長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年10月30日(月) 唯ひとつのこと


 切らなければならない。


 そういう、奇妙な義務感を覚えている。



 持たないのは、体力? 身体が悲鳴を上げていることは知っている。それでも、私が休めない/休まないことも、知っている。他者からの幾つかの感情――身勝手な思いも、兇悪な第三者も、期待も、責任も、何もかも――は複雑に絡まり合って、私を縛り付けているのだ。仮令、私の背に翼が在っても、之では空は飛べまい。広げた瞬間に千切れてしまう。

 黄昏の時が迫る。

 酷く疲れている感じ。精神的な面も含めて――疲労の解消法もストレスの発散法も、私は知らない。内から外に押し出してしまうだけが、全てから解放される唯一の方法のように言われていることに疑問を感じている。其れは、確かに方法のひとつではあるだろうけれども。きっと、唯一ではない。



 重責から逃れたいのではない。
 本当は、理解してほしいと思っているのでもない。
 唯、ただ――――私の声を、言葉を、聞いてほしい、受け容れてほしい。それだけ。



2006年10月29日(日)

 一度切り始めると暫く止まらないのは、悪い癖だと、思う。


 今日は日曜日にも拘らず、大学へ。文化の日を含む一週間は学部の特別習慣で、学部の授業が全て休講の代わりに特別授業が展開される。其の準備にやら何やら、色々。
 休日返上の無料奉仕。折角の晴れた日曜日の昼下がりなんだから、お茶にお菓子で優雅にのんびり過ごしたかった。

 朝9時半には家を出て、帰宅は19時だから、真っ当な仕事と同じくらいは働いてきたわけだ。細々とした作業、買出し、等々。勿論帰宅してからも残りの作業を続けるわけで――なんで、私、こんなことしてるんだろ――と自問してしまう。然も、遣るべき人が遣らないのだから、尚更だ。此の世の中、真面目な人ほど莫迦を見ている。

 帰宅途中に思わずマスカットーティー(中国緑茶ベース)を購入したのは、自分自身への御褒美なんていう奇麗事じゃなくて、単なる自棄買いだ。



 兄様を見ていると、苛々する。此の苛々が解消されない限りは――私は切り続けるだろう。どうせ冬になるんだし、誰にも見つからないし。春には家を出て行きたい。其れが、どのような形であれ。



2006年10月18日(水) 過去の記憶、追懐と未来

 こんなんだから、切らずにはいられない。
 久方振りの赤い線は三本、だけれども、思い切り強く絞り上げた挙句冷やしたので、小気味好いくらいには流血しているよ。


 怒りよりは、呆れと厭きれと。
 こんなにも、人は身勝手になれるものか――と。幼い頃から、「ひとには優しくしなさい」と言われ続けてきた、其れがこのような形で自分自身に跳ね返ってくるとは、自分自身に仇為すとは。

 記憶を掘り起こす。原点を見出す。己の――今を構築する、其の一部の、成り立ちのプロセスを認識する為の、作業工程。

 其れは小学六年生の時だったと思う。
 当時の私は委員を務めてはいなかった筈だ。けれども、重役を歴任してきた事実は変わらず、其れを知る者は自身だけに留まらず、当然ながら学友達にも先生方にも、周知の事実だったわけだ、全く不本意ながら。
 何か――そう、急なイベントがあって、クラスで何か出し物(?)をしなければならなかったのだ。何をしようかと学級会を開く暇も無かったくらいで、歌唱力に定評のあったクラスだったこともあり、数曲歌おうということになったのは即決だったように思う。担任は、其れが気に入らなかったらしい。あれは昼休みだったろうか、音楽室で歌の練習中、私と、もう一人女の子、ナオ、が、担任に呼び出された。教室だった。
 当時の私は委員を務めてはいなかった。ナオも委員ではなかった。学級代表は別に二人、しっかりといた筈で、何故私達が呼ばれたのかは今以ってわからない。わかりたいとも思わない。ただ言えることは、私もナオも慣れた人間だったということだけだ、つまり、人の上に立つということに、主導するということに、好む好まずに関らず。

