ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

ALL BY LOVE - 2006年12月30日(土)

「THANK YOU YOSHII KAZUYA」ツアーファイナル(の筈だった)
12月28日武道館LIVEをヒーセとアニーが見に来ていたと知った。
関係者席に並んで、時には前に身を乗り出して、
LIVEを鑑賞していたそうだ。
「YOSHII LOVINSON」や「吉井和哉」として発表した曲は、
勿論ヒーセやアニーが見に来てくれた事がとても嬉しい。
けれど、「パール」のようにアレンジが大幅に変わっていた曲はともかく、
「楽園」や「SPARK」というTHE YELLOW MONKEY時代に数多く演奏し、
彼らの代表曲と言える曲たちを武道館のあの席で二人は、
どのように受け止めたのだろう?
バンドの苦悩の真っ只中で生まれたような「バラ色の日々」は、
二人にどんな風に響いただろう?
ダブルアンコール前、「BELIEVE」が終了した時点で、
ヒーセとアニーは、係員に促されて退席したらしい。
吉井が『好きな場所で、好きな歌を歌って生きたい』と独りギターを抱えて歌った
「JAM」を二人はどこで聴いただろうか?
エマは、楽屋で聴いていただろうか?
TV生中継の時私は、「ああ、ついに吉井はこの歌を歌えるようになったんだあ。」と、
吉井の腹の括り方とかに感慨深かったのだけれど、
今は、他のメンバー達の心情が気掛かりに為って来た。
ヒーセは、自身のブログにこの上ない程の愛に溢れたコメントを書いてくれていた。
彼の優しさと懐の深さに感涙した。
吉井は、幸せ者だ!
バンドスタイルで吉井がサポート陣を従え、エマがギターを弾いて、
「JAM」を歌ったのではなくて良かった。
そんな光景は、耐えられない。

吉井和哉が、来年1月8日付けでBOWINMAN MUSICを離れるという発表から、
このツアーでTHE YELLOW MONKEYの曲は、封印するのでは?とか、
エマのサポートも終了するのでは?と懸念する向きががあるようだ。
私は、そうは思わない。
THE YELLOW MONKEYの曲を封印する為にこの「THANK YOU YOSHII KAZUYA」ツアーで
「楽園」や「SPARK」、「パール」、「BURN」、「太陽が燃えている」を演奏した訳じゃないと思う。
好きな曲だから、伝えたい曲だから、歌いたいから歌ったのだと私は感じた。
これらの曲は、THE YELLOW MONKEYの曲だけれど、それだけじゃない今の
吉井和哉が歌うことで新しい命が吹き込まれていた。
でも最後の「JAM」は、まだ曲自体の大きさに吉井和哉個人の力は及んでいないように感じた。
吉井和哉は、これからも己の「JAM」に挑戦し続けて行くのだろう。
「JAM」を完全に掌握しきれるようになった時初めて、吉井は、
THE YELLOW MONKEYの呪縛を解き放つ事が出来るかもしれない。
と同時に新しいTHE YELLOW MONKEYの幕開けが始まるような気がしている。





12月28日吉井和哉at武道館 - 2006年12月29日(金)

フジテレビ721吉井和哉LIVE生中継を見た。
12月28日、武道館、この2つのキーワードが
計り知れないほどのパワーを吉井和哉に与えていた。
初っ端「I WANT YOU I NEED YOU」の裏声で「うわっ」と
思ってしまったが、吉井は気力と迫力で乗り越えた。
曲が進むに連れて、キャプテンハーロックのような赤ジャケ、
ラメパン、ふわふわの金髪でステージを謳歌する吉井和哉は、
正にROCK STARの風格だった。
『ヤバイ、俺、今日ヤバイよ。』
『楽し〜。』
愁くんがブログに書いてくれていたけれど、この日武道館の会場に居た人も
お茶の間でTVを見ていた人もそうでない人も、全国のファンたちが
この日この時間にステージの吉井和哉&バカバンドの皆にパワーを
送っていたのだと思う。
それくらいミラクルだった。
『12月28日に毎年武道館でLIVEを演りたい』
『12月28日を吉井和哉の日にする』
頼もしい言葉が本当に嬉しい!
27日武道館初日も素晴らしいと思ったけれど、28日は、
一つ一つの曲がより一層心に響いて来た。
切々と歌い上げたアンコールラスト「BELIVE」が終了し、
観客の拍手が鳴り止まない。
ダブルアンコールだった。
『好きな場所で、好きな歌を歌って生きたい。』
その言葉で直感したとおり、アコギを抱えた吉井和哉が演奏したのは、
「JAM」だった。
当日朝必死に練習したのだという。
後半かなり覚束ない手元だったけれど、それでも尚一層素直に
吉井の「この歌を歌って届けたい。」という気持ちが伝わって来て泣いた。
ありがとう、吉井和哉!
これからもどうぞあなたの好きな歌を歌って生きて行って下さい。
その道のりを私も所々のLIVEという場所で触れて行けたら最高に思う。
日常に戻って今日からまた自分の場所で生きて行かなきゃ、さあヤルぞ!と
そう前向きなパワーを貰えた。
THANK YOU YOSII KAZUYA&THE YELLOW MONKEY&BOWINMAN!!!




