ぴんよろ日記
DiaryINDEXwill


2002年01月31日(木) 彼はいま、どこの空の下。

昨日、コピーするものがあってコンビニに寄った。
一軒目のコンビニにはコピー機が無くて、
「コピー機のないコンビニもあるんだ」と思いながら、別のコンビニへ歩く。

30枚くらいあったので、次々とページをめくってコピー機にかける。
絵が飾ってある。
オードリーヘップバーンの絵。鉛筆画。
サインはない。
でも見覚えはある。

彼の絵に違いない。
このコンビニの、交差点を挟んでちょうど対角線上にある、歩道橋の下。
そこに住んでいた、彼の絵だ。
最近いなくなってしまった、彼の絵だ。

小さいころから、彼はいた。
いろんな噂が飛び交っていた。
戦争に行って帰ってきてみたら、自分は死んだことになっていたので、
それ以来、空を屋根に暮らし始めた、という話もあった。

段ボールを積んだリヤカーには、
古い映画のスターを中心に、細かいタッチの鉛筆画が飾られていた。
世の中への批評めいた言葉をレタリングしていたことも、しばしば。
ジェームス・ディーンの絵を、若いお兄ちゃんが買っていたのも見たことある。
でも、絵の輪郭だけは、なんか写真をなぞりながら別の紙に描くっていう、
アイデア商品みたいなので描いてるのも見たことある。
お正月には、段ボールの家を、新しい段ボールにしていた。
読んでたのは、だいたいサスペンス小説。

でも最近、いなくなっていた。

その彼の絵が、目の前にある。

ひょっとしたらこの店は「家」の近くだから、
段ボールなりなんなり、お世話になっていたのだろうか。
そして何らかの理由で「家」を離れるにあたって、この絵を?

蛍光ペンをレジに出しながら、お兄ちゃんに聞いてみた。
「あの絵は、あそこにいたおじさんの、ですよね」
「あぁ、そうですね」
…やっぱり。じゃぁ、行方も知ってるかも。…
「あの人、最近いなくなりましたよね?」
「そうっすか?」

彼は、どこへ行ったのだろう。
「家」だったそこを見に行くと、
サンダルと、いくらかの紙があるだけだった。


2002年01月30日(水) 帽子とリハビリ。

今日はちょっと派手な帽子をかぶっているので面白い。
通りすがりの人の視線などが。
特におかしかったのは、背広に毛糸の帽子をかぶったおじさん。
その人のも、背広にかぶるには、ハテ?と思うようなもの。
むらさきの帽子に黄色の糸で刺繍がしてある。
色の組み合わせとしては、とても私好みで、同好の志かと思って、
すれちがいざまにその字を読んで、アララ。
だってねぇ、ホント、純粋おじさんだったんだが。
「HARRY POTTER」は無いと思うぞ。

いま、風邪その他もろもろの体調不良のリハビリ中なのですが、
今日は大きなひとつをクリアしました。
それはコーヒー。
大好きなコーヒーですが、ここ1週間以上、飲んでなかったのでした。
飲みたいな、あのコーヒーを飲む時間を過ごしたいな、と思いつつも、
胃のヤツがよしとしてくれないので、飲めなかったのです。
でも、やっと飲めた。
もちろん「最初の一杯」は〈カフェ平井〉で。(ここのコーヒーがいちばん好き)
そう決めていたので、昨日〈ハルビン〉で飲んでもいいかな、と思ったけど、
ミルクティにしていたのでした。
心配していた痛みも発生せず(胃の痛さの原因はもう「終わった」というのもある)、
「週刊朝日」を読みながら、ゆっくりおいしくいただきました。
さて、あとはお酒だな。

