LORANの日記
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2006年05月31日(水) この世はファンタジー???


あなたがどんなに相手に認め、理解して欲しいと思っても、

あなたがどんなに相手に愛して欲しいと思っても、

それは叶わなかったり、一時の満足に過ぎないかも知れません。


なぜなら、すべての人はファンタジーの中に生きているようなものですから。

一人ひとりの「着ぐるみ」が似ているからと言って、中身まで同じとは限りません。


中身は「着ぐるみ」ほど他の人と似ていないかも知れません。

中には「着ぐるみ」と全く異なる中身が入っているのかも知れません。


それなのにきっと分かってくれるとか、きっと認めてくれるとか期待しても、往々にして

裏切られたと感じることも多いのではないでしょうか。


「着ぐるみ」は社会的な儀礼で、相手に申し合わせたように同じ挨拶や対応をします。

その挨拶や対応を期待して聞けば、まるで自分に好意を持っているかのように受け取れます。


過剰な期待は本人は必死でも、悲劇や喜劇の原因になります。

自分と他人(自分以外の人)が違うという前提を忘れていることが原因です。


自分と他人が違うと思えない理由は、自分の不安感や寂しさにあります。

もし自分と他人が全く異なる存在であるなら、自分は誰からも認められなくて孤独と思います。


この分かって欲しい、愛して欲しいという依存心が無くならないかぎり、悲劇は続きます。

自分を見るのではなく、いつまでも他人ばかりを見ている癖を治さなければなりません。



この世はファンタジーです。

一人ひとりが自分というシャボン玉の中にいて、ふわふわと飛んでいます。


そのシャボン玉は自分の感情がいっぱい詰まっています。

その中で泣いている人も、笑っている人もいます。


生まれてから亡くなるまで、このシャボン玉から出られる人はいません。

シャボン玉の世界を楽しむことができれば、その人の人生は幸せです。








2006年05月30日(火) なぜ破滅へ向かうのですか???


生物の本能は「生存」に基づきます。「生殖」はそのためです。

ですからすべての生物は、「生存」と「生殖」のために生きているように見えます。


人間も生物ですから他の生物と同じです。

ただ「自我意識」があるので、自他の比較を通して自分を位置づけています。


自他の比較によって優劣を決定し、ある者は尊大になり、他方は自分を卑下します。

こうして支配する者とされる者が分かれていきます。


力による支配は富による支配に変わりましたが、富は貨幣になり、貨幣が支配するようになりました。

貨幣が支配者になることで、貨幣を持つことが権力であり、財力であり、人生の目的になりました。


100年前は90%もいた農民は、いつの間にか多くが農村を捨てて都市生活者になり減りました。

自給自足の生活はできなくなり、時間を売ってお金得る人間の社会が出来上がりました。


物を作って売ることが工場の仕事になり、資源やエネルギーを浪費し、公害を増加させました。

人間はできた製品を購入し、古い製品を捨て、ごみを増加させています。


つまり、時間と資源、エネルギーをどんどん消費し、公害とごみを増加させるシステムを作りました。

その結果、アトピー、アレルギーの新入生が半分以上という異常な状態を引き起こしました。


花粉症の人は20%に達しています。「うつ」も20%です。

国民医療費は1人24万円にも達しています。


さらに清潔志向が無菌をめざしているので、体内に抗体ができにくくなりました。

その結果、免疫力が低下してしまいました。


自動車社会で歩く機会が減少しましたので、筋肉の衰えが目立ちます。

お菓子を多く食べたうえ運動不足ですから、カルシュームが不足して骨折する子が目立ちます。


バブル崩壊から景気が低迷し、リストラが相次ぎました。自殺者は7年間連続3万人を越えました。

この危機感は血糖値を上昇させ、糖尿病患者が増加しました。


出生率は1974年以来低下を続け、1.29になりました。2.07で人口維持が可能です。


このように人間社会は人口減少をはじめ、滅亡へ向かっているように見えます。

これは他の生物が、「生存」と「生殖」を最優先しているのと反対です。

人類の機能は壊れるか、狂ってしまったのでしょうか?


2006年05月29日(月) お金に使われてもいいのですか???



「なんのために勉強するのですか?」と問えば、

「いい学校へ進学するため。」

それは「いい勤務先、一流企業や官公庁へ入社するため。」


では、「なんのためにそこへ入社したいのですか?」と問えば、

「給料が多くて、安定しているため。」


「なんのために働くのですか?」と問えば、

「お金のため」と答える人が多いでしょう。


それでは、「幸せになるためにはなにが必要ですか?」と問えば、

「お金と健康と愛」と多くの人が答えるでしょう。



なにを聞いても、大切なものの第1位は「お金」です。

「愛があっても、やっぱりお金がなければ・・・」と答える人が多いでしょう。


お金の前では愛はカタナシです。まるで昼間の街灯同然です。

つまり有っても無くても同じようで、存在感がありません。


「え〜!私は恋に命をかけているから、お金なんて関係ないよ。」と言う人もいます。

それも数年が経ち、子どもが生まれると、「お金が・・・」と言い出すことが多いのです。



誰の目にも、こんな状態は異常に見えるでしょう。

テレビや新聞、雑誌などのマスコミは、新商品を買え、買えと繰り返しています。


サラ金、街金のコマーシャルや広告が町を覆いつくしています。

政府の景気対策の金は、銀行からサラ金、街金に流れています。


その結果、もう7年間も自殺者数は3万人を超えています。世界一です。

お金を払えない人は、生きていく道も断たれてしまいます。



あなたはこのままでいいと思いますか?

あなたの子どもたちが生きていく世界が、お金に支配されていてもいいのですか?


「でも私になんか・・・」と弱気なのですね。

そうです。あなたの「弱気=お金に対して無力」が、現在の世界を作っています。


お金はお金に過ぎません。

このお金にこんな力を与えたのは、他ならぬあなたなのです。


ですから、お金から自分の力を取り戻すことが必要です。

そのためには、お金に頼らない生活を心がけることです。


あなたが毅然とすれば、あなたはお金を使うことができます。

そうでなければ、あなたは一生お金に使われてしまうでしょう。



2006年05月28日(日) 頭の中を空(から)にしていますか???


