初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2008年09月30日(火)
「積極的な人と消極的な人は、ただ、『理解の仕方』が違うだけなのだ」

『間の取れる人 間抜けな人』(森田雄三著・祥伝社新書)より。

(イッセー尾形さんの演出家である森田さんが、「人との間のとりかた(=上手なコミュニケーションの方法)」について書かれた本の一部です)

【見知らぬ他人と偶然のように話が弾む秘訣は、ここにある。共通地盤を探すコツさえ掴めれば、さほど難しいことではない。「駅前に映画館がある街ですね」、「立派なケヤキの木だね」、「小川が音を立てて流れてましたよ」。その土地の固有さを言葉にすれば、自分も相手も落ち着いたペースに立てる。
 無理して話題を作ろうとして、たとえば相手がプロ野球ファンだからといって「阪神は強いですね」などと、その話に合わせたら、ゴマスリであってコミュニケーションとはいわない。聞き手も話し手も窮屈になるだけだ。
「話し上手」な人は、どんな話題にもそつなく受け答えできるというイメージがある。コミュニケーションのノウハウ本の受け売りだろうが、「銀座のホステスさんやバーテンさんは新聞各紙に目を通している」と聞いたことがある。客である企業の幹部や文化人たちとの話題に困らないためだそうだ。
 こんな風説もオヤジ族の説教のたぐいで、「酒場の従業員も努力は怠らない」というものの一種じゃないかな。そもそも高いお酒を飲む客は、お洒落なホステスに自慢話をしたいに決まっている。取り巻きのゴマスリにヘキエキしているに違いない偉い人が、ホステスに専門分野の話をされてもシラケルのじゃなかろうか。ホステスの仕事の重要さは「あいづち」にあって、内容にあるわけじゃない。
 この「新聞各紙に目を通す」みたいな迷信が横行するのも、背景には、学校教育を手本とする人たちが陥っている「会話には知識が必要」という思い込みがある。彼らは、コミュニケーションというと、丁々発止に弾んだ会話をイメージする。現実生活は「朝まで生テレビ!」じゃないのだ。
 だから話題がないときは、仏頂面で黙っているところからスタートすれば、相手が話の接ぎ穂を探してくれるものだ。「間」に耐えられなくて、無理してしゃべるのは愚の骨頂。そんな失敗から「自分は話し下手」と決めつけて、会話の前からオドオドするのは、墓穴を掘り続けるようなものだ。「上がり症」も同じ。ただただスロースターターなだけなのに。
 ワークショップでもそう。「言葉」がすぐに出てこない人や、「見学です」と車座にも加わらなかった内気な参加者が本領を発揮するのは3日目ぐらいからで、初日の張り切りマンが失速しだすのも同じころだ。

(中略)

 素顔のイッセー(尾形)さんは、地味で目立たぬ部類の人間だ。積極的か、消極的かと言われたら、消極的な部類に入るだろう。しかし、積極性と消極性は、やる気がある、やる気がない、に直結するわけではない。それは「理解の仕方」の違いであり、積極的な人は「やるタイプ」であり、消極的な人は「見るタイプ」だと言える。
 あるワークショップで、参加者に簡単な自己紹介をしてもらったことがある。その時の参加者は、50人近くいただろうか。名前と簡単な経歴を述べる程度にして、一巡した後、紙をくばり、覚えている名前を書き出してもらった。
 よもや記憶テストになると思っていなかった参加者は、この唐突さにざわめきながらも鉛筆を動かしていた。集計をとると、1人も覚えていない人から、半数を記憶している人までバラバラだった。
 自己紹介に工夫をこらした「積極的な人」は名前を覚えられたし、声が小さい「消極的な人」は票が入らなかったのはもちろんで、面白かったのは、みんなに名前を覚えてもらった「積極的な人」と、誰にも名前を覚えられなかった「消極的な人」の関係だ。
 総じて積極的な「目立つ人」は、他人の名前を覚えていないし、消極的な「地味な人」は、とてもよく他人の名前を覚えていた。積極的なタイプは「自分がどう受け取られたか」に関心があるのに対して、消極的なタイプは「あんな風にできたらいいなぁ!」と注意が周囲の人に向かうからかもしれない。
 いろいろな場所でワークショップを行える利点から、さまざまなスタイルでこのタイプ分けをする稽古を行った。たとえば「大根」という名詞に形容詞をつけてもらう。「三つまたの大根」とか「髭が生えた大根」、博多人形のような大根」といった具合。
 その後、別の稽古を行って時間が経った後、さっきの「大根」についた形容詞をいくつ覚えているかを書き出してもらう。そのゲームにイッセーさんも参加していたが、他人がつけたフレーズを覚えている数は群を抜いていた。
 別の場所でのワークショップで、昨日他の参加者が言った台詞のどれを覚えているかと質問をした。明るく元気な「積極的」と思える参加者は、みんなが一斉に笑った台詞や、僕がコメントを加えた台詞を取り上げたのに対して、目立たぬ「消極的な人」は、独自の地味な台詞を覚えていた。
 現実の世の中では、積極的に目立とうとし、地味で消極的な人間は否定されがちだが、それは間違っている。ただ、「理解の仕方」が違うだけなのだ。「イッセー尾形」の演劇が取り上げるのは「目立たぬ市井の人たち」であり、「イッセー尾形のつくり方」と題した4日間のワークショップも、「人に誇るようなものはなにもないと思っている人」という言葉で、参加者を募っている。
 地味な目立たない人たちは、ワークショップの最初は積極的な人たちの後ろに隠れてしまっているが、「見て理解する」ことにより、4日間の最後のほうでは、メキメキと頭角を現わしてくる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 上の文章でも書かれているように、イッセー尾形さんの「専属演出家」である森田さんは、全国各地で「(地元の)素人が4日間で芝居を作る試み(ワークショップ)」を行っておられるそうです。しかも、この芝居は、内輪で見せ合って終わるのではなく、「有料公演」として上演されるのだとか。
 まあ、こういうワークショップに参加するというだけで、「消極的な人」とはいっても、それなりの「積極性」がありそうなものではありますが、ここで森田さんが仰っておられることに、「消極的サイド」の一員である僕としては、ちょっと励まされたように感じました。

 確かに、世間では「積極的な人」というか、第一印象でアピールできる人のほうが有利な気はするんですよね。多くの場合、人間関係に「4日目の最後のほう」はないので。
 それでも、「積極的な人」と「消極的な人」というのは、どちらが優れているとか、やる気の差というわけではなく、それぞれのタイプの「理解の仕方」の違いだというのは、とてもよくわかるような気がします。

 「消極派」の僕は、「もっと積極的にいかなきゃ!」と言われて、中途半端ボソボソと自己アピールしようとして玉砕、という経験を何度もしてきましたが、結局のところ、僕の場合は、「やるより前に、まずは見るタイプ」であり、「他人に記憶されるより、他人を記憶する」ことのほうが得意なのです。それを生かせるかどうかはさておき。

 世の中というのは、僕のような「見るタイプ」には何かと生きづらいものではあるんですよね。世の中を支えているのは、どちらかというと「見るタイプ」だと思うんだけどなあ。「見る人」がいなければ、「やる人」だって存在できないわけだし。

 でも、実際は世の中の多くの人は、「やるタイプ」でも「見るタイプ」でもなく、「ただ漫然とそこにいるタイプ」で、僕もその一員なのかな、とも感じるんですよね。それは、あんまり考えたくない話ではあるんですけど。



