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2009年04月29日(水)
『ブラック・ジャック』が終わった日

『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(福元一義著・集英社新書)より。

(巨匠・手塚治虫の代表作のひとつ『ブラック・ジャック』について。当時手塚先生のチーフ・アシスタントだった著者の回想です)

【昭和48年の10月、『ブラック・ジャック』はひっそりとスタートを切りました。壁村さん(壁村耐三・『週刊少年チャンピオン』編集長)が、当初は全4回ほどの予定で連載を依頼した、というのは有名な話ですが、実はその時、ひと足違いで「週刊少年マガジン」(講談社)からも、新連載の依頼が来ていたのです。これは翌年にスタートする『三つ目がとおる』になるのですが、どちらの依頼も富士見台の仕事場で行われたので、私は両作品の記念すべき誕生の場に居合わせることができたのでした。それにしても、もし講談社の依頼が2〜3日早ければ、『ブラック・ジャック』は「マガジン」に連載されていたかもしれません。
 さて、『ブラック・ジャック』の新連載にあたり、当時少年誌での執筆が減っていた手塚先生は非常に張り切って、作画資料の医学書を自ら用意したほどでした(ふつう、資料は他のスタッフが買っていました)。この時に先生が購入した高価な3冊の医学書は、連載中ずっと資料として重宝され、いわば作品の”バイブル”となりました。また医療機器等はどういうツテで手に入れたのか、病院向けのカタログを先生から直接渡されていました。
”病院”のような特殊な建物も、当然資料なしでは描けませんでしたので「建築」という雑誌の”病院特集号”を保存しておき、参考にしていました。するとある時、「私の近所の病院が作品に出てきてうれしかったです」というファンレターが来て、ニガ笑い……なんてこともありました。
 連載当時の画材についてですが、血の表現には太いマジックをよく使用していたのを覚えています。原稿に点々とマジックで黒を乗せていくのですが、これはもっぱら手塚先生の仕事でした。なにせ仕上げの段階でやる作業なので、アシスタントではおっかなくてとてもできなかったのです。
 やがて、作品の人気が出てきて連載が長期化するにつれて、作業の効率化も図られました。アシスタントたちは、手が空いた時間に、資料を元にいろいろな手術シーンの患部を鉛筆で下書きし、ストックしておきます。そして、先生がその中から使えそうな絵をチョイスして手を加え、作品中に使用するのです(とくに大きなコマでよく使われました)。これにより、手術シーンで一から資料を調べたり、写真を引き写したりする時間を大幅に短縮することができました。
 なお、毎回読み切りスタイルの『ブラック・ジャック』ですが、旅行前で描きためが必要な時などは、さすがの先生も編集者に「2〜3回の続きものにしてもらえないかなあ」と頼むことがありました。
 しかし、壁村さんはガンとして聞き入れませんでした。作品のためには、結果的にその方がよかったような気がします。】

(以下は昭和53年の『ブラック・ジャック』の連載が終了したときのエピソード。当時の手塚プロは、久々のアニメ(『100万年地球の旅 バンダーブック』)の制作で非常に厳しいスケジュールに追われていたそうです)

 【アシスタントたちは、講談社・錦友館・一橋寮……と、出版社や旅館を転々としながら、『未来人カオス』や『ブラック・ジャック』等を描いていました。そして、そんな8月12日のこと。長机を囲み原稿をやっている我々の部屋へ、急ぎ足で入ってきた手塚先生が、「やァみなさん、ゴクローさんです。今回で『ブラック・ジャック』は終わります。もうちょいですから頑張ってください」
 と言いながら、準備された席に着くなり、カリカリといつも通りペンを走らせ始めました。我々は「えっ?」と一斉に顔を見合わせましたが、先生のいつもと変わらない様子に、半信半疑のまま今の言葉を反芻していました。
 そして、その日の午後6時。「人生という名のSL」20ページが脱稿。あれだけの人気を集めた連載の、なんともあっけない幕切れでした。】

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 今日は「昭和の日」ということで、マンガ界の「昭和」を象徴する存在でもある手塚先生と『ブラック・ジャック』のエピソードを御紹介します。
 あの『ブラック・ジャック』は、当時少年誌では「過去の人」となりつつあった手塚先生が、『週刊少年チャンピオン』の名物編集長であった壁村さんから「短期集中連載」として頼まれた作品だったというのは僕も聞いたことがありました。それが、あまりに反響が大きかったために連載は続いていくことになったのです。

 この福元さんの回想を読んでいると、『ブラック・ジャック』を週刊誌で連載することの大変さが伝わってきます。「手術シーン」なんて、そう簡単に見られるものでもないし、当時は資料集めも並大抵の苦労ではなかったはず。
 でも、それを逆手にとって、「手術シーンのストックをあらかじめ作っておいて、使えそうな話ではそれを使う」という「効率化」を編み出したのは、「同じ絵のキャラクターを作品ごとに役割を変えて使いまわす」という「スターシステム」を生んだ手塚先生らしくもありますよね。
 大部分の読者には「こういう病気に対する、正確な手術シーン」をイメージし、誤りを指摘することは不可能ですから、それらしくて迫力があれば十分だったのでしょう。
 もし、手塚先生が「ディテールのリアルさにこだわるマンガ家」であれば、『ブラック・ジャック』を5年にわたって週刊誌で連載することは不可能だったはずです。
 そして、『ブラック・ジャック』をこれだけ長年愛される「名作」にしたのは、壁村編集長の存在も大きかったのではないでしょうか。あれだけの「物語」を毎週1つ作っていくのはかなり大変だったはずで、「2〜3回の続きものにしたい」というのはよくわかります。でも、もし壁村さんがそれを受け入れていたら、『ブラック・ジャック』は、次第に冗長になっていったかもしれませんし、「喫茶店や友達の家にあった単行本で偶然1つのエピソードを読んでハマってしまう」人も少なかったはず。ずっと「1話完結」であったために、新しい読者にとっては、どこからでも読めて、すごく敷居の低い作品になったと思います。「長編」を読んでみたかった、という気持ちもあるんですけどね。

 『ブラック・ジャック』の最終回が、スタッフにとっても突然やってきたものだった、というのは、この新書で初めて知りました。
 僕も『ブラック・ジャック』は全巻持っているのですが、あの「最終話」である「人生という名のSL」は、「1話完結」が大原則の作品であっても、全体の話の流れのなかで、なんだかものすごく唐突なエピソードのようにも感じましたし、「最終回」というよりは、「1話だけBJがみた夢をそのまま描いた」ような話で、その次の週にいつも通りのエピソードが載っていても違和感がない(それでいて「最終回」としても違和感がない)不思議な印象の作品でした。
 この話を読んでみると、あの「人生という名のSL」は、なんらかの理由で、手塚先生自身にとっても「突然の最終回」にせざるをえなかったのかな、という気がします。『週刊少年ジャンプ』の10回打ち切り作品ならともかく、長期連載された人気作品であれば、普通は「最終回までの流れ」を考えて、スタッフにも告知しておくものではないかと思うので。
 
 それにしても、この新書を読んでいると、手塚先生(とスタッフたちは、常に「連日の締め切り」に追われていて、「60歳の若さで亡くなられた手塚先生」も、その仕事の密度を考えると、「こんなにハードな仕事漬けの生活で、よく60歳まで体がもったなあ……」と思えてきます。