胃痛の大きな原因…猛烈な仕事の重なりの、その中でも大きかったひとつ。
市の観光ポスターのコンペ…。そう、「終わった」んです。落ちた。ショック。



2002年01月28日(月) あったかいもの2つ。

やっとストーブを買った。
やっとレンジがなおった。
とてもうれしい。

ここ1週間大活躍だった「仕事部屋」だが、ストーブがなかった。
当然寒い。一人でいるときは居間のファンヒーターを持ち込んでいたが、
さすがにもう一人いるときはそれができない。
でもそれじゃ「仕事」以外の重要な用途である「テレビからの避難」が実現しないし、
なにしろいちいちファンヒーターを移動させるのは、腰に来るのだ(涙)。
買ったのは、昔っぽいんだけど、でも今っぽくもある丸いストーブ。
「ムーンライター」なんて、小じゃれた名前も付いている。
白くて円筒形の、よく上にヤカンを乗せるのがありますよね。
あれを小ぶりにして、シブいグレーにしたものなんです。
ホントは「白くて円筒形の」を買おうと思ったんですが、妙にかわいらしくて、
しかも燃えている部分がランプのように…。
あ〜、説明は面倒なので写真を乗せよう。
思いっきり「ヤカン禁止」と書いてありましたが、ヤカン、乗せてます。
ヤカンは佐世保の雑貨屋さんで買った、パキスタン製のもの。
だいぶ前に「ストーブに乗せるぞ!」と買っていたのでした。

オーブンレンジは、数カ月前から使用不能となっていたもの。
レンジ機能はまだいいんですが、パンやお餅が焼けないことに対して、
徐々に寂しさが募ってきていたのです。
妹が一人暮らしをしていたときのものの「おさがり」なので、もう寿命なのかなぁ、
と思いつつありましたが、なおしてみればドアひとつの問題でした。
自分でもドライバー持ってチャレンジしようと思ったんですが、
(電化製品いじりはけっこう好き)
よく分からず、一応、機械科出身のダンナに頼んでいたものの、ちーともやらず、
「グラタン食べたい」と言っては、私からイヤミを言われ、
大きな墓穴を掘っていたのですが、ついに重い腰を上げたようです。
さっそく昨日の朝、冷やご飯をチンしておにぎりを作りました。
今日は、ずーっと食べたかったガーリックトーストを作るつもり。
なんかの本にのってた、バケットにたくさんの切れ目を入れて、
にんにくオリーブオイルをたっぷりたらして焼くというもの。
野菜スープと鶏のカリッと焼いたものなども一緒に…あぁ、夢は広がる。

あ、ちなみに最近スープは和も洋もぜんぶ、土鍋で作ってます。なんか、味が違います。
そうだ、今日は中くらいの土鍋を買おうっと。

冬は、寒いけど、あったまる楽しみがあっていいですね。



2002年01月26日(土) シューン、の空間。

何日か前、昼間に家に帰っていたら、電気のメーターの取り替え工事があっていて、
工事のおじさんから「あとで5分くらい電気が止まります」と言われた。
部屋で魚たちを眺めていたら、バンッと電気が落ちた。
魚たちのブクブクも、冷蔵庫の静かなウィーンも、
テレビやビデオの聞こえないような、だけどやっぱり存在する音も、
なにもかもが止まった。
空気がパッと止まって、シューンと落ちてくるような時間が流れる。
シューン。
上の部屋の子どもの足音が響くけれど、基本的には、しみいるような静かさ。
なんか、じーんと来た。
電化製品というものは、何もしなくても割と音がしていて、しかもそれには慣れている。
でも、本来の世界って、もっと静かなものなんだ。
私が住んでいる部屋は、もっと静かなところなんだ。
5分間、だったのかどうかは分からないけど、妙にありがたい時間だった。
ずっと続くと肉は腐るし魚たちは死んでしまうけれど、
これから先、たまにはブレーカーを落としてしまうかもしれない。
それくらいクセになりそうなひとときでした。