2008年09月28日(日)
「新宿駅最後の小さな飲食店」の「困ったお客様」への接客術

『新宿駅最後の小さなお店ベルク』(井野朋也著・P-Vine BOOks)より。

(「都心の超ど真ん中(新宿駅東口改札から徒歩15秒)にある15坪の個人店『ベルク』」の店長・井野さんが『ベルク』の歴史や店のこだわりを書かれた本の一部です)

【経営者が現場の最前線に立って店をまわすことを、私たちは「現場主義」と呼んでいますが、それにはプラス面とマイナス面とがあります。両面があるというより、経営者によって、うまくもいけば裏目にも出るということですね。私自身、現場をアルバイトにまかせた方がいいと思うことがあります。
 バイトスタッフは、余計なことを考えないので、わりきって働いてさえもらえれば、かえって経営者よりいい接客をするからです。
 例えば4人席と1人客が陣取っているのを見ると、経営者はそのお客様をつい別の席に移動したくなります。それをマニュアル化して、スタッフにやらせているところもあります。確かに席を空けておいた方が、団体客が来たときに案内しやすい。でも、その1人客が帰るまでに団体客がくるとは限りません。経営者は席にしろ何にしろ、店そのものが自分の商売道具という意識が強いので、愛情はあるのでしょうが、思惑と違った使われ方をされるのが許せないのです。相手がお客様であっても、つい手を出したくなる。
 しかし、それでは経営者が現場にいても、いることにはなりません。なぜなら、現場とは接客だからです。接客をしないで店をまわす経営者は、むしろ現場を邪魔することになります。裏目に出るとは、そういうことですね。

 「接客をしないで店をまわす」とはどういうことかというと、経営者の思惑(効率)優先で動くこと、そして同じことですが、面倒事を想定して事前に回避しようとすることです。
 4人客がくるのを想定して1人客をあらかじめ4人席から移動しておけば、4人客がきてから移動するよりスムーズです。しかし、そこで無視されているのは、いま店にいるお客様の気持ちですね。4人客が実際にきて移動させられるなら、まだそのお客様も納得がいくでしょう。
 しかし、いま店にいる自分のためでなく、くるかどうかわからない誰かのために席を移動させられるのは、なんとなく不当な扱いを受けた感じがします。だから店によっては、予約席と表示して、最初から4人席に1人客を座らせないようにするところもあります。ただレストランならまだしも、うちのような大衆店がそんなことをしても、嫌味でしかありません。
 いずれにしても接客は、目の前のお客様を気持ちよく受け入れることがすべてといってもいい。席は、一時でもお客様のものです。店が混んで座れないお客様がいらっしゃったら、はじめてそのお客様の代わりにほかのお客様にご協力を願う。死んだ席をよみがえらせる。それがいわば店の役目であり、接客ですね。
 店の状況は、どんどん変わります。その度に頭を切り替えて、お客様第一に動くのが店における「現場主義」です。要するに、臨機応変な対応ですが、現場(接客)から離れると、その感覚が次第に失われるのです。だんだん管理しようとするようになります。管理とは、まさに「面倒事を想定して、事前に回避しようとすること」ですね。接客とは相反するものです。

 お客様に恥をかかせない。それも接客における心得の一つといえます。例えば、よそから持ち込んだ飲食物を店内で召し上がっているお客様に、どう対応するか?
 「お持込みお断り」と貼り紙をしている店もあります。気持ちはわかります。経営者の立場からすると、飲食店で「持ち込み」が認められてしまったら、すなわち経営の危機を意味しますから。現場感覚でいっても、外の自動販売機で買った缶コーヒーを席で飲まれたら、何のために一杯のコーヒーに全神経を注いでいるのかわかりません。店にとって「持ち込み」はトップクラスの迷惑行為です。
 ただ、私は「お断り」とか「ご遠慮」という否定的な表示をするのはなえるべく避けたいのです。表示は不特定多数の方に向けられるからです。
 そういう表示をしなければしないで、それを盾に逆ギレするお客さんがいらっしゃいます。「どこにも表示がないじゃないか」と。それを恐れて店は表示するのでしょうが、そういうお客様は数からすればごく少数ですし、その少数の方のためにわざわざマイナスオーラの出る表示をする必要はないと思います。
 また逆ギレするお客様はなぜするかというと、恥をかかされるからです。持ち込みをしないでくださいというのは、いくら相手に非があるとしても、またこちらが頭を下げてお願いしても、いわれた方は公衆の面前で叱られているのと同じことです。鬼の首を取ったように指摘する店員もいますが(気持ちはわかります)、いっていることは正しくても、お客様の気持ちに対する配慮が欠けています。
 では見て見ぬふりをするのか? 私なら、まずちょっと様子を見ますね。あまりにもあからさまな場合は、ほかのお客様に気づかれないようにそっと店の食器を差し出し、持ち込んだものの中身だけをそちらに移していただくようお願いします。そのときに、一応(建て前上)お持込みはご遠慮いただいておりますので、もとの容器は隠していただけますか?と食器を代えていただく理由を申し上げるのです。そのお客様は恥をかかずに自分がルール違反していることに気づくことができますし、その場の持ち込みはこっそり認められるので、特別扱いを受けたような得したような気持ちにもなれます。
 店には店の都合がありますが、それを通すにしても、いかに通すかです。そこで接客の腕が試される。まずお客様の気持ちが何よりも優先されなければなりません。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『ベルク』は、新宿駅にあるわずか15坪のセルフサービスのファーストフード店。安さと食べ物のクオリティ、雰囲気づくりへのこだわりもあって、一日平均1500人ものお客さんが来るほどの人気なのだそうです(僕は残念ながら、この本を読んではじめて『ベルク』の存在を知ったのですけど)。

 僕はこれを読みながら、三谷幸喜監督の『THE 有頂天ホテル』の冒頭のシーンを思い出していました。
 ホテルのレストランで女性と食事をしている男性が、取り皿と間違えた灰皿で女性に料理を取ってあげているのをスタッフから告げられたときの、役所広司さんが演じていた副支配人の行動。
 副支配人は、「あのお客様に、灰皿だと告げる事は彼に恥をかかすことになる。すぐ、全部のテーブルに置いてある灰皿を片付け、その灰皿とは明らかに違う型の灰皿に変えなさい」とスタッフに指示を出して、その場をしのいだのです。

 僕はあの場面を観て感動しながらも、サービスっていうのは、突き詰めていくと、かえって大仰になりすぎて苦笑してしまうところがあるなあ、と考えたものです。

 ここで紹介されている『ベルク』の接客は、「客回転が速いセルフサービスの店」としては、やりすぎなのではないかと思われるほど誠実なもののように僕には感じられます。こういうポリシーで接客されれば、お客としては文句のつけようがない。
 まあ、僕自身は「1人で4人席に座って、あとで席を移ってくださいと言われたり、相席を頼まれたりする」煩わしさを考えると、空いている店でも「最初からカウンターでいいや」と考えてしまうんですけどね。たぶん、僕みたいな客も少なくないはず。
 それにしても、あまり流行っていないように見えるレストランでも「御予約席」の札がテーブルに掲げられているのは、こういう理由があったからなのか……

 高級レストランに「持ち込み」をする人はまずいないだろうと思われるのですけど、『ベルク』のような駅にある店、しかもセルフサービスだと、たしかに「持ち込み客」が死活問題だというのはよくわかります。単に「座って休みたい」だけの人が休憩所がわりに入ってくることだってありそうだし。
 そういうお客さん(?)に対する井野さんの「対処法」には「なるほど!」と感心させられるのと同時に、「サービス業っていうのは、ここまでお客に恥をかかせないように気を配らなければならないのか……」と驚いてもしまうのです。
 だって、「常識的」に考えれば、どうみてもそんな客のほうが悪い、というか、そんなの客じゃないだろ、と。

