ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

どちらかというとS! - 2009年07月31日(金)

今しがた、昨夜書き込まれた「from YOSHII KAZUYA」を見て驚いた。
『沖縄のライブの後足をひねってしまい、代々木のライブ後まで
全然平気だったのに、打ち上げ中に急に痛くなってきて
いまだに治らない』!?
モバBBSを覗いたら、皆さん本当に心配して
「早く病院行って下さい。疲れが出たんですね。
無理しないで下さい。早く良くなりますように。」と
暖かい言葉が並んでいた。
けれど、この吉井和哉の書き込みを目にして、私が一番初めに
感じたのは、怒りだった。
沖縄のLIVEといえば、7月4日土曜日だった筈だ。
その後痛みが無くて油断していたとしても、
代々木LIVE最終日は7月12日日曜日。
痛みがぶり返して何日経っている?
『折れてるのかなぁ そんなわけないか レントゲンか?』
そんな寝惚けた事言ってる場合じゃないでしょうに。
明日8月1日は、ROCK IN JAPAN FESのグラスステージに立つ身
だという事をどのように考えているのだろうか。
グラスステージだからというのじゃない。
「アーティストがステージに立つ」事が
どれ程、神に祝福されて与えられた場だという事を
もう一度考えた方が良いのじゃないかと思った。
明日のROCK IN JAPAN FES、
そして8月3日から8月10までのZEPPツアー、
8月15日のJ-WAVEイベント出演まで、
暑さ厳しい折に、諸々過酷な日々が始まる。
どうぞ、悔いの無いようなLIVEを観衆に魅せつけてあげて下さい。
お尻にピシッと鞭を入れたい♪




セレナーデ - 2009年07月26日(日)

カズオ・イシグロ短編集『夜想曲集』「老歌手」を読んだ。
かつての共産国から出て来て今は、ベネチア・サンマルコ広場のカフェで
いくつかのバンドを掛け持ちで弾いているギタリスト・ヤネクは、
ある日往年のアメリカの大物歌手トニー・ガードナーに出会う。
母親がトニーのレコードを愛聴していたことから自分自身も彼のファンとなっていた
ヤネクは、トニーと親しく言葉を交わす。
そしてトニーからある依頼を受ける。
ベネチア名物のゴンドラに乗り、運河からトニーの妻リンディのいる部屋へ向けて
歌を届けたい、その伴奏をして欲しいというものだった。
27年連れ添ったトニーとリンディは、互いに愛し合っているけれど
何やら深い仔細があるようだ。
歌い終わった後にトニーから語られたのは、
もう一度第一線にカムバックする為に、リンディとはとは離婚する予定という事だった。
夫婦二人で話し合って決めた事だが、トニーには、既に売り出す時傍らに伴う為に 新しい若い女性の候補がいるのだという。
ヤネクの耳には、老いを感じさせない程、圧倒的な歌を魅せつけたトニーだけれど、
もう純粋に音楽への情熱だけでは生きていくことが出来ない。
カムバックし人々の注目を浴びる為に、愛と私生活を引き換えにしなくては、
いけないと信じているのだ。


『愛や私生活を引き換え』っていう部分で、
ROCKIN'ON JAPAN8月号での吉井和哉インタヴューを思い浮かべた。
今まで『ギターを弾いちゃだめだっていうブレーキがかかってることについて・・・
私生活のぐちゃぐちゃを歌ったりとか、引き替えにしていた部分があった』
のだけれども、「VOLT」を完成させて、「宇宙一周旅行ツアー」を成したことによって

『ギターを弾くことによって、トーンで出せる』
吉井和哉の音楽を鳴らせる事が出来る、すなわち自分の宇宙を出す事が
出来るようになったのだという。
「私生活」を色濃く反映していたのは、
「MY FOOLISH HEART」や「BELIEVE」だろうか。
2006年暮れに出版された吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」を読んでからは、
ソロ開始以降YOSHII LOVINSON、吉井和哉の曲達から
生身の吉井和哉というひとりの男の生きざまを感じることが多くなった。
自伝が出ると聞いた時、私は、何もプライベートまで赤裸々に晒さなくても
良いじゃないかと思っていた。
でも年老い世間から忘れ去られようとしている「老歌手」トニー・ガードナーが
スキャンダル仕立てであろうと世間の注目を浴びるカムバックを願ったのとは違い、
吉井和哉は、音楽への情熱が勝っているのだと思う。
赤裸々に自分自身を曝す事で、もっと吉井和哉という人間を理解して欲しい、
吉井和哉の創り出す音楽に触れて欲しい、感じて欲しいという欲求が強いのだと思う。

吉井和哉は、『観ている側も、変に依存することもなく、単純に、自分の気持ちと、この人が
鳴らしてる音っていうのを、シンクロさせて、爆発できてるような音楽』と形容して、

山崎洋一郎氏は、「副作用とか中毒性のないドラッグみたい」と仰っているけれど、
大変残念ながら、吉井和哉の音楽は、滅茶苦茶副作用と中毒性があると思う!

