LORANの日記
DiaryINDEXpastwill


2006年04月29日(土) 初めてのメルマガ


メルマガを発行して最初の配信をしました。

「あれ!タイトルがない。」

「あれ!発行者もない。」


後で再度記入欄を確認したら、未設定でした。

ど素人の失敗ですから、笑ってお許しください。


こんな失敗作ですが、うれしいことに励ましのメールをいただきました。

これでは次回は、もう少しまともな形にしなければなりません。


ブログはお気楽で、ちょっと覗いてみよう的な雰囲気があります。

メルマガは、ブログと違ってじっくり取り組めるところが特徴でしょうか?


今回は最近の自分自身の体験についての考察を書いています。

(1)〜(3)までを書きました。時代と原因についてです。

(4)からは来週書きますが、きっと楽しんでいただけると思います。

もしよければ、下記アドレスから登録をお願いします。


http://www.mag2.com/m/0000193401.html


2006年04月28日(金) 「過去の箱」を消す


AM4:00起床。5:00〜○○さんを駅へ送る。帰宅してから海岸へ向かう。


瞑想を開始しようとすると、額の奥で何かが溶け出しているように感じた。

内視すると、脳の中央に黒い物が見えた。頭の上部から見ると大脳の下に箱があった。


よく見るとW500×H300×D300位の大きさで、色は茶、まるで砂を固めたようにザラザラであった。

木製か鉄製で錆びて朽ちているかのように、とても古い箱であった。


「過去」という文字が脳裏に浮かんだ。ここ1週間ほどは、毎日が生と死の間に居た。

だから「なにを今さら「過去」なのだ」という気持ちであった。


「過去」の箱を開けたら「パンドラの箱」だったなどという面倒は御免だと思った。

だから「過去はいらない」と決めて、消すことにした。



しばらくして「過去」の箱は消えて光になった。

頭の中がすばらしく透明になった。全くの青空だけがあった。

こんなに気持ちがいいのは多分生まれて初めてである。


さて帰ろうと立ち上がり、歩き出したが歩けない。

これはどうしたことかと手足を動かしてみたが、まったく快調である。

しかし歩けないのも事実である。

先ず右足を出し、体重移動をして左足を出す。別になんの異常も無い。

また右足、次に左足とゆっくり、ゆっくり歩き出した。


正にリハビリの訓練そのものである。そこで気づいた。


ではあの箱が私を支配していたのだと。

私は「糸操りのマリオネット」だったのだ。

だから箱を消した途端に、「糸操りのマリオネット」の糸が切れたのだ。

それでいま歩くことができないのだと。


もう今さらどうにもならないのだから、諦めてゆっくり帰ることにした。

口に出して、「右足、左足、骨も筋肉も一緒に、1、2、1、2・・・」。


時間はいつもの数倍はかかったが、なんとか帰宅できた。


10:00〜○○さんのヒーリング。

目を瞑って、なんと一瞬ですべてが光になってしまった。

正に光速である。

また目を瞑った瞬間に光の世界に居た。

感動した。



2006年04月27日(木) 肉体からの脱出


一昨日のことです。

早朝、日の出の光の中で、瞑想するために海岸へ行きました。

日の出はAM 04:55 頃ですから、4時に支度をして出かけて行きます。


海岸で瞑想の用意を整えていると、背中でなにかが動きました。

じっと内視すると、大きな黒い物体でした。

ゆっくりと腰の辺りに下りて静かになりました。


それは若くて立派な黒い龍でした。

力が漲(みなぎ)り、堂々としていました。


でも私には不用ですから、出て行くように言いました。

でも出て行きません。


それでも出て行くように言いましたが、びくとも動きません。

「私が出て行ったら、お前は力を失ってしまうぞ。」と言いました。


「もう力なんて要らないから、出て行け。」と私が言いました。

「お前の力では、私は追い出せない。」


「それでは私が死ねば、お前は出て行くほかは無いだろう。」と私が言うと、

今度はさすがに返事がありませんでした。


それで私は死ぬことにしました。

まだ死んだことはありませんが、きっとできると思いました。

もういつ死んでもいいと思っていましたので、これが最後と覚悟を決めました。


そしてついに私は肉体から脱出しました。

50m位下に自分が座っていました。

黒い龍が煙が立ち上るように、ゆっくりと抜け出ていきました。


「やれやれ出て行ってくれた」と思い、ふっと気がつくと、1本の細い糸が私に

ついていました。

まるで蜘蛛の糸か、釣りのテグスのように透明で細い糸でした。

これが「霊糸線」と呼ばれるものでした。

この糸が繋がっていれば生きていられて、切れたら死んでしまうそうです。


この糸を頼りに帰って来ました。

命がけのワークでした。


2006年04月26日(水) 肉体からの脱出


一昨日のことです。

早朝、日の出の光の中で、瞑想するために海岸へ行きました。

日の出はAM 04:55 頃ですから、4時に支度をして出かけて行きます。


海岸で瞑想の用意を整えていると、背中でなにかが動きました。

じっと内視すると、大きな黒い物体でした。

ゆっくりと腰の辺りに下りて静かになりました。


それは若くて立派な黒い龍でした。

力が漲(みなぎ)り、堂々としていました。


でも私には不用ですから、出て行くように言いました。

でも出て行きません。


それでも出て行くように言いましたが、びくとも動きません。

「私が出て行ったら、お前は力を失ってしまうぞ。」と言いました。


「もう力なんて要らないから、出て行け。」と私が言いました。

「お前の力では、私は追い出せない。」


「それでは私が死ねば、お前は出て行くほかは無いだろう。」と私が言うと、

今度はさすがに返事がありませんでした。


それで私は死ぬことにしました。

まだ死んだことはありませんが、きっとできると思いました。

もういつ死んでもいいと思っていましたので、これが最後と覚悟を決めました。


そしてついに私は肉体から脱出しました。

50m位下に自分が座っていました。

黒い龍が煙が立ち上るように、ゆっくりと抜け出ていきました。


「やれやれ出て行ってくれた」と思い、ふっと気がつくと、1本の細い糸が私に

ついていました。

まるで蜘蛛の糸か、釣りのテグスのように透明で細い糸でした。

これが「霊糸線」と呼ばれるものでした。

この糸が繋がっていれば生きていられて、切れたら死んでしまうそうです。


この糸を頼りに帰って来ました。

命がけのワークでした。


2006年04月25日(火) すべては幻


昨日、日の出の光を浴びに海岸へ行った時のことです。

瞑想を始めようとしたとき、突然「すべては幻である。」と思った。

では「自分も幻なのだ」と思い、幻を消すことを決意した。

「幻である自分と、幻である自分が創った全てが消える」と言って消す作業を開始した。


少し経つととても苦しくなった。

更に続けると我慢できないほどになった。

「もしかしたら自分は消えてしまうかも知れない」と不安が出た。

しかし「ここまで来たら死んで元々」と蛮勇を振り絞り不安を断ち切った。


苦しみながら続けると「ムンクの叫び」の絵に似た自分が悲鳴を挙げて出て行った。

それ以後は穏やかになった。


左脳がまったく空になった。

巨大な倉庫か体育館のように巨大な空洞だけになった。

やはりすべては幻だったのであろう。


2006年04月24日(月) あなたは感情です。



「あなたは感情です。」と言われたらどう思いますか?

