楽しそうだろ 全く宇宙と関係ないものからレプリカの宇宙服まである
 お前のためにみんなが集めてくれたんだ バカげてると思うか? 茶番だと
 だが これをやるのが今のお前の現実だ 受け入れろ
 大事なのは“できる”という経験を得ることだ

わたしは子どもたちの前でド下手な姿を見せ続ける毎日。
いまでも毎朝休みたい休みたいと思っている。
たしかに恥はさらしたくない。 でも、そうじゃない。
子どもたちの前でいい格好がしたいわけじゃない!  ただ踊りたいだけだ
だから今はこれしかない。 受け入れるしかない。
技術ある人間からすればまるで茶番かもしれない。 でもそれがわたしの現実です
もうこのマンガ、おそろしく痛いところを突いてる!!
入院していたときも同じようなことがあった。
ページをひらいた瞬間に泣いてしまったくらいです(2009/12/26)

踊るには受け入れるしかない。
そして一から“できる”という経験を得ていくしかない。
どんな人もきっと一緒です



2011年09月25日(日) 「極道めし」

Dancing課長と“ある映画”を見にいきました。
わざわざ気難しいDancing課長と一緒に見にいくのには当然理由がありますw

 『極道めし』
 忘れられないメシがある。 忘れられない人がいる。
 腹が鳴り、胸が躍り、そして涙が滲む…
 コクと感動あふれる“グルメ物語”誕生!
 あなたの人生を変えた人はいますか? メシはありますか?

過去、わたしたちと共に舞台で踊った人物が極道めし主要役としてDebutしたのだ!!
一緒に踊った仲間が宣伝ポスターにこれでもかって図太く写ってたーーー
これはもう大事件です。 わたしたちが見にいかないわけにはいかないのです!
そして、彼の活躍を同じ視点で応援しながら楽しめるのもわたしたちしかいない!!

 ◎祝・ぎっちゃんこと“ぎたろー”映画初出演◎

極道めし公式サイトにはこんなことまで紹介されています。
 役者として活動する以前は、ヨド●シカメラで正社員として勤務。
 家電アドバイザーの資格を持つ。
ちょっと詳しすぎやしないか… それ、完全にプライベートだろ?!w

わたしの超個人的な『極道めし』唯一のダメ出しをさせてください。
戦後のあの出来事が映像化されていなかったのだけは減点です。
 【牛さん牛さんモーモーモーこわいよぉ】
一家で焼肉を食らうために牛を一頭まるごと盗む計画です!
あんなマンガチックな盗牛模様ではまったく納得できませんねw
あの場面は牛一頭盗むのが、リアルどれだけ大変だったかみせつけてくれないと!!
そうじゃなきゃ焼肉の威力が上がるわけがないだろ!!
某バレエ公演で、闘牛士ではなく牛そのものだったDancing課長が言った。
 「俺が牛やってもよかったのに…」
もしDancing課長が出演していたら腹をかっさばかれてThe Endだったのに…残念です。
〜そんなわたしたちの歴史がけたたましく動く瞬間がおとずれた〜

 巨大スクリーンにとつぜん映し出されたオクダさんと光二郎さん!!
 ぎっちゃんはリアル先輩二人に対し、劇中おもいっきり先輩面しやがった―
 コンドルズの大先輩オクダさんと光二郎さんに、ですよ!?
 ぎっちゃんは未だにコンドルズでは(新人)表記です!!
 これがリアル現実だったら、たとえ獄中でもぎっちゃんの命は絶対ありません!!

あべこべな映画と現実に、Dancing課長とわたしの大爆笑が館内にひびきわたった!!
 「ブハハハハ!!! あ、ありえね〜」
コンドルズを知るわたしたちはドツボにはまってしまいました―

 ※その場面に声をあげて大笑いしているのはわたしたちしかいません

とんだ大迷惑ですw
まわりの人たちがわたしたちを変な目でみていました。
怒っているというよりも、何がそんなにおかしいの?!…そんな目でしたねw
だってしょうがありません、この世にはわたしたちにしかわからないことがあるんですよ

 映画に知っているひとが出演すると、こんなに違った楽しみがうまれるものか
 (※物語に入れないのでいいのかわるいのか判断しかねます)

映画館を出て、Dancing課長に言ってみた。 「ラーメン食べにいこうぜ〜」
するとDancing課長の返事は、「えっ!? プリンじゃなくて??」
その選択は大問題です。 映画の流れからいってどう考えても締めはラーメンだろ!
すくなくとも巷で「おっ●いプリン」なんて売ってないからw

最終的には獄中の時間はかえってきません。
そのラストシーンは、わたしたちに現実を教えてくれます。
この映画は想像以上に秀作でした!!
『極道めし』、是非見にいってください。 きっとしおりちゃんが好きになるはずです。
Dancing課長は完全にストライクしてましたw そりゃもう大逆転です。
“水嶋しおり”はおそろしくいい女でしたからね。
美人で可愛くて気立てがいいなんて、もはやこの世の奇跡ですw
わたしはDancing課長に訊いてみた。
 「しおりちゃん、課長がおそろしく好きなタイプじゃないの?」
無言でうなずく課長。 話をつづけるとおもしろいところに行き着いた。
課長は、しおりちゃんが幸せになったことで『極道めし』を締めくくっていたのだ!!
わたしは叫んだ 「主人公はしおりちゃんじゃないぞ!!」
課長の思考は完全に水嶋しおりに支配されていた― 「えっ? そうなの!?」

 そもそも、ぎっちゃんを応援する趣旨だったのに、
 Dancing課長はしおりちゃんの幸せ応援に“完全に”すり替わっていた

なんと友だち甲斐のない男なのだ、Dancing課長!!
映画見にきたばっかりに久しぶりにDancing課長のろくでもない本性見ちゃいましたね。。

(※本日のblogはDancing課長の許可を得て全世界に向けて発信されています)



2011年09月24日(土) 「ウパシクマ秋のライブ」

メール着信、それは広島のDancer 田村久くんからだった―

 こんばんは。 ご無沙汰です。
 突然ですが24日にケイトミュージックで踊るんですが見に来ませんか?
 ウパシクマというバンドのライヴです。 午後7時から。

 『ウパシクマ 秋のライブ 〜星めぐりの歌〜』
 アジア・アフリカ・アイルランド・ネイティヴアメリカン、
 そして日本の様々な楽器を用いながら独自の音世界を創造し、
 年齢性別を越えて楽しめる音楽を目指すウパシクマ。

特急で1時間、新幹線なら16分かかるところまで強引に行ってきました。
なにせ久くんは広島ですからね、もう年内には金輪際会えないかもしれませんw
会いに行く謳い文句としてじゅうぶんでしょう!

