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2011年08月30日(火)
『バーチャファイター』が、『プレイステーション』を救った!

「証言。『革命』はこうして始まった」(赤川良二著・エンターブレイン)より。

(『プレイステーション』の立ち上げに関わった人たちから、当時の「証言」を集めた本の一部です。当時SONYの主要開発者のひとりであった、岡本伸一さんへのインタビューの一部です)

【岡本伸一:ナムコさんに限らず、当時はアーケードゲームでも3Dポリゴンのゲームは『リッジレーサー』や『バーチャレーシング』といった、人物があまり出てこないものしかなかったから、「家庭用ゲーム機ですごい3Dの機能があっても、意味がないのでは」という意見が大勢を占めていたと記憶しています。

赤川良二:それは意外ですね。

岡本:いざゲームを3Dにしなければいけないとなったとき、ゲームのディレクターとかプログラマーは、それまでなかったものだから、実際は困っちゃうわけですよ。それで、あまりに3Dに否定的なので、3Dができるハードなんだけど、少し仕組みをいじって、じつは2D専用のハードですって言うしかない、みたいな話までありましたから。

赤川:プレイステーションが革新的なハードだったため、逆にソフト制作に難色を示すメーカーさんも多かったようですが、あるゲームの登場によって風向きが変わりましたよね。

岡本:そうなんですよ。忘れもしない、1993年の8月に行われたAMショーで『バーチャファイター』が電撃的に発表されたんです。その1週間くらい前に「やらない」と断ってきたメーカーさんもいたんですね。「3Dには自信がないし、未来があるとも思えない」って。僕らは僕らで、ハードの仕様を変えて出直すしかない、という議論をしたこともあった。そんなときに、3Dの『バーチャファイター』が、誰も知らない中でドーンとデビューしたわけです。

赤川:あれは衝撃的でしたね。

岡本:その日のお昼くらいに、「やらない」と言ったメーカーの社長さんから「いますぐ会いたい」と電話がかかってきて。その方も当然『バーチャファイター』を見ているので、会場ですぐに会って言われました。

赤川:なんて?

岡本:「とにかくいちばん最初にツールを出してほしい」と。逆転満塁ホームランです(笑)。

赤川:私も、もう2Dのゲームを作っている場合ではないと思いました。ただ、どうすればあれが作れるのか、皆目わからなかった。

岡本:『バーチャファイター』以前は、3Dの人体を動かすということはできなかったわけですからね。しかもレバーと数個のボタンのみ、というのがまたすごいところだと思います。アーケードのゲームを作っていた人たちにとって、『バーチャファイター』は作りたいと思っていたもの。仕事で『鉄人28号』を作れと言われて、本当に作ってしまったようなものです。それを実現したこと自体がとにかくすばらしいし、あれを見て「3Dでもやれるんだ」と思った人も多いはずです。だって、実際に動いているわけですから(笑)。

赤川:ハードメーカーとして、のちにライバル関係になるSEGAさんのゲームが、ある意味プレイステーションにとっても追い風になったということですね。

岡本:ある意味ではなく完全に追い風でしたね。あれを見たら、とくにアーケードゲームをやっていた人は、3Dをやっていかなきゃもうダメだってわかりますから。】

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 「プレイステーション」が発売されたのは、1994年の12月3日。
 僕たちは、その後、「プレイステーション」がおさめた歴史的な大成功を知っています。
 でも、発売当時は、テレビゲームのハードメーカーとしての実績がまったくなかったSONYのハードがここまで売れると予想していた人は、そんなにいなかったのではないでしょうか。
 同時期に満を持して発売されたセガの『サターン』は、まさにここで話題になっている『バーチャファイター』が遊べることが大きなアドバンテージでしたし。

 この本によると、『プレイステーション』開発初期には、当時「一人勝ち」の状態であった任天堂の勢力が非常に強く、当初『プレイステーション』は、スーパーファミコンに接続するCD-ROMシステムだったのです。
 それが、任天堂の「変心」により宙に浮くことになり、そこから、SONYの新ハードが動き始めることになりました。
 そのCD−ROMがすんなり商品化されていれば、SONYが独自のハードを出すことはなかったのかもしれません。

 セガの『バーチャファイター』、発売されたときには僕もゲーマーとしてかなり衝撃を受けたのですが、これを読んでいると、開発者の側に与えたインパクトのほうが、むしろ大きかったようにも思われます。
 のちに「次世代ゲーム機」の世界でしのぎを削り、『プレイステーション』『プレイステーション2』の前に『サターン』『ドリームキャスト』が敗れ、ついにはハードメーカーとしては「撤退」せざるをえなくなったセガ。
 そのセガが出していた1本のゲームが、「3Dゲームの可能性」を多くの開発者たちに「アピールし、それによって、3D描画性能が優れていた『プレイステーション』が絶望的な状況から救われたのです。