「そんな・・・、感情ではありません。」と言うかも知れません。


感情の反対は理性です。

「あなたは自分を理性だと思いますか?」

「どちらかと言えば、理性的だと思います。」と答えるかも知れません。


感情には喜怒哀楽があるように、必ずしもつらい感情だけではありません。

そして私たちは理性も感情の一つの側面だと思っています。


ですから、私たちは感情なのです。


困ったことに感情は蓄積されます。

感情が蓄積されるのは、感情を溜めるからです。


うれしいとき、楽しいときは感情を表現します。

家族や友人に話したり、電話したり、体全部を使って喜びを表現します。

ですからこの感情は蓄積しないのです。


悲しみや苦しみ、寂しさ、孤独、虚しさ、絶望、また怒り、憎しみ、恨み、呪いなどの

否定的な感情は、表現できないので蓄積されます。


毎日毎日繰り返し思っていますので、どんどん溜まっていきます。

「エネルギー不滅の法則」の通り、開放しない限り溜まり続けます。


困ったことに、本人が亡くなってもエネルギーは不滅ですから、この世に残ります。

それでこの世界は否定的なエネルギーで満ちています。


同じ否定的なエネルギーを持つ人は、雪だるまのようにどんどん雪が付着していきます。

雪とはもちろん否定的なエネルギーであり、亡くなった人が置いていったものです。


まるで移転した飼い主に捨てられた飼い犬のように、飼い主と同じ匂いの人に付きまといます。

付きまとう犬の数は、一人当たり少なくみても数100〜1000はいるでしょう。


否定的なエネルギーは波動が重いので、足に付着します。

特に膝から下が重かったり、だるかったり、冷たかったら、大量に付着しています。


これを防ぐためには否定的な感情を捨てなければなりません。

簡単にするなら、日の出の朝日を浴びることをお勧めします。


早朝散歩を1時間以上すること。自分とすべてに感謝することが大切です。

それだけでも、見違えるほど元気になります。


2006年04月23日(日) 新しい風


新しい風が吹いています。

5月からLORANのセミナーは殆どを外部の会場で開催します。


以前からも外部の会場でセミナーを開催したことはありますが、今度ほど徹底したことは

ありませんでした。

理由は参加者が増加して、現在のセミナールームでは手狭になったことと、駐車場の問題です。


既に7月までの会場の手配は完了しました。

1日セミナー用の会場と宿泊セミナー用の会場の2本立てです。

どちらの会場も何回も使用していますので、使い勝手が分かっています。


5月10〜11日は埼玉県所沢市で初めてのベイシックコースを開催します。


6月は4日の名古屋すぴこん、10日は愛媛すぴこん,18日は横浜すぴこんへ出店します。

6月11日は松山市でLORANカウンセラー対象の強化セミナーを開催します。


7月には松山市でベイシックコースの開催も予定されています。

また札幌すぴこんへの参加も検討中です。

一気に外へ出る機会が増えました。


外へ出たときには1泊延ばして、朝日瞑想をしています。

6月の松山が終わったらレンタカーで高知まで行き、翌朝は室戸岬で日の出を待ちます。

弘法大師が修行した場所でご挨拶させていただきます。


人は変化が成長です。

変化を求めないのは不安が大きいからです。

不安が大きいのは感情が邪魔をしているからです。

ですから早く感情を捨てなければなりません。

感情を相手のせいにしているのでは、成長は不可能です。



2006年04月22日(土) メルマガ発行準備完了


昨日、この世界の先輩であるM.Mさんからメールをいただきました。

「メルマガ」を発行していないのでは?との内容でした。


メルマガは数人の方から受け取っています。

その中には1日おきに送ってきてくださる方もいます。


HPとブログがあるのでとてもメルマガまでは手が回らないだろうと言うのが言い訳でした。

しかしメルマガでご本人にお知らせした方がいいニュースもあります。


今回LORANを会場にしてセミナーを開催することを止めました。

5月からは市内2ヶ所の会場を利用することになりました。


参加者数が増加したので、部屋が手狭になりました。

そのためボディワークなどができなくなりました。

また駐車場が不足してきました。


このような内容を参加者にお知らせする必要が発生しました。

それで今日早速メルマガを申し込み第1号を発行する準備が完了しました。


メルマガの運営サイトへ第1号を送りましたので、数日で承認されると思います。

承認が済んだら皆さまへメルマガを送らせていただきます。


もしよろしければ、下記のメールアドレスへ「メルマガ希望」とお知らせください。


        loran@loran.jp


2006年04月18日(火) 正義の定義


正義はいつも自分の都合によって決まります。

自分の正当な権利が侵害されることを、正義の名の下に抵抗しようとします。


しかしお互いに正当な権利の考えが違うのですから、お互いが正義を主張します。

それで世界中で正義の名の戦争が絶えません。


本来、正義などないのかも知れません。

単なるエゴとさえ言うこともできます。


2世紀にユダヤ王国が滅ぼされてからユダヤ民族の世界放浪が始まり、20世紀に

イスラエルが建国されるまで続きました。


こんなに永い間、民族が同化を拒み続けた理由は宗教的な根拠によります。

その根拠が正義という名を語るのですが、歴史的に見て紛争や差別の原因でもあります。


世界が平和になることが人類の悲願なのに、民族や宗教による差別が大きな障害になっています。

人が差別をする理由に、歴史的な相手への不信感や嫌悪感があります。


差別は一種の民族的、宗教的な文化として、生活慣習とまでなっています。

こうなると差別もその社会の正義の範疇に入り、理由も無く繰り返されています。


人権問題を扱う世界的な機関が各国政府や団体へ改善を促しても、遅々として進みません。

本来人間は差別や戦争が好きな生き物なのでしょう。


日本人の海外渡航者数は平成16年度で1638万人に上ります。

10人に1人以上が1年間に1回以上海外旅行していることになります。


他の国、民族、宗教の違いによるアイデンティティの違いを知ることにより、

自分にとっての正義とはなにか、なにができるかを考えることもいいかと思います。


2006年04月17日(月) 時間と現実


「どんなお金持ちにも貧乏人にも、平等に与えられているものがある。

それは時間です。」


そう言われてきました。


確かに時間は誰もが等しく持っています。

そしてお金を払わなくても、いいえ払っても売り買いできません。


時間は無常に流れて行くと誰もが思っています。

どんなに大事な人でも、大好きな人でも、時間はいつか連れ去っていきます。


時間はまるで火葬場行きのベルトコンベアのように、無常に人を運んでいきます。

お金持ちも英雄も、誰もこのコンベアから下りることはできません。


そんな無常な時間なら無いほうがいいのかと問えば、やっぱり時間が欲しいと言います。

人は物質化した存在ですから、存在が無くなる事、死が最も恐ろしいのです。


それで死に至る怖れのある病気やけがを忌み嫌います。

健康法や健康グッズ、健康食品、サプリメント、お守りまでにすがり続けます。


しかしどんなに抵抗しても、時間は砂時計の砂が落ちるように無機質に流れていきます。

人は大河に落ちた木の葉のように、流れて行くほかはないのです。



では本当に時間はどうにもならないのでしょうか?