さてここで田村久くんの活動をわたしの知る限り紹介してみたいと思います。
久くんは音楽関係の団体とともに主に西日本を縦断。
各地でパフォーマンスする広範囲なDancerです。
過去、わたしが出演した舞台を奇遇にも2つ見てくれている素晴らしい人物!
ある仕事の話から意気投合、友だちになりました。
ってか仕事の話よりも映画『BLACK SWAN』を大爆笑で話し合えたからかもしんないw

 とはいっても今日この日まで面識がなかった

よく考えたら電話でしか会話したことないから本体を知らないのだ!(超実話)
わたしにとっては一方的に顔を知らないなかなか稀有な友人だったw
さぁその正体は目前です。 その生身のダンスを見れば性格も明らかです!!

 〜地でいく踊るおにいさん〜

もうこれしかない!  誠心誠意で踊る楽しさをつたえたいんだな
舞台では技術はもちろん必要です。
しかし、久くんはお客さんとの空間をなによりも大事にしているのがわかる。
踊りが好きならダンスの凄みの深みにはまるのが常だけど、明らかにイイ感じなのだ。
わたしには同じことはできない、そう思った。
その人自身を輝かせるダンスはそれぞれなのだとあらためて感じた。

わたしにも自分を輝かせるダンスが、場所があります
でも今はまだそこには帰れない、今は踏ん張らなくちゃいけないときです
ほんとはいつも笑って踊っていたい それには乗り越えなくちゃいけない壁があります
壁はなくなることはないでしょう だからこそ壁があることをわかってなくちゃいけない
笑えるのはもうすこし先だ
今は“もうすこし”をどれだけ短くできるか
リハビリの“もうすこし”に比べれば楽勝です!



2011年09月23日(金) 「人生、ここにあり!」

ミニシアターに出かけました。 マイナー映画を鑑賞するために!

 『人生、ここにあり!』  2008/イタリア映画
 未来は自分で照らすのさ
 これは、イタリアで始まった本当の“幸せ革命”

実は数日前に、映画『蜂蜜』を見にいったんです。
第60回ベルリン金熊賞受賞、本年度アカデミー外国語映画賞トルコ代表作品。
その日たまたまレッスンが早く行われたため、時間ができたのだ。
ところが… やはりレッスン後はまずかった。

 目が覚めたら映画は終わっていた

なんということでしょう!! わたしはお金払って映画館に昼寝でもしにきたか
それは映画ファンとして許されない禁断の行為! もうこれはリベンジしかない。
『人生、ここにあり!』を見ることにしたのも理由があります。
『蜂蜜』を見にいく道すがら、とってもカッコイイいでたちの女性が前から歩いてきた。
顔なんかわからないほどサングラスはデカい。 そんな人に突然声をかけられた。
 「わ〜タイスケくん、元気〜?」  って知人だよ―
サングラス外してもらわないとわかんないよw
そのお姉さんは言った「いまね、人生ここにあり 見てきたのよ!泣いちゃったわ〜」
わたしも『蜂蜜』を見て涙なんか流したかったのだ。 だのに〜な〜ぜ〜
上映が終了した『蜂蜜』を感動するすべはもうありません。
あぁ、なんという忌々しい台詞なのでしょうか。 ここにきてその台詞がめぐるめぐ!
ちくしょー こうなったらその映画に泣けるかどうか、ためしてやろうじゃん!!
受付で買った当日券、そこにはおそろしいものが印字されていた―

 人生 ★1400円

俺、人生を1400円で買っちまいました^^  安ッッッ
…ってちょっとちょっとちょっと待てぇい!!
いくらなんでもそこで略しちゃダメでしょーーー?! (※超実話です)
映画館のレシートってなんでこんなにイイカゲンなんだろう…
まぁ面白かったからいいけどw

合言葉は、“Si Puo Fare!”(やればできるさ!)
世界で初めて精神科病院をなくした国、イタリアで起こった実話を基に映画化!!
1978年、イタリアではバザーリア法の制定によって、次々に精神病院が閉鎖されていった。 「自由こそ治療だ」という画期的な考え方から、それまで病院に閉じ込められていた患者たちを地域にもどし、一般社会で暮らせるようにしたのです。 本作は、そんな時代に起こった実話を基に誕生した映画です。 これまでイタリアでも語られることのなかった実話を基に、卓越した笑いとキメ細やかな感性でコメディ仕立てに練り上げられた本作は、まさに思いきり笑って泣ける“人間賛歌エンターテイメント”! なんと同国では40万人を超える動員で異例の大ヒットとなり、54週に及ぶ超ロングランを記録。 社会現象になるほど関心を集めた映画『人生、ここにあり!』、たとえ転んでもあきらめないで夢に向かっていけば、いつか現実になる― そんな希望と元気を届けてくれます。