 しかしながら、これは「善意」ばかりじゃなくて、結局のところ、こういうふうに「相手に恥をかかせないようにする」ほうが、店にとってもメリットが大きいというのも事実なのでしょう。混雑時に逆ギレした持ち込み客と店員さんが怒鳴りあっていたりしたら、店のイメージダウンも甚だしいだろうから。

 「接客のプロ」の話を読むたびに、僕はいつも「自分にサービス業は向いてないなあ」と思い知らされます。「他人に関する面倒事の解決に喜びを感じられる性質」っていうのは、天賦の才能なのではないかと考えずにはいられないんですよね……



2008年09月25日(木)
北野武監督「下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから」

『DIME』No.19(小学館)のインタビュー記事「DIME KEY PERSON INTERVIEW vol.24・北野武『芸術の危うさ』」より(取材・文は門間雄介さん)。

(「」内は北野武監督の発言です)

【その著作で、北野武は「才能があると思っているやつは最悪だ」という趣旨の言葉を残している。『アキレスと亀』の主人公・真知寿も、才能があると勘違いしてしまった最悪な男のひとりだ。では、お笑いでも映画でも頂点を極めた北野武という男は、自分の才能をどのように自覚しているのか。

「才能のあるやつっていうのは、変な言い方をすれば、ランクが上がるごとに自分の才能のなさに気づくやつのことでさ。自分で上手いって言うやつはたいてい下手だね。自分の才能のなさに気がついていないから。お笑いに関して言うと、おれはいまの若手によく言うんだよ。おれを尊敬しろ、でもいまのおれはお前らより全然おもしろくないって(笑い)。現役時代ならおれの芸のほうが数段上だけど、陸上競技でも昔の記録がそのまま残っているわけじゃないじゃない。その時代では一番だったけど、いま100mを12秒台で走っても遅いわけで、いまのお前らより下だよって。そういうふうに理解しないとダメだよね」

 そう言うと、彼はちょっと上を向いて、どこからか取り出した目薬を右目にさした。お笑いに関して、あの北野武が何かを終えたという自覚を持っている。そのことになにより強い衝撃を覚える。しかし、自分を客観視するその技術こそ、彼が言う「才能」なのだ。

「でもさ、どんな負けず嫌いだとしても、あきらめたあとの楽しさっていったらないと思うよ(笑い)。ランキングから外れるんだもん。悪口は言えるしさ、これほどうれしいことはないよ。もちろん勝ち負けの楽しさも感動もないし、なんて言うんだろうな、やっぱり現役のほうがいいに決まってるよね。でも、それをどうやってごまかして楽しくするのかが、年寄りのテクニックだから(笑い)」

(中略)

 この日、北野武はCNNの密着取材を受けていた。”キタノ”の作品を、世界が手ぐすね引いて待ち構えている。

「あなたの国で一番影響力のある宗教団体はどこですか? いますぐその信者になるから」

 海外でのヒットをあざとく狙う彼のジョークに、CNNの取材クルーがたまらず吹き出す。
 その姿を見ていると、彼は『アキレスと亀』の主人公と違って、小さい頃からの夢をすべてかなえてしまった人物のように思える。

「いや、小さいときにやっちゃいけないって言われたことを、気がついたらやってるんだよ(笑い)。完全にトラウマだよね。絵を描いちゃ親に殴られたし、小説を読めば怒られて、遊びみたいなのもいっさいダメだった。うちの母ちゃんは誇り高かったからさ、人に笑われるようなことが大嫌いなわけ。恥ずかしいって。だから、他人様に笑われるようなことをやるんじゃないって言われていきて、結局おれがやってるの(笑い)。でも、お笑いをやってない人生は想像できないから、運命みたいなところもやっぱりあるんだろうね」

 今回の映画からも、その言葉からも、彼が「子どもの夢」について特殊な――でも、実に真っ当な――考え方を持っていることがわかる、北野武の新作が胸を打つのは、僕はその点だと思った。

「いまの時代は夢を持っているやつのほうが、なんの夢もないやつよりよっぽどいいとされてるじゃない。だって、夢を持っているんだからって。でも、現実は同じなんだよ。いま何もやっていないことに変わりはない。それなのに、いまの時代は強制的に夢を持たせようとし出したから、夢のないやつがそれを社会のせいにして、ナイフで刺しちゃったりするでしょう。でも、夢なんて持たなくていいんだって言わなきゃいけないんだと思うよ。下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから(笑い)。別に、人に誇れるものなんてなくていいんだよね。ないやつだっているし、ない自由だってあると思うよ」】

〜〜〜〜〜〜〜

 「でも、夢なんて持たなくていいんだって言わなきゃいけないんだと思うよ」
 僕は北野武監督の新作『アキレスと亀』は未見なのですが、この北野武監督(あの『ひょうきん族』『オールナイトニッポン』のビートたけし、という呼びかたのほうが、僕にとっては「しっくりくる」のですけど)の言葉を読んで、2つの相反する感情を抱きました。
 「なるほどなあ」という共感と、「それはそうかもしれないけど、芸人として、映画監督として『夢をかなえた人』の代表である北野武がそんことを言うのは、あまりに残酷なのではないか」という反発と。

 しかしながら、「夢があること」が唯一にして最高の価値である時代というのは、幸福である反面、「生きづらさ」を感じる人も多いのだろうな、と僕も思うのです。
 北野監督の「下町だったら『いいんだよ、お前バカなんだから』で終わる」という言葉は、別に下町をバカにしているわけではなくて、「カッコいい夢なんて追わなくても、堅実に目の前のことをやって生き続けていく」というのを許し、認める「包容力のある文化」を語っているものです。そうやって、「ただ日々の仕事をこなし、家族とともに暮らしていく」という人生は、けっして「悪いこと」ではないはずなんですよね。
 でも、今の時代は、「そんなのは夢がない」と否定される場合がほとんど。
 その一方で、北野監督は、「夢だけを持っている人」に対して、こんな厳しいことも仰っておられるのです。
「でも、現実は同じなんだよ。いま何もやっていないことに変わりはない」
 実際には「何もやっていない人」が、ただ「夢を持っている」ということだけで、「夢を持っていない人」をバカにできるのか?それは、正しいことなのか?

