ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

出来るだけHAPPYを手にして欲しい - 2008年01月31日(木)

モバイルサイトで今日更新された「吉井和哉への質問」で、
『ファンに望む一番の事は?』への回答は、
『幸せになって欲しいです。そのBGMとして
吉井和哉の音楽が鳴っているとしたら、自分も
本当に幸せです。』だった。
以前も「ファンの幸せを望む」という発言をしていて、
その時私は、アーティストがファンの幸せを願うなんて
そこまでしてくれなくても良いのに、などと
少々違和感を感じて仕舞っていた。
吉井和哉のファンである筈の私が吉井和哉に望む第一番は、
「音楽を続けて欲しい」という事だ。
「吉井和哉の幸せ」をちゃんと願ったりした事は、ない。
薄情だよね。今日の吉井和哉の回答を目にして反省した。
ファン達が幸せを感じる場面があって、
その時流れているのは、吉井和哉の音楽だったとしたら
それが吉井和哉も「本当に幸せ」であるという事・・・
今日の言葉は、素直に心に沁みて来た。
吉井和哉という人は、私などが感じていた以上に
懐豊かに大きな存在になっているのだねえ。
『ファンとはどういうモノか?』との問いに、
『本当に大切に思ってます。ですが、
来るものは拒まず、去る者は追わずです。昔から。』という回答も
印象深かった。
相当自信がなきゃ言えない台詞だよね。
『吉井和哉のどこがいいんですか?』への
私の答えは、「吉井和哉という存在そのものが愛の迷宮」だからだ。
抜け出す事など不可能な、けれど迷宮探査は、
この上なく刺激的でめくるめく興奮の連続!
吉井和哉探究が私の幸せです。
ですから、どうぞ吉井和哉の生を楽しんで下さい!





PHOENIX - 2008年01月29日(火)

今日1月29日吉井和哉は、新潟県民会館でLIVEを行う。
どんな会場なのだろうと調べてみると、
この建物は、昭和39年の新潟地震に対する全国からの義援金などを基に、
新潟地震の復興を記念して建設されたのだそうだ。
新潟地震からの復興と躍進を祈念するフエニックスのシンボルを
頂に飾った記念塔がそびえているのだという。
2005年6月4日、YOSHII LOVINSONが数年の沈黙を破り
初めてソロアーティストとしてのLIVEツアーのスタートを切った
新潟の地で(その時の会場新潟フェイズはもう無いそうだけれども)
あの時一番最初に演奏した「PHOENIX」を
今夜も吉井は、
“この歌に詩が浮かび
 死の丘に座るまで
 信じるために 何のために
 生まれてきたかの意味探るぞ”


魂そのものの歌声響かせるのだろうなあ。

“羽ばたけ 羽ばたけ 羽ばたけ
 元気出せ 元気出せ
 もう恐れること勿れ”



私の羽は、折り畳まれたままだ。
でもいつかきっと、力を溜めて
羽ばたきたい。風を起こしたい。
きっといつか。






BLOWN UP CHILDREN - 2008年01月25日(金)

2006年1月25日Zepp 名古屋「My Foolish Heartツアー」初日で、
「BLOWN UP CHILDREN」が演奏されてから2年経つ。
あの時吉井和哉は、『この曲には沢山のTAKEがあります。
少しづつ披露していこうかなと思っています。』 とMCをしていた。
DVDにも収められているけれど、この曲の元になった
「RED REAVES」を吉井は、何度も何度も録り直していたんだよね。
聴いてみたいなあ。
勿論この「BLOWN UP CHILDREN」も私は、本当に大好きだ。
「土の上 砂の上・・・」という韻の繰り返しが
「愛の飢え」になりやがて「COME BACK TO MY WAY」に至る鮮やかさ。

“僕らはBLOWN UP CHILDREN ただ走るBLOWN UP CHILDREN
 見えない山脈に雨は降って
 僕らはBLOWN UP CHILDREN ただ生きるBLOWN UP CHILDREN
 時の谷間でなんか飲んで”

