山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2004年02月29日(日) リハ継続しよう!

二日も続けて眠れなかったので、さすがに昨夜は良く眠った。それに午前中もうつらうつらとノンレム睡眠が続き、なにやらわけのわからない会話を妻に仕掛けていたらしい。夢を見ながら、その続きを語りかけているのである。まるで幻覚を見ているかのようだ。覚せい剤でもやったらこんな感じになるんだろうか。

午後は妻が用足のため、母に付き添いを代わってもらう。しばらく親戚やら家系の話に夢中になる。知らなかったことや、何度聞いてもぴんと来ない話やらが、この手の会話には付いてくるものだ。きちんと家系図などを起こしながら話を聞くのが良いだろう。今度は事前にある程度作成しておこう。

土日はリハビリが休みなので、自主トレなのだが、これがそんなにうまくいかない。先生がついてやる分なんか、とてもできそうもない。先生は補助もしてくれるが負荷もかけてくれる。それが補助もなければ負荷もかからず、これを自分で調整するというのは至難のワザだ。(言い訳)今日はこれからでも遅くない。やってみよう。

やがて戻ってきた妻が、新手のざくろジュースを見つけてきた。これも濃縮還元だがこっちはそのまま飲むらしい。マックスバリューにあったそうだ。このほかにはブルーベリージュースも置いていたそうだ。女性向け美容健康ドリンクといったところだろう。

夕食後、圏域水道企業団の田中光彦夫妻が来てくださった。夫人が美容師だけにウィークエンドがちょっとだけずれるらしい。今年のえんぶりには市庁芸能保存会では笛吹きが足りなかったため笛吹きに動員されたそうで、笛の大変さを味わったと話していた。


2004年02月28日(土) 大人もキレる

夕べもあまり良く眠れなかった。デカドロンのせいだろうが、それにしても体調が良いときに眠れないのは辛い。そして日中うつらうつらとするのだから辛い。

夕べは向かいの患者さんがぶち切れていた。
風邪薬が欲しいと言っていたにもかかわらず全然無視されたのであった。夜になってそのことを看護婦に言うと、看護婦の裁量では出せない、先生から聞いてみないと、といいながらも先生とは連絡が付かなそうである。患者は看護婦に向かって大きな声で
「なしに、なんぼも前からしゃべってらんだっけ。それぐれ出してけだらいがべ。まだ眠れねがらまわりの人さ迷惑かげべせ。」
とうとう切れてしまった。看護婦の連携が悪いのか、先生が聞き流してしまったのか。患者さんの思い込みが強すぎたのか。どっちも気の毒なシーンであった。

同室の人で咳き込んでいる人が多くなった。隣の老人なんか、ものすごい咳だ。これは困ったぞ。
どうも最近自分の喉の調子が変だ。へらへらする。イチゴなど食べるとき喉越しがちくちくする。

先日買ったざくろジュースが傷んでしまった。濃縮無添加だったので、冷蔵庫のない病室では発酵してしまったらしい。やはり1回きり、飲みきりサイズにしてもらいたい。

午後からは土曜日だけに訪問者がたくさんあった。

先ず、近所の元老の娘ひとみちゃんである。こどもさんがまた入院しちゃったそうだ。本当に苦労しているようだが素振りを見せないところが素晴らしい。小さい赤ちゃんの付き添いは大変だろうががんばって欲しい。

そこへ鈴木・春日夫妻がハネムーンの帰国報告に来てくれた。中国派遣の佐々木君の結婚式も一緒のツアーで、ニューヨーク、フロリダ、ワシントンDCと回ったそうで、写真の様子でも楽しそうな雰囲気が伝わってきた。うらやましい。

ちょうど娘も立ち寄ったが、歯医者へいく時間の予約がありということだったので、そのまま行ってもらった。

建築指導課の尾崎さんが見舞ってくれた。港湾河川課時代から隣の建築課とはちかしくしていたが、その頃からの付き合いか。虎舞にも参加してもらっている。

次長が寄って下さった。リハビリの理学療法士を一目見たかったようだが、あいにく今日明日の土日はお休みである。いつもながら次長の話は面白い。私よりも妻のほうが夢中で聴いているところがある。

