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2009年11月30日(月)
Twitterには、夢も希望もない!

『Twitter社会論』(津田大介著・洋泉社)より。

(巻末の著者である津田大介さんと勝間和代さんの対談「つぶやく力――ツイッターの可能性を探る」の一部です)

【津田大介:確かに名前で商売している人間にとっては、ツイッターで注目を集めることが評判を高めることにもなりますよね。ただ、会社勤めをしている人にはそういう方向では直接的なメリットが見出しにくい。ただ、この本を含め「ツイッターって面白いよ」と報じるメディアは増えつつあって、ITに明るくないビジネスパーソンの目にも触れるようにはなってきてますよね。彼らがツイッターを使いこなすにはどういう訓練を積めばいいですか?

勝間和代:ブログから始めたらいいんじゃないですか。

津田:まずは長い文章から書けと(笑)

勝間:私はツイッター万能論は避けたいと思っているんです。ネットのコミュニケーション能力を養うのはツイッターだけ使っていてもムリ! ツイッターの何が辛いって、津田さんや私たちのようなプロの物書きと同じタイムライン上で140文字てやりあうこと。物を書いたり、編集したりする習慣のない人には、それは難しいですよ。ツイッターはあくまで現実の全局面のほんの一部。バリバリ使いこなしたいなら、むしろ、ブログをキチンと書けるようにするとか、オフ会に行ってもちゃんと話をするとか、いろんな方面からスマートなコミュニケーションのありかたを探るべきだと思いますね。

津田:現実社会ではコミュニケーション下手でもツイッターでは人気者という人は……。

勝間:初期ならあり得ますけど、最終的には淘汰されちゃいますよ。

津田:夢も希望もないなぁ(笑)

勝間:そうですか? だって、インターネットも結局そうだったじゃないですか。一時はテキストサイトの管理人なんかがもてはやされましたけど、結局、インターネットの中だけでの人気者というのはあり得なかった。

津田:確かにネット発で売れる人の多くも、結局はネット上の活動だけじゃなくてそもそも本人の能力が高かったり、面白かったりするから評価されているわけでしょうしね。

勝間:そういうことです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 最近話題の『Twitter』についての、津田大介さんと勝間和代さんの「夢も希望もない話」。
 自分でHTMLを書かなければ「ホームページ」を作ることができなかった時代から、「ホームページ・ビルダー」などのツールによる「個人ホームページ」全盛期、そして、「ブログ」の一般化と、「個人がネットで発信すること」の技術的な敷居は、どんどん下がってきていることは間違いありません。そして、いま流行の『Twitter』は、「140字の制限があるし、『文字だけの世界』だから、誰でも簡単に書ける」と思われがち。
 しかしながら、「技術的な敷居が下がる(誰でもネット上で「発信」できるようになる)」ということは、「競争が激しくなる」ということでもあるのです。
 だからといって、【バリバリ使いこなしたいなら、むしろ、ブログをキチンと書けるようにするとか、オフ会に行ってもちゃんと話をするとか、いろんな方面からスマートなコミュニケーションのありかたを探るべきだと思いますね】なんて言われると、使い始める前から、あまりのハードルの高さにうんざりしてしまいそうになります。
 ホームページとかブログとかTwitterとか、新しいツールが出るたびに、「この世界でなら、自分も『うまくやれるかもしれない』」と期待してしまうのだけれど、実際は、そんなに甘いものじゃない。
 結局、Twitterでも人気になるのは、芸能人とか、もともとブログで有名だった人とかがほとんどですし。
 Twitterは、利用者が急速に増えている一方で、「いままでのネットの世界と根本的には同じなんだな」という絶望感も急激に広まっているような気がします。