12月27日吉井和哉 at武道館 - 2006年12月28日(木)

武道館初日に行って来た。
私にとっては、昨年10月のジョン・レノン・スーパーLIVE以来の2度目の
武道館だった。
12月に入って吉井の喉の不調によるLIVE延期、そして突然の
吉井ボウインマン事務所離脱&KY散会の発表・・・
次々もたらされる不穏な知らせで、あれこれ心配ばかり募って、
正直武道館LIVEが楽しみよりも、「大丈夫なんだろうか」と不安が
勝っていた。
けれど、武道館のステージの吉井和哉を見たら、もうそんな心配など吹き飛んでいた。
序盤、声の荒れが気に為る曲もあった。
けれど次第に調子を上げて、「TALI」「CALL ME」「恋の花」
これらは、本当に声も出て武道館全体が吉井和哉に支配されていた。
座席が1階南でちょうど吉井を正面にみられる席だったので、
正面のスクリーン、左右のスクリーン、アリーナの様子、東西の1.2階席の様子等を
目にする事が出来て、福岡や石川など割合ステージ近くで見た印象とは、また違った
印象を抱いた。
何といっても一番嬉しかったのが「太陽が燃えている」に出会えた事だ。
ずっと生で聴きたいと願っていた曲をこの武道館で聴けて感激した。
「ひまわりのペンダント」を身につけて行った甲斐があった。
最後に演奏された「BELIVE」がこれまで聴いた中で一番沁みた。
インパクト大だったMCでは、『ロック界のディープインパクトです。』
『一発1500万円です。』←本物の一発より高いんですね。
よっぽど自信がおありに為るんですね?(笑)
『バーニーの飼ってるねこちゃんの名前は、にゃん左衛門』!
エマがセンターに出て来てソロを弾いてくれる場面が多くて、
それがまた凄い格好良くて痺れた。
ラスト近くてバーニーとエマがセンターで背中合わせでギター競演してるあの姿に
最高に興奮した。
あのステージを見たら、吉井がこの先どんな環境でどんな活動をしていこうとしていても、
心配する必要など何もないと思った。
「信じられる!」と素直にそう思った。
今朝、目覚めて東京の青空を見上げて、自分の心も晴れやかだった事が嬉しかった。

今夜の武道館LIVEは、TV中継を見る予定だ。
12月28日という重要な意味を持つ日の武道館LIVEを見ずに帰って来なければならず、
東京行き寸前まで未練たらたらだったけれど、今日は殆ど心を残す事無く帰って来れた。
昨日のLIVEの素晴らしさのお陰だ。
武道館を支配する吉井和哉の勇姿をどうぞ全国に魅せつけてやって下さい!





MERRY X’MAS! - 2006年12月25日(月)

吉井和哉が来年1月8日をもって音楽事務所BOWINMAN MUSICの所属を
離れる事が発表された。
最初携帯にその第一報を受け取った時には、何の事やら見当もつかず、
慌ててKYのサイトへログインしても、動揺のあまり「お知らせ」すら見つけられない
有様だった。
吉井和哉の「卒業」という言葉、『ファンクラブサイト「KY」は一度、散会』という言葉、
文字の意味は理解出来ても現実と上手く認識出来ない奇妙な感覚だった。
吉井和哉が考える『「ファンクラブ」という存在のあり方』、
『「ファンクラブ」の運営の仕方』というものが一体どんな形なのだろうと、不安を覚えた。
そして何故この12月27日、28日の武道館公演を前にした今日この日の
発表なのだろう?終わってからでも良かっただろうにと、
この忙しい年の瀬に地方から武道館へ行く為に必死になってる気持ちに水を差されたような
遣る瀬無さを感じてしまった。
けれど、しばらくしてKYからのお知らせメールが届いて、改めて文面を読むうちに、
今日このクリスマスに知らせて貰えて良かったと感じ始めて来た。
3公演が延期に為ってしまった為にファイナルでは無くなった武道館LIVEだけれど、
吉井は、このLIVEで全てを包み隠さずありのままの自分を伝えたいと願ったのじゃないかなあ。

