長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年02月26日(土)

 少しずつ、此方の生活に慣れつつあって、比例するように疲れも溜まってゆく。思っていた以上に乾燥している大地に、喉の痛みが拭い切れない。頭痛は、何時もの事として薬で抑えているとは言え。
 実際、日本で過ごしている日常以上に色々な経験をしている。只管学校で英語の勉強をしている訳ではなくて、小学校訪問とか、海や山に行って環境問題について実際に触れてみたりとか、勿論、観光気分でダウンタウンに降りる事もある。兎に角忙しい日々を過ごしている、と言えば其れまでで、私は日本では有り得ないくらい早い時刻に就寝して、朝は6時半には起床するだけ。

 今、此処は金曜日の朝9時過ぎで、9時半から午前の授業が始まる。ほんの少しの、決して余裕のある時間ではないけれど。此の30分間が、私にとっては酷く重要な意味を持っているように、私は私自身の中に深く降りてゆくように、過ごしている。成程、異国に来ると周囲に対峙するよりも自身と対峙する時間が多くなるというのも、理解できる。

 さて、そろそろ教室移動しようか。

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 現地時刻14時半(勿論金曜日)。本当は、授業終了時刻が15時なのだけれども、今日は何故か午後の授業が自習だったのでパソコンルームに寄ってみる。これから帰宅することになるのだけれども。
 明日はヴィクトリアに行って、来週は一週間掛けてレポートを書きつつ様々な授業を受けて、そうして次の週には一ヶ月のプログラムも終了。そう、今日で丁度二週間。此のプログラムの、半分が経過した訳で。私は、月の形を見ながら此の二週間の生活を過ごしていたように思う。此処へ来たとき、月は新月に近い、とても細い月だったので。此処を経つ時も矢張り新月に近い月なのだろうと。此処は、月がとても綺麗に輪郭を取る。昨日の朝7時頃だろうか、太陽が東に昇り始めて、円に近い月が西に沈み行くのを見た。だから、嗚呼半分経過したのだと、私は認識する。
 後二週間しか無いと取るか、後二週間も有ると取るか、其れは多分大きな違い。けれども、二週間は二週間でしかなくて、私は其れを此処で、ただ過ごすだけ。



2005年02月18日(金)

 日本時間で今何時なのかしら、と考えつつ。多分金曜日の朝? 現地時間は木曜日の昼下がり。

 大学のコンピュータが一部日本語入力出来るようになったので、バス待ち時間に書いています。家から大学までは約一時間。日本での生活と然程変わらないと言えば変わらない。バスを二本乗り継いで登下校です。ホストファミリィはフィリピン系。時折(頻繁に?)スペイン語が飛び交います。勿論私にとっては意味不明。然し流石にカナダらしく至る所にフランス語表記があります。標識とか、コカコーラの缶にさえも。驚いたのは中国語が多いこと。中国や韓国からの移民が多い所為らしいです。

 色々書きたいことはあるのだけれど時間も無いし考えている余裕も無いので今日は取り敢えず此処まで。ヴァンクーヴァーはとても綺麗な街です。とても整然としていて、移民を多く受け入れているということが不思議に思えるくらい、隙間の無い街。そうしてショッピングモールはとても煩雑としています。面白いくらいに。
 ではまた、時間のある時に。



2005年02月09日(水)

 行って来ます国外逃亡。
 逃亡先:北米大陸南西部太平洋岸港湾都市(世界で最も住み易い都市の一つ)
 出発日:日本時間2月11日
 帰国日:日本時間3月12日
 大学名:SFU(not SCIENCE FICTION University)
 という予定ですので、再び此処に来るのは少なくとも3月12日以降、と。向こうで日本語入力が可能であれば、若しかしたら、ひょっこりと現れる、かも。然し多分そんな事をしている余裕は無いです。気候は北海道最北端より北に位置しているのに太平洋からの偏西風を受けて可也温かい様子。雪は、降っても積もらないらしい、です。
 逃亡中は日々の出来事を全て手帳に書き残すつもりです。あらゆる事を。然し其れを此処に改めて書くかどうかは、未だ決めていない。旅行記、では無いと思うのが一つ。一ヶ月を振り返るのが面白いか否か不明というのが一つ(私的には書いていて絶対面白くないと思うのだけれども、読者的にどうかという意味で)。希望があれば書くのかもしれないけれど、きっと誰も希望なんてしないだろうし。ということで色々此処に関しては帰国後決める事に、します。

 今日は、色々沢山は書かない事にする。書きたいことの殆どは2月5日に書いたし、ね。
 片翼は枷と鎖に繋がれた侭、地球で最も大きな海洋を渡って来ます。
 皆様は、御元気で。



2005年02月05日(土)

 留学に、如何して行くことを決意したかと問われれば、其れは再三此処で書いてきたように「国外逃亡」に他ならないと、思う。英語力の向上、異国の文化に触れる、そんなふうに言うのは簡単だけれども。外に出ることを長い間ずっと怖がって恐れて、そうして裡に閉じ篭もって、でも"此処"に居ることに我慢できなくなった結果。だから、多分これは「国外逃亡」という表現が最も適切なのだろう。たとえ一ヶ月という限られた、短い期間であっても。私は、此処から逃げ出すことが出来る。誰に咎められることもなく。誰に追われることもなく。
 逃亡先が新たな拘束であろうとも、其の一ヶ月間が"此処"からの一時的な解放であることには変わりがない。そもそも私は「拘束からの解放」を望んでいるわけではない。自由は、常に望み願っているけれども。
 私は、以前のような泣き虫で意地っ張りだけの子供ではないし、多少は、少なからず、あの頃に比べれば、大人になった、つもり。諦観でも達観でもなくて。単純な好奇心でも、怖いもの見たさでもなくて。恐怖に怯えるだけでもなくて。
 「合法的な家出」という言葉は本来「結婚」を意味している。というのも、此の言葉が心理学の某教授の著書に出てくる言葉だからなのだけれども。何故か学生には嫌われている此の某教授だけれども、著作は三桁を超えている。で、結婚を意味しているのだけれども、私は敢えて小旅行等も、「合法的な家出」と表現する。表現するので、今回の「国外逃亡」も「合法的な家出」である。少なくとも、私の中では。
 本当は、如何でも良かったのだと思う。留学が一つのステータスになるということも、暫く此処を離れるということも、何もかも。留学出来ないなら出来ないで、私は別の手段をとって"此処"から逃亡するだろうから。だから、本当は全て如何でも良いこと。



2005年02月04日(金)

 何時の間にか如月突入。立春を迎えた割には、寒過ぎる北国。相変わらずの吹雪模様。……良いけどね、如何にも冬らしくて。

 何というわけではなく苛々する日々が続く。特にバイトとか、バイトとか、バイトとか。物凄く愚痴を此処に書き連ねたい気分なのだけれども、そうすることは私の望みではないので辞める。兎に角、私は物凄く苛々している日々が続いていて、今も其の延長に在るということ。
 嗚呼もう国外逃亡の出発日まであと一週間だっていうのに。気持ちが、落ち着かない。










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