夕食時になると書道クラブの佐藤先生が見舞ってくださった。顔色が良いと安心してくださった。本当に皆さん良くしてくださる。うれしい。


2004年02月27日(金) 次は自主トレ

午前5時過ぎに採血がある。なんか喉がへらへらする。乾燥しているのか。

麻原彰晃に死刑判決だそうだ。どのチャンネルをみても今日のニュースは(昨日からだが)この話ばかりだ。

夕べは静かだったのに眠りが浅かった。何度も目が覚めた。夜勤の看護婦さんの「どうしたの。眠れないの。」と心配してくれていた。そう言われてしまうと眠れなくなる。うとうとしながら朝まで過ごした。よって今日も午前中は眠っていた。

午後には上の娘が来た。ミスタードーナツを買ってきた。景品の弁当箱が欲しいばっかりにたくさん買ったといいながら、プレゼントしていった。娘がいる間に妻が用足しのために出かけた。

そうしているうちにリハビリの先生がきた。昨日のリハでは車椅子まで行ったときにベッドに戻る際、右のわき腹をちょっとばかり痛めたらしいのだが、今日は無理をせず、ベッドサイドに座るまでとした。立ちくらみ加減はいつもと同じである。明日・あさっては土日だからリハビリはお休み。自主トレーニングとなる。がんばるべ。


2004年02月26日(木) 久々の車椅子

今いる病棟は子供の入室が禁止されているそうだ。今はじめて知った。体力の落ちている患者さんが多いので感染症予防のためにそうしているのだそうだ。

今日のリハビリで車椅子に移ってみた。下半身がくがくであったが、理学療法師の川崎さんに介助により思い切ってやってみた。この思い切りがないとできない。

大丈夫かなあ、と悩んでいたら、療法士の彼女に「それはあなた次第ですよ」とアドバイスされ、思い切って立ち上がってみた。本当に不安いっぱいだった。10分ぐらい車椅子に座り、ベッドに戻った。戻ってからコルセットがずれて右胸が少々痛かった。

1ヵ月半ぶりに起き上がった勘定だ。この調子で回復したい。
治療は明日からまたデカドロンのステロイド剤が始まる。

娘に間に合わなかった電子辞書をチェックしてみた。まず電池を入れる向きを間違えてしまい、電源が入らない。自分としては大変不本意なミスだ。目が老化してきたか。プラスとマイナスの向きを取り違えてしまった。(実際単4電池は見極めにくい)

この辞書やはり優れものである。キータッチもパソコンに近いし、操作性も良い。辞書も豊富で辞書間のジャンプなど連携もよろしい。よし。これで娘に送ってやろう。ちゃんと勉強するんだぞ。


2004年02月25日(水) 届かなかった電子辞書

結果からいうと、結局電子辞書は夕べ届かず、娘の出発には間に合わなかった。本体は在庫ありだが、ケースの在庫がなかったらしい。そのうちに宅急便で一緒に送ってやろう。

部屋のメンバーがだいぶ入れ替わった。そのせいかずいぶんと騒々しい。夜はもっとこたえる。咳やくしゃみ、いびき、こっちの眠りも浅くなる。なんとかしてほしいよ。


2004年02月24日(火) 取締役島耕作第5巻

午後見舞いに来た娘の背後から、
「ほーら。これだべ」

と「島耕作第5巻を」差し出したのは、同級生おまわりさんの「まっちゃん」であった。大きな体でそして大きな声で、
「毎日見ているんでぇ。そした『島耕作』の第5巻が出たということが書いてあったので、急いで買ってきたじゃ」