『自分の可能性を拡げる為に』15年もの長い年月を共にしたBOWINMANという巣から
飛び立つ決断をしたという吉井の前途を私は、武道館で祝福してあげたい。
MCで吉井の語っていた「別れ」がこんなにも大きな出来事だったとは、、、
此処に至るまでの吉井の苦悩の深さを思うとやっぱり私は、
『あなたの決めた道を思う通りに進んでください』と言ってあげたい。
吉井和哉が理想の音楽を作り続けてくれる事、それが一番の願いだ。
吉井和哉がBOWINMAN所属を外れて、あの4人がバラバラになって仕舞う不安も少しある。
けれど私は、それ程重要な事じゃないと感じている。
今は封印されているけれど「THE YELLOW MONKEY」というバンドがあの4人の母星だと
思っているから。
ボインマン事務所の所属ではなくなっても、吉井やエマやヒーセ・アニーが
音楽活動している限り、望みは消えてないと信じている!
思いは変わらない!
永遠に変わらない!
MERRY X’MAS!






どまんなか - 2006年12月20日(水)

ROCKIN'ON JAPAN最新号が届いた。
『圧巻!ロックンロール・スター吉井和哉、完全復活ツアー』と題されたページに、
目を閉じて左手をすっと伸ばしたロックスターが映し出されている。
喉元まで滴り落ちる汗、指先まで漲る気、何て美しい画だろうか!
続いて掲載されている黒シャツ・赤ラメパンのポーズも、
金髪を振り乱して咆哮する仕草も、THE YELLOW MONKEY時代を
彷彿させるのだけれど、文中で兵庫慎司さんが述べておられる通り、
このツアーでの吉井和哉は、あの頃の吉井和哉に戻った訳じゃないのだ。
既にもっとずっと先へと進んで行っているのだ。
兵庫さん曰く『この「39108」というアルバムの、次のアルバムでやるべきライヴ
をもうやっちゃってるのだ。』という、そういうライヴを吉井は、演っている。
LEDでKREVAとコラボするという度肝を抜くオープニングから、
ストーンズの替え歌、ビートルズやボウイのカバー、ソロ曲の大胆アレンジ、
そして計5曲ものTHE YELLOW MONKEYナンバー・・・・・
「THANK YOU 吉井和哉」というツアータイトル通りのスーパーセットリストだ。
『終演後ロビーに出てきたお客さん達は、男も女もみんな頬を上気させ
うれしそうで、うっとりとした顔をしていた』と兵庫さんは述べている。
FM802での吉井の表現によれば『終演後のお客さん達は、ぼーっと
まるでイッちゃった後のような顔で物販の列に並んでいる。』そうだ。
凄く良く判る描写だ(笑)
『悪いこと言わないから観た方が良い。ツアーのチケットがもうないなら
COUNTDOWN JAPANで観たほうが良い。同じ時間帯の別のステージのバンドには
申し訳ないけど。』って、そこまで言って下さる兵庫さんに感激した。
ここまで言って下さるなんて、吉井さん、果報者だ!
『ステージのの上のロックンロール・スターにみんなで熱狂して
興奮して合唱して歓喜する』、そういう『ロックンロール・ショー』を
吉井は今創り上げようとしている。
まだ完成されてはいない。でも一歩ずつその理想形へ近づいている。
そのLIVEの場に参加出来るという事がこの上なく嬉しいのだ。
金や欲望や愛や希望が強烈に渦巻く巨大なカオスのどまんなかに
81ページの吉井和哉がすっと降り立ったようなそんな印象がした。




吉井コラム更新 - 2006年12月18日(月)

公式サイトのコラムが更新されて、今回のLIVE延期についてのお詫びが書かれていた。
『生まれて初めてのコンサートを飛ばし』に相当猛反省しているようだ。
専門医に看て貰って声帯の画像を撮り、ステロイドも処方されたそうだ。
『葉書サイズだから年賀状にしようかと思った』とか『声帯って見た目がちょっとH』とか、
実に吉井らしい表現に笑ってしまったけれど、とにかく無事快復してくれて良かった。
確かに声帯の画像って、閉じたり開いたりピンク色だし、考えてみればHだわね。
吉井の声帯の形状がどんな風になっているのか非常に興味があるけれど、
恥ずかしいそうなので公開は無理みたいで残念(笑)
それでも、自分の「声帯」の画像をその目で実際に目にし、
がどれ程の宝である事か、『自分一人の声ではないんだと』いう事が
骨身に沁みたようなので、過度の喫煙や飲酒など、喉にとって有害なものを
少し控えるきっかけになったのでは、と期待している。