2002年01月23日(水) 病人だより

昨日は久しぶりに本当に具合が悪くなった。
ナマケモノ(根性じゃなくて、動物の)のような動きしかできない。
食べ物の本を見ても全然魅力を感じない。(これはショック)
感覚も、当然のことながら体力勝負だと実感いたしました。
いやしかし、あんまりお上品な話じゃないですが、
1時間に3度も4度もトイレに行くのは大変でしたばい。
ホント、消耗って言葉がピッタリ。ディスイズ消耗。
昼は何にも食べられなくて、アクエリアスを点滴代わりに飲んで、
「あー、アクエリアスって、昆布エキスが入ってんだ〜」なんて思ったりして。
「必殺仕事人」を久しぶりに見た。
藤田まこと、山田五十鈴、中条きよし、三田村邦彦、鮎川いずみの、
私の中ではベストメンバーのもの。
仕事人って、個人行動のゴレンジャーみたいだな、と思う。
エンディングテーマの「思い出の糸車」も声を合わせて歌った。
夕方には「水戸黄門」を見た。
これは、イカン。日本人の悪い部分を「良きもの」「当たり前のもの」として、
増幅、定着させた罪は重い。個人的に俗悪番組と認定。
夜はダンナにうどんを作ってもらいました。
ワカメは食べきれなかった。
イチゴを3粒。
今日3本目の時代劇、ナントカ斬九郎を見る。けっこう面白かった。
ガチンコも見る。病人とは、テレビを見るものなのか…?
(ダンナがテレビ好きで、元気なときは抵抗したり別の部屋に行ったりできるのだが、
抵抗もできず、ましてやストーブのない隣の部屋にも行けず、という消極的理由)
ガチンコは、もう、ファイトクラブは飽きた。
いま一番好きなのは「どアホウ大リーグ」。あの先生のドライでクールな感じが笑える。
来週あるようで嬉しい。
正露丸の「止寫薬」の「シシャヤク」の「シャ」って、「シャ」を「止」めるって、
なーんか、リアリティたっぷり、なんて、小間切れな思考が続く。
たまには病人も悪くないけど、やっぱり具合が悪いのはイヤだからいいや。
(でもまだ治っていない。フラフラ〜。
ちなみに今日の昼食は、朝から取材だった国見町にある「塚本梅陽堂」の「バタどら」。
バターを挟み込んだどら焼き。パッと聞き「ゲッ」と思うが、妙にうまい)


2002年01月21日(月) 仕事場で仕事。

最近仕事場で仕事をしている。
一月ほど前から眺めのいいマンションを仕事場として借りたのだが、
まぁ、私ほどの売れっ子ライターにもなれば、
部屋の一つや二つ借りていてもおかしくはないだろう。

というのはもちろん悲しいほど真紅のウソで、
物置と化していた部屋を、一月ほど前にちゃんと掃除して、
仕事場として整備しただけの話だ。

それまでは茶の間、っていわないのかな、リビングでやってたんだが、
(リビング、ってのもこっぱずかしいな)
やっぱり、仕事場、というのはいいなぁ。とってもはかどります。
特にここ数日は、切実に仕事をしなくてはいけなかったので、
ちゃんと年末年始に掃除して、仕事場を作っていた自分に感謝しました。

でも気を許すと、すぐに洋服などが放置されてしまう。
昨日、一昨日、一昨々日と、地層になっていく。

今年はこの仕事場をきれいに保ちつつ、ばりばり仕事したいと思います。
やっぱり凡人は形から入らにゃなぁ〜。


2002年01月17日(木) 文章にもいろいろある。

あまりの仕事量に、ちょっと逃避タイムです。

お昼、ボーっとした顔で近くのうどん屋さんに行くと、
「テレビ、見てますよ」と言われた。
あんまり、というかほとんど言われることはないので、ビックリしていると、
「テレビとは感じが違うんですね」と言われた。
そりゃそうだろう。
ただでさえ普段はボーっとしてるし、
(注・テレビではあれでもずいぶん早くしゃべってます)
今日はそれに輪をかけて、途方もないお仕事を背負ってるんだから。

でも、イヤじゃない。好きでやってるので、きついけどイヤじゃない。
好きなことを仕事にできていいね、と言われて、
ちょっと前までは「だからきついこともある」とか何とか言ったりしたけど、
もうそんなこと言わない。
きついけど、イヤじゃない。それが好きなことを仕事にするってことだ。

ちなみにいまのしかかっているのは…
ふふ、1ヶ月後には誰もが手に入れようと思えばできるもの。
でも私が書いたとは分からない。

広告の仕事は、署名原稿でもないし、好きなことを書くわけでもないし、
変な言い回しなんかも使えない、とても制約の多いものだ。
でも、これが、面白いんだ。
限られた材料で、できるだけ美しいものを作る。
そして何と言っても、それでモノを売る。

売れるといいなぁ、マンション。
たくさん成約するといいなぁ、結婚式。


2002年01月14日(月) まだ観ぬ大地。

旅日記をちょっとひと休みして、こんなこと。

これからしようと思っている「うれしいこと」がひとつある。
それは「映画を観ること」だ。
私は全然映画を観ていない。一月に一本も観ない。映画館に行くのは年に2回くらい。
例えば何かものを書いたり表現したりする人間なら、
映画をたくさん観ていなくてはならない、そんな教訓めいたものがある。
「そうなんだろうなぁ」と思いつつ、心と映画の距離は遠かったのだ。
でも、最近「観たいなぁ」と思うようになってきた。
しめしめ、と思う。
自分の中で、すずめに米をまいてわなを作っている感じだ。
有名な「小津安二郎」や「ヒッチコック」なんてのも一本も観てないので、
逆に楽しみでしょうがない。