いいえ、時間はどうにでもなるのです。


あなたは時間を誤解しています。

時間はあなたのものです。そしてあなたが時間です。


そんなバカなと、きっとあなたは思うでしょう。

でもそれは真実です。


あなたが生きていること、それを現実と言います。

現実は過去の表面です。


湯葉(ゆば)は大豆を粉砕して煮て作った豆乳の表面にできる薄皮です。

豆乳が過去であり、湯葉が現実です。


膨大な過去の現実があり、その表面にできた湯葉のような現実があります。

ですから、ちょっとやそっとで現実が変わるはずがありません。


しかし、いかに膨大な過去の現実があっても、それは感情として記憶されています。

ですから過去からの感情を開放することができれば、現実は変えられるのです。


すべての感情を開放ができれば、あなたの時間は軽くなります。

先ほどの例えでいう、豆乳が無くなるからです。


すると湯葉が極端に薄くなり、ついにはできなくなります。

すると感情に支配されない自分がいます。


この状態になると自分の存在は、今までとはまったく違ったものになります。

自分には違いないのですが、まったくの無色透明のように感じます。


チベットの僧院の壁に、大きな目が二つ描かれている写真を見たことがあるでしょう。

あの目が自分であるかのように思えるのです。

自分は宇宙と溶け込んでいますので、自分の意識が目であるように感じます。


時間が自分であることが分かります。

そして宇宙も自分であることが分かります。


2006年04月16日(日) 雨が降っています。



もう幾日も雨が降っています。

雨は1日中降ることはありませんが、晴天になることもなく、時々降ってきます。


今朝は止んでいましたが、先ほどから音をたてて降ってきました。

まだ4月も半ばですから、入梅までには間があると思います。


いつの間に桜の花びらは散って、緑が濃くなっています。

たんぽぽの黄色い花が、道端や空地のあちこちに咲いています。


今月初めに行った札幌市郊外の定山渓温泉は、雪が深く真冬の趣でした。

こちらは昨日もツバメが巣作りして忙しく飛び交っているのが見られます。


北と南では2ケ月も季節が違うことがわかり、びっくりしています。


雨を土の中にいる蛙は、心待ちにしているのでしょう。

気が早い蛙は、入梅と勘違いして鳴き出すかも知れません。


早稲品種の稲作をする農家は、田に水を張っていました。

間もなく田植えが始まります。


ビニルハウスの中で稲の苗が行儀よくカセットに並んで、出番を待っています。

5月〜10月までの半年間で稲は収穫されます。


これから農家は1年中で一番忙しい季節を迎えます。


2006年04月15日(土) 感情と意識(2)