 何故、話し合いもせずに安直な結論を出したのか――。

 そんなことを数十分に渡り言われた気がする。私もナオも、何故私達が叱られているのか理解できなかった。否、理解はしていた、其の上で納得できなかった。良くも悪くも上に立ってきた経験を持つということは早熟だったということでもある。
 当時の私は委員でもなければリーダーでもなかった筈だ。にも拘らず学級代表そっちのけで叱られた。この衝撃は小さくなかった。私達は――多分、学んだのだ。役職は関係ない、実績が問われる社会があって、其の中においては能力の限界が要求されて、手を抜くことは許されないのだ――と。

 結局、イベントでは歌を歌った気がする。

 其れ以来、私はリーダーになることを避けてきた。中学では私の小学時代を知る友人が多過ぎたのでどうしようもなかったが、高校では努めて粛々と過ごした。まさか大学で 復活 するとは思いもしなかったけれど。

 役職は関係ない。能力の限界まで尽くさなければ、周囲は納得しない。



 これは、言ってはいけないことだと思う。

 私にだって遣るべきことが他にもあって、特別週間にだけ打ち込めるわけじゃない。
 週の半分は海の向こう側に居たのに。
 体調を崩しているのに。
 作業も、買出しも、全部が私の仕事。

 言ってはいけないことだと思う。私が、今は主導している以上、言ってはいけないことがある。上に立つ者は、恨みも僻みも絶対に言ってはならない。

 つらいのは私だけじゃなくて。
 忙しいのも私だけじゃなくて。
 体調が悪いのなら、化粧で隠してしまえば良い。顔色は血色良く、笑顔はコミュニケーションの基本だ。
 頭痛も胃痛も薬で抑えてしまえば問題無い。


 今日は随分綺麗な青空だった。本当に厭味な程に綺麗な空で、小説の原理には反している気がする。曰く、登場人物の心情は天候に表れる――。否、最近は故意に心情と逆の風景を描いて強調させるのかしら。
 風は冷たくて、空は高くて、世界は澄み渡っていて。

 ……こんな天気じゃあ、泣きたくたって泣けないじゃないか。


 もどかしい。
 私は、何て無力なのだろう。



2006年10月06日(金) 生きる、演じる、信じる、

 凛とした少女を演じさせたら右に出る者はいないね――――。


 そんな風に、言われたことがある。


 果敢無いあどけなさは少年性の模範と言えるし――、
 生真面目過ぎる青年を演じさせて君に優る者は無いね――――とも。



 演じるということに、別段抱く感情は無い。抵抗も無い。私は常に――其れが優等生としてであれ、良い先輩や後輩としてであれ、或いは気の許せる友人としてであれ、娘とか妹とかなる立場であれ――常に、演じている、演じ続けているし、其れに関して気負いも気概も無い。私の日常。其れが、演じることであっただけのこと。
 こういうことは決して珍しいことではないだろうとも思っている――恐らく誰もが知ってか知らずかは無しに日常の中で演じている。意識していようと、していまいと。私に何か特異なことがあるとすれば、私は物心つく前から「演じている」ということに気付き、また意識し続けてきたということだだろう。其れは特異であれ、特別ではない。

 例えば。
 常、私は実年齢より幾分年上に見られてきた。所謂精神年齢鑑定なるものは私の年齢に関らず――24から28歳あたりを叩き出して来た。色々な意味で早熟だったという自覚はある。否、枯れていると言っても良い。それらは全て私が演じてきた結果であるとも言える。ひとつの理想であり――其れを現実とすること。大和撫子で在れと。淑女で在れと。また同時に――私は凛とした少女でも在らねばならなかった。理想であり、現実。
 ならば、男性像としての理想も私は演じることが出来るのだろう。少年と青年は、多分に 鳥 に喩えられた。
 鳥みたいだね――囀る小鳥もいれば、猛禽類もいる。
 其の言葉は、成程的を射ているのかも知れない。私の、理想。そうして、之ばかりは恐らく現実はなり得ないのだ――私自身がY遺伝子を持たざる者である以上。


