長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年06月30日(木)

 厭なことは重なる。暢気な鬱病患者(だって毎日ネットゲームしてるの、私には信じられない)との同居とか、野外活動でいびられた友人の相談役とか、緊急入院した友人の世話とか。それでも大学は休めないし(だって学業は私の中で優先順位上位なのだもの、これはもう義務なのだ)、家には帰らなければならないし、友人の相談には乗るべきだし、地方から出て来ている入院患者の世話もするべきだし、夜は眠れないし、もう直ぐ試験だし。精神的に不安定であることを百歩譲ったとしても、私は如何にも遣っていけない。まだ大丈夫、大学に通っていることがその何よりの証拠。バスも、地下鉄も、まだ平気。瞼を下ろせば何も見えなくなることを理解している。でも、見えないだけで其処には悪意とか何とかが満ち満ちているのだ。嗚呼、もう。
 此の数日間、何度も此処に書き込もうとして、登録する前に全部消した。愚痴だけを書き込むことに何の意味があるだろう。私が望んでいるのは、そういうことじゃない。負を否定するのでもない。正だけが認められなければならないわけじゃない。でも、不幸を振り翳すだけにはなりたくない。嗚呼、もう、本当に。家には居たくないけれど、外にも出たくない、何処にも行く場所なんか無い。嗚呼、もう。

 そろそろ二週間。もう好い加減にしなさいよ、自分。そんな感じ。(でも如何にもならないから本当に遣る瀬無い。如何にかしなさいよ、私)



2005年06月26日(日)

 この人ストーカーと化すんじゃないかと本気で思ってしまう先輩がいる。携帯の電源を入れた途端に鳴り出すメールの着信音ほど私を鬱々とさせるものは無い。本当に、こういう時期に辞めてほしい。厭なことって重なるものだ。憂鬱。

 別段、何、というわけではないのだけれど、その、何か、が怖くて恐ろしくて、泣きたくなる。一週間、まだたったの一週間。無期限の中での最初の七日間が、長いのか短いのか私は計りかねている。でも、もう一週間、ではなく、まだ一週間。先が痛いのは私だけじゃないだろうけれど、明らかに質が違う。私は今までに無いくらい本気で、落ち込んでいる。
 今日は独語検定試験で、隣街まで行って、其れが家から逃げるという行為と如何違うのか私は考える。観光客で賑わう港町を横目に、私はただ街並みを通り過ぎただけだろうか。運河沿いを歩くことも無くて、試験会場までに道程を往復しただけだろうか。つまり、実際の行動ではなくて、記憶とか、思考とかが。
 身体は、表面上普通に滞り無く恙無く、日々を過ごす。普通じゃないのは精神面だけだろうか。置いていかれる。付いていけない。でも、其れに伴って私は全身に激痛を覚えるのだ。
 嗚呼、もう。弱さなんて、何処かに捨ててしまいたいのに。



2005年06月23日(木)

 昨夜、赤い満月を見た。月は好きだけれども、ネオンの光を反射させたあの赤い月は、いけない。不吉な塊が膨らむばかりだ。

 多分、本当は理解している。何時終わるか知れないものを抱え込んでいて、其れを抱え込んでいるがゆえに壊れているのだとしたら、其れはもう諦めた方が良い。期限付きのものを抱え込んでいるのなら、期限が来れば壊れているのは治るかも知れないけれど。無期限は好くない。だから私はきっと、諦めて、もう何もかも投げ出すくらいの勢いで、開き直るべきなのだ。なのに。嗚呼、如何して其れが出来ないのだろうと、私は苛立つ。いけない。好くない。嗚呼、もう。堂々巡りはもっと好くない。



2005年06月21日(火)

 久々に、本当に久々に、鬱状態で遣る瀬無い。本当に遣る瀬無い。というのも直ぐ横に鬱病患者を抱えているからだ、きっと。こういうのは伝染するのだ、きっと。否、絶対。睡眠薬奪ってやりたい気分。

 再び部活からは距離を置こうと考えながら。もっと勉強しなければと考えながら。でも可能な限り眠っていたいと考えながら。更に可能であるならば何も考えたくないと考えながら。
 私は何時も二律背反していたけれど、こういう状況下では其れが顕著に現れる。嗚呼、もう、自己嫌悪以外の何物でもない。引き篭もっていたいけれど、遠くに逃亡したい。何も遣りたくないのだけれど、何かを遣っていないと落ち着かない気分になる。嗚呼、もう。せめて、ある程度の責任から逃れられたら。もう少しは楽になりそうなものなのに。にも拘らず、黙っていても責任追及はされるのだから、本当に、遣る瀬無くもなってくるし逃げたくもなってくる。
 本来無い筈のものが在るだけで、こんなにも狂わされるなんて。自分の不甲斐無さにさえも、自己嫌悪。



2005年06月19日(日)

 此の一週間で思った。というか、土曜日に悟った。一寸、今週は頑張れないかも知れない。

 あまり詳しく此処に書くのは間違っている気がするのと、自分自身が吐露するのを厭であるので、書けない、書かない。ただ、私は久々に意味も無く荒んでいる。一週間前の其れが前兆であったというのなら、今は丁度初期症状といった段階だ。此の侭収まるのか、之から酷くなるのかは、実際に時間が経過してみないとわからない。出来ることならば、私はもう後者の道は選びたくない。自分で選択できるものなら。本当は、私の(私だけに通用する)理論で物を言うならば、選択できなければおかしいのだけれどもの。然し今回ばかりは、一寸自信が無い。というか、もうどん底。否、寧ろ底無し沼の途中くらい。まだまだ落ちれる自身があるのに這い上がれる自信が無い。そうして今の私はこういうことを言う自分すらも嫌悪対象なので、暫くは身を潜めていようかと思う。具体的には、年始同様携帯電源オフ、メッセンジャはオンにしない、HPの仮閉鎖、等々。暫く。状況が落ち着くまで。現状が打開されるまで。