 もちろん、セガのほうは、ライバルメーカーに塩を贈るつもりで、『バーチャファイター』をつくったわけではないのでしょうけど、それにしても、歴史というのは皮肉なものですね。



2011年08月21日(日)
志村けん「お客さんが予想した通りのことをやってるだけ」

『週刊現代Special(8月4日増刊号)』の「各界トップランナー30人が語った、いまこそ胸に刻みたい一流の言葉」より。

【「お客さんが予想した通りのことをやってるだけ。それはお客さんが優位に立つってことだからね。
……そうするとお客さんは喜ぶわけよ。
でも、誤解されがちだけど、そういうベタな笑いのほうが腕がいるんだよ」
                            ――志村けん(コメディアン)】

〜〜〜〜〜〜〜

 志村けんさんの「笑い」についての言葉。
 もちろん、志村さんは自分の笑いが「ベタ」であることを知っているとは思っていたのですが、ここまで戦略的に「お客さんの予想通りのことをやろうとしている」のですね。
 そう言われてみれば、僕も、志村さんのコントを観て、「ああ、またこのパターンか!マンネリだなあ」と内心バカにすることもあったのですが、お客さんのそういう反応もまた、志村さんにとっては「計算通り」だったわけです。
 「お客さんの予想を裏切る笑い」を追いかけている人たちの「寿命」が短くなりがりなことを考えると(マンガでも、前衛的なギャグマンガを描くマンガ家は消耗が激しいと言われています)、長年ずっと「お客さんの期待にこたえ続けている」志村さんは、本当に凄い人だと思います。
 こういうのって、少しでも「お客さんとのズレ」が出てくると、「全然面白くない」のだろうから。



2011年08月13日(土)
あるファミリーレストランとディズニーランドの「おふたりさま」への接客

『神様のサービス』(小宮一慶著・幻冬舎新書)より。

【家族で、ファミリーレストランに食事をしに行ったときの話です。
 そのファミレスのある場所は、私がこの近くに引っ越してきてから18年の間にお店の名前が4回変わっています。あまり長続きしないお店が多いのは、駅から離れ、住宅地の片側一車線の道路沿いにあるなど立地があまり良くないことが原因のひとつだと思います。また、これまでの3つのお店も、週末は近所からや車で来る家族連れで混雑しても、平日の夜に集客できないことがネックになっていました。
 しかし、現在営業している4店舗目のこのファミレスは、平日どころか週末もさほど混んでいる気配がありません。どうしてかな? と最初は思っていましたが、理由はほどなく分かりました。接遇が悪いからです。
 例えば、こんなこともありました。私たち家族が食事をしていたら、新しいお客さまが来店されました。お客さまは若いご夫婦で、ご主人が生後まで数カ月であろうかわいらしい赤ちゃんを抱いていました。すると、年輩のウェイトレスさんは「いらっしゃいませ」と言ったあと、なんて続けたと思いますか?

「おふたりさまご来店です!」

 と言って、お客さまを席まで案内したのです。
 おふたりさま?
 私はわが耳を疑いました。何かの間違いかと思いました。この店では、入り口のウェイトレスさんが人数を叫ぶと、それを聞いていた別の店員さんがお茶やおしぼりを持ってくるようになっています。その後、別のウェイトレスさんが運んできたお茶もおしぼりも当然2名分でした。この瞬間、私は「このお店は近いうちに間違いなく潰れるな」と確信しました。

(中略)