 僕は、北野監督が「夢を持つな」と言っているとは思いません。
 でも、これを読んでいると、もしかしたら、「夢」をかなえようとする人生のつらさ、寂しさを北野監督自身も感じているのかな、と考えずにはいられませんでした。
 「夢」って、そんな単純なものじゃないんだよね。
 たとえば、僕のまわりには「子どもの頃から憧れていた医者になれた」という人がけっこうたくさんいるのですが、彼らの多くは、「でも……俺がなりたかったのは、『こんな医者』じゃなかったのに……」というギャップに悩んでいます。「夢」っていうのは、基本的に完璧には叶わない。「自分を客観的にみる人」であればなおさら。医者になったらなったで、もっと大きな研究実績を残したいとか、教授になりたいとか、あるいは地域でもてはやされたいとか、もっと患者さんに評判を得たいとか、「夢」という山は、登ってみればまた新たな頂上が目の前にあらわれてくるのです。そして、大部分の人は、いつかは競争に負けたり、諦めたりせざるをえない。
「歌手になること」が夢だった子どもでも、実際に歌手になってみれば、「売れない歌手」なんてまっぴらでしょう。

 いまや世界的な名声を得ている北野武監督でさえ、自分の作品や現在のポジションに「完全に満足」しているわけじゃないと思うのですよ。「自分の映画が興行的にうまくいかない」ことをよく自虐ネタにされてますし。
 もちろん「売れる映画より撮りたい映画」なんだろうけれど……

 なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、「夢がない自由」というのは、確かに、いまの時代には必要な考えかたなのかもしれませんね。
 「夢なんて持てない、生きていくのが精一杯」の若者だってたくさんいるこの世界では、なんとも贅沢な「自由」ではありますが。



2008年09月22日(月)
「『機動戦士ガンダム』は不人気で打ち切られた」という「定説」の嘘

『BSアニメ夜話 Vol.02〜機動戦士ガンダム』(キネマ旬報社)より。

(名作アニメについて、思い入れの深い業界人やファンが語り合うというNHK−BSの人気番組の「機動戦士ガンダム」の回を書籍化したものです。この回の参加者は、岡田斗司夫さん(作家・評論家)、乾貴美子さん(タレント)、北久保弘之さん(アニメ演出家・監督)、有野晋哉さん(タレント)、福井晴敏さん(作家)、小谷真理さん(評論家)、井上伸一郎さん(元アニメ雑誌編集者)、氷川竜介さん(アニメ評論家・ライター)です)

【岡田斗司夫:あの、『ガンダム』の打ち切り、あれってどうだったんですか?

氷川竜介:え〜っとね、スポンサー事情とか低視聴率とか言われているんですけど、人気はね、あったんですよ。雑誌はバカ売れしていたし、僕は放映中からレコードの仕事をやらせてもらっているんですけど、最終回の放映前に台本もらってドラマ編の構成作れと言われていましたから。それくらいレコードもバカ売れしていたし。だから、おもちゃを買う人たちに人気がないけど、いわゆる今で言うハイターゲットのところには『ガンダム』いけてるじゃん、というようなギャップの中で、放映のためのスポンサーとしては玩具が売れないから続けられない。だから人気がなくて打ち切りという説は間違いなんですよ。人気はあったんですよ。

岡田:人気はあったけれども、本来だったら、そのスポンサーとなる企業(の商品)を買い支える人たちじゃなかった?

氷川:なかったんですよ。だから、そこにターゲットを組み替えて、もう一回劇場版で勝負しようということは、テレビ版終わってすぐにチャレンジされているはずなんですよ。

井上伸一郎:主に大学生中心にね……。

氷川:そうそう。高校生、大学生くらいだったら、この話の内容を分かるでしょ、ってことで。

岡田:あの当時、同時発売していたオモチャって明らかに子供用の、メッキのパーツがいっぱい入っていたんですよね。

氷川:ガンダム、銀色だったんですよね。その頃、白じゃなくて。そこら辺でもちょっとギャップとか色々あって。

(中略。以下は各参加者が、それぞれ『ガンダム』の好きなシーンを紹介する、というコーナーでのやりとりの一部です)

乾貴美子:北久保さんはどうして、このシーンを選ばれたのですか?

北久保弘之:あの、『ガンダム』というお題で、今日呼ばれたわけですけど、基本的に「ガンダムって何?」というところで、ガンダムって結局”ガンダム”なんですよね。主役として色んなキャラクターが出てきて、色んなガンダムが作られていくわけですけども、今を持って続いている主役って誰? といったら”ガンダム”でしかない。そのガンダムが一番最初に活躍する、バシッと決まった絵を見せるという。あの顔を起こして、目が光る。あの1カットが、この延々と続いている「ガンダム」という作品の主役の位置づけを決めた、と確信しています。

岡田:いわゆる兵器としてのリアルロボットとよく言われるんですけれども、その割には昔ながらの……何だろう? 『マジンガーZ』風のお約束、全部守りますよね。

北久保:そうですよね。

岡田:あの、目が光るとかですね、ポイントポイントで。

井上:最近放送された『ガンダムSEED DESTINY』という最新作があるんですけど、その第一話でも、やっぱりザクウォーリアというのが立ち上がって同じことをやるんです。目が光って、あとブワ〜っとココ(胸)から排気煙を出して。

岡田:ガンダムのシリーズはそうでなくてはいけないという。

井上:そうそう。やっぱり、その辺のお約束は踏襲している。

有野晋哉:何か、僕、さっきの斬って止まるところあるじゃないですか。あれが、監督に一回会わしてもうて、しゃべらしてもうたときに、あそこが好きですって言ったら、「あれはね、本当は全部動かしたかったけど、当時のセル画を描いていた人が、そんな風に動くことはできへん、と言われて、で静止画になった」(と冨野監督に言われた)。

岡田:あ〜。

有野:そうなんすか? 全部、その……一話でガンダムが動いているのも、実際、スポンサーである玩具会社が、その「一話で動かさんとロボットアニメ、ちゃうやないか」と言われて無理矢理動かして、後から”ニュータイプ”とか考えた、って。けっこうショックなこと、いっぱい言われましたよ。

乾:(笑)。

岡田:『ガンダム』は当時の日本サンライズ……制作の会社は本当に弱体で、もう週に1本のテレビシリーズでアニメを作るなんて、とても無理無理というところに、冨野さんがやりたいこと、夢とかをだーっと持ち込んだもので、だから色んなところがギクシャクして無理が出ている。その分、すごい良いは良いんですけど、本当は富野さんの中では一話はもっと動いているんだろうと思うし。モビルスーツのデザインも後半出てくる奴はもっとかっこいいんだと思うし。

有野:ガンタンクは「だから入ったんですよ」という話を……(富野さんがされて)。当時のプラモデルが戦車ばっかりだったから。キャタピラがついている奴を出さなあかん、って言われて、ガンタンクが出来た。

岡田:最初、富野さんはガンキャノンくらいを主役にしたかったんだけれども、ガンダムに……もっと格好良くしろと言われて、やっぱりそこで曲がる。次に真っ白いロボットを出したい。主人公ロボットを本当に上から白いままでやっていくと、メーカーが途中で、やっぱり赤とか黄色とか入れろ、と言ってきた。なので安彦(良和、「ガンダム」のキャラクターデザイン担当)さんが「わかりました。入れればいいんですね」と、ここら辺(腹の辺り)にちょいちょいと赤と黄色を入れると、あっという間に三色っぽく見えたとか、色んなのが氷川さんが書かれた本には出ているんですよ(笑)。

氷川:また、そんなことを……僕はそんな「ちょいちょいと」なんて言ってないですよ。……ちなみにガンダムの色というのは、安彦さんが頭から足まで決めたのは間違いないです。でも、それは玩具メーカーというよりは、企画部門に対しての綱引きで、やっぱり三原色入んないと子供にウケないという、それまでのマーケティングリサーチに基づくセオリーがあったからです。それに反発した安彦さんが一晩持って帰って、自宅にあったセル絵の具で、白をメインに塗りなおしたっていう話は聞きました。明らかにちょいちょいじゃないですよね(笑)。