一方的にそういうようなことを喋り捲って、娘の目の前を通り過ぎて、取締役島耕作第5巻をプレゼントして帰っていった。実はこの時既に娘から買ってきてもらっていて、たった今取り出そうとしていた矢先だったのだ。ほんの一瞬のタイミングを逃さずまっちゃんに取られてしまった。

「あと、『科長』シリーズになっていて『課』の字が『科』になってる。直した方がいいぞ。」
とご忠告までいただいた。一番気を使っていたところだけに、間違いは残念。さっそく直しておいた。まっちゃんとは直接の血縁は無いが、まっちゃんのおじさんに私のいとこが嫁いでおり、全然無関係というわけでもない。

結果として『取締役島耕作第5巻』は2冊ある。現在妻がはまってみている。(どちらかというと、私よりも妻のほうが読みたかったのかも)後で貸してもらおうっと。

下の娘はアルバイトのため明日には東京に戻る。国際ビジネス学科なんていうのだから、電子辞書を調達してやった。SIIの一番いいやつだ。今晩にも届くはずなんだけど。英語を勉強しているのだから、英英辞書のいいやつを引けなくてはいけないだろう、ということでこの機種のチョイスだ。明日発つのに間に合うだろうな。なんか心配。


2004年02月23日(月) だるい日だ

今日もとってもだるい日。
ステロイド飲まない日4日目のせいか。午後4時を過ぎてからやっと目が覚めてきたという感じである。

昼食後、娘とお袋がきたが、来たという認識だけで、帰ったのは記憶が定かではない。

その後、リハビリの先生も来て行ったが、「今日は調子が悪そう。」

同室の皆さんも治療に入ったら元気が無くなり、食欲不振や吐き気などに悩まされている。抗がん剤などの副作用によるものなんだろう。

取締役島耕作の第5巻が発売になったらしい。ぜひに買わなくては。課長シリーズから漏らさずに取ってある。今回も続編を是非に読みたい。


2004年02月22日(日) 全文検索ソフト

昨日に引き続き、暑い一日だった。気温が高いのだ。八幡田面(たもて:八幡と田面木の境にある田んぼのあたりのこと『たおもて』とも)付近にある国土交通省が設置した温度計によると、摂氏17度もあったのだそうだ。(娘の観測による)これはもはや異常気象である。まだ2月だというのに初夏の陽気だ。

今朝からやはり眠い。ゆったりと過ごす。お昼前にうとうとしているところへ栄田分団長夫妻が来てくださった。今回も立派なイチゴなどを持参くださり恐縮だ。半分眠っていて失礼した。出初式でのあいさつ文の出来栄えがすこぶる良かったらしく、大変ご機嫌であった。今後もポンプ車の新規導入など行事が目白押しなので、またたのむとのことだった。

午後からはまた軽く一眠りしてみたが、やはり暑くてだるい。大量の汗をかいた。ここの病棟はエアコンがなさそうだから夏場は大変だろうね。

アマゾンで頼んだ『日経パソコン用語事典2004』がさっそく届いたので、インストールしてみた。いわゆる「全文検索ソフト」によるので指示通りにやればよろしい。本来入門者である妻のために、本体の方で妻に検索させようと購入した本だが、CD−ROMがせっかく付録で付いているのだからPCからも活用しよう。


2004年02月21日(土) マイブーム

今日はとっても穏やかな日だ。気温も10度以上に上がり、まだえんぶりが終わったばかりの2月だというのにまるで春の陽気だ。

午後娘二人がおそろいでやってきた。今日はラピアで遊ぶらしい。まだまだガキだ。

月火水木の4日間、ステロイド剤を飲み、ハイテンションになり夜は眠れず、金曜からは落ち込み始め、眠気が来てぐったりだ。

最近マイブームにしているのが新聞だ。何が面白いか。どの記事を取っておくか(スクラップするか)考えたりチェックする。そのために娘からカラーのペンを分けてもらった。

しかーし、である。上に向かって書けるカラーのペンはないものか。あるはず。今日の日経のコラムに書いてあったが、ボールペンは輸入が増えているのだそうである。消しゴムで消せるタイプ(これは大坪参事が使っていた)など付加価値をつけたものが出ているらしい。