 「誰でもそれぞれ何かを持っているはずだ」

わたし自身、医学を学んできた身です。
そして、ひとりひとりの輝きも知っています。

 この映画を見て、“わたしたちは堂々と生きたいだけなんじゃないか”そう感じた
 自分が自分でいる、気後れせず、ただ堂々といること

しかし、社会がそれを許さない現実があるのだ。 不条理に。
主人公ネッロが叫ぶ。

 「ただ 俺はみんなに一生懸命 生きて欲しくて」

ところがそれが甘い考えだったことに気づかされます。
命の問題がおこってしまったのだ。
精神の問題は単純にはいかないことを思い知って心を病み、ボロボロになってしまいます。

イケメン青年のジージョとヒゲ面のルカ、二人の奇妙な友情。
この二人は思いもよらぬ寄木細工の芸術的才能を開花。
彼らはそのArtな仕事に邁進、みんなはそれを助け、生計をたてることに成功します。
いつものように仕事をしていたジージョは依頼主の美人のお姉さんに目を奪われます。
恋が純粋であればあるほど心の折れ方も簡単でした。
女が軽い気持ちでキスしてしまったことでいい関係になるもそれが不幸の始まりでした。
一般常識が欠如しているジージョは、フツーのことが振舞えない。
ジージョの心は純粋すぎるほど少年のままだった。
そのことでその女のまわりの男が「あんな奴と?」とジージョを蔑みます。
それを見ていたルカは激怒、相手を暴殴―
恋を、心を、砕かれたジージョは自殺してしまった
その行き違いには何かおそろしいものが潜んでいて、世界を分けてしまっていた
世界を分けるものの正体が何だと思いますか?

 人を知ろうともせず、優れていることをやみくもに突きつける浅はかな自意識じゃないか

そしてそれほどまでの絶望は“恋”が砕けてやってくるリアル
純粋で素敵な恋にはこれだけの力があるんです
わたしたちにだってじゅうぶんおこりうること、決してバカにできません
自分が自分でいること、それは純粋であればあるほどあやうい
恋ってほんとうに素晴らしいものなのに、同時にこんなにも激情に飲まれてしまう

 なによりも、わたしたちひとりひとり大切にしているものが違うんだ
 人を量る絶対のものさしなんかあるはずがない  優劣なんてあるはずがない

彼らが一般社会で生活するには複雑で難しい問題が立ちはだかっています。
そうだとしても、彼らはわたしたちとちっとも変わりません。
ただひたすら“堂々と生きていたい”だけなんです。

 「人生で大切なのは挑戦することだ、やればできるんだよ」

そうみんなを鼓舞してきたネッロ自身が、みんなからその言葉を聞くラスト―
それはなんともいえないものでした



2011年09月20日(火) 「NO.6」

のっけからおもいっきりBL系! その原作は、あさのあつこSF小説。
地球が戦争だかなんだかで一度消し飛んだ世界。
シオンとネズミ(自称名)の近未来スラム生活です。
性格正反対イケメン2人の守りたい壊したい同棲模様…こんなのいままで見たことない。
NO.6と呼ばれる街は圧倒的科学力を備えた人類のあたらしい居住都市のひとつ。
ところが、そこにはおそろしい秘密が―

 『NO.6』 (全11話)
 交わるはずのなかったふたつの運命。
 彼らが出会ったとき、世界は音を立てて崩れはじめる…

そのアニメーション制作は<bonesです!
第3の道を決意したシオンでしたが、あっけなく激情に振り回されてしまいます。
まぁフツーそうだよね… でも途中で覚醒したときもあったのにラストは覚醒しませんw
森の民のおかげですね。 森の民とか出てきたらナ●シカの偉大さが浮き彫りです!!

 エリウリアスは大●真央だった―

その絶大な力で自分たちが滅ぼした大地を再生できると思い込んでた人類。
でもあっけなくエリウリアスの逆襲にあいました。 超自然現象みたいなものですね。
歌が歌えないとあの役は無理ですからね。
そんなことよりもこの物語はやはりネズミでしょう。 彼で確実にもってます。

 人はたしかに人に救われることがある
 それをあんたがおしえてくれた、あんただけがおしえてくれた

 俺は紫苑に紫苑のままでいてほしいだけだ

 あんたなら大丈夫さ

個人的な感想といきたいところですがこの言葉が聞けただけで充分さ!
よくあるありがちな幕切れでしたが、それでもそのラストは美しかったのだ。
これでいいんじゃないかな



2011年09月19日(月) イケメンパートナーヨガ

今回もイケメンヨガが出張してきた!!
(※イケメンヨガを詳しく知りたいそこのあなたはメインページのイケメンバナーをclick!)

 ◎コンドルズ青田潤一のイケメンヨガ◎
 〜今年はリラックスパートナーヨガをやるよ〜
 誰でもできる、一人でも参加できる、二人でくるとベスト
 深い交流が生み出す安心をあなたに―

コンドルズ公演後、青田さんに「今年も出張イケメンヨガ行きます」と挨拶しよったら…

 「タイスケはアシスタントで入ってよ」

なんともありがたい言葉をいただけました!! 一人でいってもいいんです!
そもそもヨガに明るくないわたしですw  かなーり無理な注文じゃなーいですか!?
憶えてますか? 俺…腕立て伏せがまともにできるようになったのは去年の11月ですよ?
これはもう役割をまっとうしなければならぬ。
そもそも青田さんには返さねばならない大恩があるのだ―

ちょうど人数がそろっていたのでアシストにまわりました。
しかしだ、パートナーヨガとなると同じくらいのレベルでないと二人で先へは進めない。
そんなものの前に、相手にあわせることが大前提だからです。
そして、なによりも集中すること。
“できること”ではなく“自分と相手のカラダを聞くこと”をしないと単なる運動です。
これはダンスでもまったく同じ。
初心者だとどうしても集中がきれてしまうのだ。
できるできないを別にして、まずは集中を持続させることが先決です!