今まで観た映画の中で好きだったのは、
「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」というもの。
おすぎさんが雑誌で誉めていて、
その誉めた点が自分のツボと合っているような気がしたので。
原田芳雄のダメ男ぶりが良かったのを覚えている。

いちばん泣いたのは「さようなら対馬丸」。…。公会堂で観た。…。
あ、これは言える。いちばん後味が悪かったのは「セブン」。
いま思い出しても最悪な気分になる。
映画が嫌いなわけじゃなくて、観るのに腰が重いだけで、
だいたいどんな映画も観ると何かしら「面白かった」と思うのだが、
「セブン」だけは観たことをいまだに後悔している。

寅さんなんかもじっくり観たい。

ま、そんな程度なので、これから広がる自分の映画の世界に期待しているところです。


2002年01月09日(水) 鹿児島最終日、熊本でショック。

「いか」の朝は早い。
私たちにしては珍しいというか、まれというか、早起きする。
早起きしかすることがないと言ってもいい。
宿を出ると、車が完璧に潮をかぶっていて、オットは暗い顔をしている。
でも坊津の町はとてもいい雰囲気で、こんなにも寒くなければ、
たっぷり散歩&写真撮影をしたかった。でもでも寒いので、車に乗る。

笠沙は焼酎の杜氏をたくさんだしているところだ。
長崎で言えば小値賀のような存在なのだろうか。「笠沙杜氏」という言葉もある。
このあたり、薩摩半島の南西部分は、とっても海岸線が複雑で、対馬にも似ている。
昨日訪れた「立神」というところなど、ビューティフルな断崖絶壁が広がっていて、
岩好きにはこたえられない場所だった。波もドカーンと上がってたし。
そんな複雑な海岸線に沿って、どんどん車を走らせる。風が強くて、猛烈な白波。
…白波?し、ら、な、み?そうか!これって、本物の「さつま白波」ではないか!
ただこの日の風が強かったから、たくさんの白波が立っていたと言えば言える。
でも、私がこれまで見た白波の中でも、
特に美しく、たくさんで、印象に残る白波なのだ。
あぁ、さつま白波。そう思うといよいよ見ほれてしまう。
(後日その話を鹿児島旅行をしたばかりのハハにすると、
ハハもそんな白波を見たらしい。だからきっと、白波は「さつま」名物なのだっ!)

ということで笠沙。「焼酎資料館」がある。ここでしか買えない焼酎もあるらしい。
はじめは「入場料を払わずに、売店で焼酎だけ買う」と予定していたが、
焼酎を買って、さらに抽選で当たった人しか買えないという焼酎の申し込みもして、
やっぱり資料館も見てみることにした。
お客は私たちだけ。電気が私たちのためにスイッチ・オン。
係のおばさんが「びっくりしないでくださいね」と言う。
ガラリと入ると、いきなりハゲのジイサンが、焼酎を飲みながら座っていた。
ジイサンは笠沙杜氏のことについて、いろいろ説明してくれる。
電気の不調で、ジイサンの次に見るべき「立体映像で見る、焼酎の作り方」が出なくて、
もう一度電気のスイッチを入れ直してもらうと、ジイサンはまた一字一句違わず…。
あぁそうさ。人形さ。
暖房が入っていなくて寒かったので、足早に立ち去る。

野間岬という、鹿児島の「とっぺさき」があって、そこに行きたかった。
野間の街まで来ると、岬は見える。車で行こうとしたが、道が無くて行けなかった。
見えていても行けない。そんなところがあっても、まぁ、いいものだ。
野間の海辺には、犬のように繋がれたヤギがいた。2頭も。
話しかけてはみたが、犬猫のような反応はナシ。

果てしなく続く「さつま白波」を眺めながら、鹿児島市内に戻る。
昼食は〈さつま路〉で郷土料理の定食。芋焼酎お湯割りを1合たのみ、至福の時。
定食はいちばん安いので2000円もするのに、焼酎は200円。さすがだ。

〈薩摩蒸気屋〉で「かすたどん」を購入。もう、ベタベタな観光客ではないか。
ベタベタついでに〈むじゃき〉で「しろくま」を食べる。(ミニサイズを2人で)
店は三流ファミレスみたいだし、店員はやる気マイナス100%だったが、
「しろくま」はおいしかった。でももうあの店では食べたくない。

高千穂の神々しい美しさを眺めながら、熊本へ北上。
大好きな〈カルカッタ〉でカレーを食べて帰るんだ!