2009年04月25日(土)
『スペースインベーダー』をたった一人で作った男

『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/5/1号の記事「『スペースインベーダー』生誕30周年〜空前のヒットを支えた知られざる舞台裏」より。(『スペースインベーダー』の開発者・西角友宏(にしかど・ともひろ)さんへのインタビューから。「」内が西角さんの発言です)

【『スペースインベーダー』が誕生した70年後半のゲーム業界は、アタリ社の隆盛もあり、完全にアメリカ主導のものだった。遅れをとっていた日本のゲーム業界は、まさにアメリカに追いつけ追い越せの状況。しかしながら、現在のように開発キットなどの環境が整っているわけではなく、ゲーム開発と言えばアメリカ産の筐体を解析し、似たようなゲームを作るのが精いっぱいの時代だったという。
『スペースインベーダー』を作った西角友宏氏(現ドリームス代表取締役)もそんな混沌としたゲーム業界の中にいた。「真似ばかりの日本のメーカーもオリジナル作品を模索していた時期。そのひとつの方向性として、グラフィック重視が叫ばれていて、ただの四角や三角ではなくて、クルマならクルマらしい形にしようという流れがありました」とその当時を振り返る。
 業界全体がリアル志向へ向きかけたときに、アタリ社の『ブロックくずし』が発売され、ヒットする。これが西角氏のゲーム哲学に大きな影響を与えることになる。
「グラフィックをリアルにしようという思想とは真逆の作品でした。でも、ゲームはグラフィックではなくて、遊びがおもしろいものがうけるんだとハッとしましたね」
 原点回帰とも言えるシンプルな遊びに、西角氏は『スペースインベーダー』へのヒントを得たという。「ブロックを崩したときの爽快感、とくに残りひとつを崩したときの達成感はゲームに入れ込みたい」。インベーダーが大軍で襲ってくる発想はここからだ。
 もうひとつ、西角氏が決めていたのがマイクロコンピューターの導入だった。当時はハード、ソフトという概念はなく、すべてロジックICという集積回路の組み合わせでゲームを制作するのが常識。ソフトのプログラミング次第でゲームの幅が広がるマイクロコンピューターは理想的な開発環境だ。西角氏はすぐさま購入……ではなく、まず着手したのはハードの”解析”。なんとマイクロコンピューターを使った開発ツールから作り始めたのだ。
「当時1000万円以上したので会社が買ってくれなかったのです(笑)。それまでの解析、応用作業の積み重ねが役に立ちました」と西角氏はサラリと話したが、現在では考えられない離れ業。
 ちなみに強調しておくが、当時の開発メンバーは西角氏ひとりであった。マイクロコンピューターの日本語の資料などは当然ないので、辞書片手に文献を読みあさり、実際に作っては改良していく試行錯誤をくり返したという。相当苦労しただろうと思いきや、「マイクロコンピューターを使ったゲームをいちばん最初に作りたいという気持ちが強かったので、あまり苦労は感じませんでしたね。開発ツール作りに熱中しすぎちゃってゲーム開発が進まないこともありました」とむしと楽しくて仕方がなかったと話す。『スペースインベーダー』の画期的なところは、”敵が攻撃してくる”という双方向型を実現したところだが、マイクロコンピューターという強力な援軍と、西角氏のたぐいまれな創作意欲がこの発明を生みだしたのだ。

 西角氏の渾身作『スペースインベーダー』は最初から順風満帆だったわけではない。当時のシューティングゲームは、一定の点数を越えれば時間が延長されるという”最低でも1分半遊べる”という暗黙の決まりがあった。一方で、『スペースインベーダー』には時間的保証はない。しかも、時機が残っていてもインベーダーに侵略されれば即ゲームオーバーという辛口な設定。営業担当からは「シビアすぎて、ゲームの仕様を直したほうがいい」というクレームが幾度となくついた。
「すべて”難しくてできない”と断りました。本当はできたんですけどね(笑)」とやんちゃな表情を見せた西角氏。この強行突破が、シューティングゲームの概念、スリル感を大きく変えたわけだ。だが、当然のことながら発売時点での営業担当の気持ちは穏やかではない。『スペースインベーダー』は当時の最低ロットで世に出回ることになる。さらに付け加えると「ここまで作ったから没にするのもかわいそう」という同情の上での発売だった。しかし、その状況もすぐに好転する。
「発売してすぐに致命的なバグが見つかったんです。修理に向かったら、”このゲーム、インカムがいいからコインボックスを大きくしてよ”といわれて驚きました」。
『スペースインベーダー』の人気が全国区になるにはそう時間がかからなかった。数ヵ月後にはインベーダーハウスが乱立し、テーブル筐体を置く喫茶店も登場。”『スペースインベーダー』のためにテーブル筐体のコインボックスが4倍に拡張された”、”集金車のサスペンションが100円玉の重みで曲がった”、”高級料亭にも筐体が並んだ”など、大ヒットを裏付ける伝説にも事欠かない。1500台出れば大ヒットと言われていた当時に、絶頂期には月産約2000台を誇ったというから驚きだ。「1、2週間徹夜して工場を作って生産を始める無茶ぶりでしたね(笑)」。日本中が『スペースインベーダー』フィーバーに沸いたのだった。】

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 『スペースインベーダー』が世に出たのは1978年6月。僕はまだ小学校低学年でした。ブームそのものというよりは、学校の先生に「とにかく『インベーダーゲーム』はやっちゃダメ」と言われ続けていた記憶しかないのですが、『ゲームセンターあらし』などを通じて、『インベーダーゲーム』は当時の子供たちにもよく知られていました。

 僕は当時、一度だけゲームセンターで『スペースインベーダー』をやった記憶があるのですが、そのときには、あっという間に全機やられてしまって、「これでジュース1本分のお金がかかるのか……10円ゲームのほうがいいや……」と思ったんですよね。たしか、800点くらいしか取れなかったはず。「炎のコマ!」とか言いながらレバーをとにかく激しく動かしてみたりしたのですが、やっぱり無理。

 これを読みながら思い返してみると、たしかに「敵が攻撃してくるテレビゲーム」っていうのは、この『スペースインベーダー』が最初だったのではないでしょうか。「うまい人は延々と続けられるけれども、ヘタな人は一瞬で終わる」というシステムも。たしかに、斬新なゲーム性だよなあ。
 これを周囲の反対のなか、「そんなことできません」と嘘をついてまで実現した西角さんの「先見の明」には驚かされます。昔の僕みたいに、最初に一瞬でゲームオーバーになって離れていった人も多かったと思うのですが、結果的には、厳しいからこそ「うまくなること」にハマっていった人も大勢出たのです。

 いまのテレビゲームのレベルからすれば、「ひとりで作った」と言われてもみんなそんなに驚かれないかもしれませんが、『スペースインベーダー』は、当時のテレビゲームのなかで「最新鋭」だったんですよね。あの頃は、「『スペースインベーダー』を家で遊ぶこと」は、まさに「ゲーマーの夢」でした。
 開発ツールから西角さんが自分で開発していたというのもすごい。
 こういう「創ることに情熱を燃やすひと」がいたからこそ、日本のゲーム業界は進化してきたのでしょう。