地元紙デーリー東北が面白い。24ページ100円。記事が少ないから選択に幅がない。広告や折込チラシが多い。特に政策推進室関連の記事を拾って置く。

日経から拾う。八戸に戻ってきたから、また自宅で日経を購読し始めた。毎朝妻から届けてもらってもらっている。でもこちらは140円で40ページみっちりと記事があるからすごい。一日かかっても追いつかない。

それもこれも気持ちが向かわないと活字なんか見たくもないはず。季節もそろそろ春になっていくのだから、体調のほうもなんとかならないものか。


2004年02月20日(金) 日赤でもう一月

八戸の赤十字病院に移ってからもう一月が経った。やっとこっちの生活にも慣れてきたと思ったら30日も経ったのだ。早いものだ。病気なんてそんなに目に見えて良くなったりしないものだと実感する。

ワシントンDCの慶長さんから、ざくろがガンに効くらしいという評判が米国で流行っているという話を聞き、妻に捜してもらったが、スーパーでは置いてなくて、やっと薬局で見つけてきた。しかも値段の結構張る濃縮ざくろジュースだ。3倍に薄めて飲んでみたが、そこそこ美味しかった。ただ何に効用があるのか何にも書いてないので本当に入れ込んでいる人しか買わないのではないだろうか。

午前10時、第三内科回診の放送が流れる。今日もうちの先生は遅いかな。そう思いながら寝ている。(結局来たのは16:00)

午後妻が確定申告の手続きのために税務署へ行く間、娘に付き添いを交替してもらい出かける。

その間にリハビリの先生がやってくる、いつものメニューをこなす。ベッドサイドに起き上がる。ここまでは良い。ここから先に進みたい。

定期的に通院している両親が、その帰りに寄ってくれた。父は今日もケーキを買ってきてくれた。ブルーベリーのタルト、チョコレートケーキ、モンブランの3種類6個。娘がブルーベリーに飛びつく。間もなく戻ってきた妻がモンブランをペロリ。

今日のデーリー東北の「八戸高専の研究室」の太田徹教授。全然面識が無いはずなのに見たことがある。上の娘を商業高校へ送っていくとき近所で何度も見かけた。背広にズック靴、リュックを背負ってバーコード。当時はどこに勤めているんだろうと不思議に思ったものだ。そうしたら我が母校の先生だったのね。総合科学科で「必要なことを欠落無く説明する方法を身につけること」を研究しているのだそうで、私もそういう表現力を鍛えてもらいたかったと思って見たりした。学生に戻りたい。


2004年02月19日(木) 今後の治療

第三内科の回診があった。いつもの沼岡先生が汗を拭き拭きやっていて、総蛋白の量が増えていないので今の治療方針で行くことになった。
サリドマイドプラスステロイド剤4日間投与4日間お休みを続ける。これでなんとか回復に向かいたい。とりあえず数値的には悪くはなっていないのだから。

午後には娘たちがやってきた。下の娘はくちゃくちゃのヘアに飽きたたしくストレートパーマをかけててもどしてきた。これから二人でピア・ドゥでお菓子を食べに行くんだそうだ。楽しそうでよろしい。

直後にお袋がきた。今日は街の整形外科まで行ってきたそうだ。膝が痛くて折れないのだそうだ。無理をして私のところまで何度も歩いてきたからなのではないの?無理しちゃいかんよ。


2004年02月18日(水) PC回復

昨夜遅く古里電気がやってきてPCは回復した。よって今日までの日記もリカバリィされた。この時点でまたまた日記が滞った理由が判明したということだ。

午前中は入浴をさせてもらった。例のようにストレッチャーに載ったままである。非常にさっぱりとした。着替えが終わらないうちに部長回診が変わってきた。ウンチの回数を聞いてニコニコしていた。