「VOLT」と「宇宙一周旅行ツアー」とで吉井和哉の音楽がより一層確立されたのは
良〜く判るけれど、そもそも吉井和哉は、麻薬みたいなものだもの。
魔性であることから逃げないで下さい。(笑)





ROCKIN’ON JAPAN「吉井和哉in沖縄」 - 2009年07月18日(土)

先日、山崎洋一郎総☆編集長がチラ見せして下さった吉井和哉のフォトで
既に大期待していたけれど、このJAPAN8月号は、想像以上に素晴らしかった!
まず何といってもこの「STOP」の赤看板を背に頬杖をついてる
白いサングラス姿が最高にいかがわしくて良い。
この指のまあ何と美しいこと!唇の薄さ、下唇の窪み!
沖縄の明るい日差しが作り出す影の濃さまでもが美しい!

インタヴューの方も山崎氏がわざわざ沖縄まで飛んで
取材して下さったお陰で、本当に濃い内容だった。
「恋の花オリジナルヴァージョン」って、
この「宇宙一周旅行」ツアーの中で
ここまで重要な位置を占めていたんだね。
『自分の先祖とか、繰り返してる血みたいなものと
コラボレーションしてやりたい、っていうのが、自分が
ソロのミュージシャンとして表現することに対して
すごく重要な曲だったんだということが、やっててわかった』
山崎さんが『血のような曲だよね』と仰っていて、
私は、限定ライブ「SOUP OF THE DAY」や「39108」ツアーで
聴いたアコースティックヴァージョンの「恋の花」では、
可憐な恋の切なさ・美しさを感じていたけれど、
今回のこの「オリジナルヴァージョン」の方では、
いきなり
“枯れてほしい・・・死んでほしい・・・

 踏み潰したい恋の花 わざとらしく濡れないで

 あなたは心の角を削って 余った破片で私を刺した”
この『「恋の花」が心臓だった』のだねえ。
7月11日と7月12日の代々木第一体育館LIVEで
冒頭に吉井和哉が振袖を羽織って登場したのだという。
「アンティークショップで購入した大正時代のもの」らしい。
実際には、1曲目の「ノーパン」から始まって、次の2曲目かそこらで
着物を脱いだそうだけれど、私はその着物が黒地に鮮やかな赤の花模様で、
裾にも赤色があって長身の吉井和哉が身につけても
丈が長く見えたというのを聞いて、
明治から昭和初期まで婚礼衣装の主流だったという
「黒引き振袖」なのかも、と思った。
代々木LIVEの直前にモバBBSでお祖母様のお話をしていた。
「SNOW」で語っていた親戚のご夫婦のお話、生まれ変わっても
また、今は亡き愛する夫と結婚したいと息子である吉井和哉に語ったという
お母様のお話、血の滴るような幾多の恋愛を経験してきた自分自身の事、
連綿と続く命の流れ、全てが合わさって
今の吉井和哉が作られているのだというその象徴が
その黒振袖であり、「恋の花オリジナルヴァージョン」だったのかなあと
感じた。

インタヴューの最後に山崎さんが
『完全に始まりの季節っていう意識なんだね』と仰っているのが
つい先日、「FOUR SEASONS」の
“新しい予感新しい時代…”
“美しい希望の季節を”に震えていた私は、嬉しかった。
次の展開が楽しみです!
うだうだ暑苦しいファンで申し訳ないですが
吉井和哉の未来を信じています♪





In changing time's four seasons I'm crying - 2009年07月15日(水)