一同:(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『機動戦士ガンダム』は初回放送時、人気がなくて打ち切りになった、という話は、ひとつの「歴史的事実」となっているように思われるのですが、当時『ガンダム』にかかわっていた人たちによると、『ガンダム』という作品は、リアルタイムでもかなり人気があったみたいです。
 しかしながら、ここで紹介されている関係者の話によると、その人気があった世代が高校生〜大学生で、玩具の売上につながらなかったため、スポンサーとしては番組を続けることを望まなかった、というのが事実のようです。
 まあ、いくらレコードやアニメ雑誌といった「関連商品」が大ヒットして、高校生や大学生に大ウケしていても、自社の商品の売り上げにつながらなければ、スポンサーとしては「やってられない」というのもよくわかります。
 結果的には、その後の映画化や再放送によって『ガンダム』はより幅広い層に受け入れられることになり、スポンサーも「ガンプラ」と呼ばれておもちゃ売場に大行列を作ったプラモデル等の商品で大儲けすることになったのですが、当時としては「俺たちが金を出した作品で、他所の連中ばっかり儲けやがって!」というのが、スポンサーサイドの本音だったのかもしれません。
 テレビ番組である以上、作品としての評価だけではなく、スポンサーにとってのメリットの有無というのは、非常に重要なポイントになるのです。

 そして、ストーリーやキャラクターデザインにおいても、「マーケティングリサーチ」だとか「スポンサーの意向」がかなり反映されているということがわかります。
 こういう「スポンサーの介入」というのは、あまりいい印象を受けないのですが、もし「スポンサーの意向」がなければ、「第1話では、全然ガンダムが動かない」とか、「ガンキャノンが主役」になっていた可能性もあったわけで、『ガンダム』という作品の成功には、綿密な世界観や斬新なキャラクターデザインだけではなく、「お人よしで、ちょっとだけおせっかいなスポンサー」の影響が大きかったような気がします。
 結果的に売れたからいいようなものの、「子供向けアニメ」の時間に『機動戦士ガンダム』という作品にお金を出したスポンサーって、よほど先見の明があったのか、富野監督に騙されたのかのどちらかだとしか考えられませんし。

 このやりとりを読んでいると、歴史的な作品であり、「ロボットアニメの革命」だと思われている『ガンダム』にも、今までのロボットアニメの文脈を受け継いでいるところがたくさんあるのだ、ということがよくわかりますし、大ヒットの裏には、関係者の努力に加えて、いろんな「偶然」も関与しているのだな、ということも伝わってきますね。
 



2008年09月11日(木)
中国で「近所の人たちにあげた愛犬」の運命

『文藝春秋』2008年9月号の芥川賞受賞者・楊逸さんへのインタビュー「天安門とテレサ・テンの間で」より。

(このインタビューに出てくる「下放」とは、中国の文化大革命の際、都市の青年(主に学生)に対して、地方の農村に移住して肉体労働を行うことを義務化し、思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした思想政策のことです)

【インタビュアー:ハルビンに比べて、食事はどうでしたか?

楊逸:田舎のほうがよかったかもしれません。中国は1960年前後から、自然災害によって餓死した人が大勢いました。70年代になってもまだ食糧事情が悪くて、いいものは食べていません。今は太ってますけど、私、そのころは、すごく痩せてましたね。 田舎では、ヤギやニワトリ、アヒルなどを飼っていましたから、卵は食べられるようになりましたし、ヤギなども食べることができました。犬も飼っていました。すごい賢くて、力もあって、仲がよかった。小学校から帰ってもみんな農地に出ていて誰もいないから、遊びに行こうとすると、その犬に「外へ行っちゃ駄目」って、止められちゃうんです。ほんとに頭のいい犬でした。

インタビュアー:何年くらい下放されていましたか。

楊逸:3年半です。ハルビンに帰れたのは1973年夏、小学校1年生の終わりです。ある日突然、何の前触れもなく父の勤め先からトラックがやってきて、ハルビンに帰ってもよいと知らされました。父は急いで子供たちを学校から連れ帰り、「今日、帰る」と言いました。
 本当に突然ですよ。誰も知らなかった。犬なんか連れて帰れませんでした。仕方ないから村の人たちにあげたんですが、みんなで鍋にして食べちゃったんです。たぶん、犬が私たちの車を追いかけて、迷ってしまうと思ったんでしょう。悲しかったけれど、私も家族も仕方ないと思っています。人間だって生きていけるかどうか分かんないときですから。村の人たちがくれた犬の皮は、今でもうちの母のベッドに敷いてあります。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この楊逸さんのインタビューを読んでいると、日本と中国の考え方のギャップを感じずにはいられません。
 いや、もともと「机以外の4本足のものは何でも食べる」と言われている国ではありますし、当時の食糧事情を想像すると、「犬を食べる」ということそのものが野蛮だというのは偏見なのでしょうが、それにしても、「近所の人がかわいがっていた犬を食べる」だけならさておき、「自分達が食べた、その犬の皮を送ってくる」という発想は、やはり、日本人には無いものだと思います。
 そもそも、彼らは「犬が迷ってしまうと思ったから」食べたのではなく、「おいしそうだったから」あるいは「他に食べるものがなかったから」食べただけなのではないかと。

 この文章を読んでいると、楊逸さんと家族は、その犬に対してかなりの愛情を持っていたのだと感じますし、近所の人たちもそれを知っていたはず。
 もともと日本には犬を食べるという習慣が無いことを差し引いても、同じように誰かがかわいがっていた生き物を日本人が預かったら、「大事に育てる」か、それが不可能なら、「黙って食べたままにしておく」とか「食べたとしても自然死したことにして皮を送る」のではないでしょうか。
 そういう意味では、村の人たちの行動には「罪の意識」は感じられませんし、中国では、少なくとも「このシチュエーションでもらった犬を食べるのは異常ではない」ということなのでしょうね。

 こういう話を読むと、その「時代の過酷さ」を想像するのとともに、「中国人にとっての合理性」についても考えずにはいられません。
 これはこれで、「正直な人たちだなあ」とも思うのですが、このエピソードひとつをとっても、多くの日本人にとって、「中国人の考えかたを理解する」というのは、かなり難しいことのような気がします。