 でもさ、そんなに「スマートなコミュニケーション」が得意なら、ブログ書いたりせずに女の子と遊んでるよ!
 なんか悔しいよなあ、うーむ。


『Twitter』で僕もつぶやいています。
http://twitter.com/fujipon2




2009年11月24日(火)
「この瞬間、新サービスは『ニコニコ動画』というふざけた名称に決まったのだった」

『ニコニコ動画が未来をつくる〜ドワンゴ物語』(佐々木俊尚著・アスキー新書)より。

【ではこれ(ニコニコ動画のプロトタイプ)を早急にリリースするとして、どういうかたちで公表するか。
「コンセプトは」と川上(量生・現ドワンゴ会長)はみんなに言った。
「とにかく誰も見たことがないネットのサービスだ」
 YouTubeも含めてさまざまなウェブのサービスを調べて、機能比較表を作ってみた。たいていのサイトには「お気に入り」「コメント」といった機能がついている。
 でも、こういう機能をどんどん付け加えていくと、どこかで見たことのあるような印象のサイトにしかならないんじゃないか?
 だったら、全部やめよう。機能比較表に○がついているような機能は全部取り除いてしまって、逆にシンプルで印象深いものにしてしまうんだ。
 デザインのロゴも、かっちりとしたカッコよくクールなデザインが流行っていたけれども、そんなものはダメだ。思いきりいいかげんな脱力系のにしよう。
 違和感をもっと出すために、トップページもインパクトあるものにしよう。最新のコメントがいきなりウェブページをスクロールしているようなデザインはどうだ。きっと初めて見た人は、
「なんじゃこりゃ?」
 と他のサイトとは違う何かを感じてくれるに違いない。
「じゃあ、サービスの名称はどうする?」と誰かが言った。
 川上が答えた。
「なるべく怒られにくい名前にしようよ」
 当時、YouTubeは著作権侵害の問題でテレビ映画業界と激しく対立し、訴訟も起こされていた。新しい動画サービスはそのYouTubeから動画を勝手に引っ張ってきて利用してしまうのである。国内の著作権者かあ非難される可能性は十分にあったし、さらにいえばYouTubeから文句を言われる不安もあった。
「YouTubeはカッコいい言葉だから、『ユーチューブけしからん!』っていいやすいよね。だったらさ、いいにくい気が抜けるような名前にしようよ」
 たとえば?と聞かれて川上はさらに言う。
「表面だけ取り繕ったようなふざけた名前があるじゃん。ニコニコローンとかニコニコ金融とか。明らかにブラックぽいのに、楽しい名前。だからニコニコ動画とかさ」
 そこまでしゃべると、とたんにひろゆきが大爆笑した。
「それおもしろい! 絶対それ!」
 大受けである。
 この瞬間、新サービスは「ニコニコ動画」というふざけた名称に決まったのだった。
 しかしこれではまだ完璧ではない。そもそも最初のスタートは、
「ライブコンサートでの盛り上がりをネット上で再現させる」
 というものだった。ただ単にだらだらとコメントが動画の上に表示されるだけでは、ライブの生々しさを表現することができない。
 戀塚は最後の仕掛けとして、試験サービス実施中にプログラムを改造し、
「弾幕」
 を仕込んだ。
 布留川が作った第2のプロトタイプは、コメントはランダムに画面上に表示され、コメントが一定数以上増えて画面が埋まってくると、コメント数をわざと間引いて表示させていた。コメント同士の衝突回避を実装すると手間が増えてしまうため、プロトタイプ段階ではこれを避けていたのである。
 しかしニコニコ動画では、特定の場面でコメントが大発生して祭り状態になったら、それを思いきり爆発的に盛り上げたい。それこそがライブの生々しさだ。
 その祭りのイメージとして、戀塚は最初は「点呼」のようなものを考えた。点呼というのは2ちゃんねるの実況板などでよく行われている風習で、ミュージックビデオのサビの部分に来たらみんなでサビのフレーズを同時に書き込んだり、人気タレントが出た瞬間にいっせいに、
「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!」
 と書き込むものだ。実社会の点呼と違って、みんなで順に数字を口に出していって人数を数えるわけではない。
 これが動画で起きたらどうなるか。点呼が起きた瞬間に、コメントがものすごい勢いで増えていく。戀塚は最初、コメントを画面の上部から順番に表示し、どんどん下部へと増やしていって、さらにそれ以上増えたら下に寄せていくという表示方法を考えた。もちろんこの段階ではコメント同士の衝突回避は行っている。
 しかし実際にこの方法で大量の点呼コメントを表示してみると、コメントがみんな下の方に集まってしまった。これだとあまり面白くない。
 そこで方法を変えた。点呼になった時にモードを切り替え、画面全体に雑然とコメントが表示されるようにしたのである。モードが切り替わった瞬間から、衝突回避は行わない。
 この方法で点呼を表示してみると、圧倒的な凄さだった。それまで粛々と画面を流れていたコメントが、点呼になった瞬間、ゴォーッという音を立てるほどの勢いで画面いっぱいに広がり、爆発的な熱情が伝わってくる。
 コメントはまるで銃の弾幕のように、画面を埋め尽くしていた。
 これが「弾幕」である。そして弾幕は、ニコニコ動画のパッションを象徴する表現スタイルとなった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『ニコ動』こと『ニコニコ動画』、最初にその名前を耳にしたときには、あの『2ちゃんねる』のひろゆきさんが絡んでいるということもあり、「なんて人を食った名前なんだ……」と苦笑した記憶があります。
 この「名称が『ニコニコ動画』に決まった経緯」を読むと、当事者たちも「なるべく怒られにくい、口に出すと脱力してしまうような名前」「明らかにブラックぽいのに、楽しい名前」として、あえて、こういうネーミングにしたんですね。しかし、個人や好事家が作ったサークルレベルならともかく、『ニコニコ動画』を運営しているドワンゴはそれなりに名が売れている「IT企業」なのですから、よくぞこれでOKが出たなあ、と考えずにはいられません。
 僕もあまりネットに詳しくない知人に動画サイトについて説明するときに、「YouTube」はスラスラと口から出せるのですが、『ニコニコ動画』と言う前には、一瞬、ためらってしまいます。「えっ、『ニコニコ』?それって怪しいサイトじゃないの?」なんて訊き返されることも多いです。
 そう訊き返されても、「いや、怪しくないよ!」って断言しにくくもあるんですよね、なんとなく。最近は、著作権侵害動画などはすみやかに削除されるようになりましたし、政治の世界とのコラボレーションもみられたりして、「健全なサイト」になっているのですけど。
 サイトそのものの規模もあり、YouTubeのほうが、消しきれない違法動画が残っているくらいなのにね。