7月12日吉井和哉TOUR2009 宇宙一周旅行 代々木第一体育館、
吉井和哉は、ツアーファイナルのアンコール最後の曲、
「またチャンダラ」の後に、『宇宙旅行はこれで終わりです。』
『これはおまけです。『気持ちを切り替えて。』と断りを入れた後で、
『もう一曲やります。』と言ってあの曲を演ったそうだ。
この宇宙一周旅行ツアーの中では、宮崎や琵琶湖や松山などでも
アコースティックバージョンで歌っていた「JAM」を
この日は、バンドバージョンで演奏したのだという。
観て来られた方が『嬉しくて嬉しくてしかたなくてって感じ』
だったと仰っていた。
沢山の方々のライブレポを読ませていただいたけれど、
「JAM」を歌う吉井さんは、本当に気持ち良さそうに
幸せそうだったらしい。
驚いた。
「2006年12月28日武道館」の映像や
宇宙一周旅行びわ湖公演では実際に、この目で
ギター弾き語りで「JAM」を歌う吉井和哉を目にしていたけれど、
吉井和哉は、当分バンドとしてはこの曲を鳴らさないのじゃないかと
勝手に思っていた。
『「JAM」をバンドバージョンで演奏した』と聞いて、
「遂に吉井和哉は、そこまで来たんだ!」と感慨深かった。
今現在の吉井和哉の望むバンドの音を手に出来たんだね。
昨年の吉井城ホールと吉井武道館でエマさんを迎えて、
「天国旅行」「シュレッダー」を演り切って、けじめをつけて、
「VOLT」という快心の作を作り上げて、「宇宙一周旅行」ツアーで
1ヵ月あまりでLIVEを積み上げて、
で、最終日に心から満足のいく華を咲かせられたのだろう。
その場で体感出来なかった事は、とても残念だけれど、
いつかまた「JAMバンドバ―ション」に出会える日も来るだろう。
何故か「FOURSEASONS」の
“In changing time's four seasons I'm crying”の
メロディーを思い浮かべている。
壊さなきゃ始められなかったんだよね。
“新しい予感新しい時代…”
“美しい希望の季節を”
近づいているのだろうね。
新しい美しい季節をドキドキ待つ気持ちと裏腹に
通り過ぎていく景色が名残り惜しくて、切なくて、
堪らない気持ちになる。
私は、「曲は、歌われてこそ。演奏されてこそ。」と
思っているので、THE YELLOW MONKEYの曲を
封印して欲しくない。
でも身体に馴染んだあの4人のメンバー+三国さんのあの音
ではない、新しい姿に触れる時、戸惑って仕舞うのだろうなあ。
代々木最終日には、カメラが沢山入っていて、
『DVD化』予定らしいけれど、是非「JAM」も収録して欲しい。
聴かせて欲しい。
きっと吉井和哉の“美しい希望の季節”を信じられると思うから。




さしのぼる朝日のごとくさわやかに - 2009年07月12日(日)

いつも読ませて頂いているブログで、数日前に
《人》『人はただすなほならなむ呉竹の
世にたちこえむふしはなくとも』
(人は何よりも第一に、素直であってほしいものです。
あの竹の節のように、世の中に目立って優れた才能が
有る無しには拘わりありません)という和歌について
書かれていて、本当に素敵な言葉だなあ!と感じ入った。
どなたが詠まれたお歌だろうと調べたら
昭憲皇太后の御歌だった。
生涯に2万8千首を超える和歌をお詠みに為ったそうだ。
有名なあの
「磨かずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし」も
昭憲皇太后の御歌だった事を初めて知った(汗)
明治天皇の御製9万3千首を超える和歌のうち、
それぞれ15首づつを選んで計30首に解説文がつけられて
明治神宮独自のおみくじ「大御心」とされているそうだ。
早速取り寄せてページを開くと
明治天皇・昭憲皇太后の清涼で尊きお言葉のひとつひとつから
放たれるオーラにピシッと背筋を撃たれる思いがした。
昨夜は吉井和哉「代々木第一体育館初日」だったのだけれど、
田舎者の私は、代々木体育館の隣が明治神宮だということも
知らなかった。
昨夜のLIVEレポを読ませて貰って、吉井和哉がMC中に
『今日は明治神宮の力も借りてます』と発言したと知って
ようやくその事に気づいた。
吉井和哉には、本当に色んな大切な事を教えて貰っているなあ。
吉井和哉を巡って出逢った色々な方達からという意味も含めて。
この「大御心」の中で特に印象深かったのは、
《慎独ひとりをつつしむ》
『人しれず思ふこころのよしあしも照し分くらむ天地のかみ』
(誰にもわからないであろうと、心の中でひそかに思うことでも、
天地の神々は、ちゃんと其の善悪をば、ご存じであるに
ちがいありません。)
《心こころ》
『むらぎもの心にとひてはぢざらばよの人言はいかにありとも』
(自分の良心にきいてみて、少しも恥ずるところがなければ、
世間の人は何と言おうと、動揺することはありません。)だ。
吉井和哉は、間違いなくGENIUS!天才であるけれども、
もっともっとと上を目指す努力の人だ。
「代々木の杜」に建てられた大会場で
「宇宙一周旅行」最終旅行を見事成功させられますように
祈っています☆






