ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

あの世の果てまでKISS - 2004年05月28日(金)

お昼にテレビをつけたら、「笑っていいとも」にメーク無しのジーン・シモンズが登場して
『オハヨゴザイマス。』『ゴキゲンイカガデスカ?』と挨拶してた。
昨日、今日、明日開催される武道館LIVEの宣伝をしていた。
LIVE前にバラエティ番組への出演とは、頑張ってるな〜と感心してみていた。
まもなく目にしたのは、ヤフーニュースでの
『KISS 地獄まで現役 99年の引退宣言を完全撤回』という記事だった。
解散を宣言してからも毎年のように来日公演していたしなあ、と思ったし、
『ファンもそれ(引退)を望んでいないと気付いてからは、
自分たちが楽しめる限りは続けることにしたんだ。』とのポールの談話も納得出来る。
けれど、
『今後は新曲制作はせず、ライブアーティストとして活動を続けるという』
・・・この文章を目にして、結構ズシッと来るものがあった。
『ファンにとっては往年の名曲と共に脳裏によみがえる記憶が大切』
それは判る。
どんなに良い最近の曲よりも、過去の名曲に大きな歓声が興るだろう事も。

先月放送されたNHKアーカイブス「ヤング・ミュージック・ショー、
KISS初来日公演」を見た時の事を思い出した。
大槻ケンジさんや加賀美アナウンサーが、まるで「伝統芸能」であるかのように、
様式美だの「世襲制KISSを演って欲しい」だのと言っていたけれど、
これから新曲を生み出さずライブを見せて行くというKISSは、
もうROCKを演るのではなく、ロックショウを魅せていくバンドに
なるのだなあと思った。
それが良いとか悪いとか、そんな事を言いたいのじゃない。
『地獄の果てまでライブを続けていくことを宣言した』
大人から子供まで何世代にも渡って楽しめるロック・サーカス・・・
潔いその姿勢に感銘を受ける。
『生涯現役』を貫いていただきたい。
エンターテインメントを追求、それもひとつの道なのだ。
『自分たちが楽しめる限りは・・・』
どうしても、あのバンドの事が頭をよぎる。
唯一無二のライブバンドだという自負を持っていた彼ら、
再び4人がステージに結集する時、其々がLIVEをする事が
他の全ての事を圧倒する位楽しいものであって欲しいと思う。




吉井節 - 2004年05月26日(水)

アルバム「at the BLACK HOLE」が「吉井節炸裂だ!」だと仰る人がいて、
例として“無意味な過去のテーブルでほおづえついたら”『SIDE BY SIDE』を
挙げておられた。
また、同じ『SIDE BY SIDE』の
“破れている 中身出てる”
“ふさいでやろう BABY SIDE BY SIDE”の箇所を挙げ、
「君の破れている箇所をふさいであげたいという言葉と、
針を突き刺すという行為の共存が何ともエロティックだ。」と
言う方もおられた。
“針をくわえ・・・縫う しっかりと縫う”
“鋭利な喫茶店”で“ほおづえ付いて斬られ”血を流しているのは、
彼自身かも知れない。
自分自身も綻び破れている身体で、“君”を針で縫ってあげよう。
彼の詞には、「痛み」と「エロス」が深く結びついているようだ。
被虐と苛虐・・・両面を持っている。
愛を切望しながらも、どこか愛を信じきれていないような気配がある。
あどけない少年のような純粋無垢な心と、老成しシニカルな視点で
世を眺める毒気、相反する気質が彼の詞の世界にある。
孤独、絶望、寂寥感それらと同じくらい、無償の愛を希う想いの強さを感じる。
YOSHII LOVINSONのコラムによれば、
新曲「トブヨウニ」に収められる3曲は、
『at the BLACK HOLEに収録されなかった曲たち・・・
ある意味とても濃い』ものだという。
吉井節がより一層色濃く反映されたニューシングル「トブヨウニ」まで
あと二ヶ月、どんな詞の世界になるのだろうか。
早く吉井節に浸りたい。