2008年09月09日(火)
アイドルタレントのバンジージャンプと視聴者の「まともな想像力」

『私を変えた一言』(原田宗典著・集英社文庫)より。

【或いはやはり昨年末、こんな話を聞いた。
 話してくれたのは友人の長岡毅だった。久々に夕食を共にした折、彼は世間話のついでにこんなことを話し始めたのだった――。
「そういえば一昨日だったかな……テレビでさ、何だかすごい番組をやっていたよ。催眠術でこう……暗示を与えるってやつでさ、ニュージーランドだったかなァ、百四十何メートルっていうとんでもない高さのバンジージャンプがあるわけ。そこへ高所恐怖症のアイドルタレントを呼んで、暗示をかけるんだよ――ほら、円広志の”飛んで飛んで飛んで……”って歌があるだろ? あれを聞くと貴女は飛びたくなるっていう暗示を与えるわけ。それから彼女をバンジージャンプのてっぺんへ連れていって、まず最初にまともな状態で下の眺めを見せるとさ、彼女のうパニックに陥って『いやッ!! いやァ!!』って叫ぶんだな。ところが、例の”飛んで飛んで飛んで……”っていう曲を聞かせると……」
「おい、ちょっと待った。それ、本当の話? 本当にそれ、放映されたの?」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないよ。俺、観てて膝が震えたよ。でも、そのアイドルの女の子、”飛んで飛んで飛んで……”って曲を聞くと、急に表情が変わって、『私、飛びたくなってきたみたい』って言って……」
「飛んだの!?」
「飛んだ飛んだ。それで最後、着地してから女の子の暗示を解いてやって……あのテツandトモだっけ、あいつらの”なんでだろー、なんでだろー”って曲をかけて、おちゃらけるんだよ」
「……」
 私は言葉を失った。
 どういう印象を受けたか、あえて多くは語るまい。今、貴方はこの番組の話を聞いて、どう思ったろうか。面白そう、と感じて、観てみたいと思ったろうか――だとしたら貴方は明らかに人間として本来働くべき大切な想像力が欠如している。私は、まず不快感を感じた。いや、ふざけるのはいい。人間にとって、ふざけることは時に重要である――しかし悪ふざけというのはただ人を不快にさせるだけである。長岡が話してくれたこと番組は、明らかに”悪ふざけ”に属するものである。まともな想像力が働く人ならば、まず、その女の子の立場に自分を置いてみて、
「もし自分がそんな暗示をかけられて、百四十メートルの高さからジャンプさせられたら……」
 と考えるだろう。そして悪寒を覚えるだろう。さらに私なんかは、そのアイドルタレントの女の子の親の立場に自分を置いてみて、
「もし自分の娘がこんなことをやらされたら……」
 と考えて、激しい怒りにかられたりもした。こういう私の反応はおかしいだろうか? そんなカタイこと言わないで、ジャンプして無事だったんだから文句ないじゃーん、楽しめばいいじゃーん、と皆思っているのだろうか。そっちの方がマトモなのだろうか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もときどきこういう番組を観るのですが、正直、原田さんが書かれているような「不快感」はあまり感じないんですよね。別に「楽しめばいいじゃーん」と思っているわけじゃなくて、「タレントさんも大変だねえ……」と感じるくらいのものです。
 ああいうのって、たぶん、ほとんどの場合が「やらせ」というか「演出」なのでしょうし、「暗示」の効果が実際にあるのかどうかはさておき、バンジージャンプをやるタレントはあらかじめそれを知らされていて、「注目されるためには、このくらいのことはやらなくては」と「覚悟」してやっているのだろうと思っているから。極端な話、そういう「危ない仕事」って、人気絶頂のタレントがやっているのを観たことないですしね。

 でも、ここで原田さんが書かれていることを読んで、僕はそういう「タレントさんが覚悟してやっているんだから良いんじゃない?」という考え方がはたして「マトモ」なのだろうか?と自問せずにはいられませんでした。
 いくら事前に安全を確認し、本人が納得しているとはいえ、積極的に飛びたいと希望しているわけではない人間に140メートルのバンジージャンプをやらせるというのは、「演出」として許される範疇だと決めつけて良いものなのか?
 では、もし140メートルは高すぎるということならば、何メートルなら許容範囲なのか?
 もし、それで事故が起こったとしても「しょうがない」と受け入れられるのか?

 こういう問いは、ある意味「不粋」なものです。
 テレビに出ているすべてのタレントさんたちの立場にいちいち自分を置いていたら、テレビを観ているだけで疲れ果ててしまうでしょうし、逆に、観ている人が「この高さは怖いなあ!」と感じてくれるからこそ、この「暗示の効果」が際立つんですよね。
 もし、暗示にかけられたタレントが普通の平均台を渡ったとしても、そんなの「ふーん」と鼻で笑われてしまうだけでしょう。
 タレントさんだって、「私を心配して番組に抗議するより、驚くか笑ってほしい」と思っているのではないかと。

 しかしながら、確かに、こういう「まともな想像力」って、いまの番組制作者や視聴者からどんどん失われてしまっているものなのかもしれません。 テレビに映っていることだから、全部演出なのだ、嘘なのだ、何が起こってもテレビ局の責任なのだ……

 その一方で、亀田兄弟に対してはテレビ局に抗議の電話が殺到するというのも現実なのですから、視聴者というのは、テレビにどんな「正しさ」を求めているのでしょうか……
 



2008年09月07日(日)
『さよなら絶望先生』の久米田康治さんが、Mr.マリックから学んだこと

『このマンガがすごい! SIDE-B』(宝島社)の記事「巻頭大特集・『さよなら絶望先生』久米田康治スペシャルインタビュー!」より。取材・文は前田久さん。

【――まずはマンガ家になられる前のお話から伺っていきたいのですが。

久米田康治:ああ、そんなにさかのぼりますか……できれば話したくもないし、思い出したくもないんですけどねぇ。

――掘り起こしてすいません(笑)。和光大学在学中に漫研に所属されていたそうですが、その前からマンガは描かれていましたか?

久米田:もともと絵を描くのは好きだったんですけど、コマを割ってちゃんとマンガを描いたのは大学3年からですね。和光大学のマンガ研究会は、松本大洋さんがいたり、先輩に『寄生獣』の岩明均さんがいらしたりして、学生の人数の割にはデビュー率が高かったんです。まあ、「美術の先生になるかマンガ家になるしか進路がない」と悪口を言われているような大学だからというのもあるんでしょうけど(笑)。

――先生はマンガの編集者をご希望されていたとか。

久米田:「希望していた」というわけでもないんですよ。就職しなくちゃいけなくなったときに、編集プロダクションの銀杏社の試験を受けたというだけで。それで見事に落ちたわけですが、もしあのとき編集者になっていたら人生違っていたかもしれないですね……。

(中略)

――なるほど。先生のお話に戻していくと、『行け!!南国アイスホッケー部』と掲載時期が重なっているものなど、いくつかの作品を経て、現在の作風に繋がる『かってに改蔵』(以下『改蔵』)が始まりますね。

久米田:『改蔵』は企画が通らなくて苦労しました。でも、特に「やるぞ」という感じで始まらなかったんです。新連載なのに1回目が白黒だったり……。あれ、色は塗ってあったんですけど、何かに負けて白黒で始まったんですよね。そんな調子なので長く続くとも思ってなかったです。「これから人生どうしようか」ってずっと考えていました。

――結果的には単行本26巻まで続く大ヒット作になりましたよね。

久米田:大ヒットではないですよ。ヒットですらないんじゃないかなぁ。

――でも、当時の『週刊少年サンデー』を語る上では外せない作品だと思います。

久米田:いや、外されましたが?(笑)。じゃあ、なんで売れてないんですかね。あんまり数字的に出ないんで。難しいところですよね。

――『改蔵』の衝撃的な最終回は今でもマンガファンの間では語り草です。構想はいつごろからあったのでしょうか?

久米田:連載の割と早い段階からありましたね。尺が長くなっちゃったのでみんなビックリされたかもしれないですけど、あれを単行本の5巻くらいでやっていればみんなそれほど驚かなかったんじゃないですかね。

――それでも十分驚いたと思いますよ。

久米田:もうちょっと早く連載の終わりを伝えてもらっていたらきれいに着地できたんですけど……まあ、いいんじゃないでしょうか。

(中略)

――久米田先生の編集者さんとの関係はどうだったのでしょう。

久米田:今あっちのことはよくわからないですけど、少なくとも僕は担当者とは仲よかったですよ。まあ、僕の担当になった編集者さんたちは、上司と上手くいっていないという共通点がありましたけど(笑)。それより気になるのは「少年サンデー」問題より「ヤングサンデー」休刊の方です。僕の同期もいっぱい描いてますから。たぶん「ジャンプSQ」みたいに新創刊する気がしますけど、描いてるほうはたまったもんじゃないでしょうし。

――『改蔵』の連載終了後、いくつかの読み切りを発表されたのち、「週刊少年マガジン」で『さよなら絶望先生』の連載が始まりますね。活動の場を移されたきっかけは何だったんですか?