 『スペースインベーダー』のブームは1年くらいで沈静化しましたが、このゲームが後世に与えた影響は計り知れません。
 西角さん本人にとっとは、「大ヒットによるごほうびは、ひとつ昇進したことと10000円くらい昇給したことくらいだった」そうなのですけど。
 



2009年04月23日(木)
「あなたがダイエットに失敗した理由を、原稿用紙10枚に書きなさい」

『怪しい商品ぜんぶ買って試した Vol.2』(鉄人社)より。

(通販の「怪しい商品」を買ったり、街の「怪しい店」に入ってみるという体験レポートを集めた本から。「悪徳ダイエット商法のからくり全部教えます」という項の一部です。都内の悪徳ダイエット飲料販売会社で電話オペレーターとして働いていたという香崎めぐみさん(仮名・25才)の話)

【改めて言いますけど、ダイエット飲料の広告は全部ウソなんです。下剤を入れるのは《宿便が取れてる》ってキーワードを出すためだし、《アジア美容コンテストで最優秀賞!》なんてのは、コンテストそのものがありません。タレントの愛用者インタビューも、お金を払って出てもらってるだけです。
 成功体験談なんかも、全てサクラか会社のスタッフですね。写真は別人かコンピュータ修整か、本人が口や服の中にモノ詰め込んで太ってるように見せてるだけ。こんなインチキな会社があるなんて、怒りすら覚えましたね。

(中略)

 そういえば、会社から指示されてる目標があるんです。実行目標を略して《実目》っていいます。それは《自然消滅80%》ってフレーズ。とにかく、返金課にたどり着かせないように広告には返金窓口番号は載せませんし、軽いクレームはフロントで切ります。
 でも、猛烈にシツコイ客っているんですよね。今でも覚えてるのは、私がフロントのころ文句つけてきた38才の独身女です。第一声から「金返せ! 下痢するだけで痩せねぇよ!」って怒鳴り散らして。こちらも必死に説得するんですけど、全然ダメ。そのうち「こんなインチキ商売しやがって、お前らロクな死に方しないぞ」なんて言い出すし、もう1日中わめくんです。ひたすらリダイヤルし続けているんでしょうね。
 これが1週間続いたら、さすがに気がおかしくなります。こういう強烈な客だけが返金課にたどり着くわけです。逆に、会社にとっても、ココからが勝負どころなんですね。返金課の電話回線って実は1本しかありませんから、ほとんどの客にとって常に通話中です。何度かけても通じない。コレで嫌になって、接触して来なくなる客が非常に多いんですよ。自然消滅の第一段階です。
 コレでもねばる客は相当お怒りですよ。もう、繋がった途端にスゴイ剣幕、殺すぞ! みたいな。そしたら、今度は《たらい回し作戦》です。返金課には5人いたんですが、担当が違うと言っては次の子に回すんです。その件でしたらお客様相談係です、ソレは総務室です、返金相談課です、カスタマーセンターです、ダイエット・サポート係です、経理です、申請課です…って。
 もちろん、相手はキレまくりですよ。「アンタが返金しなさいよ!」って。でも、どんなに怒鳴られても『担当が違いますので、これから言う番号へお願いします」って淡々と繰り返すんです。

 問題は、それでもあきらめないツワモノですけど、これは返金手続きに応じます。お客様がダイエット効果を実感できないならば、30缶1万3800円の代金を全額お返ししますって。
 でも、この返金手続きが半パじゃなくウザイ。まず、客の元へ『返金手続き書』が郵送されるんですが、ダイエット飲料を飲み始めてからのウエイト記録、1日の便通回数を記録する表、ナゼか血糖値の管理表まで詳細に記入しなければならない。一部でも記入漏れがあれば無効です。あと、ダイエット前と現在を、同じ角度から同じズームで撮影した日付入り写真が求められます。そんなの、事前に説明されてなければ、絶対にムリでしょ。
 ただ、極めつけは『反省文』ですね。なぜ、ダイエットに失敗したかを、原稿用紙10枚に書かなきゃいけない。もう、あきらめさるを得ませんよね。私がいた期間中、返金はただの一度もありませんでした。】

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 「国民生活センターなどの調べによれば、平成20年度の消費生活相談件数は約137万件。うち《危害情報》のトップはダイエット関連で、近ごろは特にダイエット飲料に対する報告が激増している」そうです。
 昼間にラジオを聴いていると、通販番組での「ダイエット飲料」の紹介がけっこう頻繁に流れてきます。僕にとっても「ダイエット」は切実な問題なので「買ってみようかな……」という衝動に駆られることもあるのですが、当たり前のことながら、世の中には「飲むだけで健康的に痩せる」なんていう都合のいい飲み物は存在しません。
 「宿便がとれる」っていうのも、結局、腸にこびりついている便が一時的に外に出るだけで、「体重計に乗ったときの数字」は便の分だけ減るかもしれませんが、身体そのものには何の変化もないわけです。
 僕が知っている範囲では、「甲状腺ホルモン」が含まれているダイエット食品があったのですが、これは確かに痩せます、でも人工的に「甲状腺機能亢進症」になるのですから、たまったものじゃありません。

 もちろん、日本で流通しているすべての「ダイエット商品」が、このような「単なる下剤ジュース」かどうかはわかりませんが、このレポートを読んでいると、「飲むだけで痩せるなんて甘い話には、ウラがあるのが当たり前なんだな」ということを実感させられます。
 そして、「効果がなければ全額返金します!」という言葉を、そう簡単に信用してはならないということも。
 ちなみに、このレポートのあと、弁護士さんの「典型的な詐欺商法ですね」というコメントが紹介されており、訴えれば取り返せるのではないかと思われますが、正直、1万3800円というのは、「惜しいけど、訴訟を起こすことのめんどくささを考えると、泣き寝入りしてしまうことを選ぶ人が大部分な金額」ではないでしょうか。これが何十万、何百万だったら別の話になるのでしょうけど。
 
 それにしても、「返金制度があるから安心!」と宣伝しておきながら、この「返金しないための執念」の凄さといったら!
 血糖値なんてインスリンを使っている人でもなければ測る機会はほとんどないでしょうし、「日付入り写真」にしても、「角度がちょっと違う」なんてクレームはいくらでもつけられそう。
 「原稿用紙10枚の反省文」に至っては、「そんなめんどくさいことやるくらいなら、1万3800円のほうを諦める」人ばかりのはず。もともと「ラクして痩せたい人」ばかりなのだし。

 でも、こんなインチキな商売、やっていて良心が痛まないのか?」とか、ちょっと考えてしまいますよね。
 この女性は「時給1500円の電話オペレーター」という求人広告をみて、この会社に入ったらしいのですが、「2ヶ月目で月給30万オーバー」「最盛期には月収50万円以上」という高給と「何も知らない女性客を騙すのが快感になってきた」ということで、そんなに「罪の意識」はなかったそうです。
 人間って、「騙す側」にまわってしまうと、「普通の人」でも「これも生活のため」「騙されるほうがバカなんだ」と、けっこう簡単に良心を一時停止できるものみたい。