漕ぎ出された自転車のスピードがやがて風になり
地上を離れ山々を吹き渡っていく情景が目に浮かぶようだ。
「BLOWN UP CHILDREN」とは、本当はどういう意味なのかを
私は、きっと把握出来てはいないのだろうけれど、
この歌を聴くと遠い昔を思い出す。
傷つき弾けそうになったまま足掻いていた子供時代や、
何年も経って急にエアポケットに入り込んだ時の事を。
この歌を作ってくれてありがとう。
そして今またこの歌を歌ってくれてありがとう。

22日アンコールでの「Black Cock's Horse」で吉井は、
“俺の歌は 君のもの?君のものじゃ無いぜぇ〜”
と変えて歌っていた。
確かに吉井和哉が作って吉井和哉が歌う曲は、
吉井和哉のものだろう。
けれど、世に発表された歌は、その瞬間から、
アンテナにキャッチした受け取る側の人間の歌にしたって良いじゃない。
1月23日に更新された「お茶菓子のようなもの」は、
『喜びの量は変わらない。感じ方の量が変わるだけ。』だった。
最近の吉井和哉のお言葉は、深過ぎてどうも私などには、
理解しきれないけれども、7年前THE YELLOW MONKEYが活動休止した頃、
「THE YELLOW MONKEYの新しい音楽が届かない間、
アンテナを錆びつかせないようにしていよう。
今度彼らが帰って来る時に、ちゃんと
キャッチ出来る感度を磨いておこう!』と
心に誓った事を思い出した。
未だに大人に為りきれないオトナコドモだけれども、
吉井和哉の音楽に対する感度は、保てているかな?
『「これは愛だ」と「あなたのため」と』
『馴れ馴れしく語りかける』ような、
そんな押し付けの愛情ではなくて、
想うだけで心が豊かに為れる様な、そういう愛し方をしたい。





「Dragon head Miracle tour 2008」広島初日 - 2008年01月23日(水)

「Dragon head Miracle tour 2008」初日広島厚生年金会館LIVEで
凄まじいROCKのパワーを浴びて来た。
ジョシュ・フリーズが参加すると知らされてから、
ずっとこの時を楽しみにしていたけれど、
正直ここまで圧倒的なものだとは、思い及ばなかった。
素人目にも耳にも、パワー、キレ、テクニックがずば抜けているのが判る。
見惚れてしまう。聞き惚れてしまう。
ジョシュのドラムを迎えて吉井和哉が心から嬉しそうに幸せそうに
歌う様子を間近で見れて、最高に嬉しかった。
ジョシュのドラムに対抗しようとリハーサルで頑張り過ぎた所為か、
吉井の声が荒れていた事と、
時折ジョシュのドラム音があまりににも前面に出過ぎていた事、
稀にジュリアンのギターがハウリング?していた事を除けば、
セットリストの流れは、私には最高だった。
オープニングのお馴染みの3曲に続いての「欲望」と「Hold Me Tight」で
アドレナリン噴出しまくり、「ルーザー」と「Tactics」で
妖しく翻弄され、「CALL ME」で痺れた。
「BLOWN UP CHILDREN」のイントロが流れ始めた時、
「この曲は、私にとってこんなにも大切な曲なのだ!」と改めて実感した。
ジョシュの「黄金バッド」をこの全身で体感出来た事に感激だった。
ツアー直前にセットリストを予想していた時、無理かもしれないけれど
出来れば聞きたいと願っていた「PHOENIX」が流れ出した瞬間、
私は、我を忘れて叫んでいた。
周りの人を驚かせたかもしれない。ごめんなさい。
でもこの曲は、特別なのだ。
「PHOENIX」は、吉井和哉そのものだと思う。
何度でも灰の中から蘇り羽ばたいてください。
本編最後の「シュレッダー」は、演歌臭さが消えて
力強く響いて来た。
アンコール1曲目は、バンドアレンジの「TALI」。良い曲だ。
パンク版ではない「Black Cock's Horse」、
私はこちらの方が好きだ。
22日朝携帯サイトに「エレキを断念した」と書かれていて
とてもがっかりしていたから、白いテレキャスを抱えて、
しかも「SICKS」から意外な選曲「見てないようで見てる」が
登場した事に驚いた。
けれども、これが想像以上に光っていた。
THE YELLOW MONKEY曲は、今回「Tactics」と
「見てないようで見てる」という事になる。
「Tactics」は、アニメエンディング曲にもなった「JAM」の両A面曲で
有名曲だけれど、「見てないようで見てる」は、シングルではない
アルバムの曲だ。
ツアーのコンセプトに合っていれば、THE YELLOW MONKEY時代の曲も
YOSHII LOVINSONも「吉井和哉」ソロも、何の制約もなく
自由に遣れるようになったのだと感じて、
そのことが感慨深かった。
ラスト「Shine and Eternity」は、とても温かい大きな愛に包まれるような
心地良さだった。
赤い長そでシャツの中は深いVネックの白Tシャツ、黒スキニーパンツ。
登場時には、黒ジャケットを着ていた。
前髪を少し短く切った吉井の髪型は、ちょっとふわっとしていて、
薄くアイメイクをした顔は、艶やかに見えた。
メンバー紹介で一人ずつ「夢が叶った」と吉井は、言葉にしていたけれど、
ジョシュ・フリーズを迎えて、そしてジュリアン、バーニー、淳悟さん、鶴谷さん
という現時点での理想形でLIVEを行える喜びが全身にはち切れそうに
なっている吉井の様子を目に出来て、本当に幸せだと思った。
初日がこれ程素晴らしいのだから、ツアーが進むにつれて
どれ程進化していくか、しかも広島・新潟以外は、スタンディングツアー
だもの。どんな熱狂ぶりになるか怖いくらいだ。
沖縄最終日も是非ともDVDに残して欲しい。
「GENIUS INDIAN TOUR」「吉井武道館」「Dragon head Miracle tour」
DVD三部作を楽しみに待っています。