 僕は、比較的初期の頃から『ニコニコ動画』を利用しているのですが、コメントはオフにして動画を観ることが多いこともあり、あの「弾幕」ができるまでに、こういう経緯があったというのは知りませんでした。
 『ニコニコ動画』が世に出たときに、開発者インタビューなどで、YouTubeの画面上にリアルタイムでコメントを乗せられるようにしただけの「これまでの技術の焼き直し」というような話を何度か読んだことがあるのですが、「コメントをどう見せるか」というのは、『ニコニコ動画』の最重要ポイントでもあり、簡単そうにみえて、さまざまな試行錯誤があったようです。
 「動画とコメントを組み合わせただけ」であっても、その「組み合わせかた」次第で、面白くもなれば、単に「動画が見づらくなるだけ」にもなりえます。
 それにしても、「弾幕」時には、モードの切り替えまで行われているとは……開発側は、「祭り」の雰囲気を出すために、ものすごく苦労と工夫をしていたようです。

 僕は「弾幕」に対して、「画面が見えん!」と感じて、コメント自体をオフにすることも多いのですが、リアルタイムでその場にいなくても、ある動画の時間の流れのなかで、一緒に「祭り」に参加できるというのは、素晴らしいアイディアだと思います。逆に、「たくさんのコメントに埋もれてしまうことで、悪口や過激なコメントを書きやすくなる」というのは、『2ちゃんねる』にも共通した「問題点」ではあるんですけどね。

 『ニコニコ動画』は、現時点では、「利用者は多いが、サーバーの負担が大きいため、なかなか黒字化できない」とのことなのです。
 これから「成長」していくことを考えると『ニコニコ動画』という名前は、ちょっと微妙な感じもしなくはないなあ。ネット中毒者的には、「すばらしいセンス」だと思うけど……



2009年11月14日(土)
プロの通訳は、政治家の「どうも、どうも」を、何と訳すのか?

