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2008年11月26日(水)
アメリカ・ニュージャージー州の『DDR(ダンス・ダンス・レボリューション)』ダイエット

『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果著・岩波新書)より。

【ウエスト・バージニア州にあるハミルトン中学校。生徒たちの間では今、飛んだり跳ねたりするゲームが大流行している。
「これ、最高ですよ。初めて体育のクラスでこれを試した時は、みんな大興奮でした。毎日やればきっと、一ヶ月で10ポンド(約4.5kg)くらい体重を減らせると思います。
 そう言うのは同中学校に通うリンダ・マックビールだ。体重が160ポンド(約72kg)のリンダは肥満症と診断され、家庭収入が貧困ライン以下のため、無料−割引給食制度を利用している。
 2007年2月。ウエスト・バージニア州は、急増する子どもたちの肥満にブレーキをかけないと州の医療費が足りなくなるという予測から、肥満児対策を最優先課題の一つに挙げてる州だ。肥満児の医療費における州負担は、連邦と州が半分ずつ負担する低所得者用医療費補助、メディケイドの場合、一人当たり年間平均6700ドルと、非常に高額な負担になる。
 そこで同州は思い切った政策の導入に踏み切った。州内にある公立学校全765校における「DDR」(ダンス・ダンス・レボリューション)というゲーム機導入計画だ。日本のコナミ社が販売する「DDR」は、3分間流れる音楽に合わせ、画面に出てくる矢印の指示通りに専用マットでステップを踏んでいき得点を稼ぐエクササイズ系のゲームだ。手始めに103校に導入し、約2年間で全公立学校に普及させる予定だという。
 本書の取材をしている最中に、リンダの従姉でありニュージャージー州で看護師をしているシャーリーン・ブレマーの家で、「DDR」をやってみた。たった3分間だが、リズミカルな動きを続けるとかなりカロリーを消費する。汗だくになった私の前に差し出されたのはとろりとしたチョコレート味のミルクだ。聞けば2001年に、アメリカ農務省は肥満児の栄養状態改善策として「ミルクを飲みなさい」(Got Milk?)というキャンペーンを打ち出したという。いくら栄養価が高くても、コーラやスプライトで育った子どもがはたしてミルクなど飲むだろうか? 私の疑問にシャーリーンが苦笑いする。「もちろん飲みやしないわよ、人工的にチョコレートの味をつけない限りね」。そして農務省はその通りにした。このキャンペーンが実施された年に「チョコレートミルクを飲もうキャンペーン」に参加した食料品店は全米で28000軒だったという(Robert Cohen, Milk A-Z, Argus Pub Inc, 2001)。
 チョコレート味が大好きなアメリカの子どもたちが農務省の計画通り毎日チョコレートミルクを飲んだ場合、彼らは普通のミルクより234キロカロリー多く摂取することになる。シャーリーンは肩をすくめてこう言った。「政府の考えていることってさっぱりわからないわ。太った子どもたちがせっかく汗をかいても、体育館を出たすぐの廊下にはずらっとスナック菓子やコーラの自販機が並んで待ってるのよ。でなきゃその後の給食に出る甘いチョコレートミルクがね」】

参考リンク:運動による消費カロリー表(摂取カロリー・消費カロリー大辞典)

〜〜〜〜〜〜〜

 この『ルポ 貧困大国アメリカ』という新書は、非常に興味深い本でした。
 ウエスト・バージニア州の偉い人たちは、いったい何がしたいのだろうか……
 子どもたちに「運動」をさせるために「DDR」(ダンスダンスレボリューション)をやらせるというのは、けっして悪いアイディアではないと思うんですよ。いくら大人が「運動しなさい」とダイエットの必要性を説いても、いきなりマラソンをやりたがる子どもはいないだろうし。
 それにしても、「DDR」は1台につき1人、あるいは2人しか一度に運動できないわけですから、コストを考えるとものすごく非効率的な計画ではありますね。
 そして、何よりも驚くべきことは、この「チョコレートミルクを飲もうキャンペーン」。「ダイエットの必要性」をアピールしながら、こんなカロリーが高そうなものを給食に出してしまうというのは、正気の沙汰とは思えません。
 まあ、実際は「普通のミルクでは、飲んでくれないからしょうがない」という苦渋の選択なのかもしれませんけど、それじゃ子どもたちが肥満するのも当たり前です。

 参考リンクを見ていただきたいのですが、実は「運動で消費できるカロリー」というのは、運動した人が思いこんでいるほど多くはないことがほとんどです。
 僕も以前ダイエットの必要性に駆られてフィットネスクラブに通っていたことがあったのですが、地道に自転車をこいだり、ルームランナーで走ったりしても、「消費カロリー」はなかなか増えてくれませんでした。
 むしろ、「せっかく頑張ってカロリーを消費したのだから」と、「余計なカロリーを摂取しないように気をつけるようになった」効果のほうが大きいくらい。
 234キロカロリーを消費するには、「体重65キロの男性では、自転車こぎ1時間、あるいは、軽いジョギング30分間」が必要です。
 「DDR」はけっこう激しい動きを要求されるゲームですが、それでも、234キロカロリーを消費するには、10ゲームくらいやらないと難しいでしょう。
 草野球のあと、みんなで焼鳥屋に行き、「今日は運動したから」と生ビールを1杯飲んだ時点で、消費したカロリーは台無しになってしまう。スポーツ選手でもない限り、運動で消費できるカロリーなんて、そのくらいのもの。
 もちろん、こんなことはアメリカの専門家(までいかなくても、ちょっとこういう問題に興味を持って調べた人)のあいだでは「常識」のはず。
 ところが、こんなバカバカしい「政策」が本当に実行されているのです。

 しかもこれ、太っている子は『DDR』がなかなかうまくならず、嫌になってすぐ止めてしまいそうですよね。
 結果的に、なおさら「格差」が広がっていくだけのような気がするんだけど、大丈夫なのかアメリカ……



2008年11月23日(日)
「人生もやめます」という女子学生のメールに、准教授はどう対処すべきだったのか?