 香崎さんによると、この会社、消費者センターへのクレームの多さから
行政指導を受け、結局、半年で潰れてしまったそうなのですが、経営陣は同じような別会社を作っては潰し、を繰り返しているのではないか、ということでした。
 この会社は、わかっているだけでも13万人にこの「商品」を販売し、倒産するまでの売上が18億円近くだったそうです。

 「摂取カロリーと栄養のバランスをコントロールすること」と「適度な運動」で、「ダイエットできる」ことは、おそらく誰もが知っています。それが、「唯一無二の確実なダイエット法」であることも。
 にもかかわらず、「ラクして痩せたい」「どこかに画期的なダイエット法があるのではないか」という幻想は、なかなか消えてくれないもののようです。



2009年04月20日(月)
山口百恵さんの「もうひとつの小さな伝説」

『かなえられない恋のために』(山本文緒著・角川文庫)より。

(「禁断の世間話」という項の一部です)

【すごく昔の話になるけれど、あの山口百恵さん(あのお方は、呼び捨てにできない)が引退間際、谷村新司の司会する番組に出ていた時、谷村新司が百恵さんに、
「腋毛の処置は、週に何回ですか?」
 と聞いたのを覚えている。まだ若くて潔癖だった私は、こ、この男なんてことを聞きやがる、と愕然としていたら、百恵さんはにっこりと笑って答えたのだ。
「週に二回ぐらいで大丈夫」
「それは、毛抜きで?」
「ええ、毛抜きで」
 今でも覚えているぐらいだから、相当衝撃だったんだと思う。堂々と胸を張って、それなのに可愛らしく、厭な感じも与えず、会場から大爆笑を取って、百恵さんは言った。今ではテレビに出るような女の人は、そのぐらいの質問は平気で受け流すだろうけど、その当時はまだ、アイドルとか女性歌手というものは、「私はトイレなんか行かないのよ」という顔をしていなければ世間が許さない時代だったのだ。
 私は本当にくらっときた。彼女が今でもマスコミから忘れられない理由が分かる。後にも先にも、女の人にあんなにしびれたのはその一回きりである。】

〜〜〜〜〜〜〜

 山口百恵さんは1959年生まれ。僕よりちょうどひとまわりくらい年上です。三浦友和さんとの結婚を機に引退されたのが1980年(21歳)。僕はまだ小学生だったので、「ちょっと怖そうなお姉さん」だった百恵さんの引退について、リアルタイムではあまり感じるところはなかったのですが、それから30年近く生きてみると、やっぱり「山口百恵」は唯一無二の存在だったのかな、と感じます。
 いや、当時は「NHKで『プレイバックPart2』を歌ったときに、商品名はダメだということで『真っ赤なポルシェ』が、『真っ赤な車』に言いかえられたのを聞いて、テレビには『大人の事情』というのがあるのだと知った」というのが、山口百恵さんに関するもっとも印象深い出来事だったんですけどね。

 このインタビューの話、いまだったら「セクハラ発言」として谷村新司さんが「炎上」してしまうんじゃないかと思いますが、あの時代に、20歳そこそこでこういう意地悪な質問を軽く受け流してしまった百恵さんというのは、まさに「モノが違う」存在だったに違いありません。そして、当時としては、明らかに「異質」だったのではないかと。
 これ、質問したほうも、百恵さんをちょっと困らせてやろうという意図だったと思われるのですが、絵になる人というのは、腋毛の処置の話をしても絵になるものみたいです。
 このインタビューの映像がもし残っていたら、一度観てみたいなあ。

 ところで、これを思い出したのは、昨日ネットで、「宇多田ヒカルさんが『浮気経験』についてラジオの生放送で語った」というニュースを見たからなんですよね。同じ「正直なコメント」でも、いまの芸能人っていうのは、いろいろと大変だよなあ、と考えずにはいられません。
 ちょっとやそっとじゃ、誰も驚いてくれませんから。



2009年04月16日(木)
『ノイタミナ』の苦悩と『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』の逆襲

『創』2009年5月号(創出版)の特集記事「変貌するマンガ市場」の「マンガ原作のアニメ化、実写化をめぐる現状」(中川敦著)より。

(マンガ原作のアニメ化についての各テレビ局の現状を紹介した項の一部です)

【(日本テレビの場合)
 これまで月曜19時台に放送されていた『名探偵コナン』と『ヤッターマン』がゴールデンタイムから撤退。この4月からそれぞれ土曜18時と日曜7時に移行する。これはテレビアニメ全体の苦境を象徴しているように見える。日本テレビ編成局映画編成部チーフプロデューサーの中谷敏夫氏はいう。
「コナンとヤッターマンは、日本テレビ系列の看板アニメですから、確かにさびしい気はします。ただ、苦しい中でもがいた結果、一つのヒントが見えてきた。昨年、話題となったものに8月に放送された『デスノート』の特別番組があります。深夜で放送していたアニメを再編集プラス新作カットという形で放送したのですが、視聴率は11%を超えました。北京五輪の裏だったにも拘わらず、非常に健闘したと思います」
 『デスノート』については、07年8月に放送された総集編も視聴率15%を超え話題になった。人気コンテンツを再利用し、ディレクターズカット版として構成する手法はテレビアニメでは例がない。
「ドラマと比べアニメは腐りにくい。2年続けてゴールデンのタイムテーブル上で“戦力”として一定の結果を出せたことは、地上波民放のアニメの存在意義の一端を感じさせるものでした」(中谷氏)
 一般的にアニメ制作のコストは高く、DVD等のマルチユース展開がないと、CM収入だけで資金を回収することは難しい。通常10年単位で回収できればよしとされるが、最近は不景気のため短期回収を求められるという。必然的に今までとは違った形のコンテンツの有効利用が進められつつあり、コミック原作への関わり方も少しずつ変化してきている。
「これからは、アニメ単体ではなく、ドラマ、映画との連動で考えていくことになるでしょう。出資・回収の構造はそれぞれ違うので、テレビ局の中で一枚岩でやることは難しいですが、一社がトータルで担当したほうが、ライツ処理の煩雑さは軽減できる。これは出版社さんにとっても魅力的ではないかと思います。アニメ、ドラマ、実写映画を複合的に展開することができれば、ある程度の規模にはもっていけると思います。デスノートも単純に映画だけではあそこまでいかなかったでしょう。具体的なことはまだ言えませんが、そうした展開を模索中であることは確かです」(中谷氏)