メニューを見ると、なんか、客を突き放した感じが漂う。
ここ数年、徐々にドライな感じに移行しつつあったのだが、
今回のメニュー改正は、なんかわざと客離れをうながしているような…。
前だったらカレー1種類とチャイまたはラッシーがセットで800円、
そんな友好的メニューがあったのに、
今回はいきなり1000円を超えるセットしか無い。しかも飲み物は別。
どうしたのかなぁ、なんて思いながら、でも大学の時から大好きな、
カッテージチーズのカレーが入ってたりして、おいしく食べた。
チャイ(別売り)を頼んだところで、宮崎さん(という人が店主です)が、
「店は、3月でたたみます」。
えっ、あ、そ、そんな、うー、しょ、ショック〜。
この店は、私の大学時代を象徴する空間のひとつだった。
ふらりと散歩して、お腹が減って、おいしいカレーを食べて、ちょっとしゃべって、
お酒も飲んで、あるいはじっくり話して、いろんな人がいて、いろんなことがあって。
この店が無くなるってことは、そんな時間が、遠くなるということ。

だけどいろいろ話して、とても納得した。
あ、別に経営が苦しくてたたむわけではないんです。
店を開いて12年、ちょうどひとまわり。
自分も、お客さんも、街も、変わらないものは何一つ無くて、
もうここでやることはない、というところに着地した、そんなところです。
1年くらいしたら、小国でまたやるだろう、とも。
それは、そうなんだろうと思う。
「ものみな移り変わる(by仏教聖典)」。目に見えることは、どんどん変わっていく。
だけど、そこには変わらないものもある。
たとえば私がその店で、たくさんのいい時間を過ごしたということ、
その時間が、今の私の一部を作っているということ、など。

そして、聞こうと思っていた、どんとのことを聞いた。
どんとがソロになって初めての熊本でのライブは、宮崎さんが主催したらしい。
本人は知らなかったが、この店でもよくライブをしていた人が、
胴元になってくれと言ってきたらしい。「変な男だったな〜」と回想してくれた。
車の運転など、社会的なこと(?)が苦手なようで、
店の前のブロックで思いっきりこすったらしい。ガリガリガリ〜って。
「でも、死んだって聞いたときは、不思議と、全然不思議だと思わなかった」
なんか、わかる。
いま、宮崎さんの子どもさんがどんとを大好きで、しょっちゅう聞いてるらしい。
なんか、わかる。

さて、そんなこんなで話は積もり積もり積もり…。

初日のことを思い出していただきましょう。

私たちは、フェリーの、往・復・券を、買いました。

もうおわかりですね。

「陸路でGO!」

めでたしめでたし。






2002年01月08日(火) モチとスナとイカのギャップ。〜鹿児島2日目〜

鹿児島には甘くておいしいものがいろいろある。
長崎の「甘さ」とはちょっと違う、どこか濃い甘さ。
糖度はおなじくらいなんだけど、長崎の方が線が細い…あ、でもかるかんは違う。
直方体のかるかんを食べたときは、軽いショックを受けた。
材料は山芋と砂糖と粉だけだったと思う。いたってシンプル。しっとりふわり。
鹿児島における「カステラ的存在」のかるかん。有名な店が2軒あるというのもおなじ。
カステラが「福砂屋」「文明堂」なのに対して、
かるかんは「明石屋」「江戸屋」だ。(なぜどっちもよその町の名前なんだろう??)
料理や焼酎や人々の眉毛が「濃い」のに対して、かるかんはサッパリしている。
鹿児島とは思えないサッパリさ加減に驚いたのだった。