 何時からか男性不信になって、何時からかは人間不信になった。其れを払拭する事無く私は自分に対して不誠実に生きてきたのかも知れない。



2006年10月04日(水) 存在の所在

 ずっと考えていた。けれども何がそうさせるのか、私を突き動かそうとするものが何なのか、志向が、目的地が、理由が、わからずにいた。其れが、今日、不意に言葉となって浮かび上がった。

 アイデンティティの所在。

 居場所云々――といった話を私が此処でよく書くのは、物理的な意味合いでもあるのだろうけれど、そうではなくて、多分、アイデンティティの所在ということに関してなのだ。コミュニケーションを研究する身として、他者を知る技法と銘打って学んだ身として、異文化相互理解を考える身として、自己の所在に関しても思い続けてきたところの筈だ。
 使用言語。血統。国籍。文化。……。

 私のアイデンティティの所在が何処にあるのか、まだわからない。日本語は私のアイデンティティのひとつだと思う、けれども、必ずしも絶対ではない。「日本語」と言ってしまうにはあまりに幅が広く――私は私の「自分語」にアイデンティティを求めていて、其れが「日本語」に含まれてしまっているという、ただ其れだけのことなのだ。
 血統・国籍、之に関しては語るまい。両親共に大和民族の血を引き国籍も紛うことなき「日本」だ。移民等々、考え得るあらゆるアイデンティティを考慮しても、私は其れを理解出来得ないのだ。理解出来ないということを、私は知っている。其の上で受容したいとは切に思うけれども。
 文化。これはとても難しいこと。私は日本の所謂「古き良きもの」に惹かれる傾向がある。同時に欧羅巴の「古き良きもの」にも惹かれるのだ。神明造の神社、ゴシック様式の大聖堂、墨の濃淡、鮮やかな色彩美、餡子に干菓子、ケーキにクッキー、抹茶、紅茶、着物や袴、イヴニングドレス、婉曲な和語表現、ウーマンリブを思わせる英語のニュアンス、……等々。或いはそれらの醸し出す空気・雰囲気――アトモスフィア。近代文明が殺してしまった何か。そういうものも、私を構築する所在の所以となり得る。


 ――難しいな。存在の所在、なんていうものは。



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 全て含めて、私のアイデンティティの所在だ。



2006年10月02日(月)

 東京って実はとても田舎じゃないのか――? 此処に来る度に、そんな風に思う。此処は、私の街になるのだろうか。……今はまだ、わからない。


 試験。試験って、何を試されているのだろう。
「何がしたいの?」
 そう、問われる。そうではない。其れも重要なのだろうけれど、そうではなくて。「私に何をさせてくれるの?」私は、そう問い返したい。私に、一体全体何が出来るだろう。人生40年の時代では成人(元服や裳儀)が15歳頃。現代は人生80年なのだから、成人はきっと30歳くらいなのだ。畢竟四半世紀にも満たない私はコドモなわけで。私は、逃げるつもりはないしモラトリアムに安住するつもりも皆無なのだけれども、それでも、オトナって狡い。こうやって試されているのは、何? 基礎学力? 研究熱意? それとも、人格? 見ている振りだけ、実のところ何も見ていないじゃないか。

 千歳に降り立つのは大抵夜だったから、見えるのは自動車の行き交うライトが作り出す幹線道路の筋ばかり。其れがあまりに強烈な印象として残っていたから、昼間(と言っても夕暮れ間近だったけれども)久々に降り立って、嗚呼、千歳ってこんなに畑の多いところだったかしらと驚いた。
 東京の夜景は、光の蜘蛛の巣。あれは、人を殺す網の目だ。――独逸帰りにそう思ったのを覚えている。何時見ても、ネオンは好きになれない。










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