『「心の傷」は言ったもん勝ち』(中嶋聡著・新潮新書)より。

【遺書をのこして自殺でもすれば、それこそ同情が集まり、「傷つけた」とされる相手はとんでもない悪者として扱われる、ということが往々にしてあります。
 2007年4月、高崎経済大学の准教授が懲戒免職になりました。この准教授が、大学二年生に対して大学院レベルの課題を与え、期限までに提出しなければ留年だと通告したところ、女子学生が自殺した、その責任を追及されてのことでした。
 私はその話を聞いて、開いた口がふさがらなくなりました。この准教授の、いったいどこが悪いのでしょうか。大体、学問を志す者というほど大げさでなくても、大学に入って「ほんとうの学問」を学ぼうとする者が、大学レベルだからできる、大学院レベルだからできないなどと言っていられるでしょうか。もしそんなことを言っているなら、それこそ甘ったれています。また、そうしたむずかしい課題をあえて与え、「やる気があるならはい上がってこい」と突き放すのも、ひとつの立派な教え方ではないでしょうか。
 この先生は、女子学生から、期限までに提出できなければ、それは当然、学生本人の責任です。その結果留年になるというなら、留年するしかないでしょう。
 「人生もやめます」と言われてあわてているようでは、それまでの指導方針との一貫性がとれません。黙って様子をみているのが、一番賢明でしょう。なにしろ徹頭徹尾、本人の問題なのですから。言うとすれば、「勝手にしなさい」とでも言うしかないのではないでしょうか。小学校の先生ならともかく、大人か、それに近い学生を相手にする大学の先生に、こんなことに対処する責任はないと、私は思います(もしあるとすれば、大学の先生はいまや、小学校の先生になっているということでしょう。もちろん、小学校の先生を馬鹿にする意図はありません。念のため)。
 朝青龍問題でもそうですが、先生とか親方とかいうのは、いまや生徒(学生)や弟子のご機嫌をとるしもべなのでしょうか。最近のいろいろな事件をみていると、そう思わずにはいられません。
「傷ついた」「いやな思いをした」と訴える基準も、現代でははなはだ低くなっています。そのため、とりたてて悪いことをするつもりがなくても、日常生活のちょっとした出来事から、こうした穴に落ちてしまう可能性があります。】

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 この「学生を死に追いやった課題」は、「アダム・スミスの重商主義批判について」だったそうです。
経済学に疎い僕にはその「難易度」は全くわからないのですが、その大学の学部長は「大学院生レベル」と判断したのだとか。

 これを読みながら、僕はなんというか、とても厭な感じになりました。この事件に対しても、筆者の中嶋さんに対しても。
 これは、教官がその立場を利用して学生を追い詰めるアカハラ(アカデミック・ハラスメント)なのか、それとも、「このくらいで死を選ぶほうに問題がある」のか?
 「実際はどうだったのか」がすごく気になり、この事件のことを調べてみたのですが、当時『探偵ファイル』というサイトに、「両者の最後のやりとり」として、こんな内容が公開されていたそうです。
 この学生は優秀で、准教授とのやりとりは英語でなされていた、とのこと。

【准教授17:07(英文/日本語訳):
「私は5:30に帰宅します。
 もしこれに間に合わなければ2年生の単位は習得出来ません。」

彼女のメール17:44(英文/日本語訳):
「留年することはわかっています。さらに人生もやめます。
 あなたは私の弱さに怒るかもしれませんが、
 私はすでに自殺することを決意しました。
 私は心より感謝し謝罪します。」

准教授(英文/日本語訳)17:57:
←10分以上も経った上に、
 自殺を止めないで、あまりに素っ気ない非人道的な内容!
「あなたは私に連絡しなくてはならない。これは命令です。」

彼女のメール18:18(英文/日本語訳):
「すいませんが、あなたの命令に従う意思は全くありません。
 長いこと自己嫌悪に陥ってしまって大変失礼しました。
 私が死ぬことをどうかお許し下さい。」

彼女のメール19:26(ここでは日本語に・・・):
「こんな出来損ないの面倒を見させて、すいませんでした。
 お世話になりました。ゼミ楽しかったです。」 】

 まあ、こういう「ネット上で公開されていたもの」の信憑性については疑わしいところもあるのですが、ここでは、「これが事実だった」ということで話を続けます。

 この准教授はこれまでもかなりキツイ課題を学生たちに課すので有名だったそうです。
 しかしながら、この自殺した女性は、そのことを承知でこのゼミを選択したらしいですし、生徒を教える側の立場からすれば、「宿題ができないから自殺する」と言ってきた生徒に対して一度「譲歩」をしてしまうと、学生からの「脅迫」には際限がなくなっていくことが予想されますし、他の生徒にしめしがつかないのも事実でしょう。
 「あの先生は、『できないから死にます』って脅かしたら単位くれるぞ」なんて話が学生に広まったら、どうしようもない。