遥かな世界 - 2004年05月24日(月)

THE YELLOW MONKEYへの餓えに襲われて、昔の映像を眺めている。
私がMONKEYの曲で特に気に入っているのは、「峠」「天国旅行」
「球根&BULB」だけれど、全120曲中で最もロマンチックだと
思うのは、「遥かな世界」だ。
「jaguar hard pain Live'94」の中でジャガーは、
『何千年、いや何億年一緒にいよう。・・・
ありがとう、愛してます。』と言って天を仰ぎ、祈るように
この曲を歌い出す。
“夜明けは 君と溶けたままで 眠りたい”
“石で性器をつぶしても 君を好きでいられるから”
肉欲を超えて肉体を離れて、精神のレベルで一緒に溶けあいたい・・・
性器をつぶすだの、カサブタを剥がすだの、痛々しい血の匂いのする詞だけれど、
この上なく甘美な究極の愛の世界への憧れを感じる。
“星を飲んだら月になれる
 月を操れば神に逢える
 神に頼んだら時は止まる
 時を止めたら君といられる”
ただ二人の時を止めたいと歌うのではなく、
星を飲んで月を操り神に願う・・・吉井和哉という人は、
本当にロマンティストなんだなあと思わされた詞だ。
“いたくない もう痛くない”から
“イタクナイ モウ イタクナイ・・・モウ イタクナイ”
現実世界からの脱却、肉体からの精神の解放、とても危険で甘やかな幻想だ。
この曲が発表されて10年も経つけれど、未だ色褪せず
瑞々しいロマンチシズムの香りに惹き付けられている。





Romantist Taste - 2004年05月21日(金)

“君と僕は 過去と未来よりも強く 結ばれて
 未来永劫に 出会い続ける”
ロビンのこの台詞で始まる「Romantist Taste」発売記念日だ。
THE YELLOW MONKEYデビュー曲・・・ライブでこの“君と僕は・・・”の
台詞付きで歌うようになったのはいつからなんだろう。
右手を斜め上真っ直ぐに何度も振りながら歌う姿は、惚れ惚れする程
だった。
「Romantist Taste」の色んな映像を見比べてみた。
日本青年館では、文字通り「妖艶」という言葉がぴったりに
甘くスキャンダラスな香りで妖しく蟻地獄へ誘う大輪の花のよう、
94年春「JAGUAR HARD PAINツアーファイナル」では、
白ジャガーがTHE YELLOW MONKEYの電飾の真下で、雄雄しく腕を
振り上げ熱唱していた。ジャガーが歌う「Romantist Taste」は、
甘さよりも儚さが勝って独特の色気が漂っていたように思う。
次は、その年夏の日比谷野音でのジーンズ上下にサングラス姿での
この曲・・・夏の野外という事で、攻撃的&挑発的というか、
とてもパワフルな「Romantist Taste」だった。
「TRUE MIND」で、1996年1月武道館全方位ステージ上、花道を
ぐるりと一廻りし観客を煽り熱烈な声援を浴びる彼は、
ライブバンドとしての余裕と貫禄さえ漂わせて、流石と思わされた。

“鐘が鳴るまでロマンティスト・テイスト
 背中のネジをフルに回そう”

いつかTHE YELLOW MONKEY復活ライブの日が来たら、
是非この曲を演って下さい。
青木景子さんの詩集『風の中の少年たち』に収められた
「遠い天の果てで」
僕らは
はじめて
会ったときに
遠い天の果てで
水を汲む未来を知っていた

そうして次に
生まれた僕らも
遠い天の果てで
水を汲むのだね。

それは何色の水か
わからないけれど
生命のように美しい
はじまりの水

君と僕は
過去と未来よりも強く 
結ばれて
未来永劫に 
出会い続ける


きっと『生命のように美しいはじまりの“音楽”』を
奏でてくれるに違いない。





「ばかもの」だから己の感受性は、他力で耕す - 2004年05月17日(月)

