長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2008年12月22日(月)

 水村美苗女史が新刊を出したのは知っていたけれど、新聞に書評が載っていたのを改めて見て、欲しくなった。まだまだ私は学問に繋がっていたいらしい。……まあ、あれだ、某慶應の教授の別荘に一泊してしまうほどには、繋がっているわけだ。(この件に関しては教授の秘書的立場にいらっしゃるお友達なくして有り得なかった珍事だけれども)

 ずっと、ずっと、抱えていた感覚。

 痛みはいつだって疼くように灼けていたから、其処に砂糖を塗り込んだって甘くなるわけが無くて。其れでも夢を見てしまうことに、多分単純な理屈なんか無い。嗚呼、もう、其れを衝動の一言で済ませたくは無いのだけれども。大体、あれだ、「この日の為に20年以上我慢してきたのでしょう?」なんて言われたら、泣きたくなってなるじゃないか。今まで、こういう風に私を理解してくれた人なんて、皆無だったのだもの。つまり、あれだ、こういう理解を示してくれるのは、其の人が同じような経験をしたからだ。高卒まで、大卒まで、尋常ではない我慢の上に今の自分が在るのだと、認識しているからだ。私が高校生の時に当時の私を理解してくれた人に、私は感謝している。大好きだと思う、今でも、憧れだ。其れとは全く別の次元で、今もまた此の出逢いに感謝している。――どちらも年上なんだなぁ。同い年以下が在り得ないのは、経験値の差異なのだろうか。嗚呼、もう。



2008年12月21日(日) 衝動への考察と資本主義

 筑紫一泊旅行。

 年末年始の強行軍第二段・福岡。
 まだまだ左耳を庇う為に飛行機は乗ることが出来なくて、片道五時間かけて新幹線で南下。……実家に帰るときは流石に飛行機だ。夜行電車でなんか帰れない。

 何だろう、福岡の、この、独特なノリ。

 奄美は島なので別として、九州は初上陸。沖縄本島に上陸したときよりも違和感なく居られたのは、北海道-沖縄、ではなく、関東-九州、だったからかも知れない。殆ど空気の差異も感じなくて、其れが逆に不思議だと思うくらい。
 上陸した土曜日はまだ泣いていない天、夜半からは涙を流し始めて、日曜日は降ったり止んだりの空模様。この断続的な旅はずっと天の涙と共に在るのかしら。

 土曜日は取り敢えず旅第一の目的達成。
 日曜日は太宰府天満宮だけ参詣して、予定より早い新幹線で帰路に就いた。――本当はもう少しのんびりしたかったのだけれども、何と無く、商業化の流れに呑み込まれた――宮が、ではなくて、宮に伴って私自身が呑み込まれた――気がして、疾く、太宰府を後にしたかったのだ。
 雨の煙る大宰府は見た目の雰囲気ほどには神秘さの欠片も無くて、唯、匂いだけはほんの少し天神辺りとは異なっていた。

 衝動。

 嗚呼、今回は衝動的に目的以外の観光らしい事(太宰府参詣を観光と断定できるのなら、其れは非常に背徳的な資本主義に則られている気もするが)をしたわけだけれども、衝動、うん、でも本能とは違う気がするな、今回は。
 旅は一時中断。残りは年が明けてから再開。もう少し、様々に、考える時間はある、筈。



2008年12月14日(日) 雪が溶けると。

 越後日帰り旅行。

 年末年始の強行軍第一段は新潟へ。因みに先行として第零段は先週の日曜日だったりするのだけれども。
 新幹線で2時間揺られて雨の北陸へ。夕暮れ時には霰も降ったりして、北海道ほどではないけれども関東に比べれば空気は雪の気配を孕んでいて。――当然と言えば当然、朝は雪が降っていたそうだから。私が到着した頃には、全て溶けてしまっていたけれども。

 雪が溶けると何になる――?

 そういう質問に、雪国の出身である私や、私の知る友人は、「春」と答えたけれども。雪が溶けても春にならない地域もあるんだな、なんて、改めて思ってみる。「水」なのかしら。それとも、もっと別の、何か。

 観光らしい観光はしていないけれども、一応目的は達成して、何よりも行きを御一緒したHさまと、帰りを御一緒したNさまと、其々色々なお話を出来たことは嬉しかったし。帰路は初めてのグリーン車――耳の調子が不明瞭である今、無理は避けたかったので――は、一度乗ったらやめられないという人の気持ちがよく解るほど心地良かった。強行軍の最後の方でまた乗ってしまうかも、なんて、思ったり。……金銭面では避けたいところなのではあるけれども。矢っ張りねー普通車より断然良いよねー。

 雪が溶けると。

 嗚呼、熱が生じるかも知れないな、なんて。
 今回の弾丸強行軍は熱を追いかける旅でもあるのかも知れない。北へ、南へ。東へ、西へ。非常に衝動的な旅で、各地巡るけれども目的は常に一つだけで。熱が生じたから雪が溶けたのではなくて、雪が溶ける時に熱が生じるのだ。最初は、とても冷たい――冷めた感情が底に、其処にあって、其れが溶けてゆく中で発熱してゆく。雪が溶ける原因は何だろう。熱は結果物だから、もっと直接的で止められないもの――其れが衝動なのだろうか。

 衝動。

 あれかな、起源だ。本能。理性では若干抑えられたとしても、完璧に制御することは出来なくて、ずっと訴えかけてくる――だから英語では衝動も本能も Instinct なのかな。

 雪が溶けると。

 何になるのだろう。春でもなくて、水でもなくて。其処に生じた熱は、何なのだろう。衝動が雪を溶かして熱が生じるならば、其の先は?