午後先ずリハビリの先生が来た。一番で来てくれたみたいである。私の担当は川崎さんという若いかわいい理学療法士だ。私の娘よりちょっと年上か。なかなか感じがいいので次長には要チェックと伝えておこう。

下の娘が来た。風が強くて、八幡から歩いてくるのが大変だったとぼやいていた。昨晩携帯用電子辞書を古里電気に注文しておいたと話したら喜んでいた。SIIの最高機種だ。東京へ戻る25日ごろまでに納品されればいいのだが。ある程度いじってみてから持たせてやりたいのだけれどね。

しばらくして上の娘夫妻が来た。夫のほうブロイラーのメーカーで働いているが、鳥インフルエンザの影響か仕事が激減し、勤務時間調整が行われているそうだ。今日は休みなのでこれから十和田湖祭りへ行こうかと相談されたが、冬道が初めてな上に車も私のワゴンとあって、あっさりとやめろと忠告しておいた。


2004年02月17日(火) えんぶり始まる

今日から「八戸えんぶり」だ。参加できないのがとても残念である。

報道によると、都会からの観光客などには、とても評判が良い。
・素朴だ
・会場の熱気がいい
・子供たちの元気
・世代をまたいでいる

生で観て欲しい「まつり」である。

東京は東村山のマリリンにみせてやりたい。お囃子もだ。「通り」という行列のときにかけるお囃子は踊りが付かないのでアドリブもやりたい放題だ。もちろん息の合った仲間とでなければ叶わないが。

行列の後の懇親会も捨てがたい。いろんな個性の集団だということが再認識できるひと時だ。

こんな素敵な時間を共有できなかった今年は、とっても寂しい気がする。


2004年02月16日(月) PCトラブル

昨日、PCが回復したと思っていたら、ブラウザを開いている途中にウィンドウズXpの認証CDを要求してくる。ROMは自宅だし、どうしたものかと思い、やはり古里電気にお世話になるころにする。電話してみたが、そう毎日病院にばかり付き合ってもいられまい。かといって来てもらわないとこっちも困っている。認証CD−ROMを用意して待つことに・・・


2004年02月15日(日) PCクラッシュ

妻がPCの練習をしていて、とうとうクラッシュしてしまった。セーフモードでも立ち上がらない。止むを得ず古里電気を呼ぶ。何とか回復してもらった。お抱え電気屋は必要なものだ。


2004年02月13日(金) 今度は工藤先生登場

今週は先週に引き続き、八戸高専の研究室は、バスケットボール部男子監督を務める工藤憲昌先生である。彼は本校出身OBでもある。私の2個後輩に当たる。

先週の中村嘉孝先生に続きそれぞれ活躍している。そして奥様である工藤恵美子氏は地域のコミュニティの活性化に活躍している。数日後のNHKローカルで、田面木地区で行われた「八皿」という行事をビデオレターで紹介していた。


2004年02月12日(木) 娘のケーキ

娘がケーキを作ってきて来てくれた。
「フォンダン・オ・ペカン」というチョコレートケーキだ。ショコラの上にナッツが載って、シックな大人の味であった。

かなりこってり来た。でも下の娘はお菓子作りのセンスがある。


2004年02月11日(水) 美女の訪問受ける

今日も見舞いに来てくれた人たちがいる。

いとこの木村実明(みあき)さんは手作りのフラワーアレンジメントを持ってきてくれた。看護婦の資格を持て勤めていたが、腰を悪くして退職したそうだ。今度はヘルパーの資格を取ろうと勉強を始めたそうだ。どうしてこんなに前向きなんだろう。本当に素晴らしい。見習わなくては。