(フジテレビの場合)
『働きマン』、『ハチミツとクローバー』、『のだめカンタービレ』などをはじめ、放送を終えたばかりの『源氏物語千年紀Genji』も話題を呼んだフジテレビ「ノイタミナ」枠。コミック原作を中心とするラインナップで、若い女性をはじめとする新しい視聴者の獲得に成功した。スタートから丸4年が経過した現在も、視聴率は5%を出すこともあり、同時間帯としてはかなり高い。だが、編成制作局編成部主任の松崎容子氏はこう話す。
「そろそろスキームの限界を感じてきています。視聴率はたまに6%台が出て、うっかりするとゴールデンの番組に勝ってしまうほどですから悪くはありません。しかし、1クール、分野はドラマ、手法はアニメという方針だと、クオリティコントロールの問題もあり短期間ではリクープできないことがわかってきました。DVDの落ち込みは想像以上でした」
 DVDが売れない時代に、1クールで製作費を回収するのは至難の業だ。同枠で放送されていた『怪〜ayakashi』や『墓場鬼太郎』など放送終了後もDVDが売れる枠品もあるが、多くの場合が放送期間内での回収は困難だという。
「ターゲットを限定したコアな作品を作れば別なのですが、『働きマン』や『ハチクロ』など、いわゆるアニメファン以外の方々向けの作品だと、視聴率がDVDの売り上げに比例しないんです」(松崎氏)
 今年4月からの「ノイタミナ」には同社のオリジナル作品『東のエデン』を投入。『ハチクロ』の羽海野チカがキャラクター原案、『攻殻機動隊』の神山健治が原作・監督という注目作だ。同じく4月からはじまるオノ・ナツメ原作の『リストランテ・パラディーゾ』(太田出版)では、フジテレビオンデマンドでの配信なども行う予定だ。
 一方で、放送開始から40周年を迎えた『サザエさん』、同じく20周年を迎える『ちびまる子ちゃん』の存在感が大きくなってきていると松崎氏はいう。
「昨年、『サザエさん40周年スペシャル』を放送したのですが、視聴率は20%を超えました。スペシャルを放送する前は18%台でだったのですが、放送後は20%前後で安定しました。ちびまる子ちゃんの『20周年前祝いスペシャル』も17.2%を記録し、周年事業を兼ねた起爆剤としては成功だったと思います」
『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などはスポットのCMも高額で、番組が長期的な展開を前提としている。そのためDVDで回収を目指すビジネスモデルとは少し様子が違い、グッズ展開が一つの柱になるという。『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』を合わせると年間1000億円以上の規模に成長した。『サザエさん』のライツは長谷川町子美術館がしっかり管理していたが、時間をかけて調整を重ねた結果、同社でオンリーショップができるようになったという。ライツに関しては今まで手の届かなかったところをいかに開拓するかが更に重要になってきたようだ。松崎氏はいう。
「苦しい状況では長寿番組の安定感が非常にありがたいです。土台がしっかりしているからこそ新しい取り組みにも挑戦できる。コミック原作については、アニメにすべきマンガと、ドラマにすべきマンガをより正確に見極めていかなくてはならないと思っています」】

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 日本テレビの『名探偵コナン』『ヤッターマン』の時間変更により、現在、ゴールデンタイムにアニメを放送しているのは、テレビ朝日とテレビ東京のみになってしまいました。
テレビアニメにとっては、「厳しい時代」はまだまだ続きそうです。
この記事では、日本テレビ、フジテレビの他に、毎日放送、テレビ東京にも取材をされているのですが。これらをあわせて読んでみると、各社とも「アニメというコストがかかるコンテンツで、いかに収益を上げるか?」について、試行錯誤中、というのが現状のようです。
テレビアニメは、スポンサーからのCM料金やキャラクタービジネスで収益を得ていた時代から、低迷期を経て、「CMで稼げなくても、DVDをコアなファンに売る」ことにより、新しいビジネスモデルを構築してきました。
 ところが、アニメDVD(セールス)市場のピークは、『鋼の錬金術師』が大ヒットした2002年から2003年頃で、それ以降はだんだん売れなくなってきているそうなのです。
 ネットでの違法アップロードなどもその原因なのかもしれませんが、対策が強化されている近年も「右肩下がり」の傾向は続いています。

 これまでのテレビアニメが、「通常10年単位で回収できればよしとされる」というくらい気長な商売であったというのも驚きなのですが、最近の厳しい経済情勢によって、そんなに悠長に構えられなくなった、というのが現状のようです。
 とはいえ、製作側としては、急に「すぐに利益を出せ」と言われてもどうしようもないですよね。スポンサーもそう簡単にはつかないだろうし。
 すぐに思いつくのは、「作品の質を下げてコストダウンすること」ですが、それをやってしまっては、視聴者からは見離される一方でしょう。
 
 それにしても、フジテレビの松崎さんの話のなかで、高視聴率を続けているフジテレビの深夜アニメ枠「ノイタミナ」もこんな厳しい状況にあるというのは意外でした。
 あんなに視聴率が良くても、DVDがかなり売れないと収支がプラスになはらないようになっているんですね。オンデマンド配信などの、新しい試みもなされているようなのですが……

 そんななか、『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』という「定番」の強さがあらためて見直されているようです。
 僕は『サザエさん』の面白さがいまひとつ理解できないのですが、「CMとグッズ販売できちんと稼げる」というのは、テレビ局にとってはまさに「優良コンテンツ」。
 アニメ化された『ちびまる子ちゃん』をはじめて観たときには、「これは、『サザエさん』に対する痛烈なアンチテーゼなのでは……」と思ったのですが、20年経ってしまえば、こちらも「定番」ですよね。

 新しい作品が生まれず、「定番」ばかりが延々と続いていくテレビアニメ界というのも、それはそれでちょっと寂しい気はしますが、この話を読んでいると、新作アニメにとっては「厳冬の時代」がしばらく続きそうです。



2009年04月13日(月)
『タクティクスオウガ』の「カオス」から抜けられない女

『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。

(特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん)

【米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。

ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前に「カオス」で解いたことがあって、当時は他のシナリオは遊びきれなかったから、今回はどっぷりと「ロウ」か「ニュートラル」を選んで遊ぼうと思ったんだって。でもその分岐する場面の会話で「そのようなことは到底、肯んぜられない!!」っていう感じになっちゃって(笑)、結局また「カオス」の道を選んじゃったらしい(一同爆笑)。メモリーの中にある別のシナリオが見たくてやり直したはずなのに(笑)。「カオス」がいちばん熱血漢で「ロウ」は従順でその場に流される人の物語なんだって。その分岐点は仲間の裏切りみたいな場面でそれを見てみぬふりをしろ的な、なんかすごい提案をされるらしい。「あの村人たちをみんな焼き殺してそれを他人がやったことにして儲けはわれわれでもらおうぜ」くらいの。名久井さんは「はい」を選べなかった。二度目で今度は従順な「ロウ」の人のプレイをしようとしたのに、「そんな提案はのめん!」って(笑)。ゲームが多様なのに人間の気持ちが同じになるって、それがすごくおかしくてさ。

米光:それはある意味でそのキャラが他人じゃなくなってるってことだよね。でもその感情移入具合はいいな(笑)。

ブルボン:だよね。このエピソードひとつだけで『タクティクスオウガ』というゲームがすばらしいものなんだろうということがわかる。
 でも、そうして結局見ないままになってしまった『タクティクスオウガ』のソフトのなかのメモリーだって物語なわけだし、昔はやっぱりそういう風なメモリーの全部をみたかったはずなんだよね。だってスーパーファミコンのソフトって8900円とかしたんだもん。でも難しかったりして、『かまいたちの夜』とかでも「ピンクのしおり」とかを全部見るのは困難だった。でも今は難しかったゲームが攻略法がいっぱいネットに出てるじゃないですか。それで『かまいたちの夜』を全部解けるようになったわけだけど、でもそれでいざ見たらたいした筋書きでもないのよ。すでに遊んだ本筋のミステリーのところがやっぱりいちばんノリノリでさ。「メモリーを全部見られるようになったけど、それは別に楽しくなかったよ」って思ったな。だからゲーム内の選択肢として「はい/いいえ」を選ばさせられて、で結局「はい」を選ぶなんていうのはさ、なんかやらされてる感みたいなものも感じたりするんだけど、でも「いいえ」のあとに無数に世界は用意されてあってもさ、やっぱり「はい」を人間の側で選ぶかもしれない。