コラムの後半に、最近『自分が死んだら火葬や土葬は嫌だ』と強く感じて、
故郷の用宗海岸の沖に『そのまま投げ捨ててほしいと思った』等と書かれていて、
少し危うさを感じた。
この前の「赤ちゃんを抱きたい」の時も『死期が近づいているんじゃないか』と
自分で言ったりしていて、どうもこの人は直ぐそういう「死」を簡単に口にする
傾向があるけれど、そういう聴いている者に不安を与えるような表現は、
正直止めて頂きたい。
「癖だから」とは、思いつつも、あんまり気分の良いものじゃないと思うなあ。
ちなみに「水葬」は、腐敗やら何やらで非常に悲惨な状況に為るそうなので
是非考え直して頂きたい。(それ以前に日本では認められないだろうけれど。)
それだったら、もし叶うなら私は、以前吉井自身が話していた「チベットの鳥葬」に
憧れる。命を喪った肉体が鳥葬士らに解体され鳥たちについばまれ、骨だけになり、
その骨を砕いて撒いて、最後には鳥たちが綺麗に食べ尽くして仕舞う。
文字通り大地に還るのだろう。
最高の葬送だと思うけれど、現代の日本では出来る筈も無い。
死にゆく者の我がままという気も少しする。
葬儀とは、亡くなった人の冥福を祈り別れを告げる儀式だ。
残された者の癒しの場であり、死を受容する場なのだ。
チベットとは、死生観、宗教観の違う日本では、
「水葬」が良いの「鳥葬」が良いのだのと、個々の死にゆく者のエゴで、
残された者が悲しむ事など無いようにしたいと感じた。


LIVEのコーナーに12/15の「盛岡市民文化ホール」でのLIVE写真も更新されていて
『後はパフォーマンスで応えます。』の言葉通りの頼もしい姿を魅せてくれた。
年内はあと6公演、どうかキラ綺羅眩しいロックスターのオーラを振り撒いて下さい!





あたしはねっ! - 2006年12月08日(金)

TOUR 2006 THANK YOU YOSHII KAZUYAツアーで演奏されている
ローリング・ストーンズ「PAINT IT BLACK」のカバー曲は、痺れるくらい格好イイ。
内股でクネクネしながら
“これはどうやら女の子に変身した方が良さそうだわ。
明日からバイブは使わないからね。携帯じゃないの。大人のアレよ。”
って
妖しさ全開で歌う姿にゾクゾク痺れた。
“あたしはねっ、ただの淫乱じゃないのよ。
 あたしはねっ、愛と平和が欲しいのよ。”

ただのエロじゃ終わらない吉井和哉が凄い。
性と生が密接に織り成す本能の歌になっている。
力強くって切実な説得力がある。
“あたしはね、ペイント、ペイント、ペイント。黒く塗れ。
・・・・・・PAINT IT BLACK!”


今の気持ちを喩えるなら、
あたしはねっ、ただのカズヤーじゃないのよ!
あたしはねっ、あなたの歌が欲しいのよ!
この世からあなたの歌が失くなって仕舞うなんて許さない。
そんな世界ならいらないって程の勢いだ。
だから、ちゃんと身体を治して帰って来てね。
私の馬鹿な不安を木っ端微塵に吹き飛ばして下さい。




I BELIVE - 2006年12月06日(水)