広島までの長旅を一緒に過ごした友、広島で迎えてくれた友、
会場で出会えた友、そしてLIVE後の感動を語り合った友、
たくさんの方々に感謝です。
どうもありがとう!

セットリスト

Introduction
Do The Flipping
Biri
欲望
Hold Me Tight
ルーザー
Tactics
Call Me
(ワセドンのイントロ)
BLOWN UP CHILDREN
人それぞれのMy Way
黄金バッド
All By Love
I Want You I Need You
Pain
PHOENIX
マンチー
Weekender
シュレッダー

《アンコール》
TALI
Black Cock's Horse
見てないようで見てる (白テレキャス)
Shine and Eternity






青い空 - 2008年01月20日(日)

ROCKIN’ON JAPAN 2月号に井上貴子さんが
12月27日吉井武道館のレポを書いておられる。
「一万人の厄払い!一万人の忘年会!」
『「何か」に必死で貪りついた熱狂的な闘いの季節を経て、
ふと上を見上げたら空はこんなに美しかった。
とでもいいたげに、歌たちがキレイに浄化されていた』
流石に言いつくしてらっしゃる!
でもセットリスト14曲目「マンチー」になってるけれど、
27日は「LOVE LOVE SHOW」だよね。そこだけが残念。
吉井の顔は、とっても良い表情だと思うけれど、
やっぱり前髪長過ぎだよ。
フジテレビ721の中継録画映像を見ても思ったが、
目を隠そうとしているよう感じられて仕舞う。
汗で額に張り付く髪は、色っぽくて好きだけれども、
最初から目が隠れているような髪形は、嫌だ。
内面の弱気や自信の無さを疑って仕舞うのは嫌だ。
明後日から始まる「Dragon head Miracle tour 2008」では、
剥き出しの大人の男のROCKを魅せつけて欲しい!

「Don't Look Back In Anger」の
『空の青さだけが残った』というフレーズから連想して
私は今日、井上陽水の「青空ひとりきり」を聴いていた。

・・・・・・
青空 あの日の青空 ひとりきり

何かを大切にしていたいけど
体でもないし 心でもない
きらめく様な 想い出でもない
ましてや我身の 明日でもない
浮雲 ぽっかり浮雲 ひとりきり
・・・・・・
何物にも縛られず自由を求めて、
けれどその「青い空」は、どんなにも孤独が際立っている事か。
JAPAN 2月号に載せられた一万人の観客を熱狂させている
ステージ上の吉井和哉の姿は、
何故か私には、一万人と同化する存在ではなく、
ただただ「個」を主張しているように視えた。
1月22日広島厚生年金会館のステージに立つ彼を
私は、どういう風に感じるのだろうか。
震える程に楽しみだ。