 このファミレスと好対照なのが、オリエンタルランドが経営する東京ディズニーランドのなかにあるレストランです。東京ディズニーランドは、「お客さま志向」が徹底していることに定評があります。今からお話するこのレストランの対応の事例は、以前他の本でもご紹介しましたが、「お客さまの立場に立つ」というのがどういうことかを示すお手本のような好例です。私はこの話を聞いたときに本当に感動しました。
 ある若いご夫婦が、東京ディズニーランドにやって来て、お昼どきにレストランに入ったときのことです。ウェイトレスさんは、当然、2人掛けの席に案内しました。
 すると、ご夫婦は、「お子さまランチを2つください」と注文しました。ウェイトレスは、マニュアル通りにこう答えました。
「お客さま、お子さまランチは6歳以下の子どもさま向けのものです。大人の方には量が少ないと思うので、別のメニューはいかがですか?」
 ここで、明らかに落胆された様子のご夫婦を見てウェイトレスさんはこう聞きます。
「お客さま、お子さまランチを注文なさるのは何か理由があるのですか?」
 すると、ご主人が、生まれてすぐに亡くなってしまった子どもがいたこと、その日は、亡くなった子どもの誕生日であること、東京ディズニーランドに3人で行くのを夢見ていたこと、生きていたらお子さまランチを食べさせてあげたかったことを話しはじめたのです。
 ここでウェイトレスさんはどんな対応をとったと思いますか?
「失礼いたしました。お客さま、ご案内するお席を間違えておりました」と、2人をファミリー用の席に案内したのです。さらに、ファミリー用の席のひとつを子ども用の椅子に変更し、亡くなった子どものためのお水も含め、3つのコップを並べました。そして、お子さまランチも3つ運ばれてきたのです。
 ご夫婦はどれほどうれしかったことでしょう。
 これこそが、「お客さまの立場に立った」サービスです。
 お客さまの事情を察したとたん、たとえマニュアルから外れることになっても、最も良いと思える選択をしたのです。機転の利く素晴らしい対応だと思います。
 お子さまが目の前にいるにもかかわらず「2人分」と平気で言うファミリーレストランと、お子さまがそこにいなくても「3人分」を用意できる東京ディズニーランドのレストラン。その接客は天と地ほどの差があるだけでなく、企業の根本的な姿勢の違いを表しているのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 たしかに、住宅地の道路沿いのファミリーレストランと、ディズニーランド内のレストランでは、お客が求めるサービスのレベルが違う、というのはあるのでしょう。ディズニーランド内のレストランは、少し割高でもありますしね。

 このファミリーレストランの対応には、さすがに僕も驚いてしまいました。
「小さな子どもと一緒の親の気持ち」がわかっていないにもほどがあるから。
 親にとっては、赤ん坊でも、立派な「おひとりさま」です。
 僕も親になってみてはじめてわかったのですが、小さな子どもと一緒だと、周囲に気を遣う面もありますし、けっこう大変なんですよね。
 店にとっては、赤ん坊がお金を使ってくれるわけではないし、生まれてすぐだと、「お水もおしぼりも使わないに決まっているから、出さないのが合理的」だと判断してしまうのかもしれません。
 でも、親にとっては「だからこそ」形だけでも、ひとりの人間として扱ってもらえると嬉しいんですよね。子どもに対してちゃんとサービスしてくれると、それだけで、かなり好感度が上がるのです。
 逆に、自分自身がどんなにサービスされて、子どもが無視されると、すごく印象が悪くなってしまいます。
 そう考えてみると、僕がいままでに行った「良い店」は、親が「そこまでやらなくても……」と感じるくらい、子どもにもサービスしてくれていました。

 このディズニーランドのレストランの話は、もはや「伝説」となっています。
 「大人がお子さまランチを注文してきた場合」も、「子ども用メニューだからダメです」と答えるのではなく、「お客さま、お子さまランチは6歳以下の子どもさま向けのものです。大人の方には量が少ないと思うので、別のメニューはいかがですか?」というお客に恥をかかせないように、やんわりと他のメニューの注文を促すのですね。

 この「3つのお子さまランチ」って、「ディズニーランドだからこそ、求められるサービス」なのでしょうけど、こういう状況はマニュアルには載っていなかったはずですし、この店員さんがやったことって、実は、「このご夫婦をファミリー向けの席に移したこと」と「お子さまランチを3つ持ってきたこと」だけなんですよね。
 ディズニーランドだからできた、と考えがちだけれど、このサービスそのものは、どこの店だって可能なことのはず。
 「だって、ディズニーランドの話だろ?」と思考停止してしまうのは、あまりにもったいない話です。

「あまりに子ども優先の日本の親のありかた」には異論もあるのでしょうが、少なくとも、店の立場からすれば、「子どもをターゲットにして、好感度アップを狙う」というのは、ひとつの戦略ではありますよね。
 水一杯、おしぼりひとつでこんなに印象が違うのですから。