遅れてイケメンがやってきました。 メンズです。
青田さんの指示通り、わたしはパートナーに大変身。
これでアシストから開放され、ヨガを実践できる身に成り果てましたw
そのうち、わたしはあることに気づきます。

 なんだかこの人、どこかで聞いたことがある物言いだ

やたらと丁寧な話し方、そして親身な声かけ「大丈夫ですか?」…
そうです、それはわたしがお世話になった人たち特有のものだった―

 間違いない、この人は医者だ

ワークショップが終わって訊ねてみると、「いや〜やっぱりバレましたか!」
わたしの直感はただしかった!!
集中を置いておいても初心者ですべてのポーズをやれたのは凄いとおもう。
危なかったのもけっこうあったけどねw

そんなわけで、また一歩イケメンに近づけましたよ!
イケメンヨガすげえ〜☆



2011年09月18日(日) 「僕はいかにして指揮者になったのか」

略すと「僕いか」。 間違っても「僕以下」なんてことには絶対なりませんw

 『僕はいかにして指揮者になったのか』  佐渡裕
 “大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる”
 小学校の卒業文集に書いた夢を、佐渡裕はついに現実のものにした。
 指揮者としての正式な教育を受けていない自称“音楽界の雑草”が、
 なぜ巨匠バーンスタインに可愛がられることになったのか。
 「ライフ・キャン・ビー・ビューティフルや!」という師の言葉を胸に、
 世界中の名門オーケストラで指揮棒を振る男の人生讃歌。

文庫本まえがきを見た瞬間に購入を決めました。
佐渡裕本人がこの本を書いたのは、今のわたしと同年齢だったのだ!!
現在、世界で指揮する人間がどのような生き様をしてきたのか。
そして、指揮に邁進してきた思考力がわたしのダンスとどれほど違うのか。
それを確かめることにおそろしく興味がわいたのです。
文庫本を開かなかったら買っていません。 これはもう偶然じゃない。

 いっぺん演奏会に来いひんか?

この本の最初がこれです。 “演奏会ほど面白いものはない!”
もういきなりこれですよ??
この言葉は、フツーのひとなら長々と自分のエピソードを語ったあとのはずです。
同じことはダンスだって言えるでしょ? 「いっかい舞台を見にこない?」
ところが、わたしはそんな発言をするダンサーにあまり会ったことがない!!
基本、「いやいや…見にこなくていいですよ」とかじゃないか!?
もちろんダンサー同士だからという事情もあるかもしれない。
だとしても、はっきりいっておかしい。 どう考えてもおかしいだろ。 疑問は一つです。
 じゃあいったい何のために踊っているんだろう?!
わたし自身にも線引きはあります。 やらされてる系なら絶対言いません。
みんなもそうなら全部“やらされている”とでもいうのか。
わたしは一番最初のページだけで佐渡裕がどんな人物かわかった気がした

 演奏会でしか“凄い瞬間”は味わえない
 音楽の知識が“凄い瞬間”を生むわけではない
 音楽家にとって大事なのは、人の心に訴えるものを持っているかどうかであって、
 決して知識ではないと、僕は考えている。
 楽譜には作曲家の思いが記号として表されているのであって、
 その記号を僕たちが再現し、自分たちの思いとして表現しなければ音楽とは言えない。
 これは聴く側にとっても同じだろう。
 知識よりも、演奏する技術よりも、まずは音楽を好きになること、
 作曲家の思いを理解しようとすること、それを感じようとすることの方が
 “凄い瞬間”を味わう近道となるし、どれだけ生活にプラスになるかわからない

わたしは負けていなかった。
これをまったくそのままダンスに置き換えているのがわたしだったからです。
あたえられた振付をダンサーたちがそれぞれ自分たちの思いとして踊らなければダンスにはならない。 だから、その振付を超えて踊る決意がなければ本当の意味で人を誘えるはずがないのだ。

 演奏会で“凄い瞬間”を体験するにはどうしたらいいのか
 それは、演奏会場で、その日耳にした音楽を、自分がどう感じたかを大切にすることである

感じることを大切にしているひとでなければダンスはまるでつまらないものかもしれません。
聞きたい言葉は「上手だった」とか「よかった」じゃないからです。

わたしが唯一絶対的に負けているもの。 それは、その邁進してきたものの歳月です。
その語彙力もさることながらその根本はどれだけそのことに時間を費やしてきたか。
これだけはどうしても抗うことができません。
それだけ一心不乱に物事にあたっていなければ適切な言葉を択べるはずがない。
わたしに置き換えるとこうなります。
ダンスに出会って、その“ダンス”が何なのか疑ったときがその始まりです。
人から指図されたとおりに踊るのと、自分がどんなふうに踊りたいかの決定的な違い。
言われなければ、全体像からその自らの役割を見出す力が必要になる。
この本は、なにかを目指している人であれば鋭く突き刺さるはずです。
それは決してさけられるものではないからです。

 『タイスケはいかにしてあたらしいダンサーになりつつあるのか』

下手すりゃこのblogがそのままこれですw
わたしは“ダンス界の超雑草”だからです。
ただしその場合、あたらしいダンサーになるのが前提ですけど―

本ではその血ヘドを吐くような小さな努力の毎日が見えるものではありません。
だから、すべてはその本番にあるのです。



2011年09月17日(土) 「コンドルズ〜GRANDSLAM〜」

さぁ今年もやってきました、コンドルズがやってきた―

 ◎コンドルズ日本縦断大連勝ツアー2011◎
 『グランドスラム』  構成・映像・振付:近藤良平
 超弩級の夏を君に! 06年から11年の最強シーン大集結!