 いや、この本の著者である、東大医学部卒の中嶋先生の感覚では「学問の世界というのは、そういうふうな『鍛え方』もあるのだ」と感じるのもわかるんですよ。
ほんと、不躾な言い方ですが、高崎経済大学に入学した学生たちに、そこまでの「覚悟」や「学問との向き合い方」を要求するのもどうかな……と僕は感じます。「そんなに志の低い大学が必要なのか?」と言われるかもしれないけれども、実際には「そういう大学」が世の中にはけっこうあるわけで……

 たぶん彼女が死を選んだのは、この課題だけの問題ではなかったのだと僕は想像しています。このふたりのメールが本物であるならば、なんというか、まるで安っぽい「悲劇ドラマ」の登場人物のやりとりみたいですし。
 しかし、大人になってしまうと、「たかが単位のことで死ぬくらいなら留年すればいい」とか「テストで悪い点をとっても次がある」なんて考えてしまいがちですよね。
 自分にも「留年」や「不合格」がすべてを台無しにしてしまうと信じていた頃の自分のことなんて、しっかり忘れてしまっていて。

 ただ、本当に死ぬ気があるのか、という見極めができないと「先生失格」といわれるのだとしても、大学の教員というのは、義務教育の「先生」ほど、「生徒の人格への責任」を問われないのは、中嶋さんが書かれている通りだと思いますし、少なくともメールの文面だけで、「この人は本当に死のうとしているのか」なんて、判断がつかないというのが正直なところじゃないかなあ。理想としては、こういうケースでは常に全力で対応することなのでしょうが、そこまでが「大学教員の仕事」なのかどうか。
そもそも、こういう大学教員はけっこういるはずなのに、「学生が自殺した」らアウトで、「学生が留年した」「退学した」はセーフっていうのも、ちょっとおかしな話ではあります。

それにしても、大学生相手ですら、こういうケースがあるのですから、小中学校の「先生」って、大変な仕事ですよね……

 まあ、東大を出て偉くなる人たちの多くがこういう考え方なのだとしたら、そりゃあ、日本から「アカハラ」は無くならないですよ。
 この事件の本当の問題点は、「難しい課題を出したこと」にあるのではなくて、「教える側と教えられる側の信頼関係やコミュニケーションの欠如」だと思うのだけど。

 ちなみに、この准教授は、その後「処罰が重い」として高崎市等公平委員会に不服を申し立てました。その結果、懲戒免職処分は重すぎるとして停職6ヶ月に処分を修正する裁決書が2008年6月に出されたそうです。



2008年11月20日(木)
『もやしもん』の作者の「マンガを読んでマンガを描くな」

『ダ・ヴィンチ』2008年12月号(メディアファクトリー)の記事「石川雅之インタビュー」より。石川さんは『もやしもん』が大ヒット中の人気マンガ家です。

【「マンガは娯楽」と言いながら、その一方で、作品を描く際には入念な下準備を怠らない石川氏。専門的な知識を必要とする『もやしもん』のため、忙しい合間をぬって海外に取材に行くこともしょっちゅうだ。とにかく厳密な研究と資料集めを怠らず、もはや学者肌とまでいえる執念を持って、真摯な姿勢で作品作りに取り組む。

石川雅之「偉そうな言い方になりますが、『マンガを読んでマンガを描くな』って思うんです。たとえば、魔女っ子モノと呼ばれる作品は多い。でも、本当の“魔女”についてちゃんと勉強したの?と思っちゃう内容をいくつか見かけたりして。だから、きちんと調べたほうがいいなって。本当の“魔女”を勉強したら、今までのマンガとは違う魔女が描けるのでは、と思っています。なので、たとえばマリア(石川さんの新作『純潔のマリア』の主人公)の着ている服も、当時実際に着用されていた服のデザインや素材を基にしたうえで、かわいく見えるように描いています」

プライベートで時間がある時は、たいてい菌類か百年戦争関連の本を読んでネタをストックしているという。

石川「調べるのは苦じゃありません。調べないで描いて間違って、あとで直すほうがもっと大変ですから。必要ならば、実際に現地に飛んで取材したりもしますね。僕はちまちましたディテールについて調べるのが好きなんですよ。
そういう意味で、デビューから作風は変わってきましたが、昔からの土壌は今でも変わっていませんね。たとえばマンガを読んでて気になるのは、江戸の街並みが描かれているのに、街中に排水溝がいっさい描かれていない、とか、現代の建物はどれも雨どいが付いているはずなのに描かれていない、とか。そういう細かいところを深めるのが面白くて好きなんです。だからテレビやマンガでも、他人が気づかない部分を見つけては、ひとりで突っ込みを入れています」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの話を読んで、手塚治虫先生も「マンガを描くためには、マンガだけ読んでいてはダメだ。もっと本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりしなくては」と、よくマンガ家志望者にアドバイスしていた、というのを思い出しました。たしか、赤塚不二雄先生も、同じようなことをどこかでおっしゃっていたはずです。