太陽を追いかける - 2008年01月18日(金)

吉井和哉年末武道館「HELP」で
『助けて!僕には、誰かが必要だ』

『僕はそんなに自分に自信がない
僕は扉を開いてしまった』

『僕の足をもう一度地面につけさせてくれ
お願いだ、お願いだから助けてくれないか』

スクリーンに訳詞が映し出されていた。
“HELP!”と魂の底から絞り出すような
切実な訴えを感じさせる歌声だった。

ひょんなきっかけで今日、山崎ハコの
「ヘルプ・ミー」を聴いた。
“何が毎日だ  もうやめだ  私を助けて
 そんな時に  起き上がって 歩こうとする自分がいる
 それが好き  だから叫ぼう 心の中で
 自分に叫ぼう ヘルプ・ミー” 

苦しみから抜け出すのは、結局自分自身の力だ。
悩みや迷いの中で自分自身に向かって“ヘルプ・ミー”
私は、私自身の強さを信じる!
誕生花が「ひまわり」だから、尚更この歌に惹かれた。
「ひまわり」 山崎ハコ 作詞・作曲

太陽を追いかける どこまでもどこまでも
顔を上げ首を振り 太陽を追いかける
誰もが逃げるのに 私は追いかける
太陽を追いかける 雲にかくれるな
もっと燃えろ燃えろ 私のために
あなたの光の粒が 作った私なのよ
逃げてもだめなの 私はひまわり

たった一度だけ もう私は咲けないの
今のうちだけよ 秋風が後にいるの
いっそかげろうのように 舞い踊れるのなら
太陽に帰れる 一つになれる
その日のために わき目もふらず

誰もが来ない雲の上 登って行きたいの
季節が変らぬうちに 私はひまわり
季節が変らぬうちに 私はひまわり・・・・・



この世に一度の生を受け、命を燃やし尽くさずしてどうする。
憂鬱なんて吹き飛ばして、太陽を追いかけてみせよう。





I WANT A FUTURE - 2008年01月16日(水)

1月16日付け吉井和哉の「お茶菓子のような一言」は、
『願わないと叶わないんだよなぁ』だった。
自宅のパソコンデスクの近くに貼ってあるカレンダーに
大きく書かれているのが、
『最初の一歩は願うこと 』という言葉だ。
最初の一歩は願うこと
富士の山頂にたどり着くことができるのは
あの頂に立ちたいと願い
一歩を踏み出した人だけである
何事もまずは願うことから始まる
松下幸之助 (人生心得帖)
まず「願う」こと。
それがなきゃ始まらない。
「バラ色の日々」の
“I WANT POWER I WANT FLOWERS
 I WANT A FUTURE I WANT PLEASURE
 I'M JUST A DREAMER
 ARE YOU A BELIEVER? ARE YOU A BELIEVER? ”

メロディが浮かんで来る。
「SWEET CANDY RAIN」PVに登場した少女(菊地凛子さん)が
呟いていた
『別に信じる事はないの。ただ何度も唱えるだけで良いの。
 それが習慣になっていく。言葉を発しなくても、口に出さなくても声にしなく
 ても、例えば全然口を動かすだけで良いんだわ。
 そうすればいつか必ず何かが起こる。何かがやって来るのよ。』
も蘇る。
サリンジャー「フラニー/ズーイー」では、
上記の言葉に続いて『そして祈りの言葉と唱える人の
心臓の鼓動が合ってくるの。絶えず祈るということが
現実に起こってくるの。』フラニーは語っている。
願いと祈りは、どう違うのだろう。
エゴが交れば、純粋な愛には、為らないのだろうね。
私の「願い」は、最初の一歩から間違っているのだろうか。
考えていたら途轍もなくやるせない気分に陥った。
けれども、「ズーニー」の一節が目にとまった。
『おまえが振り向くたびごとに、大事なときが
どんどん消えさってしまうんだ。』
吉井和哉の
“過去を抱きしめ Don't Look Back in Anger
 Don't Look Back in Anger 飛び立て