CONDORS人形劇ベスト1が「ジョゼットおじさん」だったことに驚いたw
現代で大切なのは“なによりもバランス”だと証明されたということになります!!
「ジョゼットおじさん」が発表されたのは昨年ですよ?
その初回公演を見たときもおそろしく面白かったけど、今回驚いたのはその完成度ですw
一番の驚きはそのカメラワーク。  隙が…ない!!
人形劇の見せ方を鍛えたらこうなるのか―   ミザリィ〜e

やっぱりコンドルズはコンドルズじゃなければなりません。
その出演者が彼らでなければ成立しないからです。
どんなにそのダンスが、人形劇が、芝居がどんなものであろうとも。
全員がスーパーダンサーじゃなくても、こんなにエネルギーがもらえる事実。
それぞれひとりひとりの輝きがそれをたしかなものにしているんです。

 生きるってのはこれでいいんじゃないか

コンドルズはなにかを追求している雰囲気じゃない。
しかし他を圧倒するものがある。 だからこそかもしれない。
なぜだか“こんなふうに生きたい”と思えるsomethingがあるのだ!!
顕作さんの、どの公演のどの芝居もやっぱり同じことを言っています。
そのメッセージは“好きなことをめいいっぱいやろうぜ”これひとつです。
ただひたすら、めいいっぱい全力でやっていればいつ死んだっていいんじゃないか
これがどんなに難しいことかわかりますか?
人はどうしたって社会に寄り添わないと生きにくいからです。
突き抜けなければ「まだそんなことやってるの?」と言われてしまうもの。
好きなことをやりつづけることがどんなに難しいことかわかってもらえますか?
だからこそ、やめたらそこで試合終了です。
どんな罵声を浴びようとつづけるしかない。
そこに、目の前にいるんですよ、そんな奴らが―!!
何度でも言える。
 コンドルズを見たことがないひとは人生の半分くらい損してます
どんなにふざけた内容だったとしてもそれをやれることは本当に凄いことなのだ。

そういうことを考えたらコンドルズにスーパーダンサーは必要ないのかもしれない。
だって、そんな性質のダンスじゃないから。
かえってダンサーであればあるほど発揮できないかもしれない。
だってその芝居だとかのほうが圧倒的にイメージに残ってしまいかねない。
それは“ダンサー”であれば受け容れたくないものじゃないだろうか。

 そんなものを吹き飛ばすほど、コンドルズの力は絶大です

 ダンサーだとかなんだとかそれが一体なんになるというのだ

 わたしたちが囚われているものはたぶん見栄やプライド、つまらないプライドです

 もしかしたらそんなことをおしえてくれているのかもしれません

さぁそんなわけで今年のコンドルズグッズ購入内容を発表しますw
 手ぬぐい(赤)×1 CD【逆転王】×1
勝山さんがCD売場の前で怒号!! 完全なるバナナの叩き売り模様です!!
 「今回の舞台で3曲使われてるよ〜」
わたしが意の一番に並んだそのとき、歴史が動いた。
目の前で勝山さんがCDの説明をいつもの調子でまくしたてる!!
 「こっちが●●のアルバムで、こっちが●●のアルバムね〜」
もちろん勝山さんに差し出したのは逆転王だ。

 「おぉ〜!!…ってタイスケか。。」

落胆!?…いまぜったい落胆したよねアンタあああああ

その声はさっきまでの勝山さんはどこ?ってくらいに残念なトーンだった―
たぶんわたしではテンションが上がらなかったんでしょうね。
最初に並んだのが、かわいい女子じゃなくて悪かったね。
次からは終わりのほうで買うことにしますねw

 意外とショックでした―



2011年09月13日(火) 「夏の庭」

その帯のド派手なキャッチフレーズで文庫本購入を決めました。

 ぜったい泣けます。

泣けなかったらぶちまけてやる―

 『夏の庭』-The Friends-  湯本香樹実
 町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。
 生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。
 夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、
 不思議と老人は元気になっていくようだ―
 いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが…
 喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。

JR車内なのに涙が―  無理、無理でした…
そのラスト、なにげない台詞にドッと心を打たれてしまった
帯に書かれたキャッチフレーズは“本当”だった!!
なにげない一言に、なんとも言えない感情がおそいました
それは『千と千尋の神隠し』あの場面で感じたものにおそろしく近い
舞台にも映画にもなった作品です。 夏の終わりにこれ以上ない一冊でした!
薄くて読みやすいので清々しく読み終えられると思いますw

物語中盤より

 死んでもいい、と思えるほどの何かを、いつかぼくはできるのだろうか。
 たとえやりとげることはできなくても、そんな何かを見つけたいとぼくは思った。
 そうでなくちゃ、なんのために生きてるんだ。

過去のわたしも思っていました。 死んでもいい、と思えるほどのダンスが踊りたい
ところがあるとき気づきます。 そんなことはありえない
わたし自身、どう踊ったかわからないくらいに踊ったことがあります。
“どう踊ったか思い出せない”というのはよく踊れたときのひとつの指標です。
つまり、ダンスに集中した先には記憶がないのです。 だとしたら納得できるわけがない。

 踊っている最中ならまだしも、終わってから“死んでもいい”なんて思えるはずがない

踊れるようになればなるほどその先が見えてくるものです。
次に踊りたいもの、そのために克服しなければいけないこと。
できるできないを別の視点にすればこうでしょうか。