昨日の疲れも出てか、午前中はゆっくりと眠った。

午後はまだ眠りかけているようなこのだったが、そこへ娘と母がやってきた。しばらく話していたが眠そうだからといってそそくさと帰っていった。

3時ごろには書道クラブの吉村さん、成田さん、内城さんの3人美女が見舞ってくださった。ブーケやバレンタインチョコまでいただいた。いつまでもいい仲間でやっていきたい


2004年02月10日(火) 東京に近いほうが垢抜けているか

先日、東京に近いほど垢抜けていると書いたけれど、一般論として訂正しておかなければなるまい。

先ず、入院している八戸赤十字病院の中年看護婦の中には化粧が厚く香水がきつい女性がいる。これで愛想が悪いから手に負えない。市内の三大病院の中では一番南にあり東京に近いのだけれどね。

この部屋の入り口付近に入院している半身不随の老人に付き添いしている老婦人はおしゃべりが過ぎるし節度が無い。昨日私が浣腸をしてもらい始末をしてもらう私の妻に向かって「生まれだがー」と下品な質問を投げかける。返す言葉も無い。この婆さま、八戸から見ると南側にあたるN川町に住んでいるらしい。

昨夜の騒動

12時ごろ目を覚ますと、隣のオヤジがまだラジヲをスピーカーで聞いていた。ちょうど放送が終了したところえでやめた。
2時ごろ向の患者の酸素のアラームが鳴り響いた。装置に以上が発生したらしい。看護婦が駆けつけるとこの男、悪だれはじめた。
「は、持ってげ、こったらもの、いらねじゃあー」
看護婦が必死になだめはじめる。

4時前にラジオが大音量で鳴り出す。隣の老人がまたスピーカーでラジオを聞き出したのだ。何を考えているのだろう。私はたまりかねて大きな声を出した。
「まだ4時前ですよ。ずっと聞いているつもりか。」
ところが一向にやめる気配が無い。頭はパニック状態になる。ナースコールで看護婦を呼び、なんとかやめさせてもらった。

それにしてもひどい一日だった。
南に近いほうが垢抜けいけているというのは訂正をしたい。


2004年02月09日(月) 三歩進んで二歩さがる

昼食後、粉薬を飲むときにむせたために咳き込んだ。その結果、せっかっく良くなりつつあった腰の具合がまた悪化した。『三歩進んで二歩さがる』である。残念だが気長にやるしかない。

午後パソコンを立ち上げたらメッセンジャーに招待された。近所のひとみちゃんに呼ばれた。妻がパソコンの練習をしようとした矢先だ。妻がなんか変なメッセージが出てるよ。というものだから、応答したらチャットであった。しばらくぶりでチャットした。

今日は娘二人が来てくれた。ちょうど治療中だったので買い物に出してやりで直させた。夕方戻ってきた娘たちは、ユニクロで洋服を購入、やっと普段着がそろったとのことだった。下の娘は東京から帰省するときにちょっとした着る物しか持ってこないそうで、考えが甘かったと話していた。どこぞの大学のワンダーフォーゲル部と似ているかも。

夕食後、書道クラブの佐藤先生がお土産を持ってきてくださる。仕事で釜石へ行ってきたそうだ。JRでは添乗員のようなお仕事もしているらしい。本人は一緒に酒を飲んでいるだけだと言っていたが。