『半島へ、ふたたび』(蓮池薫著・新潮社)より。

【ところで、ちょっとわき道に逸れるが、通訳の現場におけるアドリブ(話者の発言に通訳者本人が説明を付け加えること)は、許されている。外国人同士の話し合いでは、国や民族間の習慣、風習、伝統の違いから誤解が生じることがあり、話者の言葉をそのまま置き換えるだけでは、とうてい円滑な意思疎通がなされないからだ。
 ロシア語通訳の第一人者だった故・米原万里氏の著書『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』に興味深いエピソードが書かれている。あるとき、リビアの最高指導者カダフィ大佐がモスクワを訪れ、記者会見を開くことになった。またとない機会ということで会見場には内外の報道陣が殺到したという。親衛隊の厳重な護衛の中、壇上に現れた大佐は、傍らにいる通訳官になにやら一、二分ぼそぼそと囁いた。すると、通訳官はなんと二十分あまりにわたってそれを”通訳”したそうだ。会場から質問が出ると、また大佐はぼそぼそと一分ほど話し、再び通訳官がとうとうとまくし立てる。つまり、大佐が話すときは通訳官がわかっていることを極力省くので手短になる。通訳官は、外国人記者たちが理解できるよう、大佐の言ったことに必要な文脈を補足するので、話が長くなるというわけだ。
 また、ある日本の政治家は、ロシアから来日した代表団の歓迎パーティに出席し、客人たちとあいさつを交わしながら、「どうも、どうも」としか言わなかったそうだ。実にあいまいで便利な言葉だ。しかし、政治家に付き添っていた通訳者は、代表団の各メンバーとその政治家の関係を事前に研究していたのだろう。相手によって「またお会いできて何よりです」「お久しぶりですね」「はじめまして」などとニュアンスを見事に訳し分けていた。】

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 通訳なんて、その国の言葉がわかれば誰にだってできるんじゃない?
 不届きにも、つい最近まで僕はそんなふうに考えていたのです。
 でも、ここで紹介されている米原万里さんをはじめとする「プロの通訳」たちのエッセイを読んで、この仕事の難しさ、奥深さを知ることができました。
 柴田元幸さんと村上春樹さんの「翻訳」についての対談本では、現在の潮流としては、「とにかく原文に忠実に訳す」ことが重視されているようなのですが、人と人のコミュニケーケーションを媒介する「通訳」の場合は、また違った苦労があるんですね。

 蓮池さんが紹介されている「プロの通訳」たちのエピソードを読むと、通訳という仕事は、「言葉」だけでなく、自分が通訳する人や分野についての予備知識がないと務まらないのです。それにしても、カダフィ大佐のときには、外国人記者たちは、「コイツが勝手に作って喋ってるんじゃないか?」と疑ったのではないかと思いますし、日本の政治家の場合は、本人は「どうも、どうも」しか言っていないのだから、この通訳者は「意訳のしすぎ」なのではないかという気もします。でも、たしかに「どうも、どうも」のニュアンスを訳すのは難しいだろうなあ。
 この政治家も、もうちょっと考えて挨拶しろよ、と言いたくもなりますし、通訳も内心そう思っていたかもしれません。

 そういえば、先日スポーツ新聞で、ヤンキースの松井秀喜選手は、日常会話レベルの英語は十分喋れるのに、公式の記者会見では通訳をつけている、という話を読みました。松井選手は、「ずっとお世話になって通訳を失業させるのは忍びないからね」と冗談交じりにコメントしていたそうですが、おそらく、「中途半端に相手の言葉で喋ってしまうことの危険性」を注目される存在である松井選手は自覚しているのでしょう。
 どんなに英語がうまくなっても、やはり、日本語で喋るようには微妙なニュアンスは伝えられないでしょうし、「意味が通じる言葉」と「その場に適切な表現」というのは、異なる場合も少なくありません。
 もし誤解を招くようなことがあれば、「通訳が悪かっただけで、自分はそんなつもりで言ったわけじゃない」という「逃げ道」もありますし。

 ちなみに、米原万里さんは、著書『ガセネッタ&シモネッタ』のなかで、こんなふうに書かれています。

【わたしなどのところにも「どうしたら同時通訳になれるか」という問い合わせがしばしばある。
 そんなとき、次のように答えるようにしている。
 この職業には向き不向きがある。時間のストレスに耐えられる図太い神経系と頑丈な心臓。一般に平時の心拍数は60〜70、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる瞬間、それが140まで上がるといわれているが、同時通訳者は、作業中の10分なら10分、20分なら20分ずーっと心拍数は160を記録し続けるのだから。
 それから、完璧主義者には向かない。時間的制約ゆえに最高最良の訳の代わりに次善の訳で我慢する妥協の精神が必要。「尿」という単語が出てこなかったら、黙り込むよりも「小便」「オシッコ」あるいは「液体排泄物」と言ってしまう機転といささかの男気が求められる。】