「人間は考える葦である。」と言ったのはパスカルです。

彼の著書、「パンセ」の一節にこうあります。

「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」


ソクラテス以来の哲学から始まり、確かに人間は科学を発達させ、医療など様々な部門が進歩してきた

ことは事実です。現在の私たちの生活は、その大きな恩恵に浴しています。


「考える」ことは、自分の頭の中にあるデータを探し、組み立てる作業でしょう。

頭を「パソコン」とすれば、入力されているデータをソフトによって編集することに似ています。


頭はこのようにパソコンと同じ機能であると言えます。

1000億個の脳細胞がパソコンの機能を果たしています。


しかしパソコンは壊れます。

5年間使えるパソコンは稀ではないでしょうか。


「フリーズ」と呼ばれる画面の停止状態が起こります。「凍りついた」状態ということでしょう。

ワープロ機能で文字だけを打っていればいいのでしょうが、画像にメモリーをくわれます。


応答が遅くなり、終には「フリーズ」を繰り返すようになります。

そしてパソコンは壊れてしまいます。



人間の頭=頭脳も同じように壊れてしまいます。

単純な機能だけで生きていれば、壊れることはありません。


しかし「考える」ことを続けると、頭脳は「フリーズ」するようです。

この状態を「うつ」と呼んでもいいでしょう。


「うつ」という「フリーズ」=「凍りついた」状態を続けると、頭脳は壊れてしまいます。

日本人は4〜5人に一人が「うつ」を経験するという世界一の「うつ」大国です。


これは日本人の精神的風土に原因があると思います。

「努力は不可能を可能にする。」などと、まったく科学的でないことを信じています。


「努力」と「根性」、「忍耐」は日本人の好きな言葉です。

60年前の戦争でも、大国アメリカ、イギリス、フランスを敵にして、勝てると鼓舞したのは

軍人や政治家、教育者でした。勝てるはずがないから無条件降伏という屈辱を受けました。


でもまだまだ、「なせばなる・・・」式の発想が支配しています。

可能か不可能か分からないのでは、指導者は失格です。


孫子は、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず 」と言っています。

日本人の感情的、情緒的な思考パターンは、とても危険と思います。


このような思考パターンで「考える」作業を続けると、間違いなく「うつ」になるでしょう。

パソコンに入力されていないデータを毎日探し続けるからです。

メモリーはすぐに一杯になり、「フリーズ」してしまうでしょう。


「パソコン」なら、もしデータが無ければ、情報のCD−ROMを購入してセットすれば使えるように

なります。それでも間に合わなければ、インターネットで必要な情報を検索し、インストールします。


しかし頭の中は「困った、困った・・」と目一杯ですから、他の選択肢に気づきません。

その間にどんどんメモリーが壊れていき、フリーズを繰り返します。



こうならないためには、頭を完全に止めることです。

「もう止めた。」と宣言して、仕事、学校や家事などから手を引くのです。


そして期間(1〜2年間)を決めて、全く自分が知らない土地で暮らすことです。

できれば仕事もしないで、テレビ、新聞、雑誌などのマスコミを遠ざけて、自分だけの世界で暮らす

ことがベストです。

そうして自分以外の人のことを忘れ、自分だけのエネルギーでいれば、自分に戻ることができます。


私はこの作業に8ヶ月間かかりました。

頭の中に静寂が戻ってきます。驚くほど静かな世界があります。


頭の中が空(から)になって、ようやくインスピレーションが入ってきます。

インスピレーションはいつも送られていたのでしょうが、微細な信号ですから聞き落としてしまいます。



頭の中はインスピレーションの受信装置です。

ですからいつも静寂を保たなければなりません。

それで仙人や隠者は人里離れた山中などで暮らしていたのでしょう。


あなたがもし自分の人生を本当に生きたいのなら、インスピレーションを大切にしなければなりません。

これを受信できなければ、自分の道を歩くことはとても困難でしょう。

インスピレーションは、あなたへのメッセージだからです。



2006年05月27日(土) 見えないもの???(1)



「見えないものは信じない」と言う人がいます。

どのように思っても自由ですが、それではすぐに行き詰るか、諦めるかです。

多くの人は多分、諦める方を選んでいるのでしょう。


「見えないもの」の代表は「時間」でしょう。

「時間」そのものは、私たちに危害を加えることはなくても、「時間」の中にあるエネルギーは

無害とは言えません。


「時間の中にエネルギーがあるのか?」って。

実は「過去」は時間です。そして「現在」は「過去」の表面です。


シャボン玉を想像してください。

シャボン玉の表面が現在であり、シャボン玉を膨らませている空気が「過去」です。

ですから現在の状態を改善しようと思ったら、過去を改善しなければならないのです。


「過去を改善できるのですか?」と疑問に思うでしょうね。

もちろんできます。


過去を皆さまは記録と思っています。

この過去の記録を書き換えることはできません。


「やっぱり過去を改善できないのではないか。」と思うでしょうね。

しかし過去の記録は単なる記録に過ぎません。ですからこのままでいいのです。

つまり大昔の壁面へ彫られた象形文字のように、記号が並んでいるようなものですから。


私たちが改善したい現実は、自分ではどうにもならないことにあります。

自分の力でどうにかなるのでしたら、なにも苦労はありません。


「自分ではどうにもならないこと」の原因が、過去にあることが多いと申し上げたいのです。

その過去とは記録ではなく、エネルギーのことです。


「過去のエネルギーがそんなに問題ですか?」と疑問に思うでしょうね。

「エネルギー不滅の法則」をご存知ですよね。ですからとても厄介なのです。


例えば、あなたが亡くなったとします。

あなたは「光の存在」のお迎えを受けて、天国とやらへ旅立ちます。


そして肉体は地球上に残ります。これは「魂の地球用宇宙服」ですから、焼却処分(火葬)になります。

しかしあなたの「感情のエネルギー」はそのまま残ります。


この「感情のエネルギー」は寂しさ、悲しみ、怒り、苦しみ、憎しみ、恨み、呪いなどです。

うれしい、楽しいの感情はその場限りですから、残ることはありません。


「感情のエネルギー」が強ければ、敏感な人はそれを亡霊のように見ることができます。

しかも「感情のエネルギー」は集まって巨大化します。それで霊的なスポットができます。


魂が転生するとき、魂は肉体の最も内側の感情に、ラップのように包まれて行くそうです。

その薄い感情に前世記憶があるので、催眠療法により思い出すことができます。


また、前世・過去生の感情はエネルギーですから、増えることでシャボン玉のようになります。

それで現在はシャボン玉の表面であると言えるのです。


シャボン玉の中にある「感情のエネルギー」は、ある程度は減らすことができます。

「感情のエネルギー」が減れば、それに比例して現実は確実に改善されます。


見えない世界のほんの一部が見える世界です。

見えない世界の探検は始まったばかりです。


2006年05月26日(金) 「怒り」について

もう何回も感情については書きましたが、まだよく理解できないようですので、「怒り」について書きます。


「怒り」が感情であることは分かりますね。

でも、中には「怒り」が教えられたものと思っている人もいます。

それは「怒り」の反応の仕方であり、「バカにされたら怒れ」と教えられただけです。


怒りは感情ですから、自然の感情です。ですから抑える必要はありません。

また抑えれば怒りのエネルギーは蓄積され、いつか爆発し、制御不能になり暴走します。


些細なことで蓄積された怒りのエネルギーに引火し、相手を殺してしまうこともあります。

また抑圧された民衆の怒りが爆発し、暴動が起こり、一国を滅ぼすこともあります。


昭和25年7月2日、金閣寺が21歳の徒弟の放火により全焼しました。

三島由紀夫さんが「金閣寺炎上」という小説を書き、市川雷蔵主演で映画化もされましたが、

放火の原因は「怒り」だったのでしょう。


このように「怒り」の炎はすべての功徳を焼き尽くしてしまいます。

ですから仏教では、「怒り」を最も持ってはならないものと位置付けています。



しかし「怒り」は自然な感情です。

「怒り」に対して私たちは、どのように対処したらいいのでしょう?