感情と意識について前回書きましたが、理解することが難しいテーマですので補足させていただきます。


感情と意識が違うことを知っている人は稀でしょう。

ほとんどの人は感情で生きています。特に女性は「感情の生き物」とさえ言われます。

それだけ感性が豊かということですが、感情の起伏が大きいので、意識の出る幕がありません。


それでお釈迦様は「女身は法器にあらず」と言ったと伝えられています。

「感情を超越して、意識が悟りに到ることができない」という意味でしょう。


これは女性を侮辱した言葉ではなく、あまりにも感情に翻弄されている女性が多いと言う言葉でしょう。

一般的に見ても思い悩む(これも感情です。)のではなく、思索に耽(ふけ)る女性は極く僅かに思えます。


では男性は思索に耽る人が多いのかと問われれば、近年は男性もあまりにも少ないと思います。

これは仕事や学校、マスコミなどに時間をとられ、自分だけで過ごす時間がないことが原因です。


テレビを見ている時間が8時間という統計があります。

睡眠が8時間、仕事や学校が8時間、テレビが8時間とすると、自分の時間は0になります。


「テレビを見ている時間は自分の時間ではないのか?」という疑問を持つでしょうね。

そうです。自分の時間ではありません。もちろん仕事も学校での時間もです。


自分の時間とは、自分のための時間です。

自分のためとは、自分と向き合う時間のことです。

自分を見つめ、自分を感じ、自分と生きる時間のことです。


ですから仕事をしながら、学校で授業を受けながら、テレビを見ながらできるはずがありません。

ですから自分の時間は0なのです。


このような状態では意識を使うことができません。

いまあなたが生きているのは無意識です。今までと同じで、いつものように生きているだけなのです。


これは眠っているときには意識が無く、起きている時には意識があるという意識ではありません。

本当の意識とは覚醒した意識であり、感情を超越してすべてと一つでありながら、孤高の意識です。


もしあなたが「他の人はどうしてこう考えないのか?」と疑問に思ったとき、意識が働いています。

ですから意識が働けば、他の人と同じ生き方はできません。


それで仙人や隠者となって一人で生きる道を選ぶのです。


2006年04月14日(金) 感情と意識



人には五感があります。

この五感を使って感情が生まれます。喜怒哀楽のことです。

生きているから五感を使えるのですから、感情は生きている実感になります。


感情は自分が生んだ反応です。

しかも反応の仕方は教えられたものが殆どです。


喜怒哀楽、不安や恐れの感情は哺乳類共通の反応です。

自分の大切なものが失われれば、とても悲しくなります。

それが家族であれば、犬や猫でも悲しみは深いのです。

その悲しみが深く、自分ではどうしようもないとき、相手に対する怒りになります。


感情はすべてエネルギーです。

怒りは最も破壊的で、瞬間風速が大きなエネルギーです。

ですから怒りのあまり、相手に暴力をふるい殺してしまうこともあります。


感情のエネルギーは放出しなければ溜まってしまいます。

喜怒哀楽、不安や恐れのの感情の中でも、喜びと楽しみは表現しやすいので溜まることはありません。


怒りと悲しみ、不安や恐れのは直接相手にぶつけられないことが多いので、その度に溜まっていきます。

相手の言葉や態度から怒りを感じたとき、溜まっていた怒りも反応します。

それで大きな怒りがこみ上げてきます。悲しみも同じです。


溜まった感情はいつの間にか、自分の中で最も大きなエネルギーに成長してしまいます。

すると自分の支配者は感情になります。

しかしこれに気づかないので大きな間違いが起こります。


感情が支配者ですから、自分の意識は感情の陰にあって出る幕がありません。

殆どの人が感情に支配されて生きています。


「殺人はいけない」と誰でも知っています。

「敵が悪いのだから、戦争で殺してもいい」と思っているのは感情です。


家族を失った悲しみと怒りの感情が相手を殺してもいいと思っています。

困ったことは、感情に支配されることを肯定する人が多いことです。


本来感情は一過性のエネルギーです。溜めなければ無くなります。

人間以上に感情を溜める生き物はいません。それで戦争や争いが終わりません。

しかしそれを止めようともしないのです。


そして自分を支配する感情の正当性を主張しています。

これでは永久に平和は実現しないでしょう。


本来誰にでも「意識」が備わっています。

この「意識」は宇宙の中心というか、宇宙の叡智と繋がっています。


それで先人や賢者は「瞑想」によって、宇宙の叡智を自分のものとしてきました。

ソクラテスもお釈迦様もイエス・キリストもそうでした。


しかし誰にでもある「意識」は、いつの間にか感情の陰に隠されてしまっています。