 そして、米原さんが紹介している、同時通訳の「日当」について。

【同時通訳者の日当は1日12万円なんです、7時間以内で。半日すなわち3時間以内で8万円です。国際通訳者連盟(AICC)というギルドがありまして、通訳条件の基準をつくっている。通訳をする相手が誰であろうと、つまり身分や貧富の差などまったく関係がないんですね。あらゆる顧客を平等に扱う。ちょっと排他的な組織で、自分たちの権益を守らないといけないから新参者を排除するんです。それが気に入らなくて、わたしは入らないんですけど。】
 
「日当12万円」というのは、通訳のなかでも最も難しいとされる「同時通訳者」ですから、一般的な通訳者の場合は、こんなにはもらえないのでしょうが、通訳っていうのは、本当に大変な仕事なのです。「言葉さえわかれば、誰にでもできる」なんて、とんでもない。



2009年11月09日(月)
マンガ家・福本伸行の「ぼくがギャンブルを描き続ける理由」

『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年10月号の「特集・福本伸行」より。

(福本伸行さんと大槻ケンヂさんの対談記事「『ドル箱』いっぱいの愛を!〜勝ち負けと、その先」の一部です)

【大槻ケンヂ:福本さん自身はギャンブルはやるんですか?

福本伸行:ほとんどやらないんです。とは言っても、ぼくは釣りとかはやる気がしなくて、やっぱり点数がつくもののほうが好きみたいなんですね。ゴルフも好きですけど、あれも点数がつくじゃないですか(笑)。点数がついて勝ち負けのあるものが好きなんですね。

大槻:その点で、ぼくには勝ち負けっていうのを否定したい気持ちがずーっとあるんですよ。つまり勝ち負けがあるということは負ける可能性があるわけで、「そんなの、いやだよっ!」って思うわけです。だからぼくの人生は「合気道人生」って言っているんですけど、合気道には勝ち負けってないんですね。ところが、『カイジ」とかは体制側が勝つか、持たざる側が勝つかの勝負じゃないですか。だから読んでいると「もしかして、俺も闘わなければいけないのではないかっ!?」と思ってしまって、ちょっと困ってしまったりもしましたね(笑)。

福本:ぼくは「そこは闘わなくちゃダメだろ」っていうマンガをずっと描いてきたわけで、やはり、「勝った負けたが面白い」っていう立場にある。だからギャンブルっていうモチーフがぼくには合うんです。
 こどもの遊びにも勝ち負けってありますけど、それってある種の修行だと思うんですよ。例えばヨーロッパの紳士たちがカジノをするんですけど、それはギャンブルで負けたときでもいかに平静に振る舞えるかという鍛錬でもあるんですね。これはさらに言うと――なにかの本で読んだんですけど――死ぬための練習にもなるんです。つまり、人間がいずれ生物として必ず死ぬように、カジノでは必ず負けるときがくる。だから、ギャンブルで負けるっていうのは確定している死のための「擬似死」であり、その練習であるらしいんですね、そういうセンスは、でもたしかにぼくのなかにもあるんですよね。

(中略)

福本:そもそもぼくたちは仕事じたいがちょっとギャンブル的なんですよね。ギャンブルをあまりやらないって話をしましたけど、仕事がそれを代替しているようなところがある。つまり、マンガの連載を持つっていうのはある種の興業みたいなものだとぼくは思っていて、それがどれだけロングランになるか、小屋にどれだけ客が入るかっていうのは問題なわけです。芝居、舞台っていうのは、やっても客が入るかどうかわからないところに先行投資しるという意味で一種、ギャンブルなところがあって、同様に僕らのマンガも連載を立ち上げて、それが続くか続かないかっていうギャンブルなんですよね、ミュージシャンももちろんそうでしょうけど。

大槻:バンドを組むなんていうのもまさにそうですね。筋肉少女帯の場合はなんだかわからないけど良い駒が集ることはできて、20年以上やることができましたけど。

福本:なので、ギャンブルである以上は勝ち負けというのがあるんだけど、でも、そうしたなかで「勝ち負けは大切」っていうことと、「勝たなければいけない」というのに差異があることは自覚的でないといけないと思いますね。いまは後者の「勝たなければ意味がない理論」みたいなもの――それはある意味では正しいんだけど――ばかりが跋扈しつづけて、いわゆる負け組みたいなひとたちをゴミのようにみる風潮がちょっとあるじゃないですか。それは絶対に間違っていると思うんです。さっき言ったこととは矛盾して聞こえるかも知れないですけど、でもどんなに力をつくしても負けるってことってどうしてもあるわけで、そうして生まれた結果だけをみて非難するのは明確におかしい。】