 さあ行きなさい”
同じ事を言っているのだよね。
私が「喪失を欠落を受容」出来るようになるのは、いつのことだろう。
道は、長いけれど、歩いて行かなくちゃね。





希望の水 - 2008年01月13日(日)


吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」「祖母の死」の章で、
吉井和哉が1998年正月スペイン旅行で訪れた
トレドのサントトメ教会で見た絵は、
エルグレコの描いた「オルガス伯の埋葬」だ。
この絵を見た時に『頭の中で“球根”が流れた』と語っている。
この絵の下半分に描かれた地上では、オルガス伯の亡骸が聖アウグスティヌスと
聖ステファヌスに抱き抱えられ黒衣の参列者や騎士の見守る中で
埋葬されようとする姿が、そして絵の上部では、
オルガス伯の魂がイエスの導きで天上世界へ生まれ出でる様子が
表わされている。
魂が中心部を下から上へ昇って行く様子は、あたかも
胎児が産道を通って誕生するようにも見える。
「死」と「再生」、「喪失」と「魂の平安」「希望」
そういうものを感じる。
吉井は、『“球根”が嫌いな曲というわけじゃないんだけど』とか、
言っているけれど、私は、THE YELLOW MONKEYの中で
この「球根」「BULB」はベスト3に入る曲だ。
「球根」は、物凄く研ぎ澄まされた詞だと思うし、
「BULB」の詞、特に訳詞には、どれくらい力を貰って来たか判らない程だ。
どれほど闇が濃くとも絶望が深くとも、
この身体の内奥に赤く息づく熱い血のマグマ、
生と性の炎が脈打つ限り、光は射すだろうって。
私にとって、この「球根」「BULB」は、最高の「希望の歌」だ。
この「球根」がリリース(1998年2月4日発売)されてから、もうすぐ10年になる。
『初登場1位は、競合アーティストがいなかっただけだろう』なんて、
そんな理由だけじゃないと思うよ。
自分が作った曲だからと言って何を言っても許される訳じゃないと思うぞ。
何年か後でも良いから、またこの「球根」「BULB」を歌って欲しい。
様々な人生経験を重ねた吉井和哉が表現するこの歌をこの歌詞を
聴きたいと願う。






強い光 - 2008年01月11日(金)

『ブラックホールからの強い光』というニュースを見た。
地球からおよそ1千万光年離れたケンタウルス座にある
ケンタウルスA(正式な名称NGC 5128)の中心部にある
ブラックホールから、最長一万三千光年にも及ぶ
X線ジェットが噴出されているのだそうだ。
「ブラックホール」「ケンタウルス」
吉井和哉を連想しない訳にいかない。
「発光」
“今見える星空 百年の恋も
 霞むような強い光で

 君は一人じゃない まして孤独じゃない
 身体のどこか火照るならば歌い続けてたい
 ・・・・・・
 後戻りはしない 歌い続けてたい
 身体が透けるほどの強い光放ちたい

 心の中にある宇宙のような
 終わりのないゼロの連続
 これで終わりじゃない
 歌い続けてたい”


ドラゴンヘッドミラクルツアーで聴けるのだろうか。
この曲を歌い演奏する吉井和哉から
身体が痺れるような強い光を感じたい。
衝撃を浴びたい。




求める! - 2008年01月10日(木)

「青春の賦」サミュエル・ウルマン

 若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。
 若くあるためには、強い意志力と、優れた構想力と、
激しい情熱が必要であり、小心さを圧倒する勇気と、
易きにつこうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
 人は歳月を重ねたから老いるのではない。
理想を失うときに老いるのである。
 歳月は皮膚に皺を刻むが、情熱の消滅は魂に皺を刻む。
心配、疑い、自己不信、恐れ、絶望---これらのものこそ
成長しようとする精神の息の根を止めてしまう元凶である。
 70歳になろうと16歳であろうと、人間の心の中には、
驚異に対する憧憬や、星や星のようにきらめく事象や
思想に対する驚きや、不屈の闘志や、来るべきものに対する
子供のような好奇心や、人生の喜びおよび勝負を求める気持ちが
存在するはずなのだ。
 人はその信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。
 自信や希望に比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。
 大地や人間や神から、美しさ、喜び、勇気、崇高さ、
力などを感じとることができるかぎり、その人は若いのだ。
 すべての夢を失い、心の芯が悲観という雪、
皮肉という氷に覆われるとき、その人は真に老いるのだ。
 そのような人は、神の哀れみを乞うしかない。