人間は「神」にもなれるのに、戦争や争いに夢中になり「悪魔」のようです。


溜まってしまった感情が、人間を「悪魔」にしています。

ですから感情を開放する必要があります。


LORANでは感情を開放する方法をお伝えしています。

感情から買い方位されると、人は「神」になれると思います。


2006年04月13日(木) LORAN オリジナル


LORAN ではオリジナルの手法を多く開発しています。

もちろんその基礎は大切に思っています。

しかし、いま現在普及している状態での手法を踏襲することはできません。

なぜなら、その手法が開発者によって開発された理由や原因があったはずです。

その時点で開発者はなにを意図して、その手法を開発したのでしょう。

その時、きっとインスピレーションによって開発したのだろうと思います。

それは「神の啓示」と言ってもいいでしょう。


コピーしたものを再コピーし、際コピーしたものを再々コピーしていったらどうなりますか?

10回、20回とコピーの繰り返しによって、濃い部分だけがコピーされます。すると、

殆ど元のコピーとは似てもいないものができあがります。


これが初代から2代目、3代目と伝えられた結果と同じです。これでは初代の思いは伝わりません。

この危険を避けるためには、初代の人の生き方を入念にたどらなければなりません。

そして殆ど初代の人と同じ境遇に近い状態にまで自分を近づけた時、初代の人の思いが伝わります。


LORAN は開発者の生きた時代背景と彼の意図に注目しています。

そして開発者と同じに近い状態に自分を置きます。

開発者はこのときなにを感じたのか、なにを思ったのかと彼の意識をたどります。

すると開発者の意図や意識を感じることができます。インスピレーションで教えてくれます。


こうしてLORAN はオリジナルと言ってもいい手法を考案してきました。

ヒーリング法、瞑想法、オリジナルフラワーレメディ、カウンセリング法など

効果的な手法があります。これらを総合して用いることで大きな効果を上げています。










2006年04月12日(水) 瞑想のすすめ(2)


前回の「瞑想のすすめ」について質問が多数あったのでお答えします。


Q: 誰でも可能ですか?

S: 最も難しい質問です。誰でも可能ですが、結果は全員違います。

   義務教育を等しく修了した人が全員、東大へ進学できるはずがありません。

   多くの人は個体差や意識の違い、理解力、熱意などの条件を無視して同じ結果を

   求めます。簡単にできる人はすでに準備が完了している人です。


Q: 「瞑想」は難しいと聞いていますが、「LORAN瞑想」は短期間でできるのですか?

S: 「禅」の瞑想は無になることを求めます。これは難しいことで不可能に近いのです。

   「LORAN瞑想」は「瞑」は目を瞑ること、「想」は想像することと理解しています。

   なにも思わないのではなく、一つのことに専念することで可能になります。

   最初は誰でも初心者ですから、具体的に誘導させていただきますので簡単にできるのです。


Q:  「LORAN瞑想」はどのような条件でするのですか?

S:  LORAN では意識の中心を「光」に置いています。その「光」と自分を一つにすることが

    目的です。これによって自分の中心が定まります。これはここでは具体的に説明できません。

    「日の出の光」を浴びることで、自分の中がリセットされます。また、部屋の中にこもって

    いたら、頭へ血液が集中してしまい瞑想はできません。それでLORAN から徒歩40分の

    海岸まで夜明け前に歩きます。どんなに寒い日もです。雨天は中止しています。

    海岸へ着いたら瞑想の準備を終えて、日の出を待ちます。日の出と共に瞑想を開始します。


Q:  瞑想をするために、ほかに注意することはありますか?

S:  人は一人ひとりが真実を生きています。ですから一人ひとりの真実は異なります。

    自分と他の人、親、兄弟、夫婦でも異なるのは当然です。これを理解できない人が多くいます。

    人間社会はこの違いを無視して同じ考えや同じ目的、価値観を強制します。マスコミは商業法人

    ですから利益追求が目的です。スポンサーとそこで共通の目的を持っています。それで商品の購買

    が便利、快適と宣伝します。購買を可能にするお金儲けを勧めます。お金を儲けることが幸せの

    近道と思っている人が多いのはこれが理由です。ですから瞑想している期間はマスコミを断つ

    ことを勧めています。テレビ、新聞、雑誌をしばらく遠ざけることです。これによって自分の

    波動の乱れがおさまってきます。最後にはまるで蜘蛛の糸のように細く、金色のピアノ線のような

    波動になります。こうなれば外部から影響を受けることはなくなります。


Q:  瞑想した結果はどうなるのですか?