でも鹿児島のおやつといえば、両棒餅ですよ、奥さん。
「ぢゃんぼもち」という不思議な読み方をしますが、別にjamboなワケではない。
一口大のお餅が2つ、松葉を太くしたような二股の竹にさしてあって、
こんがりあぶってある。これにみたらし団子に掛かってるようなタレがたっぷり。
とっても好みの味なので、この日の朝ごはんにしようと食べに行く。
「まっぷる」にのってた「元祖」な店を目指して行くと、何軒もの「両棒餅」屋さんが。
「あれ?」と戸惑ってちょっとした空間に車を駐めると、
猛烈な勢いでオバサンが寄ってきた。
目指していたお店とは違う店の駐車スペースに、車をとめてしまっていたらしい。
「両棒餅?両棒餅?いま焼けましたよ、さぁさぁ」すっかり客に。
朝イチだったので、店内は寒い。桜島を見ながら食べようと思っていたが、見えない。
テレビからはニット界の貴公子・広瀬光治サマの麗しいおしゃべりが。
「な、なんやこいつは」とダンナが驚いていたので、
「私はもう10年も前から注目している」と(ほんとは5年くらい)言うと、
少し尊敬していた。
おいしいおいしい両棒餅。焼きたてで、もう、おいしいおいしい。
お茶をズズッと、こりゃまたおいしい。初めて食べるダンナも満足げだ。
「どちらから?」「長崎からです」「あー、サッカー」「す、すみませんっ」
(前日の準決勝で国見が鹿児島実業をこてんぱんにしていたので、
「長崎ナンバーは石投げられんかなぁ」と話していた。だから反射的に謝ってしまった)
「長崎は、私も行ったことがありますよ。呼子(よびこ、と読んでいたが)から、
壱岐も対馬も行きましたよ」
…そしてオバサンの「旅・とーく」が始まった。
「へー、けっこう旅行されてるんですか」
「はい。私、14ヶ国行ったことがあります」ひゃーっ!
昨日のボラレも驚いたが、
お世辞にもリッチに見えない両棒餅屋のオバサンが「14ヶ国」!
エンパイヤステートビル、ニューヨークの街の素晴らしさなどについて、
ようやくストーブの温もりが広がり始めた両棒餅屋で拝聴するひととき。茶がうまい。

さて、砂蒸しだ。砂蒸しをしたいんだ。蒸されたいんだよう。と、指宿へ。また虹を見る。
「鹿児島ラーメンを食べたい」とダンナが言うので、
コンビニに寄り、地元タウン誌のラーメン本を見てみる。
まぁめぼしい店を見つけて、入ってみた。
トンコツと味噌、1杯は餃子・ライスとのランチセットにする。
けっこう繁盛している。
でも出てきたラーメンはイマイチぬるくて、餃子は明らかに冷え気味。
まずい、というワケじゃなかったけど、ちょっともう、重くて残した。
焦がしネギが、鹿児島ラーメンの一つの特徴でもあるらしい。熊本は焦がしにんにくだ。
やっぱりどちらも「火の国」ゆえに焦げるのだろうか…。

すぐに砂に埋まるのは危険な気がして、わざと遠くにある、
そして景色の良さそうな砂蒸し温泉に向かう。
開聞岳や、真っ直ぐな道や、また出ていた虹など、快適なドライブ。
さて、温泉の駐車場にオジサンが立っていた。運転席に歩み寄る。
「すみませ〜ん、今日、水道管破裂しちゃって、臨時休業です〜」あいたた〜。
また開聞岳や、真っ直ぐな道や、虹は出てなかったけど、快適なドライブで指宿へ戻る。

砂蒸し、期待していた数倍も気持ちよかった。30分も埋まってた。
10分くらいで眠りに落ちて、10分くらい眠って、10分くらい虹を見ていた。
そう。埋まっている時に見える限られた空に、大きな虹が架かっていたのです。
虹を見ながらの砂蒸しなんて、人生にそう何度もありません。極楽のようでした。
(埋められる、という感じは、やはり生よりも死を感じさせます)

それにしても、温泉街にはフランス国旗。
また変なテーマパーク(フランス温泉村とか)でもできるのかと思ったら、
ワールドカップのフランスチームが合宿するらしい。
ということは、するんだろうか、砂蒸し。するんだろうな、砂蒸し。
ズラリと並ぶ浴衣(つんつるてん)のフランス人。
タオルを頭にまかれるフランス人。
オバチャンたちにざくざく埋められるフランス人。
ひょっとしたら身長高すぎて互い違いに埋められるかも知れないフランス人。
どんどん蒸されるフランス人。
フラフラになるフランス人。
あぁ〜見たいよぉ〜!(5月のニュースは要チェック!)