久米田:編集者からのお誘いです。僕もこのまま「少年サンデー」で描いていても読者は僕に飽きているだろうし、僕のかわりに『ハヤテ……』が始まって、もういいでしょって感じだったんですよ。ちょうどそんな時に、お話をいただいたので。Mr.マリックが日本で人気がなくなったときにアジアを巡って大もうけをしていたんですけど、あれにヒントを得て、違う土地に行けば、僕のことを知らない人もいるだろうし、同じことをやってもそんなに気付かれないんじゃないかな……という小ズルい考えもありまして(笑)。正直にいえば「拾っていただいた」という感じですね。まだご恩が返せていないので、もうちょっと頑張らないといけません。

――結論としては大正解ですよね。

久米田:まあ、そのままいたよりはよかったのかな……という気はしますけど。

――実際、ファンのリアクションの変化はありましたか?

久米田:どうですかね。手紙とかをくれる方って昔からのコアな読者が多いじゃないですか。なので、ライトな方々にはどう思われているか、気になりますけど、わからないですね。やっぱり「少年マガジン」だと、渋谷の若者とかHIPHOPとかの人も読んでるじゃないですかねえ? 「何だか、載っててすみません」という気持ちですよね。

――いやいや(笑)。『改蔵』中盤以降で確立された「斜めに社会を見る」スタイルがかさらに洗練されたように感じます。

久米田:本当は違うこともやりたいんですけどね。この歳になってみるとなかなかネタの投げ方を変えるのも難しいじゃないですか。できれば変えていきたいとは思っているんですけどね。

――このスタイルが誕生したのはどういったきっかけからでしょう。

久米田:だいたい僕の場合は後ろ向きの理由から出来上がることが多いんですよ。「ギャグマンガで、読み切りで、ページ数が少ない」という条件が先にあると、どうしても表現方法は限られるじゃないですか。「ネタがあっても入りきらない」とか。そうした入らない部分を入れるために箇条書きで羅列する方法を作りましたし、キャラを無理矢理タテに入れるのも、コマが足りないからなんです。コマをちゃんと割ると半ページとか使ってしまうので、コマの上にキャラをのせるんですよ。だから、意図してやっているというより、仕方なくそうなった部分が大きいですね。

――コマを縦に抜くカットは情報量を増やすための策なんですね。デザイン的な観点から見ても、とても洗練されたマンガ技法だと私は思ってます。

久米田:それは、あくまで苦肉の策であって、そんなアーティスティックな考えなんて微塵もないですよ。

(中略)

――「教師が主人公の学園コメディ」という企画に決まったのはどのような流れですか。

久米田:最初講談社からお話をいただいたときは18ページで連載する予定だったんですが、ネームを練っている間に12ページに変更になったんですね。これは『改蔵』のときの16ページよりもさらに4ページも減っているんです。4ページ減るというのは大きくて(苦笑)。当初は「ちょっとしたラブコメで儲けちゃおうかな〜」とか思って、不登校の少女と不下校の少年という出会うはずのない二人が出会う話を考えていたんですが、ページ数が減ったので、ストーリーで行くのがキツくなってしまって。だからキャラを立てて、もっとわかりやすい形にするしかなかったんです。

(中略)

――ところで、『さよなら絶望先生』が評価され、昨年(2007年)は講談社漫画賞を受賞されました。周囲の変化はありましたか?

久米田:特にはないですね。ただ、授賞式の二次会でパーティをやらなくちゃいけない義務があって、そこでなるべく人と会いたくないので生前葬をやったら、ウィキペディアの「生前葬」の項目に名前が載ってしまって、僕のマンガを知らない人に名前が知られるようになったくらいでしょうか。「生前葬」で有名になってもねぇ……。

(中略)

――今後の目標は?

久米田:もう十分ですよ。ただなだらかに消えていきたいって感じです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この久米田康治先生のインタビュー、『このマンガがすごい! SIDE-B』に掲載されているものの一部なのですが、全編こんな調子なんですよね。どこまで本心なのだかよくわからないインタビューではあるのですが、マンガ家としてのスタンスとか、『さよなら絶望先生』の「個性」が生まれた秘密など、かなり興味深い内容でした。

 このなかでも、僕が最も印象に残ったのは、久米田先生が「週刊少年サンデー」から「マガジン」に移籍されたときの話。Mr.マリックが日本でのブームが去ったあと、アジアツアーで荒稼ぎしていたというのも初めて知ったのですが、それをヒントにして、【違う土地に行けば、僕のことを知らない人もいるだろうし、同じことをやってもそんなに気付かれないんじゃないかな……】と考えたというのには思わず苦笑してしまいました。この話、全部本心じゃないかもしれないけど、「まず、環境を変えてみるという発想」は、久米田先生が自分のことを客観的に見ることができていたから出てきたような気がします。
 まあ、単に「週刊少年サンデー」の編集部と仲が悪かったから、なのかもしれませんけど。

 これを読んで僕が疑問い感じたのは、「サンデー」と「マガジン」の読者層というのは、そんなに違うのだろうか?ということ。
 週刊少年マンガ誌は「ジャンプ」と「マガジン」が二大巨頭で、少しランクが下がって「サンデー」「スピリッツ(が「少年誌」であるかは微妙かもしれませんが)」、「チャンピオン」以下は「書店で買っている人を見かけるのが困難」というのが僕のイメージです。「サンデー」を読んでいる人の多くは「ジャンプ」や「マガジン」も読んでいるのではないか、と思っていたのですが、それでも「この2誌の読者の違い」というのはけっこう大きいものなのですね。
 もちろん、マガジンの編集部、担当編集者の尽力というのもあるのでしょうし、作品そのものが洗練されてきた、という面も大きいのでしょう。
 しかしながら、久米田さん自身も「そのままいたよりはよかったのかな……」と仰っておられるように、この「移籍」がプラスになったのは間違いないようです。
 『さよなら絶望先生』が、「週刊少年サンデー」に掲載されていたら……というのは、それはそれで興味深い「if」ではありますが。
 
 多くのマンガ家が、同じような状況に陥ったときに「自分の作品はもう古いのか……」と作風のほうを変えようとして泥沼に陥ってしまうことを考えると、この「Mr.マリック作戦」は、大成功と言えるでしょうし、その一方で、「週刊少年ジャンプ」の悪名高き「専属契約」の力が強かった時代には、行き詰っているにもかかわらず、環境を変えることも許されないまま消えていったマンガ家もたくさんいたのだろうと思われます。
 いまの時代でも、「移籍」というのはそんなに簡単なことではないみたいですしね。

 あと、『さよなら絶望先生』のストーリーやカット割りが、「12ページではストーリーものはつらい」「連載前にページ数を減らされたため、1ページあたりの情報量を増やそうとした」というような「ネガティブな理由」から生まれたものだというのも面白かったです。僕としては、「不登校の少女と不下校の少年という出会うはずのない二人が出会う話」を読んでみたかったような気もするのですけど。
 



2008年09月05日(金)
「みんながどうして小説を早く読めるのかわからないですよ」という森博嗣さんの読書法

『一個人』2008年10月号(KKベストセラーズ)の特集記事「2008年度上半期・人生、最高に面白い本」より。

(「もう一度、読み返したい本〜人気作家10人がお勧めする究極の3冊」という記事の森博嗣さんの項から)