S:  瞑想中、「感情の開放」を同時に進行します。そのために「制限からの開放」をします。

    これは用意したレシピを読むだけで可能です。毎日続けることで大きな効果があります。

    自分の中の感情=不安、心配、怖れ、怒り、悲しみ、嫉妬、羨望、憎しみ、恨み、呪いなど

    がまるで怒涛のように出て行きます。これでは自分がつらいはずです。毎日開放するのですから

    しばらく続ければとても楽になります。でも、自分の中にいるもう一人の否定的な自分が

    開放を妨害することもあります。これはカウンセリングによって乗り越えることができます。


Q:  期間はどれくらいかかりますか?

S:  個体差がありますので一概には言えませんが、1年後には殆どの人が見違えるようになります。

    2〜3年後にはショップを開けるようにまでなります。すでに多くのショップが全国にオープン

    しています。


Q:  なにかお勧めのコースがありますか? 

S:  LORANで毎月3週、火曜日の昼の2時間と木曜日の夜の2時間、リラックスワークを開催して

    います。昼と夜3回づつの開催です。どちらへ参加しても全部へ参加しても月額 \3,000. です。


2006年04月11日(火) 瞑想のすすめ

瞑想と言うと「禅」の瞑想法を思われる方が多いでしょう。

由緒正しい「禅」の瞑想法ですから、その作法は厳格です。


しかも悟りの域に達するには、十年単位の修行が必要だそうです。

十年でできなければ二十年、更にあと十年・・・


ではそれでどれほどの効果があったのでしょう。

精神集中なら「禅」の瞑想法でなくてもできます。


宗教としてですから、「神人合一」ができなければなりません。

それでは「神人合一」ができた割合はどうでしょう。


千数百年の実績があるのですから、指導方法も確立しているでしょう。

それでは十年では50%、20年なら80%はできなければならないでしょう。


もしそうなら、「禅」の瞑想法はもっともっと人を惹きつけずにはいないでしょう。

社会にも大きな影響力を持ち、教育への効果も大きいでしょう。

世の中は平和で穏やかになっているのでしょう。


しかし実際にはなんの影響力もありません。

マニアの趣味の域から出ることはありません。


これは厳格な作法を守るという考え方が原因です。

もし「神人合一」の域に達しても、「お山の大将」の自己満足で終わっているからです。

最初の開発者は既成概念に囚われないで、「禅」の瞑想法を作ったのではありませんか?



LORAN瞑想は誰にも教えられないでできました。

目を瞑り、宇宙の中心に自分を繋ぐことと、すべてに感謝と祝福を捧げることで可能です。


この指導により、1年以内に半数以上の人が中心の光を見ることができます。

2〜3年以内には、その光と一つになることができます。


私はこの方法をインスピレーションでいただきました。

何の作法も不用です。眠りながらでもOKです。


こんな簡単なことですから、皆様が実践してくれたらと思います。


2006年04月10日(月) 際限のない欲望


人は生きていかなければなりません。

これは生物の種を守るという目的を果たすためです。

そのために生物にはすべて「生殖・生存」という本能が備わっています。


爬虫類は「生殖・生存」の本能だけで生きていると言われています。

自分の目の前にある獲物に食いつきます。メスとは生殖の関係だけです。


哺乳類は「感情」があります。

喜怒哀楽があり、犬や猫は飼い主に尻尾を振って喜びを表現します。

怒りも悲しみも表現します。


人には「自我意識」があります。

「自我意識」があるから、自分に興味があります。他の動物には無い特性です。


「自我意識」は自分と他人の違いを感じます。

そして違いを感じるとストレスを生みます。そこで葛藤や競争が始まります。


これは単に餌や雌の取り合いではありません。

相手を征服し、服従させる権力欲や支配欲、独占欲などのことです。


本来、「自我意識」は自分探しのために必要であるから備わっているのですが、

人は欲望によって使い方を誤ってしまいました。


誤りを正すため、先人は欲望を捨てることを説いたのですが、それを聞く人は稀です。

本能である食欲は満腹になれば満たされますが、欲望は無限です。

ですから、かっては欲望を悪魔的に解釈していました。仏教の餓鬼がそれです。


本来の目的を果たすことを妨げる欲望とは、一体なんでしょうか?

私たちが転生までして、「自分を知る」ことを追求しているならば、

どうしてこんな間違いばかり繰り返しているのでしょうか?


もし過去生で犯した間違いを反省して転生してきたならば、時代が進むに連れて

平和で穏やかな社会ができて当然です。それが反対に滅亡へ向かっている原因は?


転生はしても、学びが無いことが分かります。

つまり学びとは、いま生きているこの世界だけのことなのです。

いや、転生も実はこの世界で行われているのかも知れません。


ですから、ちっとも良くなることはないのです。

どんどん下り坂を転げ落ちるように、滅亡へ向かっています。


その先には「マヤの暦」で予言された第5の世界の終焉、2012年12月22日が

待ち構えています。


そしていま、人類の叡智が試されています。

滅亡か、生存か?


それは人の中にある「神性」が試されていることを表しています。


2006年04月09日(日) 滅亡願望??