米光:『ゲーム化会議』でやっていていつも困るのが、「我慢する」って感じとか「仲間が死んだつらさ」みたいなものをゲームシステム的には表現できないってことなんだよ。「この人は恋愛狂で恋愛なしではいてもたってもいられない」っていうのはどうシステムで表現していいのかはわからない。プレイヤーがそう動いてくれないと困るんだけど、そうは動かない可能性ももちろんあるわけで。選択肢はあるけど、もはや「はい」を選ばない人間はいないだろうってところまで感情をわしづかみにできればいいんだけど。でもそれはシステムだけではやっぱりなかなか表現できなくて。

ブルボン:ある意味、やっぱり人間の側がさっきのデザイナーみたいな人であればいいわけだね(笑)。ゲームである以上、やっぱりある程度は人間にゆだねられるわけだし。

米光:結局はもっと冷めた人だと、「こっちをみたいから」っていうことで意に沿わない選択だってするわけだものね。

ブルボン:でも、『ドラクエ5』とかでも、たいていの人はビアンカと結婚したって聞くよ。ストーリー上の必然としてフローラは選べないよ、ということらしい。みんな人情があってさ(笑)、よっぽどの天邪鬼じゃないかぎりビアンカを選ぶらしいんですよね。

米光:それは実際にその本人に人情があるかとは別かもしれないけどね。人情がある世界という規範のなかで役を演じているのかも。

飯田和敏:たしかに『ドラクエ5』ではビアンカと結婚する人も、私生活でどうかはわからない。物語だからこそ、ってところは勿論あるだろうし。

ブルボン:まあ単純化されてるわけだしね。いずれにせよ、中世とかファンタジーを舞台にしたものに限らず、RPGってとにかく、ゲーム内の他のジャンルと比べてもなんとなく血気盛んなほうに感情移入しやすい媒体なのかもしれないね。たしかに『スーパーマリオ』をやって「おのれクッパ!!」みたいな感じにはならないもんね。】

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 これを読んでいて、僕は名久井さんにものすごく共感してしまいました。
 みんなそんなに「爆笑」するなんて失礼な!
 『タクティクス・オウガ』は、僕も大好きなゲームなのですけど、僕も「カオス」でなんとかクリアしたあと、他のルートが気になりながらもあの大作を「選択」の場面からやり直す時間も気力もないまま、かなりの歳月が経ってしまいました。
 でも、もう一度やったとしても、たぶん僕も「カオス」を選んじゃうんじゃないかと思います。「他のルートを見てみるためにやってみた」としても、あの場面で「ロウ」に行ったら後悔しそう。

 『ドラゴンクエスト5』も、スーパーファミコン、プレステ2、ニンテンドーDSと3機種でクリアしたのですが、全部ビアンカと結婚したものなあ。僕だって、「フローラのほうが呪文強いじゃん」と言い放ち、あっさりフローラと結婚してしまう妻の合理性を見習いたいと思うのです。
 でも、ストーリーを進めていって、結婚前夜に「すやすやと眠っているフローラ」と「眠れずに窓の外を眺めつつ、『私のことは心配しないで。フローラさんを選んだほうがいいよ』と気遣ってくれるビアンカ」を目の前にすると、「ここは人間としてビアンカだろ!」という気持ちになってしまいます。「フローラ(あるいはデボラ)を選ぶつもりだった人」でさえ、あの場でビアンカを捨てるのはなかなか難しいはず。

 そういえば、堀井さんも、なにかのインタビューで「基本的にはビアンカを選ぶように作っている」と話していました。
 たとえそれがデキレースであったとしても、「ただビアンカと結婚する」というのではなく、「いろんな意味で魅力的なフローラの誘惑を断ってビアンカを選ぶ」からこそ、プレイヤーの思い入れも強くなるのでしょう。

 たしかに、「人間としてビアンカを選ぶしかない!」とプレイヤーに思わせることができたとしたら、「作者の勝ち」ですよねこれは。

 でも、『タクティクスオウガ』の「あの場面」にしても、『ドラゴンクエスト5』の「ビアンカとフローラ」にしても、もし同じことが現実に目の前で起こったら、「ロウ」に行く選択をしたり、フローラと結婚したりする人は、少なくともゲーム内での「選択率」よりははるかに高いのではないかと思います。
 だからこそ、ゲームのなかだけでも、「人間として正しい選択」をすることにこだわってしまう面もあるのかもしれませんね。

 僕は毎回、ビアンカを選ぶたびに、「もし僕が人生やり直せるとしても、結局同じことしかできないんだろうな……」と、自分の不器用さが悲しくなってしまうのです。



2009年04月10日(金)
昭和天皇のサンドイッチ

『昭和天皇のお食事』(渡辺誠著・文春文庫)より。

(宮内庁大膳課の和食担当として大膳厨房係に26年間勤めた著者の「昭和天皇のサンドイッチ」の思い出)

【そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、それまでの九つ切りから十二切りにしました。しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入りパンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
 大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然ことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
 切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。表面がデコボコになってはいけない。切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
 ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
 そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
 このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
 主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
 そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
 おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」
「イチゴジャム」
 とまたおっしゃる。
 生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
 そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
 サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
 職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
 女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことをお伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に「美味しいね」というお声が耳に入りました。私が作ったわけではありませんが、自分に言われたことのようにうれしくなりました。
 たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いておっしゃっておられたように思います。
 私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
 これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。】

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 「天皇、皇后両陛下ご結婚50年」ということで、最近読んだ『昭和天皇のお食事』という本のなかから。
 渡辺さんが宮内庁に入られたのは1970年のことだそうですから、これは、昭和天皇が70歳くらいのときのエピソードになります。
 
 僕がこれを読んで驚いたのは、「天皇陛下のためのサンドイッチのつくりかた」でした。食材はもちろんのことなのでしょうが、皇室では、「サンドイッチの見た目」にもこんなにこだわっているんですね。
 僕のとってのサンドイッチは、具の厚みによって、全体の厚みが不揃いになるのが当たり前というか、「厚みを揃える」という発想そのものがありませんでした。
 ところが、「天皇陛下のサンドイッチ」は、「本当に切れているんでしょうか?」と聞かずにはいられないくらい、パンとパンの境目がわからないように、びっしりときれいに入っているのです。それも、「具の量を調節して合わせる」のではなく、味を落とさないように「パンの厚みを調節」し、「パンには指のあとが残ることは許されない」という厳しさ。
 こういうのを読むと、本当の「贅沢」というのは、食材や食器の豪華さではなくて、「徹底的に丁寧な仕事をさせる」ということなのではないかな、と考えさせられます。