八十歳の誕生日に記念出版した「八十歳の歳月の高みにて」より



吉井和哉が昨日、2枚のCDを紹介してくれた。
とても気に入ったというJane Weaverの映像を見つけた。

良いじゃないか〜〜。
新しいものにまた出逢えた♪





イエローモンキーのファンだもの - 2008年01月08日(火)

今日この1月8日という日に、今年も「メカラウロコ8」の映像
「THE YELLOW MONKEY LIVE AT TOKYO DOME」を観た。
2002年からずっと、大阪ドーム公演が行われた1月4日か
東京ドーム公演だった1月8日のどちらかの日に必ず
WOWOWの中継録画か解散決定後に市販されたDVDか、
どちらか必ず見ている事になるんだよね。
毎回、4人の格好良さにときめいて、吉井のしょーもないギャグに
笑って、胸を熱くして、いつも同じ箇所でボロボロ涙を流して。
最終的に自分がこのTHE YELLOW MONKEYというバンドを
どれ程までに好きかを再確認させられるのだ。
「I LOVE YOU BABY」での、これぞロックバンド!というような
各人それぞれ際立つ存在感、「GIRLIE」から「天国旅行」、「カナリヤ」へ
続く決して他者では表現出来ないよう狂気と熱と純性。
「JAM」の大歓声、「バラ色の日々」でドームに響き渡った合唱。
「峠」前のMCで吉井和哉が『沢山の希望と絶望と興奮をありがとう』と
言い放った時の観客のどよめき。
吉井和哉は、自伝の中で、この東京ドーム公演を
『あのね、申し訳ないんだけれど俺は、最後の東京ドームの
ライヴは死んでた。……なんか……普通の……普通の精神状態。
なんの気持の昂りもなかったし。……「こうでしょう?」
「こうやればいいんでしょう?」みたいな。』と書いたのだ。
全くなんて呆れた男だろうか。
あのLIVEを「本能で」やったというのか。
確かに「必死で」「できる限りのことをやった」という事は、判る。
でも、正直に言えば良いってもんじゃないと私は思うよ。
THE YELLOW MONKEYの最後のステージを大阪ドームと東京ドームで
終われた事を、そのLIVEを作り上げたメンバーや三国さんや
その他大勢のスタッフさん達への愛と感謝は伝えたんだろうか?
勿論愛情深い吉井和哉の事だから当然だと思うけれど、
「自伝」を読む限りではあまり伝わって来なかった。
近しい人達には言葉になんかしなくても充分なのだろうけれど、
遠くから、言葉という形でしか見られない私みたいなファンから
したら、その事が淋しかった。
「真珠色の革命時代」で吉井がエマのギターの指使いをシンクロさせる
あのシーンがとても好きだ。
あったかくて優しくて、もう一度この曲を4人+ベレー帽を被った三国さん
(メンバー紹介で吉井が「復活する時はベレー帽被って」と言ってたから♪)
で演奏して貰いたい。
「メカラウロコ楽団」に出演して貰いたい。
昨年12月28日「吉井武道館」での、『これからも続けていれば・・・』
発言は、もう、なんて言ったら良いか、「こんちくちょう!」という感じだ。
「惚れた弱みに付け込んで〜」とも思うし、
「ここでそれを言っちゃう吉井のずるさと弱さには敵わないのか」という気もする。

「待つ」という言葉で、4人の未来を縛りたくない。
2001年1月8日東京ドームが終わった後に、
私が当時あったTHE YELLOW MONKEYの公式サイトに
書き込んだのは、『自由に4人共、想い想いの自由な空へ羽ばたいて下さい。
また何処かで出会えたら良いね。』という言葉だった。
その「何処か」を見つけられたら良いなあ。
「虹」を信じています。
THE YELLOW MONKEYは終わらない私の青春だから。
THE YELLOW MONKEYの未来を信じています。





My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間