ふしぎに思うことがあります。

その中でも最もふしぎなことは、人類の「滅亡願望」です。


すべての生物にとって、「種の保存」は正に悲願です。

回虫博士の異名をとる藤田紘一郎氏は、回虫は「種の保存」以外は一切やらないと書いておられます。

渡り鳥が数千km以上の命がけの苛酷な飛行をするのも、「種の保存」のためと言われます。


生物の本能以上に生物を支配する要素があるとは思えません。

それなら、人類が滅亡へ向かっている事実をどのように説明できるのでしょう?


1769年にフランスのニコラ・キュニョーが蒸気で動く車を発明し、現在のエンジンは1885年に

ドイツのベンツの工場で製作されました。まだ120年しか経っていません。

日本ではここ40年間で自動車が普及し、近くのコンビニやスーパーマーケットへも運転していきます。

田舎では回覧板を自動車で隣家へ届ける有様です。


この結果、ドア・ツー・ドアが進み、歩くことを忘れた人が急増しています。

都会よりも田舎の方がこの傾向が顕著になっています。

田舎では自動車の普及でバスや電車が廃業に追い込まれました。

その結果、さらに自動車依存が強化されています。


人の骨は筋肉によって補強されています。歩行や運動をしなければ筋肉は衰弱します。

筋力が低下すれば、骨は元の正常な位置を保てなくなります。

それで腰痛などが増えます。胃下垂などの内臓下垂が増加します。

消化能力が低下しますから、十分な栄養を摂取できなくなります。

ひ弱な人間が増加します。


冷房や暖房が普及した結果、温室育ちの植物のような人が増加しています。

戸外で生活することを忘れた結果、自然と共生できなくなっています。

本来「花粉症」などはありませんでした。これも人工環境の弊害でしょう。

アトピーやアレルギーの増加の原因も同じように感じます。


このような生活は人間の体力を弱体化させています。

しかし、人間の飽くなき欲望がブレーキを使わせません。


「便利・快適が幸せ」という風潮があります。

便利・快適に必要なツールを手に入れるためには、「お金」が必要です。

ですから「お金」は幸せを手に入れるための必須ツールということになります。


この際限のない欲望は、本来は行き過ぎれば補正されなければならないのに、ブレーキが

機能していません。その結果、環境破壊など重大な問題が発生しています。


アクセルだけでブレーキが無い自動車は危険この上もありません。

しかし人類の乗った自動車はブレーキ無しで、猛スピードで走っています。


これでは結果は滅亡以外にはありません。

人類は滅亡願望なのでしょう。



2006年04月08日(土) お金の呪縛


先日、ある首都圏の地方の駅へ行きました。

昼過ぎで駅前は閑散としていました。

ベンチに一人の初老の男性が座っていました。

身なりや周りに置いてある所持品から、ホームレスの方だろうと思われました。

大柄な方でしたが、目を瞑り、つらそうな顔をして首を振っていました。


通り過ぎて、10分後にまた同じ場所を通りました。

そのときも同じ仕草をされていました。


多分私と同年代だろうと思いました。

なにか事情があってここに居られるのだろうと思いました。


そのまま帰ろうかと思いましたが、あのつらそうなお顔が気になりました。

このままではきっと何もしなかったことを後悔するだろうと思いました。


財布から1万円札を1枚出して、ティッシュで包みました。

「失礼ですが、よかったらカンパさせてください。」


ご本人はビックリした表情をされましたが、

「あ、どうもどうも・・・」と受け取られました。


数時間後、帰りに通るともう居ませんでした。

寒い風が強く吹いていました。


その後で気づいたのですが、体の力がストンと抜けていました。

その時、財布には1万円札は1枚しか入っていませんでした。

(妻はもっと持っているのを知っていましたからできたのですが・・・)


それを差し上げたとき、私は自分の中のお金の呪縛が消えたのでしょう。

あの方は私にお金は呪縛であることを教えてくれたのでしょう。


私はこころから感謝しました。


2006年04月07日(金) 自分が無くなる??


私たちがこの物質世界という3次元世界で学ぶことの中で、最も重要なことは自分の存在です。

私たちは自分について、あまりにも無関心です。


前にも書きましたが、2400年前、ギリシャ・アテナイで生まれたソクラテスはデルフォイの

神殿の巫女の託宣で「最も賢い者はソクラテスである。彼は知らないということを知っている。」

と言われたそうです。


私たちは自分がいろいろなことを知っていると思っています。

でも本当に知っているのでしょうか?


ではあなたはだれですか?

あなたはどうしてここにいるのですか?


