的といじの日記
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2003年03月27日(木) 蛍光灯

蛍光灯の光を浴びていると、気分が悪くなる。
太陽の光を浴びていないと、滅入ってしまう。
それにしても京都の冬は曇りがちだ。
一日中晴れていることなどせいぜい月に2、3日程度だ。
つまりやたらと蛍光灯に照らされている時間が長いのだ。
バイト先のコンビニで、図書館で、喫茶店で。
部屋にいても昼間から薄暗く、蛍光灯の出番である。
”つらい冬、待ち遠しい春”という表現になんら違和感を感じることは無いけれども、実家にいた頃は冬はただ寒いものだった気がする。それにたいして、京都の冬は寒いというよりも、何より暗くそして重い。沈んだ気分をさらに落ち込ませる。自殺を煽っているかのように。この旧都は千年来の発狂天国なのかもしれない。京都人は自ら閉鎖的だと自負するが、そもそも気候からしてよそ者を受け入れない風土なのだ。
 ところが、ひとたび春がくれば、全国から観光客が殺到する。人ごみを横目に自転車をはしらせると、皆揃って談笑している光景が目に入る。実際のところ精神的にも快適な季節は一年のうち春と秋のわずかな時期しかないのだが、その期間というのがちょうどうまいこと旅行シーズンにあたっている。ひょっとすると、京都観光カレンダーが連休を決定してきたのではないかと勘ぐってしまう。
 


2003年03月04日(火) 最近なんか

随分大雑把な感想なのだけれど、最近テレビにやたら食べ物が映っている気がする。密かに思うことがある。人間の根源的な欲望といえば、食欲、性欲、睡眠欲であり、生活の基本は衣食住である。このうち何故食がクローズアップされるのか。消費の側面から考えると、まずどれだけ眠っても当然のことながら財布の紐は緩まないし、服だの宝石だの装身具はそう毎日購入するものではなく、ましてや住居など一生の何度も移るものではない。こう考えると残るのは胃袋と下半身。しかし、公共の電波にはやはり制約が多く性欲を刺激する情報を流すには何かと都合が悪い。一方人は何かを食べないと生きていかれないし、また食べるということ忌む風習は今のところ見当たらない。逆に温泉とならんで旅行の主目的にもなっている。そのため現在のところ、食欲を異常に刺激し続けたとしてもところで誰もそのことを批判することは出来ないのだ。


2003年03月03日(月) なんと一年ぶり

 気がつけばなんと一年ぶりの更新ではないか。これでは日記が年記になってしまう。(我ながら下らない表現だこと)
 CMの法則を一つ発見した。子供向けのCMには必ず耳に残る、節回しが用いられる。幼稚園の”おうた"よろしく、お子様たちが容易に口ずさめるように(正確には”わめきうたう”ようにというべきか)作詞作曲されている。単なる子供だましというなかれ。この技法の真のターゲットは当然子供ではなくその親の財布である。例えばこの種の音楽は、いかにも子供の大好物といった食品(例えばグラタンとか)のCMにも多用されている。いかに耳障りがよくとも若いお母様方が簡単に洗脳されるとは思えないけれど、子供の方は無邪気にそのフレーズを”お気に入りに追加”してしまう。その結果、夕方のスーパーで”これがいい”と大声でねだる子供と当惑するその親という光景が全国各地で今日も見られるのだ。その姿をみているといつもいたたまれない気分になってしまう。 


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