魚料理を出すという、こじんまりしてそうな旅館に電話してみる。
「鳴海旅館」。名前も渋い。そしてとっても感じのいいご主人。
値段や料理のことなどをしつこく尋ねても、親切な応対。もうけ心もあまり匂わない。
部屋はぜんぶ海に面しているらしい。
ねぇ、ここまで整えば、誰だって期待するわな。
少なくとも、和風のたたずまいは想像するわなぁ。瓦の屋根、ですわなぁ。
もっと少なくとも、部屋は、畳ですわなぁ〜っ。

鉄筋コンクリートの古びたビルに入る。キーを受け取る。うっ。
私たちの部屋は「いか」。「いか」。「いか」。今夜は「いか」に寝るのだ。
2階の「いか」に案内される。「いか」の扉が開かれる。
「いか」には、2つ、ベッドが並んでいた。「いか」ぁ、畳はぁ、旅館ライフはぁ〜。
どうしてなんだろう、何十年か前にカッコイイつもりでビジネス形式にしたのかなぁ。
隣の大部屋「まぐろ」は畳だったが、小さい部屋は全部ベッドのようだ。
「いか」は寒い。
ちっぽけなエアコンからは、最強にしてもちっとも温くない風がスカ〜っと。
「たぶん…」と思ってフィルターをチェックすると、やはり詰まっていたので外す。
確かに窓の外は海。荒れる海。吹きすさぶ風。巻き上げられる潮。(翌朝車は潮まみれ)

畳ならすることがなくても過ごせるのに、なんでベッドだといたたまれないんだろう。
どんなに色調節しても強い黄味が抜けないテレビの下ある週刊誌を手に取る。
(こんな時に限って、ガイドブック以外の本を持ってきてない)
何人の人が、こうやってこの本を手に取ったのだろう。めくりながら全身の力が抜ける。
「いまやダメ首相」という文字の横で含み笑いをしているのは…小渕さん…。

まー、万事が万事、こんな感じ。広くて寒い大広間で食べた料理もネ!
「いか」に戻って、いつもだったら見ないような「女子アナ勢揃い!」を見ると、
りえちゃんが映ってて、映るたんびに「あっ」とか「来たっ」などと、とてもなごむ2人。
でも「いか」で見るりえちゃんは、真っ黄色…。

一生分の「サンデー毎日(他の部屋からも集めてきた、いたずらなバックナンバー)」を、
持ち込んでいた焼酎「桜島」とともに10冊ほど読み尽くし、寝る。







2002年01月07日(月) カモメ・ボラレ・ノンダクレ 〜鹿児島1日目〜

旅に出る、と思いつつ、ダンナは免許の切り替えに。
今日手続きをしないと「無免許になりますよ」ということらしい。
その場の雰囲気に負け、
安全協会にお金を払った自分を責めつつ帰ってきたので出発。
もう昼なのでゴハンを食べる。飯盛の「すぱいす」というお店だ。
「リブなが」で見ておいしそうだったので入ったが、
目当てのコロッケカレーはなかった。
その他にも「中止」されたらしいメニューが、
上に張られた紙でその存在を主張している。
この店に限らず、あれは悲しい。
1つ2つならまだしも、全体の10%を超えられると、もう…。
他にもいろいろと指摘したい事項があり、
店を出てからも「すぱいす再建策」について話し合う。
あ、カレーはけっこうおいしいんですよ。
少なくとも西彼の「ウッディライフ」よりは。だからなおさら。

天気が不安定。虹と国見の準決勝を見ながらフェリー乗り場へ。
有明フェリーの時間が合わなかったので、島原港のフェリーに乗る。
「往復で買うと帰りは半額」というのにグラついて往復で買う。
自分たちの性格もかえりみず。
「カモメのエサ100円」も買う。ビニール袋一杯の食パンの耳。
すごかった。「すごい」という言葉の安売りはよくないと思うが、これはすごい。
あんなに飛んでいる鳥の姿を間近に「見続けた」のは初めてだ。
カモメがどんどん押し寄せてくる。パンをまく。カモメ食べる。船は進む。
カモメ遅れる。カモメダッシュ。パンをまく。カモメ食べる。船は進む。これの繰り返し。
ずーっと見ているとラリってしまいそうだ。
1本足のカモメも見た。
「足がない」ということに関して、カモメと人での「重さ」はどう違うのだろうか。