2008年12月11日(木) まだ世界は赤くて

 痛みがあるから、生きてゆける。


 痛いんだよね、服が擦れたり、不意に触れてしまったりすると。或いは何もしなくても、其処に痛みは訴えかけて来るのだけれど。これがあるから、今日を過ごすことが出来る、なんて。

 明日で今週の仕事は終わり。土曜日は荷物を受け取ったら次の日の遠征の準備を。初めての越後方面は心の兄上さま――と呼んでいるだけで実際は一回り以上歳の離れたお姉さまなのだけれども――と共に、凡そ一年振りの新幹線旅行。この年末から年始にかけては北から南から、日帰りだったり一泊だったりしながら週末毎に遠征を繰り返す、予定。耳の調子が悪くならないことを祈るばかり。薬は持ち歩かないとまだ不安が残るかな。


 日曜日は雨なんですって。残念。否、越後辺りだと雪に変わるのかしら。

 青空が 似合う あなたにも雨は 降る。



2008年12月10日(水) 久々の赫

 苛立ちの度合いが在り得ないくらいに高くて。


 昔から歩くのは嫌いではなかったけれど、中学の頃には無駄に学区内を歩いてみたり、高校の頃は徘徊と称して歩いてみたり、大学の頃は大学から家まで歩いてみたり、大学を卒業してからは横浜駅から海沿いを中華街まで歩いて更に山手を一巡りして折り返し横浜駅まで歩いてみたり、兎に角普通は歩かない距離を歩いて来た私だけれども。
 ――今日は、歩き足りない。
 青山から渋谷までは精々40分。早足なら30分。二駅分だから、メタボ対策には良い距離と言えるのかも知れないけれど。……苛立ちを抱えた私には、余りにも短過ぎる距離。道に迷うことが無いと断言出来るのなら、もう横浜まで歩いて帰りたかったくらい。帰宅してからも苛立ちは収まることを知らなくて、直ぐにシャワーを浴びたけれども矢っ張り駄目で、結局コレを抑える術は無いのだと実感したら、外に向けられることの無い感情は内側に向かうしかなくて、最終的に行き着く先はひとつしかない。
 切っても切っても足りなくて、いつもなら3、4本のところが今日は気付けば15本以上。線と、滲み出た滴に吐気を催さなければ、もっと切っていたかも知れない。
 昔はちゃんと冷やしてから切ってたんだよね。今は冷やしもしなければゴムで腕を絞ることも無くて、私は深く切る性質ではないけれど、空白の時間も相俟って力の入れ具合に途惑いながら愚かな行為に臨む自分が居る。
 本当は、切ることの代わりに歩いていたのよね。歩くことで、歩き過ぎることで、其れだけで良かったのに。歩くだけで足らないなら、私はいつだって切らなきゃいけない。


 触れたらイタイ過去だってあんだろう――なんて。


 今の環境に、色々と考えるところはあって。恵まれているのだろうと、自覚はしているけれども。其れ以上に。
 嗚呼、もう、信じられない。



2008年12月07日(日) 気になる声の、憧れの。

 嗚呼、こんなにも。


 思いがけぬ良い座席――5000超規模の会場で最前列センターブロック――で、気になる声の主、改め、憧れの声の主、の、笑顔に出逢えるとは。
 私の方を見て、だなんて自惚れたことは死んでも書けないけれど(ブログでそういう表現をしていた方をお見掛けもしたけれど)、此方を見て笑った、くらいの表現ならひとつの事実として書いても良いよね?
 絶対に、と言っても過言ではないほど客席とは視線を交わさない方だから(密かに物色している、なんていう噂もあるけれども)、最前列なんて絶対に、顔を向けては下さらないと思っていた。だから一曲終わった後に視線を、視線だけじゃなくて顔を、此方に向けたときは驚いて呆然としてしまったし(両隣の方達はきゃーきゃーと叫んでいたけれど)、其の上、笑って(微笑んで、ではないよね。フッて笑って)両手を振った時には、驚愕に思わず目を見開いてしまって、自分の行動に気がついたのは矢張り両隣の方達がきゃーきゃーと黄色い声を上げたからで、何が起きたのか把握したのは更に其の後だったような気がする。

 防音対策の為に耳栓した侭でごめんなさい。一年間、澱みなく追い続けた声の主は 気になる から 憧れ に。好きだなぁ、って感じたのは嘘ではないと思うから、この耳の聴力は兎も角耳鳴りと目眩の完治は望み薄だから、最後かも知れないという覚悟の下で年末年始も追い掛け続けることにする。


 過去も未来も、認めたから。










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