「怒り」には原因があります。

些細な「怒り」、例えば足を踏まれたとか、暴言を吐かれたという「怒り」は突発ですから省きます。


大きな「怒り」の背後というか、基底には「深い悲しみ」があります。

「親にわかってもらえない。愛してもらえない。」というように、永年に亘り蓄積された「深い悲しみ」

があります。


この悲しみの基底に「友人や恋人、会社の同僚、上司・・・にわかってもらえない悲しみ」が重ねられ

蓄積されていきます。


この蓄積された「深い悲しみ」が、行き場のない怒りに変わるのは当然の成り行きです。

それが自分ではどうにもならない「怒り」となり、些細なことで引火し爆発します。



ですから、「怒り」だけを無くすことは不可能です。

基底にある「深い悲しみ」を無くさなければ、「怒り」は消えません。


永年に亘り蓄積された「深い悲しみ」は、実は自分の思い違いが原因だったことがよくあります。

「両親に愛されて育てられなかった」と子ども心に思っていても、アルバムを見たり、兄弟や叔父、

叔母と話したり、催眠療法で幼児期へ退行催眠で戻ってみると、普通の親であることが殆どです。


ただ、幼心に寂しかった思いをした記憶が鮮明で、それがすべてであるように感じてしまったのです。

このように理解すると、たちまち基底にあった「深い悲しみ」は消えてしまいます。

そして蓄積された「怒り」も次第に消えていきます。



いま世界は蓄積された感情に支配された人々が、お互いを敵視し戦っています。

蓄積された感情=「深い悲しみ」を解消することが、平和を実現する早道と思います。




2006年05月25日(木) TOPページ変更しました。


久しぶりでTOPページを変更しました。

気分転換のリニューアルです。


こんな勝手なことばかり書いているHPを見ていただいて感謝しています。

アクセスカウンターも12万に近くなっています。


世間には共感を求める人が多く居て、最大公約数的なHPに集中します。

同じことに関心を持つことで仲間意識が芽生え、安心するのでしょう。


でも、私のように人々に警鐘を鳴らす者もいます。

「いつまでも惰眠をむさぼっていていいのですか?」と。


お金に支配され、家やマンション、車、パソコン、ファッション、旅行、食事・・・など。

お金を得るために幼い子どもを保育園へ預け、寂しい思いをさせ、得たものは享楽だけ。


先進国の人々が贅沢をするために、途上国の人々は搾取され、いつも貧しい生活に喘いでいます。

これでも地球や人類が「ワンネス」で「すべては愛」などと、どういう理由で言えるのでしょう?


私は宗教者ではありませんが、まるで旧約聖書の「ソドムとゴモラ」ではありませんか?

そこに住む者たちは享楽に耽りモラルを逸したため、天に滅ぼされたとあります。


いま近づいている「マヤの第5の時代」の終焉の日、「2012年12月22日」はなにを

意味しているのでしょう?


私は約10年前、体調が極度に悪くなり、あと半年の命と自分で思いました。

次の日に妻に告げ、翌日に子どもたちに告げ、社員に告げ、月末には全員解雇しました。


正に命がけで現実を学びました。

殆どの人々は、現実という「白昼夢」を見ているように感じます。


そこにはしっかりと大地に根付いた力強さがありません。

お金さえあればいい。いまだけらくで楽しければいい。自分の体やハートに興味はない。

そう言った、自滅的な傾向が顕著に見られます。


ですから、終焉の日が来ても不思議はないのです。

すべては自分が現実化しているのですから。





2006年05月23日(火) 世にも不思議な物語??(3)


「自分」とは誰でしょうか?

前にもこの日記帳へ度々書きました。

賢明な読者の皆さまは、既にお分かりになったでしょう。



では「自分という意識」はなんでしょうか?


「え、自分の意識は自分でしょう?」と思われるでしょうね。


「自分という意識」のことを「自我意識」と呼びます。

この「自我意識」は、あなたの本当の「自分という意識」でしょうか?


そして、あなたの本当の「自分という意識」とはなんでしょうか?

多分、ここまでは考えたことがないでしょうね。


ここで言う「本当の」という意味は、あなたの内面の奥深くにあるモノを言います。

ですから普段の生活では、気づかないモノです。


では「気づかなくてもいいのではないか」と思う人もいるでしょう。

そうです。90%以上の人が気づかないでいると思います。

ですから気づかなくても、生きていくことは可能です。


なぜここで、こんなにややこしい話をしているかと言いますと、「本当の」の反対に

あなたの「感情」があるのです。

そして「自分の感情」を「自分の意識」と思っています。


「え、感情と意識は違うの?」と思われる方もいるでしょうね。

感情と意識は違います。感情は外界の刺激によって五感が起こす反応です。

感情はエネルギーですから、溜めれば巨大になり、反応が巨大化します。

怒りを溜めている人は、些細なことで怒りが爆発します。


この意識は人だけが持つ「自我意識」であり、自分を認識するためにあります。

しかし感情が蓄積すると、感情が意識を支配してしまいます。

それで「自我意識」=感情になります。殆どの人がこの状態です。


では本当の「自分という意識」はなにをしているのでしょう?

感情=自我意識で、感情が自分を支配しているときには、まったく出番がありません。


大きな壁にぶつかり、叩いても、泣きわめいても、どうにもならなくなって絶望したとき、

呆然自失したとき、ふっと自分の内面の奥深くから、そっと現れます。


感情が自分を支配することを止めた極限の状態で、初めてその存在が分かります。

もし、この本当の「自分という意識」と繋がったら、あとは思うままに生きるだけです。


7年間連続で、自殺者数が3万人を越えていると報じられています。

もしあなたがピンチにいるなら、どうぞあなたの本当の「自分という意識」と出会ってください。

世間的には評価されないかも知れませんが、きっと心安らかな人生を送ることができます。


2006年05月22日(月) 立派な青虫さん??