 死んでもいいと思えるほどやりたいことがある

これだけはたしかです。  だから、終わりは死ぬときです!
人生を猿芝居にしないために今をどれだけ感じられるかを大切にしたいですね。



2011年09月10日(土) 初アヌサラヨガ

東京築地イケメンヨガ以来のマントラ詠唱!
今回はヤージュルヴェーダの一節でしたか…
マントラってなんか慣れません。
マントラを唱えると“それらしい”気分になってしまうふしがあるんです…
ちょっといい気になる感じ?!  たぶんまだ自分に煩悩があるからでしょう。。
ヨガにはヨガの礼節があり、それを知るほど “こうでなきゃいけない” 流れだと勘違いして、浅はかにもその礼節を知らない人を蔑む雰囲気が自分にうまれるのが嫌なのだ。
もちろんそんな人はごく少数だと思いますが、狭い空間では力がうまれるもの。
やっぱり人は上に立ちたい・優位でいたいと思っているものですよね。 力、力です。
ダンスでは“できること”が前提なので、できない人を蔑める傾向があります。
たしかにできることはあたりまえのことですが、それはダンスの一側面にすぎません。
わすれてはいけないことだと思います
言い方を換えれば、できることは凄くてもそれはその人の一部分でしかないのです。
ただ、それを一部分としない人の切り詰め方は尋常ではありません。
その人たちの視界の狭さは驚異的です。
そんな人たちだからこそ、その“道”のトップに君臨できるのです。
ここまでくるとその力が圧倒的すぎて判断基準がわからなくなってしまいます。
人の世界ってほんとうに複雑で不思議です。
わかっているのは誰もが死ぬってことくらいでしょうか。
わたしが入ったのは“Challenge”が試されるクラスでした。
ダンスに向かっているわたしは、いつもの日々がそうです。
からだを壊して再出発、“すこしずつ”を続けています。
わたしにはストレッチしかできなかった1年があります。
地道にリハビリとストレッチをつづけて、いつの間にかおそろしく柔軟性が増していた。
もともとおそろしく硬かったはずです。
柔軟性が年齢ではないことをわたし自身が証明しています。
そんなわたしに先生の声が飛ぶ!
 「あなたはカラダがやわらかいからね〜ここを意識しなさい」
だいたい“やわらかい”なんて言われることがなかったんだから不思議な気分です。
ダンスに目覚める前は、前屈で指先が膝くらいまでしかいかなかったんですから♪
おかげさまで一等ダメ出しをくらっちゃいましたw
そしてChallengeするときがやってきた。 〜この日はブリッジ〜
実のところブリッジはあたらしいカラダでやったことがなかった。
やれなかったんです。。 これはできないかもしれない…わたしは観念しました。
ところが、ところがです!! やれた! やれたよ!! 凄いぞ俺―
みんなが四苦八苦でブリッジに挑むさなか、先生が叫んだ。

 「みんな頑張れ〜 これが終わったら最高のシャヴァーサナが待ってるよ〜♪」

わたしはその言葉に真理をみた!
最高のシャヴァーサナ、シャヴァーサナとは死体のポーズです。
ってことは…死体をやるためにいまを頑張れってことか!!
ヨガの経験がある人ならシャヴァーサナの感覚はわかりますよね。
簡単に言うとしたら無我の境地です。 宇宙と一体です。 からだが溶けていく感じ。
これはもうそのまま人生にあてはまります。

 最高の死を迎えるために今を頑張る

わたしは、自分のカラダを超えられるヨガは凄いと思います。
他人にみせるものでなく、自分と向き合った先にあるものだからです。
ダンスもカラダを超えていくものです。
できることの競争は地力底上げに必要不可欠ですがそこにダンスはありません。
それはダンスやヨガに限らず、すべてに通じるものではないでしょうか。

その帰りのエレベーターでたまたま一緒になった女性に訊ねられました。

 「ダンサーか何かですか?」

その言葉に自分がダンサーなんだとふいに気づかされた。
それよりも声をかけてくれたのがうれしかった。
そして、選択肢があるのなら次は必ずこう答えようとおもった!

 「何かです」



2011年09月08日(木) 血と涙の色は

今回手に入れたPASSPORTの色は…赤! いよいよです、いろいろ決戦です!!
そういえば、わたしは“その人の色”が見える青年を知っています。
 「タイスケさんは紫と青と黄色ですね」
黄色もってたのは意外でしたw  聞いたのは5/7のことだからちょうど4ヶ月前。
紫は美意識、芸術系。青はナイーブな性格。黄色は人にいい影響を与える色だそうです。
突然の話で驚きましたが、その色も移り変わっていくものらしい。
その青年の帰国は年末。 お互いに色は変わっていることでしょう。 決戦です。
先日、わたしは初めて地元のヨガstudioなるところに足を延ばしました。
時間があったらヨガにいきたいと思ったからです。
地味に誠実にからだと向き合いたいと思った。
ダンスじゃ派手に向き合わなきゃいけません。 こころ穏やかなときなどない。
いつものアロマヨガMAYA先生にstudioを紹介してもらいました。
ところが、残念なことにその日のレッスンは全て終わってしまっていた。
タイムスケジュールをもらってそのヨガstudioをあとにしました。

そして今日、MAYA先生にアウト笑顔でこう言われました。
 「タイスケさんstudio行ったでしょー?」
行きましたよ〜
 「なんか赤い髪の変なひとが来たってスタッフが言ってたんですよ〜♪」
えええっ!? 変じゃないでしょー すっごい礼儀正しくしてたでしょー!!
なんてこった… どうりで受付に妙な違和感を感じたわけだw ちくしょー!!
MAYA先生が続けます。

 「だってstudioに来る男性は基本猫背だし、姿勢正しい赤い人なんか来ませんもん」

はい、そうでしょうね。 きっとそうだと思いますw  でもさー
そのとき●ャコットの血も涙もない受付嬢二人がバカ笑いしながら追い討ちをかけてきた!

 「そうだよ タイスケさ〜ん、黒髪にしなきゃ〜♪」
 「そんで猫背で行かなきゃ〜♪」

 いつかこいつら絶対に始末します

後先考えずに会話運びやがって… 考えてもみろ。
この身なりで黒髪・猫背だったらそれこそ“変なひと”になるだろうが!!