 後半の「那須の山を歩いたときのエピソード」では、晩年の昭和天皇の日常がうかがわれます。
 太平洋戦争のあと、「人間天皇」として時を過ごしてこられたとはいえ、やはり「最高権力者」としての習慣は残っていたのだろうな、と想像していたのですが、ここで描かれている昭和天皇は、「皇室というひとつの家族を見守る優しいおじいちゃん」のように感じられました。
 僕は子供のころ、「天皇なんて約束された地位の人間が、民主主義で平等な国の日本にいるのはおかしいんじゃないか?」などと憤っていたのですが、こうして大人になってあらためて考えてみると、いまの皇室というのは、「普通の日本人にとっては遠いものになってしまった、伝統的な日本人の家庭生活を時代をこえて示しつづけているタイムカプセル」みたいなもののようにも思われます。
 この「おいしいね」が、皇后陛下に向けての自然な言葉だったことが、よりいっそう渡辺さんを喜ばせたのでしょうね。



2009年04月08日(水)
野村監督の「ID野球」の真実

『あぁ、監督』(野村克也著・角川oneテーマ21)より。

【もうひとつ私がヤクルトに持ち込んだのが、のちに「ID(インポート・データ)野球」と呼ばれるようになったように、データをはじめとする”無形の力”を最大限に活用することだった。そして、これこそがいまも変わらぬ野村野球の最大の特長だといっていい。
 というのは、技術力のような目に見える力には限界があるからである。この考えは、前にも述べた選手時代の私自身の経験に基づいている。プロ5年目に突然スランプに陥った私は、おのれのバッティング技術の限界を知り、テータを活用することで壁を破ることができたという、あの経験である。
 そのために力を注いだのが、スコアラーの教育だった。
 みなさんは、スコアラーの仕事をどのように考えておられるだろうか。
「相手チームのバッテリーの配球をチェックして記録する」「バッターの得意・不得意コースや球種を調べて分析する」……。
 たしかに、大雑把にいえばそういうことである。それは正しい。だが、それだけでは不十分なのである。そうして得たデータを、いかに「表現」するか。そこがスコアラーには問われているのだ。
 それまでのヤクルトのスコアラーが監督やコーチに届けていた情報の大半は、パーセントで示した数字だった。「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というように……。それを見た私は彼らにいった。
「パーセントなんていらん。そんなものはテレビ局のアナウンサーだって持ってるわ!」
 私がほしいデータとは、たとえば「あるピッチャーはストレートを何球続けて投げるのか」「牽制は何球まで続けるか」「0−0から2−3まで12種類あるボールカウントごとの配球はどうなっているか」「こういうボールカウント、アウトカウント、ランナーの状況では、どんな球種を投げてくるのか」といったような情報なのだ。
 あるいは、「どういう状況でキャッチャーのサインに首を振ったか」「このバッターは空振りしたあと、どのようなスイングをしたか」「甘いストレートを見逃した次のボールにどのような反応を示したか」というような心理面に関する情報なのである。細かいデータほど戦力になるのだ。
 たとえば、その当時はほとんどピッチャーがストレートは2球までしか続けなかった。とすれば、3球目は8割以上の確率で変化球がくる。そこに狙いを絞ればいいのである。3球までしか牽制を続けないピッチャーなら、4球目はピッチャーがモーションを起こすのと同時にスタートを切ってもかまわないということになる。
「なくて七癖」という言葉があるが、どんな人間にも必ずクセがある。「そこを見つけ出してこい」と私はスコアラーに命じたわけだ。
 とりわけ「キャッチャーをターゲットにしてほしい」と依頼した。彼らが何を根拠にサインを出しているのか。単純に勘だけなのか、成り行きなのか、打者の動きを見て出しているのか、ピッチャーの特長を引き出そうとしているのか。「そこを見破れ」と――。現代野球において今スコアラーは大変重要な存在である。】

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 ヤクルト時代の野村監督の「ID野球」は流行語にもなりましたが、この本を読んで、僕が当時イメージしていたものよりも「野村野球」はずっと緻密で実戦的だったのだなあ、と思い知らされました。
 野球ファンであれば、よく「自分が監督だったら……」という想像をすると思います。しかしながら、「もっとデータを重視しろよ!」などとテレビに毒づいている人の多くは、「相手チームについてのデータを集めろ」と言われれば、「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というレベルの「分析」をして、「データを集めた気分」になってしまうのではないでしょうか。
 たしかに、それでも「次にどんな球が来る確率が高いか」くらいはわかるでしょうし、何も考えずにバッターボックスに入るよりは、打者がヒットを打てる可能性は増すはずです。
 でも、そういう「誰もが簡単に思いつくレベルのデータ」では、差をつけることは難しいのです。

 ここで述べられている、「野村監督がほしいデータ」というのは、カウント別の配球の傾向だとか、牽制球を何回まで続けるかという癖のように、「より具体的な状況に対応したもの」なんですよね。
 「この投手は(あるいは捕手は)、全体の投球のうちストレートが50%で……」という「データ」よりは、「2−2でランナーがスコアリングポジションにいるときには、ストレートが50%」というデータのほうが、より精度が高いのはまちがいありません。
 そして、大事なことは、「同じ試合をみていても、その人の視かたによって、得られるデータの質や量は全く違う」ということなのです。
 「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というレベルで「データを集めたつもり」になって安心しているケースというのは、プロ野球の試合だけではなくて、僕たちの普段の仕事でもけっして少なくありません。

 「データを重視しているつもり」なのに結果が出ない場合には、「自分はそのデータを本当に突き詰めて分析しているのだろうか?」と疑ってみるべきなのかもしれません。
 実際にやると、これはかなり「めんどくさい作業」のはず。でも、こういうのを徹底的にやれる人というのが、最後に笑うことができるのでしょう。
 やっぱり、「そんなにお金も戦力もないチーム」で「巨大戦力」に立ち向かおうと思ったら、せめてこのくらいは努力しなきゃいけないのだなあ。



2009年04月05日(日)
「任天堂の独創的な発明の原動力はどこにあると思いますか?」

『GetNavi(ゲットナビ)』2009年4月号(学習研究社)の特集記事「遊びんの王様〜任天堂の発明史」より。『星のカービィ』『スマッシュブラザーズ』シリーズのディレクター、桜井政博さんへのインタビュー。

【インタビュアー:任天堂の独創的な発明の原動力はどこにあると思いますか?

桜井政博:マリオの続編を作るにしても、基本的なシステムごと変えてしまう意地がありますよね。『どうぶつの森』などの例外はありますが、内容が変わらないタイトルは続編を出さない。それくらい、変化を求める姿勢を感じます。

インタビュアー:Wiiで新しいコントローラーが採用されたことは、開発者としてどう思いますか?