(昨日のつづき)


「立派な青虫さん」とはどんな青虫でしょうか?


それはもちろん、体格もよくて威厳があり、力も強く、堂々としています。

誰からも尊敬されていて、優しくて、物知りです。


青虫の世界では超有名人で、多くの著書もあります。

ですから、多くの青虫の憧れであり、目標でもあります。


立派な青虫になるには、有名青虫大学を卒業したり、有名青虫企業へ勤務したりします。

立派な青虫会社のオーナーであり、多くの青虫がそこで働いています。


また多くの講演会やセミナーの講師として招かれ、全国からファンの青虫が集まります。

地位、名誉、富、知識、青虫徳を兼ね備えた立派な青虫です。



では青虫は青虫でいいのでしょうか?

青虫は成虫にならなくてもいいのでしょうか?



かって青虫の世界に、モンシロチョウになることを勧めた青虫がいました。

蛹(さなぎ)になることを勧めました。


脱皮を繰り返した後は、蛹になりなさいと説きました。

いつまでも美味しいキャベツを食べることに夢中にならないで、蛹になりなさいと。


お弟子さんの中には蛹になった青虫もいましたが、殆どの青虫は美味しいキャベツを食べる

ことに夢中で蛹になりませんでした。


蛹になったら美味しいキャベツを食べることはできません。

お腹は空くし、いまの平和や幸福で十分だと思っていました。


そして誰も成虫にならなくなってしまいました。

成虫にならなければ卵は産めません。


栄養のお陰で、大きな青虫になれるように長生きにはなりましたが。


そしていつか卵から孵る子どもたちが産まれなくなり、青虫はいなくなってしまいましたとさ。


2006年05月21日(日) やっぱり大きな青虫になりたいですか?


青虫はモンシロチョウの幼虫です。

アブラナ科の植物を好みます。


青虫はキャベツなどの葉をもりもり食べて大きくなります。

大きくなって脱皮をします。着ている服が小さくなったからでしょう。


そしてもりもり食べて大きくなって、脱皮をします。

この作業を5回繰り返します。


そして動かなくなります。蛹(さなぎ)になるのです。

蛹の中で青虫は、大変身をしています。


そして約十日後、蛹から出て羽を拡げて乾かし、モンシロチョウは飛び立ちます。



こんな小さなモンシロチョウに教えられることが多くあります。

青虫だった幼虫は成長するたびに脱皮をします。


脱皮は小さくなった服を脱ぐことですから、小学校、中学校と進学することと同じです。

5回の脱皮ですから、幼稚園から数えれば大学卒業に相当します。


その後、蛹になります。自分が作った蛹の中で、飲まず食わずでじっとしています。

外界との接触を断ち、自分だけの世界に入って内視している状態でしょう。


そして青虫がモンシロチョウに大変身するのです。

蛹の中で、どれほどの変化があったのでしょう。



私たちは、青虫のように脱皮を繰り返して成長します。

進学し、知識や情報も十分に手に入れます。


毎日努力して働き、富や名誉を手に入れようとしています。

せめて人並みの生活をしたいと願っています。


それは青虫が成長している段階と同じです。

人は青虫が成長している段階を一生続けています。


そして大きな青虫が立派に見えます。

威厳があり、富と名誉がある青虫に憧れます。


でもそれでいいのでしょうか?

青虫は成虫であるモンシロチョウにならなくてもいいのでしょうか?


周囲を見過ぎたあまり、自分がモンシロチョウになることを忘れてしまったのです。

多くの人が、大きな青虫に憧れているのに合わせてしまったのです。


その人たちは、モンシロチョウになれるのは特別な人と言っています。

青虫がモンシロチョウになれるはずがないと言っています。



でも中には考える青虫もいます。

やっぱりモンシロチョウになりたいと。


2006年05月19日(金) 世にも不思議な物語??(2)


「私は無宗教です。」と言う人がいます。

中東の国の入国審査のときに宗教を尋ねられて、不審に思われた人もいるそうです。


「無宗教」とはなんでしょう?

いかなる宗教団体や組織に所属していないという意味なのでしょう。

いま日本人の多くの人がそう思っているのでしょう。



その「無宗教」の人が、子どもが生まれると「初宮参り」へ着飾って行きます。

「七五三」で神社へ行き、千歳飴を大事そうに持って記念写真を撮っています。

先祖の墓へお彼岸やお盆に供養の花や選考を持って行きます。

家族や親戚のお葬式に僧侶や神主をお願いします。

仏壇や神棚がある家は決して珍しくありません。無いほうが少ないくらいです。



これはどうしたことでしょう?

こんなに宗教行事に熱心なのに、「無宗教」と言うのですから。



皆と同じことをしているのだから、これは宗教ではないと思っているのでしょう。

「宗教」というのは、新興宗教のようにもっと熱心で「カルト」的のことと思っているのでしょう。



ですから仏壇や神棚に礼拝しても、神様との関係がとても希薄なのでしょう。

ただ皆がしているから、昔からしているからという義務感しかないように思えます。

それで「私には信仰心がありません。」という意味で「無宗教」と言うのでしょう。



ここに大きなトリックが隠されています。

実は日本人は生まれながらに宗教団体へ加入させられています。

それも二つの宗教へです。



一つは「仏教」です。


ある歴史のサイトの檀家制度の説明にこう書いてあります。

「民衆一般に行き渡るのは,幕府および諸藩が切支丹禁制のため,檀家制度を実施させた17世紀中期からである。この制度ができたのは1635年(寛永12)。この年江戸幕府はキリスト教徒の摘発の役を全国の寺院に命じた。これに応じた寺院は,周辺の人々の身分を代々自分の寺で菩提(葬式)を弔う檀家でありキリスト教徒ではないと保証した。ここから寺院と檀家の関係が幕府の手によりつくられたのである。寺院側はこれを契機に,檀家の身分保証と引き換えに檀家に対して寺の経営に協力するよう要請し,寺の経済的基盤を支える者として位置づけた。寺が檀家に要求したものを大別すると,[1]祖師忌・仏忌(釈迦の死去した2月15日)・盆・春秋の彼岸・先祖の命日には必ず寺に参詣すること,[2]先祖の年忌法要は檀那寺の僧侶に頼むこと,ほかの寺には行かぬこと,[3]檀那寺の命に従い寄付には進んで応ずること,[4]先祖の仏事法要は檀那寺に頼むこと,[5]絶対に離檀せぬこと,[6]檀家の者は家族1人につき1カ月に米3合ずつ住職に差し出すこと,などである。これに逆うと僧侶は身分保証の寺請証文を書かない上いうことである。身分保証がなければキリシタンということになるため,檀家はこれらの条件を忠実に守らねばならなかった。この制度と同時に,各地で宗門改帳がつくられ,一家全員の所属する寺院が記録された。」(前・後略)