【昼間は大抵階下の工作室で作業をしているんです。長時間続けて同じことをするのが苦手なので、いろいろなものを同時並行で作っているんですよ。ゲラの確認や小説の執筆なども10分とか20分とか、小刻みに時間を区切って同時進行しています」
 工学博士であり、なかでも建築が専門の森博嗣さんは、自らが設計した工作室兼書斎で一日の大半を過ごしている。もとはガレージだったというその場所には、車の代わりに鉄道模型や飛行機模型が所狭しと並び、本棚らしきものは見当たらない。
「基本的に再読はしないので読んだ本はとっておかないんです。だから、本棚もありません。雑誌には数十冊ほど目を通しますが、小説は年に3、4冊しか読めないんですよ。一冊読むのに2〜3週間はかかりますから、書くのと同じくらいの時間がかかっていることになります」
 一度しか読まない代わりに、どのページに何が書いてあるかということが思い出せるくらい丹念に読む。繰り返し読むことはないのに、1日2時間で20ページほどしか進まないのだそうだ。
「だって、書いてある文章から世界を頭の中で構築しなくちゃいけないわけですから、すごく大変じゃないですか。むしろ、みんながどうして小説を早く読めるのかわからないですよ。僕は一度読んだストーリーは絶対忘れないし、自分の経験と同じくらい鮮明に覚えています。その点、頭の中にあることを書き留めるのは楽ですよね。小説を書くということは僕にとって頭の中の映像をメモするような感覚ですから」

(中略)

 再読はしない森さんが例外的に3回読んだのは埴谷雄高の『死霊』である。
「どうやったらこういうものが書けるのか、その才能が素晴らしいですね。これを読むと、刀が研がれるような、感覚が研ぎすまされるような、そんな気持ちになるんです。僕にとっては言葉を味わう詩集のような作品です」】

〜〜〜〜〜〜〜

 この本には、森さんの「工作室兼書斎」の写真も掲載されているのですが、「書斎」というより「おもちゃ博物館」みたいです。そもそも、森さんが小説を書きはじめたのは「趣味の模型制作にあてる費用を捻出するため」だったそうですし。

 作家といえば、一般的には「読書家」だというイメージがあるのですが、森さんの本の読みかたには、ちょっと驚いてしまいました。
 「速読」「多読」に価値を見出す人が多いなかで、森さんは、徹底した「精読派」のようです。それにしても、「年間3〜4冊しか読めない」「一度読んだら絶対に忘れないくらい丹念に読むので、1日2時間で20ページ」というのは、僕には信じられません。僕はだいたい文庫本で1時間に100〜150ページというペースなのですが、10倍時間をかけて読めと言われたら、余白にパラパラマンガでも書くしかなさそうです。いくら「丁寧に読む」って言ったって、そんなにゆっくり読めるのか、読むところがあるのだろうか。古文書の研究ならともかく、「小説」の1ページに、そんなに時間をかけて徹底的に読み解こうとするなんて!

 この森さんの読書法を読むと、必ずしも「たくさん読んだから偉い」とは限らないし、本の読みかたというのは人それぞれなんだなあ、と考えずにはいられません。
 ちなみに、森さんおすすめの「3冊」は、ロアルド・ダールの『飛行士たちの話』とサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』。そして、埴谷雄高の『死霊』。
 僕は『死霊』読んだことがないのですが、これは一度読んでみなければ、と思っています。
 森さんが3回も読んだということは、ものすごく難解な作品ではないかと予想されるのですが……



2008年09月03日(水)
「一生食べていくのに困らない遺産を手にした男」のコンプレックス

『悩む力』(姜尚中(カン サンジュン)著・集英社文庫)より。

【「食べるために働く」という言葉があります。人が生存していくには、やはりお金がかかるのであり、お金を得るためには、やはり働かなければなりません。いまはさらに「働き甲斐」や「夢の実現」などが働くことの大きなファクターになっていますから、仕事があって、それが自分のやりたいことと一致していれば、言うことはないわけです。
 でも、現実にはなかなかそうもいかなくて、目の前にあるのは希望とはまったく違うものだけれども、転職するのもたいへんだから、いやいや会社に通っているという人も多いでしょう。子供がいる人などはなおさら自分勝手もできず、毎日が我慢の連続かもしれません。ときには「お金さえあったら好きなことができるのに」「誰かオレを養ってくれないかな」という気持ちになることもあるのではないでしょうか。
 ときどき「もし宝くじで3億円が当たったら、仕事をやめて遊んで暮らす」という言葉を聞くことがあります。たしかに、お金さえあれば働かなくていいような気がします。しかし――と、そこで私は考えるのです。もしお金があったら、人は本当に働くのをやめるでしょうか。案外、そうでもないのではないでしょうか。
 こんな話を聞いたことがあります。かなりの資産家の息子さんがいて、突然父親が亡くなったため、一生食べていくのに困らない遺産が入りました。おかげで、その方は40歳近くまで、仕事ではない学問の研究をして暮らしてきました。うらやましい限りの境遇です。ところが、その方はずっとコンプレックスの塊だったというのです。
 それは、「自分は一人前ではない」という意識です。資産のあるなしにかかわらず、「働いていない」ということが、想像以上にその人の心に重圧をかけたのです。
 これはある意味、子供を持つ専業主婦が、「誰それさんの奥さん」「誰それちゃんのお母さん」という呼び方で呼ばれるのがいやだ、というのに似ているかもしれません。もちろん、専業主婦は家庭内の仕事をちゃんとしているので、遊んでいるわけではないのですが、外で働いている人と違い、自分の氏名を呼ばれないため、やはり「一人前ではない」ような気分になるのでしょう。
「人はなぜ働くのか」というのは、簡単なようでいて、意外に深遠な問いなのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もときどき「宝くじで3億円当たったら、働かずに南の島で読書とネットでもやって暮らしたいなあ」なんて妄想にふけるのですが、本当に宝くじが当たったとしても、たぶん、そういう生活はできないだろうという気がします。そんな「悠々自適な生活」をしていたら、ネットに何を書いてもバカにされる、あるいはまともに話を聞いてもらえないんじゃないか、とか考えてしまいますしね。

 「収入を得る」というのは、働くことの最もわかりやすい目的ではありますし、どんなに楽しい仕事でも、無給だったり、あまりに薄給だと続けていくのは難しいのですけど、「お金さえあれば、働かなくてもいい」かというと、必ずしもそうではないみたいです。

 著者は、この文章のなかで、「一生食べていくのに困らない遺産を手にした人」の話を例示していますが、この人は、別に悪いことをしてお金を手にしたわけではないし、仕事はしていなくても、ちゃんと研究をしていたわけです。
 傍からみれば、まさに「うらやましい限り」なのですが、彼自身は「自分が働いて収入を得ていない」ことにコンプレックスを感じていたのです。
 それなら研究なんてやめて、働けばいいのに、と僕は思うのですが、それはそれで、「いまさら働くのも怖い」とか「やっぱり研究をしたい」とかいうことになって、その堂々巡りなのでしょうね。
 「働きたくないのに働く」というのが、多くの人の「実感」であり、やはりつらいことなのですが、「働かなくていいのに働く」というのも、それはそれで悩ましいことではあるみたいです。そんなにお金があるのなら、いくら「働きたい」と思っても、自給何百円かのアルバイトをやる気にはならないだろうし、働いた経験や資格がない人間であれば、好条件の仕事にいきなり就ける可能性は低いでしょうし……

 確かに、「働くこと」は大変ですけど、「でも、ちゃんと仕事しているんだから」という認識は、けっこう自己満足に浸らせてくれるものではあります。毎日遊んでいたら、たぶんすぐ飽きてしまうはず。

 結局、「働くこと」も「働かないこと」も、それぞれ生きていく上での悩みの原因となりうるのだ、ということでしかないでしょう。悩む人は、どっちに転んでも悩んでしまう。
 でも、本音としては、飽きるほど遊んでみたいよね、ときどきでいいから……