LOVINSON氏がコラムで「KILL BILL」の事を書かなかったら、
私は未だ、クエンティン・タランティーノ監督に触れる事がなかっただろう。
まず「KILL BILL(Vol.1)」DVDを観て、千葉真一の
服部半蔵やら「修羅雪姫」雪の庭園の再現、アニメーションとの融合、
そして所々に散りばめられた懐かし映画群へのオマージュ、
非常にテンポ良くバッサバッサと血飛沫上げて斬り捲るヒロインの
格好良さが実に爽快だった。
LOVINSON氏も仰るように、音楽がまたイカスのだ。
早速、「Vol.1」「Vol.2」ともサントラを購入して仕舞った。
冒頭「BANG BANG」が、この映画の為の曲かと思う程、
ヒロインにマッチしている。
サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」に梶芽衣子が歌う「修羅の花」、
パンフルートの音色がやるせない「ロンリー・シェパード」・・・
映像を何倍にも惹き立てる音楽だった。
「Vol.2」ラストには、「Vol.1」に収録されなかった
「怨み節」が入っているのも嬉しい。サントラを聴いただけでも、
スリリングでダイナミックなストーリーが期待出来そうでとても
楽しみだ。
ちょうどCS放送でタランティーノ監督作品「パルプ・フィクション」
「ジャッキー・ブラウン」を放映していたので、早速観たのだけれど、
今まで観ていなかった事を後悔させられた。
「パルプ・フィクション」では、時間軸の異なるエピソードがラストに向かって
一気に終結していく見事さ、絶え間なく繰り広げられるくだらないお喋りが、
最終的に、一本に繋がるオチのつけ方が凄い。
「ジャッキー・ブラウン」は、ヒロイン=ジャッキー・ブラウンの
小気味良い女っぷりに痺れた。
俳優陣もとても豪華だし、2作品とも流石、音楽も素晴らしいので、
こちらもサントラを探す事にした。
きっかけが何やら不純な気もするけれど(LOVINSONを追いかけてだから)、
琴線に触れたのは、あくまでも私の感性なのだから、
チャンスを貰えた事を素直に感謝しようと思う。
もうすぐ「ROCK JET」の発売だよね。
エマさんは、今回どんな映画を紹介してくれるのだろう。
また新しい作品に出会える事が楽しみだ。

ちなみにタイトルは、「茨木のりこ」の『自分の感受性くらい』の
最終章
“自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ”から(笑)

『年老いても咲きたての薔薇 やわらかく』
大人になっても、歳を重ねても、咲きたての薔薇のような
瑞々しい感受性を持ちたいと願う。





「KILL BILL」Vol.1・2の次は「女囚701号さそり」へ行きそうな自分が怖い - 2004年05月12日(水)

YOSHII LOVINSONの新着コラムに、『映画KILL BILL』の話題が
書かれてあったので、KILL BILL→「修羅の花」(梶芽衣子主演映画「修羅雪姫」)&
「怨み節」(梶芽衣子主演映画「女囚さそり」主題歌)
THE YELLOW MONKEY97年ライブツアーBGMに流されたという話を
思い出した。大きなライブ会場で突然
“花よ 綺麗とおだてられ
・・・女 女 女いのちの 怨み節”女の情念たっぷりに
梶芽衣子さんの凄みある歌声が響いたかと思うと、体感出来なかった事が
つくづく悔やまれる。さぞ衝撃だった事だろう。
それにしても、この曲をライブ直前に流すTHE YELLOW MONKEYというバンドは、凄い。
映画「KILL BILL」は、前作の公開時TVで良く流れていたCMで
梶芽衣子の「修羅雪姫」そっくりのシーンが流れていて面白かったのを
覚えている。多分「KILL BILL」に合わせて放映されていたのだろうけれど、
CS放送で遣っていた「修羅雪姫」「修羅雪姫 怨み 恋歌」を観た。
父母の仇を討つ為に、梶芽衣子扮する雪は、
仕込み杖の刃を片手に、独り修羅の道を尽き進んで行く。
黒沢年男、原田芳雄など彼女に思いを寄せる男達の壮絶な死に様、
岡田英次の悪役っぷりも良かった。
亡き父と兄の復讐を産み落としたばかりの我が娘・雪に託して
絶命した母の怨みを糧に育った修羅の華・一輪・・・
血飛沫を浴びる梶芽衣子は、超絶美しい。
肉親の復讐という私怨が、ストーリーが進むにつれて次第に
強大な国家権力への闘争へと変わって行く所も興味深かった。
「KILL BILL」の方は、ハリウッド色がキツ過ぎるようで何となく
敬遠していたのだけれど、
さっきTVで流れていた宣伝番組を観ていたら、
「KILL BILLザ・ラブストーリー」は、その名の通り「愛の物語」だと
言われていて興味を覚えた。それじゃあ最初から観るしかないな。
TRYしよう。

