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■ 好きにすればいい
直接的には自分の身に火の粉が降りかかっていないので多少なりとも他人で突き放した言い方になるのだけれども。
いじめってのは多かれ少なかれ絶対に根絶させることはできないと思う。 文科省の定義もあるけれど、いじめって結局は受け取る側の感情一つだから。
ちょっと気になってるタイトルの本があって。 「りはめより100倍ひどい」・・・だったかな(かなりあやしいけど最初の5文字は合ってるはず)。 現役高校生の書いた列記とした出版物です。 イジメじゃなくて「いじり」がテーマだけど、これもされた側からすればイジメ扱いになるのだろうな、と。 米・コロンバイン事件も当事者たちの行為に関する受け止め方のズレが引き起こしたもののはず。
なんていうか、結局のところ。 現在も続く自殺予告の手紙について。 イタズラだったら止めて欲しい。 本当に現在進行形でイジメられているのだったらいい機会だから訴えればいい。 ただ、教委で働いていて、祥弥は事務方の職員だからややこしい案件の対処については蚊帳の外で、ほとんど情報なんて入ってこないからどう言えばいいのか自分でも分かりかねる、ってのが本音だけれど、 せめてある程度地域を特定できる情報の欠片を入れた手紙を投函して欲しい。 それでなければ、何件も何件も続くと愉快犯として表面には出ないけれども扱いが劣化するかもしれない。 そうすると本当に本当にツラクて訴えている人間の気持ちまで伝わらなくなるかもしれない。 だから、大人でも子どもでもイタズラでの手紙投函は止めて欲しい。
こんなことは言いたくはないけども、人間って同じ刺激ばかり与えられると感覚が鈍くなってしまうのだから。 そして、言い訳に聞こえるのだろうけれど、問題に対処するには人数が足りない地域だってあるってことを頭の片隅においてもらえば嬉しいと思います。
あんまり言いたくもないし、書きたくもないから短くはしょりますが。 今から考えると祥弥もある意味、イジメに遭ってたのだろうなぁ・・・ってことです。 幸い、それまで付き合っていた(そして群れて祥弥をそれとなく疎外し始めた)友達とはまったく別の友達ができ、並行して無事に中学受験も成功し、就学先の中学校が変わったからよかったんだろうな、という結果論ですが。 環境が変わったから祥弥は救われたのだと思います(でもおかげで地元との縁がまったく切れてしまってもいるのでそれはそれでちょっと困り者かも;)。
振り返って笑える、そんな過去を過ごせられる、それが一番いい人生なのだろうね。
2006年11月18日(土)
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