2004年02月08日(日) 今日の訪問者

叔母の伊藤タキさんがきてくれた。近所の人も入院しているらしい。

午後になって母と、帰省したばかりの下の娘がきた。一応東京土産を持参した。早速広げて食っていった。ちょっと太ったぞ。

バスケ部先輩の上田さんがきてくれた。韓国旅行をしたそうだ。韓国土産もいっぱいだ。


土日はやはりたくさんの人がきてくれる。忙しいところありがたいことだ。


2004年02月07日(土) 訪問の方々

政策推進室今野氏が寄ってくれる。

松浦富士子さん夫妻がきてくださった。
相変わらず美しいままだ。

娘もきた。

親戚の伊藤文雄夫妻がきてくれた。


政策推進室の大嶋さんが手作りケーキを差し入れてくれた。ラム酒が効いていて酔いそうなくらいだ。うまかった。


2004年02月06日(金) 中村嘉孝先生登場

今日のデーリー東北を見たか。

「独創技術の発信」八高専の研究室は我らの仲間、中村嘉孝先生ではないか。超伝導の世界でがんばっている。

それより嘉孝先生は女子バスケチームの監督である。なんぼかお世話になったか。

これでいて独身、いい男。

新聞をもう一度見て欲しい。

夕食後、池本室長が寄ってくれた。


2004年02月05日(木) コミュニケーションできるのか

夕刻、高谷産業政策課長が見舞ってくださった。大変忙しい中恐縮だ。彼自身、昨年は公私共に大変な年だったということだ。

最近、コミュニケーションができない輩が増えている。向のベッドに入った若者は、看護婦に「○田さんです」と紹介されて入室してきたにもかかわらず、無言で布団にもぐりこんだ。しかし、同僚が来ると弁が立つ。女の子が来ると特別だ。上司らしき人物が来るとさらに対応が違う。

私の列の端っこに入った○野さん(推定年齢50歳代)も似たようなものだ。若い看護婦に対しては「んんー?」「ああー?」という、我々からみても超横柄な返事である。それがどうだ。医師の先生や年配の看護婦が来ると「ハイ」「ハイ」と比較的紳士的な返事をしているのだ。

総じて観ると、八戸は田舎ものだ。6月から八戸市民病院、青森労災病院、岩手医大付属病院、八戸赤十字病院と渡り歩いてきたが、患者の質、看護婦のグレード、それぞれ東京に近いほうが垢抜けていそうだ。


2004年02月04日(水) なかなか来ない部長回診

便も出ずに3日目。朝食後浣腸をしてらう。たくさん出した。

10時前には本日部長回診のアナウンスが流れるが、1時間以上も来ない。
やっと来た部長さん、一通り話をしてにこにこして「上出来、上出来」だって。

午前最後のメニューは入浴である。ベッドからストレッチャーに移されて、そのまま浴室へ。若い看護助手らに全裸にされ洗いまくられる。それも大急ぎでだ。

戻ってきたのはほとんどお昼。昼食の用意をしているところへ、「近所の元老の娘」が愛児「こたろう」君とともにお見舞いに寄ってくれた。

お昼を食べ終わって落ち着いたところへお袋がきた。今日はゆっくりと話ができた。

お袋は午後2時にはうちへ帰った。その後妻へのパソコン講習会を開催した。(内緒でインターネット講習会)2時間もやり、飽きた頃リハビリの先生が来た。

今日も濃い一日だった。


2004年02月02日(月) 今日もお見舞い

昼食直後に中央卸売市場の大澤さんと渡辺昇覚(しょーかく)さんが来てくださった。大澤さんは医大にまで来てくださったが、近くなって来易くなったと話して行った。渡辺さんは、大澤さんが隣に座っていながら教えてくれないものだから、入院していてるのを知らないでいた、と言っていた。

いずれ、昼休みの短い時間を利用して来てくれたのだ。本当にうれしかった。

午後には娘が来た。すぐ後にお袋が来た。しばらく話し込んでいるとリハビリの先生が来た。その辺で母と娘は帰っていった。


2004年02月01日(日) たくさんお見舞いに来てくれる

腰の痛みはだいぶ引けてきたが、そのかわりに胸や背中が痛い。悪循環だ。

お昼前に接待部長が来てくださった。国体の閉会式があるため、その前に寄ってくださったということだ。「私もあと2ヶ月だ」と言っていたが、もう直ぐ定年になるのだなあ。

午後は大坪、畠山両氏がヨーロッパ・スキーツアーの写真をもって来てくれた。スキーのあとはヨーロッパ各環境都市視察の写真とお話を聴いた。全くあこがれてしまうような街並みである。

そこへ国体役員で招聘されていた武蔵野大学の福田先生が合流した。電車の時間もあるとかで、お話もそこそこに皆と一緒に帰った。

夕方には妻神次長が、国体の閉会式の後だということで寄ってくださった。最近の市役所の情報が聞けて面白かった。次長の話は裏話が多いのでいつもたのしみである。


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