昨日開催予定だった「吉井和哉 TOUR 2006 THANK YOU YOSHII KAZUYA静岡公演」が
本人体調不良の為急遽延期になった。
夕方、もう開場時間だなあと暢気に覗きに行ったKY BBSで第一報を知り、
物凄く動揺してしまった。
大阪2日目の喉の調子は、少し回復傾向だったようなのに、
「急遽中止」とは、何が起こったんだろう?もしや倒れでもしたのか?と
何も手に付かない状態だった。
このLIVEの為に東京から静岡へ出掛けておいでの方に、問い合わせてみた。
『リハの段階で、喉の調子が悪いので今夜のLIVEを諦めたらしい』
『吉井さんは、倒れた訳でない。大丈夫そうだ。』と教えて頂いた。
吉井さんの状態が気掛かりで堪らなかっただけに、これを聞いて安堵した。
遥々静岡まで遠征なさってLIVE中止とは、さぞかしショックだったろうし移動も大変だったろうに、
優しく教えて貰えて本当に感謝した。
あの過酷な113本ものライブを敢行した「パンチドランカーツアー」中、アンコール終了後
意識を失って救急車のお世話になっても、インフルエンザで点滴うっても、
LIVEを飛ばす事の無かった吉井和哉が、静岡、松山、香川計3本もの
LIVE延期を決めるとは、どれだけ重い決断だったことだろうか。
KY BBSに書き込まれたコメントは、
YOSHII KAZUYA[ 2006/12/05(Tue) 19:41]
ごめんなさい
コンサートを楽しみにしていたファンの皆さん、本当に申し訳ありません。
自分の中には、過去にも「コンサートを延期する」という発想は全くなかったのですが、
今日、事前まで、色々な努力をしてみましたが、全く声が出ません。
普段から体調管理には、十分注意をしていましたが、考え、方法が甘かったと深く反省しています。
なんてお詫びをしたらいいのか、解りませんが、今は一刻も早く完治することだけに専念したいと思います。


血の涙を流しているであろう吉井和哉の痛みを思うと、震えが来る程だ。
ただ一刻も早く快復するようにと祈る事しか出来ない。
クサイ事言っているようで恥ずかしいけれど素直な気持ちを届けようと思った。
『Ev'rything's gonna be alright
声が出なかったって、どんなにか恐怖だった事だろうかと胸が痛みますが、
きっとそれは、「このまま無理したらもっと大変な事に為る」って、
天の配剤だったのだろうと思います。止めてくれたのじゃないかな。
神様がくれた強制休養でしょう。
ご自分を責めずにじっくり静養なさって下さいね。
時が満つればきっと全て上手く行きます。そうに決まってます☆ 』


天の配剤・・・言い切ってます(汗)
でも「メカラウロコ8」大阪ドーム退場の時に聴いたBOB MARLEYの 「No Woman,No Cry」の
メロディーが私を優しく強く包んでくれている。

“In this bright future you can't forget your past
So dry your tears I say”
・・・・・・
“My feet is my only carriage
So I've got to push on through”
・・・・・・
“Ev'rything's gonna be alright”
忘れる事は無理だろうけれど、未来は明るい。
あなたを導くのは、あなた自身の歩みだけ。
だからどうぞ歩き続けて下さい。
きっと全て上手く行く!








11月30日吉井和哉 石川厚生年金会館LIVE - 2006年12月01日(金)

石川厚生年金会館LIVEへ行って来た。
座席が扇状でとても見やすいホールで、今回3回見に行けるうちで
一番良い座席だった。
福岡で嵩張るからと購入を見送ったパーカーとブランケット、
ついでに煩悩飴をGETしてホッとしたところでラビットに見つけて頂く。
恥ずかしながら画像送っておいて良かった。
同好の士、そして同郷ということで、初対面とは思えない程、
打ち解けさせて貰った。LIVE前そしてLIVE後の興奮と感動を分かち合えて
本当に良かった。また一つ素晴らしい出逢いを経験しました。感謝です!

石川では、直前までTV CMを遣っていたという事を聞き、客の入りを
相当心配していたけれど、確かにホールの上部何列かは空いていたけれど、
思いの他男性客が多くて、観客のノリは良かったと思う。
KREVAさんのオープニングであったまって来て、電飾を背にポーズを決めた
吉井和哉の登場シーンは、やっぱり惚れ惚れする格好良さだ。
大きめボタンが並んだ赤ジャケ、黒のラメシャツ、黒パンツ、左手にラメ白手袋、サングラス。
本人、「キャプテンハーロック」って仰ってたけど♪
エマさんのサングラス姿がもう本当に決まってて、目を奪われた。
「I WANT YOU I NEED YOU 」のフリが楽しい。
「HOLD ME TIGHT」の「おにぎり」が可愛くてエロくって好きだ。
『10年振りの金沢です。良い町ですね。着物着て歩きたく為ります。』
98年のパンチドランカーツアーで石川厚生年金会館と石川産業展示館に来てるよ?
そして2000のPOP HILLにも出場してるけど。まあ、とにかく凄い久し振りです。
来てくれてありがとう。
着物と言えば「音楽と人」に載ったお茶屋さんでのフォトは、凄い雰囲気あって良かった。
是非、艶やかなお着物着て加賀格子のひがし茶屋町なぞを歩いて頂きたい。