2011年08月05日(金)
「障害を持ってたら、TVアニメのヒロインになる権利もないんですか?」

『レインツリーの国』(有川浩著・新潮文庫)に収録されている、山本弘さんの「解説」より。

【『図書館戦争』は架空の話ではありません。それはげんに今、現実のこの日本で起きていることなのです。
 現実が『図書館戦争』の世界と違うのは、「禁止語」を取り締まっているのがメディア良化委員会という架空の組織ではなく、マスメディア自身ということです。1970年代、一部の人権団体がちょっとした表現にも過激に抗議してきた時期があり、それに対応するために出版社や放送局が自主規制を開始したのです。今ではほとんどの大手出版社、放送局、新聞社に、自主規制語(禁止語)のリストがあります。作家がそれらの言葉を使うと注意され、書き換えや削除を要求されます。
 無論、それが本当に差別をなくすのに役立つなら、自主規制もやむをえないでしょう。しかし、現実はまったく逆です。
 最大の問題は、自主規制の対象が、文章の内容が差別的かどうかではなく、単語レベルで判断されるということです。差別的なニュアンスなどまったくなく、障害者に好意的な内容であっても、禁止語を使っただけで規制されてしまうのです。
 近年では、そもそも作中に障害者を登場させることすら避けるような風潮が存在します。たとえば僕は、少し前から、統合失調症の少女をヒロインにした恋愛小説の構想を練っています。もちろん、統合失調症について勉強し、病気で苦しむヒロインのことを好意的に描こうと思っています。ところが、この小説のプロットを語って聞かせると、どの編集者も困った顔をします。「精神病を小説で扱うのは難しい」というのです。
 このようにして、障害者の実態が読者や視聴者の目から隠されてゆきます。自主規制があるために、障害者を正しく好意的に描くことすらできないのです。これでは本末転倒です。
『図書館戦争』がアニメ化された時、「恋の障害」が問題になりました。このエピソードはDVDの3巻に(「恋ノ障害」というタイトルで)収録されたものの、TVでは放映されなかったのです。

 有川(中略)例えばアニメで、小牧と毬江のエピソードが地上波で放送されなかったのは、毬江が聴覚障害者という設定だったからなんです。毬江のエピソードはTVではできません、ということがアニメ化の大前提だったんです。それを了承してもらえないと『図書館戦争』はアニメ化できません、と真っ先に言われたことがとても衝撃的でした。(後略)
         ――『活字倶楽部』2008年秋号「有川浩ロングインタビュー」

 この話を知って、僕は本当に腹が立ちました。いったい難聴者の出てくるエピソードをTVで放映することの何が悪いというのでしょう。それではまるで、『図書館戦争』の中でメディア良化委員会がやっていることと同じではありませんか。
 毬江なら言うでしょう。「障害を持ってたら、TVアニメのヒロインになる権利もないんですか?」と。】

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 これを読んで、「そういうのって、けっこう前の話なんじゃない?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 『ちびくろサンボ』とか「手塚治虫先生の漫画の『差別表現』」が問題になっていた時代のことではないか、と。
 ところが、この「解説」が山本弘さんによって書かれたのは、2009年5月なのです。
 『図書館戦争』がアニメ化されたのが、数年前の話ですしね。

 毎年、8月の終わりに放送される「24時間テレビ」では、「障害を持つ人たち」に関する、さまざまな「美談」がつくられていきます。
 何十年もあんな「チャリティ番組」が続いているにもかかわらず、普段の番組では、いまだにこんな「自主規制」が行われているのです。
 「抗議されると面倒」だとか、「デリケートな問題には、触れないほうが無難」だという気持ちはわかるんですよ。
 でも、そんな事なかれ主義の「マスメディア」に、本当に価値があるのでしょうか?
 山本さんが書かれているように、「難聴者の出てくるエピソードをTVで放映することの何が悪いというのでしょう」?
 明らかに差別を助長する内容ならともかく、「ひとりの人間として生きていること」を描くことに、何か問題があるのでしょうか?

 そのためには「障害」について触れないわけにはいかないでしょうし、傷つく人だって、いるかもしれません。
 それでも、「絶対的弱者」として、チャリティ番組で「お涙頂戴のダシ」にされるのと、「TVアニメのヒロインになる」のとでは、どちらが、「障害を持つ人を勇気づける」のか?
 あるいは、「視聴者の偏見を取り除くきっかけになる」のか?

 おそらく、マスメディアの側も、あまり深く考えることもないまま、「前例主義」に流されているだけなのだと思います。
 自分がいちばん最初にやって、批判されるのは怖いから。
 
 「障害を持つ人をTVアニメのヒロインにする」のと、「障害を持つ人の存在を、最初から無かったことにする」のと、どちらが「差別」なのか?
 そんなこと、考えてみれば、誰にだってわかるはずなのにね。