 『もやしもん』の石川雅之さんの場合は、前述の「大家」ふたりが「他の芸術から吸収すること」を勧めているのとはちょっと毛色が違って、「題材に対する研究者としてのアプローチ」を重視されているようです。
 石川さんが現代のマンガ家として、自分が描くものの「背景」にここまでこだわっているというのは、本当にすごいことです。
 現代のマンガは絵にもストーリーにも「進化」が続いており、活躍しているマンガ家の多くが、「原作者」を組んで、「絵を描くこと」に特化しているというのに。
 マンガを描くという才能と、こういう「学究肌」の性格とは、必ずしも同じ傾向のものではないでしょうし、それを両方とも高いレベルで追究しようとすれば「どっちつかず」になってしまう危険性もあるでしょう。

 それにしても、「マンガを読んでて気になるのは、江戸の街並みが描かれているのに、街中に排水溝がいっさい描かれていない、とか、現代の建物はどれも雨どいが付いているはずなのに描かれていない、とか」という石川さんの言葉を読むと、本当に知識を積み重ねるのが好きで、ディテールに徹底的にこだわる人なのだなあ、ということがよくわかります。
 僕は、「マンガ」で「排水溝や雨どいがないこと」なんて考えたこともなかったし、むしろ、「そういった『作品世界に関係ないディテール』を排除すること」が「マンガ化する」ということなのではないかと思っていましたが、世の中には、そういう「細部」にこそ「描くべきもの」があると認識しているマンガ家もいるんですね。たしかに、それもひとつの「個性」だよなあ。それほどこだわって作品をつくっていくのは本当にキツそうだけど……

 この時代にマンガ家として生きていくのは、並大抵のことじゃないんだな、とあらためて思い知らされるインタビューでした。



2008年11月17日(月)
本物の科学者は「現代の科学では説明できない」とは言わない。

『「科学的」って何だ!』(松井孝典・南伸坊共著/ちくまプリマー新書)より。

(「科学」についての松井孝典さん(惑星科学者・東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)と南伸坊さん(イラストレーター)の対談をまとめた新書の一部です)

【南伸坊:「科学にも限界がある」ということが、昔から言われていますよね。「限界がある」というアナウンスのほうが大きくなって、「現代の科学では解明できない」ってオカルト派得意のフレーズがあります。「そうだよ、科学では解明できない不思議なことってあるんだ」っていう。だからスピリチュアルとかがはやるのは、人々の科学者への対抗心みたいな心理があって、「科学ではわからない世界」という土俵にもっていきたいんです。

松井孝典:それはどうですかね。南さんがおっしゃったこと自体の中に矛盾がありますよ。

南:え? そうですか。

松井:素人の人は残念ながら絶対にその境界に行けないんです。ようするに、「わかる世界」と「わからない世界」の境界は科学者でないとわからないんですよ。ふつうの人には何がわからないのか、具体的にはわからないんです。

南:ああ、はいはい。

松井:「何がわかっていて、何がわからないか」をわかってない限り、わからない世界はわからない。僕はふつうの人からどんなことを訊かれても、たとえわかっていないことでも、わかっているかのように説明しますよ。いくらでも科学的に。でも、ふつうの人には、その説明のどこにまだわからない部分があるかは理解できない。したがって、ふつうの人のあいだで「何がわからない世界か」がわかるわけがない。

南:いや、そうなんですけど(笑)。今みたいに科学的に否定されることへの反発なんです。「現代の科学では解明できない」って、その時の呪文なんです。

松井:プロになって初めて、「わかるって何なのか」がわかるともいえるんですよ。自然に関していえば、わかっている世界とわかっていない世界の境界が、そのプロには明快にわかります。だってその境界のところを毎日毎日考えているのがプロなんですから。

南:そうですね。

松井:じつは、そこに境界があるのがわかるということは、そもそもプロということなんですよ。だから「科学ではわからない」という地平に、一般の人が立てるということ自体がありえないんです。

南:でも、誰か科学者が「いやこれは科学ではわかりません」ということを言ったんじゃないですか。だからこういう言葉が広まった。

松井:すべてに関して「科学的にわかりません」ということはない。どんな場合でも「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」という言い方をすべきなのに、もし「いっさい科学的にわからない」という科学者がいたとしたら、その人の言葉が足りないんです。科学的インタープリター能力が高くない人、つまり科学者といえども言葉で説明できない人はたくさんいますから。

南:「わかる」ということと「言葉で説明できる」というのは、また別ですもんね。

松井:細かいところを飛ばして「科学的にわからない」と言っちゃう科学者もいるわけですよ。プロの間ではそれでもわかるんです。だけどそれを一般の人に言ったりすると、そういう誤解が生まれてしまう。そこがダメなんですね。

南:ああ、なるほど。

松井:科学者といってもピンからキリまでいるわけです。しかるべき研究者に訊いてくれれば、そんなことはないんですが。私なら「ここまではわかってますよ。ここから先はわかっていません。だけど、こういうふうにすればいずれわかるでしょう」というような言い方をしますが。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この松井先生の話、前半はかなり「わかりにくい」ですよね。僕は何度か読み返して、ようやく理解できたような気がしますが、さて、本当に「わかった」のかどうか……
 南さんが、【今みたいに科学的に否定されることへの反発なんです。「現代の科学では解明できない」って、その時の呪文なんです。】と言い返してしまった気持ちのほうが「よくわかった」のも事実。