〜〜〜〜〜〜〜

 代表作『カイジ』『アカギ』をはじめとして、「ギャンブルを描くマンガ家」というイメージが強い福本伸行先生が、「自分ではほとんどギャンブルはやらない」というのは、けっこう意外でした。
 作品のなかでは、あれだけ、「ギャンブラーの心理」を綿密に描写しているのに、あれはほとんど、福本先生の「想像」なのでしょうか。

 ただ、このインタビューを読んでいると、福本さんは、「マンガを連載するという仕事」あるいは「人生そのもの」をある種の「ギャンブル」として考えているのだということがわかります。
 マンガの中では、麻雀やパチンコなどの「身近なギャンブル」を舞台にしていますが、それは、読者への伝わりやすさを考えてのことなのかもしれませんね。

 この対談のなかで、とくに僕にとって耳に痛かったのは、【例えばヨーロッパの紳士たちがカジノをするんですけど、それはギャンブルで負けたときでもいかに平静に振る舞えるかという鍛錬でもあるんでうね。】という言葉でした。
 競馬に負けたときには、あれこれと自分が買った馬券を悔やんだり、落ち込んだりする僕は、修行が足りないというか、死ぬときも「往生際が悪い死にかたをする」のではないかなあ。
 ほんと、ギャンブルで怖いのは、「負けてお金を失うこと」だけではなく、それをきっかけに金銭的なトラブルを引き起こしたり、精神的に不安定になって周囲に八つ当たりし、人間関係が破綻したりすることなんですよね。実は、「負けた後にどう振る舞うか」というのが、すごく大事なのですが、わかっているつもりでも、そこで気持ちを切り替えるのは、かなり難しいのです。
 少なくとも、人生で大きく挫折したときの「鍛錬」になれば、ギャンブルに負けることにも、それなりに「意義」はありそうなのですが。

 あと、この福本先生の話で印象的だったのは、「勝たなければ意味がない理論」への疑念でした。
 「勝たなければゴミだ!」っていう、『カイジ』での有名なセリフがあるのですが、福本先生自身は、「勝つことだけがすべてじゃない」と考えておられるみたいです。僕も、そういう「敗者にもあたたかい世界」であったほしいなあ、と思います。
 でも、今の世の中でフィクションの中以外に「美しい敗者」というのが存在しうるのか、僕はちょっと、疑問でもあるのですけど……



2009年11月03日(火)
”萌え”の元祖は、裕木奈江?

『TVBros。 2009年20号』(東京ニュース通信社)の特集「いま”萌え”を考える。」の「新説!裕木奈江が”萌え”の元祖」という記事から。

【時はバブル後期、90年代の初め頃、”萌え”などという感情があることを1ミクロンも知らなかったイケイケゴーゴーな時代に、彗星の如く現れた1970年生まれの裕木奈江。『日本の女性は、W浅野か、C.C.ガールズか、工藤静香か、千堂あきほか、阿部知代か、荒木師匠みたいな人しかいない」と思っていた”アイドル冬の時代”に、彼女は強烈な向かい酒を浴びせた。
 当時、ブラウン管に映る得体の知れない女優に世の男達は酔った。そして思った。「このポケベルが鳴らないヤツは誰だ?」と。「なんでこんな普通っぽい子が主役をやっているんだ?」と。イケケでもゴーゴーでもない、ましてや森口博子、井森美幸、山瀬まみらの「バラドル」に象徴される元気を売りにする人達とも一線を画す、妙な立ち位置と妙な雰囲気を醸し出す掴みどころのない存在。それはまさに初めて触れる異質なもの。そして男達はそれと同時に芽生え始めた異質な感情に戸惑った。「この胸のザワザワは何だ?」「何だかわかんないけど…愛おしい」