こうしてキリスト教弾圧と戸籍のために作られた制度ですが、江戸時代が終わっても存続しています。



もう一つは「神道」です。


明治維新は長州藩が薩摩藩と組んで興したクーデターです。

長州藩は中国地方を支配する大大名でしたが、関が原の戦いで大阪方の総大将となり敗戦しました。

本来なら殺され断絶になるところを、毛利元就の息子の系統である吉川家のとりなしで長州一国の

小大名になりました。それだけでも当時はたいへんな幸運だったと言えます。

しかし過去の栄光を忘れられない長州藩は、打倒徳川を願っていました。

長州藩が黒船を砲撃して、逆に砲台を占領される事件が起こり、イギリス軍の支援を受けて開国を

進めることになりました。イギリスのしたたかな計算が見えています。

このクーデターを成功させるために利用したのが天皇制でした。天皇家を「高天原」から来た神の

一族と言う「神道」を根拠に、長州藩とイギリスが連携して徳川を打倒し開国させることに成功しました。

維新後薩摩藩と戦争が起き、薩摩藩に勝って長州藩が明治政府を支配しました。


この政策を完全に成功させるために、「神社本庁」を置き、全国市町村へ神社を置きました。

これによってすべての国民は神社の氏子(信者)となり、天皇の支配を受けることになりました。

これを「国家神道」と呼びます。全国民が天皇の信者なのです。


1945年、日本は敗戦しましたが、占領軍は天皇制を維持することで無益なトラブルを回避しました。

新憲法により「天皇制」は「象徴」という名前をつけられましたが、体制は以前のまま続いています。

ですから、いまでも日本人としてうまれたら、全国民は「神道」の信者のままでいます。


天皇は国家元首(国王)として、すべての大臣や大使を任命し、国会の開会を宣言します。

つまり国会は天皇の許可なしには開会できません。



この事実をなるべく国民へ知らせないように政府はしています。

ですから国民は、はっきりと事実を知らないので、「無宗教」などとのどかなことを言っています。


2006年05月18日(木) 「無力化」について考えてみませんか?

「無力化」とは、自分の持っている力を失うことです。

本当に無くなってしまうのではなく、使えなくなってしまうことです。


なぜこんなことが起こるのでしょう?

人は教育の産物です。

ですから教えられたことが真実と信じています。

もちろん数パーセントの人は信じないでしょうが、これは大勢の中では例外です。


支配者は民衆を「無力化」します。

自分の権力を脅かすことを嫌います。


中国の秦の始皇帝がやった「焚書坑儒」という暴挙がそれです。

学者を集めて生き埋めにし、書物を集めて燃やしてしまいました。


自分以外に人を支配することを完全に禁止したのです。

昨日も書きましたが、南米へスペインが侵略し、牧師がマヤ文明を徹底的に活殺しました。

すべての書物を焼き捨て、彫刻を破壊し、神殿を壊してその上に教会を建設しました。

秦の始皇帝がしたことと全く同じだと思いませんか?

一方は政治で、他方は宗教で同じことをしたのです。


実は教育によっても同じことをしています。

日本政府が文部省に命じて教科書検定を行っています。

これは政府に都合が悪いことを書いた教科書を排除することです。

つまり政府に都合のよいことを教え込む教育制度です。


前に書いたオランダでは民族、文化の異なる学校が認可され、その教育内容に政府は介入しません。

これが自由教育です。日本はとてもそこまでいきません。なぜなら政府の洗脳が進んでいるからです。


政府の洗脳とはなんでしょうか?

国に依存していれば間違いないと教えることです。


「勧善懲悪」と言う言葉があります。良いことをすれば褒められ、悪いことをすれば処罰されることです。

TVドラマの「水戸黄門」が数十年間も人気があるのは、この政策の成果です。

為政者(政府)についていれば、必ず守ってもらえると信じています。


これは他国に度々侵略されている中国やヨーロッパ諸国では考えられないことです。

支配者が変われば、その日から法律も税制も身分さえ変わるのですから。

彼らが見たら、日本人はメチャおめでたいか、政府を狂信するカルト集団に見えるでしょう。


宗教者の為政者への迎合も目に余ります。

仏教の開祖・お釈迦さまはすべてを捨てることを求めました。

ですから社会生活から縁を切って、出家し欲望や妄想から解脱することを勧めました。


しかしお釈迦様の死後、戒律を遵守しない北方仏教が分裂し、中国、チベットを経由して日本へ

入ってきました。

鎌倉、室町時代という戦国時代に興された大乗仏教は、無学で貧しい民衆を救うための手段でしたが、

努力しなくてもだれでも「阿弥陀如来の本願」で救われると教え込み、仏教を堕落させました。


また仏教と儒教をミックスさせてしまいました。

親の供養をすることを義務付け、親に孝行することを奨励しました。これは儒教です。

「忠君愛国」思想と合体させ、国のために戦死したことを正当化しました。

出家を曲解し、僧侶を職業化させてしまいました。仏教の使命は既に終わりました。

お釈迦さまが帰ってきたら、今の僧侶は全員が破門になるでしょう。


このようにして、あらゆる方法を使って「無力化」政策が進められました。

その効あって、国民は「無力化」しました。




朝起きられない。

人生が楽しくない。

自分のことが自分で決められない。

自分の目標がない。

お金が無ければ生きていけない。

自分の健康が維持できない。

誰かに愛してもらいたい。

誰かが居てくれなければ心細い。

自分はいい人でいたい。

人生が楽しくない。

学歴や資格が欲しい。

仕事が無ければ不安だ。

休みの日には何をしていいかわからない。

みんなに認められたい。

みんなと仲良くしなければならない。

寂しくてどうしていいかわからない。

他人の目や批判が怖い。

他人が自分をどう思っているのか気になる。

仲間外れが怖い。

いじめられるより先にいじめるほうへ回る。

とりあえず皆がしていることをしている。

テレビや新聞の主張が自分の主張と一致している。

酒やタバコがやめられない。

不安やストレスがなくならない。

病気や怪我をして働けなくなるのが怖い。

死後の世界が恐ろしい。

神仏の罰やたたりが怖い。

方位や六曜や占いが気になる。



まだまだあるでしょうが、代表的な「無力化」の結果の症状でしょう。

あなたは自分だけでなく、子どもにまで「無力化」をさせていいのですか?