自分の氏名ではなく、自分を証明することは本当に難しいことです。

ここにいまいる理由を正確に答えられる人はいないでしょう。


私は先日自分を消すことに成功しました。

この自分というのは、「自分という意識」のことです。


「自分という意識」とは、自分と信じている意識を言います。

これが私であるという意識のことです。


「自分という意識」を消すと、すばらしい世界がありました。

ここで皆様に公開することは、皆様が何十回も転生を繰り返して求めている答えを教えてしまう

ことになりますので、書かないでおきます。

もしあなたがどうしても知りたければ、来ていただければヒントをお教えします。


ただ言えることは、「意識がすべてである。」という真理です。

「自分という意識」が消えれば、自分という真理が消えるのです。


自分が作ってしまった感情や思いは、所有者がいないのですから消えていきます。

飼い犬を放って、飼い主が移転した状態と同じです。


所有者がいない宇宙は、すばらしい光に満ちています。

また自分の肉体も所有者から開放されて自由になります。


いまアセンションの時代と言われていますが、「自分という意識」の開放ができなければ

不可能に近いと思われます。


2006年04月06日(木) 北浦和バッチフラワーレメディ講習


先ほど埼玉県さいたま市北浦和で開催されたバッチフラワーレメディ講習から帰宅しました。

車を運転して行きましたが、3時間45分かかりました。遠かったです。


バッチフラワーレメディはお花のバイブレーションを水に転化させたものです。

お花には固有のバイブレーションがあります。お花をお部屋へ置くとそのバイブレーションが

お部屋を満たします。それでリラックスが進みます。


このバイブレーションは水に転化しやすいので、お花を摘んで来て、水に浮かべるだけでできます。

お花の波動水ですから無害です。例え効果が無くても害はありません。ですから最も安全です。


現在市販されている薬品は、必ず多少の副作用があります。

副腎皮質ホルモンを含む治療薬は、魔法のように皮膚を再生します。

しかしそれを止めたとき、ビックリするほど激しい反応(副作用)が起こります。

それで怖くなり、使用を止められなくなります。


医者はその副作用を知りながら、患者に副腎皮質ホルモンの入った治療薬を処方します。

「いまがよければそれでいい」としているように感じます。


もっと安全な治療薬の開発が待たれます。

それよりも、アトピーやアレルギーを引き起こす原因をなくすことができれば完治します。

バッチフラワーレメディは感情に直接作用して緩和してくれます。

LORANフラワーレメディは日本人には更に大きな効果があります。


2006年04月05日(水) なにを信じているのでしょう。


一生懸命努力して、結果を得ようとしてきました。
努力すれば報われると教えられてきました。
正義は必ず勝つと教えられてきました。
神様は見放さないと信じてきました。

しかし実際にはどうでしょう。
世界中に10億人も食料の不足している人たちがいます。
この人たちは神様からなぜ守られていないのでしょう。
先進国の人たちはそんなに神様に敬虔な人なのでしょうか。

貧しい国に住む人と豊かな国に住む人はまったく不平等に思えます。
でも豊かな国の人が全員幸せとは限りません。
貧しい国の人が全員不幸せとは限りません。

日本人は世界中で1〜2を争う豊かな国です。
日本人のうつ病の比率は世界一です。4〜5人に一人です。
日本人の自殺者数は3年連続33000人以上で世界一です。
日本人は世界一長寿国でありながら、世界一病人の国です。

世界一豊かな国はアメリカです。
アメリカは世界一の犯罪者数の国です。
世界一戦争をしている国で、何十年間も他国民も自国民も殺しています。

国が豊かでも平和でなければ、人々が健康でなければ意味がありません。
世界一豊かな国の最大の産業が軍需兵器産業では、いいことがありません。

このような世界になったのはなぜでしょう。
みんなが平和を願っているのに、神様はなぜ聞き届けてくれないのでしょう。

その答えは簡単です。
殆どの人が神様を信じていないからです。

信じているのはお金です。
つまり人々にとって神様とはお金のことです。

ですから祈りはお金に関わることになります。
「家族が健康で平和でありますように。」
(そのためにはお金に困りませんように。)

こうして貧しい人も豊かな人も、お金に支配されています。
それを疑問に思う人はいません。

「お金をもっとよこせ」と言うデモはあっても、
「お金を廃止しろ」と言うデモはありません。

宗教団体も「神仏を信じろ」と言いますが、「お金を廃止しろ」とは言いません。
寄付金を集めて、有効に使いましょうと言います。

つまるところ「お金」が世界を支配しています。
その「お金」は誰にも否定されていないことが悲劇の始まりなのです。


2006年04月04日(火) 自分が消えました。一つになりました。


今朝のことです。

「自分が消える。」と知りました。


この自分とは「自分という意識」であり、「自我意識」とも言います。


それから、ゆっくりと自分が消えていきました。

最後のところで、一瞬「自分はどうなるのだろう?」と思いました。


そして消えて無くなりました。

自分が無くなりなした。


そこには広大な世界がありました。

宇宙空間が光に満ちて存在していました。


私はいませんでした。

個人という自分は存在していませんでした。


大きな宇宙そのものであり、それを見つめる者でした。

ただなんの感慨も、思いもありませんでした。



数日前、瞑想中に「宇宙になりなさい。」と言われました。

でもどうしたらなれるのか、わかりませんでした。


私自身の頭ではどうにもならないことでしたが、私の内部ではそれに向けて準備が

始まったのでしょう。

その結果が、今朝の出来事でした。


今から10年ほど前、自宅の仏壇へ1年間の仕事が終わったことを報告していました。

お釈迦様へ感謝を申し上げたとき、自分の体の中が急に膨張し、果てしなく拡がりました。


そのとき、「お釈迦様は宇宙だったのだ。」と知りました。

そして今朝、私は同じ状態になりました。


ここまでお導きいただきましたすべてに感謝しています。


LORAN |MAILHomePage

My追加