2005年06月12日(日)

 壊れたのが私ではなかったということに、私は安堵と当然だという気持ちと幾許かの寂寥感とを抱えて、同時に嗚呼彼が壊れることを私は予想していたのだ、或る程度は、そう考える。彼が壊れるということは、私の周囲の環境が再び変化する、つまり現状から見れば環境が壊れるということで、同時に私が再び「壊れる」可能性も秘められているわけだけれども。嗚呼、多分、私は大丈夫だろう。今の私は以前ほど弱くはない(と私は信じている)し、今壊れることは私のプライドがきっと許さないから。彼が、私の血縁者であることを私は恨むし、嫉妬もするだろう。だから私は何時か此処から逃げ出すかも知れない。私が私自身を守る為に、其れが必要ならば。
 夢が不快な記憶を呼び覚ましたとしても、私は理性をもって其れを封じるだろう。しかし、私は感傷に浸るかも知れない。あの頃の切なさとか、空虚とか、もっと頽廃的で過敏な感覚とか、異常なほど荒々しい静謐さとか、そういうものに傾倒するかも知れない。其の時こそ、私は、もう一度切れるかも知れないと、不意に思い立ち、錆び付いたカッターを手に取るだろう。輪ゴムで腕をぐるぐるに締め付け、氷を持ち出して冷やし、つまり、そういうことを繰り返しすることが可能になるのだ。何も考えずに、ただ先走る感覚を押さえ込む為だけに、理性は本能も感情も支配下に置く。

 日曜日が、ただ静かに、終わる。



2005年06月07日(火)

 相変わらずガムを噛みながら、何と無く苛立ちながら、こういう微細な感情の遣り場って無いのかしらと、あまり役に立ちそうに無いことを深く考えながら、こういうのが自堕落なのかなぁとも思いながら、ぼんやり過ごす日々。つまらないことを考え始めると止め処無く思考にのめり込んでしまって、もう何も手につかない。こういう時に周囲の雑多な出来事を他人の所為に出来たらどれほど楽だろう。他人に振り回されるのは嫌い。だからそういう傾向のある人は的確に(非常に主観的にではあるけれども)判別して、寧ろ選別して、上手く距離を取らなければならない。深く関わりすぎてはいけない。
 基本的に、何かを演じるのは簡単。これまでも此処に何度も書いてきたように、本当に、容易なことだと私は今でも思っている。然し、だ。優等生を演じ続けるのは、一寸簡単じゃないかも知れない(こういう表現はとても微妙だけれども)。私は「努力」は嫌いだから、特に。それでも、どういうわけか「そういう」印象を他者に与えてしまうのならば(こういうのは癖というか、慣れというか、最早意識して如何こうというものではないので如何しようもないといえば其れまでなのだけれど)、矢張り「嗚呼そういう風に演じなければならないんだなぁ」と義務的に感じてしまい、そうなったら演じ続けることを強要する、或いは強要されるだけ。

 六月に入って、後一ヶ月もすれば試験期間で、其れを終えたら夏休み。そう思うと、何時もこの時期は「何処か遠くに行きたいなぁ」と考える。また、一人で遠出したい。一週間くらいの、合法な家出が理想。



2005年06月02日(木)

 InDesign難しすぎる、解らない、使いこなせない。嗚呼、一週間くらいで編集作業は終わらせなければならないのに。何とかなると思っていたのがいけなかった。もっと早くに買って慣れておくべきだった。久しく、酷く後悔。

 火曜日は家庭教師で、受験生の教え子と共に因数分解100問を競争する。因数分解なんて何年振りだろうと思案しつつ、未だに機械的に解く事が可能であるという事実に私は吃驚する。おそろしい。教え子は今週末から修学旅行ですって。嗚呼そういう時期なのだなぁと思いつつ、もう少し受験生らしく焦ってくれれば良いのにとも思う。しかし、教え子にとっては人生初の受験なわけで、実感が湧かないとかそういう気持ちは理解できなくもない。でももう少し焦るべきよ、自分の成績を考えたときには、ね。遊びと勉強と、けじめをつけてくれればそれで良いのに。私は遊ぶななんて一言だって言いたくは無い。――毎月毎月プロ野球の試合を見に行ったり学校帰りに真直ぐ区の体育館に行くのは受験生として如何かとは思うけれども。流行のあれよね、所詮、自己責任。そういうこと。
 自分の修学旅行は如何だったかしらと、ふと考えてみても大したことは思い出せない。物凄く暑かったような気はする。自主研修とか、名所巡りとか、したのだろうけれどよく思い出せない。其の程度だったのかと、思うだけ。高校の修学旅行だって特別覚えているわけじゃないもの、中学の修学旅行なんて覚えていなくて無理もないかと、開き直ってもみる。此処最近で鮮明に覚えている(忘れまいと意識して気をつけている)ことは、ヴァンクーヴァーへの国外逃亡の事くらい。そのうちエッセイが一冊出来るんじゃないかしらと思うくらいには、妙に細かなところまで記憶している。

 今私が持っている苛立ちと、これから爆発するかも知れない苛立ちとを、計算しながら私は今日を過ごした。計算ミスは、もしかしたら明日何かが爆発するかも知れないじゃないか、そう思う。そして、そうなる訳にはいかないのだと、牽制をかける。ねぇ、本当はこういう生き方は酷く疲れるのよ。でも、私はこういう生き方しか出来ない、特に、今は。










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