「無力化」が自分の力を失わせています。

この結果、免疫力が低下しています。

WHOの発表で、世界一免疫力が弱いのは日本人といわれました。

東南アジアの旅行者の間で数十人のコレラ感染者が出ましたが、すべて日本人であり、調査の結果、

日本人の免疫力の低下が原因だったそうです。


平成15年度の国民医療費は31兆5375億円、 国民一人当たりの医療費は24万7100円です。

高齢化も世界一のスピードで進行中です。


自分の健康が守れなければ、財政は破綻します。

(40兆円の税収しかないのに、国債、地方債合計1,000兆円ですからすでに破綻しています。)


いつまでも今までの考え方でいたら滅亡することは目に見えています。

他人依存を止めて、自分の力を取り戻す以外には助かる方法はありません。

でも、その選択は自分が決めなければなりません。

人類の未来は自分が決定しているのです。


2006年05月17日(水) 「ダ・ヴィンチ・コード」に思う。


「ダ・ヴィンチ・コード」という映画と本が大人気だそうです。

私は本をまだ読んでいませんが、天才・レオナルド・ダ・ヴィンチと隠された秘密の暗号となれば、

誰でも興味をそそられるでしょう。


17日付の英紙デーリー・テレグラフは、世界的ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ人の6割が、小説の筋書きに沿い、イエス・キリストには子どもがいて血筋が続いている可能性があると信じているとの世論調査結果を掲載した。

 同紙は、この調査結果が、同名映画の封切りを前に「『ダ・ヴィンチ・コード』は作り話だ」と大規模キャンペーンを始めたキリスト教会指導者らに衝撃を与えたとしている。

調査結果では、36%の読者がカトリック教会はキリストについての真実を隠ぺいしていると信じていると回答。また小説の中で否定的に描かれたカトリック教会内の保守的組織「オプス・デイ」について、殺人を引き起こすような組織だと考える傾向があった人数は、読まなかった人に比べ、読んだ人は4倍だった。

 調査は5月12日から14日まで1005人の成人を対象に行われた。(ロンドン共同)

(毎日新聞 2006年5月17日)


ことの真贋は分かりませんが、権威によって隠された事実が今の時期に現れることに驚きます。

グラハム・ハンコックは「神々の指紋」、「オリオン・ミステリー」等、宇宙から文明が来たことを証明

しようとする作品を著しています。


マヤ文明の聖典「ポポル・ブフー」は天地創造のときからの歴史を伝える希少な書物です。

スペインが侵略して、神父は邪教のレッテルを貼って土着の宗教を抹殺しました。

貴重な書物や彫刻などをすべて消滅させました。こうして文明は消えてしまいました。

このような攻撃的な宗教は、自分を正義と信じる狂信者集団とも言えるでしょう。


このようなケースは日本でもアイヌの文明や他の先住民族の貴重な遺産が殆ど皆無であることと同じです。

権力者は自分の正当性をアピールするために、以前の記録の抹殺や書き換え、改ざんを続けてきました。


いま時代は21世紀になり、隠された事実がようやく現れることは喜ばしいと思います。




2006年05月16日(火) 「差別に悩む半生」に思う


 (前文略)(ハンセン病だった)両親は将来のことを考えて、女性を戸籍から外していた。女性は学校、職場で、「両親は死んだ」と話した。結婚相手にだけは両親の存在を告げたが、「(自分の)親に決して明かしてくれるな」と言われて、従った。
 30代の時、父が危篤になり、敬愛園に駆け付けた。「このままの状態が長く続いたら、(留守にすることを)家族や職場に何と説明しよう」と悩んだが、父は間もなく息を引き取った。「何くわぬ顔をして戻った」というが、家族にうそを言うなどし、父を十分にみとることができなかったのではないか、という自責の念からその後、離婚。母も亡くなった。(中略)
 女性は約20分間、時折、声を詰まらせながら語った。「私はなぜこの世に生まれてきたのかを問い続ける。恐怖から解放された時に、両親に『産んでくれてありがとう』と心から手を合わせられるような気がします」                       (毎日新聞 2006年5月15日 東京朝刊)


このような記事を目にしました。

人は差別が大好きです。ですから差別はなくならないと思います。

人の心の奥には劣等感があり、自分の怒りを弱い立場の人の差別やいじめへ向けます。

ですからこの方のように皆が差別を止めてくれるようにと願っても、「百年河清を待つが如し」でしょう。


私は差別やいじめを肯定しているのでは決してありません。正直に分析しているだけです。

人はとても残酷な生き物ですし、話し合いでわかってもらえるような生易しい生き物ではありません。


その証拠に、科学や文化が発展しても戦争はなくなりません。犯罪も暴力もなくなりません。

20世紀に1億人以上の戦争の死者がでても、性懲りも無く今も戦争を続けています。

平和憲法を持つ日本でさえ、軍事費を5兆円も使う米、ロに次ぎ3位に入る軍事大国なのですから。


もっと冷静に観察しなければなりません。安易な考えは大怪我の元です。

「人は愛」も一部は真実ですが、殺人者もいますし自殺へ追い込む悪人もいます。


表と裏はまったく違うのが人間社会です。法律に違反しなければ、と言うより逮捕されなければいいのです。

アメリカの横暴は目にあまりますが、「弱肉強食」の世界ですから弱い者は服従するだけです。


教育で「自由・平等・公平」を教えていますが、これは法治国家としての基準に過ぎません。

裁判などで、法の適用が平等であると言っているに過ぎません。これは特別の場合のことです。


実際には身体能力も、思考能力も、身長も、体重も、視力も、健康もすべて違うではありませんか。

その結果、異性にもてる人もいれば、もてない人もいます。


親のお金で働かなくても生活できる人もいれば、孤立無援で働いて生活している人もいます。

働きたくても健康や身体の条件が悪くて働けない人もいます。これでも公平と言うのでしょうか。


「自由・平等・公平」などと言う言葉は、無力な人への慰めにすぎないことは明白です。

そうでも言わなければ革命が起こるかも知れないからです。

ですから「自由・平等・公平」を信じている人は単純でおめでたい人なのです。


こんな世界に生きているのですから、他人が変わることを期待しても無駄でしょう。

いつか皆が差別をやめて自分にやさしくしてくれるようにと願っても、不可能でしょう。



ではこのような社会に生きる私たちは、どう生きたらいいのでしょう。

簡単に言えば、相手に依存しないで生きる方法しかありません。


相手に愛して欲しいとか、認めて欲しいとか言ったら、相手の支配下に入ってしまいます。

痩せても枯れても、一国一城の主(あるじ)となって、誰の支配も受けずに超然と生きるだけです。


そのためには、自分の感情を開放し、自分が一人で生きる力を取り戻す必要があります。

この世界はあなたが自分の力を試すために用意されています。


どうぞ思い切り自分の力を試してください。

きっと明るい未来が待っていると思います。



2006年05月15日(月) 「1日リラックスワーク」開催しました。


昨日は「1日リラックスワーク」を開催しました。

ご参加いただいた皆様に感謝申し上げます。


今回はLORANの基本に立ち返ってのワークになりました。

どうしていまこのようなワークが必要なのか?