 ここで松井先生が仰っておられることは、たしかに正論だと思います。「と学会」が採り上げる「トンデモ本」というのが一時期話題になり、「相対性理論は間違っている!」と叫んでいる「自称天才物理学者」が、「と学会」に嘲笑されていました。

 僕も彼の「アインシュタインは間違っている!」「こんなことに気付かないなんて、現代の物理学者は無能!」という「非科学的な理論」をさんざんバカにしながら紹介記事を読んでいたのですが、物理学に疎い僕にとっては、「彼の理論のどこが間違っているのかは(「と学会」の人たちの解説がなければ)、自力では全くわからない」のですよね本当は。そもそも、「と学会」の人たちの「間違っている理由の科学的な説明」というのも、正確に理解できているのかは怪しいものです。
 それでも、僕はつい、その「わかっていない似非科学者」を嘲笑ってしまう。「と学会」の人たちが嘘をついている可能性だってあるのにね。
 まあ、そこまで言い始めたらキリがなくなってしまうので、結局のところ、発言者の社会的な信用度とかで判断するしかないのでしょうけど。

 患者さんや御家族への病状説明でも、「基本的な医学知識を持たない人(肝臓って1個しかないの?とかいう人)」に病気について、医者が理解しているように「わかってもらう」のは、きわめて難しい。
 実際は、完璧な理解ではなくても、おおまかなところを噛み砕いて説明して「この説明している医者は、少なくとも嘘をついたり、悪いことをしようとする人間ではない」ということだけでも伝わればいいなあ」という感じでお話をすることも多いのです。

 この引用部の後半では、松井先生は、もう少しわかりやすく、
【すべてに関して「科学的にわかりません」ということはない。どんな場合でも「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」という言い方をすべきなのに、もし「いっさい科学的にわからない」という科学者がいたとしたら、その人の言葉が足りないんです】
と仰っておられます。
 その物事に対して、本当に「科学的に」アプローチしているのならば、たとえ「わからない」場合でも、「ここまではわかっている」「ここからはわからない」という境界を明示することができる、ということのようなのです。逆に、「科学者」というのは、「科学的に」なんていう曖昧な表現を許さない人々だといえるかもしれません。

 もし、あなたが「現代の科学では説明できない」ものを信じさせられようとしたり、売りつけられそうになったりしたときには、こんなふうに言い返すと良いでしょう。
「じゃあ、『どこからが『現代の科学では説明できない』のか教えてください」って。
 まあ、実際はそうやって討論するより、さっさと逃げちゃったほうが手っ取り早いし安全なことが多いので、あまりオススメはできませんが。



2008年11月14日(金)
機内食って、あれ、一食いくらぐらいのものなの?

『ホットドッグの丸かじり』(東海林さだお著・文春文庫)より。

(「機内食を地上で?」というエッセイの一部です)

【いずれにしても、機内食は飛行機の中以外では食べられない。
 すなわち、空中に浮かんでいるときしか食べられない。
 つまり、平地では食べられない。
 と誰もが思うが、「平地で機内食」が可能な場所が1か所だけあった。
 期間限定(2003年4月11日〜25日)だったが、ルフトハンザ航空が、原宿の「montoak」というカフェで、機内食ランチの提供を企画したのだ。
 ちゃんと機内食トレイにパズル的機内食食器、機内食ナイフ、フォークの、ちゃんとちゃんとの機内食が、ちゃんと「肉」or「魚」を揃えてある。
 機内食って、あれ、一食いくらぐらいのものなのか? と、ずっと思っていた方に教えますが、1200円。
 ちゃんと「ライス」or「パン」でドリンク(コーヒー、ビールなど)付き。
 誰もが思いつかなかった、夢のような「地上で機内食」「地上の楽園」がここにあったのだ。
 飛行機嫌いで有名な金正日さんがこれを知ったら、きっとお忍びで駆けつけてきたにちがいない(いまはそれどころじゃないか)。
 機内食というと、とにかく狭くて、足元に何か落としても拾うこともできないほど窮屈だが、ここはなにしろカフェなのでテーブルが広い、ソファが深い、足さえゆったり組める
 こんなに広々としているなら、食器もパズル的なせせこましさをやめて、ふつうの大きさの食器、丼、土鍋なんかも使えばいいのに、なんて思ってしまう。
 それよりなにより、ここの機内食は振動がない。
 閉所恐怖症的な狭さがない。
 そして墜落の心配がない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 5年前の話なので、その後同じような「平地で機内食」という企画がどこかで行われたかもしれません。
 機内食は日本の国内線ではすでに廃止されて「空弁」がメジャーになり、国際線でしか食べられません。
 だからこそ「機内食」には、なんだか特別な憧れみたいなものがありますよね。
 実際に国内線で機内食が出ていた時代は、「目的地に着いてから美味しいものを食べるつもりなのに……」なんて、ちょっと迷惑な気分になることもありましたし、国際線でも、「寝ているところに機内の電気がいきなりパッと点けられて、そんなに美味しくもない料理を狭い機内で隣の人に注意しながらブロイラーのように食べさせられる」ように感じることもあるのです。
 でもまあ、僕にとっては「国際線に乗る」ということそのものが珍しい体験なので、機内食に「飛行機のなかで食事をするワクワク感」があるのも事実なんですけどね。