八代から高速で鹿児島へ。天気が悪くて霧島は見えず。
もう日が暮れていたので桜島も見えず。
安いビジネスを当日予約して、天文館へ飲みに行く。
「焼酎天国」という素晴らしい名前の店に行こうと決めていたのに、
つい魔が差してしまって、その数件となりの奄美料理の店に入ってしまった。
バカバカ。
タコ刺しはおいしかったし、他の料理も、中の下くらいの味ではあった。
でも、食べている途中から、ひしひしと「ボラれ」の予感が高まってきて、
「たぶんねぇ、7、8千円取られると思うよ」とダンナに言ったら、全然信じない。
生2杯、焼酎(うすぬるいお湯割り)2杯、刺身1人前、アオサと貝の天ぷら、
パパイヤと塩豚炒め、豚骨煮込み(これはまずかった)。全然お腹一杯になってません。
もちろんまったく酔ってません。さていくらでしょう。
私の勘も磨かれてきたものだ。8千円である。ひゃー。
さらにカウンターに座っていたオッサン2人が、もう、店の女の子にセクハラ状態。
スナックかと見まがうほど。
でもスナックだと思えば値段も雰囲気も説明が付くので、そうなのかも。

そそくさと「焼酎天国」に腰を据えて飲み直し。
「1杯100円からです」と言われて涙が出そうに。
キビナ刺し、つけ揚げ(さつま揚げ)、地鶏たたきと、焼酎数知れずで4000円。
なーんか、話が盛り上がったことは覚えているが、何話したかなぁ。

ゲーセンでエアホッケーなどして、お寿司を買って部屋に戻った。

…ふだんとあんまり変わりませんね。


2002年01月06日(日) 旅の前の旅のような1日

今日は旅のような1日だった。
昼過ぎに家を出て「くらた」を遠くからチェックしたら満杯だったので、
以前から気になっていた飽の浦の食堂に行って、散歩しようと思った。
宝町まで歩いてバスを待っていると、誰かの陰謀でもあるかのようにバスが来ない。
自分が結婚式をしたホテルの前でボーっと待っているのも変な気分。
ホテルからお母さんとおばあちゃんに守られて、
太った小学生男子が出てきた。いかにも守られまくりの生活をしている顔だ。
でも時折、下を向いたときなどにとても暗い表情をする。
人知れずカエルを踏んで殺しそうな。
私がジーッと見ているとイヤそうだ。そりゃイヤだろう。もっと見てやった。

飽の浦の食堂は、思っていたよりも数倍所帯臭くてツラかった。
その家の台所の延長線上にある食堂という感じだ。
弟に作ったはずのオムライスを兄ちゃんが食べたと言っては、
飲食店では出てこない方がいいようなレベルの風邪を引いた母親が怒鳴りつけている。
一瞬そこの「いちばん上のお姉ちゃん」になった気がしていたたまれない。
チャンポンの味は、食堂系のあっさり味だったが、味わう気持ちの余裕がない…。
これこそ真の「家庭的」とも言える。暗い気持ちになりたくなったらまた行くかも。

飽の浦から稲佐まで、あっちウロウロ、こっちウロウロした。2時間くらい。
そしていろんなことを考える。
ぜんぜん高級そうじゃない犬猫や、知らなかった神社仏閣などを見て回る。
小さなお好み焼き屋さんも何軒か見つけたけれど、また行けるかどうかは分からない。

疲れたのでバスに乗って浜の町へ。
最近見た中でいちばん人がいた。うようよわらわら。
半年ぶりくらいに、ちょっと「きゃーぶり」さんが行くようなカフェに行ったら、
期待をはるかに超えた人たちがいてうれしかった。とってもおしゃれな人たち。
その人たちから見ると、私なんか寝間着着てるようなもんだろうなぁ〜。
みんなが少しずつ背伸びをした、だけど内容が詰まっているわけでもない会話を、
聞くでもなく聞きながらビールを飲んで店を出ると、ばったり両親と会った。

いつもとは違う方から回るバスに乗る。
15年ほど前によく乗っていたルートだ。よく、というか毎日。
だけど全然違う気分で、やっぱり気持ち次第で景色なんかいくらでも変わると思った。

今夜は朝から決めていた味噌鍋だ。そして明日からは、本物の旅行。
鹿児島か宮崎、また行き当たりバッタリの旅だ。


2002年01月05日(土) あー、これで簡単に…。

日記専用のジオシティのようなものを発見して、
あのわずらわしい更新作業をしなくてもいいのだと分かった。
ちょっとした手間が、日常生活の習慣には重要だ。
ということで、これから更新が増えるでしょう。
書きたい気持ちはあったので。
ゴハンのことも、ボチボチ書きます。昼夜を問わず。


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