ワークの方法や手順とその効果について。

LORAN瞑想の特徴や意味、方法について。

意識とはなにか?

現実とはなにか?

意識と現実との関係について。

無力化について。

自分で生きるとはどのようなことか?

などなど。


あっという間の1日でした。

最後のワークの時には主催者以外は全員眠ってしまいました。


今後も「1日リラックスワーク」を開催してまいります。

皆さまのご参加をお待ちしています。


2006年05月13日(土) 最も深い恐怖との対決


「最も深い恐怖との対決」というと、まるでスリラー映画のタイトルのようです。

しかし私は実際に対決したのです。


私たちは三次元世界に肉体を持って生きています。

肉体ですから、「生存・生殖」本能が最優先です。

恋愛も結婚も長寿も、すべてこのための手段や方法です。

平和や幸せは、「生存・生殖」を可能にするために必要です。

こう考えると、人類の叡智などと嘯(うそぶ)いていても、他の動物と大した差はありません。


肉体にとって最大の恐怖は、「死」という自分の消滅です。

ですから「死」に結びつく、病気、怪我、老化などを最も恐れているのです。


私たち人類が高次元へアセンションするためには、肉体の恐怖を無くすことが必要です。

アセンションしたら肉体が消滅するかも知れません。 

もし肉体の消滅が恐怖なら、アセンションは不可能になります。


三次元から四次元へ移行するためには、立体的な意識を可動型の意識に変えなければなりません。

立体をいくつ積んでも、立体が増加し拡大するだけですから三次元であり続けます。


三次元の立体の各辺を自由自在に変化させることで、四次元への移行が可能になります。

それを可能にするためには、肉体という立体の枠組みの意識を壊す必要があります。

肉体の意識を壊すことは、肉体の意識にとって最大の恐怖になります。


そこで思い切ってトライしてみました。

肉体の「生存・生殖」本能のエネルギーを縮小してみました。


すると思いがけないことが起こりました。

自分の全身から、緊張、不安、恐怖のエネルギーが巨大な塊りとなって出てきました。

この塊りを時間をかけて取り出して捨てました。


いままでで最大のワークでした。


2006年05月12日(金) 第1回所沢ベイシックコース開催しました。


5月10〜11日の両日、第1回所沢ベイシックコースを開催しました。

主催してくださった 「Roots & Route」 さん、ありがとうございました。

またご参加いただきました皆様に御礼申し上げます。


今回はとても明るく、パワフルでステキな皆さまが参加してくださいました。

これからの皆さまの大きな成長を期待しています。


今までは2日間の合宿で開催していた内容を、AM9時〜PM5時の限られた時間内で行いました。

そのため、最初に雑念の固まりの左脳の暴走をセーブし、右脳を活性化する瞑想をしました。

すぐに全員の頭に静寂が戻ってきました。

効果があって、2日間が終了した時点でも頭が静かな状態でした。

メモを取らなくても、乾いた砂に水が浸み込むように必要な事柄が記憶されます。

とても合理的な方法でしたので、内容が多い割には時間の短縮が可能になりました。


いま自分と思っている自分は「感情」です。

「感情」が自分を支配しています。ですから本来の自分の人生を送ることは不可能です。

ですから早く「感情」を開放する必要があります。


そうは言っても「感情」の開放は簡単ではありません。

これができたら「悟り」を開いたと言っても過言ではありません。

お釈迦様でも7年間もかかったのですから。


しかし簡単にできる方法を見つけました。

それは左脳の暴走を止めればいいのです。


感情は左脳を暴走させます。しかし左脳が感情に反応しなければ同じ効果が得られます。

左脳をリラックスした状態にすれば、卓球のラリー状態にはならないからです。

感情が必死にボールをサーブしてきても、打ち返さなければラリーになりません。


感情が無くなってしまうのだろうかと心配される人もいますが、そんなことは全くありません。

蓄積された感情が無くなっていくだけですから、感情はとても鮮明になります。


うれしい、楽しいも、悲しみや怒りも、もちろん感じます。

ただ、悲しみや怒りが持続しなくなるだけですから、とても楽になります。

悩みなどは、いままでなんで悩んでいたのだろうと不思議に思うほどです。


もし、多くの人が感情の蓄積を止めれば、精神科や神経科へ行く方が大幅に減少することでしょう。

また争いが無くなりますから、事件や戦争はなくなるでしょう。

平和への最も近道だろうと思います。


2006年05月08日(月) 世にも不思議な物語??(1)


人は自分が差別されることを恐れ、嫌います。

それで「公平」、「平等」という言葉が大好きです。


「人は生まれながらにして、法の下では平等である。」という言葉を信じています。


しかしこの言葉は余りにも平面的に過ぎます。

誰でも悪いことをすれば、刑法などの罪になるということです。


実際には様々な差別が社会にはあります。

パート社員と正式社員では待遇がちがいますし、男性社員と女性社員でも違います。


文句を言えば、法律に違反していないと開き直られます。

その法律は殆どが議員立法であり、議員の支持団体(スポンサー)に都合のよい法律です。


業者や業界は、メンバー以外の業界への参入を防ぐために献金をして法律を作ります。

そのような法律に規制されて、無駄な手間ひまやお金を使わせられているのが現状です。

しかも法律が増えれば役人の仕事が増えるのですから、役人と税金は増えることになります。


社会福祉は高齢化が進んでいるのでとても大切です。

社会福祉を充実させるには、莫大なお金と人手が必要になります。

それを増税なしで実現するのは不可能です。


しかし増税を繰り返していたら、国民は更に苦しい生活をしなければなりません。

両親が共働きでいながら、子どもとのスキンシップを完全にすることは不可能です。


お金持ちなら共働きもしないで済むでしょうが、大多数の貧乏人は働かなければなりません。

お金持ちとはお金のことを考えずに生活できる人たちです。僅かですが存在します。

貧乏人とは自分の意思を曲げてまで、生活費を稼ぐために睡眠時間を削って働く人々のことです。

ですから一流企業の社員もまた貧乏人なのです。

賃金の多いか少ないかは、ここでは問題ではありません。


みんなが大好きな「公平」、「平等」という言葉はどこへ行ってしまったのでしょう?

アメリカン・ドリームのように、大成功すれば夢のような生活ができると信じているのでしょうか?

いつか宝くじで大儲けをすれば、きっと夢が叶うと信じているのでしょうか?