 ここで東海林さんが紹介されている、ルフトハンザ航空の機内食の値段を読んで、僕は「まあ妥当な金額だろうな」と思いました。味はともかく、パッケージの特殊性や手間を考えると、もうちょっと高いかも、と予想していたのですが。
 実際に飛行機内で食べる場合には、食材の値段だけではなく、座席まで届けてくれたり、飲み物をサービスしてくれるCAさんたちの人件費などのコストもかかるでしょうから、もうちょっと1食あたりの値段は高く計算されているのかもしれません。
 ファーストやビジネスクラスでは「スペシャル機内食」が出ますし、各航空会社によっても違うはずです。
 でも、「平均価格帯」は、このくらいのものなんでしょうね。

 普通の日のランチに1200円出して「機内食」を食べてみる気にはならないのですが、あれって、機内じゃなくて普通のテーブルだと、どんな味がするのかは、ちょっと気になります。



2008年11月11日(火)
「どん底」からはじまった、シャープの携帯電話

『オンリーワンは創意である』(町田勝彦著・文春新書)より。

(液晶テレビAQUOSをトップブランドに押し上げ、「液晶のシャープ」を確立させた現シャープ会長・町田勝彦さんの著書の一部です)

【シャープは携帯電話市場に最後発で参入した。
 1996年から1997年にかけて、シャープはPHSという簡易型携帯電話で30パーセントを超えるシェアを占めていた。しかし、携帯電話の需要が急増し、PHSの市場が一気に縮小する。このまま何も手を打たなければ、通信事業が成り立たなくなることは目に見えており、PHSがいずれ厳しい状況に追い込まれることは明らかだった。残された選択肢はただひとつ、携帯電話市場に打って出ることだった。
 1998年、私は、情報システム事業本部(奈良県大和郡山市)でファクシミリの開発責任者をしていた松本雅史(現・代表取締役副社長)を、広島県東広島市の通信システム事業本部に送り込んだ。
「なんとか携帯電話事業を成功させてもらいたい。君にまかせた」
 ところがある日、転勤したばかりの松本から泣きの電話が入った。
「社長、こちらの状況は想像以上に悪いです。業績がどん底なので、職場の雰囲気は最低です。この状態で携帯電話の事業をスタートさせるのは、正直申し上げてかなり厳しい」
 最後発での参入は、それなりの覚悟があってのことだ。だから私も必死だった。
「状況はよくわかった。とにかく、他社にはない、特長ある商品をつくってくれ。そうでなければ、われわれに勝ち目はない。なんとか頑張ってくれ」
 松本は必死になって考えたに違いない。後日、アイデアを提案してきた。
「うちには、液晶という他社にはない最先端のキーデバイスがあります。原点に戻りましょう。これを利用しない手はありません。世界初のカラー液晶搭載の携帯をつくるんです」
 情報処理技術の進化でメールの送受信ができるようになり、携帯電話は単なる音声伝達の手段から、総合的なコミュニケーションツールへと劇的に変化していた。同時に、要求される機能も多様化した。クリアな音声に加え、メールの使い勝手も大きなポイントになった。しかし従来の携帯電話の液晶画面は、暗くて文字が読みづらいものばかりだった。そこにシャープが入り込む余地があると、松本は力説した。
 文字を表示する液晶は、シャープが最も得意とする分野だ。そこで、IC事業本部(広島県福山市)の技術者を東広島に派遣すると、彼らは簡単に256色のカラー液晶用LSIを開発した。
 文字に関しては、情報システム事業本部の技術者が担当した。読みやすいフォントを使った表示方法や、漢字変換・辞書機能の言語処理ソフトは、日本語ワープロ「書院」や、携帯情報端末の「ザウルス」、電子手帳などで鍛えられていた、お手のものである。
 携帯電話用カラー液晶の開発は、これまでシャープが蓄積してきた技術の集大成であり、あえて、「緊プロ(緊急プロジェクトチーム)」にするまえもなかった。
 世界初となる、カラー液晶を搭載した当社携帯電話は、1999年の年末、J-PHONE(現・ソフトバンクモバイル)よりデビューした。文字の見やすさが評判になり、その後、携帯電話の液晶表示は一斉にカラー化することになる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 その後、シャープは「カメラ付き携帯電話」の第一号を発売し、2005年にはシャープの「SHシリーズ」は、販売台数シェアでトップに立っています。当時は日本中が大不況で、シャープも厳しい状況にあったそうなのですが、この携帯電話の大ヒットでリストラも回避でき、シャープは「一息つくことができた」のです。町田さんは、【厳しい状況に置かれた会社が
、「SHシリーズ」に救われたといっても過言ではない。私にとって、救世主というほかない。】とまで仰っておられます。

まだ10年前のことなのに、シャープの携帯電話の現在のシェアから考えると、こんなふうに最後発からのスタートだったというのは信じがたいくらいなのですが、たしかに、普及しはじめたころの携帯電話というのは、白黒液晶で、通話機能と「ショートメール」というごく短い文章が送れる程度の機械でした。
 それが、この10年間に、前述のさまざまな機能に加えて、カメラに音楽プレイヤーにインターネットに動画再生、おまけにワンセグによるテレビ視聴と、あの小さな機械のなかに、さまざまな技術が詰め込まれていったわけです。
 あらためてこの10年の携帯電話の歴史を思い返すと、やっぱり技術というのは「進化」していくものなのだなあ、と感嘆せずにはいられません。
 この町田会長の話では、シャープの携帯電話開発には、これまでの液晶やワープロ、電子手帳の技術が活かされた、ということです。
 携帯電話というのは、ひとつの技術だけで完成するものではなく、さまざまな家電やコンピューター開発のエッセンスが集約された機械なんですよね。ワンセグから漢字変換・辞書機能まで。
 