 「タイスケさんの服装も独創的ですもんね」

MAYA先生のこの言葉がそれを裏付けるにはじゅうぶんですw
結果、どこにいってもそこそこ目立ってしまうので簡単に姿を記憶されてしまいます。
舞台人としてはありがたいことですが、その実日常でだらしない格好ができないということでもあります。
一日一日を自分らしく生きようとすればおのずと意識することが必要になるはずです。
なによりも豊かなダンスをおどるには生き様を律しなければなりません。
それは決して遊びではないのです。



2011年09月07日(水) 「空の中」

〜ジャンバルT町さん選・読書の勧め〜

 『空の中』  有川浩
 200X年、謎の航空機事故が相次ぎ、航空機メーカー担当者と
 生き残った自衛隊パイロットは調査のために高空へ飛んだ。
 高度2万、事故に共通するその空域で彼らが見つけた秘密とは?
 一方地上では、子供たちが海辺で不思議なナマモノを拾う。
 2つの秘密が出会うとき、日本に、人類に降りかかる前代未聞の危機とは―
 未曾有のスペクタクルエンタテインメント!!

未曾有スペクタクルきた!!
身内狩られたT町さん、その身内打ち上げで良書の話をしたのです。
T町さんは意外にも読書家だったのだ…w
「タイスケ〜いい本あるよ〜♪」T町さんは語り始めた。

 「その本は俺が死んだとき一緒に棺に入れてもらうことになってるんだ」

えええっ!? そこまでの本なの?! って、酔っ払いの言うことですからね。
鋭い目で言ってるT町さんにウソはなさ…なさそうですw 
早速中古書店で探しましたがどこにいってもありません。
そうか、これだけ探してもないのなら答えはひとつ! 売れているのだ。
交通機関で本がないと落ち着けなくなったわたしは本屋へ直行、即日購入。
さすがジャンバルT町! 面白いじゃん。 今回はUMA(未確認ナマモノ)です!!

 間違うたことは間違うたと認めるしかないがよね
 辛うても、ああ、自分は間違うたにゃあと思わんとしょうがないがよ
 皆、そうして生きよらぁね
 人間は間違う生き物やき、それはもうしょうがないがよね
 何回も間違うけんど、それはそのたびに間違うたにゃあと思い知るしかないがよ

あたりまえのことが文章になると心をえぐるものです。

 間違うことをごまかしたらいかんがよね
 次は間違われんと思いながら生きていくしかないがよ
 けんど、わしはこの年になってもまだまだ間違うぜよ  げに人間は業が深い
 我と我が身を律しちょかないかんがやき

ダンスも同じです。 特に即興では“間違う”ことはゆるされません。
意識とからだをつないで律しなければダンスになりえないからです。
それ以上に、“ごまかし”はどんな人にも明らかに“ごまかし”だとわかってしまう。
だからダンスは肯定しなくてはなりません。
よほどの才能が備わっていなければ解放するだけのダンスは踊れないのです。
律することは本当に苦しいけれど、これがなければ踊れません。
わたしのダンスが、音があってリズムを刻めばよいというわけではないからです。
(※もちろんわたしにできるダンスのことなので他を否定するものではありません)

 瞬はお父さんのことが大好きやったんです
 お父さんが亡くなったこと認めたくないくらいお父さんのことが好きやったんです
 お父さんが亡くなったこと、八つ当たりしやすいところに八つ当たりしやすいもんが
 おって、八つ当たりしたらそれは瞬が悪いがやろうか

これはわたし自身にも身に覚えがある。 きっと大小、誰にだってあることでしょう。
自分ができなくなったこと、八つ当たりしなきゃやってられなかった。
その返事もあたりまえのこと。

 いい悪いで言えば悪いんだろうけど、瞬くんに悪いと言えるのは、
 瞬くんと同じ目に遭ったときに八つ当たりしないでいられる人だけだと思う

わたしだって時には言いたくなることもあります。「お前になにがわかる」
大人になって子どもたちの前でできないことをしなければならないくるしさと苛立ち。
でもそれを声にしたらおしまいだと知っています。

 ところがねえ…人間ってのは、利便のシステムに寄りかかって生きてるうちに
 脆弱な生き物に成り下がっちゃっててねえ。
 今の社会システムが消滅したらメシ食うこともおぼつかないんだな、これが。
 現代の人間ってのは俺も含めて生活に必要なもんは金で買える状態しか
 経験したことがないし、いきなり原始の状態に戻されても困るんだ。
 
 「それは諸君の生物としての怠慢である」

このディックの一喝返答が一番おもしろかった―
“怠慢”の一言で長い人間の歴史が斬られるなんて、なんとおそろしいことか。
だけど、たしかに現代社会のシステムが人間を退化させていることがあるのだ!!
だとしたらわたしにはこうなる…

 それはお前のダンサーとしての怠慢である

結局ダンスを文章にしたところでなんの意味もありませんw
ぐだグだ言うまえに踊れ、です!!  『空の中』の感想がこんなところに行き着いた―
それは 厳しくも苦しい未曾有のスペクタクルリアリティーです



2011年09月04日(日) FLORAL CLUB

◎ポールにて
わたしは今年、おそろしくはまっているブティックの店員さんがいます。
どこらへんがはまっているかというと…
実例その1)置いてある服を手に取ろうとすると―

 「あーそれはナイでしょ」 (※まだ手に取ってません)

フツーの店員であればお客さんのセンスを否定することはないはずです。
ところがこの人物には服を手に取らずしてダメが宣告されてしまうのだ!!
実例その2)わたしがふらっと店舗に立ち寄ったときのこと―

 「今タイスケさんが興味ありそうなのナイんでお金貯めといてください」
 (※店舗入口で門前払い)

かつてこんな店員に出会ったことがない!!  これは超実話です!!
ほんとに店に入れてもらえなかったんですよ?
せっかくなので、伝説と化したDMの話もしておきましょうw
実例その3)その人物からDMが届きました。 それもハガキではなく封書―
封を切ってみ…「!」 ってあれ?切れないぞ?!