もしそうなら「公平」、「平等」という言葉は真実ではないことになります。

ただ大多数の貧乏人の不平や不満を抑える口実に過ぎません。


こんな社会に疑問も持たずに生きていることが、世にも不思議な物語なのです。


2006年05月07日(日) 先住民族の滅亡


アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残し、参院議員も務めた萱野茂(かやの・しげる)さんが、6日午後1時38分、急性肺炎で死去した。79歳だった。(中略)同町の二風谷ダムを巡っては「アイヌの聖地が奪われる」と建設に反対し、アイヌ民族を先住民族と認めない国を提訴。97年の札幌地裁判決で「アイヌは先住民族」とする判決を受けた。(朝日新聞 2006/05/07)


アイヌ民族が先住民族であることは、誰もが知っていることです。

しかし9年前に国がやっと認めたという記事を見て、日本人の特殊性に愕然としました。

この考え方に従えば、アメリカ合衆国にはアメリカ・インディアンと呼ばれる先住民族は存在しませんし、

オーストラリアにはアボリジーニと呼ばれる先住民族は存在しないことになります。


日本が沖縄、台湾、朝鮮でおこなった皇民化(教育)政策は、そこに住む民族の文化を消滅させることを

意図していました。氏名を日本名へ変えさせ、宗教を改宗させ、言葉を話すことも禁止しました。


これは民族浄化=消滅と同じです。


日本人はヒットラーが実施したユダヤ民族の民族浄化を非難しますが、ガス室は使わなくても同じ趣旨の

ことを行ってきました。


日本には在日朝鮮人と呼ばれる人々が66万人(95年時)いますが、1982年の難民条約を国が認める

まで児童手当法や国民年金法は国籍法の日本人に該当しないという理由で適用されませんでした。

日本人と同じ税金を負担しながらです。


1815 年にオランダ王国が誕生して以来、政府はオランダの全ての児童に十分な教育の保証をする義務を履行してきました。しかし、これは政府に学校 の独占権があるとか、教える教育内容に権限があることを意味しません。1848年の憲法に則り、どんな団体の人でもそれぞれの宗教、思想、教育理念に基づ いた学校の創設が認められています。(オランダ大使館ウェブサイト)


日本の人口は12780万人、オランダの人口は1620万人で、ノーベル賞受賞者数は日本人5人、

オランダ人13人です。日本人は2556万人に一人、オランダ人は124.6万人に一人ですから、

20倍の違いがあります。これも自由教育の成果と言われています。


文化が違う民族が同じ地球上に存在しています。これは紛れも無い現実です。

しかも今さら鎖国政策をとることは不可能です。

ではどうしたら問題を起こさないで済むでしょう?


お互いがお互いを認め合う以外には方法がありません。

文化も言葉も宗教も違うのですから相手を尊重し、また自分も尊重してもらいましょう。


相手のプライバシーへ立ち入らないこと。相手を批判しないことが必要です。

同等な立場で、お互いが協力し合えることを考えましょう。

それができなければ、人類の進歩など「絵に描いた餅」に過ぎません。


2006年05月06日(土) メルマガ第3号発行しました。



本日メルマガの第3号を発行しました。

昨日作成して、本日の発行予約を入れました。


メルマガ第1号は、まぐまぐ編集部の承認を得る必要がありましたので、サンプルのつもりでした。

第2号はようやく承認が下りてから最初の発行でしたが、承認期間が3〜4日ありました。

毎週発行とうたっていたのであわてて作成したため、本文だけのメルマガになってしまいました。


そんなどたばたがあって、今回初めて落ち着いて作業ができました。

とは言っても、まだ試行錯誤の段階です。お見苦しいところはご容赦ください。


メルマガの良いところは、HPのように見に行かなくても手元へ届くことでしょう。

予定を直接お伝えするには格好の媒体と言えると思います。


しかしどんなものでもマンネリ化したら、飽きられてしまいます。

これから自分のお伝えしたいことを整理して掲載していきます。


どうぞよろしくお願い申し上げます。


2006年05月05日(金) 子どもの日


今日は子どもの日です。

今日が誕生日の家族がいるのですが、昨日繰り上げて誕生日を祝いました。


息子たちが今日、札幌へ戻るからです。

先ほど羽田空港へ到着し、カウンターへ荷物を預けたとの電話がありました。


13:00には新千歳空港へ到着し、15:00には自宅へ着くでしょう。

私たちの連休も間もなく終わります。


「光陰、矢の如し」と言うように、時間は飛ぶように去っていきます。

10年、20年はあっという間です。


その間に生まれた子どもは20歳になり、成人して独立していきます。

いつか子どもは結婚して親になっていきます。


人の営みは時代が変わっても、内容は全く同じように見えます。

子どもから親へ、親はいつの間にか高齢になっていきます。


木の葉が芽吹き、大きな葉に成長します。

古い葉は、枯れて落葉します。


葉の交代はあっても、一つの木にとっては1年が過ぎただけです。

私たちの一生は、木の成長の一部に過ぎません。


2006年05月03日(水) 花が満開です。


今日は札幌から帰省した息子夫婦や娘の家族と一緒に遊園地へ行きました。

ここは約20年前、子どもたちが小さかった頃、来たところでした。


思えばいつの間にか子どもたちも成人し、家庭を持っています。

あの頃の私たち夫婦が、子どもたちと入れ替わっています。


そしていま、私と手をつないで歩く孫がいます。

20年間はそれだけの重みがあったのです。


HPのTOPの写真は、遊園地から撮った富士山です。

静岡県側は曇りでしたが、こちらは快晴でした。


すべてが祝福してくれていると感謝しました。

ハーブ園の庭は花が満開でした。






2006年05月01日(月) 大型連休始まる


昨日は息子夫婦が1年ぶりで札幌から帰省したので、羽田空港まで迎えに行きました。

連休に入ると高速道路は渋滞するので、早めに出発しました。

自宅から約160kmあります。

混雑が無ければ2時間、混雑していれば3時間かかります。

渋滞に巻き込まれたら4時間はかかるでしょう。


出かける前に日本道路公団のサイトで渋滞情報をチェックしましたが、渋滞箇所は出ていません。

これならと大丈夫と出かけました。


先ず国道1号線バイパスを沼津ICまで行きました。

全くのガラガラで、80km/hで悠々と走行しました。


東名高速道路へ乗り入れましたが、これまたガラガラでした。

のんびりと100km/hで横浜町田ICへ着きました。


休日・祭日は海老名SAは混雑するので、中井PAへ止めました。

全く閑散としています。営業車(大型トラック)が皆無に等しいのです。


通常の日の数分の一の駐車台数でした。

どこに大型連休があるのか不思議な感じでした。


そのまま横横道路を南下し、狩場ICからベイブリッジを渡り空港中央へ到着しました。

なんと1時間30分前でした。

息子が新千歳空港を出発する時間の前に到着してしまいました。


P3駐車場も空きが多くて楽に止められました。

帰りもまたのんびりと帰ってきました。



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