 その後、『オールナイトニッポン』、さらには『24時間テレビ』のパーソナリティにも大抜擢され、あれよあれよという間に時の人となった裕木奈江。そこで女優以外の、一人の女性としての彼女の一面を我々は目の当たりにすることとなる。それは『24時間マラソン』ゴール後の寛平ちゃんに対する伝説のコメント「初めまして、裕木奈江です」
 ゴールの感動を分かち合うわけでもなく、彼女の口から淡々と語られたこのコメントは、感動に水を差したと思われたのだろうか?この”初めまして、裕木奈江”事件以降、「男に媚びてそう」「同性に嫌われている」などと、マスコミから異様なバッシングを受けることになる。さらに、それを受けて、世の中の女性から反感を買うという奈江にとって負のスパイラルが発生する。この一連の流れの背景には、事務所とのトラブルや、マスコミの深部で大きな力が働いたなどと噂されており、その真相はいまいち不明だが、それをは別にこう考えることはできないだろうか?
 これは”新しい概念に対する摩擦”である、と。 
 世の中に数ステップすっ飛ばして全く新しい概念が現れると、それは異質なもの(なんか気持ち悪い)として世の中から拒絶反応を示されることが多い。つまり”奈江”とは、マスの日本人にとって”全く新しい概念”だったのである。上履きに画鋲とか入れられてそうな危うさ、つい守ってあげたくなる感じ。バッシングの末に、裕木奈江は芸能界の表舞台から姿を消したが、何とも言えない”この感じ”は、ひとまず”なえ”というキーワードになって日本人の脳裏に保存されることとなった。】

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 この話、「こうして日本人の脳裏に保存された”なえ”が、10年後の”萌え”を受け入れる下地になった」と続きます。

 いやあ、なんか今となってはちょっと気恥ずかしい話ではあるのですが、僕も当時、裕木奈江大好きだったのですよ。彼女は僕より1歳年上だったのですが、大学に入って一人暮らしをはじめたばかりの僕は、同級生の世間話に触れるような気分で、「裕木奈江のオールナイトニッポン」をよく聴いていたものです。
 中島みゆきさんやタモリ、デーモン小暮閣下といった「プロのパーソナリティ」の場所だったオールナイトニッポンで、まだまだ芸能界に不慣れな奈江さんは、栄光の1部(25時〜27時の枠です、念のため)に彗星のごとく登場し、いきなり番組中に「キャー!」とか叫んではしゃぎまわったり、「変わった食べ物を口にするコーナー」「架空の彼氏の言動を夢想するコーナー」など、「素人っぽさ丸出し」の番組を1年間続けていました。
 でも、当時の僕には、そういう「スレていないところ」がなんだかとても魅力的だったんだよなあ。
 代表作となったドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(というか、これと『ウーマンドリーム』『北の国から』くらいしか、記憶に残っている出演ドラマってないんですよ、けっこう出演していたはずなのに)も、不倫の話でありながら、なんか緒方拳がうらやましすぎる!とか思いながら観ていた記憶があります。
 ここでも触れられている『24時間マラソン』の「初めまして、裕木奈江です」も、リアルタイムで観ていたんですよね。このときの会場の異様な雰囲気はいまでも記憶に残っています。最近の言葉でいえば、まさに「KY!」。
 しかしながら、当時の僕は、このときも、一瞬面食らったあと、「こんなときでも初対面の相手に対する礼儀を忘れない奈江さんはキチンとした人なんだなあ」と感心していました。これも「恋は盲目」ってやつだったのでしょう。とはいえ、今でも「バラエティ番組的にはダメだろうけど、人間性を非難されるような話じゃないだろ」とは思います。

 一度バッシングされ始めると、奈江さんはあっという間にテレビの世界から、姿を消していきました。「カレーマルシェ」のナレーションを耳にするたびに、「ああ、裕木奈江、いまごろどうしているんだろうなあ……」と。
 あの頃人気を分け合っていた宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂らは、ときどきバッシングされたりしながらもそれなりに芸能活動を続けています。宮沢さんの場合は、とくに栄枯盛衰が激しかったのですが、いまはもう、すっかり「大物女優」の仲間入り。
 それに比べて、裕木奈江さんは、「そんな人など最初からいなかったかのように」黙殺されてきたのです。

 時は流れ、僕は意外なところで奈江さんに再会しました。
 それは、映画『硫黄島からの手紙』。主人公が日本に残してきた妻役で、出番は少なかったのですが、まさかハリウッド映画で再会するとは……
 とりあえず、元気でよかったなあ、と『硫黄島からの手紙』のストーリーとは関係ないところで、一人感動してしまいました。

 おそらく、世代によって、それぞれの”萌え”のルーツがあると思われるのですが、僕にとっては、「裕木奈江が”萌え”の元祖」というのは、すごく頷ける話なのです。