 いまとなってみれば、「シャープというメーカーの特性に向いていた機械」であったように思われる「携帯電話」なのですが、AQUOSケータイができるまでには、こんな歴史があったのです。

 いや、僕も「電話をわざわざカラー液晶にする必要があるの?」とか思っていたのですけどね、あの頃は。



2008年11月08日(土)
「I(アイ)メッセージ」で他者と向き合うことの大切さ

『ふたり歩きの設計図』(槇村さとる著・集英社文庫)より。

(槇村さんが『子供の才能をのばすには『という「英才教育や各種の塾に必死に通う子供たちとその母親達を、チャラっと取材していた軽いテイストの番組」を観たときの話の一部です)

【さて、私の注目を引いたのは、番組の後半の方だ。思わず、ペンを置いて見入ってしまった。
「I(アイ)メッセージで子供と向き合う」というテーマだった。
 才能、能力、に関しては神のみぞ知る、である。それよりも、子供の心と脳を発達させよう。自信のある人間にしよう。人を信じられる子にしよう、ということである。そのためには、親が「I(アイ)メッセージ」で子供とつき合うこと。
「そのとーり」と、がぜん賛同する私。
 トホホな内容の前半とは違い、地に足のついたテーマだった。

 ある家庭にカメラが入っている。
 家業で食べ物屋さんをしている。両親は店で大忙し、息子10歳は、奥でゲームに夢中。
「なんであんたは言うこと聞かないの」
「さっきやるって言ったのに、やってない!」
「あんたはいつも……!」
 と、取材されたお母さんは一日中、叫んでいるらしかった。

 ゴチャゴチャッとしたにぎやかな家の中は、一見あったかそうなのだが、父、母、子供のコミュニケーションが、みんな一方通行のまま、ゴチャゴチャの中で消えてしまっているように見えた。
 そこにコミュニケーションの先生からサジェスチョンが入る。
「お母さん、自分の気気持ちをそのまま伝えてください」
 そして……
 子供が「クソババア!」と言った時、お母さんはキチンと座ってこう伝えた。
「お母さんは傷ついた(悲しい)」
 それを聞いた時の、子供の顔がかわいかった。
 ボーゼンと母親を見つめ、返す言葉もなかった。そのあと、黙々と母親との約束(自分でズックを洗うこと)をやりとげ、母親のところへ来て「さっきはごめんな」とハッキリ謝った。
 母親はビックリし、「いいって、もう気にしてないから」と伝えた。
 ゴチャゴチャしている家の中に、スッと1本の関係がハッキリ見えた。コミュニケーションの糸が通った感じがした。
 ああ、よかった――と私は思った。
 その後、この男の子は、ゲームよりも家業を手伝うようになったそうだ。皿を洗う横顔は、大人びてりりしかった。

 番組がいうところのI(アイ)メッセージは、子育てのみでなく、私たちの生活でも大事なことだと思う。
 文句や愚痴や命令をいつも叫んでいる人は、私とキチンと向き合ってくれる人間には見えない。
「私は――だ」
「私は――と感じる」
 と伝えられた時に、相手を受け止めようという構えができるのだ。この人がここに居る、と確認できるのだ。
「私は――」と相手が語りだした時にはじめて、「自分の感情はともかく、聞こう、相手のおかれている立場を知ろう」と思うのだ。

 自分がいる。やっかいな感情にがんじがらめになって、素直になることさえむずかしい自分が。
 そして相手がいる。相手にも感情がある。やっかいさは同じだろう。
 でも、その相手が勇気を出して、
「私は―――」
 と、扉を開けている。
 そうなると、聞かないわけにはいかない。いや、聞きたい。】

〜〜〜〜〜〜〜

 人間の気持ちというのは、本当に「わからない」「伝わらない」ものなのですよね。
 「クソババア!」なんて言われたら傷つくのが当たり前だし、そんなこと、わざわざ言葉にする必要があるのか?と僕は感じたのですが、「傷ついたこと」を言葉にしたときの子供への「効果」には、ちょっと驚いてしまいました。
 気持ちっていうのは、悲しいほど「言葉にしなければ伝わらない」ものみたいです。

 ここでは「母親と子供」のエピソードが紹介されているのですが、この「I(アイ)メッセージ」というのは、大人どうしの関係においても、非常に大事だと思うのです。
 「自分が思っていること」「感じていること」を表明することにはけっこう勇気が要ります。
「こんなことを言ったら、無知をバカにされるんじゃないか?」
「相手を傷つけてしまうんじゃないか?」
「このくらいのことは、わざわざ言わなくても『気づいて』くれるはずなのでは?」
 自分の感情をさらけ出すのが怖いときに、僕たちはこんなふうに言うのです。
「それが世間の常識だろ!」
「そんなことやったら周りの人が迷惑するでしょ!」
「自分で考えてみたら?」

これって、結局のところ、言われた側にとっては、頭では「とりあえず自分が否定された」ことは理解できても、実感としては、「世間」って何?「周りの人」って誰?という疑問しか感じないのではないかと。
実際に「世間」や「周りの人」から直接注意される機会なんて、そんなにあのではありませんし。