さて、冒頭のYOSHII LOVINSONコラムでは、
7/28発売予定NEW SINGLE「トブヨウニ」のカップリング2曲
「BLOWN UP CHILDREN」と「HATE」は、『at the BLACK HOLE』に
収録されなかった曲たちが完成されたものであると述べられている。
『今回のシングルは、ある意味とても濃いので是非聴いてみて下さい。』
凄く自信が感じられるねえ。
YOSHII LOVINSONと表記されるように為ってから、曲のタイトルが
英語や「カタカナ」ばかりだけれど、
『映画KILL BILLのサントラが好きだ』と『97年頃の自分のモードを思い出した。』と
コラムに書いているYOSHIIさんには、
“紫の炎ツアー”で流れた『怨み節』みたいに
日本人ならではの情念溢れる世界も魅せて呉れる事を願う。




飛ぶ夢 - 2004年05月07日(金)

YOSHII LOVINSON 3rdシングル「トブヨウニ」 7月28日発売だそうです。
まだ2ヶ月半近くも先だ。待ち遠しい!
「トブヨウニ」・・・何故カタカナなのだろう?
飛ぶ?跳ぶ?翔ぶ?
ふと、先日観た山田太一の小説「飛ぶ夢をしばらく見ない」を
映画化したという映画を思い出した。
雪の北陸線で起った列車事故で負傷した細川俊之扮する中年男が、
偶然同室になった女性と顔も見ぬまま、不思議な一夜を過ごす。
言葉だけの遣り取りがとても艶かしくて・・・翌朝、衝い立ての向こうに
居たのは白髪の老女だったけれど、次に出合った時彼女は、
40代、20代、そして10代と次第に若返って行く。
会社にも家庭にも全てに疲れ切っていた男性は、ミステリアスなこの
女性石田えりにのめり込んで行く。
世間の目を逃れ少女との愛の生活に溺れた日々は、やがて男の逮捕で
終わりを告げるが、落ちぶれ果てた男の前に彼女が5.6歳の幼女の姿で現れる。
もう離さないと誓う男に彼女は、
「最後の時が迫っている。このまま静かに逝かせて。」と願う。
「楽しかった。ありがとう。」と告げて、ゆっくりと雑踏の中に
消えて行く少女とそれを万感の思いで見送る男の姿が
とても印象的な映画だった。
表題の「飛ぶ夢をしばらく見ない」は、
”とぶゆめ”をしばらくみない
 といふはなしをしたら その夜
 ひさしぶりに”とぶゆめ”をみた
 吉原幸子「ゆめ」が元に為っている。
憂鬱で退屈な日常からの離脱?
思うようにいかない現実からの逸脱?
前にも書いたけれど、吉原幸子『夢あるいは・・・』http://www.mypress.jp/v2_writers/sapphire/story/?story_id=168039
私は空を自由に飛ぶ夢をみた記憶が無い。
映画の主人公達のような幻想的な出来事が我が身に起こる筈も無い。
せめて夢の中だけでも、飛ぶ夢を見たい。
LOVINSON氏は、飛ぶ夢を見るのだろうか?





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時の谷間