桜井:任天堂であるがゆえに、起こるべくして起こった変化だったと思います。個人的には、いっそリモコンにボタン1個だけでもよかったぐらいだと思いますよ。作り手はその上でいろいろと工夫しますから。

インタビュアー:あれに慣れるのは大変かと思いきや、「Wiiスポーツ」で一気に“振る”操作が浸透しました。

桜井:でも、現在は、任天堂でも他社でも”振る”操作だけのゲームは減ってますよね。任天堂自身も単純に目新しいから”振る”コントローラにしたんじゃなくて、ゲーム内容に合った操作システムを毎回、考えているんでしょう。

インタビュアー:任天堂の発明史には、普及しなかったものも見受けられます。

桜井:とはいえ、アイデアを商品にして世に送り出すだけでも、大きなエネルギーが必要。その実行力も任天堂の強みだと思います。販売数だけで成功や失敗は語れませんよ。安定路線を歩んだら、WiiやDSはおろか、面白いものはなにも生み出せませんから。

インタビュアー:でも、そもそもゲームの”面白さ”って何でしょう? 一概に正解は決めにくいと思いますが。

桜井:ひとついえるのは、ボタンの反応の良さとかメニューの見やすさなど細かい部分の正解を積み重ねても、優秀なだけで面白くなるとは限らないおいうことです。ある面でユーザーを裏切って驚かせないと。リメイク作には、望む声は多くても「またか」と思われる面もあるますよね。任天堂の財産である人気シリーズでも「新しいハードで出すからには!」という新規性が常に求められていると思います。】

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 現在は、ニンテンドーDS、Wiiと任天堂の「ひとり勝ち」の状態なのですが、思い返してみると、任天堂にも数多くの「失敗」がありました。
 「カートリッジの3倍の容量」が売りだったディスクシステムは、カートリッジの大容量化によってすぐに安さだけしかメリットがなくなってしまい、「ロボット」は全く売れず、ハードでも、鳴り物入りで発売された「バーチャルボーイ」やカートリッジにこだわりすぎてゲームが高くなりすぎた「ニンテンドー64」など、任天堂ほど「冒険」をし続け、試行錯誤を繰り返しているゲームメーカーは他にはありません。
 ニンテンドー64がプレイステーションの前に完敗し、ゲームキューブでも失地回復できなかったときには、任天堂はもうダメなんじゃないか、と僕は思っていたのです。
 ニンテンドーDSも、発売当初は、そんなに話題にもならず、画面が綺麗で高機能なPSPのほうがはるかに前評判が高くて入手困難だったんですよね。Wiiも独特の操作性だし、まさかPS3より売れるとは。
 DSやWiiの成功は、「これまでのいろんな試行錯誤の成果が今回はツボにはまった」もののような気がするんですよね。
 DSのタッチスクリーンやWiiリモコンは、たぶん、開発者が発売時に想定していたものを超えた、さまざまな使われかたをしているはず。

 ここで語られているように、任天堂というメーカーは、たしかに、「ちょっと焼き直しただけの続編」をあまり出しません。あの『脳トレ』なんて、あれだけ売れたのだし、ちょっと内容を変えるだけでいくらでも「新作」がつくれそうなものです。『マリオ』にしても、「マイナーチェンジの続編」は、『スーパーマリオ2』くらいのもの。
 たしかに、これほど「常に変化することを己に課しているゲームメーカー」は他にはなさそうです。

 それにしても、ここで桜井さんが語っておられる、「ゲームの面白さとは何か?」という質問には考えさせられます。
 もちろん「操作性が良いこと」というのは必要最低条件なのですが、それだけでは「優秀なだけで面白くない」のも確かなんですよね。
 ちょっと理不尽だったり、バランスが悪かったりするようなゲームのほうが、かえって記憶に残っていたりもしますし。

 もしかしたら、「任天堂」というメーカーそのものの歩みが、ひとつの「壮大なゲーム」なのかもしれませんね。「変わること」を義務付けられた開発者たちにとっては、こんな過酷なゲームはたまったものじゃないでしょうけど。



2009年04月02日(木)
「僕は本当に性善説に立って『2ちゃんねる』を作ってきたつもり」

『本人 vol.09』(太田出版)の「巻頭ロング手記・ひろゆき〜世界の仕組みを解き明かしたい」より。

(引用部はすべてひろゆきさんの発言です)

【でも僕は、性善説ですよ。性悪説だと思われているのかもしれないんですが、そんなことはないです。
 たぶんそれはみんなからあまり納得してもらえない部分かもしれないですね。なぜ納得してもらえないのか、僕の方から見ると不思議でしかたないんですが。
 ミクシィが性善説のイメージがあるかもしれないですけど、それは違います。だって招待制にするということは、悪い人が入らないようにしているということでしょう。アカウントを作って個人情報を入力しないと中に入れないというのは、何かその人が問題を起こした時に追跡できるようにしたいからでしょう。
 でも2ちゃんねるはアカウントも招待制もない。何をしても自由ですよ。だって人は悪いことなんかしないんだもん。そういう発想で2ちゃんねるは運営されています。
 そういう意味で、僕は本当に性善説に立って2ちゃんねるを作ってきたつもりなんですけど、そういうふうに思う人はあんまりいないんですよね。】

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 ひろゆきさんの場合、「性善説」にもとづいて、というよりは、「人を掲示板で『自由』にさせたら、どういうことが起こるのか?」と面白がって観察しているのではないか、という印象を僕は持っているのですが、ここで語られている内容は、たしかに「正論」ではあると思います。

 僕は「2ちゃんねる」も「mixi」も利用するのですが、おそらく世間的には、「2ちゃんねる」よりも「mixi」のほうがはるかにイメージが良いと思われます。合コンで「僕、『2ちゃねらー』なんですよ」と告白すれば周囲はドン引きでしょうが、「マイミクになりましょう」と言われれば、そんなに悪い気はしないはずです(相手が人間としてすごく感じ悪ければ別でしょうが)。
 でも、そう言われてみれば、たしかに「2ちゃんねるのほうが性善説に基づいたコミュニティ」ではありますよね。
 逆に、「性善説で『自由なコミュニティ』を運営すると、どういうことになるか」を可視化した、貴重な社会実験でもあります。

 実は「mixi」だって、そんなにクリーンな世界ではありません。
 コミュニティには「荒らし」がいるし、ナンパ目的、怪しい商売の勧誘目的の利用者はいます。
 ただ、多くの利用者にとっては、そういう「暗部」は、「自分から望まないかぎり、目に触れにくくなっている」だけのことです。
 そもそも、会員数がこれだけいれば、「mixi」のメンバーであることそのものにはなんの特権もありません。
 いまの「mixi」が会員制であるメリットは、「荒らしや悪口を言う人がいないこと」ではなくて、「荒らしや悪口を言う人が見えにくいように、自分の視界や情報の公開範囲を狭めることができること」なのです。

 こうして長年ネットで書いていると、やはり、いろいろ言われることもありますが、「2ちゃんねる」に書いてある悪口は「見ようと思えば見られることがほとんど」だけれど、「mixi」だと、「自分が言及されているのだろう文章が『友人のみ公開』になっていて読めない」というケースがけっこうあります。
 僕の場合は、読めると「ついつい読んでしまう」ので、「読めない」ほうが精神的にラクなんですけどね。

 そこが「自由」であるのに「2ちゃんねる」がものすごく怖い場所、いびつな場所に見えるのは、「人の心が怖くていびつなものだから」なのでしょう。
 「2ちゃんねる」のなかにも、善意に満ちたスレッドは少なからずありますから、あれだけの巨大コミュニティを「2ちゃんねる」は……と十把一絡げに語ることそのものがおかしいのかもしれません。
 「荒れているスレッド」をわざわざ見に行っているのは、誰かに強要されているわけではなく、「自分自身の選択の結果」なのだから。