【文句や愚痴や命令をいつも叫んでいる人は、私とキチンと向き合ってくれる人間には見えない】というのは、本当にその通りだと思います。
でも、「I(アイ)メッセージ」を表に出すというのは、簡単なようでけっこう難しい。
自分に自信が持てないし、自分の感情を素直に表に出すことにも慣れていないから。
そして、「感情的である」ということは、日本では特に、敬遠される傾向があるから。

 この槇村さんの話を読んでいると、「相手のことがわからない」のも「相手が本当はどう思っているのか知りたい」のも、みんな同じなのだな、という気がするのです。
 人って、「自分にキチンと向き合ってくれる人」に対しては、「自分もちゃんと向き合っていきたくなる」のではないかなあ。

 「I(アイ)メッセージ」、僕も大事な人と接するときには、心がけてみたいと思います。



2008年11月02日(日)
ジグソーパズル製造会社を驚愕させた「某有名アーティスト」

『オトナファミ』2008・December(エンターブレイン)の記事「マジカル・ファクトリー・ツアー Vol.9 ジグソーパズル工場」より。

(創業54年、ジグソーパズル業界でトップクラスのシェアを持つ「やのまん」の工場のレポート。「やのまん」の生産物流課リーダー・田中宏美さんへのインタビュー「パズル作りの達人に訊く」から)

【Q:パズル製造で重要な点は?

A:紙の厚さですね。厚さでピースをハメる時のフィット感がまったく変わります。フィット感もパズルの楽しみですからね。

Q:パズル製造で最も気を使う部分は?

A:ピースの紛失が起きやすい、バラシの工程(機械で切り抜きを入れたパズルの台紙を人間の手でバラバラにしていく作業)が気を使います。他にも抜きの工程で、ズレや切り残しが無いよう注意します。

Q:ピースは、何故あの形なんですか?

A:組むときに、バランスがいいんですね。崩れづらいですし。ちなみに、難易度を下げるには目印となる変形のピースの割合を増やします。逆に難易度を上げるには、細かい桜の花が散っている絵を使ったり、空など単色の面積を増やしたりします。

Q:今までに何か事件はありましたか?

A:10年程前に、あるアーティストの初回特典パズルをひと月で230万個作ったことがありました。この工場だけでは対応しきれないので、日本のパズル会社ほとんど全社と協力しました。そのとき、私はすべての工場の進行管理をしていたので、毎日徹夜でフラフラでした(笑)。

Q:過去に一番売れたパズルは?

A:”恋人たちのパリ”という一連の商品ですね。どの商品も万単位で売れました。】

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 世界初のジグソーパズルは1760年頃にイギリスで最初に作られ、最初は木製だったのが、後に安価な紙製となり普及していったそうです。
 「やのまん」は、当時の『モナリザ』ブーム(1973年に『モナリザ』来日が決定し、1974年に東京国立博物館で公開)に乗って1973年にから『モナリザ』のパズルの輸入販売を開始し、パズルブームを巻き起こしました。
 その翌年から自社工場を設立し、日本初の国産パズルを発売。これまでに約1万種類のパズルを製作してきたそうです。
 ジグソーパズルの「ジグソー」というのは、「糸のこ」の意味で、初期のパズルは、糸のこで板を切って製作したことに由来するのだとか。

 この記事を読みながら、僕は「いちばん最近ジグソーパズル作ったのって、いつごろだったかな……」と思い返してみたのですが、少なくともここ10年くらいは作った記憶がありません。妻は、2年くらい前にけっこう大きいのを完成させていたのですけど。

 「日本のジグソーパズルの歴史」は、35年間。僕よりほんのちょっと年下です。
 そして、僕の記憶のかぎりでは、ちょっと大きな玩具屋やデパートには、ずっと「ジグソーパズル」がありました。
 「ジグソーパズル大好き!」っていう人にはいままでお目にかかったことがないし、大ブームになった記憶もないのだけれど、いろんな玩具や趣味の流行り廃りがあるなかで、これだけコンスタントに売り場に存在し続けているのは、驚くべきことですよね。
 ゲームウォッチがプレステ3にまで進化しても、「ジグソーパズル」は、昔とほとんど同じ姿で愛され続けているって、すごいことなのではないかと。

 田中さんのお話によると、パズル製造で最も重要な点は「パズルの紙の厚さ」なのだそうです。
 ここで紹介されていたパズルの厚さは約2ミリ。「チップ」と呼ばれる台紙(1.9ミリ)と絵柄を印刷した薄い紙(0.1ミリ)を貼り合せてつくられます。
 薄い紙を切ってバラバラにして「パズル」を作ってみてもあまり面白くないのは、あのジグソーパズルの「ピースがパチッとはまる感覚」がないからなのでしょうし、ジグソーパズルの楽しさというのは、むしろ「身体で感じるもの」なのかもしれません。
 ジグソーパズルはけっこう場所をとりますし、僕はすぐピースを失くしてしまうので、「コンピューターのパズルゲームでいいや」なんて考えてしまうのですが、いまでもジグソーパズルが地味ながらも売れ続けているのには、それなりの理由があるのでしょう。

 ちなみに、この「あるアーティストの初回特典パズル」というのは、1998年に発売された『B'z The Best "Pleasure"』の特典のようです。
 ものすごく話題になり、売れまくったあのCDの陰で、「パズル製造会社」も、こんなにすごいことになっていたとは。