沖縄レポで吉井の声の調子が良くないと聞き、気掛かりだった。
序盤ではそれほど気に為らなかったが、やはり音程を低く変えて歌ったりはしていた。
中盤からは、かなり声も掠れて辛そうだった。
けれど「LONELY」や「CALL ME」などしっとり歌い上げるバラードでは、
吉井は、ハスキーボイスで一層心を込めてこちらへ届けようとするその歌声は、
いつもより更に説得力があるように私には聴こえた。
「Paint It Black 」最高だ。
そして続いて奏でられたイントロは、「Ziggy Stardust」!
これが来るとは、予想もしていなかったので歓喜の坩堝だった。
日替わり曲は、掲示板で皆さんと予想していた「BURN」。
情念を全噴出させて赤く紅く燃えた。

日替わりで面白い事を言うらしいMCコーナーは、金沢のホテルのお話。
『LIVE前日ホテルに泊まってお風呂入ってさあ寝ようとすると、
天井がカタカタカタカタカタ・・・・・・。
超こえ〜〜〜〜。上にエマがいるのかと思いました。』←何故?(笑)
『でもエマは違うホテルでした。・・・・・・お化けです。部屋にお化けが・・・・・・。
古い町なのでお化けも千人も2千人もいてもおかしくない。』とかいうような事を仰ってた。

「バラ色の日々」前のメンバー紹介では、吉井は、「愁くん」「淳悟くん」と名前で呼ばせようとする。
何だか色々大変だそうなバーニーには「正くんと呼んで」とか言ってたけど、
やっぱり「バーニー」じゃなきゃ。思いっきり「バーニー!」と叫んでおいた。
エマさんには、『エマは前の呼び方。「英(ひで)ちゃんって呼んで。』と。
違和感あり捲りです。「エマ〜〜〜♪」と力いっぱいコールしました。
LIVE後の感想でも話し合ったけれど、昨日のLIVEでは、エマさんのオーラをビシバシ感じた。
ステージ際に出て来てギターソロを弾き捲る華麗な姿、
後方でちょっとご自身の世界に入っちゃったかのような陶酔っぽいお顔でギター揺らす姿、
今回エマも良く見える席だったから、より一層魅力的だった。
特に感じたのは、「BURN」だ。
THE YELLOW MONKEYを代表するようなヒット曲、そしてあの98年〜99年のパンチドランカーツアーで
華々しく演奏されたこの曲を今また体感出来る日が来ようとは。
「3.10ファイナル」を彷彿とさせるような吉井のビジュアルから一瞬時間を遡ったような
感触を覚えた。
(3.10DVDで見られた、あのアンテナみたいに2本立っている髪のハネまで再現していて笑った。)
けれど、あの当時の吉井和哉からは、艶かしさと妖しさを多く感じていたけれど
2006年初冬の彼は、よりしなやかにしたたかに逞しい大人の男の色香を感じた。
耳に馴染んだあのエマのギターソロは、THE YELLOW MONKEYの「エマ再来!」かと驚喜した。
いやそれ以上だった。
もっとその先に進化した懐の大きな包容力を魅せつけるギタリストエマの華を感じた。
本当に凄い事だと思う。
聴かせて魅せてくれてありがとう!

「FINAL COUNTDOWN 」では、左右の花道端まで行ってファンサービス頑張る吉井。
福岡初日の素晴らしいLIVEと比較して正直、声の調子は良くなかったけれど、
それでも1曲ごとの表現力・パフォーマンス・余裕・サービス精神は、
LIVEを積み上げて来た昨日石川公演が勝っていたように私には思えた。
バーニーの美しいギターの音色に重なる「恋の花」の真摯な祈りの歌声。
客席から「誰?」の声にガックリ崩折れる吉井の姿が最高に愉快だったモノマネMCの後に
奏でられた「パール」の煌き。
『新しい出逢いがあればそれと同じくらい新しい別れがあるのだと。
それでも、明るく前向きに毎日遣って行こうと思います。』
(記憶がかなり飛んでいるので、吉井のMCはかなり曖昧です。
ニュアンスで捉えて欲しいです。)
「BELIEVE」の歌の意味を噛み締めつつ吉井の歌声とバンドの音を胸に刻んだ。
私の「吉井和哉史」に深く位置づけられる一夜になったLIVEだった。









My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間