 中のメッセージまで糊付けされていた―

これじゃ読めねーよ!!
かつてこんなDMが自宅に届いたことはない!!  これは超実話です!!
あんまり面白かったから即座に店にいっちゃいましたねw
そういうわけで、結果としてDMの役割を完璧に果たしたといえます。 やるなぁ
しかし、その人物のおかげでわたしは変わりました。
今まで買うことがなかった服装がいけるとわかったからです。

 その人物のセンスは“本物”です

さすがは服装のプロ、こうでなくっちゃね!!
お客さんにあたらしいその人をプロデュースする。 こんな人なかなかいないぞ!
実例その4)パリコレ商品入荷直後―

 「きたきた!タイスケさんちょっと来てください、これとこれとこれ着てください☆」

それはもう別人じゃないかって勢いです!! (※試着義務あり)
〜本当に服が好きなんだなって思った〜
ファッションは行き過ぎないところギリギリが勝負。
わたしはこんな店員さんのもとであたらしい自分を開拓しています



2011年09月02日(金) 「紅」

その画力から軽い気持ちで見始めた『紅』、いつのまにかはまってた―
紫がおそろしくかわいかった

 『紅』 (全12話)
 世の中は、嘘や矛盾でいっぱいだ。
 思春期の頃、誰も一度は通るこの言葉を今こそ見直したい。
 少年は高校生で揉め事処理屋。
 暗い生い立ち故に、愛想笑いで身を守り、普通に憧れている。
 が、同時にそんな自身と葛藤している。
 信じて埋め込んだもの…それは本当の力なのか。
 少女は特異な大財閥・九鳳院の娘。
 運命を呪うことも、外の世界も知らない少女の瞳は実に真っ直ぐでおそれを知らない。
 素直さ故に表出する彼女なりの正義…それは運命への反抗なのか。
 そして、少年と少女は出会った。
  少女は云う「子供だからといってバカにするな!」
  少年は想う「バカは俺のほうだ…」
 子供と大人、女と男、二人はどうお互いを鏡見るのだろう。
 守るべきものが見つかったとき、人は強くなれる。

生きる術を身につけるために必死に成長しても一端そこから離れればみんな同じ“人間”。
その“生きる術”もたくさんある生き方のひとつにすぎません。
だから、現代社会でいくらそれが有用でも人を量る絶対のものさしには為りえません。
私たちは「術」に目が奪われがちですが、人の魅力はもっと別のところにあると思うのです。

 なんだ、真九郎はずっとずっと先を歩いていると思ってたけど紫と一緒ではないか
 追いつかないと思ってたけど、まだ間に合いそうだ

自分の未来を選択するそのラスト、紫のことばに身震いした
とても七歳のこどもの言えることばじゃなかった

 もし最初から自分を待ち受けているものが何なのかわかっていたら決して出発したりしない
 「やれるかもしれない」という楽観や、ただの好奇心かもしれないけれど
 あたらしいなにかと出会うことを期待している
 それが人との出会いなのか、自分のあたらしい意思なのかはわからない
 でも、だからこそ真九郎の後ろを追ってはいかない まねはしない
 前進だけでなく先頭を走りたい そのとき好きなひとが横にいたら、幸せだろうな
 恋ができるから

そのとおりだ、そう思った
ちょっと泣いてしまいました



2011年09月01日(木) 古今実話短編 '11(その1)

やっと8月が終わった! 8月…めちゃくちゃ長かった長すぎた。。
さぁ一息つきましょう。

◎TAXIであった本当の話
わたしは故あってタクシーに乗る機会がふえました。
そういうわけでタクシーの運転手と会話することが増えました。
プロ野球話がはずさない基本ですw  運転手さんはおそろしく詳しいですからね!
そんな中たまたま、わたしの考え方(人との関わり)について話したことがあります。
すると、突然こんなことを言われました…
 「アンタあたまいいね〜 わたしが乗せた人でそういう人は社長しかいないよ?」
えっ そうなの!?  〜こっちは社会の底辺です〜

◎東京武蔵小金井にて
住宅地近隣の公園?に立てられた看板。
 「探し犬○○○ちゃん ○月○日から帰ってきません」
ここまではよくある話ですね。
でも時代は常に流れています。 科学は進歩しているのです。
そのあとに書かれた文章に痛みを感じずにはいられませんでした。
 「※チップは埋め込まれています」
あ〜 埋め込まれてるんだ…  それでも見つからないのか。
きっとその犬は人のくびきから解き放たれたかったのでしょう。
チップ埋め込まれるくらいに愛されていての逃走。
ひょっとしたら愛されすぎたのかもしれません。。
〜是非とも人類から逃げ切ってほしいものです〜

◎路上遭遇
混乱ショップに向かっていたら奇遇に遭遇!!
それはわたしがその種類の踊りで初めて主役として舞台にたつことになった恩ある先生。
お互いがわかった瞬間に飛んできた台詞です↓↓
 「わ〜タイスケくん! かわいいわね〜」
わたしに向かっての第一声がこれですよ?! なんだそりゃ―
実直に言わせてもらいますが決してかわいい格好をしていたわけじゃありません。
ピンクな服を着ていたわけでも着ぐるみだったわけでもない。
ましてや除草していたわけでもないのだ。
まずもって「元気?」が先ではないだろうか…
もちろん間髪いれずに叫びましたとも、「かわいいって何ですか!?」
すると予想以上のことばが返ってきた!!
 「あぁ 今の“かわいい”は全世界共通のkawaiiだから〜」
その返答は、まさに現代を象徴するようなことばだった―
つい納得してしまったw
 そう、もはや“かわいい”は万能言語なのだ
先生すすんでる〜d
すくなくとも「かわうぃーね」じゃなかったことは不幸中の幸いです。 本当によかった
あの歌を知ったのは、とある女子会に呼ばれたカラオケのときです。
「キミかわうぃーね☆」って美人が叫んでるのをきいたとき日本は終わったと思いましたw
女の子に恥じらいがなくなったらどんな世の中に… おそろしいことです

 (※古今実話短編は今後もつづく予定です)


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