ジェラシー  愛の言葉は、愛の裏側 - 2009年07月08日(水)

2009年7月7日新木場STUDIO COASTで行われた
吉井和哉 official mobile site 長期会員限定ライブ
『さんじとおまつ』は「限定」の名に相応しい
シークレットでゴージャスなLIVEだったそうだ。
本編の方に「CALIFORNIAN RIDER」「SIDE BY SIDE」が入り、
アンコール第1曲目に「スティルアライヴ」、
続いて「発光」!
「SIDE BY SIDE」は、発売当時からもの凄く好きな曲だったが、
LIVEで更に痺れる曲だし、「スティルアライヴ」も
非常に思い入れのある曲だ。
そしてこれまで披露される事の無かった「発光」・・・
この身で体感したかった。
アンコール3曲目「WEEKENDER」の次に、
何と三浦淳悟さんに交替してステージに現れたのは、
広瀬“HEESEY”洋一だったそうだ。
HEESEYの歌うベースが加わって吉井和哉が歌ったのは、
「HOTEL宇宙船」と「ROCK STAR」だという。
聴きたかった。この曲達を歌い奏でる二人の姿を見たかった。
前回の限定LIVE「温野菜」にも私は行けなかったけれど、
あの時黄金のケンタウルス姿で歌う「ゴールドケンタウルス社歌」を
目にする事が出来なかった事を今回ほどには、悔やまなかった。
あの時よりも、この「さんじとおまつ」に自分が参加出来なかった事の方が
ずっとダメージが大きい。
何故こうなんだろうね。
井上陽水の「ジェラシー」のメロディが浮かぶ。
“ジェラシー  愛の言葉は、愛の裏側  ジェラシー”
このジェラシーは、勿論今回参加出来た方々へのものじゃないよ。
吉井和哉へ向けたものだ。
「愛の裏側」愛の裏返し・・・独占欲や所有欲、執着心、
難儀なことだ♪
『来られなかった方、次は絶対当たりますように』という
吉井和哉の文字に、ちょっと泣きそうになった(^_^;)




生まれ変わってもまた会おう - 2009年07月01日(水)

たまにうちの主人が
「生まれ変わってもまたお前を嫁にしてやる」と
言う事があって、そんな時はいつも
『えっらそうに。「生まれ変わってもどうかまたお嫁に来て下さい。」の
間違いでしょうに〜。』と、なかなか素直に
「ありがとう。また結婚しようね」等とは、答えたりしなかった。
「今度は男になる」と宣言していた。

今日、吉井和哉のコラムが更新されて、
吉井さんとお母様の遣り取りを目にして、ズキッと為った。
お父様が亡くなられて随分長い時間が経っている。
それでも亡き夫のお誕生日に仏壇に御馳走を供えて
『生まれ変わっても、また結婚したいわ。』と息子に
語ったお母様。
宅配便の所為にして『そしたら、また僕を生んで下さい。』と
返信しそびれたと明かす息子、吉井和哉。
あったかく切なく愛に溢れたエピソードだ。
7月7日長期会員限定LIVE「さんじとおまつ」に外れた事を
未だに引き摺っていた自分が恥ずかしくなった。
このLIVE翌日の7月8日は、うちの主人の誕生日なのだ。
最高な旦那様ではないかもしれないけれど、
間違いなく世界中の誰よりも私を大切に想ってくれるただ一人の人だ。
7月7日七夕の日も翌誕生日の日も
ちゃんと傍にいるからね。
“生まれ変わってもまた会おう 同じ場所でまた会おう”
生まれ変わってもまた主人を探すわ。
きっとまた出逢えると思う。

吉井和哉とは、出来たら同じ時代に生きていられると良いなあ。
また歌って下さい。
そうして吉井和哉の音楽に出逢えたら幸せだ♪





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溶けた砂
時の谷間